光る風の日
キャラクターノベル(グループ)制作 望月誠司納品 2021年06月25日 16時38分05秒
蒼い空で太陽が輝いている。
両開きに開かれた窓から光と共に風が差し込み、白いカーテンが揺れていた。
今日は暖かい、ともすれば暑くさえある陽気だった。
セリーヌは半袖とスカート姿で椅子に座り教科書を睨んでいた。
机の上に置かれた白いノートが、一陣の風に吹かれパラパラとめくられてゆく。
「閉めた方が良いですかね」
黒髪黒瞳の青年――先日から家庭教師としてセリーヌの部屋へと通っているセラン・フェルゼンブルクが、窓際へと移動してセリーヌを振り返った。
十四歳のエルフの少女は緑瞳を柔らかく細め微笑んだ。
「あぁ、良いです」
「良いのですか?」
「はい、風が気持ち良いので」
フィルエスの大森林では風がいつも吹いていた。
森を渡る風は世界を巡るという。
だから、あるいは、この風もまた万里を巡って、彼の地より来たれりものなのかもしれない。
そんな僅かな可能性を感じて思春期の少女はふと故郷を想起する。
――思えば、遠くへ、来たものだ。
幼い頃には今の己の姿などまるで想像できなかった。リーンエス王国の学園で学び、その寮で暮らしているなど。
森での暮らしと比べてあまりにも生活は変わった。
――父は、母は、今どうしているのだろう?
目の前の青年が、その母親の手引きによって送り込まれた帝国精鋭諜報員だとはつゆ知らず、セリーヌは光る風にその茶色の長い髪を揺らしながら、窓より広がっている蒼空へと視線をやった。
「……少し、休憩しましょうか」
セラン青年の声が響いた。
現実に引き戻されたセリーヌはハッとしつつ少し驚いて緑瞳を瞬かせた。
「よろしいのですか?」
「ええ、あまり根を詰めてやり過ぎるのも良くありませんから」
黒髪の青年が微笑して述べる。
集中力が切れてしまったのを、この眼前で微笑んでいる青年には見透かされてしまったのかもしれない。
セリーヌは少々バツの悪い思いを抱きつつも、実際勉強に疲れてきていた所もあったので、有難くその提案に乗る事にした。
「折角ですから、お茶を淹れますね」
セリーヌはティーセットを取り出し、セランと自分とに紅茶を淹れた。
「有難うございます」
黒瞳の青年が琥珀の液体で満たされた白い磁器に口をつけ「今回も美味しいです」と微笑した。
エルフの少女は「良かった」と破顔した。
「……そういえば、セリーヌの出身は王国ではないのですか?」
「え? はい、確かに私は王国生まれではないのですが……」
「いや、先日、初めてお会いした時にセリーヌは『私も根っからの王国貴族という訳ではありませんから』とおっしゃられていたので、もしかしたら私と同様に他国出身なのかなと……」
しまった、とセリーヌは内心で呻いた。
『はい、フィルエス大森林の生まれと育ちなんですよ』と答えられれば簡単だし、自分的にもそう言ってしまって構わない気もしているのだが、
――貴方の素性は他の誰にも知られてはいけないわ。隠しなさい。
以前、母から別れの際に告げられた言葉を思い出す。
言いつけを守るなら、生まれの事を話題にすべきではない。迂闊だった。
「……なるほど、ええ、そんな感じなんです。セラン殿はシルトラース帝国のお生まれで、生まれながらに貴族でらっしゃるんですよね?」
ちょっと強引な矛先の逸らし方かなと少女は内心で焦りつつも、セラン青年は特に気にした様子もなく「はい」と頷いてくれた。
「私は帝都の宮中で軍務に携わっている男爵の家に生まれました。ただ貴族といっても領有しているのは小さな寒村が一つだけでして……とてもそこからの収入だけでは貴族としてやっていけませんから、父はほぼ年中宮中に詰めていて、領地は代官に任せっきりというような、そんな有様の下級貴族の家ですけどね」
ハハと苦笑して青年は頭の後ろを掻いた。
「でも、セラン殿は学業が優秀でらっしゃるんですよね? パンクリアース学園に留学できる程に」
「恐縮ですが、有難い事に、そのようにご評価いただいています。こちらの学園で優れた技術を学び、祖国へと持ち帰って、皆の役に立てる人間になる事が夢です」
そんな異国の留学生からの話を聞いたセリーヌは、
(ああ、だから私の家庭教師とかの副業してるのかしら)
一つ得心がいったような気がした。
この真面目で礼儀正しい青年は優秀ではあるものの、恐らく経済面で苦労しているのだろう。だから同じ学生の身ながら余暇を割いてセリーヌの勉強を見て、学費や生活費の僅かばかりの足しにしているのだ。少し同情する所である。
「……立派な志しをお持ちですね。きっとセラン殿なら、その夢を叶えられますよ」
「有難うございます」
「シルトラース帝国とは、どのような所なのですか? 私も以前に一度だけ訪れた事があるのですが、何分とても幼い頃の事で、その時はとても寒かったという事くらいしか覚えていないのです」
「シルトラースですか……」
北国から来たという青年はティーカップを置くと少し表情を真面目なものにして呟いた。
――漠然とした質問過ぎただろうか?
セリーヌは少し不安になったが、セランは淀みなく語り始めた。
「あの国は確かに、とても寒い所です。冬は最も暖かい時刻でも水が凍てつく……厳しい、大地です――」
●
セロンガード・シュタインドルフは諜報活動用の微笑を浮かべつつ、自身をただの家庭教師の青年であると疑っていない少女の、緑色の瞳に見つめられながら故郷の事を語った。
国に関するほとんどの事は真実だ。
だが、自身に関わるほとんどの事は偽りだ。
貧乏貴族フェルゼンブルク家など帝国には存在しない。
セラン青年など存在せず、その夢も志しも存在しない。
もっとも、帝国に問い合わせればさも存在しているかのような情報が返ってくるだろうが。
――この少女が真実を知った時、どのような反応をするだろう?
そんな思いがセロンの脳裏を掠めたが、しかし、それだけだった。
偽る事にそれだけ以上の感情を抱いていては諜報員は務まらない。
だから部隊では、何も感じないように訓練を受けた。
その成果を発揮して、己の感情を完璧にコントロールしている。
(何の変哲も無い、いたって善良な少女に見えるが……)
既にゾフィーとカサンドラの二人と交友関係にあった事にはセロンは密かに驚いていた。
またゾフィーが褒める程に弓の才能があるというのも驚きだ。
だが、後者は『授恵者で無いにしては』という見えない装飾が頭につく。
授恵者であり、また授恵者でなくとも、幼い頃から森で狩猟していたセロン自身の弓の才能から見れば、セリーヌのそれはさほど特別には映らない。
弩弓課程で並み居る強豪を薙ぎ倒して首席の座を勝ち取り、実戦でも若くして活躍している少年は弓のスペシャリストだ。
(あの女性は何故、この子の家庭教師をするように僕に命令したんだろう?)
セリーヌの言動・思想・能力、いずれも帝国諜報員が張り付く必要性があるものとは感じられない。
セリーヌの身の回りにも今の所は不審は感じられない。
一つ、違和感を覚えた点があるとすれば、
(……出自か)
先程、セリーヌは己の生まれに関してあからさまに話題を逸らした。
(何か、そこにあるのかもしれないな)
実際は何も無いのかもしれない。
だが、見えざる見張り番としての訓練を受け、鍛えられたセロンの諜報員としての嗅覚は、そこに秘密の匂いを嗅ぎ取っていたのだった。
両開きに開かれた窓から光と共に風が差し込み、白いカーテンが揺れていた。
今日は暖かい、ともすれば暑くさえある陽気だった。
セリーヌは半袖とスカート姿で椅子に座り教科書を睨んでいた。
机の上に置かれた白いノートが、一陣の風に吹かれパラパラとめくられてゆく。
「閉めた方が良いですかね」
黒髪黒瞳の青年――先日から家庭教師としてセリーヌの部屋へと通っているセラン・フェルゼンブルクが、窓際へと移動してセリーヌを振り返った。
十四歳のエルフの少女は緑瞳を柔らかく細め微笑んだ。
「あぁ、良いです」
「良いのですか?」
「はい、風が気持ち良いので」
フィルエスの大森林では風がいつも吹いていた。
森を渡る風は世界を巡るという。
だから、あるいは、この風もまた万里を巡って、彼の地より来たれりものなのかもしれない。
そんな僅かな可能性を感じて思春期の少女はふと故郷を想起する。
――思えば、遠くへ、来たものだ。
幼い頃には今の己の姿などまるで想像できなかった。リーンエス王国の学園で学び、その寮で暮らしているなど。
森での暮らしと比べてあまりにも生活は変わった。
――父は、母は、今どうしているのだろう?
目の前の青年が、その母親の手引きによって送り込まれた帝国精鋭諜報員だとはつゆ知らず、セリーヌは光る風にその茶色の長い髪を揺らしながら、窓より広がっている蒼空へと視線をやった。
「……少し、休憩しましょうか」
セラン青年の声が響いた。
現実に引き戻されたセリーヌはハッとしつつ少し驚いて緑瞳を瞬かせた。
「よろしいのですか?」
「ええ、あまり根を詰めてやり過ぎるのも良くありませんから」
黒髪の青年が微笑して述べる。
集中力が切れてしまったのを、この眼前で微笑んでいる青年には見透かされてしまったのかもしれない。
セリーヌは少々バツの悪い思いを抱きつつも、実際勉強に疲れてきていた所もあったので、有難くその提案に乗る事にした。
「折角ですから、お茶を淹れますね」
セリーヌはティーセットを取り出し、セランと自分とに紅茶を淹れた。
「有難うございます」
黒瞳の青年が琥珀の液体で満たされた白い磁器に口をつけ「今回も美味しいです」と微笑した。
エルフの少女は「良かった」と破顔した。
「……そういえば、セリーヌの出身は王国ではないのですか?」
「え? はい、確かに私は王国生まれではないのですが……」
「いや、先日、初めてお会いした時にセリーヌは『私も根っからの王国貴族という訳ではありませんから』とおっしゃられていたので、もしかしたら私と同様に他国出身なのかなと……」
しまった、とセリーヌは内心で呻いた。
『はい、フィルエス大森林の生まれと育ちなんですよ』と答えられれば簡単だし、自分的にもそう言ってしまって構わない気もしているのだが、
――貴方の素性は他の誰にも知られてはいけないわ。隠しなさい。
以前、母から別れの際に告げられた言葉を思い出す。
言いつけを守るなら、生まれの事を話題にすべきではない。迂闊だった。
「……なるほど、ええ、そんな感じなんです。セラン殿はシルトラース帝国のお生まれで、生まれながらに貴族でらっしゃるんですよね?」
ちょっと強引な矛先の逸らし方かなと少女は内心で焦りつつも、セラン青年は特に気にした様子もなく「はい」と頷いてくれた。
「私は帝都の宮中で軍務に携わっている男爵の家に生まれました。ただ貴族といっても領有しているのは小さな寒村が一つだけでして……とてもそこからの収入だけでは貴族としてやっていけませんから、父はほぼ年中宮中に詰めていて、領地は代官に任せっきりというような、そんな有様の下級貴族の家ですけどね」
ハハと苦笑して青年は頭の後ろを掻いた。
「でも、セラン殿は学業が優秀でらっしゃるんですよね? パンクリアース学園に留学できる程に」
「恐縮ですが、有難い事に、そのようにご評価いただいています。こちらの学園で優れた技術を学び、祖国へと持ち帰って、皆の役に立てる人間になる事が夢です」
そんな異国の留学生からの話を聞いたセリーヌは、
(ああ、だから私の家庭教師とかの副業してるのかしら)
一つ得心がいったような気がした。
この真面目で礼儀正しい青年は優秀ではあるものの、恐らく経済面で苦労しているのだろう。だから同じ学生の身ながら余暇を割いてセリーヌの勉強を見て、学費や生活費の僅かばかりの足しにしているのだ。少し同情する所である。
「……立派な志しをお持ちですね。きっとセラン殿なら、その夢を叶えられますよ」
「有難うございます」
「シルトラース帝国とは、どのような所なのですか? 私も以前に一度だけ訪れた事があるのですが、何分とても幼い頃の事で、その時はとても寒かったという事くらいしか覚えていないのです」
「シルトラースですか……」
北国から来たという青年はティーカップを置くと少し表情を真面目なものにして呟いた。
――漠然とした質問過ぎただろうか?
セリーヌは少し不安になったが、セランは淀みなく語り始めた。
「あの国は確かに、とても寒い所です。冬は最も暖かい時刻でも水が凍てつく……厳しい、大地です――」
●
セロンガード・シュタインドルフは諜報活動用の微笑を浮かべつつ、自身をただの家庭教師の青年であると疑っていない少女の、緑色の瞳に見つめられながら故郷の事を語った。
国に関するほとんどの事は真実だ。
だが、自身に関わるほとんどの事は偽りだ。
貧乏貴族フェルゼンブルク家など帝国には存在しない。
セラン青年など存在せず、その夢も志しも存在しない。
もっとも、帝国に問い合わせればさも存在しているかのような情報が返ってくるだろうが。
――この少女が真実を知った時、どのような反応をするだろう?
そんな思いがセロンの脳裏を掠めたが、しかし、それだけだった。
偽る事にそれだけ以上の感情を抱いていては諜報員は務まらない。
だから部隊では、何も感じないように訓練を受けた。
その成果を発揮して、己の感情を完璧にコントロールしている。
(何の変哲も無い、いたって善良な少女に見えるが……)
既にゾフィーとカサンドラの二人と交友関係にあった事にはセロンは密かに驚いていた。
またゾフィーが褒める程に弓の才能があるというのも驚きだ。
だが、後者は『授恵者で無いにしては』という見えない装飾が頭につく。
授恵者であり、また授恵者でなくとも、幼い頃から森で狩猟していたセロン自身の弓の才能から見れば、セリーヌのそれはさほど特別には映らない。
弩弓課程で並み居る強豪を薙ぎ倒して首席の座を勝ち取り、実戦でも若くして活躍している少年は弓のスペシャリストだ。
(あの女性は何故、この子の家庭教師をするように僕に命令したんだろう?)
セリーヌの言動・思想・能力、いずれも帝国諜報員が張り付く必要性があるものとは感じられない。
セリーヌの身の回りにも今の所は不審は感じられない。
一つ、違和感を覚えた点があるとすれば、
(……出自か)
先程、セリーヌは己の生まれに関してあからさまに話題を逸らした。
(何か、そこにあるのかもしれないな)
実際は何も無いのかもしれない。
だが、見えざる見張り番としての訓練を受け、鍛えられたセロンの諜報員としての嗅覚は、そこに秘密の匂いを嗅ぎ取っていたのだった。