春の日のこと
キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2021年03月24日 19時11分32秒
ガレシアス=エルムートは魔法使いであり、錬金術師である。
大陸において、学問の区分というのはとかく曖昧だ。
特化した学術研究機関――例えば王国の『魔法使いの塔』の様な――でもない限りは。
専門や専攻といった物はあまり問われず、"何をしているか"だけが抽出される。
中でも、錬金術というのは所謂"何をしているか分からない物の坩堝"である。
魔法学、エーテル応用学、紋章学、薬学のいずれにも属さなければ大体錬金術だと言って良い。
となると、必然的に錬金術師の工房とは散らかっているもので取り留めの無い物だ。
研究範囲の広さは保有する紋具や資料、素材の多さにそのまま直結する。
"ぃー"
なので個人の錬金術師としては異例なことに。ガレシアスは弟子を2人も住まわせている。
そうでもしなければ研究の進みは遅れるし当然素材の片付けなどまるで手が回らない。
これは別にガレシアスが粗忽者だという話ではなく。
単純に――――知的好奇心が赴くまま真理を追い求めるには時間は幾ら有っても足りないと。
"……みー"
「どこですかノア、この辺りから声がしましたが!?」
ばん、と大仰に扉を開け放つ。勿論、研究の一環ではない。
そもそもの発端は弟子が2人揃って外出していた事をガレシアスが忘れていた事だ。
先日手に入れた古い錬金術書の解読に没頭していた彼は、飼い猫に餌をあげていないこと。
そして普段餌を与えている人間が揃って留守なことに、陽が傾いてから気が付いた。
使い魔として連れてきた筈の愛猫のノアは、寂しがりで、甘えん坊で、悪戯っ子だ。
それがガレシアスの読書を邪魔しないようにしたのであれば、賞賛に値する偉業である。
褒めてあげるべきでしょうね、と探し始めてから早30分。
ノアが来てから片付けに気を使っている自室は元より、弟子の部屋まで覗いても。
――――居ない。声はすれども姿は見えず。流石にガレシアスも焦り始める。
脳裏を過ぎるのは引き取ってすぐの弱った姿だ。思考が空回りし冷静さが溢れていく。
「…………ぃー」
「また声が……! いえ、落ち着きなさいガレシアス=エルム―ト。
耳を澄ませて、声は、隣の部屋。いや、それも……まさか――――――――!」
上、と視線を向ければ。其処には宙吊りになる黒い仔猫の姿。
見たまま恐らくは、カーテンに爪が引っかかって降りられなくなったのだ。
か細い声がどれだけ其処に居たのかを伝えてくる。慌てて壁際に近付くも――――
「み……っ!」
ガレシアスが気付いたのを見て安心したのか、動いた拍子に爪が抜ける。
落下する黒毛玉と化した猫の姿に――――思考より早く、身体が動いた。
宙空でその柔らかく小さな生き物を抱き抱えると、勢いのまま壁に衝突。
普段ならまずしない暴挙に体躯が軋むも、腕の中には温かな体温が返る。
「……無茶をする……大丈夫でしたか?」
一瞬息が止まったものの。抱いた仔猫の頭を繰り返しゆっくりと撫でると。
震えていたその体躯もまた徐々に落ち着きを取り戻し。か細い声音でみー、と鳴いた。
「ええ、そうですね。今回は私の不注意でした。以後気を付けましょう」
思わず困ったように微笑むと。お腹を減らしていたことを思い出したのか。
黒い仔猫がざらざらした舌で、頭を撫でる指先をぺろぺろと舐める。
くすぐったさに呼気を零し。そう言えば干物が有ったはず……と台所へ向かえば。
とことこ付いてきた黒猫は、爛々とした眼差しでガレシアスの靴先をてしてしと叩く。
「全く、こんな姿弟子たちには見せられませんね」
果たして。厳しく躾けるとは何だったのかと。そう思う自分も確かに居る事を自覚すれど。
無垢で一途な信頼とは、これほど擽ったいものかと。干物を差し出す最中に想う。
それは子を為した事の無い彼にとっては新鮮で。興味深く。或いは、とても不可解で。
「焦らないように食べるのですよ、喉に詰まらせますから」
だからこそ、酷く愛しくもあるのだろうと。
自他共認める"気難しい錬金術師"が。そぐわぬ柔らかな眼差しで小さな黒猫を眺める。
それは或いは何でも無い、緩やかに温かな陽が窓から差す春の日のこと。
意外と錬金術師が追い求める真理など、こんなか弱い生き物にすら中々勝てはしないのだと。
そんなことを思い知った、ある日の話。
―――――――――
――――――
――――
翌朝。2人の弟子が連れ立って帰ってくると。
一度自室に入るとなかなか出て来ない彼女らの師はたまたま珍しく居間に居て。
恐れ多くもその体躯を寝床代わりに、黒い仔猫が幸せそうに眠っていた。
身体を冷やさないようにと掛けてあげたのだろう。綿のブランケットは地に落ちて。
普段なら人が近付けば必ず目を覚ます神経質な彼が、静かに寝息を立てているのを。
見つけた2人は顔を見合わせて、小さな笑いと共にそっと扉を閉じたのだという。
大陸において、学問の区分というのはとかく曖昧だ。
特化した学術研究機関――例えば王国の『魔法使いの塔』の様な――でもない限りは。
専門や専攻といった物はあまり問われず、"何をしているか"だけが抽出される。
中でも、錬金術というのは所謂"何をしているか分からない物の坩堝"である。
魔法学、エーテル応用学、紋章学、薬学のいずれにも属さなければ大体錬金術だと言って良い。
となると、必然的に錬金術師の工房とは散らかっているもので取り留めの無い物だ。
研究範囲の広さは保有する紋具や資料、素材の多さにそのまま直結する。
"ぃー"
なので個人の錬金術師としては異例なことに。ガレシアスは弟子を2人も住まわせている。
そうでもしなければ研究の進みは遅れるし当然素材の片付けなどまるで手が回らない。
これは別にガレシアスが粗忽者だという話ではなく。
単純に――――知的好奇心が赴くまま真理を追い求めるには時間は幾ら有っても足りないと。
"……みー"
「どこですかノア、この辺りから声がしましたが!?」
ばん、と大仰に扉を開け放つ。勿論、研究の一環ではない。
そもそもの発端は弟子が2人揃って外出していた事をガレシアスが忘れていた事だ。
先日手に入れた古い錬金術書の解読に没頭していた彼は、飼い猫に餌をあげていないこと。
そして普段餌を与えている人間が揃って留守なことに、陽が傾いてから気が付いた。
使い魔として連れてきた筈の愛猫のノアは、寂しがりで、甘えん坊で、悪戯っ子だ。
それがガレシアスの読書を邪魔しないようにしたのであれば、賞賛に値する偉業である。
褒めてあげるべきでしょうね、と探し始めてから早30分。
ノアが来てから片付けに気を使っている自室は元より、弟子の部屋まで覗いても。
――――居ない。声はすれども姿は見えず。流石にガレシアスも焦り始める。
脳裏を過ぎるのは引き取ってすぐの弱った姿だ。思考が空回りし冷静さが溢れていく。
「…………ぃー」
「また声が……! いえ、落ち着きなさいガレシアス=エルム―ト。
耳を澄ませて、声は、隣の部屋。いや、それも……まさか――――――――!」
上、と視線を向ければ。其処には宙吊りになる黒い仔猫の姿。
見たまま恐らくは、カーテンに爪が引っかかって降りられなくなったのだ。
か細い声がどれだけ其処に居たのかを伝えてくる。慌てて壁際に近付くも――――
「み……っ!」
ガレシアスが気付いたのを見て安心したのか、動いた拍子に爪が抜ける。
落下する黒毛玉と化した猫の姿に――――思考より早く、身体が動いた。
宙空でその柔らかく小さな生き物を抱き抱えると、勢いのまま壁に衝突。
普段ならまずしない暴挙に体躯が軋むも、腕の中には温かな体温が返る。
「……無茶をする……大丈夫でしたか?」
一瞬息が止まったものの。抱いた仔猫の頭を繰り返しゆっくりと撫でると。
震えていたその体躯もまた徐々に落ち着きを取り戻し。か細い声音でみー、と鳴いた。
「ええ、そうですね。今回は私の不注意でした。以後気を付けましょう」
思わず困ったように微笑むと。お腹を減らしていたことを思い出したのか。
黒い仔猫がざらざらした舌で、頭を撫でる指先をぺろぺろと舐める。
くすぐったさに呼気を零し。そう言えば干物が有ったはず……と台所へ向かえば。
とことこ付いてきた黒猫は、爛々とした眼差しでガレシアスの靴先をてしてしと叩く。
「全く、こんな姿弟子たちには見せられませんね」
果たして。厳しく躾けるとは何だったのかと。そう思う自分も確かに居る事を自覚すれど。
無垢で一途な信頼とは、これほど擽ったいものかと。干物を差し出す最中に想う。
それは子を為した事の無い彼にとっては新鮮で。興味深く。或いは、とても不可解で。
「焦らないように食べるのですよ、喉に詰まらせますから」
だからこそ、酷く愛しくもあるのだろうと。
自他共認める"気難しい錬金術師"が。そぐわぬ柔らかな眼差しで小さな黒猫を眺める。
それは或いは何でも無い、緩やかに温かな陽が窓から差す春の日のこと。
意外と錬金術師が追い求める真理など、こんなか弱い生き物にすら中々勝てはしないのだと。
そんなことを思い知った、ある日の話。
―――――――――
――――――
――――
翌朝。2人の弟子が連れ立って帰ってくると。
一度自室に入るとなかなか出て来ない彼女らの師はたまたま珍しく居間に居て。
恐れ多くもその体躯を寝床代わりに、黒い仔猫が幸せそうに眠っていた。
身体を冷やさないようにと掛けてあげたのだろう。綿のブランケットは地に落ちて。
普段なら人が近付けば必ず目を覚ます神経質な彼が、静かに寝息を立てているのを。
見つけた2人は顔を見合わせて、小さな笑いと共にそっと扉を閉じたのだという。