赫色の理由
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2021年01月08日 10時32分32秒
その日の世界は白かった。
木も土も水も。青も赤も黄も。全てが真っ白に染められていた。
「嫌な季節だ」
全てを覆いつくす雪の白に、アーシェル・G・クラインが精悍な顔を歪めた。
晴れた空の下、白銀の世界が広がる大地を見るたびに思い出す。
一族が受け継いできた歪んだしきたりと、幼い自分が犯した、許されぬ過ち。
決して忘れる事のできない過去を思い、アーシェルは新雪を踏みしめる。
「真っ新な白で、いったいどんな汚いもんを覆い隠してるんだ」
サクサクと耳に心地いい足音も、アーシェルの顔を歪ませるだけだった。
●
帝国の貴族の生まれだった俺は、何不自由のない幼少期を過ごした。
厳しくも威厳に溢れた父親、優しく笑顔を絶やさない母親。そして、年の離れた優秀な兄。
温かい家族に囲まれ、幸せな時を享受した。
母の血を色濃く受け継いだ俺は、今でこそ間違われることはなくなったが、小さい頃はよく女児と間違えられた。
母も父も、それが嬉しかったのか、時折俺に女ものの服をプレゼントする。
俺も父母が喜んでくれるので、特に着たくもない服をよく着ていた。
「あれさえなければ……」
アーシェルは唇を噛む。まさにそれがすべての始まり、悲劇への序曲だったのだから。
年が10を数える頃には、本物の女児ですら隣に立たせれば輝きを失うほどの美少女へと成長していた。
両親はこの事に気をよくしたのか、更に俺に女物をあてがう様になった。
俺も強く反対しなかったから、それも悪かったのだろう。
だが……このちょっとした父母の悪戯と、俺の無抵抗が一族を崩壊させるきっかけとなってしまった。
兄が、そんな俺を――愛してしまったのだ。
家族愛、兄弟愛。そんな綺麗な愛じゃない。ドロドロとした歪んだ愛欲。俺を『女』と認識し、『女』として欲した。
10も年の違う兄弟は、傍から見ればそれは仲の睦まじい兄弟だっただろう。しかし、その実は……弟から兄へ向けられるのは羨望。兄から弟へ向けられるのは欲望。お互いにその感情に気付くことなく、歪に過ぎるこの関係は俺達の全てを蝕んでいった――。
完全実力主義の帝国にあって、力こそが全て。
クライン家もその流儀を脈々と受け継ぐ貴族の家系だった。
英雄である先祖が残した稀なる血をより強く、より濃くする為に行われてきた忌まわしき伝統。全ては次代へ血統を引き継ぐための通過点に過ぎない。
皇帝が自分の娘に自らの種を仕込むような国だ。それに類する貴族の家でも、まさに日常茶飯事的に行われる『血の交配』。兄弟は当たり前、時には皇帝に習い親子でもその契りを結ぶ。
――今となっては真意を知るすべはないが、兄は血の交配を望んだのだろうか。それとも純粋なる愛だったのだろうか。
帝国騎士という重職にありながらも、兄は怪しげな主教にのめり込んだ。
その宗教が唱える「人の性に関係なく交わり子を成せる秘儀」なるものに魅せられて。
家督を継ぐべき長男が、怪しげな宗教に傾倒する。家族の誰もがその事実を認めず、兄は父母と口論になる事が増えていった。まだ幼かった俺はその光景を見るのが嫌で、部屋に逃げ隠れていたことを覚えている。
そんな状態が1年ほども続いたある冬の日。
今日と同じように降雪のあった次の晴れた日だ。
ふと窓から外を覗くと、兄と両親が中庭で口論になっていた。
俺はいつもの様に見ない事を決め込んで、部屋の隅で震えていればよかった。
しかし、その日は不思議と震えが起こらなかった。だから、ずっと窓から中庭の様子を見ていた。なぜか嫌な予感がしたのだ。
俺は無意識に窓際から離れ、部屋の扉を開けていた。
そこで悲鳴が聞こえた。
それが誰のものだったのかはわからない。母だったのかメイドだったのか。
嫌な予感が膨らむ。俺は廊下を全力で走り中庭へと飛び出した。
そして、そこで見た光景に俺は絶句した。
真っ白な雪の上に横たわる二つの身体。――父と母だ。
握った剣先から赤い雫を滴らせる男。――兄だ。
真っ白だった雪は次第に赤に染まっていく。幼い俺にもわかった、あれは血の赤だと。
何が起きているのか理解が及ばない。恐怖で足がすくんで鉛の様に重い。
何か声を上げたくとも、口だけが無意味に動くだけだった。
そんな時、兄が振り向いた。
その顔を見た瞬間、小さな悲鳴が喉奥からこぼれれる。
歪んだ愛。それが極まった時、人は姿を変える。
あの優秀で優しかった兄の笑顔は、悪魔の如く邪に歪み、薄く開いた口からはあふれ出る涎が垂れ流される。
兄は微笑みながらゆっくりと近づいてきた。
――怖い。
初めて兄をそう思った――。
●
「くそっ……嫌な事を思い出させる」
アーシェルは、真っ赤に染まった右目に疼きを感じ押さえつけた。
心臓の鼓動と連動する様にうずく右目。元々この右目は、左目と同じ綺麗な金色をしていた。それがあの日……あの凄惨な出来事を経て、赤く血の色に染まった――。
今でもあの感触を覚えている。
父に助けを求めようと雪の上に横たわる体を揺する。反応はない。
母に声をかける。――反応はない。
どうすればいいのかわからず、冷たくなっていく父と母の間を右往左往していると、突然の頭を襲った衝撃に気を失った――。
窒息感に目が覚める。
空気が欲しくてもがくがいくら吸い込んでも何も入ってこない。
目を見開けば、目の前では兄の顔が愉悦に歪んいた。
――殺される。
俺は恐怖から逃れようと激しくもがく。指先にこつんと硬質の何かが触れたのを感じ、必死で手に取った。
意味も解らず、無我夢中で振り上げる。
――ズっ……。
その感触は初めて経験するものだった。
分厚いステーキにナイフを落としこんだ時の様な、ゆっくりと沈んでいく感触。
軽い抵抗感と共に手から伸びた硬質は、兄の首へと吸い込まれていった。
それは父親が兄に抵抗した時に取り出し、何の役割も果たせずに地に転がった短剣だった。
ごふっと喉の奥からドロリとしたものが吐き出される。熱を持った赤いそれが俺の右目を直撃した。
半分が赤に染まる世界に呆然となりつつも、必死に抜け出そうともがく。
ぐるりと狂気にくるっていた瞳が回転し、首を絞めつけていた力が緩んだ。
ようやく動くことを許された肺が、冬の凍てついた空気を胸一杯に吸い込む。
何度も繰り返された荒い呼吸の末に、俺は震えながら立ち上がった。
真っ白な雪を真っ赤に染める鮮血の赤が広がっていく。
白かった世界が赤く変遷していった。
●
「どこで狂っちまったんだ……」
すっかり男のそれに変貌した喉に手を当てる。あの日、同じ大きさの手があてがわれた場所だ。
「もう、8年か」
左目を閉じると、世界が真っ赤に染まる。あの日、兄の血を受け赤に染まった右目だけで見る景色は、全てを赤に染められるようになってしまった。
「ほんと、後悔ばかりの人生だな……」
全てを覆う銀世界を見つめる。
あの凄惨な過去を捨てて、新しい人生をつかみ取れるのか。
後悔しかない過去をいつか忘れ、この雪原の様に真っ白な世界に一歩を踏み出せるのか。
この雪の上に刻まれた一本の足跡をたどれば、それが見つかるだろうか。
丘の向こうへと続く足跡は、俺を導いてくれる未来か。それとも、地獄へ誘う過去か。
「変われるのか、俺は……」
その呟きは白銀の世界に小さなを音を落として消えた――。
木も土も水も。青も赤も黄も。全てが真っ白に染められていた。
「嫌な季節だ」
全てを覆いつくす雪の白に、アーシェル・G・クラインが精悍な顔を歪めた。
晴れた空の下、白銀の世界が広がる大地を見るたびに思い出す。
一族が受け継いできた歪んだしきたりと、幼い自分が犯した、許されぬ過ち。
決して忘れる事のできない過去を思い、アーシェルは新雪を踏みしめる。
「真っ新な白で、いったいどんな汚いもんを覆い隠してるんだ」
サクサクと耳に心地いい足音も、アーシェルの顔を歪ませるだけだった。
●
帝国の貴族の生まれだった俺は、何不自由のない幼少期を過ごした。
厳しくも威厳に溢れた父親、優しく笑顔を絶やさない母親。そして、年の離れた優秀な兄。
温かい家族に囲まれ、幸せな時を享受した。
母の血を色濃く受け継いだ俺は、今でこそ間違われることはなくなったが、小さい頃はよく女児と間違えられた。
母も父も、それが嬉しかったのか、時折俺に女ものの服をプレゼントする。
俺も父母が喜んでくれるので、特に着たくもない服をよく着ていた。
「あれさえなければ……」
アーシェルは唇を噛む。まさにそれがすべての始まり、悲劇への序曲だったのだから。
年が10を数える頃には、本物の女児ですら隣に立たせれば輝きを失うほどの美少女へと成長していた。
両親はこの事に気をよくしたのか、更に俺に女物をあてがう様になった。
俺も強く反対しなかったから、それも悪かったのだろう。
だが……このちょっとした父母の悪戯と、俺の無抵抗が一族を崩壊させるきっかけとなってしまった。
兄が、そんな俺を――愛してしまったのだ。
家族愛、兄弟愛。そんな綺麗な愛じゃない。ドロドロとした歪んだ愛欲。俺を『女』と認識し、『女』として欲した。
10も年の違う兄弟は、傍から見ればそれは仲の睦まじい兄弟だっただろう。しかし、その実は……弟から兄へ向けられるのは羨望。兄から弟へ向けられるのは欲望。お互いにその感情に気付くことなく、歪に過ぎるこの関係は俺達の全てを蝕んでいった――。
完全実力主義の帝国にあって、力こそが全て。
クライン家もその流儀を脈々と受け継ぐ貴族の家系だった。
英雄である先祖が残した稀なる血をより強く、より濃くする為に行われてきた忌まわしき伝統。全ては次代へ血統を引き継ぐための通過点に過ぎない。
皇帝が自分の娘に自らの種を仕込むような国だ。それに類する貴族の家でも、まさに日常茶飯事的に行われる『血の交配』。兄弟は当たり前、時には皇帝に習い親子でもその契りを結ぶ。
――今となっては真意を知るすべはないが、兄は血の交配を望んだのだろうか。それとも純粋なる愛だったのだろうか。
帝国騎士という重職にありながらも、兄は怪しげな主教にのめり込んだ。
その宗教が唱える「人の性に関係なく交わり子を成せる秘儀」なるものに魅せられて。
家督を継ぐべき長男が、怪しげな宗教に傾倒する。家族の誰もがその事実を認めず、兄は父母と口論になる事が増えていった。まだ幼かった俺はその光景を見るのが嫌で、部屋に逃げ隠れていたことを覚えている。
そんな状態が1年ほども続いたある冬の日。
今日と同じように降雪のあった次の晴れた日だ。
ふと窓から外を覗くと、兄と両親が中庭で口論になっていた。
俺はいつもの様に見ない事を決め込んで、部屋の隅で震えていればよかった。
しかし、その日は不思議と震えが起こらなかった。だから、ずっと窓から中庭の様子を見ていた。なぜか嫌な予感がしたのだ。
俺は無意識に窓際から離れ、部屋の扉を開けていた。
そこで悲鳴が聞こえた。
それが誰のものだったのかはわからない。母だったのかメイドだったのか。
嫌な予感が膨らむ。俺は廊下を全力で走り中庭へと飛び出した。
そして、そこで見た光景に俺は絶句した。
真っ白な雪の上に横たわる二つの身体。――父と母だ。
握った剣先から赤い雫を滴らせる男。――兄だ。
真っ白だった雪は次第に赤に染まっていく。幼い俺にもわかった、あれは血の赤だと。
何が起きているのか理解が及ばない。恐怖で足がすくんで鉛の様に重い。
何か声を上げたくとも、口だけが無意味に動くだけだった。
そんな時、兄が振り向いた。
その顔を見た瞬間、小さな悲鳴が喉奥からこぼれれる。
歪んだ愛。それが極まった時、人は姿を変える。
あの優秀で優しかった兄の笑顔は、悪魔の如く邪に歪み、薄く開いた口からはあふれ出る涎が垂れ流される。
兄は微笑みながらゆっくりと近づいてきた。
――怖い。
初めて兄をそう思った――。
●
「くそっ……嫌な事を思い出させる」
アーシェルは、真っ赤に染まった右目に疼きを感じ押さえつけた。
心臓の鼓動と連動する様にうずく右目。元々この右目は、左目と同じ綺麗な金色をしていた。それがあの日……あの凄惨な出来事を経て、赤く血の色に染まった――。
今でもあの感触を覚えている。
父に助けを求めようと雪の上に横たわる体を揺する。反応はない。
母に声をかける。――反応はない。
どうすればいいのかわからず、冷たくなっていく父と母の間を右往左往していると、突然の頭を襲った衝撃に気を失った――。
窒息感に目が覚める。
空気が欲しくてもがくがいくら吸い込んでも何も入ってこない。
目を見開けば、目の前では兄の顔が愉悦に歪んいた。
――殺される。
俺は恐怖から逃れようと激しくもがく。指先にこつんと硬質の何かが触れたのを感じ、必死で手に取った。
意味も解らず、無我夢中で振り上げる。
――ズっ……。
その感触は初めて経験するものだった。
分厚いステーキにナイフを落としこんだ時の様な、ゆっくりと沈んでいく感触。
軽い抵抗感と共に手から伸びた硬質は、兄の首へと吸い込まれていった。
それは父親が兄に抵抗した時に取り出し、何の役割も果たせずに地に転がった短剣だった。
ごふっと喉の奥からドロリとしたものが吐き出される。熱を持った赤いそれが俺の右目を直撃した。
半分が赤に染まる世界に呆然となりつつも、必死に抜け出そうともがく。
ぐるりと狂気にくるっていた瞳が回転し、首を絞めつけていた力が緩んだ。
ようやく動くことを許された肺が、冬の凍てついた空気を胸一杯に吸い込む。
何度も繰り返された荒い呼吸の末に、俺は震えながら立ち上がった。
真っ白な雪を真っ赤に染める鮮血の赤が広がっていく。
白かった世界が赤く変遷していった。
●
「どこで狂っちまったんだ……」
すっかり男のそれに変貌した喉に手を当てる。あの日、同じ大きさの手があてがわれた場所だ。
「もう、8年か」
左目を閉じると、世界が真っ赤に染まる。あの日、兄の血を受け赤に染まった右目だけで見る景色は、全てを赤に染められるようになってしまった。
「ほんと、後悔ばかりの人生だな……」
全てを覆う銀世界を見つめる。
あの凄惨な過去を捨てて、新しい人生をつかみ取れるのか。
後悔しかない過去をいつか忘れ、この雪原の様に真っ白な世界に一歩を踏み出せるのか。
この雪の上に刻まれた一本の足跡をたどれば、それが見つかるだろうか。
丘の向こうへと続く足跡は、俺を導いてくれる未来か。それとも、地獄へ誘う過去か。
「変われるのか、俺は……」
その呟きは白銀の世界に小さなを音を落として消えた――。