恐怖の踏み絵
キャラクターノベル制作 革酎納品 2021年06月25日 15時33分11秒
●
深夜――分厚い雲が天を覆い尽くし、月明かりも届かぬ夜の闇がねっとりと絡みつくロモズ旧村。
ひとびとは寝静まり、警護に当たるロモズ歩兵団員がそこかしこに点在する中、とある民家の地下室に、陰謀の香りが漂い始めていた。
土壁は煉瓦で補強され、やや低い天井では耐久年数を超えた梁が苦しげにしなっている。
そして、その薄暗い室内には複数の人影が揺らめいていた。燭台の光に炙り出された黒い影の群れは、息詰まる様な空間の中で、その不気味な姿をぼうっと浮かび上がらせている。
室の中央に据えられた卓には、セロンガード・シュタインドルフの妙に悪役臭い姿があった。
やや猫背気味に木椅子に腰かけた彼は薄闇の中だというのに何故か黒眼鏡をかけ、両肘を卓上に付き、目の前で手の甲を上向きにして水平に据え、両の指を組み合わせている。
眼光は驚く程に鋭い。戦場の中で、狙いを定めた敵に必中の狙撃を叩き込む時の様な緊張感が漂う。
日中の彼からはとても想像出来ぬ程の暗い翳が、その面に差し込んでいた。
同じ卓を囲んでいるのは、ロモズ歩兵団遊兵7番隊の一部の隊員達。彼らは全員、セロンガード主催の闇賭博に毎回参戦している、所謂常連さん達であった。
遊兵7番隊は隊長と副長を除き、総勢20名の難民兵が名を連ねている。そのうち約半数が賭場に顔を出す様になっていた。
当初は十数名を超えた賭博客達も、隊長の風紀取り締まりを恐れて、ひとり、またひとりと賭場から姿を消していった。残ったのはセロンガードを含めて僅か八名。
否、セロンガードには八名でも十分だった。賭博はふたり居れば始められる。それが四倍の人数も残っていたのだ。楽しくなかろう筈が無かった。
だがそれも、過日の手入れで全てご破算となった。セロンガードが何者よりも大事にしている遊兵7番隊長が強制捜査に乗り出し、賭場を差し押さえてしまったのだ。
セロンガードは闇賭博が大好きだ。逆に隊長は、忌み嫌う。個人としてはお互いに大切な相手と認識している両者だったが、こと賭博に関していえば真っ向から対立していた。
「……まだ終わらんよ。かつて誰もが成し得なかった賭場への道。人類賭博計画だ」
妙に低いトーンで囁く様に笑う。知らぬ者が聞けば、こんな声だったかと驚くかも知れない。
黒眼鏡が燭台の光を反射し、怪しげに煌めいた。
セロンガードの正面にはグリウス・ヤンセンという二十代半ばの男が腰を据えている。闇賭博ではセロンガードの片腕として胴元代理を買って出ることもある豪気の輩だ。
「いよいよ反撃に出るんですね、元締め」
この場では、セロンガードは副長ではなく元締めと称されている。グリウスからの喜色を含んだ呼びかけに、セロンガードはうむ、と小さく頷き返した。
「あのケンドロの屈辱を晴らし、今一度賭場への道を開く」
隊長による賭場への強制捜査。そしてそれに続く地獄の罰ゲーム、ケンドロ(憲兵泥棒ごっこ)。
セロンガード達は人数的不利を強いられたまま、ハンターと化した隊長班に次々と捕殺され、口でいうのも憚られる様なキツいお仕置きの嵐に見舞われた。
しかしあの隊長のことだ。絶対にこちらの動きを監視しているに違いない。何の策も無しに再び賭場を開いたところで、またもやケンドロの恐怖へと叩き込まれるだけであろう。
「何か策があるんですか?」
年若い賭博隊員(通常の遊兵7番隊員と区別する為、敢えてこの様に表記する)が身を乗り出して訊いた。彼は他の面々と同じく、賭場の再開を心待ちにしていると言外に匂わせている。
すると頭が禿げ上がった初老の賭博隊員が卓の反対側から、何かの包みを差し出してきた。セロンガードが彼に命じて調達させていたものである。
「元締め、本当に良いんですか、こんなものを……これは大いなる賭けですぜ」
初老の賭博隊員が緊張気味に喉をごくりと鳴らした。
対するセロンガードは、ニヒルな笑みを浮かべる。
「問題無い。全てはシナリオ通りだ」
セロンガードと同い年の別の男性賭博隊員が、その包みを卓上に押し広げた。中から出てきたのは、柔らかな素材の白い布切れだ。三角形をベースにしたデザインで、布地の面積は然程に大きくない。
まさか、と賭博隊員達が驚愕におののいた。
そう、これは紐パンだ。初老の賭博隊員によれば、洗濯前のものをこっそり拝借してきたらしい。つまり、着用者の汗と香りがたっぷり染みついた逸品な訳だ。
「も、ももも元締め……しょ、所望して……宜しいですか……」
同い年の賭博隊員がはぁはぁと呼吸を乱しながら、訊いた。もしもこの紐パンが、あの可憐な隊長の所有物であったならば、これはとてつもなく危険な代物だ。そもそもセロンガードが他人に対し、隊長の紐パンを触らせることなど許すだろうか。
だが意外にも、セロンガードは小さく頷き返す。同い年の賭博隊員は小刻みに震えながら紐パンを手に取り、その香りをくんかくんかと盛大に味わった。
セロンガードは再び黒眼鏡を煌めかせて、曰く。
「……どうだ。それがホレイス・ゼイロノフ男爵子息の紐パンだ」
三十過ぎたオッサンのパンツじゃねぇかッ!
――同い年の賭博隊員は血を吐く様な勢いで仰け反り、その場に昏倒した。
●
顎髭が豊かな中年の賭博隊員が、その辺に落ちていた木の棒の先っちょで男爵子息の紐パンをそっと拾い上げると、再び卓上の中央へと戻した。
先程まではこの紐パンを歓喜と羨望と興奮が入り混じった視線で眺めていた賭博隊員達だったが、今は犬の糞でも睨む様な険しい目つきだ。
それは兎も角、何故セロンガードは初老の賭博隊員にこんな気持ちの悪い代物を調達させたのか。
「うちの隊長の捜査意欲を掻き立てる為さ」
セロンガードの影響下にある賭博隊員が他所の隊長の紐パンをこっそり拝借した、などという噂が流れれば風紀を監視する我らが隊長は必ず、食いついてくるだろう。
「でも何でよりによって、男爵子息の紐パンなんですか」
そもそも何故三十過ぎたオッサンが紐パンなどを、とグリウスは真剣に考え込む。そこで幾ら考えようと、オッサンが紐パンはくのは個人の自由だ。それこそ褌だろうがハイレグパンツだろうが、ひとには好きな下着を着用する権利がある。
男爵子息はきっとそういう趣味なんだろうと納得する以外に無い。
それは兎も角、セロンガードは件の紐パンを餌にしようと考えた経緯を口にした。
「……取り敢えず隊長に殺されずに済みそうなのを無難にチョイスしたまでだ」
確かに、可憐なる隊長の下着を盗み出したとなると、それはもう命が幾つあっても足りない。だが三十過ぎたオッサンのパンツなら精々、何やってんのよ馬鹿と呆れられる程度だろう。
それでも、あの隊長ならばきっと食いついてくる。セロンガードには勝算があった。
「下着泥棒は風紀の乱れの極地だ。隊長にしてみればこれ以上の悪行は無い」
それもこれも、我等が安寧の地――秘密の賭場を復活させる為だ。心を鬼にしてでも、挑まなければならないだろう。
「それで、その次はどうするんですか?」
髭面の中年賭博隊員が訊いた。
仮に隊長が食いついてきて、再び賭場にガサ入れを仕掛けてきたとする。当然セロンガード以下八名はまたもや捕縛され、ケンドロ地獄へと一直線だ。
だが、セロンガードには秘策があった。黒眼鏡の奥から、彼の視線が卓上の紐パンへと突き刺さる。
その場の誰もが、まさか、と声を失った。
「そう……我等で嗜むのだ」
この夜、最も衝撃的なひと言がセロンガードの唇からそっと流れ出た。
嗜む――それ即ち、オッサンの紐パンをくんかくんかせよ、ということだ。
嗚呼、何ということだろう。そこまでしなければ、賭場を死守することは出来ないのか。既に同い年の賭博隊員が尊い犠牲となり、口から赤いものを盛大に撒き散らして昏倒している。
ちなみにだが、この赤いものは血ではなく、昼間に食ったトマト料理か何かのゲロだろう。実際、この地下室内は酸っぱい臭いがぷんぷんと充満している。
危うく貰いゲロをぶちまけそうになった彼らだが、ここで男爵子息の紐パンを嗜むことで、改めて自発ゲロの悲哀を味わうことになるのだろうか。
「そ、それで元締め。これを嗜むことで、ケンドロに勝てるんでしょうか?」
年若い賭博隊員が恐る恐る訊いた。
セロンガードがどの様な答えを口にするのか――賭博隊員達は何となく予想はしていたが、その内容は余りにも恐ろしく、おいそれと言及することは出来ない。
だがセロンガードは姿勢を崩さず、黒眼鏡の奥から鋭い眼光を飛ばした。
「ああ、勝てるともさ。三十過ぎたオッサンの紐パンを嗜む様な連中を、奴らは捕縛したいと思うだろうか? いや、思わない」
わざわざ反語を最後に添えるという心憎い演出を加えながら、セロンガードはニヒルに笑った。
矢張り、そういうことなのか。賭博隊員達の間に危機感と動揺が、同時に揺らめいた。そこまでしなくてはケンドロに勝てないのか。そうまでしなければ、賭場の永遠は勝ち取れないのか。
「そこで、諸君に問いたい。諸君は賭場を選ぶか。それとも上っ面だけのものに過ぎない常識人のプライドにしがみつきたいのか」
それはまさに、禁断の踏み絵。
甘露な賭博の味に酔うか、世間体を気にしてこそこそと生き続けるのか。
「……元締め、俺ァやりますよ。やってやりますよッ!」
グリウスが猛然と立ち上がった。狂気と勇気が、彼の瞳孔を極限にまで押し広げていた。
●
そして、後日。
賭場は再び、差し押さえられた。遊兵7番隊長とその忠実なる部下達は、セロンガードを筆頭とする賭博隊員達を検挙した。
だがその時の様子は、前回とはいささか趣を異にした。
隊長とその部下達は賭博隊員達に対し、ややおっかなびっくりな調子で接した。下手に関わると自分まで変な目で見られるという恐怖心が、常識人としての彼ら彼女らの精神を蝕んだのである。
それでも隊長はケンドロに挑んだ。セロンガード達を闇の世界から、再びこちら側――即ち、陽の光が当たる健全な場所へと連れ戻そうとした。
セロンガード、グリウス、そして他の賭博隊員達は余裕の表情でケンドロに応じた。
寧ろビビりまくっていたのは隊長に忠実な、真面目な隊員達の方であった。ただ捕縛するだけならまだしも、ケンドロという形で一緒に遊ぶということは、自分達までオッサン's紐パンを嗜んだのかと思われかねない。及び腰になるのは当然の帰結であろう。
結果として、セロンガード達は圧勝した。泥棒役となった彼らは誰ひとりとしてハンター役から一切触れられることなく、その日の最後まで自由に振る舞い続けた。
恐らく今後も、隊長は賭場へのガサ入れを続けるだろう。だがケンドロは最早、使えない。嗜みを心得た賭博隊員達は向かうところ敵無しだ。誰も彼らを捕まえることなど、出来っこない。
ケンドロを勝利で終えたその日の夜、セロンガードは祝勝賭場を開催した。
隠れてこそこそ遊ぶ賭場も良いが、誰にも邪魔されずに堂々と遊ぶことが出来る賭場もまた、格別なものであった。
「元締め、おめでとうございます」
グリウスの晴れやかな笑み。
年若い顔、禿げ上がった初老の顔、同い年の顔、髭面の顔――彼ら賭博隊員達は一様に、勝利の美酒ならぬ栄光の賭博に酔いしれた。
尤も、本人達は気づいていない。否、麻痺しているといった方が正しいだろうか。
ひととして、何か大切なものを捨て去ってしまったということを。
本来ならその罪悪感に苛まれる筈であろう。
だが――三十過ぎたオッサンの紐パンをくんかくんかした。その衝撃の記憶が、彼らの精神を暗黒の闇へと誘っていたのである。
彼らが、健全なる陽光の世界へと帰還を果たす日は、いつか訪れるのだろうか。
セロンガードと賭博隊員達の名誉の為に付記するならば、彼らの嗜みは他隊には一切、漏れ知られることはなかった。
これは恥と外聞を気にした遊兵7番隊長が、自隊内に箝口令を敷いた為である。
流石にこんなことを他所に知られては、恥ずかしくて堪らないだろう。常識人としての感覚を持つならば、当然の決断だ。
セロンガード達は、運をも味方につけたのだ。
深夜――分厚い雲が天を覆い尽くし、月明かりも届かぬ夜の闇がねっとりと絡みつくロモズ旧村。
ひとびとは寝静まり、警護に当たるロモズ歩兵団員がそこかしこに点在する中、とある民家の地下室に、陰謀の香りが漂い始めていた。
土壁は煉瓦で補強され、やや低い天井では耐久年数を超えた梁が苦しげにしなっている。
そして、その薄暗い室内には複数の人影が揺らめいていた。燭台の光に炙り出された黒い影の群れは、息詰まる様な空間の中で、その不気味な姿をぼうっと浮かび上がらせている。
室の中央に据えられた卓には、セロンガード・シュタインドルフの妙に悪役臭い姿があった。
やや猫背気味に木椅子に腰かけた彼は薄闇の中だというのに何故か黒眼鏡をかけ、両肘を卓上に付き、目の前で手の甲を上向きにして水平に据え、両の指を組み合わせている。
眼光は驚く程に鋭い。戦場の中で、狙いを定めた敵に必中の狙撃を叩き込む時の様な緊張感が漂う。
日中の彼からはとても想像出来ぬ程の暗い翳が、その面に差し込んでいた。
同じ卓を囲んでいるのは、ロモズ歩兵団遊兵7番隊の一部の隊員達。彼らは全員、セロンガード主催の闇賭博に毎回参戦している、所謂常連さん達であった。
遊兵7番隊は隊長と副長を除き、総勢20名の難民兵が名を連ねている。そのうち約半数が賭場に顔を出す様になっていた。
当初は十数名を超えた賭博客達も、隊長の風紀取り締まりを恐れて、ひとり、またひとりと賭場から姿を消していった。残ったのはセロンガードを含めて僅か八名。
否、セロンガードには八名でも十分だった。賭博はふたり居れば始められる。それが四倍の人数も残っていたのだ。楽しくなかろう筈が無かった。
だがそれも、過日の手入れで全てご破算となった。セロンガードが何者よりも大事にしている遊兵7番隊長が強制捜査に乗り出し、賭場を差し押さえてしまったのだ。
セロンガードは闇賭博が大好きだ。逆に隊長は、忌み嫌う。個人としてはお互いに大切な相手と認識している両者だったが、こと賭博に関していえば真っ向から対立していた。
「……まだ終わらんよ。かつて誰もが成し得なかった賭場への道。人類賭博計画だ」
妙に低いトーンで囁く様に笑う。知らぬ者が聞けば、こんな声だったかと驚くかも知れない。
黒眼鏡が燭台の光を反射し、怪しげに煌めいた。
セロンガードの正面にはグリウス・ヤンセンという二十代半ばの男が腰を据えている。闇賭博ではセロンガードの片腕として胴元代理を買って出ることもある豪気の輩だ。
「いよいよ反撃に出るんですね、元締め」
この場では、セロンガードは副長ではなく元締めと称されている。グリウスからの喜色を含んだ呼びかけに、セロンガードはうむ、と小さく頷き返した。
「あのケンドロの屈辱を晴らし、今一度賭場への道を開く」
隊長による賭場への強制捜査。そしてそれに続く地獄の罰ゲーム、ケンドロ(憲兵泥棒ごっこ)。
セロンガード達は人数的不利を強いられたまま、ハンターと化した隊長班に次々と捕殺され、口でいうのも憚られる様なキツいお仕置きの嵐に見舞われた。
しかしあの隊長のことだ。絶対にこちらの動きを監視しているに違いない。何の策も無しに再び賭場を開いたところで、またもやケンドロの恐怖へと叩き込まれるだけであろう。
「何か策があるんですか?」
年若い賭博隊員(通常の遊兵7番隊員と区別する為、敢えてこの様に表記する)が身を乗り出して訊いた。彼は他の面々と同じく、賭場の再開を心待ちにしていると言外に匂わせている。
すると頭が禿げ上がった初老の賭博隊員が卓の反対側から、何かの包みを差し出してきた。セロンガードが彼に命じて調達させていたものである。
「元締め、本当に良いんですか、こんなものを……これは大いなる賭けですぜ」
初老の賭博隊員が緊張気味に喉をごくりと鳴らした。
対するセロンガードは、ニヒルな笑みを浮かべる。
「問題無い。全てはシナリオ通りだ」
セロンガードと同い年の別の男性賭博隊員が、その包みを卓上に押し広げた。中から出てきたのは、柔らかな素材の白い布切れだ。三角形をベースにしたデザインで、布地の面積は然程に大きくない。
まさか、と賭博隊員達が驚愕におののいた。
そう、これは紐パンだ。初老の賭博隊員によれば、洗濯前のものをこっそり拝借してきたらしい。つまり、着用者の汗と香りがたっぷり染みついた逸品な訳だ。
「も、ももも元締め……しょ、所望して……宜しいですか……」
同い年の賭博隊員がはぁはぁと呼吸を乱しながら、訊いた。もしもこの紐パンが、あの可憐な隊長の所有物であったならば、これはとてつもなく危険な代物だ。そもそもセロンガードが他人に対し、隊長の紐パンを触らせることなど許すだろうか。
だが意外にも、セロンガードは小さく頷き返す。同い年の賭博隊員は小刻みに震えながら紐パンを手に取り、その香りをくんかくんかと盛大に味わった。
セロンガードは再び黒眼鏡を煌めかせて、曰く。
「……どうだ。それがホレイス・ゼイロノフ男爵子息の紐パンだ」
三十過ぎたオッサンのパンツじゃねぇかッ!
――同い年の賭博隊員は血を吐く様な勢いで仰け反り、その場に昏倒した。
●
顎髭が豊かな中年の賭博隊員が、その辺に落ちていた木の棒の先っちょで男爵子息の紐パンをそっと拾い上げると、再び卓上の中央へと戻した。
先程まではこの紐パンを歓喜と羨望と興奮が入り混じった視線で眺めていた賭博隊員達だったが、今は犬の糞でも睨む様な険しい目つきだ。
それは兎も角、何故セロンガードは初老の賭博隊員にこんな気持ちの悪い代物を調達させたのか。
「うちの隊長の捜査意欲を掻き立てる為さ」
セロンガードの影響下にある賭博隊員が他所の隊長の紐パンをこっそり拝借した、などという噂が流れれば風紀を監視する我らが隊長は必ず、食いついてくるだろう。
「でも何でよりによって、男爵子息の紐パンなんですか」
そもそも何故三十過ぎたオッサンが紐パンなどを、とグリウスは真剣に考え込む。そこで幾ら考えようと、オッサンが紐パンはくのは個人の自由だ。それこそ褌だろうがハイレグパンツだろうが、ひとには好きな下着を着用する権利がある。
男爵子息はきっとそういう趣味なんだろうと納得する以外に無い。
それは兎も角、セロンガードは件の紐パンを餌にしようと考えた経緯を口にした。
「……取り敢えず隊長に殺されずに済みそうなのを無難にチョイスしたまでだ」
確かに、可憐なる隊長の下着を盗み出したとなると、それはもう命が幾つあっても足りない。だが三十過ぎたオッサンのパンツなら精々、何やってんのよ馬鹿と呆れられる程度だろう。
それでも、あの隊長ならばきっと食いついてくる。セロンガードには勝算があった。
「下着泥棒は風紀の乱れの極地だ。隊長にしてみればこれ以上の悪行は無い」
それもこれも、我等が安寧の地――秘密の賭場を復活させる為だ。心を鬼にしてでも、挑まなければならないだろう。
「それで、その次はどうするんですか?」
髭面の中年賭博隊員が訊いた。
仮に隊長が食いついてきて、再び賭場にガサ入れを仕掛けてきたとする。当然セロンガード以下八名はまたもや捕縛され、ケンドロ地獄へと一直線だ。
だが、セロンガードには秘策があった。黒眼鏡の奥から、彼の視線が卓上の紐パンへと突き刺さる。
その場の誰もが、まさか、と声を失った。
「そう……我等で嗜むのだ」
この夜、最も衝撃的なひと言がセロンガードの唇からそっと流れ出た。
嗜む――それ即ち、オッサンの紐パンをくんかくんかせよ、ということだ。
嗚呼、何ということだろう。そこまでしなければ、賭場を死守することは出来ないのか。既に同い年の賭博隊員が尊い犠牲となり、口から赤いものを盛大に撒き散らして昏倒している。
ちなみにだが、この赤いものは血ではなく、昼間に食ったトマト料理か何かのゲロだろう。実際、この地下室内は酸っぱい臭いがぷんぷんと充満している。
危うく貰いゲロをぶちまけそうになった彼らだが、ここで男爵子息の紐パンを嗜むことで、改めて自発ゲロの悲哀を味わうことになるのだろうか。
「そ、それで元締め。これを嗜むことで、ケンドロに勝てるんでしょうか?」
年若い賭博隊員が恐る恐る訊いた。
セロンガードがどの様な答えを口にするのか――賭博隊員達は何となく予想はしていたが、その内容は余りにも恐ろしく、おいそれと言及することは出来ない。
だがセロンガードは姿勢を崩さず、黒眼鏡の奥から鋭い眼光を飛ばした。
「ああ、勝てるともさ。三十過ぎたオッサンの紐パンを嗜む様な連中を、奴らは捕縛したいと思うだろうか? いや、思わない」
わざわざ反語を最後に添えるという心憎い演出を加えながら、セロンガードはニヒルに笑った。
矢張り、そういうことなのか。賭博隊員達の間に危機感と動揺が、同時に揺らめいた。そこまでしなくてはケンドロに勝てないのか。そうまでしなければ、賭場の永遠は勝ち取れないのか。
「そこで、諸君に問いたい。諸君は賭場を選ぶか。それとも上っ面だけのものに過ぎない常識人のプライドにしがみつきたいのか」
それはまさに、禁断の踏み絵。
甘露な賭博の味に酔うか、世間体を気にしてこそこそと生き続けるのか。
「……元締め、俺ァやりますよ。やってやりますよッ!」
グリウスが猛然と立ち上がった。狂気と勇気が、彼の瞳孔を極限にまで押し広げていた。
●
そして、後日。
賭場は再び、差し押さえられた。遊兵7番隊長とその忠実なる部下達は、セロンガードを筆頭とする賭博隊員達を検挙した。
だがその時の様子は、前回とはいささか趣を異にした。
隊長とその部下達は賭博隊員達に対し、ややおっかなびっくりな調子で接した。下手に関わると自分まで変な目で見られるという恐怖心が、常識人としての彼ら彼女らの精神を蝕んだのである。
それでも隊長はケンドロに挑んだ。セロンガード達を闇の世界から、再びこちら側――即ち、陽の光が当たる健全な場所へと連れ戻そうとした。
セロンガード、グリウス、そして他の賭博隊員達は余裕の表情でケンドロに応じた。
寧ろビビりまくっていたのは隊長に忠実な、真面目な隊員達の方であった。ただ捕縛するだけならまだしも、ケンドロという形で一緒に遊ぶということは、自分達までオッサン's紐パンを嗜んだのかと思われかねない。及び腰になるのは当然の帰結であろう。
結果として、セロンガード達は圧勝した。泥棒役となった彼らは誰ひとりとしてハンター役から一切触れられることなく、その日の最後まで自由に振る舞い続けた。
恐らく今後も、隊長は賭場へのガサ入れを続けるだろう。だがケンドロは最早、使えない。嗜みを心得た賭博隊員達は向かうところ敵無しだ。誰も彼らを捕まえることなど、出来っこない。
ケンドロを勝利で終えたその日の夜、セロンガードは祝勝賭場を開催した。
隠れてこそこそ遊ぶ賭場も良いが、誰にも邪魔されずに堂々と遊ぶことが出来る賭場もまた、格別なものであった。
「元締め、おめでとうございます」
グリウスの晴れやかな笑み。
年若い顔、禿げ上がった初老の顔、同い年の顔、髭面の顔――彼ら賭博隊員達は一様に、勝利の美酒ならぬ栄光の賭博に酔いしれた。
尤も、本人達は気づいていない。否、麻痺しているといった方が正しいだろうか。
ひととして、何か大切なものを捨て去ってしまったということを。
本来ならその罪悪感に苛まれる筈であろう。
だが――三十過ぎたオッサンの紐パンをくんかくんかした。その衝撃の記憶が、彼らの精神を暗黒の闇へと誘っていたのである。
彼らが、健全なる陽光の世界へと帰還を果たす日は、いつか訪れるのだろうか。
セロンガードと賭博隊員達の名誉の為に付記するならば、彼らの嗜みは他隊には一切、漏れ知られることはなかった。
これは恥と外聞を気にした遊兵7番隊長が、自隊内に箝口令を敷いた為である。
流石にこんなことを他所に知られては、恥ずかしくて堪らないだろう。常識人としての感覚を持つならば、当然の決断だ。
セロンガード達は、運をも味方につけたのだ。