天高く翔べ、迷える子
キャラクターノベル(グループ)制作 相沢納品 2024年08月06日 09時53分46秒
人生には数多の帰路と過渡がある。――エルゼリオ・レイノーラは過渡にあった。蛹が蝶になるように、羽化する期を待つ時分だった。
「王の為、民草を護る為に。――望まぬ殺生でその剣を血で汚した時、ボクは騎士として誇りを持ち続ける事ができるのだろうか……?」
王国騎士見習いとなったエルゼリオには、当然騎士としての振る舞いを求められる時が来る。いまは訓練を重ねる学びの時だが、いずれは彼自身が望まぬ殺生を行う瞬間が訪れる。
彼は、その時が恐ろしかった。苦悩するエルゼリオは、ストロベリーブロンドをランプの明かりで照らして小さく項垂れた。
そんな彼の部屋を無遠慮に開いた男がいる。
――彼の父、ハスラム・レイノーラだ。
驚いた様子のエルゼリオを豪胆に笑い飛ばすと、その襟首を掴んで乱雑に引き上げる。
「辛気臭ぇ顔しやがって。手前ェは本当に俺様と似てねえな!」
王家の番犬との異名を持つハスラムは、王国近衛騎士である。傲岸不遜の問題児だが、その実力は国王の懐刀と呼ばれるに相応しい。
そんな彼の息子であるエルゼリオはどうだ、騎士として出奔する日を心待ちにすると同時に強い迷いに囚われている。襟首を掴み上げられてなお、暴れるでもなく困った顔で見上げてくる姿は借りてきた猫のよう。
(俺がこんなことされりゃあ黙っちゃいないもんだが。)
ハスラムは眇めた双眸で射抜くようにエルゼリオを睨めると、鼻で笑って手を離した。
「父上?」
「行くぞ。騎士への同行はもう慣れたもんだろ? ――人生の大先輩と往く、夜間訓練だ」
エルゼリオが見ればハスラムはいつもの黒騎士然とした鎧を着けており、剣をも腰に佩いている。彼は、本気だ。突拍子もなく、あまりに急だが間違いない。ハスラムの表情は息子たるエルゼリオを値踏みするかのようにじいと見詰めていた。
●
そうして馬に乗せられ連れられてきた場所はどうだろう。街から少し離れた集落で、少なくない民草が住まうだろう土地。馬から降りて周囲を見れど、変わったものなどありやしない。
寝静まった家々に明かりはなく、入口に点る松明が煌々と周囲を照らしている。
「父上、ここは一体……」
「もう直ぐだ。――進むか進まないかはお前次第。お前が出来なきゃ、ひとつの村が死ぬ」
「え?」
ハスラムのその言葉が合図となったかのように、火矢が空を舞う。放物線を描いたそれは木々へ突き立ち、無骨な侵入者たちにとっての目印となる。一本放たれたかと思えば、また一本。幾つもの火矢が飛び交い、それに合わせて馬に跨る男たちが斧を、剣を構えて飛び出してくる。
――野盗だ。
咄嗟に動こうとして、エルゼリオは身を固くする。剣に手をかけた瞬間、息が止まる。
「――……」
伝う冷や汗は恐怖か、焦りか、それとも舞い散る火の粉の所為か。
(屠らなければ。そうしなければ、犠牲が出る。だけれど――。)
葛藤する胸中とは裏腹に、体は前に出た。柄を握り締める手には痛い程力が籠もっていたものの、成すべきことの為にエルゼリオの体は戦火に躍って前に出た。家屋に火を点けんとする松明を握る野盗はその姿に気が付き、にたりと下卑た笑みを浮かべる。
「嬢ちゃん……いや、坊っちゃんか。何にせよ、その細腕で俺達を止める気かよ。幾ら何でも二人じゃ分が悪いんじゃねえか?」
「……ああ、絶対に止めて見せる」
「騎士様は言うねぇ!」
げらげらと笑い飛ばすだみ声にエルゼリオは眉を顰める。彼の前の男は松明を投げ捨て、背負った斧を構えて楽しげに笑う。
振り被られた斧の軌跡を見て、エルゼリオは理解する。――倒せる、倒せてしまう。目の前の男を斬り伏せることが、容易であろうことがわかってしまった。
単純な力量差で言うなら当然だろう。相手は烏合の衆であるのに反してエルゼリオは元冒険者且つ、見習いと言えど訓練を重ねた騎士なのだ。
倒せてしまう。切り結べば、相手の首を跳ねることだって出来るはず。
だからこそ――エルゼリオは迷った、惑った。
ブーツの踵に自重をかけて、重心を後ろへ向けて回避する。咄嗟の行動だが、それすら巧くいった。それだけ、相手との実力差が大きいということだ。
「おいおい、逃げんのかよ腰抜け!」
力量差すらわからないのは、ある種平和なことかも知れない。なおも野盗は追い縋り、斧を振るおうとする。
怯むエルゼリオの背を護るように立つハスラムは、小さく耳打ちをした。
「――さて。どうする、エルゼリオ?」
「……父上」
「手前ェが躊躇する度に民草が死んでいくぞ」
「……ッ」
言葉通り、侵略は進んでいる。建物に火を放ち、中から逃げてきた男を殴りつけて屋内へと侵入する者。火に巻かれて逃げ出してきた女の髪を掴み、泣きじゃくる様を眺めて身包みを剥ぐ者。
目の前の男一人に手間取っていては、間に合わなくなる。
わかっていた。わかっていたが――エルゼリオの中で膨れ揺れ動くのは恐怖だ。
その背で剣を提げ、ただ待つのはハスラム。
――父として、粗野ながらに導はくれてやった。後は息子が、どう進むかだけ。
エルゼリオは震える指で柄を握り締め、ゆっくりと引き抜く。
(誇りが何故にあるのか、ボクは知っている。誇りの為に闘うんじゃない。ボクは――騎士は、民草の為に闘うんだ。)
前を向く。碧眼を上げて、目の前の敵を睨め据える。
「手ぇ震えてんぞ」
後ろから肘で小突かれ、背をしゃんと伸ばす。
エルゼリオは息を吸い、火の粉舞う戦禍の中凛とした佇まいで言う。
「汚れる事を恐れていては何も護れはしない。――ならばボクは、力なき者の剣として血に塗れる事も厭いはしない……!!」
蛹から蝶が羽化するように、羽根が伸びる。緩やかに、されど確りと伸ばされたそれは気高く美しき守護の羽根。それが誰に見えることがなくとも、その背で高らかな声を聞くハスラムだけは、肌で成長を感じ取る。
エルゼリオは地を蹴り、構えられた斧の刃を剣で弾いてバランスを崩させる。体勢を損なった男はよろめいてたたらを踏むが、その隙を見逃すエルゼリオではない。がら空きになった首元に刃を差し込み、そのまま横へと勢いよくスライドさせる。
迸る鮮血が頬を濡らす。一瞬怯むが――それだけだ。
(誰かを護る為に必要なのは、誇りじゃあない。
誰かを護った末に得られるのが、誇りなんだ。)
エルゼリオは胸に灯る熱い焔を感じながら、刃を手にして戦場を翔ける。
ハスラムはその背を横目でチラと確かめ、息子が確かなものを掴んだのだと確信して口角を上げる。
●
集落を襲った野盗は、レイノーラ親子の猛攻を凌げる程大きな規模の群れではなかった。ある程度退ければ気概を失い、士気も削がれて倒れ伏していく。
後処理を行う頃には明け方になっていたが、ふたりの奮闘のお陰でどうやら死者は出なかったようだ。
返り血を浴びて鎧を汚したエルゼリオは、丸太に腰掛け息を吐く。
それを見下ろすハスラムは豪気に笑い、彼の髪をぐしゃぐしゃにかき回す。
「うわっ」
見上げるエルゼリオに、父はにまりと目を細めた。
「よくやった。ちったァ腹も決まったか?」
「……はい」
豪胆な父の、豪快な荒療治。柄にもないハスラムの"父らしい"行為は、矢張り彼らしいといえば彼らしい。
欠伸を噛み殺したハスラムの「酒でも呑みに行くか?」なんて突拍子もない一言に、エルゼリオがはいと頷いたのは大きく小さな変化と言えるだろう。
「王の為、民草を護る為に。――望まぬ殺生でその剣を血で汚した時、ボクは騎士として誇りを持ち続ける事ができるのだろうか……?」
王国騎士見習いとなったエルゼリオには、当然騎士としての振る舞いを求められる時が来る。いまは訓練を重ねる学びの時だが、いずれは彼自身が望まぬ殺生を行う瞬間が訪れる。
彼は、その時が恐ろしかった。苦悩するエルゼリオは、ストロベリーブロンドをランプの明かりで照らして小さく項垂れた。
そんな彼の部屋を無遠慮に開いた男がいる。
――彼の父、ハスラム・レイノーラだ。
驚いた様子のエルゼリオを豪胆に笑い飛ばすと、その襟首を掴んで乱雑に引き上げる。
「辛気臭ぇ顔しやがって。手前ェは本当に俺様と似てねえな!」
王家の番犬との異名を持つハスラムは、王国近衛騎士である。傲岸不遜の問題児だが、その実力は国王の懐刀と呼ばれるに相応しい。
そんな彼の息子であるエルゼリオはどうだ、騎士として出奔する日を心待ちにすると同時に強い迷いに囚われている。襟首を掴み上げられてなお、暴れるでもなく困った顔で見上げてくる姿は借りてきた猫のよう。
(俺がこんなことされりゃあ黙っちゃいないもんだが。)
ハスラムは眇めた双眸で射抜くようにエルゼリオを睨めると、鼻で笑って手を離した。
「父上?」
「行くぞ。騎士への同行はもう慣れたもんだろ? ――人生の大先輩と往く、夜間訓練だ」
エルゼリオが見ればハスラムはいつもの黒騎士然とした鎧を着けており、剣をも腰に佩いている。彼は、本気だ。突拍子もなく、あまりに急だが間違いない。ハスラムの表情は息子たるエルゼリオを値踏みするかのようにじいと見詰めていた。
●
そうして馬に乗せられ連れられてきた場所はどうだろう。街から少し離れた集落で、少なくない民草が住まうだろう土地。馬から降りて周囲を見れど、変わったものなどありやしない。
寝静まった家々に明かりはなく、入口に点る松明が煌々と周囲を照らしている。
「父上、ここは一体……」
「もう直ぐだ。――進むか進まないかはお前次第。お前が出来なきゃ、ひとつの村が死ぬ」
「え?」
ハスラムのその言葉が合図となったかのように、火矢が空を舞う。放物線を描いたそれは木々へ突き立ち、無骨な侵入者たちにとっての目印となる。一本放たれたかと思えば、また一本。幾つもの火矢が飛び交い、それに合わせて馬に跨る男たちが斧を、剣を構えて飛び出してくる。
――野盗だ。
咄嗟に動こうとして、エルゼリオは身を固くする。剣に手をかけた瞬間、息が止まる。
「――……」
伝う冷や汗は恐怖か、焦りか、それとも舞い散る火の粉の所為か。
(屠らなければ。そうしなければ、犠牲が出る。だけれど――。)
葛藤する胸中とは裏腹に、体は前に出た。柄を握り締める手には痛い程力が籠もっていたものの、成すべきことの為にエルゼリオの体は戦火に躍って前に出た。家屋に火を点けんとする松明を握る野盗はその姿に気が付き、にたりと下卑た笑みを浮かべる。
「嬢ちゃん……いや、坊っちゃんか。何にせよ、その細腕で俺達を止める気かよ。幾ら何でも二人じゃ分が悪いんじゃねえか?」
「……ああ、絶対に止めて見せる」
「騎士様は言うねぇ!」
げらげらと笑い飛ばすだみ声にエルゼリオは眉を顰める。彼の前の男は松明を投げ捨て、背負った斧を構えて楽しげに笑う。
振り被られた斧の軌跡を見て、エルゼリオは理解する。――倒せる、倒せてしまう。目の前の男を斬り伏せることが、容易であろうことがわかってしまった。
単純な力量差で言うなら当然だろう。相手は烏合の衆であるのに反してエルゼリオは元冒険者且つ、見習いと言えど訓練を重ねた騎士なのだ。
倒せてしまう。切り結べば、相手の首を跳ねることだって出来るはず。
だからこそ――エルゼリオは迷った、惑った。
ブーツの踵に自重をかけて、重心を後ろへ向けて回避する。咄嗟の行動だが、それすら巧くいった。それだけ、相手との実力差が大きいということだ。
「おいおい、逃げんのかよ腰抜け!」
力量差すらわからないのは、ある種平和なことかも知れない。なおも野盗は追い縋り、斧を振るおうとする。
怯むエルゼリオの背を護るように立つハスラムは、小さく耳打ちをした。
「――さて。どうする、エルゼリオ?」
「……父上」
「手前ェが躊躇する度に民草が死んでいくぞ」
「……ッ」
言葉通り、侵略は進んでいる。建物に火を放ち、中から逃げてきた男を殴りつけて屋内へと侵入する者。火に巻かれて逃げ出してきた女の髪を掴み、泣きじゃくる様を眺めて身包みを剥ぐ者。
目の前の男一人に手間取っていては、間に合わなくなる。
わかっていた。わかっていたが――エルゼリオの中で膨れ揺れ動くのは恐怖だ。
その背で剣を提げ、ただ待つのはハスラム。
――父として、粗野ながらに導はくれてやった。後は息子が、どう進むかだけ。
エルゼリオは震える指で柄を握り締め、ゆっくりと引き抜く。
(誇りが何故にあるのか、ボクは知っている。誇りの為に闘うんじゃない。ボクは――騎士は、民草の為に闘うんだ。)
前を向く。碧眼を上げて、目の前の敵を睨め据える。
「手ぇ震えてんぞ」
後ろから肘で小突かれ、背をしゃんと伸ばす。
エルゼリオは息を吸い、火の粉舞う戦禍の中凛とした佇まいで言う。
「汚れる事を恐れていては何も護れはしない。――ならばボクは、力なき者の剣として血に塗れる事も厭いはしない……!!」
蛹から蝶が羽化するように、羽根が伸びる。緩やかに、されど確りと伸ばされたそれは気高く美しき守護の羽根。それが誰に見えることがなくとも、その背で高らかな声を聞くハスラムだけは、肌で成長を感じ取る。
エルゼリオは地を蹴り、構えられた斧の刃を剣で弾いてバランスを崩させる。体勢を損なった男はよろめいてたたらを踏むが、その隙を見逃すエルゼリオではない。がら空きになった首元に刃を差し込み、そのまま横へと勢いよくスライドさせる。
迸る鮮血が頬を濡らす。一瞬怯むが――それだけだ。
(誰かを護る為に必要なのは、誇りじゃあない。
誰かを護った末に得られるのが、誇りなんだ。)
エルゼリオは胸に灯る熱い焔を感じながら、刃を手にして戦場を翔ける。
ハスラムはその背を横目でチラと確かめ、息子が確かなものを掴んだのだと確信して口角を上げる。
●
集落を襲った野盗は、レイノーラ親子の猛攻を凌げる程大きな規模の群れではなかった。ある程度退ければ気概を失い、士気も削がれて倒れ伏していく。
後処理を行う頃には明け方になっていたが、ふたりの奮闘のお陰でどうやら死者は出なかったようだ。
返り血を浴びて鎧を汚したエルゼリオは、丸太に腰掛け息を吐く。
それを見下ろすハスラムは豪気に笑い、彼の髪をぐしゃぐしゃにかき回す。
「うわっ」
見上げるエルゼリオに、父はにまりと目を細めた。
「よくやった。ちったァ腹も決まったか?」
「……はい」
豪胆な父の、豪快な荒療治。柄にもないハスラムの"父らしい"行為は、矢張り彼らしいといえば彼らしい。
欠伸を噛み殺したハスラムの「酒でも呑みに行くか?」なんて突拍子もない一言に、エルゼリオがはいと頷いたのは大きく小さな変化と言えるだろう。