友に花を
キャラクターノベル制作 阿瀬 春納品 2024年06月14日 00時48分50秒
両のてのひらに収まる蓋つきの籠が、友の棺。
小さな胸に小さな棺を抱き、エリカ・プレトリウスは清涼渓谷の名を冠された森を行く。
ぱちん、足元で枯れ枝が砕けた。
静かに息を整える。空色の瞳で周囲を見渡す。薄紅の髪に隠した耳を澄ます。
この地を治める領主は居れど、森は深い。場所によっては急峻な崖となっている個所もあり、足元に油断はできない。
緑が濃くなるこの時期、仔を連れるがゆえに警戒心と獰猛さを増した獣も多いだろう。
それでも、この森を友の葬送の地にと選んだ。
領主の子息を助けた縁を伝手とし、然るべき手続きを経て許可を得、――そうまでする思い出がこの森にあったわけではない。
(……ネム)
棺に納めた友であるリスの名を呟く。
ごはんを食べたあと、温かな窓辺で微睡むように穏やかに息を引き取った。まだ眠っているの、といつものように優しく撫でて懐に入れようとして、その小さな身体の命が尽きていることに気が付いたくらい、静かな静かな死だった。
天寿だったと、思う。
彼女がいちばん長い時を過ごしたのは、シュルトハイス子爵家の庭だった。あの明るく整えられた美しい庭は、けれど彼女の眠る地にするべきではない気がした。 亡き令嬢に似ているという理由で己を拾い目をかけてくれたシュルトハイス当主夫妻には、恩返しをすることはあっても今以上の厚意を受けるつもりはなかった。
(わたしには、名なんてない)
『エリカ』は当主夫妻の亡き一人娘にちなんだもの。
『プレトリウス』は彼らの治める領内の地名からとったもの。
当主夫妻に目をかけられ育てられた今も、何年もエリカと呼ばれ続けた今も、己がその名に相応しいとは思えなかった。拾われた幸運を痛いほど理解してはいても、その名であると思えなかった。
今も、この身に名はない。
だから、名も無き己に寄り添い続けてくれたネムが眠る地は、シュルトハイス家の庭であってはならない。
(名もなき只のわたしの、友)
エリカ・プレトリウスでもない、シュルトハイス家ゆかりの者でもない、『わたし』。
気が付けば貧民街にうずくまっていた『わたし』。ネムの母であるシルクと共、日々を怯えて過ごしていた『わたし』。
生き延びることすら危うかったあの街の側に、ネムの故郷の森はある。
(あんな所に眠らせたくはない)
棺を胸に、森を彷徨う。
●
夕空を覆って交差する梢が途切れた。
薄紅の色に染まる空を仰ぎ、エルフの少女は足を止める。
小さな広場だった。寿命を迎えて倒れた巨大な古樹が揺り籠となり、幾百もの若木が育とうとしている。梢が途切れ日が差すがゆえか、倒木の周囲には優しいお花畑が出来ている。
広場をぐるりと囲む木々のうちには深紅に熟す実を無数につけた樹、低い茂みにはお花畑に彩りを添える木苺。
「此処にしようかな」
胸に抱いた棺に語り掛けるように囁く。
「ね、……此処がいいよ」
お腹いっぱいになるまで食べられるよ、と笑ってみる。
今は食べるものに困ることもないけれど、当主夫妻に拾われるまでは食べるものもろくになかった。シルクがごく偶に持って来てくれる甘い果実がごちそうで、大好きだった。
周囲に獣の気配がないか探りつつ、古樹のもとへと寄る。朽ちてゆく樹の虚にリスならば食べられる毒キノコを見つけ、生えつつある若木が果樹であることも確かめる。
胸に抱き続けてきた棺を柔らかな草の上に置く。
途端、胸がひやりと冷たくなった気がした。こみ上げる涙を抑え切れず、けれど泣き崩れてしまうことを己に許さず、涙がぽたぽたと零れ落ちるまま、柔らかな腐葉土の地面を枯れ枝を使い掘り始める。
寒いのが苦手で、己の懐がもっぱらの居場所だった。
木の実や果実が大好きで、一度抱えてしまえば誰にも渡さないと尻尾を膨らませて威嚇するくせに、己にだけは時々分け与えてくれた。
ネムが懐に居てくれると、とてもとても暖かかった。
万一にも獣に掘り返されないよう、深い穴を掘る。
膝も指先も土で真っ黒になるのも構わず、ネムのための最後の場所を作る。
寒がりの友のため、摘んだ花で穴の底をふかふかにする。
「ネム」
小さな籠を両手に包む。そうっと抱きしめれば、離れ難さに手が震えた。
それでも、震えるままの手で花の中に棺を沈める。冷たい土を直接被せたくなくて、棺の上を花で覆う。
「ネム、……」
たくさんの花を降らせて、土を被せる。獣が掘り返さないように。誰にもネムの眠りを邪魔させないように。
涙で濡れた頬を拭う。泣いていると、きっとネムは心配してしまう。
しゃくりあげてしまいそうな息を深呼吸で整える。涙を堪えて笑おうとして、失敗する。
それでも、伝えたかった。
「ありがとう、ずっと大好きだよ」
冷たい胸を撫でて、友のために笑って見せる。
「……おやすみ、ネム」
小さな胸に小さな棺を抱き、エリカ・プレトリウスは清涼渓谷の名を冠された森を行く。
ぱちん、足元で枯れ枝が砕けた。
静かに息を整える。空色の瞳で周囲を見渡す。薄紅の髪に隠した耳を澄ます。
この地を治める領主は居れど、森は深い。場所によっては急峻な崖となっている個所もあり、足元に油断はできない。
緑が濃くなるこの時期、仔を連れるがゆえに警戒心と獰猛さを増した獣も多いだろう。
それでも、この森を友の葬送の地にと選んだ。
領主の子息を助けた縁を伝手とし、然るべき手続きを経て許可を得、――そうまでする思い出がこの森にあったわけではない。
(……ネム)
棺に納めた友であるリスの名を呟く。
ごはんを食べたあと、温かな窓辺で微睡むように穏やかに息を引き取った。まだ眠っているの、といつものように優しく撫でて懐に入れようとして、その小さな身体の命が尽きていることに気が付いたくらい、静かな静かな死だった。
天寿だったと、思う。
彼女がいちばん長い時を過ごしたのは、シュルトハイス子爵家の庭だった。あの明るく整えられた美しい庭は、けれど彼女の眠る地にするべきではない気がした。 亡き令嬢に似ているという理由で己を拾い目をかけてくれたシュルトハイス当主夫妻には、恩返しをすることはあっても今以上の厚意を受けるつもりはなかった。
(わたしには、名なんてない)
『エリカ』は当主夫妻の亡き一人娘にちなんだもの。
『プレトリウス』は彼らの治める領内の地名からとったもの。
当主夫妻に目をかけられ育てられた今も、何年もエリカと呼ばれ続けた今も、己がその名に相応しいとは思えなかった。拾われた幸運を痛いほど理解してはいても、その名であると思えなかった。
今も、この身に名はない。
だから、名も無き己に寄り添い続けてくれたネムが眠る地は、シュルトハイス家の庭であってはならない。
(名もなき只のわたしの、友)
エリカ・プレトリウスでもない、シュルトハイス家ゆかりの者でもない、『わたし』。
気が付けば貧民街にうずくまっていた『わたし』。ネムの母であるシルクと共、日々を怯えて過ごしていた『わたし』。
生き延びることすら危うかったあの街の側に、ネムの故郷の森はある。
(あんな所に眠らせたくはない)
棺を胸に、森を彷徨う。
●
夕空を覆って交差する梢が途切れた。
薄紅の色に染まる空を仰ぎ、エルフの少女は足を止める。
小さな広場だった。寿命を迎えて倒れた巨大な古樹が揺り籠となり、幾百もの若木が育とうとしている。梢が途切れ日が差すがゆえか、倒木の周囲には優しいお花畑が出来ている。
広場をぐるりと囲む木々のうちには深紅に熟す実を無数につけた樹、低い茂みにはお花畑に彩りを添える木苺。
「此処にしようかな」
胸に抱いた棺に語り掛けるように囁く。
「ね、……此処がいいよ」
お腹いっぱいになるまで食べられるよ、と笑ってみる。
今は食べるものに困ることもないけれど、当主夫妻に拾われるまでは食べるものもろくになかった。シルクがごく偶に持って来てくれる甘い果実がごちそうで、大好きだった。
周囲に獣の気配がないか探りつつ、古樹のもとへと寄る。朽ちてゆく樹の虚にリスならば食べられる毒キノコを見つけ、生えつつある若木が果樹であることも確かめる。
胸に抱き続けてきた棺を柔らかな草の上に置く。
途端、胸がひやりと冷たくなった気がした。こみ上げる涙を抑え切れず、けれど泣き崩れてしまうことを己に許さず、涙がぽたぽたと零れ落ちるまま、柔らかな腐葉土の地面を枯れ枝を使い掘り始める。
寒いのが苦手で、己の懐がもっぱらの居場所だった。
木の実や果実が大好きで、一度抱えてしまえば誰にも渡さないと尻尾を膨らませて威嚇するくせに、己にだけは時々分け与えてくれた。
ネムが懐に居てくれると、とてもとても暖かかった。
万一にも獣に掘り返されないよう、深い穴を掘る。
膝も指先も土で真っ黒になるのも構わず、ネムのための最後の場所を作る。
寒がりの友のため、摘んだ花で穴の底をふかふかにする。
「ネム」
小さな籠を両手に包む。そうっと抱きしめれば、離れ難さに手が震えた。
それでも、震えるままの手で花の中に棺を沈める。冷たい土を直接被せたくなくて、棺の上を花で覆う。
「ネム、……」
たくさんの花を降らせて、土を被せる。獣が掘り返さないように。誰にもネムの眠りを邪魔させないように。
涙で濡れた頬を拭う。泣いていると、きっとネムは心配してしまう。
しゃくりあげてしまいそうな息を深呼吸で整える。涙を堪えて笑おうとして、失敗する。
それでも、伝えたかった。
「ありがとう、ずっと大好きだよ」
冷たい胸を撫でて、友のために笑って見せる。
「……おやすみ、ネム」