生命の価値は

キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2021年05月05日 09時06分10秒

●無法こそが法なのだから

 ――――まだ、生きている。

 底辺の世界を知っているか。安全の価値が戦場に勝り、黴びたパンが黄金より重い。
 ヒトの骨や皮膚、髪が資源と呼ばれ、喰える草と喰えない草を死体の数で自然と憶えて行く。

 いや、憶えなければ生きられない。偶々ほんの少し幸運を掴んだ奴はすぐさま袋叩きだ。
 奪い、奪われ、死線の一歩手前で牙を研ぎ、死神を追い散らして次の朝を迎える。

 誰もが日々考えてきた筈だ。繰り返し繰り返し吐く血すら渇く程考えてきた筈だ。
 生きている。――まだ、生きている。――――ならば生きろ。――――殺してでも、生きろ……!

 衝動にまで純化されたそれは最早本能だ。犯罪を容認するゴブリンの自治区『ゴールディ』
 その中に在って、暗黒街の最底辺。そんな場所に棄てられた子供が生きるには。

 殺して、奪い、命を繋ぐ。それ以外の選択肢など存在しなかった。選ぶ権利など与えられない。
 罪悪感、と言う言葉を知った時は思わず口元が緩んだ物だ。馬鹿馬鹿しい御為ごかしだと。

 奪わねば死ぬ。這い上がる為ではない。明日を繋ぐ為でもない。希望を掴むなど糞喰らえだ。
 誰もが奪って生きる場で奪わないとは、"自分は餌だ"と公表するに等しい愚行だ。

 誰もそんな小綺麗な存在を赦さない。無法こそが法なのだから世界が変われば罪悪も裏返る。
 だから殺した。罪の多寡を問わず。生まれの貴賤を問わず。種族年齢性別問わず。

 殺して死ぬなら皆同じ――――強ければ敵だ。弱ければ餌だ。それ以外の判断は必要ない。

「――――まだ、生きている」

 ナハティガル=ラー、齢の頃は十より上、十五よりは下だろう。
 少年と言って良い歳頃の筈の男は、今日もまた汚物と腐臭に満ちた下水路に身を潜ませていた。

 人が生きるには過酷過ぎる環境だ。同様にした同族(ゴブリン)の大半は飢えか病で死んだ。
 ナハティガルが生きているのは、彼が授恵者であったということが要因の一つ。

 そしてもう一つは、彼が僅かなりと両親のことを憶えていたという事だろう。
 本来であれば生まれを祝福する筈の者達に棄てられたと言う歪みは、彼の根幹でもある。

 普通であれば、長く他人と共に在れば多かれ少なかれ培われる信頼感を共有出来ない。
 故にナハティガルは裏切られる事なく。依存する事なく。他人に足を引っ張られない。

 協力を切り捨て一人で生きる事に特化した結果、何度生命を落としかけたかは知れないが。
 それでも、その生き方は最底辺の世界では正解の一つだったのだろう。

 事実として。彼の"戦績"を買った人間が今日も、こんな下水路の奥地までやって来る。
 汚れ仕事。それも、表だの裏だのと言った"真っ当な"社会性の存在する場所では通らない。

 つまり、逆恨みであり、嫉妬であり、理不尽であり、狂気である――――そういった。
 他者と共有出来る訳もない"狂った動機を携えた人間"が、最後の手段として投じる一手。

 その請負い先には、当然まともな人間が選ばれる訳もなく。
 何時でも切り捨てられ、使い潰せ、他に手段が無く、そして殺す事にまるで抵抗感がない。

 煮詰めた汚泥を掬い上げたら何の間違いか引っかかった様な、掃き溜めの塵芥。
 つまりナハティガルのような人間が選ばれる。其処に正義は愚か――――悪すら、存在しない。

「……お前が、銀の鬼か」

 暗闇に蹲る小さな影に、ゴールディ訛りの無い流暢な言葉が投げられる。
 応えは無い。興味も無い。貰える物が貰えればそれで良い。銀髪の小鬼は黙って先を促す。

「仕事だ。後払いで銀貨三枚。こいつを殺せ」

 銀貨三枚。常人なら三日で使い切るだろう。底辺の生活でも一ヶ月はまず保たない。
 後払いとなれば如何ようにも踏み倒せる。たったそれだけが、人一人の命の価値だ。

 投げ入れられた羊皮紙に描かれたのは老い先も短いだろう老人一人。
 それでも、殺せと言う者が居る。寿命まで待つ時間すら惜しいと言う誰かが居る。

「先払いで一。後払いで二だ」

 告げるや、下水路に硬貨の音が響いた。投げ棄てられた銀の硬貨を齧って確かめる。
 間違いなく銀。此処に依頼は成立した。追い詰めて、殺して、逃げる。

 殺す者の正当性も殺される者の罪科もチリ紙一枚の価値すらない。至極簡単な――――
 嗚呼――――――嗤えるほど、簡単な仕事だ。

●奈落の底を問うならば

 老人は、遅く、脆い。ただそれだけが事実だ。
 護衛が2人居たが、金を半端に渋ったのだろう。手練れであっても授恵者ではない様だった。

 何故命を狙われるかは知らないが、寝首を掻かれる心当たり位は有るのだろう。
 心当たりがあるならば十分過ぎる。人は容易に、朝起きて夜寝る程度には容易に恨みを買う。

 自分は誰にとっても無価値だと思っている様な奴に限って殺したい程恨まれている物だ。
 其処に心当たりなんて物があるならこれはもう――――確実に誰かに殺意を抱かれている。

 そう考えれば動機の有無。罪だの罰だの心底下らない。弱い者から殺される。それだけだ。
 路地裏から、誰か(ヒト)の肘骨を研いで拵えた短剣を携えて真っ直ぐに駆けた。

 護衛が気付いて腰に佩いた剣を抜こうとしたが、欠伸が出る程に鈍かった。
 殺気に気付くのが遅過ぎる。子供の姿を見て戸惑ったのが目に見えて分かった。

 良心? 理性? それとも、本当に罪悪感とやらだろうか。だとしたら笑える話だった。
 剣を薙ぐ軌道より地面すれすれを、身を低く、すり抜けた瞬間の奴らの表情と言ったら無い。

 剣による斬撃は線を引く。棒状の武器の欠陥だ。2人居ても交差する剣閃は引けない。
 横薙ぎの下を潜られた時点でもう片方は棒立ちだ。木偶の坊め、遅い。遅い。遅い――――!

 目を見開いた老人の首に跳びつき骨の短剣で喉を貫き、回転の勢いを生かして跳び退く。
 ここまで一度も足を止めていない。流れる様な動きは曲芸にすら見えただろう。

 靴を履いていれば足音で先に気取られたろう。大人の身体では薙ぐ刃の下など潜れない。
 岩の様に鍛えられた素足で、子供の体躯だからこその――――死角。

「銀貨二枚」

 呟いて地面に降り立った。背の側で老人の首から鮮血が噴き上がる。
 治癒魔法を使えば傷は消せるが、出血までは戻らない。老人の体力ならまず即死だ。

 慌てて木偶の坊共が老人を抱き留めるが、そんな物一切気に留めず真っ直ぐ駆ける。
 問題はむしろ此処からだ。ナハティガルの動きは機敏であり、身体能力も高いが。

 と言って栄養失調から来る持久力の無さ。護衛達は当然一心不乱に追いかけて来る。
 身を隠せば発見された時逃げ場がない。迎撃するには膂力と技量が足りない。

 となれば、事前に仕入れた知識を元に、町の中の裏道を駆使して足で巻く他ない。
 殺しが1割、逃げが9割。大体に於いてしくじる奴は殺せないのではない。捕まるだけだ。

 路地の樹の幅、石垣の高さ、庭の広さ、飼い犬の有無、水路の流れ、後ろ暗い店の場所。
 必要なことは、調べを徹底すること。工夫を凝らすこと。それだけで良い。

 撒き散らせる物を撒き散らし、通れぬ路を通り、壊せる物を壊して姿を晦ます。
 どうせゴールディでは良くある揉め事だ。誰かが殺され誰かが死んだ。問題ですらない。

 下水路の奥へ戻ると、後はじっと避難場所で待つ。待つことを厭う奴はやはり死ぬ。
 ナハティガルは経験上、そのことを良く知っていた。文字通り、骨身に沁みる程に。

 上手く殺す奴は上手く相手を疲弊させる。疲弊させるとは、自分は動かず相手を動かす事だ。
 "巻いた"事に自信があるなら、それ以上動く必要などない。ただ、待っていれば良い。

 ……程なく。松明の灯りが下水路を照らした。
 眼下が明るくなった事に気付いて、ナハティガルは音も無く踵を返す。

 "かつて自分が依頼人を待ち構えていた場所"――――が、丁度見下ろせる位置。
 それが、ナハティガルが蹲っていた"避難場所"の正体だ。

 案の定、依頼人か。或いはその背後に居た人間か。いずれかが捕まったらしい。
 松明を手にやって来たのは確かに巻いた筈の護衛と、それ以外にも何人か。

 もしも後払いの金を受け取る為に、何も考えず最初と同じ位置で待ち構えていたら。
 今頃命は無かったろう。他人を信じるなど、愚か者の選択だ。

 人一人、銀貨一枚。これを高いと見るか、安いと見るかは……人それぞれなのだろうが。

「……いや」

 まだ――――生きている。
 今はそれで良い。それだけが確かであれば良い。生きる為、殺すことが必要であるならば。

 何度でも繰り返そう。幾度でも同じ事を続けよう。己以外誰も居なくなるその時まで。
 避難場所の更に奥。暗闇の、より深い方へ歩みを向けながら。銀の鬼は静かに瞳を閉じる。

 あと何人殺せば自分の番が来るのだろうか。或いは、この手は死神すら殺し得るのか。
 胸を突いた諧謔に、虚ろな笑みを浮かべて生きる。そんな疑問問うまでもない。

 此処は今日も地獄で、明日もきっと、地獄に違いない。
 死神とやらはきっと自分と同じ顔をしている。なら、どちらが生き残ろうと同じ事だ。

 役割と、立場が同じなら。誰がすげ変わろうと大差ない。
 誰もが足を引っ張り合う。誰もが互いを引き摺り込む。こんな奈落の渦中では。

 その底の深さなど堕ちきる他に知る由も無く。這い上がる道などもう何処にも見えない。
 無明の闇へ沈み続ける事に、一欠片の疑問も無かった――――そんな時代。

 他人の生命の価値なんてものは、銀貨一枚よりも遥かに軽かった。

 底辺の世界を知っているか。未来の余地が獄中に劣り、人の尊厳は羽毛より軽い。
 喰われぬように足掻く事が罪だと言うのなら。俺達は、どう生きれば良かったのか。

 誰か教えてくれないか。そいつは別にアンタでも良い。
 答えてくれればあとほんの少しだけ――――生きていられる時間も延びる訳だが。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0