汚泥に生まれ、天へと問う
キャラクターノベル(グループ)制作 弓月 蒼納品 2024年08月07日 23時56分31秒
●紫水侯よりの提言
――――ライゼンナクト侯爵領、領都。『湖都』ラヴェルギア内。同領主本邸宅、通称『竜館』。
夜会の中から抜けて来た男女、と言えば普通は秘密の逢瀬を想像するだろう。
けれど両者はそんな色めいた関係とはまるで違う。強いて言うなら戦友に近いとすら言える。
『竜の半身』ナハティガル=ラーが椅子を勧めると、その紫の盛装の令嬢は完璧な作法で席に着いた。
「面白い提案だとは思うのですが、少々手遅れ、或いは尚早かと存じます」
『紫水侯』クリスタリア・ラズベリルはこの数年で一層輝きを増した。
彼女は若くして貴族派重鎮の一人であり、彼の主。『黒竜候』アルベイル・ライゼンナクトの盟友でもある。
政治関係の相談を持ち掛けるにはこれ以上無く適役であり、今宵は正しく良い機会だった。
ナハティガルには一つの構想が有る。王国貴族『集権派』が目論む貴族権限の剝奪と王家の権威集中。
これに対抗し、事前に王家より自らの有する権利を国民に明示する誓約文。
即ち『王国大憲章』を打ち立てさせてはどうか、と言う構想が。これには意外とメリットも多い。
先ず、識字率の低い王国民にとって書に記された法規など有って無きが如し物である。
だがこの憲章文を大々的に表明しさえすれば庶民まで広く、王家が出来る事、出来ない事が伝わる。
貴族の側も王家が自らの権威を一定で縛ると明示するならば、権利の返上も多少前向きに検討しよう。
何より。王家が自らの権利を行使する際の根拠に困らない。これは国主と国民の契約だからだ。
――――だが、クリスタリアはそれに静かに首を横に振る。
「帝都崩壊より再興までの約3年。神代の再来等と呼ばれる皆様。冒険者は王家に利を与え過ぎました。
ナハティガル様もご存知の通り、現状。王家は貴族の顔を殆ど伺わずとも政を為す事が出来てしまっています」
貴族がその権利を強制的に徴収されないのは、ただただ国土を荒らしたくない。と言う動機に過ぎない。
やろうと思えば出来る。少なくとも、現在王家が握っている権力、武力、発言力とはそういった類の物だ。
「王家の側には、態々貴族や庶民を考慮してその様な制限を掛ける理由が有りません。
こちらから提示出来る対価も有りません。少なくとも、現状では現実的でないと断言出来ます」
クリスタリアは、領主を継ぐに当たり国政をかなり深く学んでいる。“侯爵”とはそういう家格。
つまり国家の屋台骨の一つである。その彼女がこういった見解を置く以上。それには相応の根拠がある。
「もし、ナハティガル様のその構想を実現する機会が有るとすれば、『竜候』が進める『紫政館』構想。
あれが今以上の成功を見せ、庶民の多くが王家へ、政への言及を望んだなら或いは……と言う所かと」
■
「なるほど、参考になった。ところで、テオドールは今何をやってるんだ?」
「学生ですが……? ああ、そういう事でしたか」
意を得た、とばかりにクリスタリアが言葉の裏を察して頷く。帝都の復興開始から凡そ5年。
ラズベリル侯爵家嫡男、テオドールは『学園』の第五学年である。
何の因果か、彼は『黒竜侯』アルベイルの熱烈な親派であり、友人でもある。
そんな彼が卒業後どんな進路を選ぶのか。彼を『竜侯』に紹介した立場上。
ナハティガルも漠然と気になっていた。『学園』と『湖都』では接点すら無くなって久しいからだ。
「テオには軌道に乗って来た『紫政館』の紫水領分校を任せようかと思っています」
楚々と紅茶を口元に運びながらも。ラズベリルの言には確信が感じられた。
以前アルベイルから少しだけ聞いた内容によれば、テオドールも『学園』で日々過ごす内。
兼ねてより拗らせていたクリスタリアへの劣等感も少し成りを潜め、確りして来たらしいと言う。
自己犠牲的精神だけは如何ともし難いが、テオドールは只管積極性が無いだけで気心は優しそうに見えた。
案外、教師と言う業種は向いているかもしれないな、とナハティガルは大きく頷く。
「そういうナハティガル様は、御結婚の御予定は?」
「アンタもそれを言うのか……勘弁してくれ。俺の様な亜人が所帯を持つなど、赦される話ではない」
「最近の時世に照らし合わせれば、種族差別は少々先時代的、ではないかと」
「そいつは貴族の流行りだろう。この国は依然“唯人の大国”……だからな」
嘆息を零すナハティガルに。クリスタリアが一瞬憂う様な眼差しを向けた物の。
話はここまで。と席を立つ素振りを見せると。彼女もまた其処を敢えて深くは言及しない。
彼と彼女はそういった程度の関係ではあるし、紫水候は聡明だ。言わずとも引き際には気付く。
ナハティガルの周りにはそういった者が多過ぎる。かえって口下手になりそうだ。
●銀薔薇姫よりの提言
昨今。貴族中で最も目覚ましくその権力基盤を整えた人間は誰か。と問えば必ず上がる名が2つある。
一つはパンクリアース学園の『学園長』にして『女傑』フォルトゥナの後釜に指名された男。
『夜鷹侯』ジルワード・ファルゲン。現『貴族派』二大トップの一人と目される人物である。
そしてもう一方が対面に座る彼女。『白銀の薔薇』オルファレナ・C・バデーニだ。
3年でドワーフ王国との通商条約締結まで漕ぎつけに当たり多大な貢献をしたその外交手腕。
この成果は『王国』内外に広く評価され、『集権派』盟主家バデーニ公爵は王国中枢に強固な基盤を築いた。
それには当然、王家より臣に降ったウィリアム元第二王子の助力も有った事は疑い無いが。
「うーん。これって私の立場上あんまり言ったら駄目な事なんだけど……」
そんな彼女は、旧友であるナハティガルに乞われて『王都』冒険者ギルドで果実水を嗜んでいた。
側室とは言え公爵夫人である。護衛は物々しく、道行く冒険者たちが目に見え警戒心を露わにしているが。
「これを通したいなら、先ず貴方か『竜候』が通せるだけの孔を空けないと始まらないと思うの」
オルファレナの言は、酷く端的で、断定的だった。彼女とて何時までも子供ではない。
来年の今頃には母親になってると思う。と伝えられた時には流石のナハティガルも唖然とした物だが。
考えてみれば、彼女ももう22になるのだ。そう言った出来事が起きても何ら、不思議ではない。
「なるほど。紫水侯と概ね同意見、と言った所か」
「うぅん……クリスタリア様のも少し悲観的な気はするかな。王家の内側もまだまだ一枚岩じゃない。
法衣貴族の主軸は少しずつ『集権派』に移っているけど、まだ『王党派』の発言力も小さくはないから」
逆を言えば、王家とてすべての貴族を敵に回す気は無い。と言う前提を彼女は示す。
足りないのは、その"譲歩"を引き出す“貢献”の方であると。
「貴方が憶えておいた方が良いのは、上に立つ者は決して余人の目から自由にはなれないってこと。
貴方達が王家に多大な功績を挙げたのに、褒賞を与えないなんて事は、原則出来ないの」
それをすると、罰則を下す正当性も失うから。と、彼女は少し大人びた表情で以て、そう呟いた。
■
「……となると、やはりある程度下地から整える他は無い訳だな」
「うん。今持って行っても門前払い、は私もクリスタリア様と同意見。
そうね、10年掛ける心算で取り組むなら、私の方ももう少しだけ力になってあげられるかも」
子が10歳になれば『学園』へ入る。男児であれば継承権も持つ事になる。
家門内の発言力も相応に上がるだろう。けれど、其処まで考えてふと怪訝に思う所があった。
彼女の言は彼女自身の言葉と矛盾する。ナハティガルにはその権力に対し差し出せる対価が無い。
であれば、当然彼女もそんな人間からの王家との仲介依頼など無碍にするのではないか。
つい真っ正直にそう問い掛けたナハティガルに、オルファレナは呆れた目を向け嘆息を零した。
確かに。彼はそういう男だったと今し方改めて思い出した様に。
「あのね。こういうのは言わない方が格好良いと思うのだけど」
倍も年上の男の眉間を指さし、『白銀の薔薇』は不敵に笑う。それは彼女が積み上げた自信の証だ。
かつての“虹彩の冒険者”は、着実に成長し公爵家の一員となった。
そこには、何処となく隔世の感を感じていたが。人には変わる部分もあれば変わらない部分もある。
少なくともオルファレナは、根っこの部分まで貴族に成り代わった訳ではないらしかった。
「私は貴族として生きると決めたし、やりたい事も叶えたい夢も有るけれど。
貴方が冒険の仲間で、命の恩人である事を忘れた事は。今も昔も一度も無いのよ」
そう言って鮮やかに笑うオルファレナは。なるほど、確かに。実に強かになったのだろう。
彼女の言い分を信じるなら。恐らく余り向いていなさそうな“公爵家の寵姫”と言う道を選んだ事すら。
何かしら目的があっての事に違いない。その事実に納得すると共に、確かな敬意を憶える。
大した力など持ち合わせない。奔放に生きたいと望みながら雁字搦めに縛られた無力な娘だった彼女が。
こうして彼を諭すほどの立場へ至ったのだとすれば。ナハティガルもまた、奮起しない訳にも行くまい。
「そうか。時が来て、条件が整ったなら、また世話になる事になるだろう」
「未だ、誰も見た事がない景色を期待するわ。頑張ってね、ナハト」
2人はそうして笑って別れた。つい先日の事である。
●銀髪鬼の決断
そうして。場所は再び『竜館』へと戻る。彼の手元には王国法規を纏めた無数の文書が積み上がっていた。
昨今彼の職務として与えられる物には多かれ少なかれ、王国の法が関わって来る。
毎回毎回法典を引く訳にも行かないので、出来るだけ検索し易い様に自分の手で纏めたが。
その数は日を追うごとに増えて行き、今では常時部屋の半分を埋めている。
片付けても整理しても増えるから無駄だった。凄腕で知られる『竜館』の侍女団が匙を投げる程である。
「少なくとも、戦功は期待出来ず。領政では功績として加味され難い……か」
元々。自領を治めるのは領主の義務であって権利ではない。である以上、領政への貢献は職務の一環だ。
優秀さを評価される事はあっても、それで以って“王家への特別な貢献”には含まれない。
今、そう言った政に関連する分野で最も大きな比重を誇っているのは“外交”だ。
内政官の増員には"白薔薇系"の『白筆』と『紫水晶』が揃って着手している為、二番煎じ感は免れない。
しかし、国家間外交はそうではない。特に、この先当分平和な時代が続くのであれば。
同盟は元より殆ど属国同然とは言え、『帝国』も永遠にその地位に甘んじては居るまい。
サウゼル、ディズル、シグモル、ゴールディと言った周辺の小国家にしても。
復興支援の都合上、国家の指針はともかくとして、住人たちの心情的には『帝国』に同情的だと言って良い。
王国も外交の消極姿勢を直そうとはしているが、母体が大きいだけにそう劇的には進んでいない。
もし自分が生きている間に大きな功績を狙うなら、これ以外には見込めないと言う確信が有る。
この指針ならば幸い、政治能力に長けた人材を育成すると言う『紫政館』構想とも衝突しない。
今ナハティガルが使える人脈や人材は『竜』に偏っている。その指針に沿う事は彼の命綱でもあった。
「『白銀の薔薇』は3年で確かな成果を上げた。同じ事が俺に出来ん理由はない」
自らの主を説き伏せ、援助を引き出そうと思えば緻密かつ大胆な施策が必要だ。
ナハティガルは改めて机に向かうと、並べた王国法の記載を確かめながら自身が取れる手段を確かめ直す。
或いは、その成果が認められたとして。これでまだ王家から譲歩を引き出す前段階に過ぎない。
未来は遠く、果ては見えず、道程はこれからも無数の困難に彩られている事だろう。
けれど後悔は無い。もうずっと前に決めたのだ。生涯を賭して『天意』に臨むと。
(――――最後に得られるのは何か。それを見届けるまでは、死ねん)
汚泥に生まれ、天へと問う。誰にであれ、身の程知らずと謗られよう。
しかし今は前に進み続ける他無い。是非は、終わった後の世の誰かが考えれば良い。
無数の縁と絆に背を押され、未来を望む竜の半身の戦いは続く。
茨路も同然の苦行であろう――――だが、それでも。
不幸ではないに違いなかった。
――――ライゼンナクト侯爵領、領都。『湖都』ラヴェルギア内。同領主本邸宅、通称『竜館』。
夜会の中から抜けて来た男女、と言えば普通は秘密の逢瀬を想像するだろう。
けれど両者はそんな色めいた関係とはまるで違う。強いて言うなら戦友に近いとすら言える。
『竜の半身』ナハティガル=ラーが椅子を勧めると、その紫の盛装の令嬢は完璧な作法で席に着いた。
「面白い提案だとは思うのですが、少々手遅れ、或いは尚早かと存じます」
『紫水侯』クリスタリア・ラズベリルはこの数年で一層輝きを増した。
彼女は若くして貴族派重鎮の一人であり、彼の主。『黒竜候』アルベイル・ライゼンナクトの盟友でもある。
政治関係の相談を持ち掛けるにはこれ以上無く適役であり、今宵は正しく良い機会だった。
ナハティガルには一つの構想が有る。王国貴族『集権派』が目論む貴族権限の剝奪と王家の権威集中。
これに対抗し、事前に王家より自らの有する権利を国民に明示する誓約文。
即ち『王国大憲章』を打ち立てさせてはどうか、と言う構想が。これには意外とメリットも多い。
先ず、識字率の低い王国民にとって書に記された法規など有って無きが如し物である。
だがこの憲章文を大々的に表明しさえすれば庶民まで広く、王家が出来る事、出来ない事が伝わる。
貴族の側も王家が自らの権威を一定で縛ると明示するならば、権利の返上も多少前向きに検討しよう。
何より。王家が自らの権利を行使する際の根拠に困らない。これは国主と国民の契約だからだ。
――――だが、クリスタリアはそれに静かに首を横に振る。
「帝都崩壊より再興までの約3年。神代の再来等と呼ばれる皆様。冒険者は王家に利を与え過ぎました。
ナハティガル様もご存知の通り、現状。王家は貴族の顔を殆ど伺わずとも政を為す事が出来てしまっています」
貴族がその権利を強制的に徴収されないのは、ただただ国土を荒らしたくない。と言う動機に過ぎない。
やろうと思えば出来る。少なくとも、現在王家が握っている権力、武力、発言力とはそういった類の物だ。
「王家の側には、態々貴族や庶民を考慮してその様な制限を掛ける理由が有りません。
こちらから提示出来る対価も有りません。少なくとも、現状では現実的でないと断言出来ます」
クリスタリアは、領主を継ぐに当たり国政をかなり深く学んでいる。“侯爵”とはそういう家格。
つまり国家の屋台骨の一つである。その彼女がこういった見解を置く以上。それには相応の根拠がある。
「もし、ナハティガル様のその構想を実現する機会が有るとすれば、『竜候』が進める『紫政館』構想。
あれが今以上の成功を見せ、庶民の多くが王家へ、政への言及を望んだなら或いは……と言う所かと」
■
「なるほど、参考になった。ところで、テオドールは今何をやってるんだ?」
「学生ですが……? ああ、そういう事でしたか」
意を得た、とばかりにクリスタリアが言葉の裏を察して頷く。帝都の復興開始から凡そ5年。
ラズベリル侯爵家嫡男、テオドールは『学園』の第五学年である。
何の因果か、彼は『黒竜侯』アルベイルの熱烈な親派であり、友人でもある。
そんな彼が卒業後どんな進路を選ぶのか。彼を『竜侯』に紹介した立場上。
ナハティガルも漠然と気になっていた。『学園』と『湖都』では接点すら無くなって久しいからだ。
「テオには軌道に乗って来た『紫政館』の紫水領分校を任せようかと思っています」
楚々と紅茶を口元に運びながらも。ラズベリルの言には確信が感じられた。
以前アルベイルから少しだけ聞いた内容によれば、テオドールも『学園』で日々過ごす内。
兼ねてより拗らせていたクリスタリアへの劣等感も少し成りを潜め、確りして来たらしいと言う。
自己犠牲的精神だけは如何ともし難いが、テオドールは只管積極性が無いだけで気心は優しそうに見えた。
案外、教師と言う業種は向いているかもしれないな、とナハティガルは大きく頷く。
「そういうナハティガル様は、御結婚の御予定は?」
「アンタもそれを言うのか……勘弁してくれ。俺の様な亜人が所帯を持つなど、赦される話ではない」
「最近の時世に照らし合わせれば、種族差別は少々先時代的、ではないかと」
「そいつは貴族の流行りだろう。この国は依然“唯人の大国”……だからな」
嘆息を零すナハティガルに。クリスタリアが一瞬憂う様な眼差しを向けた物の。
話はここまで。と席を立つ素振りを見せると。彼女もまた其処を敢えて深くは言及しない。
彼と彼女はそういった程度の関係ではあるし、紫水候は聡明だ。言わずとも引き際には気付く。
ナハティガルの周りにはそういった者が多過ぎる。かえって口下手になりそうだ。
●銀薔薇姫よりの提言
昨今。貴族中で最も目覚ましくその権力基盤を整えた人間は誰か。と問えば必ず上がる名が2つある。
一つはパンクリアース学園の『学園長』にして『女傑』フォルトゥナの後釜に指名された男。
『夜鷹侯』ジルワード・ファルゲン。現『貴族派』二大トップの一人と目される人物である。
そしてもう一方が対面に座る彼女。『白銀の薔薇』オルファレナ・C・バデーニだ。
3年でドワーフ王国との通商条約締結まで漕ぎつけに当たり多大な貢献をしたその外交手腕。
この成果は『王国』内外に広く評価され、『集権派』盟主家バデーニ公爵は王国中枢に強固な基盤を築いた。
それには当然、王家より臣に降ったウィリアム元第二王子の助力も有った事は疑い無いが。
「うーん。これって私の立場上あんまり言ったら駄目な事なんだけど……」
そんな彼女は、旧友であるナハティガルに乞われて『王都』冒険者ギルドで果実水を嗜んでいた。
側室とは言え公爵夫人である。護衛は物々しく、道行く冒険者たちが目に見え警戒心を露わにしているが。
「これを通したいなら、先ず貴方か『竜候』が通せるだけの孔を空けないと始まらないと思うの」
オルファレナの言は、酷く端的で、断定的だった。彼女とて何時までも子供ではない。
来年の今頃には母親になってると思う。と伝えられた時には流石のナハティガルも唖然とした物だが。
考えてみれば、彼女ももう22になるのだ。そう言った出来事が起きても何ら、不思議ではない。
「なるほど。紫水侯と概ね同意見、と言った所か」
「うぅん……クリスタリア様のも少し悲観的な気はするかな。王家の内側もまだまだ一枚岩じゃない。
法衣貴族の主軸は少しずつ『集権派』に移っているけど、まだ『王党派』の発言力も小さくはないから」
逆を言えば、王家とてすべての貴族を敵に回す気は無い。と言う前提を彼女は示す。
足りないのは、その"譲歩"を引き出す“貢献”の方であると。
「貴方が憶えておいた方が良いのは、上に立つ者は決して余人の目から自由にはなれないってこと。
貴方達が王家に多大な功績を挙げたのに、褒賞を与えないなんて事は、原則出来ないの」
それをすると、罰則を下す正当性も失うから。と、彼女は少し大人びた表情で以て、そう呟いた。
■
「……となると、やはりある程度下地から整える他は無い訳だな」
「うん。今持って行っても門前払い、は私もクリスタリア様と同意見。
そうね、10年掛ける心算で取り組むなら、私の方ももう少しだけ力になってあげられるかも」
子が10歳になれば『学園』へ入る。男児であれば継承権も持つ事になる。
家門内の発言力も相応に上がるだろう。けれど、其処まで考えてふと怪訝に思う所があった。
彼女の言は彼女自身の言葉と矛盾する。ナハティガルにはその権力に対し差し出せる対価が無い。
であれば、当然彼女もそんな人間からの王家との仲介依頼など無碍にするのではないか。
つい真っ正直にそう問い掛けたナハティガルに、オルファレナは呆れた目を向け嘆息を零した。
確かに。彼はそういう男だったと今し方改めて思い出した様に。
「あのね。こういうのは言わない方が格好良いと思うのだけど」
倍も年上の男の眉間を指さし、『白銀の薔薇』は不敵に笑う。それは彼女が積み上げた自信の証だ。
かつての“虹彩の冒険者”は、着実に成長し公爵家の一員となった。
そこには、何処となく隔世の感を感じていたが。人には変わる部分もあれば変わらない部分もある。
少なくともオルファレナは、根っこの部分まで貴族に成り代わった訳ではないらしかった。
「私は貴族として生きると決めたし、やりたい事も叶えたい夢も有るけれど。
貴方が冒険の仲間で、命の恩人である事を忘れた事は。今も昔も一度も無いのよ」
そう言って鮮やかに笑うオルファレナは。なるほど、確かに。実に強かになったのだろう。
彼女の言い分を信じるなら。恐らく余り向いていなさそうな“公爵家の寵姫”と言う道を選んだ事すら。
何かしら目的があっての事に違いない。その事実に納得すると共に、確かな敬意を憶える。
大した力など持ち合わせない。奔放に生きたいと望みながら雁字搦めに縛られた無力な娘だった彼女が。
こうして彼を諭すほどの立場へ至ったのだとすれば。ナハティガルもまた、奮起しない訳にも行くまい。
「そうか。時が来て、条件が整ったなら、また世話になる事になるだろう」
「未だ、誰も見た事がない景色を期待するわ。頑張ってね、ナハト」
2人はそうして笑って別れた。つい先日の事である。
●銀髪鬼の決断
そうして。場所は再び『竜館』へと戻る。彼の手元には王国法規を纏めた無数の文書が積み上がっていた。
昨今彼の職務として与えられる物には多かれ少なかれ、王国の法が関わって来る。
毎回毎回法典を引く訳にも行かないので、出来るだけ検索し易い様に自分の手で纏めたが。
その数は日を追うごとに増えて行き、今では常時部屋の半分を埋めている。
片付けても整理しても増えるから無駄だった。凄腕で知られる『竜館』の侍女団が匙を投げる程である。
「少なくとも、戦功は期待出来ず。領政では功績として加味され難い……か」
元々。自領を治めるのは領主の義務であって権利ではない。である以上、領政への貢献は職務の一環だ。
優秀さを評価される事はあっても、それで以って“王家への特別な貢献”には含まれない。
今、そう言った政に関連する分野で最も大きな比重を誇っているのは“外交”だ。
内政官の増員には"白薔薇系"の『白筆』と『紫水晶』が揃って着手している為、二番煎じ感は免れない。
しかし、国家間外交はそうではない。特に、この先当分平和な時代が続くのであれば。
同盟は元より殆ど属国同然とは言え、『帝国』も永遠にその地位に甘んじては居るまい。
サウゼル、ディズル、シグモル、ゴールディと言った周辺の小国家にしても。
復興支援の都合上、国家の指針はともかくとして、住人たちの心情的には『帝国』に同情的だと言って良い。
王国も外交の消極姿勢を直そうとはしているが、母体が大きいだけにそう劇的には進んでいない。
もし自分が生きている間に大きな功績を狙うなら、これ以外には見込めないと言う確信が有る。
この指針ならば幸い、政治能力に長けた人材を育成すると言う『紫政館』構想とも衝突しない。
今ナハティガルが使える人脈や人材は『竜』に偏っている。その指針に沿う事は彼の命綱でもあった。
「『白銀の薔薇』は3年で確かな成果を上げた。同じ事が俺に出来ん理由はない」
自らの主を説き伏せ、援助を引き出そうと思えば緻密かつ大胆な施策が必要だ。
ナハティガルは改めて机に向かうと、並べた王国法の記載を確かめながら自身が取れる手段を確かめ直す。
或いは、その成果が認められたとして。これでまだ王家から譲歩を引き出す前段階に過ぎない。
未来は遠く、果ては見えず、道程はこれからも無数の困難に彩られている事だろう。
けれど後悔は無い。もうずっと前に決めたのだ。生涯を賭して『天意』に臨むと。
(――――最後に得られるのは何か。それを見届けるまでは、死ねん)
汚泥に生まれ、天へと問う。誰にであれ、身の程知らずと謗られよう。
しかし今は前に進み続ける他無い。是非は、終わった後の世の誰かが考えれば良い。
無数の縁と絆に背を押され、未来を望む竜の半身の戦いは続く。
茨路も同然の苦行であろう――――だが、それでも。
不幸ではないに違いなかった。