鏡の瞳は森の中
キャラクターノベル制作 蔭沢 菫納品 2021年07月03日 12時56分59秒
魔女の庵は森の暗闇と言うには開けた、木漏れ日差し込む場所に立っていた。小さな薬草園が一つ、雌山羊と番の鶏が柵の中で飼われ、古びた窓から外を覗くは巻き毛の黒犬。
(さて、はずれ森の魔女は痛風を治す技を持っているかどうか、ですね)
村長の病はミルディンの見立てによれば、痛風であった。神の奇跡で何とぞ治癒を、と三重唱で村長夫婦とその娘に請われたミルディンであったが、生憎彼の知る聖なる技には、痛風の治療という便利なものはなかった。故に、はずれの森にいる魔女に話を付ける役を引き受ける羽目になる。断るにはミルディンの目の前に釣り下がった餌は大きかった。
はずれの森の魔女。
鏡の目をした美しく恐ろしい娘。
黒犬を従えた魔性の乙女。
(なかなか、そそる話じゃないですか)
動かぬミルディンを、窓の内にいる巻き毛の黒犬が不思議がって、わふわふと遊びを求める様に吠える。
「誰か来まし……どなたですか?」
扉を開けたのは、褪せた茶色の髪を二つに分けた娘。品の良い白いドレス。腰には褪せた青のエプロン。首元には、名も知らぬ青い石のブローチ。
何よりも目を引くのは、光をたたえる灰色の瞳。疑問と怯えを浮かべながらも、その瞳はひたすらに美しい。
(鏡、と言うには言い過ぎですが……綺麗な瞳ですね。それに、噂とは全然違う。当たりですね)
「村の方から来た、旅の神官、ミルディンです。村長が患った痛風の治療と、美しいあなたへのお目通りを求めて来まし……ぐふっ!?」
何なのこの人、と言いたげな顔で固まる魔女。刹那、黒犬が待ちきれないと言いたげに飛び出してきて、遊んでほしそうにミルディンへと突撃する。
「おやめなさい!」
娘は、思わず出た己の声の大きさに驚き、ばつの悪そうな顔をした。
「村長はエビを食べるのはやめましたか」
「なんとか。今度は魔女の所に直に連れて行きますよ、と言ったら即座に止めました」
そうですか、とミルディンから少し距離を置いた場所でリタニア――はずれの森の魔女は薬を混ぜる。
結局ミルディンは魔女を畏怖する村長と、村人を怖がるリタニアの仲介役として村に留まる事になった。対価はその間の宿代、食事代、酒代の免除。それと幾ばくかの貨幣。そして、リタニアとの会話の時間。もっとも女慣れしたミルディンが口説きの技をいくら使おうとも、リタニアは清らかな他人行儀の一線を、頑なに越えなかったのだが。
むしろ、そうやって己の前に張り巡らした境界を越えようとするミルディンを見れば、
「ミルディンさんはもう少し真面目になるべきですね」
と淡々とした声で間合いを取り、鏡の瞳でじっとミルディンを見つめるのであった。故に、ミルディンはさらにそそられる。好奇心故に。面白がって。もしくは名の付けられぬ感情故に。
「リタさんはもう少し華やかな場所を知るべきですよ。祭りの服を着て、花冠を付けたら村中の娘が嫉妬するし、村の外の男も放っておきません」
私の様に、とミルディンは付け加える。リタニアはその言葉に身をこわばらせた。
「だから、次の村の祭りにでも、恋人役とかどうですか――」
「そういうの、嫌なんです」
二つの声が交差する。
「止めてくれませんか。色恋とか、顔立ちの事とか、村の事とか、恋人役とか、私はもうこりごりなんです」
リタニアの冷え冷えとした声の中には明らかな怒気と拒否が含まれており、ミルディンは思わず慌てる。
「リタさん、どうしたんですか、急に」
「ミルディンさん、薬が出来ました。いつもの様に毎食後に。エビはなしで。エールもなしで。それではお帰り下さい」
黒犬がうなりをあげ、歯を剥く。投げつけられた薬の袋を受け取って、ミルディンは急いで庵を出て行った。
数日の間が空いた。村は祭りも近く浮足立っており、村長の痛風も調子が良い。リタニアのあまりにも冷たい拒絶の声がミルディンの足を一瞬止めたが、手に持った小袋の中身が足を進めさせる。瞳と同じ灰色のベルベット。刺繍の入った幅のあるリボン。茶色の髪にそれが飾られる図を想像し、流石の彼女も行商人から買った都会風の飾り物には心を開かせるだろう、と期待を抱く。
庵の側はいつもよりも静かで、犬の吠え声もなかった。
「リタさん?」
鼻につくは、血の臭い。慌てて扉を開けば、乾いた血の中に倒れる黒い犬の姿。荒された部屋。割れたブローチ。
女あるじの姿はすでになく、見覚えのある紋章が壁に描かれていた。己を産ませた教団の印。
(ベラガナ――黒い竜――教団は娘を攫う――)
鏡の瞳。淡々とした拒絶。二房お下げ――リタニアは若い娘だった。
己が人生に付きまとう影にミルディンは呻く。リタニア! と響く彼の叫びを聞く者はどこにもおらず、ただ森に響くのみ。奪われたひとの名を叫べども、起こったことは、誰にも戻せない。
後悔は深く胸を満たし、そこに苦痛が毒の様に広がっていく。夜は更け、朝は遠い。
(さて、はずれ森の魔女は痛風を治す技を持っているかどうか、ですね)
村長の病はミルディンの見立てによれば、痛風であった。神の奇跡で何とぞ治癒を、と三重唱で村長夫婦とその娘に請われたミルディンであったが、生憎彼の知る聖なる技には、痛風の治療という便利なものはなかった。故に、はずれの森にいる魔女に話を付ける役を引き受ける羽目になる。断るにはミルディンの目の前に釣り下がった餌は大きかった。
はずれの森の魔女。
鏡の目をした美しく恐ろしい娘。
黒犬を従えた魔性の乙女。
(なかなか、そそる話じゃないですか)
動かぬミルディンを、窓の内にいる巻き毛の黒犬が不思議がって、わふわふと遊びを求める様に吠える。
「誰か来まし……どなたですか?」
扉を開けたのは、褪せた茶色の髪を二つに分けた娘。品の良い白いドレス。腰には褪せた青のエプロン。首元には、名も知らぬ青い石のブローチ。
何よりも目を引くのは、光をたたえる灰色の瞳。疑問と怯えを浮かべながらも、その瞳はひたすらに美しい。
(鏡、と言うには言い過ぎですが……綺麗な瞳ですね。それに、噂とは全然違う。当たりですね)
「村の方から来た、旅の神官、ミルディンです。村長が患った痛風の治療と、美しいあなたへのお目通りを求めて来まし……ぐふっ!?」
何なのこの人、と言いたげな顔で固まる魔女。刹那、黒犬が待ちきれないと言いたげに飛び出してきて、遊んでほしそうにミルディンへと突撃する。
「おやめなさい!」
娘は、思わず出た己の声の大きさに驚き、ばつの悪そうな顔をした。
「村長はエビを食べるのはやめましたか」
「なんとか。今度は魔女の所に直に連れて行きますよ、と言ったら即座に止めました」
そうですか、とミルディンから少し距離を置いた場所でリタニア――はずれの森の魔女は薬を混ぜる。
結局ミルディンは魔女を畏怖する村長と、村人を怖がるリタニアの仲介役として村に留まる事になった。対価はその間の宿代、食事代、酒代の免除。それと幾ばくかの貨幣。そして、リタニアとの会話の時間。もっとも女慣れしたミルディンが口説きの技をいくら使おうとも、リタニアは清らかな他人行儀の一線を、頑なに越えなかったのだが。
むしろ、そうやって己の前に張り巡らした境界を越えようとするミルディンを見れば、
「ミルディンさんはもう少し真面目になるべきですね」
と淡々とした声で間合いを取り、鏡の瞳でじっとミルディンを見つめるのであった。故に、ミルディンはさらにそそられる。好奇心故に。面白がって。もしくは名の付けられぬ感情故に。
「リタさんはもう少し華やかな場所を知るべきですよ。祭りの服を着て、花冠を付けたら村中の娘が嫉妬するし、村の外の男も放っておきません」
私の様に、とミルディンは付け加える。リタニアはその言葉に身をこわばらせた。
「だから、次の村の祭りにでも、恋人役とかどうですか――」
「そういうの、嫌なんです」
二つの声が交差する。
「止めてくれませんか。色恋とか、顔立ちの事とか、村の事とか、恋人役とか、私はもうこりごりなんです」
リタニアの冷え冷えとした声の中には明らかな怒気と拒否が含まれており、ミルディンは思わず慌てる。
「リタさん、どうしたんですか、急に」
「ミルディンさん、薬が出来ました。いつもの様に毎食後に。エビはなしで。エールもなしで。それではお帰り下さい」
黒犬がうなりをあげ、歯を剥く。投げつけられた薬の袋を受け取って、ミルディンは急いで庵を出て行った。
数日の間が空いた。村は祭りも近く浮足立っており、村長の痛風も調子が良い。リタニアのあまりにも冷たい拒絶の声がミルディンの足を一瞬止めたが、手に持った小袋の中身が足を進めさせる。瞳と同じ灰色のベルベット。刺繍の入った幅のあるリボン。茶色の髪にそれが飾られる図を想像し、流石の彼女も行商人から買った都会風の飾り物には心を開かせるだろう、と期待を抱く。
庵の側はいつもよりも静かで、犬の吠え声もなかった。
「リタさん?」
鼻につくは、血の臭い。慌てて扉を開けば、乾いた血の中に倒れる黒い犬の姿。荒された部屋。割れたブローチ。
女あるじの姿はすでになく、見覚えのある紋章が壁に描かれていた。己を産ませた教団の印。
(ベラガナ――黒い竜――教団は娘を攫う――)
鏡の瞳。淡々とした拒絶。二房お下げ――リタニアは若い娘だった。
己が人生に付きまとう影にミルディンは呻く。リタニア! と響く彼の叫びを聞く者はどこにもおらず、ただ森に響くのみ。奪われたひとの名を叫べども、起こったことは、誰にも戻せない。
後悔は深く胸を満たし、そこに苦痛が毒の様に広がっていく。夜は更け、朝は遠い。