リヒテンシュタット攻防戦・前編
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年02月05日 20時23分01秒
夜明け前。
緊急を告げる鐘の音は、死者さえも叩き起こすかの如き緊迫を以って激しく叩き鳴らされていた。
「この鐘は……」
セロンガード・シュタインドルフは寝床から急ぎ起き上がると戦装束を纏い部屋から飛び出した。
兵舎の廊下へと出ると同じように飛び出して来た同僚達の姿がちらほらと見られる。
セロン達は一筋の川の流れのようになって駆け、兵舎の一角へと集合した。
「諜報部隊が第一装備で緊急招集だと?」
「余程の事が起きたようだな」
整列し上官を待っている間にも周囲の同輩たちが囁き合う言葉が耳に入って来る。
「先日、例の件を鎮圧する為に帝都駐屯軍の半数が出撃したばかりよね?」
戦装束姿の紫髪ロングの小柄な少女が緊迫した面持ちで、同じく戦装束に小柄な身を包んだ銀髪ポニテ少女を伴いやって来た。
セロンは頷き、
「うん、嫌な予感がする……」
「セロンの嫌な予感はあたるんだよなぁ。もっとも、今は私も嫌な予感してるけどね」と眠そうな目を擦りつつゾフィー。
「この状況で良い予感がする人間は余程の豪傑だよ」
「確かに」
少女達がセロンの後ろについて整列してゆく。
ほどなく大隊長と副官が集合場所へとやってきた。
隊員達が背筋を伸ばして姿勢を正し、セロンもまたそれに習う。
「注目!」
副官が声を鋭く発し、大隊長は片手をあげてそれを制止した。
「いや良い、楽にしながら聞いてくれ。まず今回の緊急招集は訓練ではない。これは訓練ではない。先程入った報せによれば、輝ける石の町の付近にバルバロイの大軍が出現し、町への包囲を開始したとの事だ」
周囲の同輩達は微動だにせず沈黙を保ったままだったが、場に鋭く緊張が走ったのをセロンは感じた。
「町から各地へと至急の救援要請が飛ばされている。帝都としてもこれを捨ておく訳にはいかない。だが、諸君らも知っての通り、先日の件により帝都駐屯軍の半数が既に出払っている」
上官は言った、陽動の可能性も外せない為、これ以上、帝都の守りを薄くする訳にはいかない、と。
また町の陥落を阻止する為には一刻も早く駆けつけなければならない、とも。
「そこで機動性に富む我々とバルダス第三大隊に緊急の出撃指令がくだった。今回は第三大隊との共同作戦である」
バルダス第三大隊は帝都駐屯軍の一隊で、機動力が高い軽装歩兵隊として知られている。
「戦列戦は諜報部隊の本義ではないが正面は第三大隊が担当してくれる。我々はその側面支援となる。我々は精鋭である。慣れぬ任務となると思うが、諸君らならば十分以上にこなせるものと確信している。以上だ。行動開始」
大隊長が言葉を終えると、部隊は静かに秩序を以って、しかし足早に動き始めた。
(輝ける石の町を襲撃? バルバロイが?)
何故、と歩きつつセロンは思う。
シルトラースは大陸最強の軍事国家だ。
中央集権された帝国だから、他と比較して――容易には統率の取れない封建王国や議会制の都市同盟などに比べて――意志決定が遥かに速く、故に反撃も速い。援軍は各地から素早く集結する。
その軍事国家の町を攻める? 脆弱な基盤しか持ち得ないバルバロイ達が大軍になって?
例え初動に優勢を掴めたとしても、その後に続々と集結してくる帝国の巨大な総兵力に抗える訳がないのは、バルバロイ達とて承知の筈。
一撃の後にすぐに退却するゲリラ戦などならともかく、国家の態すら築けていないバルバロイ達が正面きって戦える相手ではない、大陸最強シルトラース軍は。
そして何より――
――バルバロイ達がシルトラース相手にゲリラ戦をして何の得がある?
無意味に血と鉄を消耗するだけだ。
そして単独で占拠しようとする事はそれ以上の無意味さだ。無駄に双方に犠牲が出るだけ。
となるとあくまで略奪目的の一時的な襲撃に過ぎないのか――
しかし町を襲撃するなどという大それた事をやれば帝国の威信にかけて山狩り等、苛烈な報復が後に待ち受けているのはわかっている筈だ。
本気の報復を受けるとなれば、彼等にとっても必ずしも得になるとはいえない、にも関わらずそれを行うという事ならば――
もっともありえそうなのは、帝国を良しと思わぬ何処かの勢力からの支援を受けての行動だろうか?
後ろ盾や支援があるから、無茶をする。逃げ場があるから。
あるいは、その逃げ場は実は空手形で、使い捨ての駒として乗せられた。
単独で無いなら何かの陽動作戦の一環という事も有り得る。
リヒテンシュタットは以前、メドゥの指先が儀式によって冥界への門を開いた場所でもある。
故にあるいは、
(……何か、あるのか? あの町には?)
先に駐屯軍が出払った件はこれの為の計画的な陽動なのだろうか?
それとも別件でバルバロイ達は機に乗じて動いたのか?
あるいは、単に偶然が重なった?
黒幕がいるのか、いないのか。いるとしたらやはり最右翼は――
(メドゥの指先か?)
神ならざる一兵士の身では、何もかもが解らないままの出撃だった。
●
以前帝都から町へと向かった際には騎乗していた為、二日で着いたが、軽装で機動力に富んだ隊とはいえ歩兵の、しかも千を数える集団となるとそうはいかなかった。
町へ到着するまではそれなりの日数がかかり、そうこうしている間に部隊へは、
『リヒテンシュタット陥落』
の報が届いた。
バルバロイ達はかなりの数であるらしく町の守備隊だけでは持ち堪えられなかったのだ。
やがて退却してきた町の守備隊と部隊は合流した。
陥落までに間に合わなかった以上、セロンはこのまま他地域からの援軍が集結するまで待機になるかと思っていたのだが、
『バルダス第三とヴェヒター・ヌル、そして輝石町の守備隊の生き残り達で共同し、輝石町を奪還する』
その指令が通達された。
「なんだって?」
「上は正気か?!」
「攻城兵器なんて持ってきちゃあいないぞ」
さすがの見えざる見張り番の同輩達にも動揺が見られた。なんせ完全に専門外だ。いかに精鋭といえども諜報部隊員として精鋭なのであって、正面切っての町攻めは担当外だから経験もなければ訓練も積んでいない。
「守備隊は敗残してボロボロだ。頼みのバルダス第三だって軽装部隊だ、町攻めは専門じゃない。つまり、どの部隊も攻城戦に関しちゃ頼りにならねぇ」
「それでも援軍を待たずにこの場の俺達だけでやるのか?」
「ああ、しかも『極めて迅速に』だ」
そんな無茶な、と誰かが呻くように呟くのをセロンは聞いた。
そこへ、
「――城壁の突破に関しちゃさほど心配しなくて良い」
響く声と共に大隊長が場に現れた。
「先の攻防で壁には既に大穴があいている」
輝石町がこうも早くに陥落してしまったのもそれが原因らしい。
なんでも、敵は虚空に巨大な岩塊を出現させ、それを流星の如くに降り注がせて町を囲む壁に大穴をあけたのだと。
「流星? ……隕石落としか!」
伝説の魔法だ。
「馬鹿な、御伽噺だろメテオなんて」
「バルバロイの中に御伽噺の大魔法使いがいるってのか? 冗談だよな?」
「知らん。伝説の大魔法使いだろうが喉に矢を刺せば殺せる」
問題にする事では無い、と大隊長は無造作に言った。
「そもそも何かのペテンかトリックの可能性もある。ともかく、肝要なのは壁には多数の大穴があいているという事だ。敵はその穴を利用して町を陥落させたが、俺達もまたその穴を利用して攻める事ができる」
クラウスの言葉に一同は考え込むように沈黙する。
「……しかし……それであっても大分無茶でしょう」
セロンは沈黙を破り、声をあげた。
「何故、そこまで急ぐのですか?」
一同の視線がセロンへと集まる。
黒髪黒瞳の少年は穏やかに丁寧な口調で言った。
「各地からの援軍を待てばいかにバルバロイの数が多いとはいえ帝国軍の比ではないでしょう」
こちらが集結すれば、あちらは戦わずに町を放棄して逃げてくれる可能性さえある。
「ですが、今攻めれば少なからぬ被害が必ず発生します」
最悪、敗北さえもありうる。
「待てば確実に勝利できて、さらには被害までも抑えられるのに、何故、無理をしてまで今すぐに攻めるのですか?」
その疑問は皆も抱いていた事だったのか、セロンの見つめる先――すなわちクラウスへと視線が集まる。
「その答えだが」
クラウスは厳しい面差しでセロンを見据え返して来て言った。
「――お前達には知る権限が無い」
どうやら機密事項であるらしい。
周囲から溜息がもれた。
だが、それだけだった。
常の部隊ならばもっと反発もあるだろうが、セロン達は諜報部隊員である、情報の取り扱いこそが専門だ。
だから、一同はその言葉で納得した様子だった。
「俺達は軍人だ。上が行けと言ったら行く。攻めるといったら攻める。奪い返すと言ったら、奪い返す。良いな?」
セロン達見えざる見張り番の諜報員達は「はっ」と了承の言葉を返したのだった。
●
合流して一つとなった三つの部隊は、輝石町へと接近した。
バルバロイ達は打って出ての迎撃はせず――町に拠っての籠城戦を選択した。
「撃ち返せーッ!!」
薄い紺碧の闇が未だ残り、煌々と無数の松明が燃やされる未明、バルダス第三の中隊長の声が鋭く響き渡った。
『穴の開いている箇所から攻めるから町を囲む城壁は問題無い』
クラウスはそう部隊員達に説明したし他の部隊長達も自部隊の兵達へとそう説明し納得させていたが、実際にやるとなると言葉のようには簡単にはいかなかった。
バルバロイ達は廃材や馬車などを穴の前に置いて簡易的なバリケードとして塞ぎ、侵入を阻害していたのだ。
さらには帝国兵達が穴の空いた東側から攻めかかるのを読んでいた。
彼等は兵力を東側の壁に極端に集中して配置し、大兵力で以って矢の雨を降らせてきた。
突破を図るべく接近した歩兵達は、盾を構えてもなお、その隙間から猛烈な密度の矢を通されバタバタと射倒されてゆく。
帝国の射手達も前衛の歩兵の接近を支援すべく撃ち返していたが、相手は城壁上、つまり高所に陣取っている。撃ち降ろしの矢は強い。さらに女牆を遮蔽に取る事も出来る。
対する地上は吹き曝しの遮蔽の無い荒野だ。不利は免れ得なかった。撃ち返されて射手達にも少なからぬ被害が発生してゆく。
「畜生! こんなもん突破なんざ無理だ!」
「無理に決まってんのに、何故、撤退命令が出ない?!」
バルダス第三や元・守備隊の歩兵達は上層部の指示を呪いながら矢に射抜かれ、落石に潰され、降り注ぐ油に生きたまま焼かれながら次々に倒れてゆく。
「大隊長! 突破は不可能です!」
「このままでは損害ばかりが……!」
副官達から攻撃中止を促されていたが、バルダス第三の大隊長は無表情で戦況を睨み据えながら微動だにしなかった。
●
他方、東側の城壁で地獄が展開されている間に、セロンらヴェヒター・ヌルの精鋭達は、丘の稜線の陰らを利用して密かに移動し西側へと回り込んでいた。
合図を受けたセロン達は稜線の陰から一気に飛び出す。
黎明の闇に紛れながら距離を詰めると、すっかり手薄になっている西壁の蛮族守兵達へと向かって矢を放った。
闇の中に走る無数の煌きが唸りをあげて飛び、西壁上の蛮族達が次々に倒れてゆく。
ヴェヒター・ヌルの一部はさらに駆け、壁に激突する勢いに見えたが、彼等は壁を足場に垂直に駆け登り始めた。壁走りだ。
「なにっ?! ぐあぁっ!!」
生き残りの蛮族守兵達が光景に驚愕し、その動揺が収まる前にセロン達が放った矢に射抜かれ倒れてゆく。
壁走り隊は弓兵の射撃による援護を受けながら壁を一気に駆け登ると、西壁上を瞬く間に制圧した。
そしてフック付きのロープを女牆に縛り付け、もう一方の端を城壁下へと次々に垂らしてゆく。
地上の弩弓兵達が駆け出し、ロープに取りついて壁を登り始める。
「穴の開いた側から攻めるのではなかったのですか?」
ロープを登る順番待ちの間に、セロンは隣のクラウスへと言葉をかけた。まぁ薄々そんな気はしていたのだが。
案の定、
「バルバロイ達だってそう思うだろ。穴側から敵が寄せて来ると解っているなら、猿でも対策する。それに、さすがにヴェヒター・ヌルは大丈夫だと思うが、俺がバルバロイの指揮官だったら、町の守備隊員には息のかかった奴を潜り込ませておくからな。守備隊の情報統制は信用できん」
諜報部の大隊長はそう言った。
部隊内に情報を流せば、それが敵に筒抜けになる事をクラウスらは予想していた。
だから、敢えて穴のある東壁側から攻めると部隊内に通達した。
そうしてバルバロイ達に『帝国軍は東から攻めて来る』と思い込ませ、実際にもバルダス第三と元・守備隊が東を攻めて敵の守りと意識を東に集中させ、一方でその間に、信用出来る少数の精鋭を編成し、手薄になった西側の壁を一気に襲撃、制圧した。これが二の矢だ。三の矢もあったが、それは使わずに済みそうだった。
敵を騙すにはまず味方から。
「見えざる見張り番は俺達だけじゃない、敵にだって似たような連中はいるもんだ」
その敵のスパイ達を帝国軍は逆に利用した。
「お前も気をつけろよ」
諜報員達の戦いというのは、そういうものであるらしい。
●
西の城壁を制圧したセロン達は内部へと侵入すると西門を開いて黎明の空へ合図の光矢を飛ばした。
東部隊は攻勢を一旦停止して後退、半数を東に留まらせつつも半数を西へと向けた。
この時、蛮族達も気づき西の壁と門を奪還せんと多数の兵を回してきたが、セロン達は奪った城壁とその上に建つ塔から矢を嵐の如くに浴びせて良く守り、奪還を許さなかった。
そうこうしている間に迂回してきた帝国兵達が西門から壁内へと雪崩れ込んだ。
するとバルバロイ達は壁の守りを放棄し撤退を開始した。
町の外へ、ではない。
地下へ、だった。
輝ける石の町はその名が示す通り大理石が特産品だ。古より採掘が進められ町の中は穴だらけになっている。
空洞は地下に蟻の巣のように広がり、そして水路にも利用され、一種の地下迷宮と化していた。
バルバロイ達はここに立て籠もって対抗せんとしたのだ――
●
――ゾフィー・マルテルは負けず嫌いで時折り愚かしさも見せるが、基本的には頭が良い。そうでなければ弩弓課程で首席は取れない。
ついでに言うならあまりヒロイックな性格でも無い。
ヒロイックな節がある人物に好意的ではあるが、彼女は自分からは余程の理由でも無い限り進んでそういう英雄的な行動は取らない。
だから、
「は? 正気で言ってんですか? 死にますよ?」
今回の作戦の際に編入された小隊にて、彼女は市街戦の最中に『民間人を救出する』と宣言した小隊長へと制止の言葉を述べていた。
というのも城壁を奪われ、劣勢になったバルバロイ達は、地下への撤退時間を稼ぐ為に、輝石町の町民達を盾や囮に使い始めたのだ。
特に、ゾフィーらの前に現れたバルバロイの殿隊は狡猾で、撤退する敵を追うゾフィー達の前方に複数の老若男女の町人達を放り出したのだ。
町人達は皆、手足の腱を切断されて身動きが出来ない状態にされていた。芋虫のように這いずる事しか出来ない。
だが、まだ命はあり、そして口々に助けを求めて泣き叫ぶ事は可能だった。
先行していた帝国兵達がその様を見て慌てて救助に駆け寄った所、二方向から矢が飛来して、救助に向かった帝国兵達は次々に身を撃ち抜かれ、倒れた。
紛れもないキルゾーンだった。十字狙撃される。
どうやら敵の殿はかなり高性能の弩を持っているようで、そして恐らくは授恵者だった。驚異的な腕をしている。
「救出は不可能です、無理ですよルイーゼ」
「出来る出来ないじゃあない、やるのよ」
家屋の陰にて様子を窺いつつ森エルフの女は真剣な面差しをしていた。ベリーショートの金髪を持つ長身の女だ。以前もこのリヒテンシュタットでの作戦を共にした事があった。彼女が今ゾフィーが所属している小隊の隊長だった。
「帝国軍人が目の前で助けを求めている民間人を見捨てる訳にはいかない、違う?」
「時と場合に拠るでしょう。これは自殺しにいくようなものです。それに、先程、信号矢が上がりました。あれは集合の合図です。部隊は一旦退いて集結しろと私達に言っています、命令を無視するのですか? 私は反対です」
「撤退命令には従うわ。ただし、それは民間人を救出しながら、よ」
物陰に入って動かない帝国兵達を挑発するかのように、一本の弩矢が飛び、道を這っている町人の子供へと撃ち込まれた。
苦悶の絶叫が響き渡る。
「あああああ! 神様ぁ! 神様ぁ! 神様ぁああああっ!」
恐怖の泣き声と助けを求める声が、必死に道を這いずっている人々から次々に上がってゆく。
微妙に急所を外している。わざと一思いに殺さず泣き叫ばせているのだ。帝国兵達を釣り出す為に。
ゾフィーは唇を血が出る程に強く噛みしめた。
ルイーザが叫んだ。
「撤退したい者は撤退していいわよ! けれど私は帝国兵の義務を果たすッ! 自分が帝国軍人だという自認がある者は私について来いッ!!」
おおっ!
周囲の帝国兵達から声が上がった。
「盾持つ者は盾を構えろ! 弓持つ者は撃ち返せ! 援護せよッ! 行くぞッ!!」
ルイーザが盾を手に飛び出し、他にも十数人の帝国兵達がそれに続いて飛び出す。
ゾフィーは物陰に留まったまま、動けなかった。
緊急を告げる鐘の音は、死者さえも叩き起こすかの如き緊迫を以って激しく叩き鳴らされていた。
「この鐘は……」
セロンガード・シュタインドルフは寝床から急ぎ起き上がると戦装束を纏い部屋から飛び出した。
兵舎の廊下へと出ると同じように飛び出して来た同僚達の姿がちらほらと見られる。
セロン達は一筋の川の流れのようになって駆け、兵舎の一角へと集合した。
「諜報部隊が第一装備で緊急招集だと?」
「余程の事が起きたようだな」
整列し上官を待っている間にも周囲の同輩たちが囁き合う言葉が耳に入って来る。
「先日、例の件を鎮圧する為に帝都駐屯軍の半数が出撃したばかりよね?」
戦装束姿の紫髪ロングの小柄な少女が緊迫した面持ちで、同じく戦装束に小柄な身を包んだ銀髪ポニテ少女を伴いやって来た。
セロンは頷き、
「うん、嫌な予感がする……」
「セロンの嫌な予感はあたるんだよなぁ。もっとも、今は私も嫌な予感してるけどね」と眠そうな目を擦りつつゾフィー。
「この状況で良い予感がする人間は余程の豪傑だよ」
「確かに」
少女達がセロンの後ろについて整列してゆく。
ほどなく大隊長と副官が集合場所へとやってきた。
隊員達が背筋を伸ばして姿勢を正し、セロンもまたそれに習う。
「注目!」
副官が声を鋭く発し、大隊長は片手をあげてそれを制止した。
「いや良い、楽にしながら聞いてくれ。まず今回の緊急招集は訓練ではない。これは訓練ではない。先程入った報せによれば、輝ける石の町の付近にバルバロイの大軍が出現し、町への包囲を開始したとの事だ」
周囲の同輩達は微動だにせず沈黙を保ったままだったが、場に鋭く緊張が走ったのをセロンは感じた。
「町から各地へと至急の救援要請が飛ばされている。帝都としてもこれを捨ておく訳にはいかない。だが、諸君らも知っての通り、先日の件により帝都駐屯軍の半数が既に出払っている」
上官は言った、陽動の可能性も外せない為、これ以上、帝都の守りを薄くする訳にはいかない、と。
また町の陥落を阻止する為には一刻も早く駆けつけなければならない、とも。
「そこで機動性に富む我々とバルダス第三大隊に緊急の出撃指令がくだった。今回は第三大隊との共同作戦である」
バルダス第三大隊は帝都駐屯軍の一隊で、機動力が高い軽装歩兵隊として知られている。
「戦列戦は諜報部隊の本義ではないが正面は第三大隊が担当してくれる。我々はその側面支援となる。我々は精鋭である。慣れぬ任務となると思うが、諸君らならば十分以上にこなせるものと確信している。以上だ。行動開始」
大隊長が言葉を終えると、部隊は静かに秩序を以って、しかし足早に動き始めた。
(輝ける石の町を襲撃? バルバロイが?)
何故、と歩きつつセロンは思う。
シルトラースは大陸最強の軍事国家だ。
中央集権された帝国だから、他と比較して――容易には統率の取れない封建王国や議会制の都市同盟などに比べて――意志決定が遥かに速く、故に反撃も速い。援軍は各地から素早く集結する。
その軍事国家の町を攻める? 脆弱な基盤しか持ち得ないバルバロイ達が大軍になって?
例え初動に優勢を掴めたとしても、その後に続々と集結してくる帝国の巨大な総兵力に抗える訳がないのは、バルバロイ達とて承知の筈。
一撃の後にすぐに退却するゲリラ戦などならともかく、国家の態すら築けていないバルバロイ達が正面きって戦える相手ではない、大陸最強シルトラース軍は。
そして何より――
――バルバロイ達がシルトラース相手にゲリラ戦をして何の得がある?
無意味に血と鉄を消耗するだけだ。
そして単独で占拠しようとする事はそれ以上の無意味さだ。無駄に双方に犠牲が出るだけ。
となるとあくまで略奪目的の一時的な襲撃に過ぎないのか――
しかし町を襲撃するなどという大それた事をやれば帝国の威信にかけて山狩り等、苛烈な報復が後に待ち受けているのはわかっている筈だ。
本気の報復を受けるとなれば、彼等にとっても必ずしも得になるとはいえない、にも関わらずそれを行うという事ならば――
もっともありえそうなのは、帝国を良しと思わぬ何処かの勢力からの支援を受けての行動だろうか?
後ろ盾や支援があるから、無茶をする。逃げ場があるから。
あるいは、その逃げ場は実は空手形で、使い捨ての駒として乗せられた。
単独で無いなら何かの陽動作戦の一環という事も有り得る。
リヒテンシュタットは以前、メドゥの指先が儀式によって冥界への門を開いた場所でもある。
故にあるいは、
(……何か、あるのか? あの町には?)
先に駐屯軍が出払った件はこれの為の計画的な陽動なのだろうか?
それとも別件でバルバロイ達は機に乗じて動いたのか?
あるいは、単に偶然が重なった?
黒幕がいるのか、いないのか。いるとしたらやはり最右翼は――
(メドゥの指先か?)
神ならざる一兵士の身では、何もかもが解らないままの出撃だった。
●
以前帝都から町へと向かった際には騎乗していた為、二日で着いたが、軽装で機動力に富んだ隊とはいえ歩兵の、しかも千を数える集団となるとそうはいかなかった。
町へ到着するまではそれなりの日数がかかり、そうこうしている間に部隊へは、
『リヒテンシュタット陥落』
の報が届いた。
バルバロイ達はかなりの数であるらしく町の守備隊だけでは持ち堪えられなかったのだ。
やがて退却してきた町の守備隊と部隊は合流した。
陥落までに間に合わなかった以上、セロンはこのまま他地域からの援軍が集結するまで待機になるかと思っていたのだが、
『バルダス第三とヴェヒター・ヌル、そして輝石町の守備隊の生き残り達で共同し、輝石町を奪還する』
その指令が通達された。
「なんだって?」
「上は正気か?!」
「攻城兵器なんて持ってきちゃあいないぞ」
さすがの見えざる見張り番の同輩達にも動揺が見られた。なんせ完全に専門外だ。いかに精鋭といえども諜報部隊員として精鋭なのであって、正面切っての町攻めは担当外だから経験もなければ訓練も積んでいない。
「守備隊は敗残してボロボロだ。頼みのバルダス第三だって軽装部隊だ、町攻めは専門じゃない。つまり、どの部隊も攻城戦に関しちゃ頼りにならねぇ」
「それでも援軍を待たずにこの場の俺達だけでやるのか?」
「ああ、しかも『極めて迅速に』だ」
そんな無茶な、と誰かが呻くように呟くのをセロンは聞いた。
そこへ、
「――城壁の突破に関しちゃさほど心配しなくて良い」
響く声と共に大隊長が場に現れた。
「先の攻防で壁には既に大穴があいている」
輝石町がこうも早くに陥落してしまったのもそれが原因らしい。
なんでも、敵は虚空に巨大な岩塊を出現させ、それを流星の如くに降り注がせて町を囲む壁に大穴をあけたのだと。
「流星? ……隕石落としか!」
伝説の魔法だ。
「馬鹿な、御伽噺だろメテオなんて」
「バルバロイの中に御伽噺の大魔法使いがいるってのか? 冗談だよな?」
「知らん。伝説の大魔法使いだろうが喉に矢を刺せば殺せる」
問題にする事では無い、と大隊長は無造作に言った。
「そもそも何かのペテンかトリックの可能性もある。ともかく、肝要なのは壁には多数の大穴があいているという事だ。敵はその穴を利用して町を陥落させたが、俺達もまたその穴を利用して攻める事ができる」
クラウスの言葉に一同は考え込むように沈黙する。
「……しかし……それであっても大分無茶でしょう」
セロンは沈黙を破り、声をあげた。
「何故、そこまで急ぐのですか?」
一同の視線がセロンへと集まる。
黒髪黒瞳の少年は穏やかに丁寧な口調で言った。
「各地からの援軍を待てばいかにバルバロイの数が多いとはいえ帝国軍の比ではないでしょう」
こちらが集結すれば、あちらは戦わずに町を放棄して逃げてくれる可能性さえある。
「ですが、今攻めれば少なからぬ被害が必ず発生します」
最悪、敗北さえもありうる。
「待てば確実に勝利できて、さらには被害までも抑えられるのに、何故、無理をしてまで今すぐに攻めるのですか?」
その疑問は皆も抱いていた事だったのか、セロンの見つめる先――すなわちクラウスへと視線が集まる。
「その答えだが」
クラウスは厳しい面差しでセロンを見据え返して来て言った。
「――お前達には知る権限が無い」
どうやら機密事項であるらしい。
周囲から溜息がもれた。
だが、それだけだった。
常の部隊ならばもっと反発もあるだろうが、セロン達は諜報部隊員である、情報の取り扱いこそが専門だ。
だから、一同はその言葉で納得した様子だった。
「俺達は軍人だ。上が行けと言ったら行く。攻めるといったら攻める。奪い返すと言ったら、奪い返す。良いな?」
セロン達見えざる見張り番の諜報員達は「はっ」と了承の言葉を返したのだった。
●
合流して一つとなった三つの部隊は、輝石町へと接近した。
バルバロイ達は打って出ての迎撃はせず――町に拠っての籠城戦を選択した。
「撃ち返せーッ!!」
薄い紺碧の闇が未だ残り、煌々と無数の松明が燃やされる未明、バルダス第三の中隊長の声が鋭く響き渡った。
『穴の開いている箇所から攻めるから町を囲む城壁は問題無い』
クラウスはそう部隊員達に説明したし他の部隊長達も自部隊の兵達へとそう説明し納得させていたが、実際にやるとなると言葉のようには簡単にはいかなかった。
バルバロイ達は廃材や馬車などを穴の前に置いて簡易的なバリケードとして塞ぎ、侵入を阻害していたのだ。
さらには帝国兵達が穴の空いた東側から攻めかかるのを読んでいた。
彼等は兵力を東側の壁に極端に集中して配置し、大兵力で以って矢の雨を降らせてきた。
突破を図るべく接近した歩兵達は、盾を構えてもなお、その隙間から猛烈な密度の矢を通されバタバタと射倒されてゆく。
帝国の射手達も前衛の歩兵の接近を支援すべく撃ち返していたが、相手は城壁上、つまり高所に陣取っている。撃ち降ろしの矢は強い。さらに女牆を遮蔽に取る事も出来る。
対する地上は吹き曝しの遮蔽の無い荒野だ。不利は免れ得なかった。撃ち返されて射手達にも少なからぬ被害が発生してゆく。
「畜生! こんなもん突破なんざ無理だ!」
「無理に決まってんのに、何故、撤退命令が出ない?!」
バルダス第三や元・守備隊の歩兵達は上層部の指示を呪いながら矢に射抜かれ、落石に潰され、降り注ぐ油に生きたまま焼かれながら次々に倒れてゆく。
「大隊長! 突破は不可能です!」
「このままでは損害ばかりが……!」
副官達から攻撃中止を促されていたが、バルダス第三の大隊長は無表情で戦況を睨み据えながら微動だにしなかった。
●
他方、東側の城壁で地獄が展開されている間に、セロンらヴェヒター・ヌルの精鋭達は、丘の稜線の陰らを利用して密かに移動し西側へと回り込んでいた。
合図を受けたセロン達は稜線の陰から一気に飛び出す。
黎明の闇に紛れながら距離を詰めると、すっかり手薄になっている西壁の蛮族守兵達へと向かって矢を放った。
闇の中に走る無数の煌きが唸りをあげて飛び、西壁上の蛮族達が次々に倒れてゆく。
ヴェヒター・ヌルの一部はさらに駆け、壁に激突する勢いに見えたが、彼等は壁を足場に垂直に駆け登り始めた。壁走りだ。
「なにっ?! ぐあぁっ!!」
生き残りの蛮族守兵達が光景に驚愕し、その動揺が収まる前にセロン達が放った矢に射抜かれ倒れてゆく。
壁走り隊は弓兵の射撃による援護を受けながら壁を一気に駆け登ると、西壁上を瞬く間に制圧した。
そしてフック付きのロープを女牆に縛り付け、もう一方の端を城壁下へと次々に垂らしてゆく。
地上の弩弓兵達が駆け出し、ロープに取りついて壁を登り始める。
「穴の開いた側から攻めるのではなかったのですか?」
ロープを登る順番待ちの間に、セロンは隣のクラウスへと言葉をかけた。まぁ薄々そんな気はしていたのだが。
案の定、
「バルバロイ達だってそう思うだろ。穴側から敵が寄せて来ると解っているなら、猿でも対策する。それに、さすがにヴェヒター・ヌルは大丈夫だと思うが、俺がバルバロイの指揮官だったら、町の守備隊員には息のかかった奴を潜り込ませておくからな。守備隊の情報統制は信用できん」
諜報部の大隊長はそう言った。
部隊内に情報を流せば、それが敵に筒抜けになる事をクラウスらは予想していた。
だから、敢えて穴のある東壁側から攻めると部隊内に通達した。
そうしてバルバロイ達に『帝国軍は東から攻めて来る』と思い込ませ、実際にもバルダス第三と元・守備隊が東を攻めて敵の守りと意識を東に集中させ、一方でその間に、信用出来る少数の精鋭を編成し、手薄になった西側の壁を一気に襲撃、制圧した。これが二の矢だ。三の矢もあったが、それは使わずに済みそうだった。
敵を騙すにはまず味方から。
「見えざる見張り番は俺達だけじゃない、敵にだって似たような連中はいるもんだ」
その敵のスパイ達を帝国軍は逆に利用した。
「お前も気をつけろよ」
諜報員達の戦いというのは、そういうものであるらしい。
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西の城壁を制圧したセロン達は内部へと侵入すると西門を開いて黎明の空へ合図の光矢を飛ばした。
東部隊は攻勢を一旦停止して後退、半数を東に留まらせつつも半数を西へと向けた。
この時、蛮族達も気づき西の壁と門を奪還せんと多数の兵を回してきたが、セロン達は奪った城壁とその上に建つ塔から矢を嵐の如くに浴びせて良く守り、奪還を許さなかった。
そうこうしている間に迂回してきた帝国兵達が西門から壁内へと雪崩れ込んだ。
するとバルバロイ達は壁の守りを放棄し撤退を開始した。
町の外へ、ではない。
地下へ、だった。
輝ける石の町はその名が示す通り大理石が特産品だ。古より採掘が進められ町の中は穴だらけになっている。
空洞は地下に蟻の巣のように広がり、そして水路にも利用され、一種の地下迷宮と化していた。
バルバロイ達はここに立て籠もって対抗せんとしたのだ――
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――ゾフィー・マルテルは負けず嫌いで時折り愚かしさも見せるが、基本的には頭が良い。そうでなければ弩弓課程で首席は取れない。
ついでに言うならあまりヒロイックな性格でも無い。
ヒロイックな節がある人物に好意的ではあるが、彼女は自分からは余程の理由でも無い限り進んでそういう英雄的な行動は取らない。
だから、
「は? 正気で言ってんですか? 死にますよ?」
今回の作戦の際に編入された小隊にて、彼女は市街戦の最中に『民間人を救出する』と宣言した小隊長へと制止の言葉を述べていた。
というのも城壁を奪われ、劣勢になったバルバロイ達は、地下への撤退時間を稼ぐ為に、輝石町の町民達を盾や囮に使い始めたのだ。
特に、ゾフィーらの前に現れたバルバロイの殿隊は狡猾で、撤退する敵を追うゾフィー達の前方に複数の老若男女の町人達を放り出したのだ。
町人達は皆、手足の腱を切断されて身動きが出来ない状態にされていた。芋虫のように這いずる事しか出来ない。
だが、まだ命はあり、そして口々に助けを求めて泣き叫ぶ事は可能だった。
先行していた帝国兵達がその様を見て慌てて救助に駆け寄った所、二方向から矢が飛来して、救助に向かった帝国兵達は次々に身を撃ち抜かれ、倒れた。
紛れもないキルゾーンだった。十字狙撃される。
どうやら敵の殿はかなり高性能の弩を持っているようで、そして恐らくは授恵者だった。驚異的な腕をしている。
「救出は不可能です、無理ですよルイーゼ」
「出来る出来ないじゃあない、やるのよ」
家屋の陰にて様子を窺いつつ森エルフの女は真剣な面差しをしていた。ベリーショートの金髪を持つ長身の女だ。以前もこのリヒテンシュタットでの作戦を共にした事があった。彼女が今ゾフィーが所属している小隊の隊長だった。
「帝国軍人が目の前で助けを求めている民間人を見捨てる訳にはいかない、違う?」
「時と場合に拠るでしょう。これは自殺しにいくようなものです。それに、先程、信号矢が上がりました。あれは集合の合図です。部隊は一旦退いて集結しろと私達に言っています、命令を無視するのですか? 私は反対です」
「撤退命令には従うわ。ただし、それは民間人を救出しながら、よ」
物陰に入って動かない帝国兵達を挑発するかのように、一本の弩矢が飛び、道を這っている町人の子供へと撃ち込まれた。
苦悶の絶叫が響き渡る。
「あああああ! 神様ぁ! 神様ぁ! 神様ぁああああっ!」
恐怖の泣き声と助けを求める声が、必死に道を這いずっている人々から次々に上がってゆく。
微妙に急所を外している。わざと一思いに殺さず泣き叫ばせているのだ。帝国兵達を釣り出す為に。
ゾフィーは唇を血が出る程に強く噛みしめた。
ルイーザが叫んだ。
「撤退したい者は撤退していいわよ! けれど私は帝国兵の義務を果たすッ! 自分が帝国軍人だという自認がある者は私について来いッ!!」
おおっ!
周囲の帝国兵達から声が上がった。
「盾持つ者は盾を構えろ! 弓持つ者は撃ち返せ! 援護せよッ! 行くぞッ!!」
ルイーザが盾を手に飛び出し、他にも十数人の帝国兵達がそれに続いて飛び出す。
ゾフィーは物陰に留まったまま、動けなかった。