墓前にて
キャラクターノベル制作 革酎納品 2025年01月12日 11時34分33秒
●
リーンエス王国、旧セラジド侯爵領都を望む小高い丘。
そこに、小さな墓標が静かに鎮座している。
墓碑銘には『ジルヴァーン・ベルトロスここに眠る』という一文だけが刻まれているのだが、それが誰で何者なのかを知る者は数える程しか居ない。
そのジルヴァーンの正体を知る数少ない授恵者のひとり、ナハティガル=ラーが小さな包みを抱え、春霞に煙る街並みを遠くに眺めながらゆっくりと歩を寄せてきた。
この日、ナハティガルは休暇を利用してこの地を訪れていた。久々にジルヴァーン――青の中指ジルベルと呼ばれた男の墓参りをしようと思い立ち、こうしてわざわざ足を運んできたのである。
「アンタが好きだった卵サンドを持ってきた。ゆっくり味わえ、ジルベル……いや、ジルヴァーン」
ナハティガルは持参した包みを、そっと墓前に添えた。
中身は、シルトラース帝国の中堅都市ダルトートから南西へ数日行ったところの小さな町クリアコの酒場で作って貰った卵サンドだった。
過去にナハティガルは、クリアコ近郊でジルベルと共にクリーパー討伐に当たったことがある。
このクリアコの酒場で供される卵サンドがジルベルのお気に入りだったことを思い出した彼は、酒場の親父に頼んで特製のひと包みを作って貰った。
更にこの酒場の親父は気を利かせ、長期保存用の紋具に出来上がった卵サンドを入れて渡してくれた。
それを今、ナハティガルがジルベルの墓前まで持参してきたという訳である。
クリアコのひとびとにとっては、ナハティガルはクリーパーの脅威から村を救ってくれた英雄である。この程度のことはして当然だという意識が、かの地のひとびとの中に強く根付いている様子だった。
そしてその感謝の念は、ナハティガルと肩を並べて村を救う為に戦ったジルベルに対しても同様に向けられていた。
ジルベルは世間を賑わせたテロリスト集団『メドゥの指先』の幹部だった訳だが、クリアコでは単なるひとりの授恵者ジルヴァーンに過ぎず、クリアコの住民にとってはただの無名の救世主として記憶されていた。
一方のナハティガルは現在、王国内で忙しい毎日を送っている。
が、余りに忙し過ぎて、ここ最近は人材確保に奔走する日々が続いていた。
「実は、色々と人材不足で苦労をしている訳だが……アンタが生きていたら、どうなっていただろうな?」
心強い味方になってくれていたかも知れないし、或いはその逆に面倒な敵として立ちはだかっていたかも知れない。
その『あり得たかも知れない世界』に想いを馳せていたナハティガルだったが、妙なことを想像してしまったとばかりに苦笑を浮かべ、小さくかぶりを振った。
しかし、今ナハティガルが見据えている未来は、嘗てジルベルが望んだであろう世界と共通する部分があると信じている。
それをいつの日か必ず、実現してみせる。
その想いは間違い無く本物であり、そして揺ぎ無い決意として彼の心の中に強く根差していた。
「いつかアンタにも……誰も見たことの無い、前人未到の景色を見せてやる」
種族や血筋に、或いは身分や生い立ちに囚われることの無い、全てのひとびとが笑顔で過ごすことが出来る世界。
今よりはずっと平和で、誰もが平等に過ごせる世界。
その為に今、ナハティガルは動いている。戦っている。
そしていつか、彼が為し得た結末をこの地から見届けて欲しい――それがナハティガルが抱いていた、密かなる願いだった。
と、ここでナハティガルはふと、別のことに意識が向いた。
ジルベルが最期まで気にかけていた美貌の双子――ミネアとラネアのフォーラ姉妹は今、どの様な立ち位置で何をしているのか。
青の中指を討伐した英雄として、冒険者ギルドでは相当に持て囃される様になった筈の双子だが、現在はどうなっているのかが、少しばかり気になった。
彼女らは依然、冒険者として過ごしているのだろうか。
或いは、別の道へと進んだのだろうか。
(何か困っていることがあれば、助けてやりたいところだが……)
ナハティガルは生い茂る草地から立ち上がり、旧セラジド侯爵領都へと足を向けた。
●
旧セラジド侯爵領都は、その街並みや雰囲気は以前訪れた時と比べても然程に変わってはいなかった。
しかしながら、失脚して追放されたレヴィン・セラジド元侯爵からリーンエス王国集権派の別の高位貴族へと支配者が交代した為、衛兵や街の門番といった顔ぶれは多少変化しているかも知れない。
この地を追われたレヴィン・セラジド元侯爵は、異常性愛者であった。特に彼は領内から幼い少女を己の玩具奴隷として掻き集め、密かに小児ハーレムを造り上げていた事実が知られている。
ジルベルが青の中指へと堕ちる切っ掛けを作ったのも、このセラジド元侯爵だった。
が、結局最後にはジルベルの命を懸けた糾弾策が実を結び、西方辺境伯に全てを明らかにされた挙句、集権派に徹底的に叩かれ、その座を失うに至っていた。
セラジド元侯爵はほとんど裸一貫に近しい状態で領地を追われ、現在はリブラネスタ近郊に貧相な小屋を建てて暮らしているというが、その生活ぶりはほとんど何も伝わってこない。
(ミネアとラネアも確か、危うくその小児ハーレムに連れ込まれる寸前だという話だったな……)
そんなことを思いながら、ナハティガルは冒険者ギルドへと顔を出した。
あの美貌の双子姉妹が今も冒険者として活動しているのなら、ここで何らかの情報が得られる筈であろう。
そして、彼女らの現在の境遇は、すぐに知ることが出来た。
カウンターに佇んでいた受付嬢に訊いてみたところ、どうやらミネアもラネアも今はいっぱしの腕利き冒険者として、後進の指導に当たっているのだという。
(ほう……僅か数年で、もうそこまで成長したのか)
流石に、ジルベルの姪っ子達だけのことはある。元々、才能に恵まれていたのだろう。
彼女らがどの様な教師ぶりを発揮しているのか、それはそれでナハティガルにも多少興味が湧いた。
更に重ねて今日のふたりの予定を尋ねてみると、彼女らは冒険者ギルドの裏手にある訓練場で駆け出し冒険者相手に模擬戦訓練の教官として半日程度を過ごすことになっている様だ。
これは是非、覗きに行かねばならない――ナハティガルは受付嬢に礼を述べてから、すぐさま裏手へと続く廊下に足を踏み出した。
石造りの薄暗い通路を抜けると、その先には結構な広さの訓練場が見えてきた。
そこかしこに幾つかのひとだかりが出来ており、それらはいずれも模擬戦を行っている訓練舞台を囲んでいるものと思われる。
そのうちのひとつに、面を巡らせた。
ナハティガルの視線の先に、白銀虎の特徴を持つ半獣人の美女が、若い青年相手に接近戦を繰り広げている姿があった。
恐らく、妹のラネアであろう。
彼女は確か治癒師だった筈で、今ここで見せている接近戦能力は、如何にも治癒師らしい堅い防御に優れていた。
ラネアは防戦に徹しており、若手の挑戦者の攻撃を軽くいなし続けている。その見事な捌き方には、どこか見覚えがあった。
(あれは……ジルベルと同じ流れを汲む格闘術か)
意外だった。
あれ程に青の中指である叔父の存在を嫌っていた筈のラネアが、何故ジルベルと同じ系統の技を駆使しているのか。
ナハティガルはその点に、随分と興味を惹かれた。
「あの……もしかして、ナハティガルさんですか?」
その時、不意に横合いから別の声がかかった。
振り向くと、そこにも同じく白銀虎の特徴を持つ半獣人の美女が佇んでいた。ラネアとよく似た顔立ちを持つこの魔術師の女性はラネアの双子の姉、ミネアだった。
「あぁ、やっぱりナハティガルさんだったのですね! ご無沙汰しております、ミネアです! お変わりはありませんでしたか?」
礼儀作法に則って頭を下げるミネアに、ナハティガルも貴族の護衛士としての作法で礼を返した。
「元気そうで、何よりだ」
ナハティガルの端正な面が、僅かに和んだ。
ミネアは本当に、心から嬉しそうな笑みを湛えていた。
●
そして、その日の夕刻。
ナハティガルはミネアとラネアの案内を受けて、冒険者ギルド近くの小料理屋に腰を落ち着けていた。
彼女らは恩人であり、偉大な先達であるナハティガルとの再会が余程に嬉しかったらしく、かなりテンションが舞い上がっている様子が伺えた。
三人は再会を喜ぶ盃を酌み交わし、お互いの近況を語り合うなどして、和やかなひと時を楽しんだ。
が、ナハティガルとしてはどうにも気になる点が残る。
何故ラネアが、ジルベルと同じ流れを汲む格闘術を身につけていたのか――彼女らの過去を蒸し返す結果になるかも知れなかったが、これだけは訊かねばならぬと腹を括ったナハティガル。
彼は木製ジョッキを置き、背筋を伸ばして居住まいを正した。
「今から少し、気に障ることを訊くかも知れない……嫌なら、答えてくれなくても構わないから、ひとつだけ質問させてくれ」
そのナハティガルの真剣な面持ちに何かを察したのか、ミネアとラネアも姿勢を正して座り直した。
そして、ナハティガルは訊いた。
何故ラネアが、ジルベルと同じ流派と思しき格闘術を身につけていたのか、と。
これに対しラネアは神妙な面持ちで、静かに答えた。
「尊敬するジルヴァーン叔父様の技を絶えさせてはならないと思ったからです」
ラネアのその応えに、ナハティガルは耳を疑った。
彼女は確かに、ジルベルを尊敬する叔父と呼んだ。これは一体、どういうことなのか。
「実は私達……全て、知ってしまったんです」
ミネアが幾分、表情を暗くして僅かに俯いた。
今、彼女は間違い無く口にした。全てを知ってしまったと。それは即ち、ジルベルが青の中指に堕ちた経緯全てを、という意味であろう。
しかし何故、一体どこからその話を聞き知ったというのだろうか。
ところが、そのからくりは意外と単純だった。
「キーリア様から、全てお聞かせ頂いたのです」
成程、そういうことか――ナハティガルは全てを察し、そして理解した。
ジルベルを討伐する運びとなった依頼は、キーリア・セラジドを救出せよというものであった。しかしキーリアはセラジド元侯爵に性的虐待を受けていた被害者のひとりだった。
そのキーリアに、ジルベルはセラジド元侯爵を失脚させる為の協力を申し入れていたのだが、その際に彼は、自身が青の中指に身を堕とす切っ掛けとなった事実を全て、告げていたのである。
「キーリア様は、恩義ある叔父を悪の手先として闇に葬ることに対して、非常に心を痛めておられました。そこで救出が為った後、改めて私達姉妹をお呼びになられて、ジルヴァーン叔父様から託された全ての真相を話して下さったのです」
ミネアとラネアは三日三晩、泣きに泣き、悲嘆に暮れ続けたと自嘲の笑みを浮かべた。
叔父からの無限の愛を知らずに、彼を両親の仇として憎み続けた自分達の浅はかさを、ひたすらに呪ったのだという。
しかしキーリアは、ジルベルの想いを無駄にしないで欲しいとも告げたらしい。
その言葉に双子は随分と葛藤したが、最後には叔父の意志を受け入れ、今も尚、青の中指討伐を達成した英雄として振る舞い続けている。
だが心の奥底では、ふたりは誰よりもジルベルを尊敬していた。そのあらわれのひとつが、ラネアが必死になって習得した、あの格闘術だという話だった。
(そういうことだったのか)
ナハティガルは心の底から納得した。
ジルベルは生前、誰よりも愛してやまない双子の姪っ子からは絶対に愛情を受けることは無い欠落者として、メドゥの指先幹部へと到達した。
そして皮肉なことに、その死後になって愛するふたりからの心を取り戻すことが出来ていた。
本人が知ったら、一体どんな反応を示すだろうか。
●
翌日、ナハティガルは再びジルベルの墓標の前へと姿を見せた。
その面には、柔らかな苦笑が浮かんでいる。
「俺達は確かに約束を守ったが……アンタも最後の最後で、妙に詰めの甘いところがあったものだな。ミネアとラネアには全部、知られてしまっていたぞ」
だが、こういう変なところで抜けているのがジルベルらしいといえば、らしい。
この時、どこかから、
(うるせぇな! ほっといてくれよ!)
と陽気に笑う声が聞こえた様な気がした。
リーンエス王国、旧セラジド侯爵領都を望む小高い丘。
そこに、小さな墓標が静かに鎮座している。
墓碑銘には『ジルヴァーン・ベルトロスここに眠る』という一文だけが刻まれているのだが、それが誰で何者なのかを知る者は数える程しか居ない。
そのジルヴァーンの正体を知る数少ない授恵者のひとり、ナハティガル=ラーが小さな包みを抱え、春霞に煙る街並みを遠くに眺めながらゆっくりと歩を寄せてきた。
この日、ナハティガルは休暇を利用してこの地を訪れていた。久々にジルヴァーン――青の中指ジルベルと呼ばれた男の墓参りをしようと思い立ち、こうしてわざわざ足を運んできたのである。
「アンタが好きだった卵サンドを持ってきた。ゆっくり味わえ、ジルベル……いや、ジルヴァーン」
ナハティガルは持参した包みを、そっと墓前に添えた。
中身は、シルトラース帝国の中堅都市ダルトートから南西へ数日行ったところの小さな町クリアコの酒場で作って貰った卵サンドだった。
過去にナハティガルは、クリアコ近郊でジルベルと共にクリーパー討伐に当たったことがある。
このクリアコの酒場で供される卵サンドがジルベルのお気に入りだったことを思い出した彼は、酒場の親父に頼んで特製のひと包みを作って貰った。
更にこの酒場の親父は気を利かせ、長期保存用の紋具に出来上がった卵サンドを入れて渡してくれた。
それを今、ナハティガルがジルベルの墓前まで持参してきたという訳である。
クリアコのひとびとにとっては、ナハティガルはクリーパーの脅威から村を救ってくれた英雄である。この程度のことはして当然だという意識が、かの地のひとびとの中に強く根付いている様子だった。
そしてその感謝の念は、ナハティガルと肩を並べて村を救う為に戦ったジルベルに対しても同様に向けられていた。
ジルベルは世間を賑わせたテロリスト集団『メドゥの指先』の幹部だった訳だが、クリアコでは単なるひとりの授恵者ジルヴァーンに過ぎず、クリアコの住民にとってはただの無名の救世主として記憶されていた。
一方のナハティガルは現在、王国内で忙しい毎日を送っている。
が、余りに忙し過ぎて、ここ最近は人材確保に奔走する日々が続いていた。
「実は、色々と人材不足で苦労をしている訳だが……アンタが生きていたら、どうなっていただろうな?」
心強い味方になってくれていたかも知れないし、或いはその逆に面倒な敵として立ちはだかっていたかも知れない。
その『あり得たかも知れない世界』に想いを馳せていたナハティガルだったが、妙なことを想像してしまったとばかりに苦笑を浮かべ、小さくかぶりを振った。
しかし、今ナハティガルが見据えている未来は、嘗てジルベルが望んだであろう世界と共通する部分があると信じている。
それをいつの日か必ず、実現してみせる。
その想いは間違い無く本物であり、そして揺ぎ無い決意として彼の心の中に強く根差していた。
「いつかアンタにも……誰も見たことの無い、前人未到の景色を見せてやる」
種族や血筋に、或いは身分や生い立ちに囚われることの無い、全てのひとびとが笑顔で過ごすことが出来る世界。
今よりはずっと平和で、誰もが平等に過ごせる世界。
その為に今、ナハティガルは動いている。戦っている。
そしていつか、彼が為し得た結末をこの地から見届けて欲しい――それがナハティガルが抱いていた、密かなる願いだった。
と、ここでナハティガルはふと、別のことに意識が向いた。
ジルベルが最期まで気にかけていた美貌の双子――ミネアとラネアのフォーラ姉妹は今、どの様な立ち位置で何をしているのか。
青の中指を討伐した英雄として、冒険者ギルドでは相当に持て囃される様になった筈の双子だが、現在はどうなっているのかが、少しばかり気になった。
彼女らは依然、冒険者として過ごしているのだろうか。
或いは、別の道へと進んだのだろうか。
(何か困っていることがあれば、助けてやりたいところだが……)
ナハティガルは生い茂る草地から立ち上がり、旧セラジド侯爵領都へと足を向けた。
●
旧セラジド侯爵領都は、その街並みや雰囲気は以前訪れた時と比べても然程に変わってはいなかった。
しかしながら、失脚して追放されたレヴィン・セラジド元侯爵からリーンエス王国集権派の別の高位貴族へと支配者が交代した為、衛兵や街の門番といった顔ぶれは多少変化しているかも知れない。
この地を追われたレヴィン・セラジド元侯爵は、異常性愛者であった。特に彼は領内から幼い少女を己の玩具奴隷として掻き集め、密かに小児ハーレムを造り上げていた事実が知られている。
ジルベルが青の中指へと堕ちる切っ掛けを作ったのも、このセラジド元侯爵だった。
が、結局最後にはジルベルの命を懸けた糾弾策が実を結び、西方辺境伯に全てを明らかにされた挙句、集権派に徹底的に叩かれ、その座を失うに至っていた。
セラジド元侯爵はほとんど裸一貫に近しい状態で領地を追われ、現在はリブラネスタ近郊に貧相な小屋を建てて暮らしているというが、その生活ぶりはほとんど何も伝わってこない。
(ミネアとラネアも確か、危うくその小児ハーレムに連れ込まれる寸前だという話だったな……)
そんなことを思いながら、ナハティガルは冒険者ギルドへと顔を出した。
あの美貌の双子姉妹が今も冒険者として活動しているのなら、ここで何らかの情報が得られる筈であろう。
そして、彼女らの現在の境遇は、すぐに知ることが出来た。
カウンターに佇んでいた受付嬢に訊いてみたところ、どうやらミネアもラネアも今はいっぱしの腕利き冒険者として、後進の指導に当たっているのだという。
(ほう……僅か数年で、もうそこまで成長したのか)
流石に、ジルベルの姪っ子達だけのことはある。元々、才能に恵まれていたのだろう。
彼女らがどの様な教師ぶりを発揮しているのか、それはそれでナハティガルにも多少興味が湧いた。
更に重ねて今日のふたりの予定を尋ねてみると、彼女らは冒険者ギルドの裏手にある訓練場で駆け出し冒険者相手に模擬戦訓練の教官として半日程度を過ごすことになっている様だ。
これは是非、覗きに行かねばならない――ナハティガルは受付嬢に礼を述べてから、すぐさま裏手へと続く廊下に足を踏み出した。
石造りの薄暗い通路を抜けると、その先には結構な広さの訓練場が見えてきた。
そこかしこに幾つかのひとだかりが出来ており、それらはいずれも模擬戦を行っている訓練舞台を囲んでいるものと思われる。
そのうちのひとつに、面を巡らせた。
ナハティガルの視線の先に、白銀虎の特徴を持つ半獣人の美女が、若い青年相手に接近戦を繰り広げている姿があった。
恐らく、妹のラネアであろう。
彼女は確か治癒師だった筈で、今ここで見せている接近戦能力は、如何にも治癒師らしい堅い防御に優れていた。
ラネアは防戦に徹しており、若手の挑戦者の攻撃を軽くいなし続けている。その見事な捌き方には、どこか見覚えがあった。
(あれは……ジルベルと同じ流れを汲む格闘術か)
意外だった。
あれ程に青の中指である叔父の存在を嫌っていた筈のラネアが、何故ジルベルと同じ系統の技を駆使しているのか。
ナハティガルはその点に、随分と興味を惹かれた。
「あの……もしかして、ナハティガルさんですか?」
その時、不意に横合いから別の声がかかった。
振り向くと、そこにも同じく白銀虎の特徴を持つ半獣人の美女が佇んでいた。ラネアとよく似た顔立ちを持つこの魔術師の女性はラネアの双子の姉、ミネアだった。
「あぁ、やっぱりナハティガルさんだったのですね! ご無沙汰しております、ミネアです! お変わりはありませんでしたか?」
礼儀作法に則って頭を下げるミネアに、ナハティガルも貴族の護衛士としての作法で礼を返した。
「元気そうで、何よりだ」
ナハティガルの端正な面が、僅かに和んだ。
ミネアは本当に、心から嬉しそうな笑みを湛えていた。
●
そして、その日の夕刻。
ナハティガルはミネアとラネアの案内を受けて、冒険者ギルド近くの小料理屋に腰を落ち着けていた。
彼女らは恩人であり、偉大な先達であるナハティガルとの再会が余程に嬉しかったらしく、かなりテンションが舞い上がっている様子が伺えた。
三人は再会を喜ぶ盃を酌み交わし、お互いの近況を語り合うなどして、和やかなひと時を楽しんだ。
が、ナハティガルとしてはどうにも気になる点が残る。
何故ラネアが、ジルベルと同じ流れを汲む格闘術を身につけていたのか――彼女らの過去を蒸し返す結果になるかも知れなかったが、これだけは訊かねばならぬと腹を括ったナハティガル。
彼は木製ジョッキを置き、背筋を伸ばして居住まいを正した。
「今から少し、気に障ることを訊くかも知れない……嫌なら、答えてくれなくても構わないから、ひとつだけ質問させてくれ」
そのナハティガルの真剣な面持ちに何かを察したのか、ミネアとラネアも姿勢を正して座り直した。
そして、ナハティガルは訊いた。
何故ラネアが、ジルベルと同じ流派と思しき格闘術を身につけていたのか、と。
これに対しラネアは神妙な面持ちで、静かに答えた。
「尊敬するジルヴァーン叔父様の技を絶えさせてはならないと思ったからです」
ラネアのその応えに、ナハティガルは耳を疑った。
彼女は確かに、ジルベルを尊敬する叔父と呼んだ。これは一体、どういうことなのか。
「実は私達……全て、知ってしまったんです」
ミネアが幾分、表情を暗くして僅かに俯いた。
今、彼女は間違い無く口にした。全てを知ってしまったと。それは即ち、ジルベルが青の中指に堕ちた経緯全てを、という意味であろう。
しかし何故、一体どこからその話を聞き知ったというのだろうか。
ところが、そのからくりは意外と単純だった。
「キーリア様から、全てお聞かせ頂いたのです」
成程、そういうことか――ナハティガルは全てを察し、そして理解した。
ジルベルを討伐する運びとなった依頼は、キーリア・セラジドを救出せよというものであった。しかしキーリアはセラジド元侯爵に性的虐待を受けていた被害者のひとりだった。
そのキーリアに、ジルベルはセラジド元侯爵を失脚させる為の協力を申し入れていたのだが、その際に彼は、自身が青の中指に身を堕とす切っ掛けとなった事実を全て、告げていたのである。
「キーリア様は、恩義ある叔父を悪の手先として闇に葬ることに対して、非常に心を痛めておられました。そこで救出が為った後、改めて私達姉妹をお呼びになられて、ジルヴァーン叔父様から託された全ての真相を話して下さったのです」
ミネアとラネアは三日三晩、泣きに泣き、悲嘆に暮れ続けたと自嘲の笑みを浮かべた。
叔父からの無限の愛を知らずに、彼を両親の仇として憎み続けた自分達の浅はかさを、ひたすらに呪ったのだという。
しかしキーリアは、ジルベルの想いを無駄にしないで欲しいとも告げたらしい。
その言葉に双子は随分と葛藤したが、最後には叔父の意志を受け入れ、今も尚、青の中指討伐を達成した英雄として振る舞い続けている。
だが心の奥底では、ふたりは誰よりもジルベルを尊敬していた。そのあらわれのひとつが、ラネアが必死になって習得した、あの格闘術だという話だった。
(そういうことだったのか)
ナハティガルは心の底から納得した。
ジルベルは生前、誰よりも愛してやまない双子の姪っ子からは絶対に愛情を受けることは無い欠落者として、メドゥの指先幹部へと到達した。
そして皮肉なことに、その死後になって愛するふたりからの心を取り戻すことが出来ていた。
本人が知ったら、一体どんな反応を示すだろうか。
●
翌日、ナハティガルは再びジルベルの墓標の前へと姿を見せた。
その面には、柔らかな苦笑が浮かんでいる。
「俺達は確かに約束を守ったが……アンタも最後の最後で、妙に詰めの甘いところがあったものだな。ミネアとラネアには全部、知られてしまっていたぞ」
だが、こういう変なところで抜けているのがジルベルらしいといえば、らしい。
この時、どこかから、
(うるせぇな! ほっといてくれよ!)
と陽気に笑う声が聞こえた様な気がした。