リヒテンシュタット攻防戦・後編
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年02月05日 20時23分37秒
ヴェヒター・ヌルの大隊長は光の剣を振り抜いた姿勢で道の彼方を睨みつけていた。
「クラウスさん……」
沈黙を破りルイーザが声をかけるとクラウスは舌打ちした。
「野郎、避けやがった」
大隊長が光刃を一閃した瞬間、駆け出したセロンガード・シュタインドルフは背を向けたまま跳躍した。
宙へと跳んだ少年は足元を薙ぐ一撃を鮮やかにかわすと、振り返らずに道の彼方へと矢の如くに駆け去って行った。
「本気で斬ったのですか?」
「ああ」
男は頷いた。
「どうせここで足を失くす程度の腕なら、行った所でバルバロイどもに殺されるだけだからな……だから本気で斬った。が、野郎、避けやがった」
「救援は……」
「今は行けんぞ。解ってるだろうがな。兵力の逐次投入は無駄に被害を増やすだけだ」
クラウスは言った。
「あの馬鹿野郎が上手くやる事を祈るしかねぇ」
●
助けに行くと約束をした。
二度とは大切な人を拐われない。
「ゾフィー!」
黒髪の少年は叫び、戦火に燃える町を駆けた。
●
銀髪を後頭部で結い上げている少女の小柄な身が吹き飛んだ。
路上に転がったゾフィーの鳩尾を踏みつけるように半長靴の底が突き刺さる。
くぐもった息と共に少女は胃液を吐き出した。
「小娘がっ! 手古摺らせやがって!」
大男――タイフェルは銀髪の少女から足をどかすと大きく足を後ろに振り上げ、前方へと振り抜いた。
蹴り飛ばされたゾフィーが荷台から零れ落ちた林檎のように転々と転がり、うつ伏せに路上に倒れ伏す。
そのまま動かない。
タイフェルは手から細長い光を出現させるとゾフィーへと放ち、その両手を頭上でまとめて手首を縛り上げた。光縄の術である。抵抗力を失った対象を拘束する。
タイフェルは力を封じたゾフィーの側にしゃがみ込むとその銀髪を掴んで顔を無理やり起こさせた。うぅ、と少女が弱々しい呻き声をあげる。
「へっ、この俺様をコケにしやがったからにはぁ~、覚悟は出来テンだろうなぁ~~~ッ?! 楽に死ねるたぁ思うなよ?!」
大男はゾフィーの顔面を道に叩きつけると、立ち上がり無造作に蹴り飛ばし少女の身を仰向けに転がした。
「オィ、手前らァ! その小娘、好きにしていいぞッ!!」
「おお! さっすがタイフェル様~! わかってらっしゃるぅ~ッ!!」
バルバロイ達が銀髪少女へと群がってゆく。短剣の切っ先を少女の襟元へと入れた。一気に引き裂く。
豊かな曲線を描く白い肌が露わになった。
「や、めろ……触る、な、下衆、ども、め……」
「ひひひ、いつまでその意気地が持つかなァ!!」
男達の手が少女の身をまさぐり、そして、うち一人の脳天から矢が生えた。
「……あ?」
男は白目を剥き、間の抜けた声を発しながらゾフィーの白肌へと力なく覆い被さる。
(えっ、なっ、上ッ?!)
生き残りのバルバロイの一人が即座に頭上を仰ぎ見ると、通りの家屋の軒先から身を乗り出し、何本もの矢を右手の指の間に挟み、短弓に矢を番え男達を見下ろしている少年の姿があった。
黒い瞳が氷のような殺意を秘めて男達を覗き込んでいる。
「てっ――」
男が叫ぶよりも前に近距離からの矢が暴風雨の如く降り注いだ。
ゾフィーに群がっていた男の一人が額を射抜かれて倒れ、もう一人が首筋を射抜かれて倒れ、さらにもう一人が心臓を矢で貫かれて倒れる。
闇色の髪の少年は毛皮の外套をはためかせながら軒先から飛び降りると、宙で抜刀ざまに剣を一閃し、男の脳天をかち割り、着地と同時に転がって飛来した弩矢をかわし、起き上がりざまに剣を一閃してさらにもう一人の男を斬り倒す。
(……な、なんだこのガキッ?!)
素早く通路の陰に身を転がして唯一難を逃れたタイフェルは、弩に次の矢を装填しつつ身を乗り出して様子を窺った。
●
頭上近距離の奇襲からゾフィーの周りに群がっていた男達を全滅させたセロンは、剣に光を集めるとゾフィーへと放った。
光が満身創痍の少女の身を包み込み、その傷を癒してゆく。ヒールだ。
するとゾフィー目掛け弩矢が放たれた。セロンは身を捻りつつ少女と矢の間に滑り込ませた。少年の左肩に矢が突き立つ。
激痛を無視してセロンは剣を納め弓を背の留め金に納めると、ゾフィーを抱きかかえて駆け、付近にあった建物――教会のようだ――の扉を開き内部へと入り込んだ。
祭壇の裏側へと回り込んでゾフィーを降ろす。
「セ、ロン……どうして……ここに」
朦朧としている様子の少女は驚いているようだった。
黒髪の少年は笑って言った。
「助けに行くって約束したからね」
「セロン……」
ゾフィーの赤瞳に涙が浮かんだ。
「動けそう?」
「なんとか……でも、腕が……」
ゾフィーの両手首は光の縄で縛められている。この光の縄は一度かけられると簡単にはとけない。そして、これではまともに戦えない。
「やっぱり解けないか。わかった」
「御免、セロン、私なんかの為に怪我を……」
「大丈夫、こんなのはたいした怪我じゃない。君はここに隠れていて。まだ敵がいるから」
セロンは短剣を引き抜くとゾフィーの手に握らせた。
「無茶な事を言うんだけれども、もし、僕がやられたら、どうか一人で逃げてくれ」
セロンはじっと少女の赤瞳を見つめながら言った。
紅の瞳が泣き顔に歪んだ。
けれど、彼女は頷いた。
「……わかった」
セロンは立ち上がり歩き出した。
「どうか、無事で、気をつけて……」
少年はゾフィーの言葉を背に受けながら 左肩から矢を無造作に引き抜いて捨て、右手に光を集めて傷口にあて塞ぐ。
短弓を再び左手に取り、右手で腰の矢筒から矢を引き抜いた。
不意に、視界が一瞬ぼやけた。
気を強く持って意識を覚醒させる。
(……毒か)
どうやら先程の弩矢、物質かエーテルによるものかは解らないが、毒が塗られていたらしい。
ヒールは傷は癒せても、解毒は出来ない。
(悠長にやっていられる時間は無いな)
速攻の意志を固めつつセロンは表へと出た。
●
セロンが教会の入口から顔を覗かせた瞬間、弩矢が鋭く飛んできた。
戸口の陰に身を隠して矢をやり過ごす。矢の飛んできた方向を慎重に窺う。敵の姿が見えない。通路と、そして立ち並ぶ家々が見えるだけだ。敵は狭間の路地に身を隠しているのだろうか?
セロンは入口から飛び出した。
のんびりしていては毒が回ってそれだけで斃されてしまう可能性があった。毒で倒れる前に仕留めたい。
(せめて相打ちに)
そうでなければゾフィーが危険だ。
通りを駆ける。視界の中、何かが動いた。弩だ。家屋の陰からセロンに向かって突き出されている。僅かに顔を覗かせた大柄な男の、その鋭い眼光が見えた。
駆けながら弓に矢を番える。
敵の弩から矢が閃光の如くに放たれる。
身を半身に捻りながら斜め前方へと踏み込む。
弩矢が背を掠めながら後方へと抜けてゆく。
同時、セロンは反撃の一矢を撃ち放っていた。大男が再び身を路地の陰に隠すよりも前に矢を叩き込む。
が、矢はあらぬ方向へと大きく逸れ、家屋の壁に突き立った。
(――外した?)
左腕が、痺れていた。毒のせいだ。狙いが定まらない。
(弓はもう駄目だ)
主力が既に封じられている。
だが、絶望している暇はなかった。今ある手持ちで殺さねばならない。そうでなければゾフィーともども殺されるだけだ。
男が身を路地へとひっこめた。恐らく、弩を装填しようとしている筈だ。
セロンは弓を握ったまま、駆けた。完全に接近するまではまだ弓を使えるものだと思わせておいた方が良い。そうでなければ、ひたすらに距離を取られる。しかし、もう弓が使えなくなった事は先の一矢であちらにもバレたか? ――わからない。
だが、あくまで弩で勝負しようとしているのなら、装填の為に全力では駆けてはいられない筈。つまり、ならば、距離はそれほど空いていない。
――装填される前に路地に飛び込み、相手の顔へと弓を投げつけながら突進、抜刀様の斬撃で仕留める。
刹那の間に打つ手を決めたセロンは疾風の如くに駆け、路地へと飛び込んだ。
すると眼前に闇があった。
大男が目の前で漆黒の霧を纏う長剣を振り上げていた。瞳が赤色に輝いている。
背に悪寒が走り抜けるよりも前に、セロンは弓を頭上に翳しながら反射的に飛び退いていた。
迫る黒い落雷が弓身と激突し、切断してセロンの肩口を捉える。その切っ先がセロンの左の鎖骨を叩き斬りながら抜けていった。
(――浅い!)
筈だ。
後ろに飛んでいたから。
致命傷は避けられた、その筈だ。
そう決めつけ、激痛に歯を喰いしばり耐えつつ、着地する。
切断された弓を手放し腰の剣の柄に手を伸ばす。
大男が吠えた。
「星巡る”メドゥの爪”よ、その力を示せッ!!」
大男が踏み込みながら下段より長剣を振り上げる。同時、セロンの足元付近の地面からナニカが急激に流動し渦巻いた。
(魔術っ?!)
その刹那、セロンの視界が漆黒に塗り潰され、猛烈な衝撃が全身を貫いて、少年の身は空へと向かって打ち上げられた。
●
闇の中、激痛と共に浮遊感に包まれ、そして、回転しながら落下してゆく。
――態勢を立て直さなければ。
そう思ったが、身体が動かなかった。
やがて強烈な襲撃が左肩を圧し砕くように襲い、そして全身を貫いた。
「けっ、俺にこの剣を抜かせるとはな」
いつの間にか通りにうつ伏せに転がっていた。
顔を上げると、大男が黒い霧を纏う長剣を携え歩いて来るのが見えた。
(魔剣)
バルバロイが何故、そんなものを持っている。
そんなものを持っているなら、もっと前から報告されていた筈だ。
この戦の直前に手に入れたのか――そんな簡単に手に入る代物か?
何者かが、与えたのか。誰が?
(メドゥ――)
そう考えるのは短絡だろうか。
しかし、今回のバルバロイの襲撃、蛮族達の背後に帝国の転覆を狙うメドゥの指先の思惑と支援があるのなら、色々と辻褄が合う事が多い。
「お前、なかなか強かったぜ。だが、立っているのは俺で、倒れているのはお前だ。あばよ!」
大男がセロンを見下ろし長剣を振り上げた。
ここまでか、そう、思った。
(すまない、ゾフィー)
不意に、眩く燃える蒼白い光がセロンの身を包み込むように吹き上がった。
光は振り下ろされた黒の剣を弾き飛ばし、セロンの身から痛みが消え失せ力が湧き上がって来る。
「おぉっ?!」
大男が動揺の声をあげ後退った。
エーテル光はセロンの懐から溢れ出していた。そこに忍ばせていたのは、かつて紅瞳子が肌身離さず持ち歩いていた銀の鍵。
(このエーテルは)
セロンは昔、感じた事があった。
古狼のエーテルだ。
――諦めるな。
アルターがそう言っているような気がセロンにはした。
激しく噴出した光が消え失せてゆく中、黒髪の少年は素早く横転すると勢いを利用して起き上がりざま剣を低く一閃した。
大男が飛び退いてかわし、セロンはすかざす剣を両手に真半身――相手に対して左肩を突き出すように真横を向く形――に構えながら踏み込む。厄介な術を使うなら、撃たせなければ良い。
「舐めるな!」
振り下ろしの黒い閃光。
その太刀筋はもう見た。
少年は身を捻り右斜め前方へと踏み込みつつ剣を振り下ろした。
黒剣が少年の頭部を掠めながら縦に空間を断ち切り、紙一重、すり抜けるように移動した少年の鋼の剣が男の左手首に喰い込む。
「おぐぉっ?!」
鮮血が吹きあがり、大男が驚愕の声をあげよろめく。セロンはさらに踏み込みながら剣を大男の喉元目掛けて突き出した。
男が必死の形相で身を捩る。
逃さない。
鋼の刃の切っ先が、吸い込まれるように大男の喉元へと沈んでゆく。
大男が眼を剝き、セロンは切っ先を喉の奥へとさらに押し込みながら右手で腰の矢筒から矢を引き抜いた。
矢を握り込んだ右腕を猛然と振り上げ、踏み込みながら大男の眉間目掛け渾身の力を振り絞って振り下ろす。
鋼の鏃が眉間に炸裂し、大男が白目を剥き、仰向けにゆっくりと倒れてゆく。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
路上に転がり、もう動かない大男の喉に深々と刺さっている剣を手放し、少年は荒々しく息をついた。
珠のような汗が噴出して全身が灼けるように熱い。
消えていた激痛が戻ってきて、鉛のようにへばりつく重い疲労が圧し掛かって来る。
セロンの傷は、癒えていた訳ではなかった。毒も、消えていた訳ではなかった。ただ、痛みが消えていただけだ。
四肢が震える、視界が霞み、前が良く見えない。
セロンは大男が手にしていた長剣を拾い上げた。今にも倒れそうだが、この魔剣を使えれば、あるいは、ゾフィーと共に味方が抑えている領域まで撤退できるかもしれない。
(……できるかもしれない、じゃない。必ず撤退するんだ、二人で)
黒髪の少年は最後の気力と体力を振り絞り歩き出す。
すると、煌めく何かが唸りをあげて飛来した。
衝撃を起こしながらセロンの身に激突する。
「あ……?」
見下ろすと、それは矢だった。
セロンの胸から矢が生えるように突き立っていた。
顔を上げ、霞む目を凝らすと、通りの彼方に砂色の長衣に身を包んだ人影が見えた。
手に弓を持ち、矢を番え、引き絞っている。
味方ではない。
閃光がひらめく。身を捻る。避けきれなかった。セロンの身にもう一本、矢が突き刺さって、少年は通りに独楽のように回転しながら転倒した。
熱い何かが身体から急速に流れ出していっているのが感じられた。
今度こそ、正真正銘、身体が動かない。
(ゾフィー……)
遠くで、誰かが叫んでいる声がした。
黒く閉じてゆく視界の中で、道の彼方より、薄紫色の長い髪の少女が一人、弓矢を手に駆けて来ているのが見えた。
●
目を開けると、見知らぬ天井だった。
傍らへと視線を動かすと、カサンドラが椅子に座って背もたれに寄りかかりながら瞳を閉じているのが見えた。
眠っているのだろうか? 頬がこけ、目の下に隈が出来、髪が乱れている、かなり、憔悴している様子だった。
見つめていると少女の青い瞳がうっすらと開いて、それから大きく見開かれて、そして柔らかく笑みに形どられた。
「おはようセロン」
「あぁ……おはようキャシー」
「調子はどう? どこか傷む?」
「いや……不思議と、傷む箇所はないな」
「良かった。治療が上手くいったのね」
「ゾフィーは?」
「無事よ。もう目が覚めてる。安静を言い渡されてベッドの上に縛り付けられてるけどね」
「そうか……良かった」
「セロン」
カサンドラが居住まいを正して言った。
「ゾフィーの友人としてお礼を言うわ。有難う、あの子を助けてくれて」
「……どういたしまして」
微笑んでいる少女を枕元から見上げつつ、
「……ねぇキャシー」
「なぁに?」
「怒ってない?」
するとカサンドラはくすっと笑った。
「どうして私がセロンのする事を怒るの? 道義に反するような事だったらそれは確かに怒るかもしれないけど、でも貴方はそういう事はしないし、今回はおまけにゾフィーを助けようとしての事だもの」
「……いやぁ、でも命令違反だし」
「それで私がする事は、怒る事じゃなくて、貴方が死刑になりそうだったら貴方を担いで帝国から逃げる事よ。今回はゾフィーとルイーザさん達が歎願してクラウスさんが上層部に対して庇ってくれて、だから功績と相殺となってそういう事にはならなかったけど……それに命令違反っていったら、私も命令違反者だしね今回、貴方の事をどうこうは言えないわ」
「……そうなの?」
「ええ」
カサンドラは頷いた。
ゾフィーら隊員達やクラウスの働きかけと諸々の功績によって二人の命令違反は相殺された。
一つ、ゾフィーが民間人の救出とルイーザ隊の生還に功績があった事。
二つ、セロンがそのゾフィーを救出した功とタイフェルという名のバルバロイリーダーを倒した事。今回町を襲ったのは複数のバルバロイ集団の連合で、タイフェルは連合のトップのリーダーではなかったが、かなり強力な地位にいるリーダーではあり、それを討った功績は大きい、との事だった。
町は帝国軍が取り返し、激戦の末多数のバルバロイも討伐したが、主要なバルバロイリーダー達は地下通路の秘匿されていた抜け穴を通じて地上へと脱出し、まんまと逃げおおせたらしい。
このままでは帝国軍の面子が立たない、という中にあってタイフェルの首をあげられた事は助かった事なのだそうだ。
三つ、カサンドラが戦場で所属隊の矢面に立って活躍し功をあげ、かつ、窮地に陥っていたセロンとゾフィーを後続が来るまで単身守り抜いた功績があった為。
「……え、一人で?」
「ええ、他ならぬ貴方とゾフィーが窮地に陥っている時に、どうして私が悠長な待機命令なんて聞いていられるの? そんな訳ないでしょう」
少女は笑顔で言った。
「自分一人ででも突撃するに決まっている」
「……うん、そうだ、そうだった、君は物腰は柔らかいが、決してお姫様じゃあなかったな」
かつてのライバルの蛮勇にセロンは笑った。
カサンドラは少し拗ねたような不服そうな表情を浮かべて、
「お姫様扱いはちょっと憧れるけどね。でも私だって貴方の為に命を張るくらいするって事は忘れないでよね。私は軍規より貴方の命の方が優先だから。貴方の為なら帝国や世界の一つや二つ敵に回したって構わないわ。無茶する時は私を呼んでよ。露払いくらいは出来るつもりよ」
「クラウスさん……」
沈黙を破りルイーザが声をかけるとクラウスは舌打ちした。
「野郎、避けやがった」
大隊長が光刃を一閃した瞬間、駆け出したセロンガード・シュタインドルフは背を向けたまま跳躍した。
宙へと跳んだ少年は足元を薙ぐ一撃を鮮やかにかわすと、振り返らずに道の彼方へと矢の如くに駆け去って行った。
「本気で斬ったのですか?」
「ああ」
男は頷いた。
「どうせここで足を失くす程度の腕なら、行った所でバルバロイどもに殺されるだけだからな……だから本気で斬った。が、野郎、避けやがった」
「救援は……」
「今は行けんぞ。解ってるだろうがな。兵力の逐次投入は無駄に被害を増やすだけだ」
クラウスは言った。
「あの馬鹿野郎が上手くやる事を祈るしかねぇ」
●
助けに行くと約束をした。
二度とは大切な人を拐われない。
「ゾフィー!」
黒髪の少年は叫び、戦火に燃える町を駆けた。
●
銀髪を後頭部で結い上げている少女の小柄な身が吹き飛んだ。
路上に転がったゾフィーの鳩尾を踏みつけるように半長靴の底が突き刺さる。
くぐもった息と共に少女は胃液を吐き出した。
「小娘がっ! 手古摺らせやがって!」
大男――タイフェルは銀髪の少女から足をどかすと大きく足を後ろに振り上げ、前方へと振り抜いた。
蹴り飛ばされたゾフィーが荷台から零れ落ちた林檎のように転々と転がり、うつ伏せに路上に倒れ伏す。
そのまま動かない。
タイフェルは手から細長い光を出現させるとゾフィーへと放ち、その両手を頭上でまとめて手首を縛り上げた。光縄の術である。抵抗力を失った対象を拘束する。
タイフェルは力を封じたゾフィーの側にしゃがみ込むとその銀髪を掴んで顔を無理やり起こさせた。うぅ、と少女が弱々しい呻き声をあげる。
「へっ、この俺様をコケにしやがったからにはぁ~、覚悟は出来テンだろうなぁ~~~ッ?! 楽に死ねるたぁ思うなよ?!」
大男はゾフィーの顔面を道に叩きつけると、立ち上がり無造作に蹴り飛ばし少女の身を仰向けに転がした。
「オィ、手前らァ! その小娘、好きにしていいぞッ!!」
「おお! さっすがタイフェル様~! わかってらっしゃるぅ~ッ!!」
バルバロイ達が銀髪少女へと群がってゆく。短剣の切っ先を少女の襟元へと入れた。一気に引き裂く。
豊かな曲線を描く白い肌が露わになった。
「や、めろ……触る、な、下衆、ども、め……」
「ひひひ、いつまでその意気地が持つかなァ!!」
男達の手が少女の身をまさぐり、そして、うち一人の脳天から矢が生えた。
「……あ?」
男は白目を剥き、間の抜けた声を発しながらゾフィーの白肌へと力なく覆い被さる。
(えっ、なっ、上ッ?!)
生き残りのバルバロイの一人が即座に頭上を仰ぎ見ると、通りの家屋の軒先から身を乗り出し、何本もの矢を右手の指の間に挟み、短弓に矢を番え男達を見下ろしている少年の姿があった。
黒い瞳が氷のような殺意を秘めて男達を覗き込んでいる。
「てっ――」
男が叫ぶよりも前に近距離からの矢が暴風雨の如く降り注いだ。
ゾフィーに群がっていた男の一人が額を射抜かれて倒れ、もう一人が首筋を射抜かれて倒れ、さらにもう一人が心臓を矢で貫かれて倒れる。
闇色の髪の少年は毛皮の外套をはためかせながら軒先から飛び降りると、宙で抜刀ざまに剣を一閃し、男の脳天をかち割り、着地と同時に転がって飛来した弩矢をかわし、起き上がりざまに剣を一閃してさらにもう一人の男を斬り倒す。
(……な、なんだこのガキッ?!)
素早く通路の陰に身を転がして唯一難を逃れたタイフェルは、弩に次の矢を装填しつつ身を乗り出して様子を窺った。
●
頭上近距離の奇襲からゾフィーの周りに群がっていた男達を全滅させたセロンは、剣に光を集めるとゾフィーへと放った。
光が満身創痍の少女の身を包み込み、その傷を癒してゆく。ヒールだ。
するとゾフィー目掛け弩矢が放たれた。セロンは身を捻りつつ少女と矢の間に滑り込ませた。少年の左肩に矢が突き立つ。
激痛を無視してセロンは剣を納め弓を背の留め金に納めると、ゾフィーを抱きかかえて駆け、付近にあった建物――教会のようだ――の扉を開き内部へと入り込んだ。
祭壇の裏側へと回り込んでゾフィーを降ろす。
「セ、ロン……どうして……ここに」
朦朧としている様子の少女は驚いているようだった。
黒髪の少年は笑って言った。
「助けに行くって約束したからね」
「セロン……」
ゾフィーの赤瞳に涙が浮かんだ。
「動けそう?」
「なんとか……でも、腕が……」
ゾフィーの両手首は光の縄で縛められている。この光の縄は一度かけられると簡単にはとけない。そして、これではまともに戦えない。
「やっぱり解けないか。わかった」
「御免、セロン、私なんかの為に怪我を……」
「大丈夫、こんなのはたいした怪我じゃない。君はここに隠れていて。まだ敵がいるから」
セロンは短剣を引き抜くとゾフィーの手に握らせた。
「無茶な事を言うんだけれども、もし、僕がやられたら、どうか一人で逃げてくれ」
セロンはじっと少女の赤瞳を見つめながら言った。
紅の瞳が泣き顔に歪んだ。
けれど、彼女は頷いた。
「……わかった」
セロンは立ち上がり歩き出した。
「どうか、無事で、気をつけて……」
少年はゾフィーの言葉を背に受けながら 左肩から矢を無造作に引き抜いて捨て、右手に光を集めて傷口にあて塞ぐ。
短弓を再び左手に取り、右手で腰の矢筒から矢を引き抜いた。
不意に、視界が一瞬ぼやけた。
気を強く持って意識を覚醒させる。
(……毒か)
どうやら先程の弩矢、物質かエーテルによるものかは解らないが、毒が塗られていたらしい。
ヒールは傷は癒せても、解毒は出来ない。
(悠長にやっていられる時間は無いな)
速攻の意志を固めつつセロンは表へと出た。
●
セロンが教会の入口から顔を覗かせた瞬間、弩矢が鋭く飛んできた。
戸口の陰に身を隠して矢をやり過ごす。矢の飛んできた方向を慎重に窺う。敵の姿が見えない。通路と、そして立ち並ぶ家々が見えるだけだ。敵は狭間の路地に身を隠しているのだろうか?
セロンは入口から飛び出した。
のんびりしていては毒が回ってそれだけで斃されてしまう可能性があった。毒で倒れる前に仕留めたい。
(せめて相打ちに)
そうでなければゾフィーが危険だ。
通りを駆ける。視界の中、何かが動いた。弩だ。家屋の陰からセロンに向かって突き出されている。僅かに顔を覗かせた大柄な男の、その鋭い眼光が見えた。
駆けながら弓に矢を番える。
敵の弩から矢が閃光の如くに放たれる。
身を半身に捻りながら斜め前方へと踏み込む。
弩矢が背を掠めながら後方へと抜けてゆく。
同時、セロンは反撃の一矢を撃ち放っていた。大男が再び身を路地の陰に隠すよりも前に矢を叩き込む。
が、矢はあらぬ方向へと大きく逸れ、家屋の壁に突き立った。
(――外した?)
左腕が、痺れていた。毒のせいだ。狙いが定まらない。
(弓はもう駄目だ)
主力が既に封じられている。
だが、絶望している暇はなかった。今ある手持ちで殺さねばならない。そうでなければゾフィーともども殺されるだけだ。
男が身を路地へとひっこめた。恐らく、弩を装填しようとしている筈だ。
セロンは弓を握ったまま、駆けた。完全に接近するまではまだ弓を使えるものだと思わせておいた方が良い。そうでなければ、ひたすらに距離を取られる。しかし、もう弓が使えなくなった事は先の一矢であちらにもバレたか? ――わからない。
だが、あくまで弩で勝負しようとしているのなら、装填の為に全力では駆けてはいられない筈。つまり、ならば、距離はそれほど空いていない。
――装填される前に路地に飛び込み、相手の顔へと弓を投げつけながら突進、抜刀様の斬撃で仕留める。
刹那の間に打つ手を決めたセロンは疾風の如くに駆け、路地へと飛び込んだ。
すると眼前に闇があった。
大男が目の前で漆黒の霧を纏う長剣を振り上げていた。瞳が赤色に輝いている。
背に悪寒が走り抜けるよりも前に、セロンは弓を頭上に翳しながら反射的に飛び退いていた。
迫る黒い落雷が弓身と激突し、切断してセロンの肩口を捉える。その切っ先がセロンの左の鎖骨を叩き斬りながら抜けていった。
(――浅い!)
筈だ。
後ろに飛んでいたから。
致命傷は避けられた、その筈だ。
そう決めつけ、激痛に歯を喰いしばり耐えつつ、着地する。
切断された弓を手放し腰の剣の柄に手を伸ばす。
大男が吠えた。
「星巡る”メドゥの爪”よ、その力を示せッ!!」
大男が踏み込みながら下段より長剣を振り上げる。同時、セロンの足元付近の地面からナニカが急激に流動し渦巻いた。
(魔術っ?!)
その刹那、セロンの視界が漆黒に塗り潰され、猛烈な衝撃が全身を貫いて、少年の身は空へと向かって打ち上げられた。
●
闇の中、激痛と共に浮遊感に包まれ、そして、回転しながら落下してゆく。
――態勢を立て直さなければ。
そう思ったが、身体が動かなかった。
やがて強烈な襲撃が左肩を圧し砕くように襲い、そして全身を貫いた。
「けっ、俺にこの剣を抜かせるとはな」
いつの間にか通りにうつ伏せに転がっていた。
顔を上げると、大男が黒い霧を纏う長剣を携え歩いて来るのが見えた。
(魔剣)
バルバロイが何故、そんなものを持っている。
そんなものを持っているなら、もっと前から報告されていた筈だ。
この戦の直前に手に入れたのか――そんな簡単に手に入る代物か?
何者かが、与えたのか。誰が?
(メドゥ――)
そう考えるのは短絡だろうか。
しかし、今回のバルバロイの襲撃、蛮族達の背後に帝国の転覆を狙うメドゥの指先の思惑と支援があるのなら、色々と辻褄が合う事が多い。
「お前、なかなか強かったぜ。だが、立っているのは俺で、倒れているのはお前だ。あばよ!」
大男がセロンを見下ろし長剣を振り上げた。
ここまでか、そう、思った。
(すまない、ゾフィー)
不意に、眩く燃える蒼白い光がセロンの身を包み込むように吹き上がった。
光は振り下ろされた黒の剣を弾き飛ばし、セロンの身から痛みが消え失せ力が湧き上がって来る。
「おぉっ?!」
大男が動揺の声をあげ後退った。
エーテル光はセロンの懐から溢れ出していた。そこに忍ばせていたのは、かつて紅瞳子が肌身離さず持ち歩いていた銀の鍵。
(このエーテルは)
セロンは昔、感じた事があった。
古狼のエーテルだ。
――諦めるな。
アルターがそう言っているような気がセロンにはした。
激しく噴出した光が消え失せてゆく中、黒髪の少年は素早く横転すると勢いを利用して起き上がりざま剣を低く一閃した。
大男が飛び退いてかわし、セロンはすかざす剣を両手に真半身――相手に対して左肩を突き出すように真横を向く形――に構えながら踏み込む。厄介な術を使うなら、撃たせなければ良い。
「舐めるな!」
振り下ろしの黒い閃光。
その太刀筋はもう見た。
少年は身を捻り右斜め前方へと踏み込みつつ剣を振り下ろした。
黒剣が少年の頭部を掠めながら縦に空間を断ち切り、紙一重、すり抜けるように移動した少年の鋼の剣が男の左手首に喰い込む。
「おぐぉっ?!」
鮮血が吹きあがり、大男が驚愕の声をあげよろめく。セロンはさらに踏み込みながら剣を大男の喉元目掛けて突き出した。
男が必死の形相で身を捩る。
逃さない。
鋼の刃の切っ先が、吸い込まれるように大男の喉元へと沈んでゆく。
大男が眼を剝き、セロンは切っ先を喉の奥へとさらに押し込みながら右手で腰の矢筒から矢を引き抜いた。
矢を握り込んだ右腕を猛然と振り上げ、踏み込みながら大男の眉間目掛け渾身の力を振り絞って振り下ろす。
鋼の鏃が眉間に炸裂し、大男が白目を剥き、仰向けにゆっくりと倒れてゆく。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
路上に転がり、もう動かない大男の喉に深々と刺さっている剣を手放し、少年は荒々しく息をついた。
珠のような汗が噴出して全身が灼けるように熱い。
消えていた激痛が戻ってきて、鉛のようにへばりつく重い疲労が圧し掛かって来る。
セロンの傷は、癒えていた訳ではなかった。毒も、消えていた訳ではなかった。ただ、痛みが消えていただけだ。
四肢が震える、視界が霞み、前が良く見えない。
セロンは大男が手にしていた長剣を拾い上げた。今にも倒れそうだが、この魔剣を使えれば、あるいは、ゾフィーと共に味方が抑えている領域まで撤退できるかもしれない。
(……できるかもしれない、じゃない。必ず撤退するんだ、二人で)
黒髪の少年は最後の気力と体力を振り絞り歩き出す。
すると、煌めく何かが唸りをあげて飛来した。
衝撃を起こしながらセロンの身に激突する。
「あ……?」
見下ろすと、それは矢だった。
セロンの胸から矢が生えるように突き立っていた。
顔を上げ、霞む目を凝らすと、通りの彼方に砂色の長衣に身を包んだ人影が見えた。
手に弓を持ち、矢を番え、引き絞っている。
味方ではない。
閃光がひらめく。身を捻る。避けきれなかった。セロンの身にもう一本、矢が突き刺さって、少年は通りに独楽のように回転しながら転倒した。
熱い何かが身体から急速に流れ出していっているのが感じられた。
今度こそ、正真正銘、身体が動かない。
(ゾフィー……)
遠くで、誰かが叫んでいる声がした。
黒く閉じてゆく視界の中で、道の彼方より、薄紫色の長い髪の少女が一人、弓矢を手に駆けて来ているのが見えた。
●
目を開けると、見知らぬ天井だった。
傍らへと視線を動かすと、カサンドラが椅子に座って背もたれに寄りかかりながら瞳を閉じているのが見えた。
眠っているのだろうか? 頬がこけ、目の下に隈が出来、髪が乱れている、かなり、憔悴している様子だった。
見つめていると少女の青い瞳がうっすらと開いて、それから大きく見開かれて、そして柔らかく笑みに形どられた。
「おはようセロン」
「あぁ……おはようキャシー」
「調子はどう? どこか傷む?」
「いや……不思議と、傷む箇所はないな」
「良かった。治療が上手くいったのね」
「ゾフィーは?」
「無事よ。もう目が覚めてる。安静を言い渡されてベッドの上に縛り付けられてるけどね」
「そうか……良かった」
「セロン」
カサンドラが居住まいを正して言った。
「ゾフィーの友人としてお礼を言うわ。有難う、あの子を助けてくれて」
「……どういたしまして」
微笑んでいる少女を枕元から見上げつつ、
「……ねぇキャシー」
「なぁに?」
「怒ってない?」
するとカサンドラはくすっと笑った。
「どうして私がセロンのする事を怒るの? 道義に反するような事だったらそれは確かに怒るかもしれないけど、でも貴方はそういう事はしないし、今回はおまけにゾフィーを助けようとしての事だもの」
「……いやぁ、でも命令違反だし」
「それで私がする事は、怒る事じゃなくて、貴方が死刑になりそうだったら貴方を担いで帝国から逃げる事よ。今回はゾフィーとルイーザさん達が歎願してクラウスさんが上層部に対して庇ってくれて、だから功績と相殺となってそういう事にはならなかったけど……それに命令違反っていったら、私も命令違反者だしね今回、貴方の事をどうこうは言えないわ」
「……そうなの?」
「ええ」
カサンドラは頷いた。
ゾフィーら隊員達やクラウスの働きかけと諸々の功績によって二人の命令違反は相殺された。
一つ、ゾフィーが民間人の救出とルイーザ隊の生還に功績があった事。
二つ、セロンがそのゾフィーを救出した功とタイフェルという名のバルバロイリーダーを倒した事。今回町を襲ったのは複数のバルバロイ集団の連合で、タイフェルは連合のトップのリーダーではなかったが、かなり強力な地位にいるリーダーではあり、それを討った功績は大きい、との事だった。
町は帝国軍が取り返し、激戦の末多数のバルバロイも討伐したが、主要なバルバロイリーダー達は地下通路の秘匿されていた抜け穴を通じて地上へと脱出し、まんまと逃げおおせたらしい。
このままでは帝国軍の面子が立たない、という中にあってタイフェルの首をあげられた事は助かった事なのだそうだ。
三つ、カサンドラが戦場で所属隊の矢面に立って活躍し功をあげ、かつ、窮地に陥っていたセロンとゾフィーを後続が来るまで単身守り抜いた功績があった為。
「……え、一人で?」
「ええ、他ならぬ貴方とゾフィーが窮地に陥っている時に、どうして私が悠長な待機命令なんて聞いていられるの? そんな訳ないでしょう」
少女は笑顔で言った。
「自分一人ででも突撃するに決まっている」
「……うん、そうだ、そうだった、君は物腰は柔らかいが、決してお姫様じゃあなかったな」
かつてのライバルの蛮勇にセロンは笑った。
カサンドラは少し拗ねたような不服そうな表情を浮かべて、
「お姫様扱いはちょっと憧れるけどね。でも私だって貴方の為に命を張るくらいするって事は忘れないでよね。私は軍規より貴方の命の方が優先だから。貴方の為なら帝国や世界の一つや二つ敵に回したって構わないわ。無茶する時は私を呼んでよ。露払いくらいは出来るつもりよ」