セロンVSカサンドラ~かつてのライバルとの模擬戦~
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年03月22日 20時29分33秒
碧空に輝く太陽が、白く柔らかい光を地上へと降り注いでいる。
平原の大地は緑の絨毯に覆われて、所々に色鮮やかな花達が顔を覗かせていた。その色は黄、桃、青、紫、様々だ。春の花達。
風に揺れる草花の大海を、真っ二つに割る土色の道を、一頭の馬がカポカポと蹄鉄の音を響かせながら麦を満載した荷車を曳き、のんびりと歩いてゆく。御者席には帽子をかぶった農夫が欠伸混じりに座って手綱を握っていた。
彼等が向かう先には分厚く高さのある壁に周囲を囲まれた巨大都市があった。
ロスガリア大陸に名を馳せる三大国の一角、南方の雄、リーンエス王国が王都グランスパーダである。
古の時代にはこの地は不毛の砂漠であったが、『名も無き剣士』が『竜喰らい』を討ち果たした際に、緑豊かな大地に変化したと記録は伝えている。
肥沃な大地が生み出す圧倒的な農業生産力は、莫大な人口を産み落とし、それが集中する都市――特にその第一たる王都グランスパーダの春は実に活気溢れたものだった。
秋に蒔いた小麦のうち早いものは既に収穫時期に入っており、続々と王都へと運び込まれて来ていたからである。
そんな豊かな――厳しい北の大地に建つ帝国と比べて――南の国の、その中でも莫大な学費を払うに耐えうる豊かな身分の者の子弟が、王国内でも最も豊かな王都グランスパーダの郊外に特別に建てられた施設に集まって学ぶ場所が、そう――
――パンクリアース学園である。
幼い頃から上等な教育を受け洗練された物腰を持つ貴公子達と、蝶よ花よと育てられた箱入りのお嬢様達が集まるエリート学園だ。
中にはそうでは無い者もいるが、大半は親が金持ちで良いトコの出の少年少女達である。
「衣食満ち足りて礼節を知る」
「貧すれば鈍する」
そのような格言がある通り、余裕のある階級層の子供達はそうでない階級層の子供達と比べ心広く穏やかで善良である割合が多い。そうあれる事を許されるからだ。豊かというのは素晴らしい。
無論、物質的に豊かだからといって、精神的な面まで満たされているとは限らず、上流層特有の悪徳も渦巻くのが人の世であるから――そもそも人には性悪説というのもあり――あくまで比較しての、割合の、話ではある。
だが、貧しく厳しい国の、その中でも恵まれない貧乏人の子供達が多く集まり、食うや食わずの生活から抜け出す為に目を血走らせ立身出世を目指し文字通り人死にが出る程の過酷な訓練に日夜耐え続けながら少しでも上へとゆこうと鎬を削り合っているような軍学校――などと比べると、パンクリアース学園は実に穏やかな場所だった。
そんな軍学校と比べれば大抵の場所は呑気だろうよ、というのは無論の評であるのだが、しかし忘れてはならないのは、セロンガード・シュタインドルフという男は、北の峻厳な大地に建つ軍事大国シルトラースの、弩弓教育課程を首席で制した男だという事だ。
帝国弩弓課程というのはどちらかといえばお坊ちゃまお嬢様学園よりは生き馬の目を抜く軍学校に近い性質を持っている――というかほぼほぼそのまんまである。
そしてセロンは、卒業してからは教育課程よりもさらに過酷な、軍の最精鋭部隊である見えざる見張り番に所属し、既に幾つかの危険な任務でも活躍を果たして来た、若き精鋭隊員なのである。
そんな訳で必然、セロンとしてはパンクリアース学園における空気、常識、慣習、そういうものに北とのギャップを感じざるをえない事がしばしばであった。
例えば、ヴェヒター・ヌルの兵舎の食堂で、特別な理由も無く、食べきれぬ量の料理を盛っておきながら残そうものなら、その話を聞きつけた上官から鉄拳が飛んで来るのは当たり前だったし、同輩からも白い目で見られるし、何より食堂のおばちゃん達に張り倒される。貴族の子供だろうが関係は無かった。
が、パンクリアースの貴族寮では平然と豪勢な料理が無駄に盛られ、喰いきれぬ分は惜し気もなく捨てられてゆくのである、毎日。
そして誰もそれを咎めないし、疑問にも思わない。注意しようものなら、
「金払ってるんだからどうしようと個人の勝手だろう? 権利の侵害だぞ」
「何が悪いのか? 無駄? 俺達が消費しなければ農民が売り込み先が無くなって困るではないか」
「旧態依然とした凡百の貴族ならとかく、この学園に通う学徒であるなら、世の経済の仕組みを考えたまえ」
と逆に白い目で見られる程である。
善い悪い以前に、価値観が、常識が違う。
文化的差異というのは、そういう事であった。
故にセロンが王国の、とりわけ貴族の常識に慣れるのはなかなか大変だったが――正直な所、まだまだふとした折りに戸惑う事は多かった――どうにかこうにかその生活にも慣れて来た頃の話である。
「模擬戦しない?」
平民も使う昼の学食、キツネ色にカリッと揚げられた鶏肉をつまみつつセロンは声を潜め述べた。
対面に座っている薄紫色の長い髪の娘は、夏空色の瞳を一つ瞬かせる。
セロンは口内に揚げ鳥を入れ、もぐもぐと咀嚼した。油と鳥肉の脂が噛む度に沁み出て来て、舌に強い旨味を伝えて来る。良い油と肉を使っているのか、かなり美味かった。
「模擬戦? 良いわよ」
カサンドラは少し驚いた様子だったが、すぐに笑顔で囁き返し、二つ返事で引き受けてくれた。
例の宣言とフリにより周囲の生徒達は二人の囁き合いを恋人同士の語らいだと思っていそうだったが、実際の所は、話す内容はなかなか武力的である。模擬戦。
「有難う」
セロンが笑顔を返すとカサンドラは嬉しそうに弾んだ調子で、
「私がお相手で良ければ何時でも。でも急にどうしたの?」
「腕が鈍ってしまいそうでさ」
「あぁ、なるほど……それじゃ、弓も使うという事かしら?」
「うん、そのつもり」
セロンはパンクリアース学園内においては弓を引ける事を秘密としていた。
諜報員という立場としては、切り札は隠しておいた方が良いだろう、という判断からだった。周囲には剣術が得意なのだと話している。
カサンドラの方はというと弓を使える事自体は隠していなかった、実力は隠しているそうだが。部活動も弓を使う狩猟部に所属している。
狩猟、と一口にいっても形態は様々だがこの狩猟部で行われているのは貴族が森においてやる伝統的な系統のそれだった。
そんな狩猟部には王国の有力貴族の子女が数多く入部しているらしく、カサンドラは帝国諜報員として有力者の子供達に接近し知己や情報を得たい腹のようだった。
加えて王国と帝国の弓術の差異についても良く観察・研究しているらしい。
しっかり諜報員・帝国軍人としての本分をこなしているようで、相変わらずの真面目さだった。
なおゾフィーもカサンドラと同じ狩猟部に所属しているのだが、サークル内では『キャロライン』は『セラン』と恋人同士であると周知されていても、声をかけてくるようなちょっと倫理観が緩んでいる――ある意味貴族らしい――子女もいて、そちらをガウガウしているらしい。
なのでビビらせて追っ払う為に弓の実力は隠さず全開にしているのだとか。
この時代、授恵者の数はまだ少なかったので、おかげでゾフィーは狩猟部内で新入生にして既に五指に入る使い手として周囲から注目されているらしい。
潜入諜報員が注目を集めるような真似をしてどうするのか、というのは本人もわかってはいるらしいのだが、しかしそれでも譲れないものがあるらしい。
そんなゾフィーは先程から無言でぶすっとした仏長面でウ=ドンなる白いパスタを啜っている。シャルガネ風の料理であるそうな。
「フィーネも模擬戦やらない?」
「私はイーよ。二人でいってきなよ」
近頃のゾフィーは何故か唐突に不機嫌そうになる場面が増えた。二人に対してあからさまに険のある態度、というのを取ったりはしないのだが、とにかく機嫌が悪そうなのである。
「ん……わかったわ」
カサンドラは何か思案するような表情を一瞬したが、結局頷いた。
セロンが視線を向けるとカサンドラはにこっとした笑みを返してきて、
「それじゃセラン、どこでする?」
●
セロンとカサンドラの二人は弓の実力者という事は隠しているので、万一にも学園関係者から目撃されるような場所は避けたい。
なので、休日に学園の敷地外、グランスパーダ付近の山中で行う事とした。
その際には、金属の鏃がついている矢を使うと危険が大きかったので、模擬戦用の矢を用意する事にした。
具体的には先端を丸くし綿入りの布を被せ細い紐で縛った物である。精度はさすがに悪くなったが、安全性の確保を優先した。
剣と短剣も木製の物を用意し綿入布で覆った。
「今日はよろしくねセロン。良い勝負をしましょう」
ウキウキと楽しそうな笑顔でカサンドラが言う。
狩猟部に所属している彼女は、騎兵服に着替えてきていた。白いタイトな長ズボンに上は綿入りの上着を着こんでいる。
とりあえずまずは一本先取の形式で行う事としたが、判定は有効そうな射撃ないし打撃を受けた際に自己申告する形とした。また頭部は危険なので狙わない事とし、あたってしまった場合も無効とする。
山に到着しそこそこ奥へと入ったセロンとカサンドラは、樹々もまばらな斜面を横手に向き合う形で距離を取った。
彼我の距離はおよそ50m程度だろうか。
「それじゃー、いくよー!」
「はーい!」
セロンが声を投げると、カサンドラから返事が返ってきた。
模擬戦開始だ。
弩弓課程で行われていたものと比較すると、のんびりとしたスタートだが、それ用の装備も審判もいないので仕方がない。
直後、空を裂き矢がセロンの心臓目掛け飛んできた。
咄嗟に上体を反らしつつ右足を引いて身を横に半回転させる。矢が風を巻き唸りをあげすぐ側を突き抜けてゆく。
かわす動作で半身に構えたセロンは、素早く短弓に矢を番え引き絞り撃ち放った。矢は模擬戦用のものだが弓はいつもの使い慣れている合成短弓だ。
矢は回る錐の切っ先の如く旋転しながら真っ直ぐに飛び、カサンドラへと迫る。
薄紫色の長い髪が宙に靡き、少女の姿が掻き消えた。
樹の幹の陰にその小柄な身を隠したのである。
矢が虚空を貫いて抜け、奥に立つ樹木に激突して地に落ちる。
セロンは斜め前方――斜面側へと向けて駆け出した。
回避が得意なカサンドラ相手にこうも遮蔽物の多い場所で遠間から撃ち合っていても埒があかないだろうと判断した為だ。
カサンドラが樹木の幹の陰より僅かに身を乗り出し、その瞬間にセロンは駆ける方向を若干変化させた。二射目が飛来し、セロンの背をかすめ抜けてゆく。
黒髪の少年は二射目は放たず、全力で上方へと回り込むように駆けた。
カサンドラも三射を放たず斜面の上側へと向かって駆け出した。高い位置を取られるのは避けたいらしい。
駆けつつカサンドラの方を見やる。少女の進路と速度からの未来位置、矢を放った場合の到達速度との交差点を予測する。あまり正確に時間をかけては狙わない――山林の斜面を駆けながらでは難しいからだ――が、予測位置そのままの空間よりも、大雑把でもやや前方へと狙いをつける。つまり、足止めの牽制射だ。急加速による回避しながらの前方移動をやらせない。
セロンは駆けつつ弓に矢を番え素早く撃ち放った。
矢が勢い良く放たれ、カサンドラは足を止めて上体を反らした。胸先を掠めて矢が空間を突き抜けてゆく。
カサンドラが静止したまま弓に矢を番え、放つ。
セロンは幹の陰で足を止めた。眼前を矢が一瞬で突き抜けてゆく。
再び駆け出す。
矢を番えつつ視線を向けるとカサンドラも駆け出していた。再び自由に進ませぬように矢を進路先目掛けて撃ち込む。カサンドラが足を止めて回避し、再び射撃して来る。セロンは地に倒れ伏すように低く跳躍し、飛来した矢の下の空間を掻い潜った。
一回転して起き上がり、樹木の陰で止まり、背を幹につけ腰の矢筒から矢を三本一気に引き抜く。
距離はかなり詰まってきている。
幹から身を出しつつ視線を走らせれば、少女が駆けている。矢を番え放つ。カサンドラが足を止める。ここまでは先と同じ。だが今度はセロンはさらに指の間に挟んでいる二本目の矢を番えざまに速射した。
反撃の矢を準備していたカサンドラが膝から崩れ落ちるようにして紙一重、回避する。
すかさずセロンは転がる先の未来位置を予測して三射目を撃ち込んだ。唸りをあげて矢が飛び、樹木に激突し地に落ちる。幹の陰にカサンドラが転がり込んでいる。
(相変わらず良く避ける)
セロンは矢筒から三本の矢を引き抜きつつそのまま前進した。
次の反撃の矢をかわし、至近距離からの三連射で仕留める。さすがに至近からの三連射はかわせまい。
次の反撃はなかなか来なかった。引きつけてから撃つつもりだろうか? 恐らく、そうなのだろう。あちらも距離的に次が勝負所だとわかっている。
(――かわしてみせる)
近距離での撃ち合いなら手数が多いセロンの方が有利だ。
次の一射をかわす、ないし先に撃ち込めばこちらの勝ちだ。
セロンは斜面を駆け降り、カサンドラが身を隠している樹木へと接近してゆく。
少女はなかなか出てこない。
(――いつ仕掛けて来る?)
その距離が五歩程度の距離まで迫った時、幹の陰から影が飛び掛かって来た。
(直接攻撃?!)
弓ではなく組討――短剣での攻撃も有効な以上、そういう戦法もある。
だが、それは悪手だ。
何故なら、この距離であってもセロンは組みつかれるより前に、飛び掛かって来たカサンドラに対し速射を先に撃ち込めるからだ。
だが、セロンは咄嗟に撃つのを制止した。
気づいたのだ、その影には、中身が無かった。
放物線を描き宙より両腕を広げセロンの顔面へと飛んで来ているのは、カサンドラが着ていた綿入りの上着だけだった。
視界の隅、下方に薄紫色が見えた。地面に低く低くしゃがみ込んだ姿勢で、夏空色の瞳の下着姿の少女が、弓に矢を番えセロンへと向けている。
転瞬、雷光の如く下方からの矢がセロンへと向かい撃ち上げられ、そして何も無い空間を貫き抜けてゆく。
素早く地を蹴り、かわしざまにカサンドラの側面へと回り込んでいたセロンは、至近距離から矢を猛連射した。
カサンドラは一射目は身を仰向けに倒してかわしたが、二射目が脇下に、三射目が腹に直撃した。
「うぐぅっ?!」
空色の瞳を大きく見開いて、少女は苦悶の声をあげ身を激しく痙攣させたのだった。
●
いくら先端が丸く削られ綿で包まれているとはいえ、細長い棒を高速で射出するのだ。その衝撃力は薄布一枚で吸収出来る程に軽くはない。
「なんで防具脱ぐかなぁ」
ヒールをかけてしばらくしてからセロンが呆れ顔で言うとカサンドラは涙目で睨み返して来て、
「だって、良い手だって思ったんだもの」
頬を膨らませてそんな事を言いつつ、転がった際に身についた土や葉を落としている。だが、汗を吸っている長袖の白い下着は随分と土で汚れてしまっている様子だった。
「君は普段は正攻法だけど勝負所になると奇抜な事やってくるね、昔から」
セロンが思い出したのは五年前の教育課程、雨の日での模擬戦だった。
あの時も中央突破だけはありえない、と言われていた状況でこの少女は一人で中央突撃してきた。
「別に奇抜じゃないわ。これも正攻法よ。だって、表に備えている相手の裏を突くのは有効じゃない」
「なるほど、理には叶っている。まぁでも僕には通用しないけどね」
「く~や~し~!」
カサンドラがじたんじたんと足を振るってブーツの踵で斜面の土を削っている。
セロンは軽く笑うと、少し離れた地面に落ちている綿入りの上着のもとまで歩いてゆき拾い上げた。
土埃をはたいて落としてから戻って来て渡してやる。
すると、
「ありがと。まぁいいわ、正々堂々ベストを尽くした上で負けたのなら割りきりもつくというものよ」
その言葉には嘘は無い様でカサンドラは既にいつもの笑顔になっていた。
「次は負けないしね。まだ日も高いし、もう一戦やりましょう」
「君ってなんだかんだ結構、負けず嫌いだよね」
セロンは苦笑しつつ右手をカサンドラへと伸ばした。
「え、そうかしら? 普通じゃない?」
素で疑問に思ってるらしき表情の少女が右手で掴んで来たので、握り返して引き起こしてやる。
そして立ち上がったカサンドラと共に先の戦いで射撃した矢を拾い集めると、再び次の模擬戦を開始したのだった。
――結局、その日は五戦してセロンの勝敗は四勝一敗だった。
「あー、昔はほぼ互角だったのに、やっぱり経験の差は大きいのね……」
カサンドラが課程卒業後、戦いから離れメルンホルンのお屋敷で令嬢として嫁入り修業していたのに対し、セロンは最初のリヒテンシュタットや極北の任務等々ヴェヒター・ヌルの最前線でより厳しい環境で激闘し続けていた訳で、その差が如実に現れていた。
「ブランクあるのにこれだけやれるんだから凄いさ。キャシーならすぐ追いつけるよ」
カサンドラが少ししょんぼりした様子だったのでフォローの言葉を述べると、
「そう? そうだと良いんだけど……ふふ、ありがとセロン」
少女はまた嬉しそうに柔らかく笑顔を浮かべた。
夕陽が差す中、セロンはカサンドラと共に模擬戦で疲労した身体を引きずって、学園へと帰っていったのだった。
平原の大地は緑の絨毯に覆われて、所々に色鮮やかな花達が顔を覗かせていた。その色は黄、桃、青、紫、様々だ。春の花達。
風に揺れる草花の大海を、真っ二つに割る土色の道を、一頭の馬がカポカポと蹄鉄の音を響かせながら麦を満載した荷車を曳き、のんびりと歩いてゆく。御者席には帽子をかぶった農夫が欠伸混じりに座って手綱を握っていた。
彼等が向かう先には分厚く高さのある壁に周囲を囲まれた巨大都市があった。
ロスガリア大陸に名を馳せる三大国の一角、南方の雄、リーンエス王国が王都グランスパーダである。
古の時代にはこの地は不毛の砂漠であったが、『名も無き剣士』が『竜喰らい』を討ち果たした際に、緑豊かな大地に変化したと記録は伝えている。
肥沃な大地が生み出す圧倒的な農業生産力は、莫大な人口を産み落とし、それが集中する都市――特にその第一たる王都グランスパーダの春は実に活気溢れたものだった。
秋に蒔いた小麦のうち早いものは既に収穫時期に入っており、続々と王都へと運び込まれて来ていたからである。
そんな豊かな――厳しい北の大地に建つ帝国と比べて――南の国の、その中でも莫大な学費を払うに耐えうる豊かな身分の者の子弟が、王国内でも最も豊かな王都グランスパーダの郊外に特別に建てられた施設に集まって学ぶ場所が、そう――
――パンクリアース学園である。
幼い頃から上等な教育を受け洗練された物腰を持つ貴公子達と、蝶よ花よと育てられた箱入りのお嬢様達が集まるエリート学園だ。
中にはそうでは無い者もいるが、大半は親が金持ちで良いトコの出の少年少女達である。
「衣食満ち足りて礼節を知る」
「貧すれば鈍する」
そのような格言がある通り、余裕のある階級層の子供達はそうでない階級層の子供達と比べ心広く穏やかで善良である割合が多い。そうあれる事を許されるからだ。豊かというのは素晴らしい。
無論、物質的に豊かだからといって、精神的な面まで満たされているとは限らず、上流層特有の悪徳も渦巻くのが人の世であるから――そもそも人には性悪説というのもあり――あくまで比較しての、割合の、話ではある。
だが、貧しく厳しい国の、その中でも恵まれない貧乏人の子供達が多く集まり、食うや食わずの生活から抜け出す為に目を血走らせ立身出世を目指し文字通り人死にが出る程の過酷な訓練に日夜耐え続けながら少しでも上へとゆこうと鎬を削り合っているような軍学校――などと比べると、パンクリアース学園は実に穏やかな場所だった。
そんな軍学校と比べれば大抵の場所は呑気だろうよ、というのは無論の評であるのだが、しかし忘れてはならないのは、セロンガード・シュタインドルフという男は、北の峻厳な大地に建つ軍事大国シルトラースの、弩弓教育課程を首席で制した男だという事だ。
帝国弩弓課程というのはどちらかといえばお坊ちゃまお嬢様学園よりは生き馬の目を抜く軍学校に近い性質を持っている――というかほぼほぼそのまんまである。
そしてセロンは、卒業してからは教育課程よりもさらに過酷な、軍の最精鋭部隊である見えざる見張り番に所属し、既に幾つかの危険な任務でも活躍を果たして来た、若き精鋭隊員なのである。
そんな訳で必然、セロンとしてはパンクリアース学園における空気、常識、慣習、そういうものに北とのギャップを感じざるをえない事がしばしばであった。
例えば、ヴェヒター・ヌルの兵舎の食堂で、特別な理由も無く、食べきれぬ量の料理を盛っておきながら残そうものなら、その話を聞きつけた上官から鉄拳が飛んで来るのは当たり前だったし、同輩からも白い目で見られるし、何より食堂のおばちゃん達に張り倒される。貴族の子供だろうが関係は無かった。
が、パンクリアースの貴族寮では平然と豪勢な料理が無駄に盛られ、喰いきれぬ分は惜し気もなく捨てられてゆくのである、毎日。
そして誰もそれを咎めないし、疑問にも思わない。注意しようものなら、
「金払ってるんだからどうしようと個人の勝手だろう? 権利の侵害だぞ」
「何が悪いのか? 無駄? 俺達が消費しなければ農民が売り込み先が無くなって困るではないか」
「旧態依然とした凡百の貴族ならとかく、この学園に通う学徒であるなら、世の経済の仕組みを考えたまえ」
と逆に白い目で見られる程である。
善い悪い以前に、価値観が、常識が違う。
文化的差異というのは、そういう事であった。
故にセロンが王国の、とりわけ貴族の常識に慣れるのはなかなか大変だったが――正直な所、まだまだふとした折りに戸惑う事は多かった――どうにかこうにかその生活にも慣れて来た頃の話である。
「模擬戦しない?」
平民も使う昼の学食、キツネ色にカリッと揚げられた鶏肉をつまみつつセロンは声を潜め述べた。
対面に座っている薄紫色の長い髪の娘は、夏空色の瞳を一つ瞬かせる。
セロンは口内に揚げ鳥を入れ、もぐもぐと咀嚼した。油と鳥肉の脂が噛む度に沁み出て来て、舌に強い旨味を伝えて来る。良い油と肉を使っているのか、かなり美味かった。
「模擬戦? 良いわよ」
カサンドラは少し驚いた様子だったが、すぐに笑顔で囁き返し、二つ返事で引き受けてくれた。
例の宣言とフリにより周囲の生徒達は二人の囁き合いを恋人同士の語らいだと思っていそうだったが、実際の所は、話す内容はなかなか武力的である。模擬戦。
「有難う」
セロンが笑顔を返すとカサンドラは嬉しそうに弾んだ調子で、
「私がお相手で良ければ何時でも。でも急にどうしたの?」
「腕が鈍ってしまいそうでさ」
「あぁ、なるほど……それじゃ、弓も使うという事かしら?」
「うん、そのつもり」
セロンはパンクリアース学園内においては弓を引ける事を秘密としていた。
諜報員という立場としては、切り札は隠しておいた方が良いだろう、という判断からだった。周囲には剣術が得意なのだと話している。
カサンドラの方はというと弓を使える事自体は隠していなかった、実力は隠しているそうだが。部活動も弓を使う狩猟部に所属している。
狩猟、と一口にいっても形態は様々だがこの狩猟部で行われているのは貴族が森においてやる伝統的な系統のそれだった。
そんな狩猟部には王国の有力貴族の子女が数多く入部しているらしく、カサンドラは帝国諜報員として有力者の子供達に接近し知己や情報を得たい腹のようだった。
加えて王国と帝国の弓術の差異についても良く観察・研究しているらしい。
しっかり諜報員・帝国軍人としての本分をこなしているようで、相変わらずの真面目さだった。
なおゾフィーもカサンドラと同じ狩猟部に所属しているのだが、サークル内では『キャロライン』は『セラン』と恋人同士であると周知されていても、声をかけてくるようなちょっと倫理観が緩んでいる――ある意味貴族らしい――子女もいて、そちらをガウガウしているらしい。
なのでビビらせて追っ払う為に弓の実力は隠さず全開にしているのだとか。
この時代、授恵者の数はまだ少なかったので、おかげでゾフィーは狩猟部内で新入生にして既に五指に入る使い手として周囲から注目されているらしい。
潜入諜報員が注目を集めるような真似をしてどうするのか、というのは本人もわかってはいるらしいのだが、しかしそれでも譲れないものがあるらしい。
そんなゾフィーは先程から無言でぶすっとした仏長面でウ=ドンなる白いパスタを啜っている。シャルガネ風の料理であるそうな。
「フィーネも模擬戦やらない?」
「私はイーよ。二人でいってきなよ」
近頃のゾフィーは何故か唐突に不機嫌そうになる場面が増えた。二人に対してあからさまに険のある態度、というのを取ったりはしないのだが、とにかく機嫌が悪そうなのである。
「ん……わかったわ」
カサンドラは何か思案するような表情を一瞬したが、結局頷いた。
セロンが視線を向けるとカサンドラはにこっとした笑みを返してきて、
「それじゃセラン、どこでする?」
●
セロンとカサンドラの二人は弓の実力者という事は隠しているので、万一にも学園関係者から目撃されるような場所は避けたい。
なので、休日に学園の敷地外、グランスパーダ付近の山中で行う事とした。
その際には、金属の鏃がついている矢を使うと危険が大きかったので、模擬戦用の矢を用意する事にした。
具体的には先端を丸くし綿入りの布を被せ細い紐で縛った物である。精度はさすがに悪くなったが、安全性の確保を優先した。
剣と短剣も木製の物を用意し綿入布で覆った。
「今日はよろしくねセロン。良い勝負をしましょう」
ウキウキと楽しそうな笑顔でカサンドラが言う。
狩猟部に所属している彼女は、騎兵服に着替えてきていた。白いタイトな長ズボンに上は綿入りの上着を着こんでいる。
とりあえずまずは一本先取の形式で行う事としたが、判定は有効そうな射撃ないし打撃を受けた際に自己申告する形とした。また頭部は危険なので狙わない事とし、あたってしまった場合も無効とする。
山に到着しそこそこ奥へと入ったセロンとカサンドラは、樹々もまばらな斜面を横手に向き合う形で距離を取った。
彼我の距離はおよそ50m程度だろうか。
「それじゃー、いくよー!」
「はーい!」
セロンが声を投げると、カサンドラから返事が返ってきた。
模擬戦開始だ。
弩弓課程で行われていたものと比較すると、のんびりとしたスタートだが、それ用の装備も審判もいないので仕方がない。
直後、空を裂き矢がセロンの心臓目掛け飛んできた。
咄嗟に上体を反らしつつ右足を引いて身を横に半回転させる。矢が風を巻き唸りをあげすぐ側を突き抜けてゆく。
かわす動作で半身に構えたセロンは、素早く短弓に矢を番え引き絞り撃ち放った。矢は模擬戦用のものだが弓はいつもの使い慣れている合成短弓だ。
矢は回る錐の切っ先の如く旋転しながら真っ直ぐに飛び、カサンドラへと迫る。
薄紫色の長い髪が宙に靡き、少女の姿が掻き消えた。
樹の幹の陰にその小柄な身を隠したのである。
矢が虚空を貫いて抜け、奥に立つ樹木に激突して地に落ちる。
セロンは斜め前方――斜面側へと向けて駆け出した。
回避が得意なカサンドラ相手にこうも遮蔽物の多い場所で遠間から撃ち合っていても埒があかないだろうと判断した為だ。
カサンドラが樹木の幹の陰より僅かに身を乗り出し、その瞬間にセロンは駆ける方向を若干変化させた。二射目が飛来し、セロンの背をかすめ抜けてゆく。
黒髪の少年は二射目は放たず、全力で上方へと回り込むように駆けた。
カサンドラも三射を放たず斜面の上側へと向かって駆け出した。高い位置を取られるのは避けたいらしい。
駆けつつカサンドラの方を見やる。少女の進路と速度からの未来位置、矢を放った場合の到達速度との交差点を予測する。あまり正確に時間をかけては狙わない――山林の斜面を駆けながらでは難しいからだ――が、予測位置そのままの空間よりも、大雑把でもやや前方へと狙いをつける。つまり、足止めの牽制射だ。急加速による回避しながらの前方移動をやらせない。
セロンは駆けつつ弓に矢を番え素早く撃ち放った。
矢が勢い良く放たれ、カサンドラは足を止めて上体を反らした。胸先を掠めて矢が空間を突き抜けてゆく。
カサンドラが静止したまま弓に矢を番え、放つ。
セロンは幹の陰で足を止めた。眼前を矢が一瞬で突き抜けてゆく。
再び駆け出す。
矢を番えつつ視線を向けるとカサンドラも駆け出していた。再び自由に進ませぬように矢を進路先目掛けて撃ち込む。カサンドラが足を止めて回避し、再び射撃して来る。セロンは地に倒れ伏すように低く跳躍し、飛来した矢の下の空間を掻い潜った。
一回転して起き上がり、樹木の陰で止まり、背を幹につけ腰の矢筒から矢を三本一気に引き抜く。
距離はかなり詰まってきている。
幹から身を出しつつ視線を走らせれば、少女が駆けている。矢を番え放つ。カサンドラが足を止める。ここまでは先と同じ。だが今度はセロンはさらに指の間に挟んでいる二本目の矢を番えざまに速射した。
反撃の矢を準備していたカサンドラが膝から崩れ落ちるようにして紙一重、回避する。
すかさずセロンは転がる先の未来位置を予測して三射目を撃ち込んだ。唸りをあげて矢が飛び、樹木に激突し地に落ちる。幹の陰にカサンドラが転がり込んでいる。
(相変わらず良く避ける)
セロンは矢筒から三本の矢を引き抜きつつそのまま前進した。
次の反撃の矢をかわし、至近距離からの三連射で仕留める。さすがに至近からの三連射はかわせまい。
次の反撃はなかなか来なかった。引きつけてから撃つつもりだろうか? 恐らく、そうなのだろう。あちらも距離的に次が勝負所だとわかっている。
(――かわしてみせる)
近距離での撃ち合いなら手数が多いセロンの方が有利だ。
次の一射をかわす、ないし先に撃ち込めばこちらの勝ちだ。
セロンは斜面を駆け降り、カサンドラが身を隠している樹木へと接近してゆく。
少女はなかなか出てこない。
(――いつ仕掛けて来る?)
その距離が五歩程度の距離まで迫った時、幹の陰から影が飛び掛かって来た。
(直接攻撃?!)
弓ではなく組討――短剣での攻撃も有効な以上、そういう戦法もある。
だが、それは悪手だ。
何故なら、この距離であってもセロンは組みつかれるより前に、飛び掛かって来たカサンドラに対し速射を先に撃ち込めるからだ。
だが、セロンは咄嗟に撃つのを制止した。
気づいたのだ、その影には、中身が無かった。
放物線を描き宙より両腕を広げセロンの顔面へと飛んで来ているのは、カサンドラが着ていた綿入りの上着だけだった。
視界の隅、下方に薄紫色が見えた。地面に低く低くしゃがみ込んだ姿勢で、夏空色の瞳の下着姿の少女が、弓に矢を番えセロンへと向けている。
転瞬、雷光の如く下方からの矢がセロンへと向かい撃ち上げられ、そして何も無い空間を貫き抜けてゆく。
素早く地を蹴り、かわしざまにカサンドラの側面へと回り込んでいたセロンは、至近距離から矢を猛連射した。
カサンドラは一射目は身を仰向けに倒してかわしたが、二射目が脇下に、三射目が腹に直撃した。
「うぐぅっ?!」
空色の瞳を大きく見開いて、少女は苦悶の声をあげ身を激しく痙攣させたのだった。
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いくら先端が丸く削られ綿で包まれているとはいえ、細長い棒を高速で射出するのだ。その衝撃力は薄布一枚で吸収出来る程に軽くはない。
「なんで防具脱ぐかなぁ」
ヒールをかけてしばらくしてからセロンが呆れ顔で言うとカサンドラは涙目で睨み返して来て、
「だって、良い手だって思ったんだもの」
頬を膨らませてそんな事を言いつつ、転がった際に身についた土や葉を落としている。だが、汗を吸っている長袖の白い下着は随分と土で汚れてしまっている様子だった。
「君は普段は正攻法だけど勝負所になると奇抜な事やってくるね、昔から」
セロンが思い出したのは五年前の教育課程、雨の日での模擬戦だった。
あの時も中央突破だけはありえない、と言われていた状況でこの少女は一人で中央突撃してきた。
「別に奇抜じゃないわ。これも正攻法よ。だって、表に備えている相手の裏を突くのは有効じゃない」
「なるほど、理には叶っている。まぁでも僕には通用しないけどね」
「く~や~し~!」
カサンドラがじたんじたんと足を振るってブーツの踵で斜面の土を削っている。
セロンは軽く笑うと、少し離れた地面に落ちている綿入りの上着のもとまで歩いてゆき拾い上げた。
土埃をはたいて落としてから戻って来て渡してやる。
すると、
「ありがと。まぁいいわ、正々堂々ベストを尽くした上で負けたのなら割りきりもつくというものよ」
その言葉には嘘は無い様でカサンドラは既にいつもの笑顔になっていた。
「次は負けないしね。まだ日も高いし、もう一戦やりましょう」
「君ってなんだかんだ結構、負けず嫌いだよね」
セロンは苦笑しつつ右手をカサンドラへと伸ばした。
「え、そうかしら? 普通じゃない?」
素で疑問に思ってるらしき表情の少女が右手で掴んで来たので、握り返して引き起こしてやる。
そして立ち上がったカサンドラと共に先の戦いで射撃した矢を拾い集めると、再び次の模擬戦を開始したのだった。
――結局、その日は五戦してセロンの勝敗は四勝一敗だった。
「あー、昔はほぼ互角だったのに、やっぱり経験の差は大きいのね……」
カサンドラが課程卒業後、戦いから離れメルンホルンのお屋敷で令嬢として嫁入り修業していたのに対し、セロンは最初のリヒテンシュタットや極北の任務等々ヴェヒター・ヌルの最前線でより厳しい環境で激闘し続けていた訳で、その差が如実に現れていた。
「ブランクあるのにこれだけやれるんだから凄いさ。キャシーならすぐ追いつけるよ」
カサンドラが少ししょんぼりした様子だったのでフォローの言葉を述べると、
「そう? そうだと良いんだけど……ふふ、ありがとセロン」
少女はまた嬉しそうに柔らかく笑顔を浮かべた。
夕陽が差す中、セロンはカサンドラと共に模擬戦で疲労した身体を引きずって、学園へと帰っていったのだった。