美酒と密談

キャラクターノベル(グループ)制作 真柄 葉納品 2025年02月06日 13時21分00秒

 どこにでもあるような一般的な民家。しかし、その戸を潜れば視界は一変する。
 ここは商都リブラネスタでも知る人ぞ知る会員制のバー『ハルミュロン』。
 落ち着いた店内にはしつらえのいい調度品が並び、雰囲気を邪魔しない心地よい香りと音楽に包まれる非日常的な空間。そんな店内でカウンターに座る人影を見つけた、ナハティガル=ラーは高級礼服の襟を正しゆっくりと歩み寄った。

「ご婦人、隣によろしいか」

 そう声をかけると、人影がかぶるつば広の帽子が僅かに揺れる。

「失礼する」

 無言を肯定と取り、ナハティガルは女性の隣に腰かけた。

「ここで会うのも3年ぶり……いや、それ以上か。息災であっただろうか」
「ええ、変わらず楽しくやらせていただいておりますわ。そちらさまは、随分とお忙しいようで」

 広いつばの奥から物腰柔らかく微笑む女性の名は『ニア』という。この会員制のバーに時折現れる謎多き女性――――なのだが、その正体はセルッティ商会商会主ヴィルジニア・テレーザ・セルッティその人である。
 しかし、この場所での彼女は、あくまで貴婦人ニアである。たとえ彼女の正体を知っていても、その名を出すのは無粋(ルール違反)だ。

「ああ、おかげでこの街からも随分と足が遠のいてしまった」
「ふふ、もうここには貴方の”巣”はありませんものね」

 ナハティガルは「然り」と呟くと、音もなく置かれたグラスを手に取った。
 先ほどの一言で、彼女が自分の現状をどの程度把握しているのか凡そ予測がつく。だが、一体どこまで知っているのか。
 ――――試してみるか。

「聞けば、貴女は政治学や経済学にも造詣が深いとか。実は今、考えている”事業”があってな。よければ第三者として意見をもらえないだろうか」
「あら、男女の酒の席には似つかわしくない話題ですわね」
「嫌か?」
「いえ、そのようなことはありませんわ。しかし、私の意見でよろしいのでしょうか? 私はただの一般人ですわよ?」

 そう言いつつもニアは飲みかけのグラスを空けると、聞きましょうと言わんばかりに大胆に覗く足を組み換えて彼へと向き直った。

●
 ナハティガルがニアに意見を求めたのは、自らが運営の一翼を担う『紫政館』の運営に関して――――ではなかった。
 彼はニアに訴える。新しい政治を目指すには、数々の革新的な施策が必要だ。そして、それを叶えうるものこそが自分が提唱する”構想”に他ならない。この”構想”は政治だけに留まらず、大陸全体に影響を及ぼす。それは『世界の変革』と言い換えてもいいだろう。そしてそこには、必ず新しい商売の芽が芽吹くはずだ、と――――。

 壮大なナハティガルの”構想”を聞き、ニアは口元に強かな笑みを浮かべた。

「貴女はこの構想をどう見える。賛同(乗る)に値するものか」
「とても面白いお話だとは思いますが、もし私が判断を下す立場であるのなら……答えは”否”ですわ」
「……随分とはっきり言ってくれるのだな」
「確かに貴方が仰るような技術が確立すれば、世界に大きな革新が訪れる可能性がありましょう」
「そう思っているのであれば、なぜ”否”と」
「可能性は確かにあるでしょう。しかし、私が首を縦に振らない……いえ、振れない理由は”現実性”にありますわ」
「……もし技術が確立できたとしても、それはただの自己満足にすぎない、という事か」
「あら、それはせっかくの素晴らしい”構想”に対して、随分とひどい言い様ですわね」

 口元に手を当てくすくすと笑うニア。それはけしてナハティガルの構想を馬鹿にしているという事ではなく、ただ言葉遊びに興じているだけのように感じる。

「貴方は、この大陸の識字率がどの程度かご存じですか?」
「……概ね10%後半~20%程度だと認識している」
「大都市部ではそうですわね。ですが大陸全体を見れば、少なく見積もって5%。多く見てもせいぜい10%程度ですわ。それが何を意味するか。聡明な貴方であればわかると思いますが?」
「……”構想”を実現しても、利用者(読める者)がいなければ意味はない、と」

 その答えはニアの満足するものだったのだろう。彼女は屈託のない笑みを浮かべて話を続けた。

「貴方はこう考えておいでなのでしょう? 識字率の件はもちろん承知している。だからこそ、それを学ぶ機会を増やす為の夢(技術革新)だと」
「その通りだ」
「ですが、人類は貴方が思うほど成熟していないのもまた事実。それは卵が先か鶏が先かという話になってしまいます。それに、仮にその構想が実現したとしても、もう一つ大きな問題がありますわ」
「……聞かせてもらえるか」

 ニアは、この素直な”生徒”を気に入ったようだ。
 再びカクテルで唇を湿らすと、饒舌に話しはじめる。

「この世界は、力ある者が『正義』を名乗る世界です。もちろん『正義』にも色々な形がありますが、結局のところ持つ者が持たざる者を支配する様に出来ているのです」
「随分と壮大な話だが、私はそういう構造こそ変えていくべきだと考えている。人は誰の許可を得ることなく知る権利を持っているはずだ。知を学び、識を蓄え、言を繰る。言葉は力であり、文字は武器となる。それを万人が身に着けてこそ、人は……時代は次のステージに進めるのではないか?」
「その考えは大いに結構ですわ。ですがそれを誰が望んでいるのですか?」
「なに……?」
「貴方がなそうとしている夢(技術の革新)は確かに素晴らしい。現実に起こるのであればそれこそ世界を一変させるかも知れませんね。ですが、それを誰もがもろ手を挙げて賛同すると本気でお考えですか?」
「そうは考えていない。当然、妨害もあるだろう。だからこそ私は、貴女――――いや、ヴィルジニア女史など力ある者たちに利を説き、巻き込――――」
「なぜその方々が自分の味方であると確信できるのですか?」

 つば広の帽子の奥から、刺すような視線が突き刺さった。

「人を信じる事は結構ですが、世の中にはこういう言葉もございます――――”いい奴ほど早く死ぬ”」
「……戦場に身を置いていた者としては、耳の痛い言葉だな。だが、その言葉が”構想”に適切だとは思わん」
「気分を害してしまったのでしたら謝罪いたしますわ。ですが、私の言葉の真意を理解できないほど、貴方は愚かではないでしょう?」
「夢(技術革新)が現実のものになっては困る輩がいると言うのだな」
「ええ、それも少なくない数。ちなみに貴方の夢は、算術においても革新をもたらすものでしょうか?」
「もたらす」
「でしたら、数はもう少し増えますわね」
「……前途多難だな」
「ふふ、そう気を落とされませんように。ですがこれが現実なのです。貴方のもたらす『武器』はとても素晴らしい。ですが、それを使いこなすには人類はあまりに未熟なのです」

 そう結んで、グラスに残っていた酒を飲み干し、ニアは熱い息を吐いた。

「ふぅ、少し酔ってしまいましたわね。あまりに楽しい時間でついつい杯がかさんでしまいました。そういえば貴方はしばらくこちらに滞在されるのでしょう?」
「ああ、仕事が山積みだからな」
「ではまたお会いする機会もありますわね。その時は、たま楽しいお話を聞かせてくださいませ」
「……そうだな、せいぜい貴女を愉しませる事の出来る話を用意するとしよう」

 ナハティガルの返事に満足したニアは、彼に微笑みだけを返し席を立ったのだった――――。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0