水仙と柳薄荷
キャラクターノベル(グループ)制作 桂木京介納品 2024年11月16日 13時53分09秒
おだやかな日ざしが藍色のカーテンを透かし、部屋全体に淡い青のベールをかける。
書斎はまるで、蒼玉侯シルヴィア・A・カペル自身の写し絵のようだ。質実剛健ながらも品のある優雅な佇まいである。
書架には歴史や地理に関する書物が几帳面にならべられ、その一角には大森林の風景を描いた絵画も飾られている。
棚には、侯爵家が代々受け継いできた武具や旗、装身具が陳列されていた。いずれも贅を尽くしたものではない。むしろその逆で実用的、使いこまれ摩耗しているが、大切に手入れされていることが一目でわかる品ばかりだった。飾ってある刀剣にいたっては、外せばたちどころに従軍できそうなほどに仕上がっていた。
もっとも目を引くのは、背後の壁に掲げられた蒼玉侯爵家の旗印だろう。縫いこまれた青薔薇の家紋は、初代蒼玉侯が王より賜った誉れ高きものであり、王国建設に貢献し『竜喰らい』を封じた英雄の栄光を讃う象徴となっている。
青薔薇を背負う侯爵として、朝からいましがたまでシルヴィアは執務に集中した。
それもようやくひと段落した。しばし自分の時間を取ることにする。
引き出しから二通の手紙を取り出す。差出人はエリザベス・ディン。その名を目にするだけでシルヴィアの口元は緩んだ。
楽しみにしていた手紙である。いそいそとペーパーナイフを手にした。
エリザベスとは彼女の夫を通じて知遇を得、贈り物選びの対応をしてもらった縁で交流を持つようになった。アーダベルト商会の貴人用応接室で彼女とすごしたひとときは、シルヴィアにとって楽しい記憶である。
じっくりと読む。何度も。
一通目は、商会の封蝋が施してあることからも公的な性質ものとわかる。署名にも商会の名が併記してあった。
すこし引用しよう。
……
秋薔薇が薫り高い季節となりました。カペル領の薔薇も、この季節にふさわしく咲き誇っておりますでしょうか。
このたびは、商会の一員としてカペル家の事業に携わる名誉をいただき、感謝申し上げます。
現在、ワイン染め職人の育成に向けた体制の整備に着手し、輸送部門の見直しも進めております。道路の整備や新型輸送馬車の試作、さらに牧場との連携を強化することで、安定した物流網の構築を目指す所存です。
……
以下、連綿と商用が書かれている。
見事な。
シルヴィアは感心せずにはおれない。
商会を代表する商人のひとりにふさわしく、時候の挨拶も文面も硬めだ。しかし内容はきめ細かくそつがなかった。なかなかこうは書けない。
かわって二通目だ。
こちらは柳薄荷の描かれた封蝋だった。エリザベスの誕生花である。署名も『エリザベス・ディン』の名前のみだ。シルヴィアが楽しみにしているのはむしろこちらだった。
またすこし、引用したい。
……
季節が進み、朝晩の冷え込みが増してまいりましたね。お変わりなくおすごしでしょうか。
最近は大森林を思わせるような自然の美しさに触れることが増え、心がやわらぐのを感じています。
先日カモミールのハーブバスをためしてみたのですが、肌がしっとりとして気に入りました。心地よい香りもリラックスにぴったりですので、この気持ちをわかちあいたいと思い試作商品を同封しました。お気に召していただけたらうれしいです。またよいものが見つかりましたらお知らせいたしますね。
……
バスソルトの包みが入っていた。振るとさらさらと小気味よい音がする。紙包みごしでもふくよかな芳香がただよってくるではないか。
シルヴィアは筆記具に手を伸ばした。とっておきの便せんにも。
鵞鳥の羽根ペンをひたし、黒みのある蒼文字を走らせる。
まず一通目だ。
……
貴殿のご隆昌とご清栄を心よりお慶び申し上げる。
かねてよりのご助力により、我が領における職人育成と道路整備は滞りなく進み、民もまた大いに恩恵を享受するに至り。これもひとえに貴殿の配慮の賜物と感謝申し上げる次第。
また、今季の大森林における葡萄の豊作、殊にその質の向上に目覚ましきものあり、これをもって醸造せし二種の葡萄酒、我が領民はもとより、オルセン太守をはじめ、王国の諸侯にも評判高く、これ以上の誉れはなし。ことに、民の励みとなりしは誠に喜ばしきことに候。
……
本書簡は、蒼玉侯として他国商会の要人に送る正式な書状という体裁である。
丁寧な筆致であり感謝の意はしたためているが、政治問題への言及はたくみに避けた。取引を申し出たり金銭授受ををほのめかすなど、言質を取られるような隙も見せない。
隙を見せれば駆け引きに負ける。駆け引きに負ければ領民が苦しむ。
ことに相手が実力者の場合は、な――。
わかってはいるが、このあたりが貴族の書く書状の面倒なところだ。
内心、シルヴィアも政略含みの文を書くことにはいささか辟易気味なのだが、身についた習慣はそうそう抜けるものではない。それでも大切な文書だ。要点にはとくに心をこめて書き上げた。
一気呵成に書き上げると三回読み返し、まったく問題ないのを確認した。
シルヴィアは手紙のインクを乾かし、白い封筒に入れて立ち上がった。棚から小さな銀の匙を取り出すと、専用の赤い蝋を一片乗せる。匙を蝋燭の炎にかざすだけで封蝋はゆっくりと溶けていった。薔薇の香りが漂う中、シルヴィアは液状になった蝋を封筒の中央に垂らしていく。蝋がある程度の量になったところで匙を置いた。蒼玉侯爵家の印章を取り、溶け落とした蝋の中央にゆっくり押しつける。
青薔薇を象った封蝋ができあがった。
「さて」
手紙をもう一通だ。手にした便せんからしてちがっていた。表情もやわらいでいる。
今度は私信だった。やはりエリザベス宛、ただし『殿』のつかない『エリザベス、親愛なる友へ』からはじまる。
思いつくままに書いていく。心なしか筆跡も最初のものより丸い。気持ちが先走って表現をまちがえたり綴をまちがえたりもするがそれも楽しい。行きつ戻りつして下書きを終えて何度も読み返し、落ち着いて清書をはじめた。
……
この手紙が届くころには、そちらの空気も冷たさを増しているだろうね。
若君と姫君の生後半年を心から祝いたい。本当におめでとう。
二人が健やかに成長している様子を思い浮かべるだけで、つい顔がほころぶよ。
いくらか私自身のことを。
最近、大森林の音楽を学ぶ機会があって、小さな木製の楽器を試しているんだ。その素朴で可愛らしい音色にすっかり魅了されてしまったよ。演奏するたびに、あの土地の民の暮らしや心にふれているような気がする。きっと君も気に入ると思う。
それから、君が送ってくれたバスソルトもためしてみたいと思っている。リラックスできそうで楽しみだ。
季節の変わり目、どうかお身体を大切に。風邪など引かぬようにね。
……
以上はその抜粋である。他にもこまごまとした日常を、目の前にエリザベスがいて、おしゃべりしているような気持ちで書いた。
完成した。満足げにうなずくと、シルヴィアは水仙の封蝋を押したのだった。
手紙は無事にエリザベスのもとに届いた。
青薔薇の紋の封蝋。
水仙の封蝋。
もちろんそれぞれの意味がエリザベスにはわかっていた。受け取ったのは商会事務所だ。だが邸宅の私室まで戻る時間すら惜しい。周囲には商会の職員が何人もいたが、エリザベスはひそやかに開封したのである。
水仙の封蝋を。
書斎はまるで、蒼玉侯シルヴィア・A・カペル自身の写し絵のようだ。質実剛健ながらも品のある優雅な佇まいである。
書架には歴史や地理に関する書物が几帳面にならべられ、その一角には大森林の風景を描いた絵画も飾られている。
棚には、侯爵家が代々受け継いできた武具や旗、装身具が陳列されていた。いずれも贅を尽くしたものではない。むしろその逆で実用的、使いこまれ摩耗しているが、大切に手入れされていることが一目でわかる品ばかりだった。飾ってある刀剣にいたっては、外せばたちどころに従軍できそうなほどに仕上がっていた。
もっとも目を引くのは、背後の壁に掲げられた蒼玉侯爵家の旗印だろう。縫いこまれた青薔薇の家紋は、初代蒼玉侯が王より賜った誉れ高きものであり、王国建設に貢献し『竜喰らい』を封じた英雄の栄光を讃う象徴となっている。
青薔薇を背負う侯爵として、朝からいましがたまでシルヴィアは執務に集中した。
それもようやくひと段落した。しばし自分の時間を取ることにする。
引き出しから二通の手紙を取り出す。差出人はエリザベス・ディン。その名を目にするだけでシルヴィアの口元は緩んだ。
楽しみにしていた手紙である。いそいそとペーパーナイフを手にした。
エリザベスとは彼女の夫を通じて知遇を得、贈り物選びの対応をしてもらった縁で交流を持つようになった。アーダベルト商会の貴人用応接室で彼女とすごしたひとときは、シルヴィアにとって楽しい記憶である。
じっくりと読む。何度も。
一通目は、商会の封蝋が施してあることからも公的な性質ものとわかる。署名にも商会の名が併記してあった。
すこし引用しよう。
……
秋薔薇が薫り高い季節となりました。カペル領の薔薇も、この季節にふさわしく咲き誇っておりますでしょうか。
このたびは、商会の一員としてカペル家の事業に携わる名誉をいただき、感謝申し上げます。
現在、ワイン染め職人の育成に向けた体制の整備に着手し、輸送部門の見直しも進めております。道路の整備や新型輸送馬車の試作、さらに牧場との連携を強化することで、安定した物流網の構築を目指す所存です。
……
以下、連綿と商用が書かれている。
見事な。
シルヴィアは感心せずにはおれない。
商会を代表する商人のひとりにふさわしく、時候の挨拶も文面も硬めだ。しかし内容はきめ細かくそつがなかった。なかなかこうは書けない。
かわって二通目だ。
こちらは柳薄荷の描かれた封蝋だった。エリザベスの誕生花である。署名も『エリザベス・ディン』の名前のみだ。シルヴィアが楽しみにしているのはむしろこちらだった。
またすこし、引用したい。
……
季節が進み、朝晩の冷え込みが増してまいりましたね。お変わりなくおすごしでしょうか。
最近は大森林を思わせるような自然の美しさに触れることが増え、心がやわらぐのを感じています。
先日カモミールのハーブバスをためしてみたのですが、肌がしっとりとして気に入りました。心地よい香りもリラックスにぴったりですので、この気持ちをわかちあいたいと思い試作商品を同封しました。お気に召していただけたらうれしいです。またよいものが見つかりましたらお知らせいたしますね。
……
バスソルトの包みが入っていた。振るとさらさらと小気味よい音がする。紙包みごしでもふくよかな芳香がただよってくるではないか。
シルヴィアは筆記具に手を伸ばした。とっておきの便せんにも。
鵞鳥の羽根ペンをひたし、黒みのある蒼文字を走らせる。
まず一通目だ。
……
貴殿のご隆昌とご清栄を心よりお慶び申し上げる。
かねてよりのご助力により、我が領における職人育成と道路整備は滞りなく進み、民もまた大いに恩恵を享受するに至り。これもひとえに貴殿の配慮の賜物と感謝申し上げる次第。
また、今季の大森林における葡萄の豊作、殊にその質の向上に目覚ましきものあり、これをもって醸造せし二種の葡萄酒、我が領民はもとより、オルセン太守をはじめ、王国の諸侯にも評判高く、これ以上の誉れはなし。ことに、民の励みとなりしは誠に喜ばしきことに候。
……
本書簡は、蒼玉侯として他国商会の要人に送る正式な書状という体裁である。
丁寧な筆致であり感謝の意はしたためているが、政治問題への言及はたくみに避けた。取引を申し出たり金銭授受ををほのめかすなど、言質を取られるような隙も見せない。
隙を見せれば駆け引きに負ける。駆け引きに負ければ領民が苦しむ。
ことに相手が実力者の場合は、な――。
わかってはいるが、このあたりが貴族の書く書状の面倒なところだ。
内心、シルヴィアも政略含みの文を書くことにはいささか辟易気味なのだが、身についた習慣はそうそう抜けるものではない。それでも大切な文書だ。要点にはとくに心をこめて書き上げた。
一気呵成に書き上げると三回読み返し、まったく問題ないのを確認した。
シルヴィアは手紙のインクを乾かし、白い封筒に入れて立ち上がった。棚から小さな銀の匙を取り出すと、専用の赤い蝋を一片乗せる。匙を蝋燭の炎にかざすだけで封蝋はゆっくりと溶けていった。薔薇の香りが漂う中、シルヴィアは液状になった蝋を封筒の中央に垂らしていく。蝋がある程度の量になったところで匙を置いた。蒼玉侯爵家の印章を取り、溶け落とした蝋の中央にゆっくり押しつける。
青薔薇を象った封蝋ができあがった。
「さて」
手紙をもう一通だ。手にした便せんからしてちがっていた。表情もやわらいでいる。
今度は私信だった。やはりエリザベス宛、ただし『殿』のつかない『エリザベス、親愛なる友へ』からはじまる。
思いつくままに書いていく。心なしか筆跡も最初のものより丸い。気持ちが先走って表現をまちがえたり綴をまちがえたりもするがそれも楽しい。行きつ戻りつして下書きを終えて何度も読み返し、落ち着いて清書をはじめた。
……
この手紙が届くころには、そちらの空気も冷たさを増しているだろうね。
若君と姫君の生後半年を心から祝いたい。本当におめでとう。
二人が健やかに成長している様子を思い浮かべるだけで、つい顔がほころぶよ。
いくらか私自身のことを。
最近、大森林の音楽を学ぶ機会があって、小さな木製の楽器を試しているんだ。その素朴で可愛らしい音色にすっかり魅了されてしまったよ。演奏するたびに、あの土地の民の暮らしや心にふれているような気がする。きっと君も気に入ると思う。
それから、君が送ってくれたバスソルトもためしてみたいと思っている。リラックスできそうで楽しみだ。
季節の変わり目、どうかお身体を大切に。風邪など引かぬようにね。
……
以上はその抜粋である。他にもこまごまとした日常を、目の前にエリザベスがいて、おしゃべりしているような気持ちで書いた。
完成した。満足げにうなずくと、シルヴィアは水仙の封蝋を押したのだった。
手紙は無事にエリザベスのもとに届いた。
青薔薇の紋の封蝋。
水仙の封蝋。
もちろんそれぞれの意味がエリザベスにはわかっていた。受け取ったのは商会事務所だ。だが邸宅の私室まで戻る時間すら惜しい。周囲には商会の職員が何人もいたが、エリザベスはひそやかに開封したのである。
水仙の封蝋を。