其れは月映えに灼きついた
四ノ月血戦 イベントノベル(テーマ)牡丹の氏族制作 夏八木ヒロ納品 2025年04月26日 01時25分55秒
“夜に外を出歩いてはいけないよ。怖い吸血鬼が出るから。”
月明かりの下でナハシュを見た時、幼いヨルムンレークは家人に口酸っぱく聞かされていたその注意を思い出していた。そこで足を止めなかったのは好奇心のせいだろうか。それとも、もっと別の何かだった?
「お前は悪い奴だな。危ないから外に出たら駄目だって、大人達に言われてんだろ?」
牡丹の氏族らしい武人然とした服装をひらめかせ、吸血鬼は言った。満月によく似た金色の目が少しだけ細くなる様から、ヨルムンレークは一切目を離すことができなかった。ただ、逃げ出そうという気にはならなかった。
ナハシュはそこで、急に声をたてて笑い始める。
「背中見せたら殺そうと思ったのによぉ! 仕方ねえ、ついてきな」
どこから取り憑かれていたのだろうか? そう自問自答する時、彼はいつもこの邂逅を思い出す。始めからだ。きっと最初からずっと、自分はこの吸血鬼に心を奪られていたのだろう。
●
そこから始まったヨルムンレークとナハシュの生活は、想像よりずっと穏やかなものだった。
ナハシュの住処は森奥のあばら屋だった。元々あったものを拝借した仮住まいで、元の家主のことをナハシュはもう覚えていない。
朝はナハシュがいれば一緒に食事をして、簡単な家事をする。そうしてナハシュの気の向いた時には、剣の修行をするのが決まりごとだった。ヨルムンレークは剣があまり得意ではなかったが、ナハシュが尽きっきりで教えてくれて、上手くいけば褒めて貰えるその時間は嫌いではなかった。
「ヨルも、“卒業試験”に合格できるくらいにならねえとな」
それがナハシュの口癖だった。何からの卒業なのか、何のための試験なのかはわからなかった。
「どうして俺をここに連れてきたの?」
ある時、ヨルムンレークはそうナハシュに聞いた。するとナハシュは少しだけ考えるように宙を見上げ、しばらくしてから「退屈だったから」と返した。
「しばらくは何も考えずに遊んでたんだけどな。それはそれで飽きるんだ。だから、たまにはこういう趣向もいいかもなって」
「つまり、遊び相手が欲しかったってこと?」
「まあな、そんな感じ」
その言葉がやけに嬉しかったのを、ヨルムンレークは今も鮮やかに覚えている。十歳の少年から家に帰りたい気持ちはすでに消えてしまっていたのだ。ただこの日々が、ずっと続けば良いと思っていた。
●
穏やかで楽しい日々は、月のない夜に唐突に終わる。
いつも通りにベッドで寝ていたところを、ヨルムンレークは急に何者かに襲われた。殺気に気付きギリギリで目を覚まして凶刃を躱す。こういう時にすぐに目を覚まして戦う方法も、ナハシュに教えて貰っていたから。
ベッドの端に隠した剣を手にすると、躊躇いなく相手の心臓の辺りを貫いた。相手が人間であれば首か心臓を狙うのが手っ取り早い。
ぬるい返り血が頬にかかる。鼻につく生臭い匂いがこの状況の異常さを知らしめてくる。
その時、扉を叩く激しい音が耳朶に届いた。そういえば外がずいぶんと騒がしい。
(卒業試験だ!)
その時、ヨルムンレークはなぜかそう閃いた。きっと死なないように殺すことが試験なのだ。そう思うとカタカタと手が震えた。
でもこれが卒業試験であるなら、ナハシュだってどこかで見ているはずだ。だったらやることは一つだけだ。
ヨルムンレークは殺した。同い年くらいの少年を、大柄な姿の大人の男を、金切り声を上げて逃げようとした女性を、ナハシュにそっくりな姿の動く人形を、とにかく殺して、殺して、殺した。
人を殺すのは初めてだったが、恐ろしいほど上手くいった。ナハシュに習った剣技は人を殺すことに特化していたのだと、この時初めて理解した。全てこの日のためだったのだ。
気まぐれに頭を撫でてくれる時のくすぐったさを思い出しながら、剣を振り下ろすヨルムンレークは笑っていた。
やがて、周囲は静かになった。大量の血を吸った服が重い。それでも、ヨルムンレークの心は恍惚に満ちていた。
「へへ……やった。これでいっぱい褒めてくれる、かなぁ」
夜が明けて空が白み始めた頃。遠く、知らない人の声がした。ガヤガヤと煩い。行方不明の子供がどうとか、吸血鬼の殺人狂がどうとか、ああ、いったい何の話をしている?
ナハシュは帰ってこなかった。
●
「あははははは! 面白えなあ」
高い木の上から一部始終を見ていたナハシュは、足をぶらぶらさせながら大きな声で笑う。
正直、生き残るとは思ってなかった。あの大人しい子供が全員ぶち殺すなんて想像すらしていなかった。他の弟子の育成に手を抜いたわけではないし、自分の分身も分身なりにちゃんと動いていたはずだ。
生き残ったにしろ最後は殺しておくつもりだったが、気が変わった。
「面白かったから生かしてやるかぁ! 運が良かったらまた会おうぜ、ヨル君」
その気まぐれが少年に及ぼす影響など、知る由もなく。
月明かりの下でナハシュを見た時、幼いヨルムンレークは家人に口酸っぱく聞かされていたその注意を思い出していた。そこで足を止めなかったのは好奇心のせいだろうか。それとも、もっと別の何かだった?
「お前は悪い奴だな。危ないから外に出たら駄目だって、大人達に言われてんだろ?」
牡丹の氏族らしい武人然とした服装をひらめかせ、吸血鬼は言った。満月によく似た金色の目が少しだけ細くなる様から、ヨルムンレークは一切目を離すことができなかった。ただ、逃げ出そうという気にはならなかった。
ナハシュはそこで、急に声をたてて笑い始める。
「背中見せたら殺そうと思ったのによぉ! 仕方ねえ、ついてきな」
どこから取り憑かれていたのだろうか? そう自問自答する時、彼はいつもこの邂逅を思い出す。始めからだ。きっと最初からずっと、自分はこの吸血鬼に心を奪られていたのだろう。
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そこから始まったヨルムンレークとナハシュの生活は、想像よりずっと穏やかなものだった。
ナハシュの住処は森奥のあばら屋だった。元々あったものを拝借した仮住まいで、元の家主のことをナハシュはもう覚えていない。
朝はナハシュがいれば一緒に食事をして、簡単な家事をする。そうしてナハシュの気の向いた時には、剣の修行をするのが決まりごとだった。ヨルムンレークは剣があまり得意ではなかったが、ナハシュが尽きっきりで教えてくれて、上手くいけば褒めて貰えるその時間は嫌いではなかった。
「ヨルも、“卒業試験”に合格できるくらいにならねえとな」
それがナハシュの口癖だった。何からの卒業なのか、何のための試験なのかはわからなかった。
「どうして俺をここに連れてきたの?」
ある時、ヨルムンレークはそうナハシュに聞いた。するとナハシュは少しだけ考えるように宙を見上げ、しばらくしてから「退屈だったから」と返した。
「しばらくは何も考えずに遊んでたんだけどな。それはそれで飽きるんだ。だから、たまにはこういう趣向もいいかもなって」
「つまり、遊び相手が欲しかったってこと?」
「まあな、そんな感じ」
その言葉がやけに嬉しかったのを、ヨルムンレークは今も鮮やかに覚えている。十歳の少年から家に帰りたい気持ちはすでに消えてしまっていたのだ。ただこの日々が、ずっと続けば良いと思っていた。
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穏やかで楽しい日々は、月のない夜に唐突に終わる。
いつも通りにベッドで寝ていたところを、ヨルムンレークは急に何者かに襲われた。殺気に気付きギリギリで目を覚まして凶刃を躱す。こういう時にすぐに目を覚まして戦う方法も、ナハシュに教えて貰っていたから。
ベッドの端に隠した剣を手にすると、躊躇いなく相手の心臓の辺りを貫いた。相手が人間であれば首か心臓を狙うのが手っ取り早い。
ぬるい返り血が頬にかかる。鼻につく生臭い匂いがこの状況の異常さを知らしめてくる。
その時、扉を叩く激しい音が耳朶に届いた。そういえば外がずいぶんと騒がしい。
(卒業試験だ!)
その時、ヨルムンレークはなぜかそう閃いた。きっと死なないように殺すことが試験なのだ。そう思うとカタカタと手が震えた。
でもこれが卒業試験であるなら、ナハシュだってどこかで見ているはずだ。だったらやることは一つだけだ。
ヨルムンレークは殺した。同い年くらいの少年を、大柄な姿の大人の男を、金切り声を上げて逃げようとした女性を、ナハシュにそっくりな姿の動く人形を、とにかく殺して、殺して、殺した。
人を殺すのは初めてだったが、恐ろしいほど上手くいった。ナハシュに習った剣技は人を殺すことに特化していたのだと、この時初めて理解した。全てこの日のためだったのだ。
気まぐれに頭を撫でてくれる時のくすぐったさを思い出しながら、剣を振り下ろすヨルムンレークは笑っていた。
やがて、周囲は静かになった。大量の血を吸った服が重い。それでも、ヨルムンレークの心は恍惚に満ちていた。
「へへ……やった。これでいっぱい褒めてくれる、かなぁ」
夜が明けて空が白み始めた頃。遠く、知らない人の声がした。ガヤガヤと煩い。行方不明の子供がどうとか、吸血鬼の殺人狂がどうとか、ああ、いったい何の話をしている?
ナハシュは帰ってこなかった。
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「あははははは! 面白えなあ」
高い木の上から一部始終を見ていたナハシュは、足をぶらぶらさせながら大きな声で笑う。
正直、生き残るとは思ってなかった。あの大人しい子供が全員ぶち殺すなんて想像すらしていなかった。他の弟子の育成に手を抜いたわけではないし、自分の分身も分身なりにちゃんと動いていたはずだ。
生き残ったにしろ最後は殺しておくつもりだったが、気が変わった。
「面白かったから生かしてやるかぁ! 運が良かったらまた会おうぜ、ヨル君」
その気まぐれが少年に及ぼす影響など、知る由もなく。