ミライア ~未来の光~
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2021年03月15日 11時06分12秒
その日、エルゼリオ・レイノーラは兄の執務室に居た。
「待たせたな」
かけられた声に振り返ってみれば、兄シグルド・レイノーラが書類を抱えて戻ってきた。
エルゼリオは書類を運ぶのを手伝おうと兄の元に駆け寄る。
「すまないな。遅くまで手伝ってもらって」
「気にしないでよ、ボクに出来る事は手伝うからさ」
受け取った書類の山をシグルドの机に乗せ、エルゼリオは人懐っこい笑みを浮かべる。
「そういえば、今日はミライアさんは? 彼女が居ればこれくらいすぐ終わるでしょ?」
「オリガロッドの所へ使いにやってる」
「え、オリエ姉の所?」
シグルドの口から出た意外な場所に、エルゼリオは思わず聞き返す。
「こんなに仕事が溜まってるのに、なんで? 伝令なら他の人にでもできるでしょ」
「……理由はない」
と、シグルドはどこか歯切れ悪く答えるだけ。
「理由がないって、そんなわけ――」
そんな兄の態度にエルゼリオが眉をしかめた、その時。
――ドンッ!!
轟音を立てドアが開かれた。
「……たまには静かに入ってこれないのか」
「俺様が来るってわかってるのに、ドアを閉めとく手前ェが悪い」
シグルドの文句を一笑にふし、我が物顔で入室してきたのは――父、ハスラム・レイノーラだった。
「え、父上? なに、どうしたの?」
「うん? なんだエルゼリオもいたのか」
「う、うん」
「まぁ、いい。それで? 新しい女ってのはどこだ?」
「新しい女……?」
ハスラムが部屋の中を見渡し、シグルドが頭痛を堪えるように眉間に手をやる。
「父上、一体何の事? ここにはボクとシグルド兄しかいないよ」
「なに?」
エルゼリオの声を聞き、隣室の捜索に入ろうとしていたハスラムが脚を止めた。
「おい、シグルド、どういう事だ? たっぷり仕事回したろうが。なんでいねぇんだよ」
ハスラムは取って返しシグルドに詰め寄る。
「なんでと言われても居ないものは居ない。わかったなら帰ってくれ。それとも自分で回した仕事を手伝ってくれるのか?」
顔を寄せてくるハスラムに、シグルドは山と積まれた書類にドンと手を置き睨み返した。
「なんで俺様が書類仕事なんてやらねぇといけねぇんだよ。そんな事より、女だ女。どこやった」
「女、女ってここには居ないよ。ミライアさんならオリエ姉の所に行ったし」
そんな父の理不尽に晒される兄を不憫に思ったのかエルゼリオが口を開く。すると――。
「エルッ!? ぐっ……」
ばっと立ち上がったシグルドが思わず声を上げた。
「え? え?」
「ははは! エルゼリオよくやった」
こちらを睨み付けるシグルドと、上機嫌に笑うハスラム。
二人を交互に見ながらエルゼリオは戸惑う。
「姑息な真似してんじゃねぇよ。まぁ、それだけ大事って事か、なぁシグルドぉ?」
ハスラムがにやにやと笑みを浮かべながらシグルドの肩を何度も叩いた。
「……ああっ!!」
二人のやり取りを見て、エルゼリオもようやく気が付く。そう、シグルドはミライアをハスラムに会わせるのを嫌がってわざとそう言ったのだ。
「ご、ごめん、シグルド兄! ボク、余計な事を!」
片手で顔を覆い項垂れるシグルドに、エルゼリオは慌てて駆け寄る。
「なぁにが余計な事だ? 自分の部下をあじ――面接するのに、なにも余計な事はねぇだろうが」
ハスラムの言うように、ミライアはシグルドの秘書官の前にレイノーラ軍の一員。全てはハスラムの部下なのだ。
「しっかし、オリエの所か。ちと遠いな」
「そうだ、だから大人しく家へ帰れ」
「うるせぇよ、俺様に指図すんな」
そう言ってシグルドを一言で黙らせると、ハスラムはエルゼリオに向き直る。
「エルゼリオ、手前ェはついて来い」
「えっ!? なんでボクが一緒に行かないといけないんだよ!」
「口答えすんじゃねぇよ。黙ってついて来い」
「行くならボクじゃなくてシグルド兄とでしょ!」
「こいつは出れねぇからな、仕事がいっぱいで。なぁ、シグルド?」
と、拳を震わせるシグルドに、ハスラムは口元を釣り上げた。
「そんじゃ行くぞ、エルゼリオ」
「う、うん……」
睨み付けてくるシグルドを放っておいて、ハスラムはさっさと廊下へと向かう。それに続きエルゼリオもついていくが、背後に感じるシグルドの視線が痛い。
「エルゼリオ!」
「えっ! は、はい!」
ドアをくぐり廊下に出た時、シグルドに名を呼ばれ振り向く。
「……後は任せた」
ドアを閉じる前に見えたのは、頭を下げるシグルドの姿だった。
●
「はっ! オリガロッド司令!」
「い、いや、私は司令じゃないって」
「申し訳ありません、オリガロッド司令!!」
「……はぁ」
ここへ来てからというものずっとこんな調子で、流石のオリガロッド・レイノーラも諦め気味に溜息をついた。
「もう用は済んだんじゃないのか? とっととシグルドの所帰ってやれよ。寂しがってるぜ、きっと」
「お心遣いありがとうございます! しかし、閣下からは3日間こちらで待機する様にと仰せつかっておりますので!」
「なんだそれ。まぁ、別にいい……一室用意させるから、そこで休んでくれ」
シグルドが下したよくわからない指令を、ミライアは馬鹿正直に守っている。
「ありがとうございます! しかし、まだ勤務時間でありますので、僭越ながら司令の護衛の任につかせていただきます!」
「はぁ? いらねぇよ。私を誰だと思ってるんだ」
「はっ! オリガロッド特務司令であります!」
まったく迷いもなくそう言うミライアに、オリガロットは困惑した。
「調子狂うな……あ、そうだ。あんた、事務作業できるんだったよな?」
「はっ! 閣下ほどではありませんが、事務処理には多少の自信があります!」
「おー、言うね。それじゃ、ちょっと手伝ってくれないか? この間までパパの手伝いでここ空けてたから、書類溜まってるんだよ」
「はっ! 私でお役に立てるのでしたら喜んで!」
「おぉ、助かる! それじゃ早速――」
そう言って、オリガロッドは予備の椅子を運んできてミライアに座らせた。
●
雪も解け春の風が吹く街道を二頭の馬が並んで歩く。
「ねぇ、父上」
「なんだ?」
「ずっと気になってたんだけど、前に屋敷でボクに聞いたよね。『シグルド兄のあれは、母上の死のせいだと思うか』って。あれって、どういうことなの?」
馬の背に揺られる父に向けエルゼリオは問いかける。
「つまんねぇこと覚えてやがるな」
ハスラムはまっすぐ前を見たまま答えた。
「つまらなく……はないと思う。あれからずっと気になってたんだ。ねぇ、父上、着いていく代わりに教えてよ」
「……つまらねぇ理由だぞ?」
ハスラムが話す気になったと感じ、エルゼリオは多くを返さず聞く姿勢に入る。
「はぁ……あいつは、シグルドは、昔はもう少し明るい奴だった」
ハスラムは大きな溜息と共に、ゆっくりと話し始めた。
「性格は昔っからくそ真面目で堅物だったが、年相応に笑う奴だったんだ。特に母親に向けてはな」
あまりに遠い記憶なのか、一つ一つ思い返す様に語っている。
「それがどうだ、あれの死からまったく笑わなくなりやがった」
「それは……」
「背負ってるつもりなんだよ。母の死をな」
エルゼリオの頷く気配を背中に感じ、ハスラムは続けた。
「あいつ、本当はヒーラーとして覚醒したかったらしいぞ」
「えっ」
「もしヒーラーだったら……そうすれば、母を助けられたんじゃないかって、本気で考えてやがった。いや、今でも考えてるのかもしれねぇな」
何処か遠くの空を見上げながら、ハスラムは続けた。
「そんな事を考えてたなんて……」
「口には出さねぇが、あいつはわかりやす過ぎる。例えヒーラーになっていたとしても、あいつの母親――ヒルデノートの死の原因はそう言う類のものじゃねぇのにな」
そう言うハスラムの声は、どこか哀愁を感じさせる。
「……そうなんだ。ボク、ほとんど母上の記憶がないからわからなかったけど、シグルド兄はずっと一緒だったんだもんね」
エルゼリオ達の母『ヒルデノート』と過ごした時間が一番長いのはシグルドだ。自分でさえ別れは胸を裂かれる思いだった。それを思えば兄の心の痛みはいったいどれほどのものだったのか。
「それじゃ、父上が言ってた『母の死のせい』っていうのは……」
「そうだ。あいつはレイノーラに欠けてしまったものを自分が補わなくちゃならねぇと勝手に思ってやがる。母の代わりにはなれないが家族のつなぎ役とでもいうのか? そう言うポジションに無理やり収まろうとしてやがるんだよ」
「そんな……それじゃまるで母上の死の責任を感じてるみたいじゃないか!」
シグルドのその考え方があまりに危うくて、エルゼリオは思わず声を上げてしまう。
「そうだ。だから今回の婚姻の話も『婚姻すれば他人にかまわなくてはならない。私にそのような暇はない』とか思ってんじゃねぇか?」
「……似てないね、父上」
「うるせぇ」
「でも、そうか……母上の死を背負うってそういう意味なんだ」
「あれの母親は、よく家を支えていてくれたからな」
「放蕩旦那がいたしね」
「喧嘩なら買うぞ」
互いに目を合わせる訳でもなく、馬の背に揺られながら話を続けた。
「でも、シグルド兄がそんなこと考えてたなんて……」
と、エルゼリオは父の背中から視線を外し、後ろを振り向く。もう見えなくなってしまった王都に居る兄を思い。
「まぁ、それはオリエも同じなんだがな」
「え、オリエ姉も?」
不意に姉の名が出て、エルゼリオは再び父の背を見つめた。
「ああ、シグルドは一家の心を支えようと、オリエは母の代わりになろうとしてやがる。まぁ、オリエのは母の代わりというより、俺様の嫁の代わりになりたいのかもしれねぇがな」
じっと正面を見据え、ハスラムは苦笑しつつ呟く。
「まったく、そんな事、誰も望んでねぇのにな――」
そう言って、ハスラムはどこまでも続く青い空を見上げた。そこにいるだろう最愛の人に問いかけるように――。
●
「……なぁ」
「はっ! オリガロッド司令!」
「これ全部一人でやったのか……?」
「はっ! お時間頂戴しまして申し訳ありません!」
直立不動で敬礼するミライアを、椅子に座るオリガロットは呆然と見上げる。
「いやいやいや、いくらなんでも早すぎるだろ」
と、ミライアは謙遜するが、結構な量の事務書類がものの数時間できれいさっぱり消え失せたのだ。さすがに驚きを隠せない。
「いえ! 閣下に比べれば兎と亀であります!」
「げっ、シグルドってあんたより早いのか……?」
「はっ! 私など足元にも及びません!」
「マジかよ……」
ミライアの言葉にオリガロッドが愕然となる中、一人の兵士が部屋へ飛び込んできた。
「オリガロッド様!」
「なんだ、どうした?」
「あ、いや……ちょっとボヤ騒ぎがありまして……」
歯切れ悪く報告する部下。
「ボヤ騒ぎだと? 鎮火は済んだんだろうな」
「はい、もちろんです! 延焼もなくすでに鎮火しています。ただ……」
「ただ、なんだ?」
「その、ミライア秘書官に宛がった部屋に被害が出まして」
「ふむ、それじゃ別の部屋を用意しろ」
「それが、何処もいっぱいなんですよ」
「なに?」
その兵士に詳しく聞くと、たまたま任務に散っていた小隊が多数戻ってきており、兵舎の空き部屋がもうないとの事だった。
「司令! 私は馬小屋で十分ですのでお気になさらずに!」
「んなわけ行くか! あんたを馬小屋に寝かせたなんてあいつに知れたら後で何言われるか……」
そんな未来を想像し、ぶるりと身を震わせるオリガロッド。
「他に部屋は空いてないんだな?」
「はい、この執務室でしたら空いてるんですが……」
「ここは人の寝る部屋じゃねぇよ。わかった、あたしの部屋に毛布を運んでおけ」
「えっ?」
オリガロッドの下した指令に、ミライアが思わず声を上げた。
「私と同室じゃ嫌か?」
「とんでもありません! 光栄の極みです! ご命令謹んでお受けいたします!」
「命令じゃない。まぁ、成り行きだ。気にせず使ってくれ」
「はっ!」
オリガロッドの中に誰かに似た何かを見つけたのか、ミライアは口元を緩めながら敬礼した。
●
「消灯いたします!」
「ん、よろしく」
照明用紋具の灯がゆっくりと消え、部屋は闇に包まれた。
寝台はオリガロッドが、ミライアはソファに身を沈めている。
お互いの息遣いが聞こえる位置。同性とはいえ、同じ部屋で他人と眠るのはいつ以来だろうとオリガロッドはぼんやりと想いながら、寝返りを打つ。
「ん? 眠れないのか?」
寝返りを打った先で、暗闇の中ミライアと視線が合った。
「いえ、あの……」
「うん?」
闇の向こうでもじもじと言い辛そうにする気配がする。
「なにか悩みでもあるのか? シグルドにやらしい目で見られたとか」
くくくと声を殺して笑うオリガロッド。しかし、ミライアから返ってきた答えは意外なものだった。
「オリガロッド司令は、シグルド閣下の事を愛しておられますか?」
「ぶふっ!? な、何だいきなり!?」
「あっ!! ももも、申し訳ありません! そういう事ではなく! あ、いえ! そういう事なんですが……」
「……ったく、変な奴だな」
「申し訳ありません……」
はきはきとした声が歯切れ悪く消えていく。
「……あいつの所に居て、色々と思う所があるんだな」
「そんな! とてもよくして頂いています! 一兵卒だった私を秘書官などに取りたてていただいただけではなく、様々な仕事を任せていただいて――」
「そう言う建前はいいんだよ。で、何を抱えてるんだ、そのでっかい胸の中に」
闇の向こうでバッと胸を押さえる気配に微笑みつつ、オリガロッドは問いかける。
「……あの方を見ていると、いつか燃え尽きてしまうんじゃないかと、心配になるんです」
「ふむ、燃え尽きる、なぁ」
「はい……」
ミライアの声は深く沈んでいた。
「なぁ、ミライア」
「はい」
「私はいつかシグルドの地位を奪うのが目標なんだ」
「えっ!?」
「なぁ、どう考えてもおかしいだろ? 私が遠隔地で任務をこなしてる間にも、あいつはずっとパパの傍に居るんだぞ?」
「……えっ?」
「なんであんな木偶の坊がパパの傍で、可憐なオリエ様が前線なんだよ! 絶対おかしい!」
「そ、そうですね……?」
「そう思うだろ?」
真面目に返してくるミライアの反応に、オリガロッドはくすりと微笑み声をやわらげた。
「だから、ミライア。あんたはシグルドの傍でその様子をずっと観察するんだ」
「観察ですか?」
「そうだ。観察してもし異変があれば私やエルゼリオに伝えろ」
「異変……それって」
「小さなことでも見落とすなよ? あいつを陥れる材料にするんだからな」
「それは……ご命令でしょうか」
オリガロッドの言わんとする事をミライアはうすうす気づいている。だからこそ聞かずにはいられなかった。
「そんな無粋なもんじゃない。これはただのお願いだ。あいつを愛する者同士の約束だ」
消え入りそうな声でそう呟いたオリガロッドを、ミライアはじっと見つめる。
「シグルドは任せたぞ……」
そう言ってオリガロッドは話は終わりだという様に寝返りを打った。
「……はい」
闇の中にうっすらと見えるオリガロッドの背中に、ミライアは感謝と共に決意を込めてうなずいたのだった。
●
「オリエ!」
「パパっ!!」
入室してきたハスラムに、オリガロッドは文字通り飛びついた。
「よしよし、いい子に仕事してたか?」
「もちろんだよ! オリエはパパの言いつけをちゃんと守るいい子だもん」
「そうかそうか。それで、シグルドの女ってのはどこにいる?」
「なに? 私の前で別の女の話?」
ぷぅと頬を膨らせ抗議するオリガロッド。
「シグルドの女って言っただろうが。で、どこだ?」
「しりませーん」
「はぁ? 手前ェ隠したら承知しねぇぞ」
ツーンとそっぽを向くオリガロッドを、ハスラムはじっと睨み付けた。
「ごめんね、パパ。知らないものは知らないの。だって、昨日帰ったんだもん」
「……はぁ?!」
オリガロッドの返答に、ハスラムは目を見開く。
「――エルゼリオ」
「うん?」
ハスラムに抱きついたまま、オリガロッドは背後に居たエルゼリオに声をかけた。
「お前もあいつ等をよろしくな」
「え? 何の事?」
「ねぇ、パパ! 近くの街に美味しいケーキだすお店が出来たの! 行きましょ!」
エルゼリオが問い返した時には、既にオリガロッドはハスラムの腕を引き出口に向かう。
「ちょ、ちょっと、オリエ姉!?」
と、エルゼリオが手を伸ばすが、二人は部屋を出て行ってしまった。
「もぉ、いったいなんなんだよ」
「申し訳ありません、私の為に……」
「おわっ!?」
二人が出ていったドアを呆然と見つめていると、背後から突然声をかけられた。
「ミライアさんいたの!?」
「はい、オリガロッド司令が隠れていろと」
「なるほど、そっか、そういう事だったんだね」
全てはオリガロッドが仕組んだこと。そう理解しエルゼリオはうんうんと頷く。
「それでは私はシグルド閣下の元へ戻ります」
「うん、気を付けてね」
「はい。……あの、ハスラム将軍には」
「大丈夫だよ、ボクとオリエ姉でうまくやっておくから」
「ありがとうございます」
そう言って普段は見せない柔らかな笑顔を向けてくるミライア。
「ううん、こちらこそシグルド兄をよろしくお願いします」
そんなミライアに合わせるようにエルゼリオも朗らかに微笑んだのだった。
「待たせたな」
かけられた声に振り返ってみれば、兄シグルド・レイノーラが書類を抱えて戻ってきた。
エルゼリオは書類を運ぶのを手伝おうと兄の元に駆け寄る。
「すまないな。遅くまで手伝ってもらって」
「気にしないでよ、ボクに出来る事は手伝うからさ」
受け取った書類の山をシグルドの机に乗せ、エルゼリオは人懐っこい笑みを浮かべる。
「そういえば、今日はミライアさんは? 彼女が居ればこれくらいすぐ終わるでしょ?」
「オリガロッドの所へ使いにやってる」
「え、オリエ姉の所?」
シグルドの口から出た意外な場所に、エルゼリオは思わず聞き返す。
「こんなに仕事が溜まってるのに、なんで? 伝令なら他の人にでもできるでしょ」
「……理由はない」
と、シグルドはどこか歯切れ悪く答えるだけ。
「理由がないって、そんなわけ――」
そんな兄の態度にエルゼリオが眉をしかめた、その時。
――ドンッ!!
轟音を立てドアが開かれた。
「……たまには静かに入ってこれないのか」
「俺様が来るってわかってるのに、ドアを閉めとく手前ェが悪い」
シグルドの文句を一笑にふし、我が物顔で入室してきたのは――父、ハスラム・レイノーラだった。
「え、父上? なに、どうしたの?」
「うん? なんだエルゼリオもいたのか」
「う、うん」
「まぁ、いい。それで? 新しい女ってのはどこだ?」
「新しい女……?」
ハスラムが部屋の中を見渡し、シグルドが頭痛を堪えるように眉間に手をやる。
「父上、一体何の事? ここにはボクとシグルド兄しかいないよ」
「なに?」
エルゼリオの声を聞き、隣室の捜索に入ろうとしていたハスラムが脚を止めた。
「おい、シグルド、どういう事だ? たっぷり仕事回したろうが。なんでいねぇんだよ」
ハスラムは取って返しシグルドに詰め寄る。
「なんでと言われても居ないものは居ない。わかったなら帰ってくれ。それとも自分で回した仕事を手伝ってくれるのか?」
顔を寄せてくるハスラムに、シグルドは山と積まれた書類にドンと手を置き睨み返した。
「なんで俺様が書類仕事なんてやらねぇといけねぇんだよ。そんな事より、女だ女。どこやった」
「女、女ってここには居ないよ。ミライアさんならオリエ姉の所に行ったし」
そんな父の理不尽に晒される兄を不憫に思ったのかエルゼリオが口を開く。すると――。
「エルッ!? ぐっ……」
ばっと立ち上がったシグルドが思わず声を上げた。
「え? え?」
「ははは! エルゼリオよくやった」
こちらを睨み付けるシグルドと、上機嫌に笑うハスラム。
二人を交互に見ながらエルゼリオは戸惑う。
「姑息な真似してんじゃねぇよ。まぁ、それだけ大事って事か、なぁシグルドぉ?」
ハスラムがにやにやと笑みを浮かべながらシグルドの肩を何度も叩いた。
「……ああっ!!」
二人のやり取りを見て、エルゼリオもようやく気が付く。そう、シグルドはミライアをハスラムに会わせるのを嫌がってわざとそう言ったのだ。
「ご、ごめん、シグルド兄! ボク、余計な事を!」
片手で顔を覆い項垂れるシグルドに、エルゼリオは慌てて駆け寄る。
「なぁにが余計な事だ? 自分の部下をあじ――面接するのに、なにも余計な事はねぇだろうが」
ハスラムの言うように、ミライアはシグルドの秘書官の前にレイノーラ軍の一員。全てはハスラムの部下なのだ。
「しっかし、オリエの所か。ちと遠いな」
「そうだ、だから大人しく家へ帰れ」
「うるせぇよ、俺様に指図すんな」
そう言ってシグルドを一言で黙らせると、ハスラムはエルゼリオに向き直る。
「エルゼリオ、手前ェはついて来い」
「えっ!? なんでボクが一緒に行かないといけないんだよ!」
「口答えすんじゃねぇよ。黙ってついて来い」
「行くならボクじゃなくてシグルド兄とでしょ!」
「こいつは出れねぇからな、仕事がいっぱいで。なぁ、シグルド?」
と、拳を震わせるシグルドに、ハスラムは口元を釣り上げた。
「そんじゃ行くぞ、エルゼリオ」
「う、うん……」
睨み付けてくるシグルドを放っておいて、ハスラムはさっさと廊下へと向かう。それに続きエルゼリオもついていくが、背後に感じるシグルドの視線が痛い。
「エルゼリオ!」
「えっ! は、はい!」
ドアをくぐり廊下に出た時、シグルドに名を呼ばれ振り向く。
「……後は任せた」
ドアを閉じる前に見えたのは、頭を下げるシグルドの姿だった。
●
「はっ! オリガロッド司令!」
「い、いや、私は司令じゃないって」
「申し訳ありません、オリガロッド司令!!」
「……はぁ」
ここへ来てからというものずっとこんな調子で、流石のオリガロッド・レイノーラも諦め気味に溜息をついた。
「もう用は済んだんじゃないのか? とっととシグルドの所帰ってやれよ。寂しがってるぜ、きっと」
「お心遣いありがとうございます! しかし、閣下からは3日間こちらで待機する様にと仰せつかっておりますので!」
「なんだそれ。まぁ、別にいい……一室用意させるから、そこで休んでくれ」
シグルドが下したよくわからない指令を、ミライアは馬鹿正直に守っている。
「ありがとうございます! しかし、まだ勤務時間でありますので、僭越ながら司令の護衛の任につかせていただきます!」
「はぁ? いらねぇよ。私を誰だと思ってるんだ」
「はっ! オリガロッド特務司令であります!」
まったく迷いもなくそう言うミライアに、オリガロットは困惑した。
「調子狂うな……あ、そうだ。あんた、事務作業できるんだったよな?」
「はっ! 閣下ほどではありませんが、事務処理には多少の自信があります!」
「おー、言うね。それじゃ、ちょっと手伝ってくれないか? この間までパパの手伝いでここ空けてたから、書類溜まってるんだよ」
「はっ! 私でお役に立てるのでしたら喜んで!」
「おぉ、助かる! それじゃ早速――」
そう言って、オリガロッドは予備の椅子を運んできてミライアに座らせた。
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雪も解け春の風が吹く街道を二頭の馬が並んで歩く。
「ねぇ、父上」
「なんだ?」
「ずっと気になってたんだけど、前に屋敷でボクに聞いたよね。『シグルド兄のあれは、母上の死のせいだと思うか』って。あれって、どういうことなの?」
馬の背に揺られる父に向けエルゼリオは問いかける。
「つまんねぇこと覚えてやがるな」
ハスラムはまっすぐ前を見たまま答えた。
「つまらなく……はないと思う。あれからずっと気になってたんだ。ねぇ、父上、着いていく代わりに教えてよ」
「……つまらねぇ理由だぞ?」
ハスラムが話す気になったと感じ、エルゼリオは多くを返さず聞く姿勢に入る。
「はぁ……あいつは、シグルドは、昔はもう少し明るい奴だった」
ハスラムは大きな溜息と共に、ゆっくりと話し始めた。
「性格は昔っからくそ真面目で堅物だったが、年相応に笑う奴だったんだ。特に母親に向けてはな」
あまりに遠い記憶なのか、一つ一つ思い返す様に語っている。
「それがどうだ、あれの死からまったく笑わなくなりやがった」
「それは……」
「背負ってるつもりなんだよ。母の死をな」
エルゼリオの頷く気配を背中に感じ、ハスラムは続けた。
「あいつ、本当はヒーラーとして覚醒したかったらしいぞ」
「えっ」
「もしヒーラーだったら……そうすれば、母を助けられたんじゃないかって、本気で考えてやがった。いや、今でも考えてるのかもしれねぇな」
何処か遠くの空を見上げながら、ハスラムは続けた。
「そんな事を考えてたなんて……」
「口には出さねぇが、あいつはわかりやす過ぎる。例えヒーラーになっていたとしても、あいつの母親――ヒルデノートの死の原因はそう言う類のものじゃねぇのにな」
そう言うハスラムの声は、どこか哀愁を感じさせる。
「……そうなんだ。ボク、ほとんど母上の記憶がないからわからなかったけど、シグルド兄はずっと一緒だったんだもんね」
エルゼリオ達の母『ヒルデノート』と過ごした時間が一番長いのはシグルドだ。自分でさえ別れは胸を裂かれる思いだった。それを思えば兄の心の痛みはいったいどれほどのものだったのか。
「それじゃ、父上が言ってた『母の死のせい』っていうのは……」
「そうだ。あいつはレイノーラに欠けてしまったものを自分が補わなくちゃならねぇと勝手に思ってやがる。母の代わりにはなれないが家族のつなぎ役とでもいうのか? そう言うポジションに無理やり収まろうとしてやがるんだよ」
「そんな……それじゃまるで母上の死の責任を感じてるみたいじゃないか!」
シグルドのその考え方があまりに危うくて、エルゼリオは思わず声を上げてしまう。
「そうだ。だから今回の婚姻の話も『婚姻すれば他人にかまわなくてはならない。私にそのような暇はない』とか思ってんじゃねぇか?」
「……似てないね、父上」
「うるせぇ」
「でも、そうか……母上の死を背負うってそういう意味なんだ」
「あれの母親は、よく家を支えていてくれたからな」
「放蕩旦那がいたしね」
「喧嘩なら買うぞ」
互いに目を合わせる訳でもなく、馬の背に揺られながら話を続けた。
「でも、シグルド兄がそんなこと考えてたなんて……」
と、エルゼリオは父の背中から視線を外し、後ろを振り向く。もう見えなくなってしまった王都に居る兄を思い。
「まぁ、それはオリエも同じなんだがな」
「え、オリエ姉も?」
不意に姉の名が出て、エルゼリオは再び父の背を見つめた。
「ああ、シグルドは一家の心を支えようと、オリエは母の代わりになろうとしてやがる。まぁ、オリエのは母の代わりというより、俺様の嫁の代わりになりたいのかもしれねぇがな」
じっと正面を見据え、ハスラムは苦笑しつつ呟く。
「まったく、そんな事、誰も望んでねぇのにな――」
そう言って、ハスラムはどこまでも続く青い空を見上げた。そこにいるだろう最愛の人に問いかけるように――。
●
「……なぁ」
「はっ! オリガロッド司令!」
「これ全部一人でやったのか……?」
「はっ! お時間頂戴しまして申し訳ありません!」
直立不動で敬礼するミライアを、椅子に座るオリガロットは呆然と見上げる。
「いやいやいや、いくらなんでも早すぎるだろ」
と、ミライアは謙遜するが、結構な量の事務書類がものの数時間できれいさっぱり消え失せたのだ。さすがに驚きを隠せない。
「いえ! 閣下に比べれば兎と亀であります!」
「げっ、シグルドってあんたより早いのか……?」
「はっ! 私など足元にも及びません!」
「マジかよ……」
ミライアの言葉にオリガロッドが愕然となる中、一人の兵士が部屋へ飛び込んできた。
「オリガロッド様!」
「なんだ、どうした?」
「あ、いや……ちょっとボヤ騒ぎがありまして……」
歯切れ悪く報告する部下。
「ボヤ騒ぎだと? 鎮火は済んだんだろうな」
「はい、もちろんです! 延焼もなくすでに鎮火しています。ただ……」
「ただ、なんだ?」
「その、ミライア秘書官に宛がった部屋に被害が出まして」
「ふむ、それじゃ別の部屋を用意しろ」
「それが、何処もいっぱいなんですよ」
「なに?」
その兵士に詳しく聞くと、たまたま任務に散っていた小隊が多数戻ってきており、兵舎の空き部屋がもうないとの事だった。
「司令! 私は馬小屋で十分ですのでお気になさらずに!」
「んなわけ行くか! あんたを馬小屋に寝かせたなんてあいつに知れたら後で何言われるか……」
そんな未来を想像し、ぶるりと身を震わせるオリガロッド。
「他に部屋は空いてないんだな?」
「はい、この執務室でしたら空いてるんですが……」
「ここは人の寝る部屋じゃねぇよ。わかった、あたしの部屋に毛布を運んでおけ」
「えっ?」
オリガロッドの下した指令に、ミライアが思わず声を上げた。
「私と同室じゃ嫌か?」
「とんでもありません! 光栄の極みです! ご命令謹んでお受けいたします!」
「命令じゃない。まぁ、成り行きだ。気にせず使ってくれ」
「はっ!」
オリガロッドの中に誰かに似た何かを見つけたのか、ミライアは口元を緩めながら敬礼した。
●
「消灯いたします!」
「ん、よろしく」
照明用紋具の灯がゆっくりと消え、部屋は闇に包まれた。
寝台はオリガロッドが、ミライアはソファに身を沈めている。
お互いの息遣いが聞こえる位置。同性とはいえ、同じ部屋で他人と眠るのはいつ以来だろうとオリガロッドはぼんやりと想いながら、寝返りを打つ。
「ん? 眠れないのか?」
寝返りを打った先で、暗闇の中ミライアと視線が合った。
「いえ、あの……」
「うん?」
闇の向こうでもじもじと言い辛そうにする気配がする。
「なにか悩みでもあるのか? シグルドにやらしい目で見られたとか」
くくくと声を殺して笑うオリガロッド。しかし、ミライアから返ってきた答えは意外なものだった。
「オリガロッド司令は、シグルド閣下の事を愛しておられますか?」
「ぶふっ!? な、何だいきなり!?」
「あっ!! ももも、申し訳ありません! そういう事ではなく! あ、いえ! そういう事なんですが……」
「……ったく、変な奴だな」
「申し訳ありません……」
はきはきとした声が歯切れ悪く消えていく。
「……あいつの所に居て、色々と思う所があるんだな」
「そんな! とてもよくして頂いています! 一兵卒だった私を秘書官などに取りたてていただいただけではなく、様々な仕事を任せていただいて――」
「そう言う建前はいいんだよ。で、何を抱えてるんだ、そのでっかい胸の中に」
闇の向こうでバッと胸を押さえる気配に微笑みつつ、オリガロッドは問いかける。
「……あの方を見ていると、いつか燃え尽きてしまうんじゃないかと、心配になるんです」
「ふむ、燃え尽きる、なぁ」
「はい……」
ミライアの声は深く沈んでいた。
「なぁ、ミライア」
「はい」
「私はいつかシグルドの地位を奪うのが目標なんだ」
「えっ!?」
「なぁ、どう考えてもおかしいだろ? 私が遠隔地で任務をこなしてる間にも、あいつはずっとパパの傍に居るんだぞ?」
「……えっ?」
「なんであんな木偶の坊がパパの傍で、可憐なオリエ様が前線なんだよ! 絶対おかしい!」
「そ、そうですね……?」
「そう思うだろ?」
真面目に返してくるミライアの反応に、オリガロッドはくすりと微笑み声をやわらげた。
「だから、ミライア。あんたはシグルドの傍でその様子をずっと観察するんだ」
「観察ですか?」
「そうだ。観察してもし異変があれば私やエルゼリオに伝えろ」
「異変……それって」
「小さなことでも見落とすなよ? あいつを陥れる材料にするんだからな」
「それは……ご命令でしょうか」
オリガロッドの言わんとする事をミライアはうすうす気づいている。だからこそ聞かずにはいられなかった。
「そんな無粋なもんじゃない。これはただのお願いだ。あいつを愛する者同士の約束だ」
消え入りそうな声でそう呟いたオリガロッドを、ミライアはじっと見つめる。
「シグルドは任せたぞ……」
そう言ってオリガロッドは話は終わりだという様に寝返りを打った。
「……はい」
闇の中にうっすらと見えるオリガロッドの背中に、ミライアは感謝と共に決意を込めてうなずいたのだった。
●
「オリエ!」
「パパっ!!」
入室してきたハスラムに、オリガロッドは文字通り飛びついた。
「よしよし、いい子に仕事してたか?」
「もちろんだよ! オリエはパパの言いつけをちゃんと守るいい子だもん」
「そうかそうか。それで、シグルドの女ってのはどこにいる?」
「なに? 私の前で別の女の話?」
ぷぅと頬を膨らせ抗議するオリガロッド。
「シグルドの女って言っただろうが。で、どこだ?」
「しりませーん」
「はぁ? 手前ェ隠したら承知しねぇぞ」
ツーンとそっぽを向くオリガロッドを、ハスラムはじっと睨み付けた。
「ごめんね、パパ。知らないものは知らないの。だって、昨日帰ったんだもん」
「……はぁ?!」
オリガロッドの返答に、ハスラムは目を見開く。
「――エルゼリオ」
「うん?」
ハスラムに抱きついたまま、オリガロッドは背後に居たエルゼリオに声をかけた。
「お前もあいつ等をよろしくな」
「え? 何の事?」
「ねぇ、パパ! 近くの街に美味しいケーキだすお店が出来たの! 行きましょ!」
エルゼリオが問い返した時には、既にオリガロッドはハスラムの腕を引き出口に向かう。
「ちょ、ちょっと、オリエ姉!?」
と、エルゼリオが手を伸ばすが、二人は部屋を出て行ってしまった。
「もぉ、いったいなんなんだよ」
「申し訳ありません、私の為に……」
「おわっ!?」
二人が出ていったドアを呆然と見つめていると、背後から突然声をかけられた。
「ミライアさんいたの!?」
「はい、オリガロッド司令が隠れていろと」
「なるほど、そっか、そういう事だったんだね」
全てはオリガロッドが仕組んだこと。そう理解しエルゼリオはうんうんと頷く。
「それでは私はシグルド閣下の元へ戻ります」
「うん、気を付けてね」
「はい。……あの、ハスラム将軍には」
「大丈夫だよ、ボクとオリエ姉でうまくやっておくから」
「ありがとうございます」
そう言って普段は見せない柔らかな笑顔を向けてくるミライア。
「ううん、こちらこそシグルド兄をよろしくお願いします」
そんなミライアに合わせるようにエルゼリオも朗らかに微笑んだのだった。