隊長選抜考査前夜
キャラクターノベル(グループ)制作 革酎納品 2021年05月23日 16時50分36秒
●
賛同出来ない――セロンガード・シュタインドルフがティトに向けて放ったそのひと言には、暗い翳りが宿っていた。
山の表面にはまだ雪が残る、肌寒い季節。
リビング内を照らす暖炉の火は勢いが失われ、木板の壁向こうからは冷気がじわじわと侵食し始めている。
冷え切った室内では吐く息が白さを帯び始めていた。
そんな中で、ティトの言葉には熱意がこもっていた。たぎる様な熱さだ。
逆にセロンガードの声には、氷よりも冷たい凍てついた翳が纏わりついていた。
ロモズ歩兵団隊長選抜考査を一緒に受けよう。そう誘ったティトに対し、セロンガードは逡巡することなく拒絶の意を示したのである。
帝国兵が為す術も無く国土を奪われた。その一事だけでも屈辱に値するというのに、ロモズ歩兵団設立は弱き難民達を死の危険に晒す行為に過ぎない。それは帝国兵の観点からすれば、恥の上塗りだ。
今尚、帝国兵としての矜持を忘れていないセロンガードにとっては、隊長選抜考査受験など最もあり得ない選択肢だった。
「ぼくは受けるよ。たとえセロンが止めてもね」
挑みかかる様な瞳でじっと見つめるティト。セロンガードとは異なり、ティトは歩兵団が難民達の希望の光になると信じていた。
ふたりの想いは完全に真逆のベクトルを指していた。
セロンガードは視線を僅かに落とした。ティトの言葉も理解は出来る。だがそれはセロンガードの心を動かす決定打にはなり得なかった。
「私には捜さなければならないひとが居ます。どこかの組織に属してのんびりしている暇は無いのです」
「それは違うよ……それは、違う」
のんびりする訳ではない。国土奪還を願う難民達の想いを汲み、助けたい。ただ、それだけなのだ。どうしてそれを分かってくれないのか。
ティトの中で怒りにも似た苛立ちが湧き起こった。セロンガードに対する怒りか。それとも、相手を納得させることが出来ない己の不甲斐無さに対してか。
双方の瞳の中に険が差した。互いに、相手の意を受け入れられない壁が立ちはだかった。
それでもティトは、信じていた。セロンガードならきっと最後には振り向いてくれる。手を差し伸べて、一緒に頑張ろうといって笑ってくれる。
そうしてくれるのが当たり前だと、決して疑うこともなかった。
ところがセロンガードは、感情の兆しを微塵にも浮かべないまま、半身を翻した。その口元が、何かを囁いた様に見えた。
少なくともティトには、別れのひと言に思えた。
さよなら、と。
何かが――全てを粉々に打ち砕く何かが、ふたりの絆を叩き割ろうとしていた。
ティトは、声が出なかった。完全に背を向けようとしているセロンガードに手を伸ばそうとした。
そうだ、ただ手を伸ばしさえすれば、今ならセロンガードの背中に触れることが出来る筈だ。
それなのに、この喪失感は一体何だろう。セロンガードがどこか遠くへ行ってしまって、もう二度と会うことが出来なくなる。ティトにとってそれは、ある種の恐怖でもあった。
どんどん、離れてゆく。
決して失ってはならないものが、目の前から消え去ろうとしている。
何故、どうして、こんなことになったのか。
ロモズ歩兵団と関わってしまったばかりに、セロンガードの心を手放してしまうことになるのか。
否、違う。そうではない。隊長選抜考査はただの口実に過ぎない。
これは甘えだ。セロンガードならきっと、いつだって、ティトの傍に居てくれるという驕りだ。安心感はいずれ甘えとなり、やがて自分だけのことしか考えられなくなる。
相手の気持ちを、少しは考えたことがあったか?
セロンガードはティトを大事にしてくれていた。逆にティトはどうだったのか。セロンガードの想いを感じ、何を措いても大事にしようと考えたことがあったか?
愛情も絆も、ただ求められれば無条件で与えられるものではない。
全身が雷に撃たれたかの様な衝撃を覚えた次の瞬間には、ティトはセロンガードの鍛え抜かれた広い背中にしがみついていた。
セロンガードはティトの思いがけない行動に、思わず足を止めた。
振り向こうにも、ティトが後ろから力強く抱きついてきている為、ただ首だけを僅かに巡らせ、肩越しに視線を落とすことしか出来ない。
先程までの強気な態度が、まるで嘘の様だった。
ティトの肩が小刻みに震えている。後ろからセロンガードの腰に廻した腕に、尚一層の力が込められた。絶対に離さないという強い意志というよりも、どこにも行かないで欲しいという懇願の念が色濃く感じられた。
セロンガードは自身のへその辺りで組み合わされているティトの小さな手を、自らの掌でそっと触れた。
背中から、ティトの弱々しい声音が漏れ聞こえてきた。
「やだ……」
最初は、よく聞き取れなかった。ただ単に声が小さいからなのかと思ったが、そうではなかった。
ティトの声は涙に濡れていた。
「お願い……もう、ひとりにしないで……」
セロンガードの心の奥底に、ずしりと重く響いたひと言だった。
ティトは強い娘だ――セロンガードは常々、そう思っていた。だがそれは、己の勝手な思い込みに過ぎなかったことを、この時改めて思い知った。
否、ティトだけに限った話ではない。全ての人間が、ひとりで生きていける程に強い訳ではない。それは、授恵者であろうとなかろうと関係無い。
或いは何かを心の頼りにして生きている者も居る。セロンガードも、その例からは漏れない。
大事なひとを捜し出すという希望。
セロンガードの場合はたまたまそれが、心のよすがになっていただけに過ぎなかった。
何かに執着し、強い目的意識を持つことで精神の糧を得る人間も居れば、ひととの絆や愛情を心の拠り所にする人間も居る。共通していることはただひとつ。そこに自らの希望の根源を置いているという点だ。
「また急に……居なくならないで……」
ティトの絞り出す様な声音に、この時初めてセロンガードは気づいた。少なくとも今のティトにとっては、セロンガードが希望の光になっているのだということを。
これは決して自惚れでも何でもない。
今ここでティトの想いを振り払うことは、彼女に死ねと宣告している様なものだ。
自らの矜持と願いを貫き通すことが果たして、本当に正しいことなのかどうか。ティトの想いを秤にかけて良いのか。
(自分の優柔不断さには呆れるしかありませんね)
セロンガードは自らを意志薄弱と評したが、それは違う。彼は、選択したのだ。
人生に於いては幾つもの岐路が現れる。今回も、彼は己の進むべき道を決定しただけに過ぎない。それは意思の力だ。
決めたのは自分自身。優柔不断とはまるで次元の異なる話だった。
ティトの愛らしい面立ちは、相変わらずセロンガードの背中に密着し続けている。セロンガードは、今度は力強く、ティトの小さな手を自らの両掌で包み込む様にして握り締めた。
「どこにも行きませんよ。ティトが望まなくとも、私が傍に居たいですから」
微笑を浮かべたセロンガードの面には、最早何の迷いも逡巡の色も無かった。ティトを守り、ティトを支え、ティトと共に生きる。
ロモズ歩兵団が難民の命を危険に晒す様な代物ならば、己の手で変えてみせれば良い。
セロンガードの人生に、新たな目標が加わった瞬間だった。
賛同出来ない――セロンガード・シュタインドルフがティトに向けて放ったそのひと言には、暗い翳りが宿っていた。
山の表面にはまだ雪が残る、肌寒い季節。
リビング内を照らす暖炉の火は勢いが失われ、木板の壁向こうからは冷気がじわじわと侵食し始めている。
冷え切った室内では吐く息が白さを帯び始めていた。
そんな中で、ティトの言葉には熱意がこもっていた。たぎる様な熱さだ。
逆にセロンガードの声には、氷よりも冷たい凍てついた翳が纏わりついていた。
ロモズ歩兵団隊長選抜考査を一緒に受けよう。そう誘ったティトに対し、セロンガードは逡巡することなく拒絶の意を示したのである。
帝国兵が為す術も無く国土を奪われた。その一事だけでも屈辱に値するというのに、ロモズ歩兵団設立は弱き難民達を死の危険に晒す行為に過ぎない。それは帝国兵の観点からすれば、恥の上塗りだ。
今尚、帝国兵としての矜持を忘れていないセロンガードにとっては、隊長選抜考査受験など最もあり得ない選択肢だった。
「ぼくは受けるよ。たとえセロンが止めてもね」
挑みかかる様な瞳でじっと見つめるティト。セロンガードとは異なり、ティトは歩兵団が難民達の希望の光になると信じていた。
ふたりの想いは完全に真逆のベクトルを指していた。
セロンガードは視線を僅かに落とした。ティトの言葉も理解は出来る。だがそれはセロンガードの心を動かす決定打にはなり得なかった。
「私には捜さなければならないひとが居ます。どこかの組織に属してのんびりしている暇は無いのです」
「それは違うよ……それは、違う」
のんびりする訳ではない。国土奪還を願う難民達の想いを汲み、助けたい。ただ、それだけなのだ。どうしてそれを分かってくれないのか。
ティトの中で怒りにも似た苛立ちが湧き起こった。セロンガードに対する怒りか。それとも、相手を納得させることが出来ない己の不甲斐無さに対してか。
双方の瞳の中に険が差した。互いに、相手の意を受け入れられない壁が立ちはだかった。
それでもティトは、信じていた。セロンガードならきっと最後には振り向いてくれる。手を差し伸べて、一緒に頑張ろうといって笑ってくれる。
そうしてくれるのが当たり前だと、決して疑うこともなかった。
ところがセロンガードは、感情の兆しを微塵にも浮かべないまま、半身を翻した。その口元が、何かを囁いた様に見えた。
少なくともティトには、別れのひと言に思えた。
さよなら、と。
何かが――全てを粉々に打ち砕く何かが、ふたりの絆を叩き割ろうとしていた。
ティトは、声が出なかった。完全に背を向けようとしているセロンガードに手を伸ばそうとした。
そうだ、ただ手を伸ばしさえすれば、今ならセロンガードの背中に触れることが出来る筈だ。
それなのに、この喪失感は一体何だろう。セロンガードがどこか遠くへ行ってしまって、もう二度と会うことが出来なくなる。ティトにとってそれは、ある種の恐怖でもあった。
どんどん、離れてゆく。
決して失ってはならないものが、目の前から消え去ろうとしている。
何故、どうして、こんなことになったのか。
ロモズ歩兵団と関わってしまったばかりに、セロンガードの心を手放してしまうことになるのか。
否、違う。そうではない。隊長選抜考査はただの口実に過ぎない。
これは甘えだ。セロンガードならきっと、いつだって、ティトの傍に居てくれるという驕りだ。安心感はいずれ甘えとなり、やがて自分だけのことしか考えられなくなる。
相手の気持ちを、少しは考えたことがあったか?
セロンガードはティトを大事にしてくれていた。逆にティトはどうだったのか。セロンガードの想いを感じ、何を措いても大事にしようと考えたことがあったか?
愛情も絆も、ただ求められれば無条件で与えられるものではない。
全身が雷に撃たれたかの様な衝撃を覚えた次の瞬間には、ティトはセロンガードの鍛え抜かれた広い背中にしがみついていた。
セロンガードはティトの思いがけない行動に、思わず足を止めた。
振り向こうにも、ティトが後ろから力強く抱きついてきている為、ただ首だけを僅かに巡らせ、肩越しに視線を落とすことしか出来ない。
先程までの強気な態度が、まるで嘘の様だった。
ティトの肩が小刻みに震えている。後ろからセロンガードの腰に廻した腕に、尚一層の力が込められた。絶対に離さないという強い意志というよりも、どこにも行かないで欲しいという懇願の念が色濃く感じられた。
セロンガードは自身のへその辺りで組み合わされているティトの小さな手を、自らの掌でそっと触れた。
背中から、ティトの弱々しい声音が漏れ聞こえてきた。
「やだ……」
最初は、よく聞き取れなかった。ただ単に声が小さいからなのかと思ったが、そうではなかった。
ティトの声は涙に濡れていた。
「お願い……もう、ひとりにしないで……」
セロンガードの心の奥底に、ずしりと重く響いたひと言だった。
ティトは強い娘だ――セロンガードは常々、そう思っていた。だがそれは、己の勝手な思い込みに過ぎなかったことを、この時改めて思い知った。
否、ティトだけに限った話ではない。全ての人間が、ひとりで生きていける程に強い訳ではない。それは、授恵者であろうとなかろうと関係無い。
或いは何かを心の頼りにして生きている者も居る。セロンガードも、その例からは漏れない。
大事なひとを捜し出すという希望。
セロンガードの場合はたまたまそれが、心のよすがになっていただけに過ぎなかった。
何かに執着し、強い目的意識を持つことで精神の糧を得る人間も居れば、ひととの絆や愛情を心の拠り所にする人間も居る。共通していることはただひとつ。そこに自らの希望の根源を置いているという点だ。
「また急に……居なくならないで……」
ティトの絞り出す様な声音に、この時初めてセロンガードは気づいた。少なくとも今のティトにとっては、セロンガードが希望の光になっているのだということを。
これは決して自惚れでも何でもない。
今ここでティトの想いを振り払うことは、彼女に死ねと宣告している様なものだ。
自らの矜持と願いを貫き通すことが果たして、本当に正しいことなのかどうか。ティトの想いを秤にかけて良いのか。
(自分の優柔不断さには呆れるしかありませんね)
セロンガードは自らを意志薄弱と評したが、それは違う。彼は、選択したのだ。
人生に於いては幾つもの岐路が現れる。今回も、彼は己の進むべき道を決定しただけに過ぎない。それは意思の力だ。
決めたのは自分自身。優柔不断とはまるで次元の異なる話だった。
ティトの愛らしい面立ちは、相変わらずセロンガードの背中に密着し続けている。セロンガードは、今度は力強く、ティトの小さな手を自らの両掌で包み込む様にして握り締めた。
「どこにも行きませんよ。ティトが望まなくとも、私が傍に居たいですから」
微笑を浮かべたセロンガードの面には、最早何の迷いも逡巡の色も無かった。ティトを守り、ティトを支え、ティトと共に生きる。
ロモズ歩兵団が難民の命を危険に晒す様な代物ならば、己の手で変えてみせれば良い。
セロンガードの人生に、新たな目標が加わった瞬間だった。