セロン十六歳、学園への潜入指令と少女達との初詣
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年01月24日 22時23分29秒
「パンクリアース学園への入学?」
シルトラース帝国が諜報部隊『見えざる見張り番』の本部にて、セロンガード・シュタインドルフら若年組は上官から内々の説明を受けていた。
「あぁ、次の担当が決まるまでの繋ぎではあるがな」
当初潜入していた諜報員達が卒業する事になった為、次の担当者が決まるまでの間、セロン、ゾフィー、カサンドラの三名がそれぞれの形で編入学する事になったらしい。
「正式な申告が後で上から出されるから、そのつもりで準備しておいてくれ」
申告、というのは上層部から命令を受ける際の儀式の総称だ。
「リーンエスの……それはもう、決定事項なのですか?」
寝耳に水な話だったのでセロンは驚いて問いかけた。
帝都からパンクリアースまでの距離はかなりのものだ。学園はリーンエスの王都グランスパーダにある。
必然、学園に通うとなると長期間、王国で暮らす事になるだろう。生活環境は帝国式のものとは大幅に変わる事になる。知人友人へも挨拶をしておかねばなるまい。
「いや、拒否も出来る。ただ、その場合は再調査任務になるんだが、極北の……」
極北、との単語を聞いた瞬間に銀髪ポニーテールの小柄な娘が弾かれたようにセロンの袖に取り縋った。
「――学園へ! 行きましょうっ! 先輩ッ! 学園へ! 学園へ! 行きましょう! 万歳! 学園ッ!!」
紅玉のように赤い瞳が懇願に叫んでいた。異議は無かった。
少女へと頷き、上官へと向き直って全力で敬礼する。
「パンクリアース学園への潜入任務! 万感の喜びを以って拝命させていただきます!!」
「そこまで嫌か極北……」
去年の今頃はゾフィーと二人、極北の調査を命じられたのだが地獄を見た。
あの壮麗な死の世界へ再び赴くよりは、南の王国の五百年の歴史を持つ名門学園に潜り込む方がよほど良い。
「クラウスさんも一回極北行ってみれば良いんですよ」
セロンが睨むと上官はへっと笑い。
「遠慮しとくよ。オレァもう良いトシなんでな」
後ろで指揮だけしている連中はまったく、良いご身分である。
「まぁとりあえず学園行きで良いな?」
上官はセロン達の返事は決まり切っていると判断したのか、傍らの薄紫色の長い髪の少女へと視線を移した。
カサンドラは少しきょとんとしているような表情で一度頷いてから、
「はい。けれど、不思議には思います。何故、私達がリーンエス王国の学園に?」
「ま、そいつぁ一言でいうならこの部隊の慣習だわな」
言って上官はセロン達へとアレコレ語った。
曰く、第一の目的は学徒に扮しての王国内でのスパイ活動であり、第二以降の目的としては、経験の浅い若年諜報員への訓練的意味合いがあるのだという。実際の身分を悟らせない立ち回りを学ぶ事、そして将来役に立つコネクションを王国内に築く事、それ以外にも細々とした小さな事が目的に数えられていた。
「――ただまぁ、今となっちゃそりゃ半分建前みたくなってんだけどな」
それらが大真面目に実行されていたのは昔の話。
なんせ学園も部隊も歴史が長い。
近年ではほとんど形骸化してしまい、半ば観光気分になってしまっているのだそうだ。
ゾフィーが盛大に顔を顰めた。
「えぇ……? そりゃ極北行きは勘弁ですけど、あの名門学園への入学となったら安くは無い経費ですよね? いーんですか? 血税ですよね?」
「もっともだ。だがまァ、それほど緊迫性の高い任務ではないにせよ、一応は仕事をして貰うし……それに、あちらで築いた勢力とのパイプを保っとく意味もある。一定人数は定期的に誰かが行ってなきゃならんのだよ」
細くとも繋がりが続いていれば、いざという時に太く出来る。
だがこの繋がりが完全に途絶えてしまうといざという時にとても困るのだそうだ。
「ただまぁ高い買い物なのは確かだ。なんだから、お前ら、元は取ってこいよ」
上官はセロン達を見渡し。
「腐っても名門学園だ。その教育水準は高い。よく学んで知識を持ち帰り祖国の為に役立ててくれ」
「むむっ、なるほど、そういう事なら……」
ゾフィーはそれで納得したようで頷いた。
(……はたして、それだけなのか?)
セロンは胸中で首を傾げた。なんせ自分達が所属しているのは諜報部隊だ。常に周囲に偽って活動しているような部隊である。虚々実々の権謀術数、敵を騙すには味方から、表向き、裏向き、一つの行動には幾つもの意味を持つ事が多い。
実際、過去には形骸化を受け費用的な面から廃止が検討された事もあったのだが、結局、廃止されず存続している理由の一つには、人知れず帝国の闇で生きてゆく事になる若い諜報員達への、部隊からの最後の温情、そういう意味もあったのだった。
●
正式な戦装束に身を包んだ厳めしい顔立ちの初老の男が、十代後半に見えるやはり戦装束に身を包んだ青年二人と一人の娘へと何事かを申し渡している。
それを受けて男女は畏まった様子で声を発した。
この三人が学園に潜入していた前担当で、報告と下番申告の為に本部へとやって来たらしい。
彼等への儀式が一通り終わるとセロン達の番がやってきた。
三人が下がり、代わりにセロン、ゾフィー、カサンドラの三人が初老の男の前へと進み出る。
彼はそれぞれセロン達の名を呼ぶと、
「パンクリアース学園への潜入任務を申しつける」
そう厳かな声音で述べた。
セロン達は返事をして下がったのだった。
●
「あー、くたびれたっ!」
『申告』が恙無く終わり、建物の外へと出た所でゾフィーが反るように腕を上げて身体を伸ばしている。
「お疲れ様ですよ」
カサンドラがにこにこと微笑みながら、ゾフィーが反り終わるとその背後に回って肩を揉み始めた。ポニテ娘が「あ~」と気持ち良さそうな声をあげている。
あれは確かに気持ちが良い。
ゾフィーをマッサージしながら夏空色の瞳の少女はセロンを見た。
「セロンさん、申告も終わりましたけど、どうしましょうか……」
「そうですね、任務は貰いましたが、始動は一ヵ月先ですからねぇ」
うーん、と思案するセロン。
「ちょっと間がありますよね」
とカサンドラが頷く。
「あ、じゃあとりあえずカサンドラ様、ハツモーデ行きましょうよハツモーデ」
ゾフィーが反り返って紫髪ロングの娘を見た。
「ハツモデ?」
少女はゾフィーから両手を離し小首を傾げた。
銀髪ポニテ娘はカサンドラへと向き直ると。
「シャルガネ式の年明け行事です。神なる社に詣でて始まった一年への祈りを捧げるのだとか。神々の加護あらば願いが叶うのだそうです」
「あら素敵、良いですね」
「でしょう?」
「ではそのハツモデというの、行ってみましょうか」
「やったー!」
ゾフィーが諸手をあげて喜ぶ。その傍ら、カサンドラはゾフィーの陰からひょいと身を乗り出し笑って、
「セロンさんもご一緒にいかがですか?」
「え、私ですか? 構いませんが……しかし、良いんですか?」
セロンはゾフィーの後頭部を見つめた。
カサンドラが微笑み、ゾフィーを見る。
「ええ、二人より三人の方がきっと愉しいですもの。ね、ゾフィー?」
「……はい、そうですね」
ゾフィーはくるりと振り向くと、ちょっと照れくさそうにしつつもセロンを上目遣いに見て、
「えっと、その、セロン先輩のご都合がよろしければなんですけど……是非ご一緒していただけると嬉しいです」
セロンは目を丸くした。
「……ゾフィー、何か、悪いものでも食べた?」
すると少女は顔を真っ赤にして赤瞳を吊り上げた。
「カサンドラ様ッ! やっぱり二人で行きましょう、二人でっ!!」
「まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁっ!」
明後日の方向へ歩き出そうとしたゾフィーにカサンドラが背後から抱きついて制止し、責めるような視線をセロンへと向けて来る。
無言の非難にセロンはたじろぎつつ、
「うっ、いや、だって、ねぇ……? ゾフィーさんや、一体どういう風の吹き回しだい。僕が行ったらお邪魔だろう?」
「アンタはワタシをなんだと思ってんですか。普段、セロン先輩にはお世話になってますもん、一緒に初詣に行くくらい別にイーですよ、ふんっ!」
ムスッとした顔でそっぽを向くゾフィー。
「……左様ですか」
「左様なんだそうです」
カサンドラがゾフィーの両肩に手を置いて、その背後で苦笑している。
「――……で、結局、行くんです? 行かないんです?」
銀髪ポニテ娘が頬に朱色を残しつつじろりと赤眼をセロンへと向けて来たのだった。
●
年が明けた。
「ハッツモーデ~!」
「イェーッ!」
「ハッツモーデ~!」
「イェーッ!」
「「ハッツモーデッ、イェーッ!!」」
十六歳と十五歳の紫銀の少女二人が朝の兵舎前で何やら節をつけて奇怪な動きをしている。美人は何やってもカワイイとはいうが、これは普通にオカシイ。
「……何やってんです?」
兵舎入口から出て来たセロンが問いかけると、薄紫髪の娘が振り返って来て満面の笑顔で、
「ハツモデの舞いです! セロンさん! 明けましておめでとうございます!!」
「左様ですか、キャシー、明けましておめでとうございます」
セロンには神妙な顔で頷く事しか出来なかった。
するとゾフィーが口先を尖らせて来る。
「あけおめことよろーですよー。セロンパイセンはノリが悪いですねぇ」
「いや、ノリが悪いっていうか、ノリが……ノリィ……? えぇい、明けましておめでとうございます、ハッツモーデ」
「「イェーッ!!」」
少女二人が叫んで拳を天へと向かって振り上げる。
こいつら年明け早々朝っぱらから酒飲んでないよな……?
とセロンは疑惑の眼差しを向けつつ、帝都の一角にあるというシャルガネ式の社目指して歩き始めた。
ツレ達が精鋭隊員ではなく完全にアホ学徒のノリと化しているが仕方ない。
浮足立つどころか脚から羽でも生えて空飛んでそうな娘が言う。
「新年の朝陽は……輝いていますね! セロンさん!」
「輝いていない朝陽があるならお目にかかりたいですよキャシー」
酒飲んでるんじゃないか疑惑度を60%から80%くらいまで高めつつ眼差しを向けセロン。多分きっとこの娘、箸が転がっても愉快なゾーンに入っている。
まぁ今の空気なら提案も気楽に出来るか、と思い少年はおもむろに切り出した。
「そういえば二人とも、ちょっと考えたんですが」
「なんでしょう?」
「でしょー?」
「私達はパンクリアース学園には三人とも同級生として編入する事になりますから、今のうちから敬語を使うのは互いに止めにしませんか?」
そちらの方が自然でしょうし、とセロン。
すると少女達は激烈に表情を固まらせた。
「…………私、家族にもほぼ敬語か丁寧語なんですが……」
「私にカサンドラ様をカサンドラ様と呼ぶなというのですかっ!!」
少女達が意外な反応を返して来る。
忘れがちだがカサンドラは元・貴族令嬢なので家庭環境はそういうものであったらしい。
「あ、いや、無理にはしなくても良いとは思うんですが…………」
「無理というか、今までに無い試みね。上手くできるかしら……? 偶にぽろっと敬語じゃない言葉を使う時もあったけれども、基本的に使い慣れていないというか……変になっていない?」
少し不安そうに恥ずかしそうにしながらカサンドラが言う。
セロンは笑顔を向けて答えた。
「大丈夫、どこもおかしな所は無いよ。完璧だ」
「私にカサンドラ様を」
「うん、僕が悪かった、好きに呼べば良いと思うよ」
「でも敬語使わないゾフィーというのも私ちょっと興味あるかしら」
「わかったよカサンドラ。少なくとも今回の任務の間は敬語は無しにするね」
この変わり身の速さである。
セロンが呆れ、カサンドラはくすくすと笑うと、
「前にも言ったけどキャシーで良いわ」
「う、うん、それじゃ、キャシーって呼ぶね」
「僕の事も先輩抜きでセロンで良」
「なんだこのシュタインドルフ野郎」
「最初期よりも悪化してるっ?!」
そんなやりとりを交わしつつ三人は新年の朝の輝く帝都を歩き、シャルガネ式の社へと向かったのだった。
●
社は小高い丘上にあった。
石階段を登ると赤色に塗られた巨大な木柱を組み合わせ作られた門のようなものが現れる。ただし扉は無く空洞になっていた。
ゾフィー曰くこれは「トリイ」というものらしい。
「セロン、セロン、道の真ん中は通っちゃダメだよ。あとトリイはくぐる前に頭を下げるの」
銀髪ポニテの娘が赤鳥居の前でひょいと頭を下げてからくぐってゆく。
「……そうなのか、ゾフィーは相変わらず妙なものに詳しいなぁ」
「博識と言って欲しいね」
セロン達も見よう見まねでゾフィーに習いつつ赤鳥居をくぐり、彼女の案内で奥へと進んでゆく。
三人はまず石道の脇に佇んでいる簡素な屋根がついた小さな水場施設へと赴いた。
水場ではタケと呼ばれる円筒型の植物を縦に割いたものが管となって巡らされ、タケ管の端からは透き通った水が流れ落ちている。
水の落ち行く先には巨石から削り出された大きな盥があり、縁までなみなみと湛えた水盤は、とめどなく煌きを溢れさせていた。
湧き水でも引いて来ているのだろうか? あるいは強力な紋具でも設置しているのかもしれない。
この水場の使い方にも作法があって、ゾフィーから聞きつつセロン達は柄杓に水を汲んで手と口とを清潔にした。
「シャルガネ作法は複雑怪奇」
「私達の教会だって慣れてるからアレだけど結構複雑だよ」
「それもそうか」
そんな会話を交わしつつ石道へと戻る。
道を奥へと進んでゆくとやがて一際立派な建物に辿り着いた。
建物の前には大きな箱が置かれ天井から長い太縄が垂れ下がっており、縄の付け根には鈴が備えられている。
道すがらゾフィーから説明を受けていたセロンは、前に進み出ると軽く頭を下げ、長方形の大箱の中へと貨幣を一枚入れ、垂れている縄を掴み左右に揺り動かした。ガランガランと神秘的な鈴の音が鳴り響いてゆく。
二度ほど頭を下げ、胸前で両手を合わせ、広げ、打ちつけて鳴らす、もう一度鳴らす、願いを胸の裡で唱える。
(……どうか攫われた親友への手掛かりが掴み取れますよう、お導きください)
学園へと入学するまでには一ヵ月の余暇が与えられていたが、セロンはこの余暇を紅瞳子の行方の捜索にあてようと考えていた。
黒髪黒瞳の少年は祈り、神へと礼をした。
●
やがてカサンドラとゾフィーも祈願を終えると、
「ゾフィーは何をお願いしたの?」
「…………えーと、出来るだけ長くこの三人で任務にあたれますように、と。あんまり早死にするのも嫌なので」
「……なるほど、そうね、貴方、教導がセロンじゃないと長生き出来ないわよね」
なんだか聞き捨てならない言葉を少女二人が述べている気がした。
「どういう事?」
セロンが問いかけると、ゾフィー答えて曰く。
「私が部隊のパワハラ上官どもと上手くやっていける訳ないじゃん」
以前、セロンは『なんで上は僕とこの子を組ませたんだっ?!』と胸中で叫んだ事があったが、実はゾフィーの生存にとって最適の組み合わせであったらしい。セロンは背を撃たない。
グスタフは笑っていたが『そのおチビさんの教育はお前がしっかりつけてやれよ! でないと、こいつぁ早死にするぜ!』という言葉はあながち冗談でもなかった。
生殺与奪の権は上官に握られる事が多いのに、平気でそれに喧嘩売るゾフィーが能力的にはいかに首席卒で優秀だろうが――だからこそ――組織内で長生き出来る訳が無いのだ。
「……なるほど、それもそうだ」
セロンは納得した。
「ねぇゾフィー、貴方は少しは気に入らなくても頭を下げる事を覚えなさいな」
「いくらキャシーの言う事でもそれは嫌だね。下衆に首を垂れるくらいなら戦って死んでやる」
「貴方は正直過ぎる。私はそんな貴方が好きだけどね」
「あぁカサンドラ様ぁ!」
ゾフィーがカサンドラにひしと抱きついてよしよしと頭を撫でられている。
「カサンドラ様は何をお願いなされたんですかぁ?」
「早急に貴方の上官になれるように出世も願っとけば良かったって今思ってるとこだけど、普通に皆の無病息災ね」
敬語敬語とゾフィーに言いつつカサンドラ。
「えっと、キャシーらしいね」
「キャシーが無理するよりゾフィーが意識変えた方が良い気がするけどなぁ」
例え出世出来たとしても必ずしもゾフィーがその下に配属されるとは限らない。
「まぁそうなんでしょうけど……」
「無理だね!」
「こいつは……」
ゾフィーが胸を張って何故か大威張りしてみせたのでセロンは横目で睨みつけた。
「まぁまぁ、セロンは何をお願いしたの?」
「あぁ僕は親友の手掛かり。休暇中は探すつもりなんだ」
「あぁ……――さんだっけ?」
カサンドラが紅瞳子の名を言った。紅瞳子というのは仮の呼びであって本来の名ではない。
うん、とセロンは頷くと、
「私も捜すの手伝おうか? 特に予定は無いし」
「えぇ?! キャシー、私と一緒に遊ぼうよう」
「……って言ってるけど?」
「御免なさいゾフィー。私、セロンのお手伝いをしたいわ」
「ぐぬぬぬぬ……じゃあ、私はセロンのお手伝いをするキャシーのそのお手伝いをします! させてくださいっ!」
「ねぇセロン、捜すなら一人よりも三人よ。駄目、かしら? 嫌なら無理にとは言わないけれど……」
薄紫髪ロングの娘が遠慮がちに夏空色の瞳を向けて来る。
セロンは少し、考えるのだった。
シルトラース帝国が諜報部隊『見えざる見張り番』の本部にて、セロンガード・シュタインドルフら若年組は上官から内々の説明を受けていた。
「あぁ、次の担当が決まるまでの繋ぎではあるがな」
当初潜入していた諜報員達が卒業する事になった為、次の担当者が決まるまでの間、セロン、ゾフィー、カサンドラの三名がそれぞれの形で編入学する事になったらしい。
「正式な申告が後で上から出されるから、そのつもりで準備しておいてくれ」
申告、というのは上層部から命令を受ける際の儀式の総称だ。
「リーンエスの……それはもう、決定事項なのですか?」
寝耳に水な話だったのでセロンは驚いて問いかけた。
帝都からパンクリアースまでの距離はかなりのものだ。学園はリーンエスの王都グランスパーダにある。
必然、学園に通うとなると長期間、王国で暮らす事になるだろう。生活環境は帝国式のものとは大幅に変わる事になる。知人友人へも挨拶をしておかねばなるまい。
「いや、拒否も出来る。ただ、その場合は再調査任務になるんだが、極北の……」
極北、との単語を聞いた瞬間に銀髪ポニーテールの小柄な娘が弾かれたようにセロンの袖に取り縋った。
「――学園へ! 行きましょうっ! 先輩ッ! 学園へ! 学園へ! 行きましょう! 万歳! 学園ッ!!」
紅玉のように赤い瞳が懇願に叫んでいた。異議は無かった。
少女へと頷き、上官へと向き直って全力で敬礼する。
「パンクリアース学園への潜入任務! 万感の喜びを以って拝命させていただきます!!」
「そこまで嫌か極北……」
去年の今頃はゾフィーと二人、極北の調査を命じられたのだが地獄を見た。
あの壮麗な死の世界へ再び赴くよりは、南の王国の五百年の歴史を持つ名門学園に潜り込む方がよほど良い。
「クラウスさんも一回極北行ってみれば良いんですよ」
セロンが睨むと上官はへっと笑い。
「遠慮しとくよ。オレァもう良いトシなんでな」
後ろで指揮だけしている連中はまったく、良いご身分である。
「まぁとりあえず学園行きで良いな?」
上官はセロン達の返事は決まり切っていると判断したのか、傍らの薄紫色の長い髪の少女へと視線を移した。
カサンドラは少しきょとんとしているような表情で一度頷いてから、
「はい。けれど、不思議には思います。何故、私達がリーンエス王国の学園に?」
「ま、そいつぁ一言でいうならこの部隊の慣習だわな」
言って上官はセロン達へとアレコレ語った。
曰く、第一の目的は学徒に扮しての王国内でのスパイ活動であり、第二以降の目的としては、経験の浅い若年諜報員への訓練的意味合いがあるのだという。実際の身分を悟らせない立ち回りを学ぶ事、そして将来役に立つコネクションを王国内に築く事、それ以外にも細々とした小さな事が目的に数えられていた。
「――ただまぁ、今となっちゃそりゃ半分建前みたくなってんだけどな」
それらが大真面目に実行されていたのは昔の話。
なんせ学園も部隊も歴史が長い。
近年ではほとんど形骸化してしまい、半ば観光気分になってしまっているのだそうだ。
ゾフィーが盛大に顔を顰めた。
「えぇ……? そりゃ極北行きは勘弁ですけど、あの名門学園への入学となったら安くは無い経費ですよね? いーんですか? 血税ですよね?」
「もっともだ。だがまァ、それほど緊迫性の高い任務ではないにせよ、一応は仕事をして貰うし……それに、あちらで築いた勢力とのパイプを保っとく意味もある。一定人数は定期的に誰かが行ってなきゃならんのだよ」
細くとも繋がりが続いていれば、いざという時に太く出来る。
だがこの繋がりが完全に途絶えてしまうといざという時にとても困るのだそうだ。
「ただまぁ高い買い物なのは確かだ。なんだから、お前ら、元は取ってこいよ」
上官はセロン達を見渡し。
「腐っても名門学園だ。その教育水準は高い。よく学んで知識を持ち帰り祖国の為に役立ててくれ」
「むむっ、なるほど、そういう事なら……」
ゾフィーはそれで納得したようで頷いた。
(……はたして、それだけなのか?)
セロンは胸中で首を傾げた。なんせ自分達が所属しているのは諜報部隊だ。常に周囲に偽って活動しているような部隊である。虚々実々の権謀術数、敵を騙すには味方から、表向き、裏向き、一つの行動には幾つもの意味を持つ事が多い。
実際、過去には形骸化を受け費用的な面から廃止が検討された事もあったのだが、結局、廃止されず存続している理由の一つには、人知れず帝国の闇で生きてゆく事になる若い諜報員達への、部隊からの最後の温情、そういう意味もあったのだった。
●
正式な戦装束に身を包んだ厳めしい顔立ちの初老の男が、十代後半に見えるやはり戦装束に身を包んだ青年二人と一人の娘へと何事かを申し渡している。
それを受けて男女は畏まった様子で声を発した。
この三人が学園に潜入していた前担当で、報告と下番申告の為に本部へとやって来たらしい。
彼等への儀式が一通り終わるとセロン達の番がやってきた。
三人が下がり、代わりにセロン、ゾフィー、カサンドラの三人が初老の男の前へと進み出る。
彼はそれぞれセロン達の名を呼ぶと、
「パンクリアース学園への潜入任務を申しつける」
そう厳かな声音で述べた。
セロン達は返事をして下がったのだった。
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「あー、くたびれたっ!」
『申告』が恙無く終わり、建物の外へと出た所でゾフィーが反るように腕を上げて身体を伸ばしている。
「お疲れ様ですよ」
カサンドラがにこにこと微笑みながら、ゾフィーが反り終わるとその背後に回って肩を揉み始めた。ポニテ娘が「あ~」と気持ち良さそうな声をあげている。
あれは確かに気持ちが良い。
ゾフィーをマッサージしながら夏空色の瞳の少女はセロンを見た。
「セロンさん、申告も終わりましたけど、どうしましょうか……」
「そうですね、任務は貰いましたが、始動は一ヵ月先ですからねぇ」
うーん、と思案するセロン。
「ちょっと間がありますよね」
とカサンドラが頷く。
「あ、じゃあとりあえずカサンドラ様、ハツモーデ行きましょうよハツモーデ」
ゾフィーが反り返って紫髪ロングの娘を見た。
「ハツモデ?」
少女はゾフィーから両手を離し小首を傾げた。
銀髪ポニテ娘はカサンドラへと向き直ると。
「シャルガネ式の年明け行事です。神なる社に詣でて始まった一年への祈りを捧げるのだとか。神々の加護あらば願いが叶うのだそうです」
「あら素敵、良いですね」
「でしょう?」
「ではそのハツモデというの、行ってみましょうか」
「やったー!」
ゾフィーが諸手をあげて喜ぶ。その傍ら、カサンドラはゾフィーの陰からひょいと身を乗り出し笑って、
「セロンさんもご一緒にいかがですか?」
「え、私ですか? 構いませんが……しかし、良いんですか?」
セロンはゾフィーの後頭部を見つめた。
カサンドラが微笑み、ゾフィーを見る。
「ええ、二人より三人の方がきっと愉しいですもの。ね、ゾフィー?」
「……はい、そうですね」
ゾフィーはくるりと振り向くと、ちょっと照れくさそうにしつつもセロンを上目遣いに見て、
「えっと、その、セロン先輩のご都合がよろしければなんですけど……是非ご一緒していただけると嬉しいです」
セロンは目を丸くした。
「……ゾフィー、何か、悪いものでも食べた?」
すると少女は顔を真っ赤にして赤瞳を吊り上げた。
「カサンドラ様ッ! やっぱり二人で行きましょう、二人でっ!!」
「まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁっ!」
明後日の方向へ歩き出そうとしたゾフィーにカサンドラが背後から抱きついて制止し、責めるような視線をセロンへと向けて来る。
無言の非難にセロンはたじろぎつつ、
「うっ、いや、だって、ねぇ……? ゾフィーさんや、一体どういう風の吹き回しだい。僕が行ったらお邪魔だろう?」
「アンタはワタシをなんだと思ってんですか。普段、セロン先輩にはお世話になってますもん、一緒に初詣に行くくらい別にイーですよ、ふんっ!」
ムスッとした顔でそっぽを向くゾフィー。
「……左様ですか」
「左様なんだそうです」
カサンドラがゾフィーの両肩に手を置いて、その背後で苦笑している。
「――……で、結局、行くんです? 行かないんです?」
銀髪ポニテ娘が頬に朱色を残しつつじろりと赤眼をセロンへと向けて来たのだった。
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年が明けた。
「ハッツモーデ~!」
「イェーッ!」
「ハッツモーデ~!」
「イェーッ!」
「「ハッツモーデッ、イェーッ!!」」
十六歳と十五歳の紫銀の少女二人が朝の兵舎前で何やら節をつけて奇怪な動きをしている。美人は何やってもカワイイとはいうが、これは普通にオカシイ。
「……何やってんです?」
兵舎入口から出て来たセロンが問いかけると、薄紫髪の娘が振り返って来て満面の笑顔で、
「ハツモデの舞いです! セロンさん! 明けましておめでとうございます!!」
「左様ですか、キャシー、明けましておめでとうございます」
セロンには神妙な顔で頷く事しか出来なかった。
するとゾフィーが口先を尖らせて来る。
「あけおめことよろーですよー。セロンパイセンはノリが悪いですねぇ」
「いや、ノリが悪いっていうか、ノリが……ノリィ……? えぇい、明けましておめでとうございます、ハッツモーデ」
「「イェーッ!!」」
少女二人が叫んで拳を天へと向かって振り上げる。
こいつら年明け早々朝っぱらから酒飲んでないよな……?
とセロンは疑惑の眼差しを向けつつ、帝都の一角にあるというシャルガネ式の社目指して歩き始めた。
ツレ達が精鋭隊員ではなく完全にアホ学徒のノリと化しているが仕方ない。
浮足立つどころか脚から羽でも生えて空飛んでそうな娘が言う。
「新年の朝陽は……輝いていますね! セロンさん!」
「輝いていない朝陽があるならお目にかかりたいですよキャシー」
酒飲んでるんじゃないか疑惑度を60%から80%くらいまで高めつつ眼差しを向けセロン。多分きっとこの娘、箸が転がっても愉快なゾーンに入っている。
まぁ今の空気なら提案も気楽に出来るか、と思い少年はおもむろに切り出した。
「そういえば二人とも、ちょっと考えたんですが」
「なんでしょう?」
「でしょー?」
「私達はパンクリアース学園には三人とも同級生として編入する事になりますから、今のうちから敬語を使うのは互いに止めにしませんか?」
そちらの方が自然でしょうし、とセロン。
すると少女達は激烈に表情を固まらせた。
「…………私、家族にもほぼ敬語か丁寧語なんですが……」
「私にカサンドラ様をカサンドラ様と呼ぶなというのですかっ!!」
少女達が意外な反応を返して来る。
忘れがちだがカサンドラは元・貴族令嬢なので家庭環境はそういうものであったらしい。
「あ、いや、無理にはしなくても良いとは思うんですが…………」
「無理というか、今までに無い試みね。上手くできるかしら……? 偶にぽろっと敬語じゃない言葉を使う時もあったけれども、基本的に使い慣れていないというか……変になっていない?」
少し不安そうに恥ずかしそうにしながらカサンドラが言う。
セロンは笑顔を向けて答えた。
「大丈夫、どこもおかしな所は無いよ。完璧だ」
「私にカサンドラ様を」
「うん、僕が悪かった、好きに呼べば良いと思うよ」
「でも敬語使わないゾフィーというのも私ちょっと興味あるかしら」
「わかったよカサンドラ。少なくとも今回の任務の間は敬語は無しにするね」
この変わり身の速さである。
セロンが呆れ、カサンドラはくすくすと笑うと、
「前にも言ったけどキャシーで良いわ」
「う、うん、それじゃ、キャシーって呼ぶね」
「僕の事も先輩抜きでセロンで良」
「なんだこのシュタインドルフ野郎」
「最初期よりも悪化してるっ?!」
そんなやりとりを交わしつつ三人は新年の朝の輝く帝都を歩き、シャルガネ式の社へと向かったのだった。
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社は小高い丘上にあった。
石階段を登ると赤色に塗られた巨大な木柱を組み合わせ作られた門のようなものが現れる。ただし扉は無く空洞になっていた。
ゾフィー曰くこれは「トリイ」というものらしい。
「セロン、セロン、道の真ん中は通っちゃダメだよ。あとトリイはくぐる前に頭を下げるの」
銀髪ポニテの娘が赤鳥居の前でひょいと頭を下げてからくぐってゆく。
「……そうなのか、ゾフィーは相変わらず妙なものに詳しいなぁ」
「博識と言って欲しいね」
セロン達も見よう見まねでゾフィーに習いつつ赤鳥居をくぐり、彼女の案内で奥へと進んでゆく。
三人はまず石道の脇に佇んでいる簡素な屋根がついた小さな水場施設へと赴いた。
水場ではタケと呼ばれる円筒型の植物を縦に割いたものが管となって巡らされ、タケ管の端からは透き通った水が流れ落ちている。
水の落ち行く先には巨石から削り出された大きな盥があり、縁までなみなみと湛えた水盤は、とめどなく煌きを溢れさせていた。
湧き水でも引いて来ているのだろうか? あるいは強力な紋具でも設置しているのかもしれない。
この水場の使い方にも作法があって、ゾフィーから聞きつつセロン達は柄杓に水を汲んで手と口とを清潔にした。
「シャルガネ作法は複雑怪奇」
「私達の教会だって慣れてるからアレだけど結構複雑だよ」
「それもそうか」
そんな会話を交わしつつ石道へと戻る。
道を奥へと進んでゆくとやがて一際立派な建物に辿り着いた。
建物の前には大きな箱が置かれ天井から長い太縄が垂れ下がっており、縄の付け根には鈴が備えられている。
道すがらゾフィーから説明を受けていたセロンは、前に進み出ると軽く頭を下げ、長方形の大箱の中へと貨幣を一枚入れ、垂れている縄を掴み左右に揺り動かした。ガランガランと神秘的な鈴の音が鳴り響いてゆく。
二度ほど頭を下げ、胸前で両手を合わせ、広げ、打ちつけて鳴らす、もう一度鳴らす、願いを胸の裡で唱える。
(……どうか攫われた親友への手掛かりが掴み取れますよう、お導きください)
学園へと入学するまでには一ヵ月の余暇が与えられていたが、セロンはこの余暇を紅瞳子の行方の捜索にあてようと考えていた。
黒髪黒瞳の少年は祈り、神へと礼をした。
●
やがてカサンドラとゾフィーも祈願を終えると、
「ゾフィーは何をお願いしたの?」
「…………えーと、出来るだけ長くこの三人で任務にあたれますように、と。あんまり早死にするのも嫌なので」
「……なるほど、そうね、貴方、教導がセロンじゃないと長生き出来ないわよね」
なんだか聞き捨てならない言葉を少女二人が述べている気がした。
「どういう事?」
セロンが問いかけると、ゾフィー答えて曰く。
「私が部隊のパワハラ上官どもと上手くやっていける訳ないじゃん」
以前、セロンは『なんで上は僕とこの子を組ませたんだっ?!』と胸中で叫んだ事があったが、実はゾフィーの生存にとって最適の組み合わせであったらしい。セロンは背を撃たない。
グスタフは笑っていたが『そのおチビさんの教育はお前がしっかりつけてやれよ! でないと、こいつぁ早死にするぜ!』という言葉はあながち冗談でもなかった。
生殺与奪の権は上官に握られる事が多いのに、平気でそれに喧嘩売るゾフィーが能力的にはいかに首席卒で優秀だろうが――だからこそ――組織内で長生き出来る訳が無いのだ。
「……なるほど、それもそうだ」
セロンは納得した。
「ねぇゾフィー、貴方は少しは気に入らなくても頭を下げる事を覚えなさいな」
「いくらキャシーの言う事でもそれは嫌だね。下衆に首を垂れるくらいなら戦って死んでやる」
「貴方は正直過ぎる。私はそんな貴方が好きだけどね」
「あぁカサンドラ様ぁ!」
ゾフィーがカサンドラにひしと抱きついてよしよしと頭を撫でられている。
「カサンドラ様は何をお願いなされたんですかぁ?」
「早急に貴方の上官になれるように出世も願っとけば良かったって今思ってるとこだけど、普通に皆の無病息災ね」
敬語敬語とゾフィーに言いつつカサンドラ。
「えっと、キャシーらしいね」
「キャシーが無理するよりゾフィーが意識変えた方が良い気がするけどなぁ」
例え出世出来たとしても必ずしもゾフィーがその下に配属されるとは限らない。
「まぁそうなんでしょうけど……」
「無理だね!」
「こいつは……」
ゾフィーが胸を張って何故か大威張りしてみせたのでセロンは横目で睨みつけた。
「まぁまぁ、セロンは何をお願いしたの?」
「あぁ僕は親友の手掛かり。休暇中は探すつもりなんだ」
「あぁ……――さんだっけ?」
カサンドラが紅瞳子の名を言った。紅瞳子というのは仮の呼びであって本来の名ではない。
うん、とセロンは頷くと、
「私も捜すの手伝おうか? 特に予定は無いし」
「えぇ?! キャシー、私と一緒に遊ぼうよう」
「……って言ってるけど?」
「御免なさいゾフィー。私、セロンのお手伝いをしたいわ」
「ぐぬぬぬぬ……じゃあ、私はセロンのお手伝いをするキャシーのそのお手伝いをします! させてくださいっ!」
「ねぇセロン、捜すなら一人よりも三人よ。駄目、かしら? 嫌なら無理にとは言わないけれど……」
薄紫髪ロングの娘が遠慮がちに夏空色の瞳を向けて来る。
セロンは少し、考えるのだった。