月下にて
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年02月23日 20時48分27秒
病室の窓から月明かりが差し込んでいる。
黒髪の少年は寝台の上で横になりながら、明日退院してからの行動を頭の中で整理していた。
(効率良く動かないと……)
パンクリアース学園への出発の時が間近に迫って来ている。
思案に耽っていたセロンガード・シュタインドルフだったが、少年は不意にその黒瞳を鋭く変化させた。
十六歳の少年は枕元に置いてある鞘に収められた短剣を掴んだ。ベッドから降り、足音を忍ばせ窓辺へと近づく。
夜の静寂に音を響かせぬよう、窓をそっと押し開き、外へと身を乗り出す。
暗黒の夜空が見えた。
深夜の大気は氷のように澄んでいる。
凍てついた漆黒の中に百億の星々が炎のように煌いていた。
蒼白い巨大な月が夜空から透き通った光を地上へと降り注がせて闇を薄くし、輝ける石の町の白い街並みを紺碧に浮かび上がらせている。
セロンはそのまま身を捻ると、短剣を口に咥えた。窓の上縁を手で掴み、足をかけ棧の上に登る。
そしてさらに腕を使いつつ跳躍するようにして身を引き上げ、屋根の上へと登った。
冷たい風が吹いている。
屋根の上に出ると、少女がすぐ傍に立っていた。
歳の頃は十五歳程度だろうか。
薄く丈の長い寝衣に小柄な身を包んでいる。
真っ直ぐに長い銀色の髪が、深夜の風に吹かれて揺れ、月光を浴び鈍く輝いていた。
一瞬、誰だか解らなかった。
セロンは咥えていた短剣を手に移し、声量を抑えながら囁くように問いかけた。
「……何やってんだいゾフィー」
普段ポニーテールにしている髪を今は真っ直ぐに降ろしている少女――大分印象が変わる――は誤魔化すように笑って頬を掻き、彼女も囁くように小声で返して来る。
「……いやー、パイセンはどうしてるかなーって思って」
「それで覗きに来たのかい」
「だって暇なんだもん」
曰く、安静を言い渡されベッドに縛り付けられていたゾフィーだったが、療養生活で眠り過ぎて夜は全く眠く無くなってしまったらしい。それはセロンも同様だった。
しかし少年は部屋で大人しくしていたが、ゾフィーの方は監視の目が緩んだ夜にこうしてこっそり抜け出してきたようだ。
「その気持ちは解るけどね……でもせめてドアから来なよ」
「それだと見回りの人に見つかっちゃうじゃん」
「だからって療養中の人間が屋根から来るかなぁ……冬の夜風は冷たさが染みるよ。身体の方は大丈夫なのかい」
銀髪の少女はにこっと笑い、
「ありがと。授恵者だから大丈夫。もうすっかり治ってるよ。大袈裟なんだよ皆」
「……ゾフィーって風邪をぶり返しやすいタイプ?」
少し良くなると完全回復を待てずに動き出し悪化させる人間が偶にいる。
セロンの指摘に対し、しかし少女は首を左右にふり。
「いいえ、私はそもそもに風邪をひかないタイプ。なんとかは風邪をひかないっていうけどそうじゃない。賢い人こそが風邪を引かないの。だって賢い人間だったらきちんと自分の体調管理くらいしっかりするもの」
相変わらずの口だった。
「なるほど、一理ある」
セロンは苦笑した。本当に賢い人間が療養中の身で冬の寒空の下、屋根に登ったりするものかどうかは疑問だったが、
「しかし、その賢いゾフィーさんにしちゃ、今回の戦いじゃ随分と無茶をやったじゃないか?」
「あれは……まぁ……」
寝衣姿の銀髪少女は身を捻り顔を逸らした。
月光と紺碧の薄い闇が少女の顔に陰影を生み出してゆく。
「……セロンの方こそ」
少女は囁く声のトーンを少し変えた。
「セロンこそ、あの時どうして来たの? 一人で。とても危険だった筈だよ。あの時は一旦退いての集結信号も空に上がっていた。部隊からの命令に背いたら」
「……うん、あやうく斬られかけた」
上官の光刃の一閃、あれは紛れもなく本気だった。
一刀のみで追撃はしてこなかったが、しかしあの一刀は掛け値なしに本気でセロンを斬ろうとしていた。
「……でも約束したから。僕はゾフィーを助けに行くよって」
誰が見捨てても、自分は見捨てずに助けにいく、と。
人の命なんて二束三文な世の中だとかつて少女は言った。
見捨てた方が後腐れも無いし費用もかからないのだと。
世の中には助けて貰える人間と見捨てられる人間がいて、己は後者の方であると。
けれどその時、セロンは言ったのだ。
――ゾフィーが攫われたら僕は助けにいくよ。
少女が顔をあげた。
潤んだ赤い瞳が少年を見ていた。
「……約束したから……死刑を承知で?」
セロンが助命されたのは結果論でしかない。
あの時点では命令違反をすれば処刑される筈だった。帝国軍の軍律は厳しいものだが、精鋭の諜報部隊は秘匿性が高いだけに、その中でも特に命令違反に対して厳しい。
功績をあげていなければ、クラウス達の働きかけが無ければ、何か一つが足りなければ、本当に処刑されていても何の不思議も無かった。
「うん」
セロンは頷いた。
「信じたものが守られなかったら、悲しいだろ」
だから約束は守る。
誓いは果たす。
それには、命を賭けるだけの価値があった。
「そう……」
ゾフィーは瞳を閉じ、少ししてから再び開いた。
それから銀色の髪の少女は横を向いた。
屋根の上より、眼下に広がる街並みを――月明りに照らされ紺碧に広がる街並みを――見渡しながら言う。
「あの時、私、怖かった」
怖かった、と少女は繰り返した。
「何もかもが」
目の前で、町の人々が脚の腱を切られて放り出され、助けを求めて叫んでいた事。
目の前で、助けを求めて這っている人々が狙撃され、命が失われてゆくという事。
助けに飛び出せば、自分達もまた狙撃されて倒される事。罠に嵌められていた。
命令に背けば死刑だという事。
どうにも救出の成功の目など低そうだという事。
それでも、ルイーザと隊の皆は助けに行こうとした事。
「――怖かった、とても」
隊の皆が案の定、狙撃の雨に晒されて、皆死んでしまいそうになった事。
怖くて、怖くて、仕方が無かった。
「あの時、なんで戻って殿に立ったのか、私は、助ける側の事を考えずにただ助けを求めるだけの人間を、自分の命と引き換えに助けたりはしない――その事が、はっきりと解った」
ゾフィーは淡々と言った。
「本当は私は、あの時、あの町の人達を見捨てたんだ」
戦後、ゾフィーは民間人の救出に功績があったと称賛された。
しかしその心情は部隊からの評価とは異なるものであったらしい。
「だから、私はきっと同じように他人から見捨てられるのも当然の人間だ。それがはっきり解ったよ。けど私は、町の人達を助けにいこうとすれば私達が死ぬってわかっているのに、それでも私達に向かってただ自分達を助けてという町の人達を助けに行きたいとは今でも思わない。私があの時、助けたかったのは、ルイーザさんと隊の皆だ」
ゾフィーは言った。
「自分の事しか考えてない町の人達を私の命を犠牲にしてでも助けたいとは思わなかったけど、そんな町の人達を我が身を顧みず助けようと頑張ってたルイーザさん達の事は、助けたいと思った。だから、私はあの時、自分の命とルイーザさん達を引き換えにするつもりで殿に立ったんだよ、民間人は入ってない、彼等が助かったのは、ついでに過ぎない」
ゾフィーは右手で己の左肩を抱くようにきつく掴んだ。
よく見ると少女の細い肩が震えていた。
「――大丈夫?」
「うん……大丈夫、寒いだけ」
明らかに嘘だったが、セロンは指摘しなかった。
黙って聞く。
「……そう……それで……皆は逃がせた。けどやっぱり、予想通りに私は終わりだった。私一人だったら私は終わりだった。でも終わりって、あっさりとは終わってはくれないんだね。知ってたよ。私はそれを知っていた。殿の運命を。案の定、凄く、怖くて……苦しくて……痛くて……嫌だったんだ……」
夜の風が吹いていた。
斬り裂かれて、刺されて、殴打されて、複数の男から強姦されそうになる事が好きな人間なんてのはまずいない。
「だから……セロン、有難う、助けに来てくれて……本当に……約束、守ってくれて……本当に……有難う……」
当時の記憶が甦っているのか、少女は寝衣に包まれた細い肩の震えを大きくし、呼吸を浅く、荒くしていた。
トラウマにでもなっているのかもしれない。
「……どういたしまして……本当に大丈夫?」
「大丈夫……大丈夫……私だって軍人だもの……これくらい……」
少女はきつく身を抱くようにしながら俯いている。
「……あまり、無理はしないようにね」
セロンが軽く頭をぽんと叩いてやるとゾフィーは「……うん」と素直に頷いた。
空で星々が輝いていた。
●
ずっと屋根の上にいても身体が冷えてしまうだろう、という事で、セロンとゾフィーは窓からセロンの病室へと入り込んだ。
「ここがセロンパイセンのハウスね……!」
「いや僕の家じゃないし。そもそも入院中に借りてるだけだし」
「なんとなく言ってみたかったの」
少し休んだらゾフィーは彼女の言葉の通りまた元気になった。あるいは空元気かもしれないが。まぁその根性があるうちは大丈夫だろう。
「お茶でも出せたら良かったんだけど……」
なんせ深夜でかつ病室である、無理だった。
「お構いなくー」
ゾフィーは遠慮しているような言葉を口では述べつつ、身体は遠慮なくセロンのベッドに腰かけていた。
セロンは呻いた。
「なんでそこに座るんだよ君は……!」
「だってその椅子硬いんだもん。私の病室にも同じのあるから知ってる」
曰く、座り心地が悪い、と。
黒髪の少年は溜息を吐くと室内にある椅子を引いて腰かけた。
「ふてぶてしいなぁ。初詣に誘ってくれた時は可愛げがあったのに」
言うと、銀髪を降ろしている少女は薄闇の中でもわかるほどに顔をはっきりと赤くした。
「あ、あれは……! うぅ、うるさい諸行無常だっ。今の私は既に過去の私では無いのっ。最早あのような失態はおかさないんだよっ」
言って、セロンを睨んで来る。
「失態だったのかい」
少年が笑って黒瞳を向けると、ゾフィーはベッドの上にうつ伏せに倒れてジタバタと身悶えした。
「うぅ……だって、あの時、セロンほんとに意外そうにしてたんだもん」
少女はうつ伏せのまま腕と肩に顔の半ばを沈めつつ、顔を横に向け睨んでくる。
セロンは頬を掻いた。
「だって君は僕の事、嫌ってると思ってたからなぁ」
ゾフィーが不満そうに眉を顰め赤瞳を細めた。
「まぁそう思われてたのは私の身から出た錆びだけどさ……でも、それは最初のうちだけだよ……それも逆恨みみたいなもので、セロンは悪くないって頭じゃわかってたし……」
「……やっぱりキャシーの事で?」
「……うん」
ゾフィーは頷いた。
「でもセロン、カサンドラ様を助けてくれたもの」
少女は柔らかく微笑を浮かべた。
「だから、私がセロンを嫌う理由なんてあの時にはもう無かったんだよ。こんな私にも面倒見良いし、命の恩人でもあったし……」
それからはたと気づいたように、
「あ、そういえばセロンに命を助けて貰ったのってこれで二回目だよね。貴方には大きな借りが出来てしまった……有難うセロン、この借りは、私……私……」
少女はぐっと拳を握り、セロンの瞳を真っ直ぐに澄んだ瞳で見据え、ハッキリと言い放った。
「全力で踏み倒すね……!」
「ああすがすがしいまでにふてぶてしい……!」
セロンは慄いた。冗談で言ってそうな調子だが、しかし侮れない、本気の本気かもしれない。
ゾフィーはへらっと笑うと、
「だって借りとか貸しとか水臭いじゃん?」
セロンは横目で少女を睨んだ。
「別に恩に着ろとは言わないけど、助けられた側がそれを言うかなぁ?」
「私は良い子ちゃんじゃないものー、カサンドラ様とかとは違うよん」
「自由だなぁ」
「でも感謝はしてるよ、ホント、いやホントに」
「左様ですか」
カサンドラは忠犬っぽい気質があるが、ゾフィーは猫っぽい。お猫様だ。気まぐれである。
やれやれである。
「パンクリアース学園への潜入任務は平穏無事に終わると良いなー」
少女は気楽な調子でそんな事を言う。
しかしセロンもそこまでハードな任務になるとは考えていなかった、この時点では。
「まぁ形骸化してるって話だったし、それが確かなら戦よりは危険はないと思うよ」
「だよねー、しっかり勉強してこよっと、わりと楽しみ」
少女が愉しそうに笑った。
二人は眠くなるまで語り明かしたのだった。
黒髪の少年は寝台の上で横になりながら、明日退院してからの行動を頭の中で整理していた。
(効率良く動かないと……)
パンクリアース学園への出発の時が間近に迫って来ている。
思案に耽っていたセロンガード・シュタインドルフだったが、少年は不意にその黒瞳を鋭く変化させた。
十六歳の少年は枕元に置いてある鞘に収められた短剣を掴んだ。ベッドから降り、足音を忍ばせ窓辺へと近づく。
夜の静寂に音を響かせぬよう、窓をそっと押し開き、外へと身を乗り出す。
暗黒の夜空が見えた。
深夜の大気は氷のように澄んでいる。
凍てついた漆黒の中に百億の星々が炎のように煌いていた。
蒼白い巨大な月が夜空から透き通った光を地上へと降り注がせて闇を薄くし、輝ける石の町の白い街並みを紺碧に浮かび上がらせている。
セロンはそのまま身を捻ると、短剣を口に咥えた。窓の上縁を手で掴み、足をかけ棧の上に登る。
そしてさらに腕を使いつつ跳躍するようにして身を引き上げ、屋根の上へと登った。
冷たい風が吹いている。
屋根の上に出ると、少女がすぐ傍に立っていた。
歳の頃は十五歳程度だろうか。
薄く丈の長い寝衣に小柄な身を包んでいる。
真っ直ぐに長い銀色の髪が、深夜の風に吹かれて揺れ、月光を浴び鈍く輝いていた。
一瞬、誰だか解らなかった。
セロンは咥えていた短剣を手に移し、声量を抑えながら囁くように問いかけた。
「……何やってんだいゾフィー」
普段ポニーテールにしている髪を今は真っ直ぐに降ろしている少女――大分印象が変わる――は誤魔化すように笑って頬を掻き、彼女も囁くように小声で返して来る。
「……いやー、パイセンはどうしてるかなーって思って」
「それで覗きに来たのかい」
「だって暇なんだもん」
曰く、安静を言い渡されベッドに縛り付けられていたゾフィーだったが、療養生活で眠り過ぎて夜は全く眠く無くなってしまったらしい。それはセロンも同様だった。
しかし少年は部屋で大人しくしていたが、ゾフィーの方は監視の目が緩んだ夜にこうしてこっそり抜け出してきたようだ。
「その気持ちは解るけどね……でもせめてドアから来なよ」
「それだと見回りの人に見つかっちゃうじゃん」
「だからって療養中の人間が屋根から来るかなぁ……冬の夜風は冷たさが染みるよ。身体の方は大丈夫なのかい」
銀髪の少女はにこっと笑い、
「ありがと。授恵者だから大丈夫。もうすっかり治ってるよ。大袈裟なんだよ皆」
「……ゾフィーって風邪をぶり返しやすいタイプ?」
少し良くなると完全回復を待てずに動き出し悪化させる人間が偶にいる。
セロンの指摘に対し、しかし少女は首を左右にふり。
「いいえ、私はそもそもに風邪をひかないタイプ。なんとかは風邪をひかないっていうけどそうじゃない。賢い人こそが風邪を引かないの。だって賢い人間だったらきちんと自分の体調管理くらいしっかりするもの」
相変わらずの口だった。
「なるほど、一理ある」
セロンは苦笑した。本当に賢い人間が療養中の身で冬の寒空の下、屋根に登ったりするものかどうかは疑問だったが、
「しかし、その賢いゾフィーさんにしちゃ、今回の戦いじゃ随分と無茶をやったじゃないか?」
「あれは……まぁ……」
寝衣姿の銀髪少女は身を捻り顔を逸らした。
月光と紺碧の薄い闇が少女の顔に陰影を生み出してゆく。
「……セロンの方こそ」
少女は囁く声のトーンを少し変えた。
「セロンこそ、あの時どうして来たの? 一人で。とても危険だった筈だよ。あの時は一旦退いての集結信号も空に上がっていた。部隊からの命令に背いたら」
「……うん、あやうく斬られかけた」
上官の光刃の一閃、あれは紛れもなく本気だった。
一刀のみで追撃はしてこなかったが、しかしあの一刀は掛け値なしに本気でセロンを斬ろうとしていた。
「……でも約束したから。僕はゾフィーを助けに行くよって」
誰が見捨てても、自分は見捨てずに助けにいく、と。
人の命なんて二束三文な世の中だとかつて少女は言った。
見捨てた方が後腐れも無いし費用もかからないのだと。
世の中には助けて貰える人間と見捨てられる人間がいて、己は後者の方であると。
けれどその時、セロンは言ったのだ。
――ゾフィーが攫われたら僕は助けにいくよ。
少女が顔をあげた。
潤んだ赤い瞳が少年を見ていた。
「……約束したから……死刑を承知で?」
セロンが助命されたのは結果論でしかない。
あの時点では命令違反をすれば処刑される筈だった。帝国軍の軍律は厳しいものだが、精鋭の諜報部隊は秘匿性が高いだけに、その中でも特に命令違反に対して厳しい。
功績をあげていなければ、クラウス達の働きかけが無ければ、何か一つが足りなければ、本当に処刑されていても何の不思議も無かった。
「うん」
セロンは頷いた。
「信じたものが守られなかったら、悲しいだろ」
だから約束は守る。
誓いは果たす。
それには、命を賭けるだけの価値があった。
「そう……」
ゾフィーは瞳を閉じ、少ししてから再び開いた。
それから銀色の髪の少女は横を向いた。
屋根の上より、眼下に広がる街並みを――月明りに照らされ紺碧に広がる街並みを――見渡しながら言う。
「あの時、私、怖かった」
怖かった、と少女は繰り返した。
「何もかもが」
目の前で、町の人々が脚の腱を切られて放り出され、助けを求めて叫んでいた事。
目の前で、助けを求めて這っている人々が狙撃され、命が失われてゆくという事。
助けに飛び出せば、自分達もまた狙撃されて倒される事。罠に嵌められていた。
命令に背けば死刑だという事。
どうにも救出の成功の目など低そうだという事。
それでも、ルイーザと隊の皆は助けに行こうとした事。
「――怖かった、とても」
隊の皆が案の定、狙撃の雨に晒されて、皆死んでしまいそうになった事。
怖くて、怖くて、仕方が無かった。
「あの時、なんで戻って殿に立ったのか、私は、助ける側の事を考えずにただ助けを求めるだけの人間を、自分の命と引き換えに助けたりはしない――その事が、はっきりと解った」
ゾフィーは淡々と言った。
「本当は私は、あの時、あの町の人達を見捨てたんだ」
戦後、ゾフィーは民間人の救出に功績があったと称賛された。
しかしその心情は部隊からの評価とは異なるものであったらしい。
「だから、私はきっと同じように他人から見捨てられるのも当然の人間だ。それがはっきり解ったよ。けど私は、町の人達を助けにいこうとすれば私達が死ぬってわかっているのに、それでも私達に向かってただ自分達を助けてという町の人達を助けに行きたいとは今でも思わない。私があの時、助けたかったのは、ルイーザさんと隊の皆だ」
ゾフィーは言った。
「自分の事しか考えてない町の人達を私の命を犠牲にしてでも助けたいとは思わなかったけど、そんな町の人達を我が身を顧みず助けようと頑張ってたルイーザさん達の事は、助けたいと思った。だから、私はあの時、自分の命とルイーザさん達を引き換えにするつもりで殿に立ったんだよ、民間人は入ってない、彼等が助かったのは、ついでに過ぎない」
ゾフィーは右手で己の左肩を抱くようにきつく掴んだ。
よく見ると少女の細い肩が震えていた。
「――大丈夫?」
「うん……大丈夫、寒いだけ」
明らかに嘘だったが、セロンは指摘しなかった。
黙って聞く。
「……そう……それで……皆は逃がせた。けどやっぱり、予想通りに私は終わりだった。私一人だったら私は終わりだった。でも終わりって、あっさりとは終わってはくれないんだね。知ってたよ。私はそれを知っていた。殿の運命を。案の定、凄く、怖くて……苦しくて……痛くて……嫌だったんだ……」
夜の風が吹いていた。
斬り裂かれて、刺されて、殴打されて、複数の男から強姦されそうになる事が好きな人間なんてのはまずいない。
「だから……セロン、有難う、助けに来てくれて……本当に……約束、守ってくれて……本当に……有難う……」
当時の記憶が甦っているのか、少女は寝衣に包まれた細い肩の震えを大きくし、呼吸を浅く、荒くしていた。
トラウマにでもなっているのかもしれない。
「……どういたしまして……本当に大丈夫?」
「大丈夫……大丈夫……私だって軍人だもの……これくらい……」
少女はきつく身を抱くようにしながら俯いている。
「……あまり、無理はしないようにね」
セロンが軽く頭をぽんと叩いてやるとゾフィーは「……うん」と素直に頷いた。
空で星々が輝いていた。
●
ずっと屋根の上にいても身体が冷えてしまうだろう、という事で、セロンとゾフィーは窓からセロンの病室へと入り込んだ。
「ここがセロンパイセンのハウスね……!」
「いや僕の家じゃないし。そもそも入院中に借りてるだけだし」
「なんとなく言ってみたかったの」
少し休んだらゾフィーは彼女の言葉の通りまた元気になった。あるいは空元気かもしれないが。まぁその根性があるうちは大丈夫だろう。
「お茶でも出せたら良かったんだけど……」
なんせ深夜でかつ病室である、無理だった。
「お構いなくー」
ゾフィーは遠慮しているような言葉を口では述べつつ、身体は遠慮なくセロンのベッドに腰かけていた。
セロンは呻いた。
「なんでそこに座るんだよ君は……!」
「だってその椅子硬いんだもん。私の病室にも同じのあるから知ってる」
曰く、座り心地が悪い、と。
黒髪の少年は溜息を吐くと室内にある椅子を引いて腰かけた。
「ふてぶてしいなぁ。初詣に誘ってくれた時は可愛げがあったのに」
言うと、銀髪を降ろしている少女は薄闇の中でもわかるほどに顔をはっきりと赤くした。
「あ、あれは……! うぅ、うるさい諸行無常だっ。今の私は既に過去の私では無いのっ。最早あのような失態はおかさないんだよっ」
言って、セロンを睨んで来る。
「失態だったのかい」
少年が笑って黒瞳を向けると、ゾフィーはベッドの上にうつ伏せに倒れてジタバタと身悶えした。
「うぅ……だって、あの時、セロンほんとに意外そうにしてたんだもん」
少女はうつ伏せのまま腕と肩に顔の半ばを沈めつつ、顔を横に向け睨んでくる。
セロンは頬を掻いた。
「だって君は僕の事、嫌ってると思ってたからなぁ」
ゾフィーが不満そうに眉を顰め赤瞳を細めた。
「まぁそう思われてたのは私の身から出た錆びだけどさ……でも、それは最初のうちだけだよ……それも逆恨みみたいなもので、セロンは悪くないって頭じゃわかってたし……」
「……やっぱりキャシーの事で?」
「……うん」
ゾフィーは頷いた。
「でもセロン、カサンドラ様を助けてくれたもの」
少女は柔らかく微笑を浮かべた。
「だから、私がセロンを嫌う理由なんてあの時にはもう無かったんだよ。こんな私にも面倒見良いし、命の恩人でもあったし……」
それからはたと気づいたように、
「あ、そういえばセロンに命を助けて貰ったのってこれで二回目だよね。貴方には大きな借りが出来てしまった……有難うセロン、この借りは、私……私……」
少女はぐっと拳を握り、セロンの瞳を真っ直ぐに澄んだ瞳で見据え、ハッキリと言い放った。
「全力で踏み倒すね……!」
「ああすがすがしいまでにふてぶてしい……!」
セロンは慄いた。冗談で言ってそうな調子だが、しかし侮れない、本気の本気かもしれない。
ゾフィーはへらっと笑うと、
「だって借りとか貸しとか水臭いじゃん?」
セロンは横目で少女を睨んだ。
「別に恩に着ろとは言わないけど、助けられた側がそれを言うかなぁ?」
「私は良い子ちゃんじゃないものー、カサンドラ様とかとは違うよん」
「自由だなぁ」
「でも感謝はしてるよ、ホント、いやホントに」
「左様ですか」
カサンドラは忠犬っぽい気質があるが、ゾフィーは猫っぽい。お猫様だ。気まぐれである。
やれやれである。
「パンクリアース学園への潜入任務は平穏無事に終わると良いなー」
少女は気楽な調子でそんな事を言う。
しかしセロンもそこまでハードな任務になるとは考えていなかった、この時点では。
「まぁ形骸化してるって話だったし、それが確かなら戦よりは危険はないと思うよ」
「だよねー、しっかり勉強してこよっと、わりと楽しみ」
少女が愉しそうに笑った。
二人は眠くなるまで語り明かしたのだった。