続・緋玖国後宮物語
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2021年01月24日 22時34分53秒
今年は都に雪が降っている。朱に染められた宮殿が雪化粧を施され幻想的な佇まいを見せていた。
「今夜も寒くなりそうだ」
昨夜から降り続く雪は止む気配を見せず、明日の朝にはもっと積もっている事だろう。
皇帝付き宦官の一人、ルーチェンことルチル・ブルメリア・グレイハーツは窓から見える庭の景色を眺めていた。
「陛下のお身体に障らなければいいが」
室内だというのに吐き出す息が白い。足元に置いた火鉢では炭が赤々と燃えていた。
皇帝の秘書官も務めるルーチェンであるが、この日は非番。朝から下女の入れてくれた薫り高い茶を飲みながら、本を眺めていた。
趣味が高じて集め始めた本の種類は、医学書から兵法書、果ては旅行記や料理本もある。
「少し体を動かすか」
机の上に広げていた兵法書を閉じ、ぐっと伸びをすると机にかじりついていた体に、血が巡っていくのを感じた。
ルーチェンは立ち上がり頭の上に乗せていた大きめの綸巾を外す。
普段は決して外す事のないそれだが、今は人払いし他人の眼はない。
外気に触れた頭頂部に風をあてるように頭を振った。炎のように赤い髪がふわりと揺れ、中から人ならざる者の『角』が見え隠れする。
「ふぅ……」
閉じていた瞳を開くと、その瞳孔は爬虫類のそれのように縦に長く伸びていた。
本来の姿である女性体へと変化を遂げたルーチェン。この姿を晒す時の名を『ルチル』という。
女性らしい肢体にグラマラスな肉付き。豊満な胸が男物の衣を内側から膨らませていた。
「久しぶりに全力で体を動かすか」
部屋の脇にある武器立てへと向かう。剣に矛に槍、棍に槌、弓まで一通りの武器は揃えている。もちろん後宮での武器の携帯はご法度。ここにあるのは全て刃を落としている代物だ。
刃はなくとも鍛錬だけであればそれで十分。ルチルは目に留まった矛を手に取った。
武器を選ばないのも武人の務め。
「宦官の台詞ではないな」
ずしりと手にかかる矛の重みを感じながら、ルチルは自嘲気味に笑った。
●
石畳の広場へと出る。丁度建物同士が寄り合い外からは見えない忘れられた場所。
矛を振るに十分で、人の視線がない。ルチルはこの小さな広場を気に入っていた。
そんな広場も今日ばかりは雪景色。一面白に染まった石畳に足跡を刻みながら、ルチルは中央へ出ると、雪降る曇天を見上げた。
「よしっ」
短い気合と共に矛を構える。
最初はゆっくりと演武の様に。体が温まってくると、次第に速度を上げ目の前に幻視する仮想敵を相手に武を競う。
ルチルは時が経つのも忘れ矛を振るった。舞い落ちる雪の一粒を切り裂く様に、石畳に積もる雪を吹き払う様に。矛の刃先まで神経を行きわたらせ、腕の延長とする。
矛を振るう度に、手と矛の境界線が薄れていき――。
「……っ!」
武の境地へと到達する寸前、ルチルは手を止めた。外気に晒してあった第六の感覚器官『角』が何かに触れたのだ。
「何か、よくないものが入ってきたか……?」
『角』が感じた僅かな揺れ。この『角』を介して視る世界は、瞳に映る物とはまるで違う。全てが線と点で構成され、色もない。だからこそ、異物を感じる事が出来る。ルチルはさらに残りの感覚も閉じ、第六感に全神経を集中させた。
「……獣?」
ルチルはこの広場からほど近い場所に、奇妙な姿を視た。
『角』が感じる揺れは、モノの本質を映し出す。だから、実際の眼で見る像とは違う事も多い。後宮の高い塀を越えて侵入できる獣がいるとは思えないので、たぶん違う何かだろう。しかし、捨て置けるような雰囲気を感じないのも確かだった。
ルチルは秘密の広場を後にし、自室に戻ると再び綸巾をかぶり男へと姿を変じる。
「非番だなどと言っていられないか」
曇天のせいで暗いとはいえ、昼の只中だ。侵入者があれば、後宮に仕える誰かが気付く可能性も高い。
ただ、対処できるかとなると話は別。自分の様に武を修めている者は、この後宮には希少だ。
ルチルは弓を手に取ると、自室を後にした――。
●
「なんだと……」
『角』が知らせた場所に、それはまだ居た。
首から上を無くした下女に覆いかぶさる『獣』。一見すれば巨大な虎であるのだが、その両脇からはあるはずの無い猛禽の翼が生えていた。
「まさか、その姿……」
ルーチェンは自分の声が震えるのを感じる。目の前に存在するそれを、識っていたから。
死体を貪る凶獣が、声に気付きこちらを視た。血に濡れた口元を見せつける様に歪ませ頭を振る。
ルーチェンは弓を構え矢を番えた。
『ほう、この吾の姿を視て怖気づかぬとは』
「……喋るのか」
『なに、吾の声が届くのか。……なるほど、その気。主、龍に連なる者か』
凶獣はルーチェンに興味を持ったのか、ゆっくりと近づいてくる。
伝説上の怪物が何故ここに。一体何の目的があって。疑問は絶えないが今は考えている余裕はない。
『龍が眷属よ。なぜ主の様な者が人の世に混じる』
なおも近づいてくる凶獣を、ルーチェンは睨み続けた。
本来の姿へ変じれば。しかし、ここは人目が――。様々な考えが頭の中を駆け巡る。
『この吾が問うておるのだ、答えぬか幼き龍よ』
無言を貫くルーチェンに、凶獣が不快感をあらわにする。
「ここに何用だ、古き獣よ」
ルーチェンは口を開き逆に質問を投げかけた。
『……ふはは、肝も据わっておるな。面白い! 流石は龍の血よ』
まさか自分の問いが無視され、逆に問われるとは思ってなかったのだろう。
凶獣は一瞬、驚いたような表情を見せるも、すぐに口元を歪めた。
「答えろ」
『なに、ほんの気まぐれよ。永きを生きる者にとっては、全ては暇つぶしであろう?』
「ならば去れ。人を食いたくば別の場所へ行け。ここに貴様の暇をつぶせる者など存在しない」
『何を言う。いるではないか、目の前にな!』
言って凶獣は気を爆発させた。まるで炎の様な熱い気がルーチェンの身体を激しく圧す。
『共に永きを生きる身。主も暇だろう、さぁ吾と暇をつぶそうではないか!』
凶獣が巨大な顎をもたげ凶悪な牙を見せつける。赤く染まった舌を舐めずり、ルーチェンを挑発した。
「興味がない。何の必要があって貴様と――」
戦闘の意志は無いとルーチェンが、再び口にしかけた、その時――。
「きゃぁぁぁ!!」
背後から女の悲鳴が上がった。
――ちっ。
ルーチェンは内心で舌打ちする。下女か侍女か、とにかく誰かがこの獣に気付き悲鳴を上げたのだ。
「早く逃げろ!」
恐怖で動けないであろう女に向け、ルーチェンは大声で叫ぶ。
それを聞いた女は、地を這いずりながらもなんとかその場から逃げていった。
『なんだ、守護者の真似事でもやっているのか』
「……だからどうした」
『人など下等な生物をなぜ護る』
「貴様に話す必要はない」
『ふはは! なるほど、主を本気にさせるのは存外簡単なようだ』
淡々と感情を込めずに話すルーチェン。その態度に凶獣は悟った。
「貴様……」
『ここには人の王もいるのだったか?』
「……やめろ」
『どうした、止めねば人が死ぬぞ?』
凶獣はルーチェンから視線を外すと、女が逃げていったであろう方角に頭を向けた。
『さぁ、吾とやりあえ! 鎮守の獣と破滅の獣。どちらが強いか確かめようではないか!』
「くだらない……実にくだらない――!」
無防備に体を晒し挑発する凶獣に向け、ルチルの矢が放たれた――。
「今夜も寒くなりそうだ」
昨夜から降り続く雪は止む気配を見せず、明日の朝にはもっと積もっている事だろう。
皇帝付き宦官の一人、ルーチェンことルチル・ブルメリア・グレイハーツは窓から見える庭の景色を眺めていた。
「陛下のお身体に障らなければいいが」
室内だというのに吐き出す息が白い。足元に置いた火鉢では炭が赤々と燃えていた。
皇帝の秘書官も務めるルーチェンであるが、この日は非番。朝から下女の入れてくれた薫り高い茶を飲みながら、本を眺めていた。
趣味が高じて集め始めた本の種類は、医学書から兵法書、果ては旅行記や料理本もある。
「少し体を動かすか」
机の上に広げていた兵法書を閉じ、ぐっと伸びをすると机にかじりついていた体に、血が巡っていくのを感じた。
ルーチェンは立ち上がり頭の上に乗せていた大きめの綸巾を外す。
普段は決して外す事のないそれだが、今は人払いし他人の眼はない。
外気に触れた頭頂部に風をあてるように頭を振った。炎のように赤い髪がふわりと揺れ、中から人ならざる者の『角』が見え隠れする。
「ふぅ……」
閉じていた瞳を開くと、その瞳孔は爬虫類のそれのように縦に長く伸びていた。
本来の姿である女性体へと変化を遂げたルーチェン。この姿を晒す時の名を『ルチル』という。
女性らしい肢体にグラマラスな肉付き。豊満な胸が男物の衣を内側から膨らませていた。
「久しぶりに全力で体を動かすか」
部屋の脇にある武器立てへと向かう。剣に矛に槍、棍に槌、弓まで一通りの武器は揃えている。もちろん後宮での武器の携帯はご法度。ここにあるのは全て刃を落としている代物だ。
刃はなくとも鍛錬だけであればそれで十分。ルチルは目に留まった矛を手に取った。
武器を選ばないのも武人の務め。
「宦官の台詞ではないな」
ずしりと手にかかる矛の重みを感じながら、ルチルは自嘲気味に笑った。
●
石畳の広場へと出る。丁度建物同士が寄り合い外からは見えない忘れられた場所。
矛を振るに十分で、人の視線がない。ルチルはこの小さな広場を気に入っていた。
そんな広場も今日ばかりは雪景色。一面白に染まった石畳に足跡を刻みながら、ルチルは中央へ出ると、雪降る曇天を見上げた。
「よしっ」
短い気合と共に矛を構える。
最初はゆっくりと演武の様に。体が温まってくると、次第に速度を上げ目の前に幻視する仮想敵を相手に武を競う。
ルチルは時が経つのも忘れ矛を振るった。舞い落ちる雪の一粒を切り裂く様に、石畳に積もる雪を吹き払う様に。矛の刃先まで神経を行きわたらせ、腕の延長とする。
矛を振るう度に、手と矛の境界線が薄れていき――。
「……っ!」
武の境地へと到達する寸前、ルチルは手を止めた。外気に晒してあった第六の感覚器官『角』が何かに触れたのだ。
「何か、よくないものが入ってきたか……?」
『角』が感じた僅かな揺れ。この『角』を介して視る世界は、瞳に映る物とはまるで違う。全てが線と点で構成され、色もない。だからこそ、異物を感じる事が出来る。ルチルはさらに残りの感覚も閉じ、第六感に全神経を集中させた。
「……獣?」
ルチルはこの広場からほど近い場所に、奇妙な姿を視た。
『角』が感じる揺れは、モノの本質を映し出す。だから、実際の眼で見る像とは違う事も多い。後宮の高い塀を越えて侵入できる獣がいるとは思えないので、たぶん違う何かだろう。しかし、捨て置けるような雰囲気を感じないのも確かだった。
ルチルは秘密の広場を後にし、自室に戻ると再び綸巾をかぶり男へと姿を変じる。
「非番だなどと言っていられないか」
曇天のせいで暗いとはいえ、昼の只中だ。侵入者があれば、後宮に仕える誰かが気付く可能性も高い。
ただ、対処できるかとなると話は別。自分の様に武を修めている者は、この後宮には希少だ。
ルチルは弓を手に取ると、自室を後にした――。
●
「なんだと……」
『角』が知らせた場所に、それはまだ居た。
首から上を無くした下女に覆いかぶさる『獣』。一見すれば巨大な虎であるのだが、その両脇からはあるはずの無い猛禽の翼が生えていた。
「まさか、その姿……」
ルーチェンは自分の声が震えるのを感じる。目の前に存在するそれを、識っていたから。
死体を貪る凶獣が、声に気付きこちらを視た。血に濡れた口元を見せつける様に歪ませ頭を振る。
ルーチェンは弓を構え矢を番えた。
『ほう、この吾の姿を視て怖気づかぬとは』
「……喋るのか」
『なに、吾の声が届くのか。……なるほど、その気。主、龍に連なる者か』
凶獣はルーチェンに興味を持ったのか、ゆっくりと近づいてくる。
伝説上の怪物が何故ここに。一体何の目的があって。疑問は絶えないが今は考えている余裕はない。
『龍が眷属よ。なぜ主の様な者が人の世に混じる』
なおも近づいてくる凶獣を、ルーチェンは睨み続けた。
本来の姿へ変じれば。しかし、ここは人目が――。様々な考えが頭の中を駆け巡る。
『この吾が問うておるのだ、答えぬか幼き龍よ』
無言を貫くルーチェンに、凶獣が不快感をあらわにする。
「ここに何用だ、古き獣よ」
ルーチェンは口を開き逆に質問を投げかけた。
『……ふはは、肝も据わっておるな。面白い! 流石は龍の血よ』
まさか自分の問いが無視され、逆に問われるとは思ってなかったのだろう。
凶獣は一瞬、驚いたような表情を見せるも、すぐに口元を歪めた。
「答えろ」
『なに、ほんの気まぐれよ。永きを生きる者にとっては、全ては暇つぶしであろう?』
「ならば去れ。人を食いたくば別の場所へ行け。ここに貴様の暇をつぶせる者など存在しない」
『何を言う。いるではないか、目の前にな!』
言って凶獣は気を爆発させた。まるで炎の様な熱い気がルーチェンの身体を激しく圧す。
『共に永きを生きる身。主も暇だろう、さぁ吾と暇をつぶそうではないか!』
凶獣が巨大な顎をもたげ凶悪な牙を見せつける。赤く染まった舌を舐めずり、ルーチェンを挑発した。
「興味がない。何の必要があって貴様と――」
戦闘の意志は無いとルーチェンが、再び口にしかけた、その時――。
「きゃぁぁぁ!!」
背後から女の悲鳴が上がった。
――ちっ。
ルーチェンは内心で舌打ちする。下女か侍女か、とにかく誰かがこの獣に気付き悲鳴を上げたのだ。
「早く逃げろ!」
恐怖で動けないであろう女に向け、ルーチェンは大声で叫ぶ。
それを聞いた女は、地を這いずりながらもなんとかその場から逃げていった。
『なんだ、守護者の真似事でもやっているのか』
「……だからどうした」
『人など下等な生物をなぜ護る』
「貴様に話す必要はない」
『ふはは! なるほど、主を本気にさせるのは存外簡単なようだ』
淡々と感情を込めずに話すルーチェン。その態度に凶獣は悟った。
「貴様……」
『ここには人の王もいるのだったか?』
「……やめろ」
『どうした、止めねば人が死ぬぞ?』
凶獣はルーチェンから視線を外すと、女が逃げていったであろう方角に頭を向けた。
『さぁ、吾とやりあえ! 鎮守の獣と破滅の獣。どちらが強いか確かめようではないか!』
「くだらない……実にくだらない――!」
無防備に体を晒し挑発する凶獣に向け、ルチルの矢が放たれた――。