六つの声、ひとつの想い
キャラクターノベル(グループ)制作 桂木京介納品 2025年02月03日 07時41分01秒
早春の風が、ケレス侯爵家の庭園を優しく撫でていた。
スイセンは金色に輝き、クロッカスの紫が土を彩る。アネモネは白い腕を広げ、ヒナギクは頬を染めたように紅をおびた。沈丁花の甘い香りが、風に溶け屋敷の窓辺へと舞いこむ。
窓から差しこむ午後の光が、侯爵夫人ローザリカ・D・ケレスの赤い髪を照らしていた。
ローザリカの目前の卓には、オーブ商会から届けられた製品見本が積み上げられている。既製服ブランド『黎明の宝珠』の新作候補だった。ローザリカはひとつひとつ、素材、織り方、縫い目の仕上がりにいたるまで厳しい目で観察し、くりかえし手ざわりをたしかめ、陽に透かして厚みをチェックする。
すでにこの時代、衣服、とりわけ貴族や富裕層の装いは、実用性よりも外観にかたむきつつあった。提案サンプルのなかにも、どうしても見た目ばかりが豪奢なものが混じってくる。だがローザリカは、一時の華美よりも、使いこむほどに愛着のわくような質実な素材を好んだ。一点ものではなく、共通の型をもつ大量生産品となるのだ。目先の利益にとらわれ、無意味な消耗品を生むことは避けたい。
サンプルを選び終えると、ローザリカは子どもたちに目を向けた。
広い部屋の中央では三人の子どもが遊んでいる。
二男一女。ローザリカが夫、最愛のジュスト・V・ケレスとのあいだに成した宝物。いずれも戦乱の世を知らぬ世代となる。
帝都解放から、すでに十一年が過ぎていた。
かつての動乱の日々は、いまなお人々の胸に燻る記憶として残る。大陸のあちこちには戦の痕跡が見られ、語り継ぐ者の言葉には重みがあった。けれど新しく生まれた子どもたちにとって、それは遠い昔の物語である。彼らは戦禍を知らぬ時代に生き、教訓だけを受け継ぐことだろう。過去は風化する――だがその残響は、未来を生きる者たちの礎となるのだ。
長男のスフェーンは十歳、父譲りの髪色は、やわらかな赤みがかったブラウンで、前髪に白いメッシュが入っているのが特徴的だ。兵士や魔法使いの人形をならべ、巨大な怪物に見立てたぬいぐるみを包囲させている。
しかしスフェーンの語りにおいて、これは単純な『怪物討伐物語』ではないようだ。
「われわれは、流血を望むものではない」
羽根飾りつきの騎士人形を手にして、スフェーンは熱弁をふるっていた。妹に『おにんぎょうあそび』を提案され、彼なりに一生懸命演じているようである。
「怪物、貴殿がでたらめに領内を荒らすのをやめるのであれば、われわれも軍勢を引き上げるであろう」
ぽよんと丸っこい竜が『怪物』役なので、ローザリカは吹き出しそうになってしまうのだが、スフェーンの口調はいたって大真面目だ。単純化しているとはいえ、和平交渉を行っているのである。父侯爵から学んだのだろうか。
だが四歳の長女フレーゼリカには、この展開はお気に召さないらしい。
「だめー! たたかうのー!」
フレーゼリカは断固主張する。
「いやしかし武力の行使は、あくまで最終手段にするべきだよ。いたずらな暴力は紛争解決の手段として……」
言いかけたスフェーンは、妹の頬がぷくっと膨らんだのを見てたじろいだ。
「これは……まずいな」
フレーゼリカが拗ねると手がつけられない。スフェーンは身をもってその事実を知っているのだ。
四歳児は、母親そっくりの炎のような赤毛を振った。
「やっつけないと、おひめさま、こわいってないちゃうの! かわいそうだよ!」
フレーゼリカは姫(ぬいぐるみの横に置かれている人形)に感情移入しているようだ。ゆえに早急な救出を求めているらしい。
この空気を変えたのは、
「いいこと考えた!」
するりと入ってきた八歳の次男マラカイトだった。赤毛に白いメッシュの前髪をゆらし、お姫様の人形をひょいと手に取った。
「じゃあさ、お姫さまが怪物さんに、すてきな言葉をかけてあげるのはどうかな? きっと心がぽかぽかするよ。たたかわなくてすむかも」
「え?」
マラカイトはお姫様人形をぬいぐるみに近づけ、優しく言う。
「かいぶつさん、ごめんね。こわかったの?」
「……!」
フレーゼリカの目が輝く。
「わかった! かいぶつさんに、いちばんステキなまほうのことば かけてあげるの!」
そう宣言するとフレーゼリカは、マラカイトから受け取ったお姫様を誇らしげにかかげたのだ。
かくして物語は新たな展開を迎えた。和気あいあいと歌がはじまり、最後はすべての人形が子どもたちの手で踊りだすという大団円にいたったのだった。
なんと素晴らしい子どもたちだろう。
ローザリカはしみじみと思った。
俊才スフェーンは、すでに自分が侯爵の継嗣たる運命を受け入れている。
マラカイトは一見、調子がいいようだが、場を和ませる才がある。
フレーゼリカはまだまだ可愛いさかりだけれど、立派なレディーに育つにちがいない。
さらに、お腹にはまた新たな命も――。
「どうしておとうさまは、こんなときにもかえってこないの?」
ローザリカは急に我に返った。不満げな声を漏らしたのはフレーゼリカだ。その表情には幼いながらも毅然とした意志が宿っている。ここ数日ジュストは財務官僚として多忙にしており、不在がちなのだった。
「こら、あまり悪く言われると泣いてしまうよ」
ローザリカがたしなめると、今度はマラカイトが茶化すように言った。
「えー! どっちがー?」
「ふふ、どちらかな。お母様もお父様が大好きだからね、悲しくなってしまうかも」
スフェーンは辛抱強い子だ。やりとりには口を挟まず、ただ苦笑を浮かべている。
「忘れないで」席を立つと、ローザリカは三人の肩を抱きよせた。「お父様はいつだって、僕や君たちを守ってくれている騎士様なんだ」
ローザリカが腰を下ろすと、ぴったりとフレーゼリカが寄りそった。母親のふっくらとしたお腹をなでながら言う。
「あかちゃん、げんきにしてる?」
「うん。だから元気に産まれてくるよ」
「名前は考えてる?」
スフェーンがたずねてきた。
「名前は、そうだね……」
ローザリカの顔に子どもたちの視線が集まる。
「スフェーンとマラカイトは宝石、フレーゼリカは苺が由来になるから……弟だったらペリドット。妹だったら桃のペシュリカかな?」
「ペリドットに」
「ペシュリカ!」
マラカイトとフレーゼリカが声を上げた。
「どちらだって僕らの可愛い弟妹になるね」
スフェーンの言葉は、ローザリカの心をそのまま映したようだった。
「待ち遠しいな」
ローザリカはそっとつぶやく。
お腹の中の子を抱く日も、そして、夫の帰宅も。
そのとき馬車の車輪が石畳をこする音が響いた。まるで「お待たせ」とでも言うかのように。
「お父様だ!」
子どもたちは小さな風のように窓辺へと駆けていった。
青緑色の馬車がなめらかに停まり、扉が開く。
ジュストが降り立ち、軽く息をついて窓のこちらを見上げた。
長い一日を過ごしたはずの彼の顔に、安堵と微笑みが浮かんでいた。
「お帰りなさい!」
四人の声がひとつに溶ける。
そしてローザリカは感じた。お腹の奥で、小さな動きがあったことを。
きっとこの子も、一緒に声を重ねていたのだろう。
お腹に手を当てる。
だから彼を迎える声は五つ、とローザリカは思ったのだが実は六つなのだ。
ローザリカはまだ知らない。この幸せな日々を、よりにぎやかにするであろう命が双つ、自身の中に育っていることを。
スイセンは金色に輝き、クロッカスの紫が土を彩る。アネモネは白い腕を広げ、ヒナギクは頬を染めたように紅をおびた。沈丁花の甘い香りが、風に溶け屋敷の窓辺へと舞いこむ。
窓から差しこむ午後の光が、侯爵夫人ローザリカ・D・ケレスの赤い髪を照らしていた。
ローザリカの目前の卓には、オーブ商会から届けられた製品見本が積み上げられている。既製服ブランド『黎明の宝珠』の新作候補だった。ローザリカはひとつひとつ、素材、織り方、縫い目の仕上がりにいたるまで厳しい目で観察し、くりかえし手ざわりをたしかめ、陽に透かして厚みをチェックする。
すでにこの時代、衣服、とりわけ貴族や富裕層の装いは、実用性よりも外観にかたむきつつあった。提案サンプルのなかにも、どうしても見た目ばかりが豪奢なものが混じってくる。だがローザリカは、一時の華美よりも、使いこむほどに愛着のわくような質実な素材を好んだ。一点ものではなく、共通の型をもつ大量生産品となるのだ。目先の利益にとらわれ、無意味な消耗品を生むことは避けたい。
サンプルを選び終えると、ローザリカは子どもたちに目を向けた。
広い部屋の中央では三人の子どもが遊んでいる。
二男一女。ローザリカが夫、最愛のジュスト・V・ケレスとのあいだに成した宝物。いずれも戦乱の世を知らぬ世代となる。
帝都解放から、すでに十一年が過ぎていた。
かつての動乱の日々は、いまなお人々の胸に燻る記憶として残る。大陸のあちこちには戦の痕跡が見られ、語り継ぐ者の言葉には重みがあった。けれど新しく生まれた子どもたちにとって、それは遠い昔の物語である。彼らは戦禍を知らぬ時代に生き、教訓だけを受け継ぐことだろう。過去は風化する――だがその残響は、未来を生きる者たちの礎となるのだ。
長男のスフェーンは十歳、父譲りの髪色は、やわらかな赤みがかったブラウンで、前髪に白いメッシュが入っているのが特徴的だ。兵士や魔法使いの人形をならべ、巨大な怪物に見立てたぬいぐるみを包囲させている。
しかしスフェーンの語りにおいて、これは単純な『怪物討伐物語』ではないようだ。
「われわれは、流血を望むものではない」
羽根飾りつきの騎士人形を手にして、スフェーンは熱弁をふるっていた。妹に『おにんぎょうあそび』を提案され、彼なりに一生懸命演じているようである。
「怪物、貴殿がでたらめに領内を荒らすのをやめるのであれば、われわれも軍勢を引き上げるであろう」
ぽよんと丸っこい竜が『怪物』役なので、ローザリカは吹き出しそうになってしまうのだが、スフェーンの口調はいたって大真面目だ。単純化しているとはいえ、和平交渉を行っているのである。父侯爵から学んだのだろうか。
だが四歳の長女フレーゼリカには、この展開はお気に召さないらしい。
「だめー! たたかうのー!」
フレーゼリカは断固主張する。
「いやしかし武力の行使は、あくまで最終手段にするべきだよ。いたずらな暴力は紛争解決の手段として……」
言いかけたスフェーンは、妹の頬がぷくっと膨らんだのを見てたじろいだ。
「これは……まずいな」
フレーゼリカが拗ねると手がつけられない。スフェーンは身をもってその事実を知っているのだ。
四歳児は、母親そっくりの炎のような赤毛を振った。
「やっつけないと、おひめさま、こわいってないちゃうの! かわいそうだよ!」
フレーゼリカは姫(ぬいぐるみの横に置かれている人形)に感情移入しているようだ。ゆえに早急な救出を求めているらしい。
この空気を変えたのは、
「いいこと考えた!」
するりと入ってきた八歳の次男マラカイトだった。赤毛に白いメッシュの前髪をゆらし、お姫様の人形をひょいと手に取った。
「じゃあさ、お姫さまが怪物さんに、すてきな言葉をかけてあげるのはどうかな? きっと心がぽかぽかするよ。たたかわなくてすむかも」
「え?」
マラカイトはお姫様人形をぬいぐるみに近づけ、優しく言う。
「かいぶつさん、ごめんね。こわかったの?」
「……!」
フレーゼリカの目が輝く。
「わかった! かいぶつさんに、いちばんステキなまほうのことば かけてあげるの!」
そう宣言するとフレーゼリカは、マラカイトから受け取ったお姫様を誇らしげにかかげたのだ。
かくして物語は新たな展開を迎えた。和気あいあいと歌がはじまり、最後はすべての人形が子どもたちの手で踊りだすという大団円にいたったのだった。
なんと素晴らしい子どもたちだろう。
ローザリカはしみじみと思った。
俊才スフェーンは、すでに自分が侯爵の継嗣たる運命を受け入れている。
マラカイトは一見、調子がいいようだが、場を和ませる才がある。
フレーゼリカはまだまだ可愛いさかりだけれど、立派なレディーに育つにちがいない。
さらに、お腹にはまた新たな命も――。
「どうしておとうさまは、こんなときにもかえってこないの?」
ローザリカは急に我に返った。不満げな声を漏らしたのはフレーゼリカだ。その表情には幼いながらも毅然とした意志が宿っている。ここ数日ジュストは財務官僚として多忙にしており、不在がちなのだった。
「こら、あまり悪く言われると泣いてしまうよ」
ローザリカがたしなめると、今度はマラカイトが茶化すように言った。
「えー! どっちがー?」
「ふふ、どちらかな。お母様もお父様が大好きだからね、悲しくなってしまうかも」
スフェーンは辛抱強い子だ。やりとりには口を挟まず、ただ苦笑を浮かべている。
「忘れないで」席を立つと、ローザリカは三人の肩を抱きよせた。「お父様はいつだって、僕や君たちを守ってくれている騎士様なんだ」
ローザリカが腰を下ろすと、ぴったりとフレーゼリカが寄りそった。母親のふっくらとしたお腹をなでながら言う。
「あかちゃん、げんきにしてる?」
「うん。だから元気に産まれてくるよ」
「名前は考えてる?」
スフェーンがたずねてきた。
「名前は、そうだね……」
ローザリカの顔に子どもたちの視線が集まる。
「スフェーンとマラカイトは宝石、フレーゼリカは苺が由来になるから……弟だったらペリドット。妹だったら桃のペシュリカかな?」
「ペリドットに」
「ペシュリカ!」
マラカイトとフレーゼリカが声を上げた。
「どちらだって僕らの可愛い弟妹になるね」
スフェーンの言葉は、ローザリカの心をそのまま映したようだった。
「待ち遠しいな」
ローザリカはそっとつぶやく。
お腹の中の子を抱く日も、そして、夫の帰宅も。
そのとき馬車の車輪が石畳をこする音が響いた。まるで「お待たせ」とでも言うかのように。
「お父様だ!」
子どもたちは小さな風のように窓辺へと駆けていった。
青緑色の馬車がなめらかに停まり、扉が開く。
ジュストが降り立ち、軽く息をついて窓のこちらを見上げた。
長い一日を過ごしたはずの彼の顔に、安堵と微笑みが浮かんでいた。
「お帰りなさい!」
四人の声がひとつに溶ける。
そしてローザリカは感じた。お腹の奥で、小さな動きがあったことを。
きっとこの子も、一緒に声を重ねていたのだろう。
お腹に手を当てる。
だから彼を迎える声は五つ、とローザリカは思ったのだが実は六つなのだ。
ローザリカはまだ知らない。この幸せな日々を、よりにぎやかにするであろう命が双つ、自身の中に育っていることを。