黒鋼竜白毛玉騒動録
キャラクターノベル(グループ)制作 弓月 蒼納品 2024年09月25日 08時52分06秒
●白毛玉と竜の片翼
「きゃんきゃんっ!」
広い中庭を白い毛玉が優雅に駆ける。
『白毛玉の化身』リナリアは、ポメラニアンの雌と言う事になっている全長40㎝程の毛玉である。
どの角度から見ても白い、毛玉。にしか見えないが。少なくとも世間では犬という事になっている。
リーンエス王国南部、『黒鋼竜』ライゼンナクト侯爵領。『湖都』ラヴェルギア。
領政の中心地と言って良いこの地の、それも領主本邸である竜館の中庭で育てられた彼女は。
言ってしまえば大変気位が高い、文字通りやんごとなき毛玉の化身であった。
いや、実際は別に領主とは何の関係も無い白毛玉である。飼い主は貴族ですらない。
しかしそんなことリナリアには何の関係も無かった。精鋭とされる『竜』の侍女団は彼女を甘やかした。
見た目がひたすら和む。と言うのはこの館内のパワーバランスに於いて絶大な効果を発揮した。
例え何だか鳴くのがあまり上手でなくとも。例え犬種、と言うか珍妙な魔獣の一種にしか見えなくとも。
リナリアは皆から愛されていたし、そうして愛され続けた結果。彼女は正しく家内の自分の立場を理解した。
……概ね、家主の次。位の立ち位置として。もちろん、完璧に間違っている。
「リサちゃんから折角頂いたトリミングセット。
次に逢う時までに使いこなせるようになっておかないと……っ!」
さて、『天剣』ゲルダ・クラインと言えば、冒険者界隈広しと言えどかなり高い知名度を誇る剣士である。
『竜』の領内に於いて言えば、“領主の護衛”と言う露出の多い立場に在る事もあり。
領主に次ぐ知名度を誇る、と言っても強ち間違いではない。もう一人の護衛士である銀髪の亜人が。
その素性からあまり自発的に露出する事を好まない、と言う点もこの傾向に拍車を掛けていた。
そんな彼女こそが、眼前の白毛玉。リナリアの主人である。ただ、どうも彼女からは飼い主扱いされていない。
止む無き話ではある。何せ、リナリアに構う人間は多い。そしてゲルダはとにかく多忙である。
主に付き従い領境を越える様な遠征も、決して少なくない。そう言った場合、必然リナリアはおいて行く他ない。
勿論、その間は『竜』の侍女団が委細問題無いように預かってくれている訳だが―――――
そうなると犬と言うのは現金な物で。より長く面倒を見てくれている相手の序列を上げて来る。
「えーっと、リナリアちゃん。綺麗にしましょうねー?」
ゲルダがぎこちなくブラシを振るも。リナリアはそれを一瞥して、ふ……と鼻で笑う様に瞳を細めた。
そう。リナリアちゃんのブラッシングは担当の侍女によって常にふわふわになる様に整えられている。
例えゲルダが労を掛けずとも。リナリアちゃんは既に最高のパフォーマンスを発揮する毛玉なのだった。
その事実に気付き、愕然とするゲルダ。論理主義者である彼女の中の合理がその無駄な労力を否定する。
しかし、その全てを捻じ伏せて余りある事情が彼女にはあった。
そう、竜館は数日後に親友の訪問を控えている。いや実際は親友の、ではなく。
その就業先である『白銀の薔薇』の、ではあるのだが……
いざその時。ゲルダが自分が贈ったプレゼントを満足に使いこなせない程余裕がないと知れば。
きっと親友は哀しむだろう。避けられない戦いが、此処にあった。
かくして、ゲルダは人生初の整毛に挑む事となった、わけ、だ、が――――
■
竜館一階最奥――――謁見の間。
「なるほど……それで、そうなったと言う訳か」
「……はい」
名誉の負傷と言うか、白毛玉リナリアちゃんの抵抗を受けて悪戦苦闘を繰り広げたゲルダは。
『黒鋼竜』アルベイル・ライゼンナクト――――即ち、護衛士としての彼女の主の前で。
一回り小さくなったリナリアちゃんから目を逸らす様にして困ったような顔で頷いた。
実際、愛犬の整毛は思ったより数倍を数えるほどの苦難の連続だった。
何せ彼の白毛玉は全然まったくじっとしていてくれない。これを追い回すのにまず一苦労。
加えてゲルダは獲物を然程選ばない騎士ではあるが、剣や槍と整毛用の鋏では流石に余りにも勝手が違った。
恐る恐る振るっていては逃げ切られると読み切ってかなり大胆に斬り込んだが、ここで二苦労。
結局、最終的には侍女団の専門家に任せて毛並みを整えて貰うよう頼みこまざるを得ず、心労まで嵩んだ。
そうして今。完全体となったリナリアちゃんの外観はと言えば。長く伸びすぎた毛玉成分が減って。
凡そ30㎝大になった白い毛玉が自由を謳歌していた。尚、謁見の間は来客への対応をするとても重要な部屋である。
しかし中庭をふわふわの毛玉の残滓が飛び交った結果、掃除しなければならない以上。
リナリアちゃんは何処かに緊急避難する必要があり、それは飼い主の責務と言う事でゲルダの職場が選ばれた。
つまり護衛士である彼女の場合、竜侯の直ぐ傍、という事になる。
「もう間もなく、件の『白銀の薔薇』が来館する。流石にこの……何だ。白毛玉を同席させるわけにはいかん」
「ですよね!」
力強く、ゲルダは頷いた。流石に彼女も幾ら何でもそれはない、と思っていたのだ。
しかし、と言って護衛士である彼女が職責を放棄する訳にもいかない。
もう一人の同僚である銀髪の亜人は現在、とある商会の内部組織解体の為に出向中だ。
あちらを立てればこちらが立たず。こちらを立てればあちらが立たず。
更に言えば、面談の重要性を鑑みれば、人手は愚か時間的な猶予すらない。
ままならない現実は、『竜』の一声で解決を見た。
「という事で、暫しこの……白毛玉を」
「リナリアちゃんですアルベイル様」
「……リナリア嬢を預かることが此度の指令だ」
「はぁ……まあ、構いませんけれど……御手当付きます?」
「一考する」
一考するんだ……と驚きで見上げたゲルダを他所に。リナリアちゃんは一時顔なじみの女行商人預かりとなった。
しかしこれにて一件落着。とは、行かないのが、この大陸の常である。
●白毛玉と薔薇の侍女
「え―――――っと……?」
『白銀の薔薇』オルファレナ・C・バデーニはバデーニ公爵家の寵姫である。
いわゆる側室と言う立場になるが、彼女の場合どちらかと言うと政略結婚の側面の方が強い。
オルファレナに求められている役割は各派閥と新興の『集権派』との間の折衝であり、調整であると言え。
例え彼女の公的身分が『学生』であったとしても、時に多忙な公爵の代理として遠征が求められる。
元々、冒険と未知の探究を好むオルファレナからすれば願ったり叶ったりな話ではある訳だが。
そうは言っても彼女は元々『王党派』でも知られる『白銀』の長女。生粋の貴族令嬢である訳で。
その行動範囲は原則、あくまで一定以上治安が担保される一部の都心に限定されていた。
なので、野良犬や野犬、と言った野生犬種と対面する事など滅多にある物ではない。それはまあ、そうなのだが。
「これは、何かしら? 新種の生物?」
「あー……これはゲルダちゃんのところのリナリアちゃんですね」
そんな主の問に応じたのは、『公爵夫人附侍女』リサ・ベイカーである。
2人は今、『黒鋼竜』の本拠、竜館の一階エントランスに佇んでいた。これから『竜』当主と面会の予定だ。
例え若くして未だ侮られている側面が有るにせよ、現『竜』アルベイルは即ち『貴族派』盟主である。
『集権派』盟主のバデーニとは同格の立場であり、彼らは利害の一致と言う意味で足並みを揃えている。
その調整は本来盟主の役割だが、此度は丁度手が空いていたオルファレナにお鉢が回って来た。
こんな、謎の白毛玉と戯れる予定は一切無かった筈なのだが。
「ひぃー、ひぃー、ちょ、ちょっと待って下さい、すばしっこ過ぎませんか……!?」
「きゃんきゃんっ!」
リナリアちゃんのこうそくいどう。すばやさがぐーんとあっぷ! ではないが。
トリミングで身軽になったリナリアちゃんは素早かった。良く知った女行商人からまんまと逃げ果せる程に。
その素早さの程を目の当たりにし、オルファレナとリサが揃って目を丸くする。
やっぱり犬とかじゃなく謎の未確認生物じゃない!? と『白銀の薔薇』が好奇心で目を輝かせる一方で。
リサはもうこの時点で騒動と、そして同時にお金の気配を感じ取っていた。
優れた商人は機先に敏でなければならない。そして得てして、恩と言うのは金になる。
そうでなくとも、件の女行商人には色々借りもある。少し返しておくのも良いだろうかと思ったのだ。
「待って下さい、わたしに策有り、です。先ずは人手が必要です」
頼もしいリサの言に、オルファレナと女行商人の視線が集まる。
突然注目を集めたリサは、これで失敗したら大恥を晒すことになりますね……! 等と思いながら。
「でも、人手って言っても『竜』の本拠に伝手とかあるの?」
「オルファレナ様、その為の手土産です」
「ああ!なるほど、流石リサ、発想の転換ね!」
(いや、駄目でしょ)
ツッコミ不在の『白銀の薔薇』一行に対し、最早助言を諦めた女行商人。
かくして逃げたリナリアちゃん捕獲作戦の火蓋は、此処に切って落とされ――――案外あっさり幕を閉じる。
●
「捕まえました」
「凄い……っ!!」
オルファレナがきゃっきゃと喜ぶが、明らかに元気なのはほぼ無傷で走り回らなかった彼女だけである。
流石にドレス姿で走るのは無理があるし行儀も悪いし謁見待ちでする事じゃないと。
駆け回ったのは概ねリサと女行商人の2人だったが。
リナリアちゃんの追い込みには家令長セバスティアンの協力も有り、『竜』侍女団も手伝ってくれた。
餌をばら蒔いて罠を張ったり、直線に誘い込んで全力疾走したりと、散々に手古摺らせてくれたが。
結局最終的に一番無害そうなリサの手元に逃げ込んだのは、野生の本能と言う奴だろうか。
否。逃げ道を態と開けておく。と言う作戦は彼女の洞察力が無ければ成立しなかった。
曰く、リナリアちゃんは意外と周りを見ているし、追われたなら逃げる。誘い込んで囲い込むしかない。
やや博打の側面もあったにせよ、リサはやり遂げた実感に拳を握った。
捕まえられたリナリアちゃんは観念したのか大人しくなって転がっていたが。
その恐るべき俊敏さを目の当たりにした女行商人は、何だか釈然としない風に一言呟いた。
「ぜえ、ぜえ……そも、そも肉体労働は、私の領分じゃないんですよ……!」
「でしょうねー……」
そうしてそんな事をやっている間に、謁見の時間がやって来る。
「きゃんきゃんっ!」
「……ゲルダ、気の所為か。外に出した筈の白毛玉が居る気がするんだが」
「リナリアちゃんですアルベイル様」
「何故リナリア嬢がリサ・ベイカーに抱かれているのか」
「分かりませんっ!」
分かれば超越者である。
「『貴族派』の長、至貴き黒き鋼の竜の君。不肖集権派盟主代理として参りましたオルファレナに御座います」
「ああ、良く来てくれた。まあ知らぬ顔でも無い、楽にせよ」
「だそうよリサ」
「オルファレナ様はもう少し言葉裏とか気に成された方が良い気がします」
礼儀作法は完璧なのに、どうしても元同級生故の気安さか。あくまで同格、と言う認識故か。
『竜』相手に恐れを知らないオルファレナに、思わずリサが突っ込みを入れるけれど。
これは本来の侍女であればNGである。その辺、専属侍女は伊達ではないのだ。
「……まあ、積る話もあるだろう。此方は此方で適当に処理しておく。
ゲルダ・クライン、リサ・ベイカー。共に退室を赦す。それと……」
アルベイルは、ちらっと。その正体不明の白い毛玉、としか見えない生命体を一瞥し。
小さく嘆息を溢して必要なさそうな一言を付け足した。
「その白け……リナリア嬢も連れて退出せよ」
「きゃんきゃんっ!」
尚、そうしてどうにか回収された白毛玉の化身ことリナリアちゃんであるが。
翌月にはあっさり全長40㎝サイズに戻ったと言うのだから、本当にポメラニアンかはやや怪しい。
ゲルダは親友から贈られた鋏を使う機会が増え喜んだが、館の主からは疑問の眼差しを向けられている。
ついでに一考の結果、手当ての支払いは無かったという。めでたくもあり、めでたくもなし。
「きゃんきゃんっ!」
広い中庭を白い毛玉が優雅に駆ける。
『白毛玉の化身』リナリアは、ポメラニアンの雌と言う事になっている全長40㎝程の毛玉である。
どの角度から見ても白い、毛玉。にしか見えないが。少なくとも世間では犬という事になっている。
リーンエス王国南部、『黒鋼竜』ライゼンナクト侯爵領。『湖都』ラヴェルギア。
領政の中心地と言って良いこの地の、それも領主本邸である竜館の中庭で育てられた彼女は。
言ってしまえば大変気位が高い、文字通りやんごとなき毛玉の化身であった。
いや、実際は別に領主とは何の関係も無い白毛玉である。飼い主は貴族ですらない。
しかしそんなことリナリアには何の関係も無かった。精鋭とされる『竜』の侍女団は彼女を甘やかした。
見た目がひたすら和む。と言うのはこの館内のパワーバランスに於いて絶大な効果を発揮した。
例え何だか鳴くのがあまり上手でなくとも。例え犬種、と言うか珍妙な魔獣の一種にしか見えなくとも。
リナリアは皆から愛されていたし、そうして愛され続けた結果。彼女は正しく家内の自分の立場を理解した。
……概ね、家主の次。位の立ち位置として。もちろん、完璧に間違っている。
「リサちゃんから折角頂いたトリミングセット。
次に逢う時までに使いこなせるようになっておかないと……っ!」
さて、『天剣』ゲルダ・クラインと言えば、冒険者界隈広しと言えどかなり高い知名度を誇る剣士である。
『竜』の領内に於いて言えば、“領主の護衛”と言う露出の多い立場に在る事もあり。
領主に次ぐ知名度を誇る、と言っても強ち間違いではない。もう一人の護衛士である銀髪の亜人が。
その素性からあまり自発的に露出する事を好まない、と言う点もこの傾向に拍車を掛けていた。
そんな彼女こそが、眼前の白毛玉。リナリアの主人である。ただ、どうも彼女からは飼い主扱いされていない。
止む無き話ではある。何せ、リナリアに構う人間は多い。そしてゲルダはとにかく多忙である。
主に付き従い領境を越える様な遠征も、決して少なくない。そう言った場合、必然リナリアはおいて行く他ない。
勿論、その間は『竜』の侍女団が委細問題無いように預かってくれている訳だが―――――
そうなると犬と言うのは現金な物で。より長く面倒を見てくれている相手の序列を上げて来る。
「えーっと、リナリアちゃん。綺麗にしましょうねー?」
ゲルダがぎこちなくブラシを振るも。リナリアはそれを一瞥して、ふ……と鼻で笑う様に瞳を細めた。
そう。リナリアちゃんのブラッシングは担当の侍女によって常にふわふわになる様に整えられている。
例えゲルダが労を掛けずとも。リナリアちゃんは既に最高のパフォーマンスを発揮する毛玉なのだった。
その事実に気付き、愕然とするゲルダ。論理主義者である彼女の中の合理がその無駄な労力を否定する。
しかし、その全てを捻じ伏せて余りある事情が彼女にはあった。
そう、竜館は数日後に親友の訪問を控えている。いや実際は親友の、ではなく。
その就業先である『白銀の薔薇』の、ではあるのだが……
いざその時。ゲルダが自分が贈ったプレゼントを満足に使いこなせない程余裕がないと知れば。
きっと親友は哀しむだろう。避けられない戦いが、此処にあった。
かくして、ゲルダは人生初の整毛に挑む事となった、わけ、だ、が――――
■
竜館一階最奥――――謁見の間。
「なるほど……それで、そうなったと言う訳か」
「……はい」
名誉の負傷と言うか、白毛玉リナリアちゃんの抵抗を受けて悪戦苦闘を繰り広げたゲルダは。
『黒鋼竜』アルベイル・ライゼンナクト――――即ち、護衛士としての彼女の主の前で。
一回り小さくなったリナリアちゃんから目を逸らす様にして困ったような顔で頷いた。
実際、愛犬の整毛は思ったより数倍を数えるほどの苦難の連続だった。
何せ彼の白毛玉は全然まったくじっとしていてくれない。これを追い回すのにまず一苦労。
加えてゲルダは獲物を然程選ばない騎士ではあるが、剣や槍と整毛用の鋏では流石に余りにも勝手が違った。
恐る恐る振るっていては逃げ切られると読み切ってかなり大胆に斬り込んだが、ここで二苦労。
結局、最終的には侍女団の専門家に任せて毛並みを整えて貰うよう頼みこまざるを得ず、心労まで嵩んだ。
そうして今。完全体となったリナリアちゃんの外観はと言えば。長く伸びすぎた毛玉成分が減って。
凡そ30㎝大になった白い毛玉が自由を謳歌していた。尚、謁見の間は来客への対応をするとても重要な部屋である。
しかし中庭をふわふわの毛玉の残滓が飛び交った結果、掃除しなければならない以上。
リナリアちゃんは何処かに緊急避難する必要があり、それは飼い主の責務と言う事でゲルダの職場が選ばれた。
つまり護衛士である彼女の場合、竜侯の直ぐ傍、という事になる。
「もう間もなく、件の『白銀の薔薇』が来館する。流石にこの……何だ。白毛玉を同席させるわけにはいかん」
「ですよね!」
力強く、ゲルダは頷いた。流石に彼女も幾ら何でもそれはない、と思っていたのだ。
しかし、と言って護衛士である彼女が職責を放棄する訳にもいかない。
もう一人の同僚である銀髪の亜人は現在、とある商会の内部組織解体の為に出向中だ。
あちらを立てればこちらが立たず。こちらを立てればあちらが立たず。
更に言えば、面談の重要性を鑑みれば、人手は愚か時間的な猶予すらない。
ままならない現実は、『竜』の一声で解決を見た。
「という事で、暫しこの……白毛玉を」
「リナリアちゃんですアルベイル様」
「……リナリア嬢を預かることが此度の指令だ」
「はぁ……まあ、構いませんけれど……御手当付きます?」
「一考する」
一考するんだ……と驚きで見上げたゲルダを他所に。リナリアちゃんは一時顔なじみの女行商人預かりとなった。
しかしこれにて一件落着。とは、行かないのが、この大陸の常である。
●白毛玉と薔薇の侍女
「え―――――っと……?」
『白銀の薔薇』オルファレナ・C・バデーニはバデーニ公爵家の寵姫である。
いわゆる側室と言う立場になるが、彼女の場合どちらかと言うと政略結婚の側面の方が強い。
オルファレナに求められている役割は各派閥と新興の『集権派』との間の折衝であり、調整であると言え。
例え彼女の公的身分が『学生』であったとしても、時に多忙な公爵の代理として遠征が求められる。
元々、冒険と未知の探究を好むオルファレナからすれば願ったり叶ったりな話ではある訳だが。
そうは言っても彼女は元々『王党派』でも知られる『白銀』の長女。生粋の貴族令嬢である訳で。
その行動範囲は原則、あくまで一定以上治安が担保される一部の都心に限定されていた。
なので、野良犬や野犬、と言った野生犬種と対面する事など滅多にある物ではない。それはまあ、そうなのだが。
「これは、何かしら? 新種の生物?」
「あー……これはゲルダちゃんのところのリナリアちゃんですね」
そんな主の問に応じたのは、『公爵夫人附侍女』リサ・ベイカーである。
2人は今、『黒鋼竜』の本拠、竜館の一階エントランスに佇んでいた。これから『竜』当主と面会の予定だ。
例え若くして未だ侮られている側面が有るにせよ、現『竜』アルベイルは即ち『貴族派』盟主である。
『集権派』盟主のバデーニとは同格の立場であり、彼らは利害の一致と言う意味で足並みを揃えている。
その調整は本来盟主の役割だが、此度は丁度手が空いていたオルファレナにお鉢が回って来た。
こんな、謎の白毛玉と戯れる予定は一切無かった筈なのだが。
「ひぃー、ひぃー、ちょ、ちょっと待って下さい、すばしっこ過ぎませんか……!?」
「きゃんきゃんっ!」
リナリアちゃんのこうそくいどう。すばやさがぐーんとあっぷ! ではないが。
トリミングで身軽になったリナリアちゃんは素早かった。良く知った女行商人からまんまと逃げ果せる程に。
その素早さの程を目の当たりにし、オルファレナとリサが揃って目を丸くする。
やっぱり犬とかじゃなく謎の未確認生物じゃない!? と『白銀の薔薇』が好奇心で目を輝かせる一方で。
リサはもうこの時点で騒動と、そして同時にお金の気配を感じ取っていた。
優れた商人は機先に敏でなければならない。そして得てして、恩と言うのは金になる。
そうでなくとも、件の女行商人には色々借りもある。少し返しておくのも良いだろうかと思ったのだ。
「待って下さい、わたしに策有り、です。先ずは人手が必要です」
頼もしいリサの言に、オルファレナと女行商人の視線が集まる。
突然注目を集めたリサは、これで失敗したら大恥を晒すことになりますね……! 等と思いながら。
「でも、人手って言っても『竜』の本拠に伝手とかあるの?」
「オルファレナ様、その為の手土産です」
「ああ!なるほど、流石リサ、発想の転換ね!」
(いや、駄目でしょ)
ツッコミ不在の『白銀の薔薇』一行に対し、最早助言を諦めた女行商人。
かくして逃げたリナリアちゃん捕獲作戦の火蓋は、此処に切って落とされ――――案外あっさり幕を閉じる。
●
「捕まえました」
「凄い……っ!!」
オルファレナがきゃっきゃと喜ぶが、明らかに元気なのはほぼ無傷で走り回らなかった彼女だけである。
流石にドレス姿で走るのは無理があるし行儀も悪いし謁見待ちでする事じゃないと。
駆け回ったのは概ねリサと女行商人の2人だったが。
リナリアちゃんの追い込みには家令長セバスティアンの協力も有り、『竜』侍女団も手伝ってくれた。
餌をばら蒔いて罠を張ったり、直線に誘い込んで全力疾走したりと、散々に手古摺らせてくれたが。
結局最終的に一番無害そうなリサの手元に逃げ込んだのは、野生の本能と言う奴だろうか。
否。逃げ道を態と開けておく。と言う作戦は彼女の洞察力が無ければ成立しなかった。
曰く、リナリアちゃんは意外と周りを見ているし、追われたなら逃げる。誘い込んで囲い込むしかない。
やや博打の側面もあったにせよ、リサはやり遂げた実感に拳を握った。
捕まえられたリナリアちゃんは観念したのか大人しくなって転がっていたが。
その恐るべき俊敏さを目の当たりにした女行商人は、何だか釈然としない風に一言呟いた。
「ぜえ、ぜえ……そも、そも肉体労働は、私の領分じゃないんですよ……!」
「でしょうねー……」
そうしてそんな事をやっている間に、謁見の時間がやって来る。
「きゃんきゃんっ!」
「……ゲルダ、気の所為か。外に出した筈の白毛玉が居る気がするんだが」
「リナリアちゃんですアルベイル様」
「何故リナリア嬢がリサ・ベイカーに抱かれているのか」
「分かりませんっ!」
分かれば超越者である。
「『貴族派』の長、至貴き黒き鋼の竜の君。不肖集権派盟主代理として参りましたオルファレナに御座います」
「ああ、良く来てくれた。まあ知らぬ顔でも無い、楽にせよ」
「だそうよリサ」
「オルファレナ様はもう少し言葉裏とか気に成された方が良い気がします」
礼儀作法は完璧なのに、どうしても元同級生故の気安さか。あくまで同格、と言う認識故か。
『竜』相手に恐れを知らないオルファレナに、思わずリサが突っ込みを入れるけれど。
これは本来の侍女であればNGである。その辺、専属侍女は伊達ではないのだ。
「……まあ、積る話もあるだろう。此方は此方で適当に処理しておく。
ゲルダ・クライン、リサ・ベイカー。共に退室を赦す。それと……」
アルベイルは、ちらっと。その正体不明の白い毛玉、としか見えない生命体を一瞥し。
小さく嘆息を溢して必要なさそうな一言を付け足した。
「その白け……リナリア嬢も連れて退出せよ」
「きゃんきゃんっ!」
尚、そうしてどうにか回収された白毛玉の化身ことリナリアちゃんであるが。
翌月にはあっさり全長40㎝サイズに戻ったと言うのだから、本当にポメラニアンかはやや怪しい。
ゲルダは親友から贈られた鋏を使う機会が増え喜んだが、館の主からは疑問の眼差しを向けられている。
ついでに一考の結果、手当ての支払いは無かったという。めでたくもあり、めでたくもなし。