『氷の華よ』
キャラクターノベル制作 樫木間黒納品 2021年05月17日 12時43分24秒
ガレシアス=エルムートが齢十二歳の時だ。父から「ヒューマンの女性が集落に運び込まれた」と聞いた。
エルフというのは排他的な種族だが、ラトキスという冬のエルフの氏族達は少し毛色が違う。秘薬を求めて移り住んだという背景に加え、特に歴史家の家系であるエルムート一族は外部から来た知恵者に比較的寛容であった。これがただの遭難者であればまた違ったかもしれないが、兎角ガレシアスの父は息子に良質な教育を受けさせる機会を望んでいた。その点、帝国から訪れた聡明な彼女――リネア=マリア=ラスタンクールは打って付けの人材だった。
父がガレシアスにこの事を伝えたのは、新しい家庭教師と引き合わせるために他ならない。
リネアは集落に訪れてからそう遠くない内にガレシアスの家に住まう事になった。
「リネア=マリア=ラスタンクールです」
初めて見た彼女は、話に違わぬ美しく理知的な女性だった。
透き通るような銀色の髪はガレシアスの黒とは正反対で。澱みのない湖面のように澄んだ瞳は引き込まれてしまいそうなほどだ。ガレシアスとは五つ上――十七と聞いたが、それ以上に大人びて見えた。
早くに母を亡くし身近な女性と接する機会をほとんど無かった事も相俟って、ガレシアス少年は一目で彼女に見惚れてしまった。
「が、ガレシアス=エルムートです。これからよろしくお願いします――リネア師」
簡単な挨拶も済んだ頃、父は若い二人をその場に残し退席した。するとリネアは全く違う顔をガレシアスに見せた。
「はーー、肩を張るのも疲れたわー……あ、少年。これは内緒ね?」
涼やかで静謐な顔からは想像できない姿勢、しかし顔の美しさはそのままで悪戯っぽい表情をガレシアスに向けた。当然、リネアの事を好ましく思っているガレシアスは直ちに頷いた。
「ガレシアス――ガレスでいいかしら、これからあなたに錬金術の事をビシバシ教えていくからね? 覚悟しなさい」
「――はいっ! ぼく、がんばります!」
この日から少年とまだ少女と呼べるほど年若い女性の勉強の日々が始まった。
●
ガレシアスとリネアが打ち解けていくのにそう時間はかからなかった。
どれほどかと言うと、勉強の合間にお互い身の上話をしだすほどだ。
この時にリネアが帝国の貴族の出身である事、家に強制される婚約を嫌がり家を飛び出して行った事を知った。リネアがここまで境遇を明かしたのはガレシアスだけだった。リネアが人前では淑女を装っている事も含めて、「自分が最も彼女をよく知っている」という事は幼い少年にとって大きな自尊心となった。
ガレシアスも自身の事を多く語った。彼の高名な大国から訪れたリネアの知識を早く習得し、それを父や集落の皆のために役立てたい事、母を亡くしながらも男で一つで自分を育ててくれた父に恩返ししたい事。そして――リネアの事を母のように慕っている事。
自身の事を伝えるのはとても恥ずかしく、しかし嬉しいものだった。この感情を明文化できたのは先の事になってしまったが。
●
勉強熱心なガレシアスはすぐに実践に挑む事になった。
師から預かった手法通りに調合する所から始まり、結果を元に次の手法に応用したり、結果から推測して新たな手法を編み出したりと。弟子の成長はリネアからしても予想外なほどだった。――故に油断をしてしまったのだろう。
「新たな手法を試す」と言われていたにもかかわらず、リネアは弟子の腕前に過信して余所見をしてしまった。それがいけなかった。
予期せぬ発光。咄嗟の事でガレシアスは動けず、それを直視するしかできなかった。
「――ガレス!」
結果的に、リネアが突き飛ばして事なきを得たが最も光に近かった右目は十全に機能しなくなった。視界の右半分をぼやけた空間が支配するようになってしまったのだ。
「……私のせいだ。ごめんね、ガレス」
「いいえ、師のせいではありません。ぼくが未熟だったからで――」
ガレシアスの言葉を遮りリネアは部屋を出てしまった。それ以来彼女は部屋に閉じこもった。
ガレシアスは恐れていた。師が自分に愛想を尽かしたのではないかと、もっと恐ろしい事に彼女が家庭教師を辞めて家を出てしまうのではないのかと。
部屋をノックしても返事はない。食事の時間も合わせてくれなくなった。
再びリネアが部屋を出るまでガレシアスは不安を抱えて眠れない夜を過ごした。
ガレシアスが負傷してから数日後、漸くリネアと顔を合わせる事ができた。この時のリネアはガラスのついた装飾品を持っていた。
「ガレスの目が再び見えるように作ったの」
付けてくれ、と彼女は手渡した。言われた通り右目に合わせると――少年のぼやけた視界が元に戻った。師は彼を見限ってなどいなかった。彼のために、一人で視力を取り戻す術を探っていたのだ。
ガレシアスは両の眼から涙を流し、美しくも心優しい師に抱きついた。師は、彼を愛おしく受け止めた。
エルフというのは排他的な種族だが、ラトキスという冬のエルフの氏族達は少し毛色が違う。秘薬を求めて移り住んだという背景に加え、特に歴史家の家系であるエルムート一族は外部から来た知恵者に比較的寛容であった。これがただの遭難者であればまた違ったかもしれないが、兎角ガレシアスの父は息子に良質な教育を受けさせる機会を望んでいた。その点、帝国から訪れた聡明な彼女――リネア=マリア=ラスタンクールは打って付けの人材だった。
父がガレシアスにこの事を伝えたのは、新しい家庭教師と引き合わせるために他ならない。
リネアは集落に訪れてからそう遠くない内にガレシアスの家に住まう事になった。
「リネア=マリア=ラスタンクールです」
初めて見た彼女は、話に違わぬ美しく理知的な女性だった。
透き通るような銀色の髪はガレシアスの黒とは正反対で。澱みのない湖面のように澄んだ瞳は引き込まれてしまいそうなほどだ。ガレシアスとは五つ上――十七と聞いたが、それ以上に大人びて見えた。
早くに母を亡くし身近な女性と接する機会をほとんど無かった事も相俟って、ガレシアス少年は一目で彼女に見惚れてしまった。
「が、ガレシアス=エルムートです。これからよろしくお願いします――リネア師」
簡単な挨拶も済んだ頃、父は若い二人をその場に残し退席した。するとリネアは全く違う顔をガレシアスに見せた。
「はーー、肩を張るのも疲れたわー……あ、少年。これは内緒ね?」
涼やかで静謐な顔からは想像できない姿勢、しかし顔の美しさはそのままで悪戯っぽい表情をガレシアスに向けた。当然、リネアの事を好ましく思っているガレシアスは直ちに頷いた。
「ガレシアス――ガレスでいいかしら、これからあなたに錬金術の事をビシバシ教えていくからね? 覚悟しなさい」
「――はいっ! ぼく、がんばります!」
この日から少年とまだ少女と呼べるほど年若い女性の勉強の日々が始まった。
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ガレシアスとリネアが打ち解けていくのにそう時間はかからなかった。
どれほどかと言うと、勉強の合間にお互い身の上話をしだすほどだ。
この時にリネアが帝国の貴族の出身である事、家に強制される婚約を嫌がり家を飛び出して行った事を知った。リネアがここまで境遇を明かしたのはガレシアスだけだった。リネアが人前では淑女を装っている事も含めて、「自分が最も彼女をよく知っている」という事は幼い少年にとって大きな自尊心となった。
ガレシアスも自身の事を多く語った。彼の高名な大国から訪れたリネアの知識を早く習得し、それを父や集落の皆のために役立てたい事、母を亡くしながらも男で一つで自分を育ててくれた父に恩返ししたい事。そして――リネアの事を母のように慕っている事。
自身の事を伝えるのはとても恥ずかしく、しかし嬉しいものだった。この感情を明文化できたのは先の事になってしまったが。
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勉強熱心なガレシアスはすぐに実践に挑む事になった。
師から預かった手法通りに調合する所から始まり、結果を元に次の手法に応用したり、結果から推測して新たな手法を編み出したりと。弟子の成長はリネアからしても予想外なほどだった。――故に油断をしてしまったのだろう。
「新たな手法を試す」と言われていたにもかかわらず、リネアは弟子の腕前に過信して余所見をしてしまった。それがいけなかった。
予期せぬ発光。咄嗟の事でガレシアスは動けず、それを直視するしかできなかった。
「――ガレス!」
結果的に、リネアが突き飛ばして事なきを得たが最も光に近かった右目は十全に機能しなくなった。視界の右半分をぼやけた空間が支配するようになってしまったのだ。
「……私のせいだ。ごめんね、ガレス」
「いいえ、師のせいではありません。ぼくが未熟だったからで――」
ガレシアスの言葉を遮りリネアは部屋を出てしまった。それ以来彼女は部屋に閉じこもった。
ガレシアスは恐れていた。師が自分に愛想を尽かしたのではないかと、もっと恐ろしい事に彼女が家庭教師を辞めて家を出てしまうのではないのかと。
部屋をノックしても返事はない。食事の時間も合わせてくれなくなった。
再びリネアが部屋を出るまでガレシアスは不安を抱えて眠れない夜を過ごした。
ガレシアスが負傷してから数日後、漸くリネアと顔を合わせる事ができた。この時のリネアはガラスのついた装飾品を持っていた。
「ガレスの目が再び見えるように作ったの」
付けてくれ、と彼女は手渡した。言われた通り右目に合わせると――少年のぼやけた視界が元に戻った。師は彼を見限ってなどいなかった。彼のために、一人で視力を取り戻す術を探っていたのだ。
ガレシアスは両の眼から涙を流し、美しくも心優しい師に抱きついた。師は、彼を愛おしく受け止めた。