勅命と王都脱出と亡命の要人
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年04月24日 19時05分27秒
狭苦しい、という程ではないが、しかし広い部屋ではなかった。
瀟洒な調度品が並べられ、精巧な意匠が凝らされた洋灯式の紋具に照らされている。
学園の外にある、貴族の子弟達も利用する、帝国風の料理を出す事で有名な、とある高級酒場の一室だ。
そこにセロンガード・シュタインドルフは同僚の少女二名を呼び集めていた。
「勅命をいただいた」
挨拶もそこそこにセロンは厳しい面差しで告げた。
「勅……?!」
銀髪ポニーテールの少女が赤眼を大きく見開き、慌てたように周囲を見回す。
「大丈夫、この部屋は防音にぬかりは無いよ」
黒髪黒瞳の少年は真面目な表情で「まぁ小声で喋る事に越した事はないけど」と静かに付け加える。
薄紫色の髪の少女は葡萄酒が注がれている杯に一度口をつけ、
「ここのワイン美味しいわね」
と微笑んだ。
黒髪の少年は少し表情を緩めて頷き、
「さすがにただ高い金は取っていないらしい。あと、王国はやはり豊かだ。醸造技術もあるんだろうけど、そもそもに採れる葡萄自体の質が良いようだ」
セロンは杯に口をつけた。ルビー色の液体を舌の上に転がし、芳醇さを味わってから喉奥へと流し込む。なかなか美味い。チーズも一切れ口の中に放り込めば相性は抜群だった。
ゾフィーが眉間に皺を刻んでセロンとカサンドラを交互に見ている。
カサンドラが片目を閉じておかしそうに笑った。
「セロン、念の為に確認するけれど皇帝陛下からのご下命をいただいた……という事で良いのよね?」
セロンは無言で頷いた。
勅命、というのはすなわち皇帝の命令だ。それ以外からの命令を勅命と呼称はしないし、帝国民ならば詐称など許されるものではない。
「学園への留学は観光みたいなもんなんじゃなかったのか……っ! なんで勅命なんてとんでもなく重要な事がぁ……っ!」
銀髪ポニテ娘が両手を頭にあてて目を白黒とさせている。
「事情は変わるものだからね」
「ふふ、それにしても皇帝陛下直々のご下命とはまた随分と重要な件が回ってきたみたいだけど……ええ、それでこそ生き永らえた甲斐があるというものよ。腕が鳴るわ」
カサンドラがにこにことした笑顔ながら、しかし空色の瞳の奥にギラギラとした光を燃やしている。
やる気らしい。
もしかしたら『勅命という超重要任務で手柄を立ててお家再興を!』とかちょっとは考えているのかもしれない。
シルトラース帝国は絶対王政の中央集権国家だ。その頂点に立つ皇帝は人の身ながら神のようなものだ。取り潰された子爵家の一つや二つ復活させるくらい朝飯前だろう。
そのやる気は実に頼もしい所だったが、しかしちょっと普通の人が見たら怖い絵面ではある。
(……キャシーの背後にオーラが見える)
セロンは苦笑した。
この所は恋人の演技もあって、たおやかで可憐な少女の顔ばかり見ていたから、えらい差である。
信賞必罰は強い軍隊の基本だが、なるほど、確かにその効果は高いのかもしれない。功績をあげれば報いられるという信頼が上に対してあると、下の者達の士気が違う。シルトラース軍が大陸最強と呼ばれる訳である。
「意気込みは頼もしいけれど、功を焦り過ぎないようにね」
言うとカサンドラは表情を変えて口先を尖らせた。
「あらセロン、それは見縊られたものだわ。私はちゃんと自分の制御くらい出来るわよ」
「まぁ確かに君は品行方正だからなぁ……その辺りは心配いらないか」
うむ、とセロンは頷いた。
ゾフィーが呻くように言う。
「……観光気分で遊んでろってのもアレだけど、陛下からの勅命任務ってまた極端から極端だなぁ……何すれば良いの? 実は南の王国の物珍しいお土産買って来て、とかそういうお気楽系だったりする?」
「だったら気楽で良かったんだけどねぇ……でもそんなのだったら、高い料金支払ってこの店で話なんかしないよ」
「ごもっとも」
セロンは言った。
「――僕達に与えられた任務は要人の王国脱出の手引きだ」
●
グランスパーダ。
分厚い城壁に囲まれたリーンエス王国の堂々たる王都である。
要人は現在この王都内に潜伏しているのだが、さる理由により王国騎士団より追われているらしい。
グランスパーダは王家お膝元の都なだけに警備が行き届いており、兵達の目を掻い潜って都市を囲む壁の外へと出るのは至難の業だ。
そこで、王都脱出の為にセロンら三名が手を貸すように命じられた。
要人は帝国へと向かうのだが、王都の付近にある山にヴェヒター・ヌルの部隊員達が潜伏する手筈になっているので、セロン達の役目はその部隊員達へと要人を引き渡す所までである。
なお帝国としては要人の亡命はあくまで『要人が帝国領内に侵入したところを保護した』という形にしたい為――帝国が手引きしたと王国側に証拠を抑えられたく無い為――セロンらの素性を知られる事は厳禁であった。王国側は無論、護送対象である要人にもだ。
「えっ、手引きする対象であるその要人さんにもこっちの正体を知られちゃいけないの? それ難しくない?」
「知らない秘密は漏らせない。万一上手くいかなかった時の備えだろう。それと、彼等はこちらの正体を知らないが、協力者であるという事は伝わっている。だから問題は無い」
「なるほど……」
ゾフィーは口元に手をやりつつ頷き、そして首を傾げた。
「――その要人って一体何者なの?」
「それは僕達には知る権限が無い」
「何をして騎士団に追われているの?」
「それも僕達には知る権限が無い」
カサンドラが表情を引き締める。
「なるほど、余計な探りは入れない方が良さそうね。多分これ、私達にとっても知らない方が良いケースよ」
「さすが勅命案件、ガチですね……シラヌガホットケー」
ゾフィーがシャルガネ風の諺を出して呻いた。
●
その後、セロンは酒場内の最も上等な部屋で待機していた要人達と面会した。
「君達が僕達の王都脱出に力を貸してくれるという”協力者”かい。名も顔も明かせぬ身で申し訳ないが、どうかよろしく頼むよ」
金色の髪を持った要人は銀色の仮面を顔につけていた。
身体の線の浮き出ないゆったりとした長衣に、男としては低く、女としては高めの身を包み、外套を羽織っている。
声色も中性的だ。
少年なのか少女なのかもわからなかったが、しかし、年若いという事だけはわかった。歳の頃は十五か、十六か、その程度だろう。セロン達と同じくらいだ。
「名も顔も明かせぬのはこちらも同じ事です。お気になさらず。我々が万事恙無く取り計らい致しますので、どうかご安心を」
セロンは声色を常とは変えて発声し一礼した。今は所属を悟らせぬ黒を主な色彩とした戦闘服に着替え、顔に目以外を覆う黒布を巻いている。カサンドラとゾフィーも同様である。
要人は頷き、代わりに側に控えている老人が言葉を発した。ちなみにこの老人も護衛らしき女騎士も仮面をつけている。
「この度は”殿下”にご助力いただき感謝する――」
要人のことはどうやら”殿下”と仮称するようだ。
「――しかし、具体的にはどうするおつもりか? 王都グランスパーダを囲む城壁は分厚く、この警備を掻い潜るのは容易では無い。変装して門を潜り抜けるというのも不可能だろう。門の番にはスキルを持った精鋭の授恵者が務めている。とてもではないが出し抜けん」
セロンは頷いた。
「おっしゃる通り王都の守りは鉄壁です。警備体制にも穴が無い。されど……蛇の道は蛇、と申します。千年の難攻不落を謳われた大要塞も鍵の閉め忘れ一つで陥ちるもの。例え警備網自体は万全であったとしても、運用するのが神ならざる人の身なれば、必ず付け入る隙というのは生ずるものです」
そう前置きし、少年は脱出計画を一同へと説明したのだった。
●
新月の深夜、草木も眠る丑三つ時。
セロン達は王都の中でも治安のあまり良くない地区から城壁へと近づいていた。
やがて警備の兵がセロン達に気づいた。
彼はセロンを見やり、にこやかに笑った。
「あぁ、あんた達かい? 『例の班』ってのは?」
王都の警備兵の装備に身を包み、鉄兜のバイザーを降ろして顔の半ば以上を隠しているセロンが無言で頷くと、兵士は親指で背後を指した。
「話は聞いている。行っていいぜ」
そこには城壁と平行に備えられた階段があった。
城壁の内側には上に登れるように階段が幾つか設けられている。ここはその上へと登れる箇所の一つだった。
無論、警備兵が複数人配置されているのだが、
「手筈通り『俺達以外』の連中は今、休憩の為に移動している。安心して行け。だが、あまりぐずぐずするなよ、交替が来るまでの時間は、それほど長くない」
「わかった。感謝する」
セロンは自身と同様の装備に身を包んでいる要人達を引き連れ階段を登り始めた。殿はカサンドラとゾフィーが固めている。
「……信じられん、彼等は何故、我々を通す? これは一体、どういう事なんだ?」
長い階段を登っている最中、要人が足を早めてセロンの隣へと並び、声を潜めて問いかけて来た。
「先にも申し上げた通り――蛇の道は蛇、という事です」
セロンはそうとだけ返答しておいた。
実際の所を身も蓋も無く一言で言うなら買収である。
要である門の付近や高級市民が住む区域の近くは精鋭兵が配されている。王都が誇る強者の兵だ、彼等相手に買収などは通じない。
しかし、王都は広大であり、それを囲む城壁も長大だ。いかに王家といえど、すべてに忠誠心の高い精鋭を配備などしきれるものではない。
スラムの付近など地価の低い区域の接する城壁には、他の箇所よりも一段質の劣る兵が配置されていた。
彼等は王国からその質に相応の待遇を受けている。
そして、能力で劣る上に義務も果たさないが、権利ばかりは求める人間というのはいるものだ。
そういう人間は自らの待遇に不満を抱いている。
パンクリアース学園を通じて王都へと伝統的に諜報員を送り込み続けていたシルトラース帝国の諜報部隊は、この質と扱いの一段劣る兵達へと巧みに接近し、彼等が抱く王国への不満を突いて、影響力を及ぼしていたのだ。
あからさまに王国から寝返るような真似はしないが、ちょっとした事に対して金貨と引き換えに融通を効かせたり『見なかった事にする』くらいはするのである。
「……なるほど、この国らしいな」
要人はそれに自ら気づいたか皮肉気に笑った。王国は北の大地と比べて呆れる程に豊かで、故に強大だ。だが、ところどころがぬるま湯の中で腐っている。
城壁の上へと出たセロンは女牆に縄を結びつける。周囲の兵達はセロン達と視線を合わせず、周囲を見回している。しっかりと縄を結び付けた事を確認し、セロン達は、縄を伝って地に降り立った。
その後、買収された兵士達が縄をほどいたのでこれを回収する。
城壁内や城壁上は焚かれた篝火により光があったが、外の城壁の下までは明かりは届いていなかった。
おまけに今宵は月も出ていない、真っ暗闇に等しかった。
「殿下、こちらです。足元にお気をつけを」
セロンは暗視のスキルで闇中を見通しつつ、恐らく何も見えていないであろう要人の手を引いて歩き出す。
側付きの老人と護衛の騎士はそれぞれカサンドラとゾフィーが手を引いていた。
「……拍子抜けする程にあっさり城壁の外へと出られたな。そして、君らはこの闇の中でも不自由なく動けるのか」
「殿下、まだ油断は出来ませんよ。闇を見通せるのは我々だけではありません」
この時、授恵者の数はまだ少なかったから、一般兵の中に授恵者はまずいないだろうが、要人を追って騎士団が動いている今、どこで授恵者が見張っていないとも限らない。
「そうだったな。授恵者か。やはり恐ろしい存在だ」
セロンはそれには答えず、闇の中を要人の手を引いて進んだのだった。
●
しばしの時が流れた後、蹄鉄が大地をリズミカルに叩く音が聞こえて来た。
振り向けば闇の中、松明片手に馬を駆けさせセロン達の方へと真っ直ぐに駆けて来ている騎兵の姿があった。
あるいはただの騎兵ではなく騎士かもしれなかった。防具が要所を鉄で補強した革鎧のみと軽装だったが、機動力を重視する者の場合、騎士でもそういう装備をしている場合もある。
「まぁてぇえええええい怪しい連中め! 俺の目が黒いうちはこのグランスパーダで好きにはさせんぞっ!!」
闇の中に胴間声が響く。鞍上にあるのは羽付き帽子をかぶった中年の男のようだった。
待てと言われて待つ怪しい奴がいるか、と思ったが、しかしどうやらタダモノでは無さそうだ。松明の光が届く範囲などたかが知れている。闇の中に紛れているセロン達の姿がただの人間の目に見えている訳がないのだ。恐らくは授恵者で暗視スキル持ち、松明は馬用だろう。
セロンは要人から手を離すと弓に矢を番えた。
王国の騎士を殺す訳にはいかなかった。
下手をすると国家間の問題になる。
故に狙いを馬へと定め放つ。闇を裂き鋭く飛んだ矢は、馬の頭部へと突き刺さった。
「うぉおおおおおおっ?!」
馬が崩れるように転倒し、騎士が宙へと投げ出される。
が、中年男は空中で回転すると脚から地に降り立った。たいした身のこなしだ。
「二人とも、お三方を連れて例の場所へ先に行ってくれ。僕はこの追撃を断ってから行く」
カサンドラは一瞬、迷ったようだったが、
「……了解。殿下、こちらへ」
と要人へと右手を伸ばし、左手にも老人引いて足早に闇の中を動き出した。
「頑張って!」
ゾフィーがセロンへ言って女騎士の手を引いて闇中を進んでゆく。
セロンは弓を背の留め金に納めると、腰から剣を引き抜いた。弓矢では力加減が効かないからだ。
「おのれぃ! 行かせるか!!」
羽付き帽子の中年騎士は松明を放り捨てると、腰から長剣を引き抜き、要人へと向かい駆け出す。その進路上へとセロンは踏み込み剣を一閃した。
中年騎士は拳上がりに長剣を傾斜させて翳した。
振るわれたセロンの剣が長剣と激突し、その刀身に沿って流れ、火花を闇の中に巻き起こしてゆく。
風が唸った。
セロンの一撃を流した中年騎士は、残像すらも発生させるが如き動きで、即座に長剣を弧を描くようにして振り下ろしてきた。先の防御が攻撃の為の予備動作にもなっていた攻防一体の洗練された一撃。
セロンは身を捻りながら横へと一歩を動いた。死を招く銀の光が闇を縦に断つ。セロンのすぐ隣を風が突き抜けてゆく。
バイザー付きの鉄兜をかぶっている少年は、身を捻りながら脇に構えた剣を低く袈裟に振り下ろした。
狙うは相手の腿。機動力を削ぐ。
硬い手応えが手に伝わった。
中年男が足をあげ、腿を狙った刃を長靴の脛の部分で受け止めていた。
表面はただの革に見えたが、どうやら内側に鉄でも仕込まれているらしい。あるいはただの革ではないのか。
セロンは後ろに大きく一歩を飛び退いた。
鼻先を光が抜けた。
王国兵の装備に身を包んでいる少年は、さらに一歩、二歩と後退して大きく間合いを開けてから、切っ先を相手へと向け霞に構え直した。
「……貴様、ただの兵ではないな?! 何者だ!」
答える訳が無い。
言う事がいちいちどこか抜けているのだが、しかしこの中年の王国騎士は強かった。
(……手間取る訳にはいかない)
もたもたしていては敵方の増援が来るだろう。
だからセロンは無言で中年騎士へと向かい駆け出した。
「やるかぁっ!!」
雄叫びをあげて中年騎士もまた地を蹴り真っ向から長剣を振りかぶる。
その瞬間、セロンは剣を突き出した。
まだ間合いの外。
しかし、刃の切っ先は唸りをあげて中年騎士の顔面へと迫った。投擲したのだ。
「――うぉっ?!」
驚愕の声をあげつつ、しかし中年騎士は素晴らしい反応速度で身を捻りつつ長剣を引き戻して投擲された剣を打ち払い、また素早く構え直す。
が、その時にはセロンは背から再び弓を取り出し右手に四本の矢を引き抜いていた。
――矢は力加減が効かないが、この男ならば死にはすまい。
その確信と共に一刹那のうちに暴風雨の如く四連の矢を打ち放つ。
今度は男は驚愕の叫びすらもあげず、それでも一本の矢を剣で打ち払ったが、残りの矢を両足と胴に受けて吹き飛んだ。
セロンは次の矢を引き抜き、しばし様子を見たが、男がもがけど起き上がる様子が無いのを見て、矢を矢筒に戻し、投擲した剣を拾って鞘へと納めると、踵を返して駆け出した。
王都の方から大量の松明の灯が近づいて来ているのが見えた。
その後、セロンは要人達へと追いつくと潜伏していたヴェヒター・ヌルの別部隊と無事に合流した。
それはかつて死霊の街と化したリヒテンシュタット内でただ一人で生き残ったパウルス・ケーニヒスエックを隊長とし、南部の地理に明るいオリヴィア、エーゴン、フリードリヒの三名を道案内にグスタフ、フォルカー、ルイーゼのベテラン隊員が援護する強力な隊だった。
誰が来るのかは知らなかったが彼等の実力を良く知るセロンは、この面子ならば心配は無いだろう、と安堵した。きっと帝国まで無事に要人を護送しきってくれる筈だ。
「お互い名も知らぬ人よ、世話になった。最早会う事もなかろうが、達者でな! そなたに神のご加護が共にあらん事を!」
用意されていた馬の鞍上にて要人はセロンへとそう述べると、隊員の先導に従い北へと駆けて行った。
瀟洒な調度品が並べられ、精巧な意匠が凝らされた洋灯式の紋具に照らされている。
学園の外にある、貴族の子弟達も利用する、帝国風の料理を出す事で有名な、とある高級酒場の一室だ。
そこにセロンガード・シュタインドルフは同僚の少女二名を呼び集めていた。
「勅命をいただいた」
挨拶もそこそこにセロンは厳しい面差しで告げた。
「勅……?!」
銀髪ポニーテールの少女が赤眼を大きく見開き、慌てたように周囲を見回す。
「大丈夫、この部屋は防音にぬかりは無いよ」
黒髪黒瞳の少年は真面目な表情で「まぁ小声で喋る事に越した事はないけど」と静かに付け加える。
薄紫色の髪の少女は葡萄酒が注がれている杯に一度口をつけ、
「ここのワイン美味しいわね」
と微笑んだ。
黒髪の少年は少し表情を緩めて頷き、
「さすがにただ高い金は取っていないらしい。あと、王国はやはり豊かだ。醸造技術もあるんだろうけど、そもそもに採れる葡萄自体の質が良いようだ」
セロンは杯に口をつけた。ルビー色の液体を舌の上に転がし、芳醇さを味わってから喉奥へと流し込む。なかなか美味い。チーズも一切れ口の中に放り込めば相性は抜群だった。
ゾフィーが眉間に皺を刻んでセロンとカサンドラを交互に見ている。
カサンドラが片目を閉じておかしそうに笑った。
「セロン、念の為に確認するけれど皇帝陛下からのご下命をいただいた……という事で良いのよね?」
セロンは無言で頷いた。
勅命、というのはすなわち皇帝の命令だ。それ以外からの命令を勅命と呼称はしないし、帝国民ならば詐称など許されるものではない。
「学園への留学は観光みたいなもんなんじゃなかったのか……っ! なんで勅命なんてとんでもなく重要な事がぁ……っ!」
銀髪ポニテ娘が両手を頭にあてて目を白黒とさせている。
「事情は変わるものだからね」
「ふふ、それにしても皇帝陛下直々のご下命とはまた随分と重要な件が回ってきたみたいだけど……ええ、それでこそ生き永らえた甲斐があるというものよ。腕が鳴るわ」
カサンドラがにこにことした笑顔ながら、しかし空色の瞳の奥にギラギラとした光を燃やしている。
やる気らしい。
もしかしたら『勅命という超重要任務で手柄を立ててお家再興を!』とかちょっとは考えているのかもしれない。
シルトラース帝国は絶対王政の中央集権国家だ。その頂点に立つ皇帝は人の身ながら神のようなものだ。取り潰された子爵家の一つや二つ復活させるくらい朝飯前だろう。
そのやる気は実に頼もしい所だったが、しかしちょっと普通の人が見たら怖い絵面ではある。
(……キャシーの背後にオーラが見える)
セロンは苦笑した。
この所は恋人の演技もあって、たおやかで可憐な少女の顔ばかり見ていたから、えらい差である。
信賞必罰は強い軍隊の基本だが、なるほど、確かにその効果は高いのかもしれない。功績をあげれば報いられるという信頼が上に対してあると、下の者達の士気が違う。シルトラース軍が大陸最強と呼ばれる訳である。
「意気込みは頼もしいけれど、功を焦り過ぎないようにね」
言うとカサンドラは表情を変えて口先を尖らせた。
「あらセロン、それは見縊られたものだわ。私はちゃんと自分の制御くらい出来るわよ」
「まぁ確かに君は品行方正だからなぁ……その辺りは心配いらないか」
うむ、とセロンは頷いた。
ゾフィーが呻くように言う。
「……観光気分で遊んでろってのもアレだけど、陛下からの勅命任務ってまた極端から極端だなぁ……何すれば良いの? 実は南の王国の物珍しいお土産買って来て、とかそういうお気楽系だったりする?」
「だったら気楽で良かったんだけどねぇ……でもそんなのだったら、高い料金支払ってこの店で話なんかしないよ」
「ごもっとも」
セロンは言った。
「――僕達に与えられた任務は要人の王国脱出の手引きだ」
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グランスパーダ。
分厚い城壁に囲まれたリーンエス王国の堂々たる王都である。
要人は現在この王都内に潜伏しているのだが、さる理由により王国騎士団より追われているらしい。
グランスパーダは王家お膝元の都なだけに警備が行き届いており、兵達の目を掻い潜って都市を囲む壁の外へと出るのは至難の業だ。
そこで、王都脱出の為にセロンら三名が手を貸すように命じられた。
要人は帝国へと向かうのだが、王都の付近にある山にヴェヒター・ヌルの部隊員達が潜伏する手筈になっているので、セロン達の役目はその部隊員達へと要人を引き渡す所までである。
なお帝国としては要人の亡命はあくまで『要人が帝国領内に侵入したところを保護した』という形にしたい為――帝国が手引きしたと王国側に証拠を抑えられたく無い為――セロンらの素性を知られる事は厳禁であった。王国側は無論、護送対象である要人にもだ。
「えっ、手引きする対象であるその要人さんにもこっちの正体を知られちゃいけないの? それ難しくない?」
「知らない秘密は漏らせない。万一上手くいかなかった時の備えだろう。それと、彼等はこちらの正体を知らないが、協力者であるという事は伝わっている。だから問題は無い」
「なるほど……」
ゾフィーは口元に手をやりつつ頷き、そして首を傾げた。
「――その要人って一体何者なの?」
「それは僕達には知る権限が無い」
「何をして騎士団に追われているの?」
「それも僕達には知る権限が無い」
カサンドラが表情を引き締める。
「なるほど、余計な探りは入れない方が良さそうね。多分これ、私達にとっても知らない方が良いケースよ」
「さすが勅命案件、ガチですね……シラヌガホットケー」
ゾフィーがシャルガネ風の諺を出して呻いた。
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その後、セロンは酒場内の最も上等な部屋で待機していた要人達と面会した。
「君達が僕達の王都脱出に力を貸してくれるという”協力者”かい。名も顔も明かせぬ身で申し訳ないが、どうかよろしく頼むよ」
金色の髪を持った要人は銀色の仮面を顔につけていた。
身体の線の浮き出ないゆったりとした長衣に、男としては低く、女としては高めの身を包み、外套を羽織っている。
声色も中性的だ。
少年なのか少女なのかもわからなかったが、しかし、年若いという事だけはわかった。歳の頃は十五か、十六か、その程度だろう。セロン達と同じくらいだ。
「名も顔も明かせぬのはこちらも同じ事です。お気になさらず。我々が万事恙無く取り計らい致しますので、どうかご安心を」
セロンは声色を常とは変えて発声し一礼した。今は所属を悟らせぬ黒を主な色彩とした戦闘服に着替え、顔に目以外を覆う黒布を巻いている。カサンドラとゾフィーも同様である。
要人は頷き、代わりに側に控えている老人が言葉を発した。ちなみにこの老人も護衛らしき女騎士も仮面をつけている。
「この度は”殿下”にご助力いただき感謝する――」
要人のことはどうやら”殿下”と仮称するようだ。
「――しかし、具体的にはどうするおつもりか? 王都グランスパーダを囲む城壁は分厚く、この警備を掻い潜るのは容易では無い。変装して門を潜り抜けるというのも不可能だろう。門の番にはスキルを持った精鋭の授恵者が務めている。とてもではないが出し抜けん」
セロンは頷いた。
「おっしゃる通り王都の守りは鉄壁です。警備体制にも穴が無い。されど……蛇の道は蛇、と申します。千年の難攻不落を謳われた大要塞も鍵の閉め忘れ一つで陥ちるもの。例え警備網自体は万全であったとしても、運用するのが神ならざる人の身なれば、必ず付け入る隙というのは生ずるものです」
そう前置きし、少年は脱出計画を一同へと説明したのだった。
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新月の深夜、草木も眠る丑三つ時。
セロン達は王都の中でも治安のあまり良くない地区から城壁へと近づいていた。
やがて警備の兵がセロン達に気づいた。
彼はセロンを見やり、にこやかに笑った。
「あぁ、あんた達かい? 『例の班』ってのは?」
王都の警備兵の装備に身を包み、鉄兜のバイザーを降ろして顔の半ば以上を隠しているセロンが無言で頷くと、兵士は親指で背後を指した。
「話は聞いている。行っていいぜ」
そこには城壁と平行に備えられた階段があった。
城壁の内側には上に登れるように階段が幾つか設けられている。ここはその上へと登れる箇所の一つだった。
無論、警備兵が複数人配置されているのだが、
「手筈通り『俺達以外』の連中は今、休憩の為に移動している。安心して行け。だが、あまりぐずぐずするなよ、交替が来るまでの時間は、それほど長くない」
「わかった。感謝する」
セロンは自身と同様の装備に身を包んでいる要人達を引き連れ階段を登り始めた。殿はカサンドラとゾフィーが固めている。
「……信じられん、彼等は何故、我々を通す? これは一体、どういう事なんだ?」
長い階段を登っている最中、要人が足を早めてセロンの隣へと並び、声を潜めて問いかけて来た。
「先にも申し上げた通り――蛇の道は蛇、という事です」
セロンはそうとだけ返答しておいた。
実際の所を身も蓋も無く一言で言うなら買収である。
要である門の付近や高級市民が住む区域の近くは精鋭兵が配されている。王都が誇る強者の兵だ、彼等相手に買収などは通じない。
しかし、王都は広大であり、それを囲む城壁も長大だ。いかに王家といえど、すべてに忠誠心の高い精鋭を配備などしきれるものではない。
スラムの付近など地価の低い区域の接する城壁には、他の箇所よりも一段質の劣る兵が配置されていた。
彼等は王国からその質に相応の待遇を受けている。
そして、能力で劣る上に義務も果たさないが、権利ばかりは求める人間というのはいるものだ。
そういう人間は自らの待遇に不満を抱いている。
パンクリアース学園を通じて王都へと伝統的に諜報員を送り込み続けていたシルトラース帝国の諜報部隊は、この質と扱いの一段劣る兵達へと巧みに接近し、彼等が抱く王国への不満を突いて、影響力を及ぼしていたのだ。
あからさまに王国から寝返るような真似はしないが、ちょっとした事に対して金貨と引き換えに融通を効かせたり『見なかった事にする』くらいはするのである。
「……なるほど、この国らしいな」
要人はそれに自ら気づいたか皮肉気に笑った。王国は北の大地と比べて呆れる程に豊かで、故に強大だ。だが、ところどころがぬるま湯の中で腐っている。
城壁の上へと出たセロンは女牆に縄を結びつける。周囲の兵達はセロン達と視線を合わせず、周囲を見回している。しっかりと縄を結び付けた事を確認し、セロン達は、縄を伝って地に降り立った。
その後、買収された兵士達が縄をほどいたのでこれを回収する。
城壁内や城壁上は焚かれた篝火により光があったが、外の城壁の下までは明かりは届いていなかった。
おまけに今宵は月も出ていない、真っ暗闇に等しかった。
「殿下、こちらです。足元にお気をつけを」
セロンは暗視のスキルで闇中を見通しつつ、恐らく何も見えていないであろう要人の手を引いて歩き出す。
側付きの老人と護衛の騎士はそれぞれカサンドラとゾフィーが手を引いていた。
「……拍子抜けする程にあっさり城壁の外へと出られたな。そして、君らはこの闇の中でも不自由なく動けるのか」
「殿下、まだ油断は出来ませんよ。闇を見通せるのは我々だけではありません」
この時、授恵者の数はまだ少なかったから、一般兵の中に授恵者はまずいないだろうが、要人を追って騎士団が動いている今、どこで授恵者が見張っていないとも限らない。
「そうだったな。授恵者か。やはり恐ろしい存在だ」
セロンはそれには答えず、闇の中を要人の手を引いて進んだのだった。
●
しばしの時が流れた後、蹄鉄が大地をリズミカルに叩く音が聞こえて来た。
振り向けば闇の中、松明片手に馬を駆けさせセロン達の方へと真っ直ぐに駆けて来ている騎兵の姿があった。
あるいはただの騎兵ではなく騎士かもしれなかった。防具が要所を鉄で補強した革鎧のみと軽装だったが、機動力を重視する者の場合、騎士でもそういう装備をしている場合もある。
「まぁてぇえええええい怪しい連中め! 俺の目が黒いうちはこのグランスパーダで好きにはさせんぞっ!!」
闇の中に胴間声が響く。鞍上にあるのは羽付き帽子をかぶった中年の男のようだった。
待てと言われて待つ怪しい奴がいるか、と思ったが、しかしどうやらタダモノでは無さそうだ。松明の光が届く範囲などたかが知れている。闇の中に紛れているセロン達の姿がただの人間の目に見えている訳がないのだ。恐らくは授恵者で暗視スキル持ち、松明は馬用だろう。
セロンは要人から手を離すと弓に矢を番えた。
王国の騎士を殺す訳にはいかなかった。
下手をすると国家間の問題になる。
故に狙いを馬へと定め放つ。闇を裂き鋭く飛んだ矢は、馬の頭部へと突き刺さった。
「うぉおおおおおおっ?!」
馬が崩れるように転倒し、騎士が宙へと投げ出される。
が、中年男は空中で回転すると脚から地に降り立った。たいした身のこなしだ。
「二人とも、お三方を連れて例の場所へ先に行ってくれ。僕はこの追撃を断ってから行く」
カサンドラは一瞬、迷ったようだったが、
「……了解。殿下、こちらへ」
と要人へと右手を伸ばし、左手にも老人引いて足早に闇の中を動き出した。
「頑張って!」
ゾフィーがセロンへ言って女騎士の手を引いて闇中を進んでゆく。
セロンは弓を背の留め金に納めると、腰から剣を引き抜いた。弓矢では力加減が効かないからだ。
「おのれぃ! 行かせるか!!」
羽付き帽子の中年騎士は松明を放り捨てると、腰から長剣を引き抜き、要人へと向かい駆け出す。その進路上へとセロンは踏み込み剣を一閃した。
中年騎士は拳上がりに長剣を傾斜させて翳した。
振るわれたセロンの剣が長剣と激突し、その刀身に沿って流れ、火花を闇の中に巻き起こしてゆく。
風が唸った。
セロンの一撃を流した中年騎士は、残像すらも発生させるが如き動きで、即座に長剣を弧を描くようにして振り下ろしてきた。先の防御が攻撃の為の予備動作にもなっていた攻防一体の洗練された一撃。
セロンは身を捻りながら横へと一歩を動いた。死を招く銀の光が闇を縦に断つ。セロンのすぐ隣を風が突き抜けてゆく。
バイザー付きの鉄兜をかぶっている少年は、身を捻りながら脇に構えた剣を低く袈裟に振り下ろした。
狙うは相手の腿。機動力を削ぐ。
硬い手応えが手に伝わった。
中年男が足をあげ、腿を狙った刃を長靴の脛の部分で受け止めていた。
表面はただの革に見えたが、どうやら内側に鉄でも仕込まれているらしい。あるいはただの革ではないのか。
セロンは後ろに大きく一歩を飛び退いた。
鼻先を光が抜けた。
王国兵の装備に身を包んでいる少年は、さらに一歩、二歩と後退して大きく間合いを開けてから、切っ先を相手へと向け霞に構え直した。
「……貴様、ただの兵ではないな?! 何者だ!」
答える訳が無い。
言う事がいちいちどこか抜けているのだが、しかしこの中年の王国騎士は強かった。
(……手間取る訳にはいかない)
もたもたしていては敵方の増援が来るだろう。
だからセロンは無言で中年騎士へと向かい駆け出した。
「やるかぁっ!!」
雄叫びをあげて中年騎士もまた地を蹴り真っ向から長剣を振りかぶる。
その瞬間、セロンは剣を突き出した。
まだ間合いの外。
しかし、刃の切っ先は唸りをあげて中年騎士の顔面へと迫った。投擲したのだ。
「――うぉっ?!」
驚愕の声をあげつつ、しかし中年騎士は素晴らしい反応速度で身を捻りつつ長剣を引き戻して投擲された剣を打ち払い、また素早く構え直す。
が、その時にはセロンは背から再び弓を取り出し右手に四本の矢を引き抜いていた。
――矢は力加減が効かないが、この男ならば死にはすまい。
その確信と共に一刹那のうちに暴風雨の如く四連の矢を打ち放つ。
今度は男は驚愕の叫びすらもあげず、それでも一本の矢を剣で打ち払ったが、残りの矢を両足と胴に受けて吹き飛んだ。
セロンは次の矢を引き抜き、しばし様子を見たが、男がもがけど起き上がる様子が無いのを見て、矢を矢筒に戻し、投擲した剣を拾って鞘へと納めると、踵を返して駆け出した。
王都の方から大量の松明の灯が近づいて来ているのが見えた。
その後、セロンは要人達へと追いつくと潜伏していたヴェヒター・ヌルの別部隊と無事に合流した。
それはかつて死霊の街と化したリヒテンシュタット内でただ一人で生き残ったパウルス・ケーニヒスエックを隊長とし、南部の地理に明るいオリヴィア、エーゴン、フリードリヒの三名を道案内にグスタフ、フォルカー、ルイーゼのベテラン隊員が援護する強力な隊だった。
誰が来るのかは知らなかったが彼等の実力を良く知るセロンは、この面子ならば心配は無いだろう、と安堵した。きっと帝国まで無事に要人を護送しきってくれる筈だ。
「お互い名も知らぬ人よ、世話になった。最早会う事もなかろうが、達者でな! そなたに神のご加護が共にあらん事を!」
用意されていた馬の鞍上にて要人はセロンへとそう述べると、隊員の先導に従い北へと駆けて行った。