貴族女子の友情の行き着く先は
キャラクターノベル制作 紀藤トキ納品 2024年08月03日 17時29分29秒
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その日、シルヴィア・A・カペルは旧知のアーデルハイド・ヴァーゲナーの誘いを受け、王都にいくつかある劇場の一つに訪れていた。ヴァーゲナー侯爵家が後援している劇場らしく、二階正面の特別席と左右のボックス席をまとめて貸し切りにしている。友人と言う名目とは言え侯爵家の当主を迎えるとなれば、相応の構えはいるということなのだろう。
「なかなか面白かったね。演出に授恵者を使っているのは、驚いたけれど。一体どうしているのだろう」
シルヴィアの口調も、貴族的な丁寧なものではなく、だいぶ砕けた感じだった。友人として会うのだから是非そのままで、とアーデルハイドが頼んだ形である。
「冒険者ギルドにお願いしていると伺いましたわ。詳しいことはシルヴィア様の方がご存じでしょうけれど、授恵者の方はああいった幻を出せるのでしょう?」
「そうだね。役者として雇うのでは無く日雇いなのは、演目次第で使うかどうか変わるからかな?」
「役者として骨を埋めるような覚悟の授恵者の方がいないだけかもしれませんわ。カペルの皆様なら、ああいったやり方もお手の物かもしれませんわね」
「なるほど、それで誘ってくれたのかな? 出来るかどうかと言えば、出来るとは思うけれど。そこまで大人数でやる演目を扱う機会はそれ程無い気もするね」
「シルヴィア様に観劇のお誘いをするのはどうかとも思いましたけれど、楽しんで頂けたのでしたら良かったです」
「いや、何も理由がないと観劇の為に時間を割くことはあまりないから、良い機会だった。さすがは王都の劇場だね。演者も演出も素晴らしい。私達も負けては居られないね」
考え込むシルヴィアへ、アーデルハイドはにこやかに微笑む。シルヴィアのファンを自称するこの令嬢は、意図してかどうなのか、シルヴィアの反応を楽しむような物言いも多い。好意を向けられているのは確かなのだろうが、なかなか気が抜けない会話だとも思う。
「でも、王女役はシルヴィア様の方が……、いえ、むしろその危機に駆けつけた冒険者役の方が良いかしら?」
「褒めてくれるのは嬉しいけれど、私の演技は本職の方々に比べればあくまで余技だよ。師にもまだまだ至らないところを指摘される」
「ならば、その未完成なところも含めて魅力とする役を作るべきです。いっそ役の方をシルヴィア様に合わせれば良いでしょう? いえ、むしろシルヴィア様をモデルとしたお話を作れば良いのでは?」
カペルでそういう演目は無いのですか、などと首をかしげられるが、あるわけが無い。領主が自分を主役にした劇を作らせて、主演も自分でやるなどという自作自演は、後世できっと良くは言われないだろう。シルヴィア自身が考えてみても気恥ずかしいことこの上なかった。
「そうですか。私は喜びますし、領民の皆様も喜ぶと思いますわよ? カペルの皆様は、シルヴィア様の事が大好きですもの」
「そういう演劇が必要になる場合があるのは理解しているのだけれど、そういうものに頼る領政をしたくはないね」
「印象操作の話をしている訳ではありませんわ。先ほどの劇も、そのような見方をするならば王家が王都を守り切ったと言う宣伝になりますけれど、それとは関わりなく良いお話だったではありませんか」
今回の劇の題材は、シルヴィアも関わった王都での超巨大クリーパー『竜喰らい』との戦いだった。『現在の王都は安全である』という印象付けに王家の意向が働いている可能性はあるが、王家の活躍をことさらに強調するものではない。現在の王家の市中からの評価は良く、脚本家に依頼して印象操作を行う必要も無いのだろう。カペルでもそういう政治色の無い素のシルヴィアの話で劇を作れば良い、とアーデルハイドは力説する。
「……あ、でもシルヴィア様のご結婚の話は駄目です。面白くありませんわ」
「前から思っていたのだけれど、アーデルハイド嬢はノイアンに厳しくは無いだろうか」
「いえ、そんなことはありません。単に筋書きとして面白くないだけです。噂を伺ったときは、素性も知れぬ男性と次期領主の恋物語なんて素敵だと思ったのに……」
「どうしてそんな頃から君が知っているんだろうか。私にも自覚があったかどうか分からない時期じゃ無いかな?」
「そんな頃から私はシルヴィア様のファンだったからですわ。……素敵だと思ったというのに、伯爵家に養子に入ってから婿入りだなんて。まるで普通の貴族の婚姻ではありませんか」
カペルが進めた縁組み前の段取りを批判するあたり、今日のアーデルハイドはだいぶ遠慮が無い。ヴァーゲナーが用意したこの場は遠慮の無い話をしても大丈夫な場所と言うことだろう。この後の公演はなく、そのまま歓談を続けても構わないようだ。
「そこまでに十分に紆余曲折はあったのだけれど、結果的には普通、なのだろうか。いや、普通は悪い事なのか……?」
勢いに押されつつあるシルヴィアに、アーデルハイドが優雅さが崩れない程度に素早く頷いた。
「そうですわ。近頃の上級貴族の慶事は後々まで話題になりそうなものばかり。シルヴィア様のご結婚も、きっと貴族の常識を壊すようなものになると期待しておりましたのに」
確かに、身分や種族の垣根を忘れたかのような話もあった。臣籍降下した第二王子からして、市井から寵姫がでるのではと噂になっている。帝国滅亡が全ての切っ掛けというわけではないのだろうが、数年前の常識からすれば信じられないような変化が王国にも訪れていた。
「そういうアーデルハイド嬢は、どなたかと善い話はないのだろうか?」
などと話を逸らしてみると、相手はすんとする。どうやら痛いところであったらしい。
「ございませんわ。そのうち、家中の誰かに嫁ぐことになるのではないかしら」
「家中と、というのは意外だね」
アーデルハイドはシルヴィアのように授恵者ではないが、貴族女性としての能力だけを見れば十分に優れた人物だ。学園卒業後は両親に代わってヴァーゲナー侯爵家の社交を取り回していたとも聞く。兄の結婚後は義姉を立てて一歩引いているようだが、女主人の為すべき事は一通りこなせるだろう。優良物件なのでは、とシルヴィアは疑問に思う。
「……と、これは少し不躾な話題だったかな」
「いえ。恋バナというものでしょう? シルヴィア様と友人としてお会いしている、という感じがして嬉しいですわ」
なお、両家ともに家人の教育は行き届いているため、主筋の会話は距離を取って聞こえていませんというような顔をしていた。多分聞こえてはいる。まあ、当人が楽しんでいるというのであれば、シルヴィアとてそういう話は別に嫌いではない。
「家格の釣り合いを考えても、まだ独身の若い貴族はいるだろう。南方辺境伯とは縁もあるのでは?」
「余り魅力を感じませんわね。お話ししていても、普通の良い方ですし」
「……普通の良い殿方ならば悪くないのでは無いだろうか」
「ふふふ、少しカーチス様に意地悪な言い方をしましたわ。私は自分の力を活かす場がない事が嫌なのです」
「君の力、というと社交かな」
「ええ。私は剣は握れませんけれど、女の戦場ではシルヴィア様にも負けないつもりなのです」
国境地帯の貴族はその役割上、社交に掛ける時間があまりない。カーチス・ラザフォード辺境伯へアーデルハイドが嫁いだとしたら、一年のうち殆どを王都では無く領地で過ごすことになる。彼らの本分は軍を率いて国境を守護することだからだ。時代の流れで中央集権化が進み、軍事が完全に中央の管轄となりでもしなければ、社交のために時間を割くことは難しいだろう。
「私は、私の能力が必要とされる場所で生きていきたいのですわ。もし家臣に嫁げば、義姉上のお手伝いができるでしょう?」
「社交が出来る家、か……」
「希望を言うのならば、王都の社交を主導するような家ですわね」
例えば、夜会や茶会を主催するには、社交の場に招待されていくのとは全く異なる知識が要る。会合のテーマを考え、それに合わせた設営や飲食物の手配、招待客の選定といったことをこなす彼女の能力は、生家のヴァーゲナー侯爵家のような内陸部の領地貴族か法衣貴族、それも上級貴族でなければ十分に活かせない。
「側室になるのを厭わないならば、パデーニ公という考えもあるのでは? 彼は君の好きな『英雄』でもある」
「あの方には私の力など要らないでしょう。というよりも、妻の助けを必要とはしていない方だと思います」
「……なるほど。言わんとすることはわかるね」
ウィリアムは必要な時に他人に助力を請えない人間ではなく、むしろ困ったならば気安く声を掛けてくるように思う。しかし、それが特定の誰かで無ければ駄目かと言われれば、そういう印象もなかった。誰が妻となっても構わないというのは、最も近くで支える筈の人間に何も期待していないと言うことなのかもしれない。自分の出来ることを自覚し、それを振るおうという意志のあるアーデルハイドにとって彼は良き伴侶ではないのだろう。
「アーデルハイド嬢なら引く手あまただと思ったが、なかなか難しい物なのだね」
「あら、本当は引く手あまたなのに、私の方が選り好みをしているだけかもしれませんわよ?」
貴族の婚姻というのは簡単な物ではない。シルヴィアのように大過なく良き伴侶に出会え、周囲の理解と祝福を受けられたことは幸福なことなのだろう。
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「それで、これが噂の大森林のワインですのね?」
「ああ。まったく、アーデルハイド様とお話ししたいだけなのに用心深い事だ」
「仕方がありません。それが貴族というものですわ」
シルヴィアはヴァーゲナー家への配慮のつもりだったのだが、アーデルハイドに言わせれば自家ではなく周囲の目くらましのためにこそ、会見の理由付けが必要なのだそうだ。何の理由もなく会えば憶測が一人歩きするが、それらしい理由を用意するだけで無駄な勘ぐりを避けられる、という。
「どうだろう。美味しいと思って貰えたら、将来このワインをお披露目する際に褒めて貰えるとありがたいのだけれど」
「……シルヴィア様は、あまりワインを嗜まれないのかしら。というか、味に拘りが無いのでしょうか……。もしも社交の場でこちらを勧められたら、『十年後が楽しみですわね』とお答えしますけれど」
アーデルハイドの反応は、シルヴィアの思っていたのとは少し違っていた。眉間にしわを寄せて考えることしばし、溜息を一つ零してシルヴィアに向き直る。
「この場は友人同士の内々ということで、遠慮せず申し上げますが、このワインを『美味しい』とは言えません。ヴァーゲナーがそう言うには質が不足ですわ。丁寧に作っているのは分かるのですけれど、ワインに必要な歳月がありませんもの」
「そう聞きはしたけれども。それはそんなに大事な事かい?」
「大事です。熟成に掛ける時間も、樹齢も、それに合わせた管理も共に重要です。私の知る限り、カペル領にこれよりもっと良いワインは幾らもございますわ」
シルヴィアも味が分からぬ訳ではないが、アーデルハイドのその拘りが、大森林をはじめとした他国との繋がりという理想よりも重要だとは思えない。その彼女の思考が分かったのだろう。アーデルハイドは困ったような表情を浮かべた。
「当家が用いるということは、生産する方々のステータスになるものです。私がこのワインを公の場で『美味しい』と言うことは、彼らの努力を無にすることになります。もしも、味に関わりなく理念を褒めろということでしたら、ご協力するのは吝かではないのですけれども」
「ああ、そうか。そういう事ならば、確かに理解できるよ」
「……私を友人として気を許して頂いたことで、口が滑られたのかも知れません。ですが、貴族が口にする言葉は周囲を動かします。侯爵家の当主ともなれば、一挙一足が誰かに監視されていると思われるべきです」
アーデルハイドが口にしたような軋轢はカペルでも同様の筈で、少なくとも当初はシルヴィアが大森林のワイン制作を進めることに、面白くない思いをする者はいただろう。何十年も掛けて育てた樹と仕込んだ酒に、思い入れがない醸造家はいないはずだ。あるいは彼らが感じただろう不満への手当は当時の領主である父が対応し、娘のシルヴィアの耳まで届かなせかったのかもしれない。しかし、今はシルヴィアがカペル侯爵家の当主である。これから先は、理想の反動に自ら気を配る必要があると、アーデルハイドは言った。もしも彼女が敵だったら、この言葉一つでシルヴィアの評判を下げることも出来るのだから。
「……私、シルヴィア様が心配ですわ。いっそカペルに嫁すことも考えて……」
「ノ、ノイアンは駄目だぞ! 彼は私だけの……」
ぼそっと呟いたアーデルハイドに、慌ててシルヴィアが待ったを掛ける。頬に血の上がった様子はほんのり愛らしい。
「まあ。シルヴィア様、お可愛らしい。お幸せそうで何よりですわ」
「それは、まあ。うん。彼はいつも私を見てくれる。良い夫だと、思う。もちろん、私も相応しい相手であれるように、務めているし……」
「お幸せなのですわね。あら、そういえば今日はお祝いの言葉をお伝えしておりませんでした。ご結婚おめでとうございます」
「……もう何度も祝って貰っている気がするけれど。ありがとう」
「うふふ。お友達のお祝い事は、何度お祝いしても良い事ですもの」
結婚式の時や、王都で関係各所へ挨拶に出向いた時、手紙のやり取りなど、アーデルハイドから祝われる機会は幾度もあったのだが、それはそれ。シルヴィアが祝われて嬉しそうにする限りは幾度でも祝い、そしてその様を愛でるのがファンの嗜みなのだろう。多分、今年いっぱいは会うたびに祝い続けるつもりではなかろうか。
「そもそも、あの方は当主ではないでしょう? カペルに嫁すと言えば、シルヴィア様の伴侶になるという意味ですわよ?」
「それならば、良く……はないだろう!? 危うく流されるところだった」
「まあ、真面目に考えてみると、ヴァーゲナーは侯爵家ですもの。私が正妻でないと、それだけで周囲に要らぬ波が立ちますわね。お二人の仲を裂きたいわけではありませんし、残念ですがそう上手くはいかないようです」
「……それ以前の問題ではないだろうか」
「それもそうですわね。ふふ、私が男性に生まれていれば話は早かったのに……」
男装するならば女性らしい体つきのアーデルハイドよりも、シルヴィアの方が似合っているだろう。経験もある。なんなら義妹から熱い視線を向けられた事もあった。が、アーデルハイドが言っているのはそう言う見かけの組み合わせの話ではあるまい。貴族家に生まれた以上、血を残すことは義務であり、つまりは無理筋を冗談めかして口にしているのだ。
「本当に、残念ですわ」
少しばかり、力が入っているようにも見えるがきっと気のせいだろう。
その日、シルヴィア・A・カペルは旧知のアーデルハイド・ヴァーゲナーの誘いを受け、王都にいくつかある劇場の一つに訪れていた。ヴァーゲナー侯爵家が後援している劇場らしく、二階正面の特別席と左右のボックス席をまとめて貸し切りにしている。友人と言う名目とは言え侯爵家の当主を迎えるとなれば、相応の構えはいるということなのだろう。
「なかなか面白かったね。演出に授恵者を使っているのは、驚いたけれど。一体どうしているのだろう」
シルヴィアの口調も、貴族的な丁寧なものではなく、だいぶ砕けた感じだった。友人として会うのだから是非そのままで、とアーデルハイドが頼んだ形である。
「冒険者ギルドにお願いしていると伺いましたわ。詳しいことはシルヴィア様の方がご存じでしょうけれど、授恵者の方はああいった幻を出せるのでしょう?」
「そうだね。役者として雇うのでは無く日雇いなのは、演目次第で使うかどうか変わるからかな?」
「役者として骨を埋めるような覚悟の授恵者の方がいないだけかもしれませんわ。カペルの皆様なら、ああいったやり方もお手の物かもしれませんわね」
「なるほど、それで誘ってくれたのかな? 出来るかどうかと言えば、出来るとは思うけれど。そこまで大人数でやる演目を扱う機会はそれ程無い気もするね」
「シルヴィア様に観劇のお誘いをするのはどうかとも思いましたけれど、楽しんで頂けたのでしたら良かったです」
「いや、何も理由がないと観劇の為に時間を割くことはあまりないから、良い機会だった。さすがは王都の劇場だね。演者も演出も素晴らしい。私達も負けては居られないね」
考え込むシルヴィアへ、アーデルハイドはにこやかに微笑む。シルヴィアのファンを自称するこの令嬢は、意図してかどうなのか、シルヴィアの反応を楽しむような物言いも多い。好意を向けられているのは確かなのだろうが、なかなか気が抜けない会話だとも思う。
「でも、王女役はシルヴィア様の方が……、いえ、むしろその危機に駆けつけた冒険者役の方が良いかしら?」
「褒めてくれるのは嬉しいけれど、私の演技は本職の方々に比べればあくまで余技だよ。師にもまだまだ至らないところを指摘される」
「ならば、その未完成なところも含めて魅力とする役を作るべきです。いっそ役の方をシルヴィア様に合わせれば良いでしょう? いえ、むしろシルヴィア様をモデルとしたお話を作れば良いのでは?」
カペルでそういう演目は無いのですか、などと首をかしげられるが、あるわけが無い。領主が自分を主役にした劇を作らせて、主演も自分でやるなどという自作自演は、後世できっと良くは言われないだろう。シルヴィア自身が考えてみても気恥ずかしいことこの上なかった。
「そうですか。私は喜びますし、領民の皆様も喜ぶと思いますわよ? カペルの皆様は、シルヴィア様の事が大好きですもの」
「そういう演劇が必要になる場合があるのは理解しているのだけれど、そういうものに頼る領政をしたくはないね」
「印象操作の話をしている訳ではありませんわ。先ほどの劇も、そのような見方をするならば王家が王都を守り切ったと言う宣伝になりますけれど、それとは関わりなく良いお話だったではありませんか」
今回の劇の題材は、シルヴィアも関わった王都での超巨大クリーパー『竜喰らい』との戦いだった。『現在の王都は安全である』という印象付けに王家の意向が働いている可能性はあるが、王家の活躍をことさらに強調するものではない。現在の王家の市中からの評価は良く、脚本家に依頼して印象操作を行う必要も無いのだろう。カペルでもそういう政治色の無い素のシルヴィアの話で劇を作れば良い、とアーデルハイドは力説する。
「……あ、でもシルヴィア様のご結婚の話は駄目です。面白くありませんわ」
「前から思っていたのだけれど、アーデルハイド嬢はノイアンに厳しくは無いだろうか」
「いえ、そんなことはありません。単に筋書きとして面白くないだけです。噂を伺ったときは、素性も知れぬ男性と次期領主の恋物語なんて素敵だと思ったのに……」
「どうしてそんな頃から君が知っているんだろうか。私にも自覚があったかどうか分からない時期じゃ無いかな?」
「そんな頃から私はシルヴィア様のファンだったからですわ。……素敵だと思ったというのに、伯爵家に養子に入ってから婿入りだなんて。まるで普通の貴族の婚姻ではありませんか」
カペルが進めた縁組み前の段取りを批判するあたり、今日のアーデルハイドはだいぶ遠慮が無い。ヴァーゲナーが用意したこの場は遠慮の無い話をしても大丈夫な場所と言うことだろう。この後の公演はなく、そのまま歓談を続けても構わないようだ。
「そこまでに十分に紆余曲折はあったのだけれど、結果的には普通、なのだろうか。いや、普通は悪い事なのか……?」
勢いに押されつつあるシルヴィアに、アーデルハイドが優雅さが崩れない程度に素早く頷いた。
「そうですわ。近頃の上級貴族の慶事は後々まで話題になりそうなものばかり。シルヴィア様のご結婚も、きっと貴族の常識を壊すようなものになると期待しておりましたのに」
確かに、身分や種族の垣根を忘れたかのような話もあった。臣籍降下した第二王子からして、市井から寵姫がでるのではと噂になっている。帝国滅亡が全ての切っ掛けというわけではないのだろうが、数年前の常識からすれば信じられないような変化が王国にも訪れていた。
「そういうアーデルハイド嬢は、どなたかと善い話はないのだろうか?」
などと話を逸らしてみると、相手はすんとする。どうやら痛いところであったらしい。
「ございませんわ。そのうち、家中の誰かに嫁ぐことになるのではないかしら」
「家中と、というのは意外だね」
アーデルハイドはシルヴィアのように授恵者ではないが、貴族女性としての能力だけを見れば十分に優れた人物だ。学園卒業後は両親に代わってヴァーゲナー侯爵家の社交を取り回していたとも聞く。兄の結婚後は義姉を立てて一歩引いているようだが、女主人の為すべき事は一通りこなせるだろう。優良物件なのでは、とシルヴィアは疑問に思う。
「……と、これは少し不躾な話題だったかな」
「いえ。恋バナというものでしょう? シルヴィア様と友人としてお会いしている、という感じがして嬉しいですわ」
なお、両家ともに家人の教育は行き届いているため、主筋の会話は距離を取って聞こえていませんというような顔をしていた。多分聞こえてはいる。まあ、当人が楽しんでいるというのであれば、シルヴィアとてそういう話は別に嫌いではない。
「家格の釣り合いを考えても、まだ独身の若い貴族はいるだろう。南方辺境伯とは縁もあるのでは?」
「余り魅力を感じませんわね。お話ししていても、普通の良い方ですし」
「……普通の良い殿方ならば悪くないのでは無いだろうか」
「ふふふ、少しカーチス様に意地悪な言い方をしましたわ。私は自分の力を活かす場がない事が嫌なのです」
「君の力、というと社交かな」
「ええ。私は剣は握れませんけれど、女の戦場ではシルヴィア様にも負けないつもりなのです」
国境地帯の貴族はその役割上、社交に掛ける時間があまりない。カーチス・ラザフォード辺境伯へアーデルハイドが嫁いだとしたら、一年のうち殆どを王都では無く領地で過ごすことになる。彼らの本分は軍を率いて国境を守護することだからだ。時代の流れで中央集権化が進み、軍事が完全に中央の管轄となりでもしなければ、社交のために時間を割くことは難しいだろう。
「私は、私の能力が必要とされる場所で生きていきたいのですわ。もし家臣に嫁げば、義姉上のお手伝いができるでしょう?」
「社交が出来る家、か……」
「希望を言うのならば、王都の社交を主導するような家ですわね」
例えば、夜会や茶会を主催するには、社交の場に招待されていくのとは全く異なる知識が要る。会合のテーマを考え、それに合わせた設営や飲食物の手配、招待客の選定といったことをこなす彼女の能力は、生家のヴァーゲナー侯爵家のような内陸部の領地貴族か法衣貴族、それも上級貴族でなければ十分に活かせない。
「側室になるのを厭わないならば、パデーニ公という考えもあるのでは? 彼は君の好きな『英雄』でもある」
「あの方には私の力など要らないでしょう。というよりも、妻の助けを必要とはしていない方だと思います」
「……なるほど。言わんとすることはわかるね」
ウィリアムは必要な時に他人に助力を請えない人間ではなく、むしろ困ったならば気安く声を掛けてくるように思う。しかし、それが特定の誰かで無ければ駄目かと言われれば、そういう印象もなかった。誰が妻となっても構わないというのは、最も近くで支える筈の人間に何も期待していないと言うことなのかもしれない。自分の出来ることを自覚し、それを振るおうという意志のあるアーデルハイドにとって彼は良き伴侶ではないのだろう。
「アーデルハイド嬢なら引く手あまただと思ったが、なかなか難しい物なのだね」
「あら、本当は引く手あまたなのに、私の方が選り好みをしているだけかもしれませんわよ?」
貴族の婚姻というのは簡単な物ではない。シルヴィアのように大過なく良き伴侶に出会え、周囲の理解と祝福を受けられたことは幸福なことなのだろう。
●
「それで、これが噂の大森林のワインですのね?」
「ああ。まったく、アーデルハイド様とお話ししたいだけなのに用心深い事だ」
「仕方がありません。それが貴族というものですわ」
シルヴィアはヴァーゲナー家への配慮のつもりだったのだが、アーデルハイドに言わせれば自家ではなく周囲の目くらましのためにこそ、会見の理由付けが必要なのだそうだ。何の理由もなく会えば憶測が一人歩きするが、それらしい理由を用意するだけで無駄な勘ぐりを避けられる、という。
「どうだろう。美味しいと思って貰えたら、将来このワインをお披露目する際に褒めて貰えるとありがたいのだけれど」
「……シルヴィア様は、あまりワインを嗜まれないのかしら。というか、味に拘りが無いのでしょうか……。もしも社交の場でこちらを勧められたら、『十年後が楽しみですわね』とお答えしますけれど」
アーデルハイドの反応は、シルヴィアの思っていたのとは少し違っていた。眉間にしわを寄せて考えることしばし、溜息を一つ零してシルヴィアに向き直る。
「この場は友人同士の内々ということで、遠慮せず申し上げますが、このワインを『美味しい』とは言えません。ヴァーゲナーがそう言うには質が不足ですわ。丁寧に作っているのは分かるのですけれど、ワインに必要な歳月がありませんもの」
「そう聞きはしたけれども。それはそんなに大事な事かい?」
「大事です。熟成に掛ける時間も、樹齢も、それに合わせた管理も共に重要です。私の知る限り、カペル領にこれよりもっと良いワインは幾らもございますわ」
シルヴィアも味が分からぬ訳ではないが、アーデルハイドのその拘りが、大森林をはじめとした他国との繋がりという理想よりも重要だとは思えない。その彼女の思考が分かったのだろう。アーデルハイドは困ったような表情を浮かべた。
「当家が用いるということは、生産する方々のステータスになるものです。私がこのワインを公の場で『美味しい』と言うことは、彼らの努力を無にすることになります。もしも、味に関わりなく理念を褒めろということでしたら、ご協力するのは吝かではないのですけれども」
「ああ、そうか。そういう事ならば、確かに理解できるよ」
「……私を友人として気を許して頂いたことで、口が滑られたのかも知れません。ですが、貴族が口にする言葉は周囲を動かします。侯爵家の当主ともなれば、一挙一足が誰かに監視されていると思われるべきです」
アーデルハイドが口にしたような軋轢はカペルでも同様の筈で、少なくとも当初はシルヴィアが大森林のワイン制作を進めることに、面白くない思いをする者はいただろう。何十年も掛けて育てた樹と仕込んだ酒に、思い入れがない醸造家はいないはずだ。あるいは彼らが感じただろう不満への手当は当時の領主である父が対応し、娘のシルヴィアの耳まで届かなせかったのかもしれない。しかし、今はシルヴィアがカペル侯爵家の当主である。これから先は、理想の反動に自ら気を配る必要があると、アーデルハイドは言った。もしも彼女が敵だったら、この言葉一つでシルヴィアの評判を下げることも出来るのだから。
「……私、シルヴィア様が心配ですわ。いっそカペルに嫁すことも考えて……」
「ノ、ノイアンは駄目だぞ! 彼は私だけの……」
ぼそっと呟いたアーデルハイドに、慌ててシルヴィアが待ったを掛ける。頬に血の上がった様子はほんのり愛らしい。
「まあ。シルヴィア様、お可愛らしい。お幸せそうで何よりですわ」
「それは、まあ。うん。彼はいつも私を見てくれる。良い夫だと、思う。もちろん、私も相応しい相手であれるように、務めているし……」
「お幸せなのですわね。あら、そういえば今日はお祝いの言葉をお伝えしておりませんでした。ご結婚おめでとうございます」
「……もう何度も祝って貰っている気がするけれど。ありがとう」
「うふふ。お友達のお祝い事は、何度お祝いしても良い事ですもの」
結婚式の時や、王都で関係各所へ挨拶に出向いた時、手紙のやり取りなど、アーデルハイドから祝われる機会は幾度もあったのだが、それはそれ。シルヴィアが祝われて嬉しそうにする限りは幾度でも祝い、そしてその様を愛でるのがファンの嗜みなのだろう。多分、今年いっぱいは会うたびに祝い続けるつもりではなかろうか。
「そもそも、あの方は当主ではないでしょう? カペルに嫁すと言えば、シルヴィア様の伴侶になるという意味ですわよ?」
「それならば、良く……はないだろう!? 危うく流されるところだった」
「まあ、真面目に考えてみると、ヴァーゲナーは侯爵家ですもの。私が正妻でないと、それだけで周囲に要らぬ波が立ちますわね。お二人の仲を裂きたいわけではありませんし、残念ですがそう上手くはいかないようです」
「……それ以前の問題ではないだろうか」
「それもそうですわね。ふふ、私が男性に生まれていれば話は早かったのに……」
男装するならば女性らしい体つきのアーデルハイドよりも、シルヴィアの方が似合っているだろう。経験もある。なんなら義妹から熱い視線を向けられた事もあった。が、アーデルハイドが言っているのはそう言う見かけの組み合わせの話ではあるまい。貴族家に生まれた以上、血を残すことは義務であり、つまりは無理筋を冗談めかして口にしているのだ。
「本当に、残念ですわ」
少しばかり、力が入っているようにも見えるがきっと気のせいだろう。