セロンガードと冥界への扉
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年01月05日 10時19分22秒
純白の雪が舞い降りていた。
聖霊節、冬を彩る祭典の夜にそれは起こった。
(神々の名に懸けて、おぞましきはメドゥの指先め)
壮年の男が一人、地下水路の奥に築かれていた聖堂の柱の陰に身を隠していた。
彼の名はパウルス・ケーニヒスエック、見えざる見張り番に所属する精鋭の諜報員である。
パウルスはこのリヒテンシュタットの町に潜伏するメドゥの指先を調査する為、石工に扮して潜り込んでいた。
輝ける石の町の名の通りこの町は大理石が特産だ。石を削り出す為に町の地層のあちこちが採掘されている。
町中を巡る水路と地下道はその副産物で、地下深く隠れるよう築かれたこの祭壇は、そのさらなる副産物といえよう。
(連中、一体何を企んでやがる)
パウルスが身を隠す大理石の柱は白色だったが、闇の中炎の光に照らし出され橙色に染まっていた。
地下祭壇の床には火を灯した蝋燭が円形状に無数に並べられていた。さらに鶏の首を切って滴らせた血を用いて、赤黒い魔法陣が描かれている。
黒いフード付きの長衣に身を包んだ男女が、魔法陣に沿って反時計回りに円を描くように行進しながら一心不乱に何事かを詠い続けている。
さらに、祭壇の位置を円時計の十二時方向と見立てて六時の位置に、黒ローブの老人が立っていた。
老人は長い杖と禍々しい装丁が成された黒い本を持ち、全体の拍子を取るように両腕を上げ下げしながら時折り奇声を発している。
(なんの儀式だこりゃ……)
どうみても邪悪なものに間違いは無さそうだったが、一体これがどんな効果を及ぼすものなのかは、パウルスの知識では判別がつかない。
邪魔するべきか、それとも結果を見届けてから諜報部隊の本部へと報告すべきか。
諜報員は迷ったが、結局、後者を選択した。
自分一人だけでは多勢に無勢、返り討ちにされるだけだと思われたからだ。
やがて儀式が最高潮に達すると、空間が割れた。
(――っ?!)
パウルスは言葉を失った。
魔法陣の真上、中空より生じた暗黒の亀裂から、腐乱した肉体を持つ人型の群れが、わらわらと這い出て来たのだ。
魔法陣の周囲を歩き回っていた黒ローブ達が急に身をよじらせ苦しみだした。
パウルスもまた体内に違和感を感じていた。精鋭の授恵者である彼は咄嗟にエーテルを操作し、抵抗力を活性化させる。
脂汗を流しながらパウルスが覗き見る中で、黒ローブ達は次々に地に倒れ、そして杖と本を持っていた黒ローブの老人は、暗黒から湧き出た腐乱人達に群がられ、生きたまま喰われていった。
断末魔の悲鳴が地下深くに轟いてゆく。
メドゥの指先を探るべく町に送り込んだ精鋭諜報員からの連絡が途絶えた、とセロンガード・シュタインドルフ達に知らされたのは、この三日後の事だった。
●
(大丈夫かな……)
セロンは心配だった。
この時、彼は十五歳だった。
この間までは先輩と組んで動いていたのだが、つい先日からは新しく諜報部隊に入って来た新人と組まされていたのである。
新人の名はゾフィー・マルテル、十四歳の銀髪少女だった。セロンの一学年下の弩弓課程を首席卒業してきた優秀な新人だ。
だから才能的な意味では、あまり心配はいらない。
だが、ゾフィーはかつてセロンが卒業検定で破ったカサンドラを深く敬愛していた。
ゾフィーの中でセロンは、カサンドラの首席卒業を阻み、五十過ぎの大層評判の悪い男の元へ嫁がされる運命に叩き落とした、憎たらしい男として記憶されているらしかった。
「――貴方にとっては初任務ですね。ゾフィー、頑張ってゆきましょう」
黒髪の少年は笑顔を作り、出来るだけ穏やかに声をかける。
銀髪ポニーテールの小柄な少女は、赤色の氷塊から削り出された刃のような瞳を光らせて、セロンを睨みつけてきた。
少女は眉間に深々と皺を刻み、舌打ちでもしそうな形相で、
「…………ええ」
唸るような声で返事をよこす。
任務を貰う前に顔合わせをした時もこうだった。まともに会話すらしてくれない。
(なんで上は僕とこの子を組ませたんだっ?!)
セロンは笑顔のまま胸中で悲鳴をあげる。
仮にも情報を司る諜報部隊だ、セロンとゾフィーの間に険悪な因縁がある事くらい十分以上に把握しているだろうに。
「何、お前ら、喧嘩でもしてんの?」
今回、共に同じ任務にあたる事になった先輩諜報員が興味深そうにセロンとゾフィーを見た。
二十代そこそこの中背の犬の半獣人の男だ。名をフォルカーという。実力もさる事ながら身元の信用も重視されるこの諜報部隊では珍しいハーフビーストだ。
セロンが返答に困っているとゾフィーが首を左右に振った。
「いいえ」
「それにしちゃあ、随分と険悪に見えるけど?」
ベリーショートの金髪を持つ、180cmの女性としてはかなりの高長身を持つ女がゆらりと首を傾げた。こちらも歳は二十代半ば程度に見える。だがその耳は尖っていた。フォルカーよりもさらに珍しい森エルフだ。名はルイーゼ。
「喧嘩はしていません。ただ、私がこの男を大嫌いなだけです」
「ふぅん、任務には私情を持ち込むなよ?」
四角ばった顔立ちの屈強な大男がニタリと笑い、野太い声を発した。
「お前たちの因縁は聞いている。だが、チームの基本は協力だ。それが出来ない奴は死ぬからな、というか己が殺す。気をつけろよ、ハハッ!」
齢は三十そこそこといった所だろうか。今回のチームリーダーは彼、グスタフだった。燃えるような赤髪を刈り上げている。かなりの強面である。陽気な男だが、危険な男だ。噂では規律に違反した隊員を本当に何人も殺しているらしい。
小柄なポニテ娘は赤眼を糸のように細め、顎を反らしてグスタフを見下ろすように睨み上げると、
「――ええ、せいぜい気をつけますよ、このパワハラクソ野郎」
セロンは右手で額を覆い、三人の先輩達は爆笑した。
「おいセロンッ、バディはお前だ! そのおチビさんの教育はお前がしっかりつけてやれよ! でないと、こいつぁ早死にするぜ!」
グスタフが大笑いしながら言う。
はい、と返事をしつつ、胃が痛くなるセロンだった。
●
ヴェヒター・ヌルの隊員五名は馬を飛ばし輝ける石の町へと向かった。
二日目の昼には町の付近へと辿り着いたのだが、
(……なんだか、妙だな)
セロンは鞍上より町の様子に違和感を覚え、そしてすぐにその原因に気づいた。
「リーダー! 門前にも壁の上にも歩哨が一人も見えません! おかしくないですか?!」
「ぬぁにぃ?!」
グスタフはセロンからの声を受け一行に停止を命じた。
そしてフォルカーに音を聞くように言う。
半獣人は瞳を閉じて犬耳を動かし、
「……確かにおかしい。静かすぎる」
金色の瞳を開け、
「町から人っ子一人いなくなっちまったみたいだ。音がしねぇ」
一行は警戒しながら無人の門へと近づいた。
ルイーゼが壁走りで町壁を乗り越えて侵入し、門を開いて、一行を引き入れる。
中に侵入すると、町は無人だった。
●
セロン達は町中を回り、馬を役所の厩に繋ぐと、それから家々に入って見て回った。
すると大抵の家には食べかけの食事が残されていた。
聖霊節の晩に出される定番の料理達だ。
まるで晩餐の途中で町の人間全員が忽然と消えてしまったかのようだった。
「一体何が……?」
セロンには解らなかった。
視線をグスタフに向けると彼も首を振り、
「己にも皆目見当もつかねぇ。お前ら、わかるか?」
「『笛吹き男』でも出たんじゃね?」
フォルカーが肩を竦め、ルイーザが顔を顰めた。
「鼠退治の?」
笛吹男の伝説はセロンも聞いた事があった。
古い古い御伽噺だ。
「そうそう、子供達だけでなく、町の住民全員をも操って連れ去っちまった、ってな」
「バカ、真面目に考えなさいな」
「へいへい」
「……しかし」
セロンは腕組みして思案しながら、
「争った跡が無いのは確かですね。死体も無い。大人数が自発的に一斉に家から出ていかない限り、こうはならない。この光景を産み出すには、他にも一応、町中の人間だけを一瞬で跡形も無く消滅させるという方法もあるのかもしれませんが、そんなのは、より非現実的です」
一同は沈黙した。
やや経ってから、
「強力な集団催眠か……?」
グスタフが呟いた。
「ありうるなら、それっぽいわね」
「さっきお前俺の事バカって」
「っさいわねバカ」
「ヒデェ」
「自分で言っといてなんだが、こんな広範囲にか?」
「メドゥの指先が居るんでしょこの町、連中だったらそれくらいやっても不思議じゃないわよ」
グスタフは唸った。
セロンもまた頷き。
「リーダー、操られているなら、消えた訳ではありません。移動した痕跡が何か残っているかも」
「そうだな……そこらの家中、バラバラに手分けして探してみるか。ただゾフィー、お前はセロンと一緒に行動しろ、良いな」
「……わかりました」
それまでずっと無言だったゾフィーは小さく頷いた。
先輩達が次々に家から出てゆく。
「ゾフィー、私達も行きましょう」
セロンは小柄な十四歳の少女へと呼びかけた。
しかし彼女は答えず、への字に口を結んで、何かを堪えるかのようにセロンをじっと睨み上げている。
「……ゾフィー?」
「心配しなくとも、聞こえていますよシュタインドルフ、さっさと行ってください」
「はい」
セロンは頷くと踵を返し歩き出す。
やや遅れてゾフィーが後ろからついてくる気配がした。
●
家々を捜索する事しばし、セロンとゾフィーはとある家の床から赤い痕が点々と道へと続いているのを発見した。
どうやらこの家の住人は何らかの理由により出血したらしい。
二人は血痕を追った。
すると対象は町を巡る用水路の側道へと入り、さらに地下深くへと向かっているようだった。暗渠だ。
「これは一度、先輩達と合流した方が良いですね」
セロンが言うとゾフィーが睨んできた。
「それともゾフィー、私達二人だけで地下へと踏み込みますか?」
「……そこまで考え無しじゃないです」
むすっとした顔で小柄な少女は首を横に振った。
紋具を使って先輩達へと呼びかけると、彼等はすぐにやってきた。
「よしよし良く己達を待ったなお前ら上出来だ。それでこそチームだ」
グスタフが破顔してセロン達を褒めた。
「最近の新人は賢明だねぇ、手柄を焦ったりしない、なぁ?」
「うるさいよバカ」
フォルカーがルイーザへと視線をやって笑い、森エルフは苦虫を潰したような顔でそっぽを向いた。
全員暗視能力持ちであるので一行は特に光源は灯さず、そのまま地下へと踏み込んだのだった。
●
町の地下はさながら迷宮のごとく入り組んでいた。
長年の採掘作業が、町の地下をそのように変えていた。
セロン達が血痕を辿って進んでゆくと、やがて巨大な空間へと出た。
「町の地下にこんな場所があるなんて……」
セロン達が周囲を見回しながら巨大空洞を進んでゆくと、やがてホールの周囲に無数に空いている穴から多数の人影が姿を現し始めた。
目の良いセロンには彼等の身の仔細がハッキリと見えた。
「……ゾンビ?!」
肉体がグズグズに崩れ腐乱した死体のようになった人々が、夢遊病患者のような足取りで八方向より迫って来る。
セロンがその事を皆へと告げると、
「ゾンビだってぇっ?!」
「どうするの?」
「降りかかる火の粉は払うしかねぇな。やるぞ!」
諜報員達は円陣を組み弓矢を構え応戦を開始した。
矢が次々に飛び、ゾンビ達がバタバタと射倒されてゆく。
しかし、穴の奥から次から次へと亡者達は湧いて出て来た。
「切りがありません!」
セロンは弓に矢を番え放ちながら、焦りを覚え始めていた。
「このペースだと矢の方が先に無くなります!」
「……チィッ!! 仕方ねぇな、撤退だ、撤退ッ!! 地上へ一旦戻るぞ!!」
グスタフの指示のもと、一行は元来た道の方へと退却を開始する。
が、
「うそっ?! 扉が閉まってる?!」
女エルフが悲鳴をあげた。
ホールに入る時には開いていた筈の扉が今は閉まり、退路が遮断されていた。
蹴りつけ、体当たりししても頑強な鋼鉄の扉はビクともしない。その間にゾンビ達が迫って来る。
「畜生! 他のルートを探すんだ!!」
グスタフが叫び、諜報員達は扉を諦め移動を開始した。
比較的ゾンビの少ない方へと八方より迫るゾンビ達を蹴散らしながら突き進む。
「矢が尽きた――!」
セロンは唸り弓を背の留め金に嵌めると、腰から剣を抜き放った。
他のメンバーも矢が尽きたか次々に剣を抜き放ってゆく。
一行は亡者を斬り伏せながら空洞より脱出し暗い地下道を死に物狂いで駆けた。
息があがり、汗が噴出し、滝のように流れてゆく。肺と心臓が破裂しそうだ。視界が霞んでゆく。
だが、止まる訳にはいかなかった。
五人は走り続けた。
亡者の大群に追われながら地下水路の脇の細い道へと入った時、疲労困憊した様子のゾフィーがバランスを崩し足を滑らせた。
「あっ……」
少女の掠れた声が響く。
セロンは咄嗟に身を乗り出し手を伸ばした。
だが、伸ばした手は空だけを切り、少女へは届かなかった。
「ゾフィー!」
銀髪の少女は怒涛の勢いで流れる水の中へと落ちていった。
●
気が付いた時、ゾフィーは地下水路の浅い箇所に打ち上げられていた。
身を起こすと眩暈がして、気分が悪くなって、胃の中の物をげぼりと吐き出した。
どうやら大分、水を飲んでしまったようだ。
涙目になりながらげぇげぇと吐き出し激しく咳き込む。
(私、何やってんだろ)
少女の脳裏をそんな思いがよぎった。
思いっきり皆の足を引っ張っている。
なんとかまだ生きているが、こんなゾンビが湧き出て来る地下深くで皆とはぐれてしまった。
ここは何処だろう。
ずぶ濡れになったせいもあって、凍えるように寒い。
(カサンドラ様ぁ)
無性に敬愛する友人に会いたくなった。
ゾフィーに優しくしてくれるのはカサンドラだけだ。
再び帰れるだろうか。
もう、帰れない?
自分もここで腐った死体への仲間入りを果たすのだろうか。
なんだか泣けてきた。
泣きながら、よろよろと通路へとよじ登る。
――貴女は私なんかよりずっと才能があるから、きっと立派になれるわ。
軍人の道を諦める事になってしまったカサンドラはゾフィーへとそう言った。
だからゾフィーは頑張った。首席にもなった。
けど、この体たらくはなんだろう?
まだ若いから仕方ない?
しかし、一つしか変わらないセロンは既に立派にチームの一員として戦力になっているではないか。
自分は今回の初任務、まるで何の役にも立っていなかった。
(御免なさい、カサンドラ様、私は駄目な奴でした……)
涙を流し、嗚咽を洩らして、小さな身を震わせていると、通路の向こうからゾンビが現れた。
血の気が引いた。
剣。
いつの間にか取り落としてしまっていた。
弓。
背に負っているが矢がもう無い。
(に、逃げなきゃ!)
喉と肺を痙攣させ、身を震わせながら、慌てて立ち上がり、踵を返し、駆け出す。
振り向いた先にもゾンビが居た。
「あ」
激突した。
組みつかれる。
ゾフィーは亡者に仰向けに押し倒され、首元に噛みつかれた。
焼けるような痛みが走り抜ける。
悲鳴が口から洩れた。
白い首の肉が喰い千切られ鮮血が噴出する。
再びゾンビが顔を近づけて来る。少女は無我夢中で両手で腐乱した顔を抑え、必死に押し返す。もう一体のゾンビがやってきてゾフイーへと黄色い歯を突き立てた。
(痛痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!)
ゾフィーは恐慌し絶叫をあげた。
足をバタつかせもがくが、しかしゾンビは動きは遅いが力は信じられない程に強力で、跳ねのけられない。
死の気配が急速に迫って来る。
「あ、あ、あ、あ、あ……!」
涙に滲んだ少女の赤瞳に絶望の陰が差した時、
「ゾフィー!!」
駆けて来る足音が響いて、二体のゾンビが吹き飛び、その首が転がり落ちる。
「今、手当します!」
闇に光が出現してゾフィーの傷口にあてられる。
血が止まり、肉が盛り上がって、痛みが急速に引いてゆく。
ゾフィーは赤瞳よりポロポロと涙を零しながらセロンを見上げ、言った。
「シュタインドルフ、先輩……」
「なんですっ?」
「来る、のが、遅いっ!!」
●
先輩達に前後を防いで貰っている間にセロンはゾフィーを手当し、手を引いて立ち上がらせた。
それを見たグスタフが、
「行くぞ!」
叫び、ゾンビを斬り倒しながら再び駆け出す。セロンは剣を右手に左手でゾフィーの手を引きながら後に続いた。
暗い地下水路を亡者を斬り倒しながら駆け回り、一行についに限界が訪れようとした頃、
「こっちだ!!」
不意に、人間の声が響いた。
「パウルス!」
ルイーザが弾んだ声をあげた。
壮年の男が部屋の入口から身を乗り出し手招きをしている。
セロン達が部屋へ雪崩れ込むと、パウルスは壁の一部を押した。
入口の上方から鉄板が勢いよく降りて来て、通路と部屋とを遮断する。
息を殺して様子を窺う。
ゾンビ達はゴンゴンとしばらく鉄扉を叩き続けていたが、やがて諦めたのか扉前から去ってゆく気配がした。
「パウルス、あんた、生きてたの」
「なんとかな」
「あんたがこの町の担当か。助かったぜ」
「この町、一体何があったんだ?」
一行はパウルスに状況を尋ねつつ、四角い部屋の中で休息を取ったのだった。
聖霊節、冬を彩る祭典の夜にそれは起こった。
(神々の名に懸けて、おぞましきはメドゥの指先め)
壮年の男が一人、地下水路の奥に築かれていた聖堂の柱の陰に身を隠していた。
彼の名はパウルス・ケーニヒスエック、見えざる見張り番に所属する精鋭の諜報員である。
パウルスはこのリヒテンシュタットの町に潜伏するメドゥの指先を調査する為、石工に扮して潜り込んでいた。
輝ける石の町の名の通りこの町は大理石が特産だ。石を削り出す為に町の地層のあちこちが採掘されている。
町中を巡る水路と地下道はその副産物で、地下深く隠れるよう築かれたこの祭壇は、そのさらなる副産物といえよう。
(連中、一体何を企んでやがる)
パウルスが身を隠す大理石の柱は白色だったが、闇の中炎の光に照らし出され橙色に染まっていた。
地下祭壇の床には火を灯した蝋燭が円形状に無数に並べられていた。さらに鶏の首を切って滴らせた血を用いて、赤黒い魔法陣が描かれている。
黒いフード付きの長衣に身を包んだ男女が、魔法陣に沿って反時計回りに円を描くように行進しながら一心不乱に何事かを詠い続けている。
さらに、祭壇の位置を円時計の十二時方向と見立てて六時の位置に、黒ローブの老人が立っていた。
老人は長い杖と禍々しい装丁が成された黒い本を持ち、全体の拍子を取るように両腕を上げ下げしながら時折り奇声を発している。
(なんの儀式だこりゃ……)
どうみても邪悪なものに間違いは無さそうだったが、一体これがどんな効果を及ぼすものなのかは、パウルスの知識では判別がつかない。
邪魔するべきか、それとも結果を見届けてから諜報部隊の本部へと報告すべきか。
諜報員は迷ったが、結局、後者を選択した。
自分一人だけでは多勢に無勢、返り討ちにされるだけだと思われたからだ。
やがて儀式が最高潮に達すると、空間が割れた。
(――っ?!)
パウルスは言葉を失った。
魔法陣の真上、中空より生じた暗黒の亀裂から、腐乱した肉体を持つ人型の群れが、わらわらと這い出て来たのだ。
魔法陣の周囲を歩き回っていた黒ローブ達が急に身をよじらせ苦しみだした。
パウルスもまた体内に違和感を感じていた。精鋭の授恵者である彼は咄嗟にエーテルを操作し、抵抗力を活性化させる。
脂汗を流しながらパウルスが覗き見る中で、黒ローブ達は次々に地に倒れ、そして杖と本を持っていた黒ローブの老人は、暗黒から湧き出た腐乱人達に群がられ、生きたまま喰われていった。
断末魔の悲鳴が地下深くに轟いてゆく。
メドゥの指先を探るべく町に送り込んだ精鋭諜報員からの連絡が途絶えた、とセロンガード・シュタインドルフ達に知らされたのは、この三日後の事だった。
●
(大丈夫かな……)
セロンは心配だった。
この時、彼は十五歳だった。
この間までは先輩と組んで動いていたのだが、つい先日からは新しく諜報部隊に入って来た新人と組まされていたのである。
新人の名はゾフィー・マルテル、十四歳の銀髪少女だった。セロンの一学年下の弩弓課程を首席卒業してきた優秀な新人だ。
だから才能的な意味では、あまり心配はいらない。
だが、ゾフィーはかつてセロンが卒業検定で破ったカサンドラを深く敬愛していた。
ゾフィーの中でセロンは、カサンドラの首席卒業を阻み、五十過ぎの大層評判の悪い男の元へ嫁がされる運命に叩き落とした、憎たらしい男として記憶されているらしかった。
「――貴方にとっては初任務ですね。ゾフィー、頑張ってゆきましょう」
黒髪の少年は笑顔を作り、出来るだけ穏やかに声をかける。
銀髪ポニーテールの小柄な少女は、赤色の氷塊から削り出された刃のような瞳を光らせて、セロンを睨みつけてきた。
少女は眉間に深々と皺を刻み、舌打ちでもしそうな形相で、
「…………ええ」
唸るような声で返事をよこす。
任務を貰う前に顔合わせをした時もこうだった。まともに会話すらしてくれない。
(なんで上は僕とこの子を組ませたんだっ?!)
セロンは笑顔のまま胸中で悲鳴をあげる。
仮にも情報を司る諜報部隊だ、セロンとゾフィーの間に険悪な因縁がある事くらい十分以上に把握しているだろうに。
「何、お前ら、喧嘩でもしてんの?」
今回、共に同じ任務にあたる事になった先輩諜報員が興味深そうにセロンとゾフィーを見た。
二十代そこそこの中背の犬の半獣人の男だ。名をフォルカーという。実力もさる事ながら身元の信用も重視されるこの諜報部隊では珍しいハーフビーストだ。
セロンが返答に困っているとゾフィーが首を左右に振った。
「いいえ」
「それにしちゃあ、随分と険悪に見えるけど?」
ベリーショートの金髪を持つ、180cmの女性としてはかなりの高長身を持つ女がゆらりと首を傾げた。こちらも歳は二十代半ば程度に見える。だがその耳は尖っていた。フォルカーよりもさらに珍しい森エルフだ。名はルイーゼ。
「喧嘩はしていません。ただ、私がこの男を大嫌いなだけです」
「ふぅん、任務には私情を持ち込むなよ?」
四角ばった顔立ちの屈強な大男がニタリと笑い、野太い声を発した。
「お前たちの因縁は聞いている。だが、チームの基本は協力だ。それが出来ない奴は死ぬからな、というか己が殺す。気をつけろよ、ハハッ!」
齢は三十そこそこといった所だろうか。今回のチームリーダーは彼、グスタフだった。燃えるような赤髪を刈り上げている。かなりの強面である。陽気な男だが、危険な男だ。噂では規律に違反した隊員を本当に何人も殺しているらしい。
小柄なポニテ娘は赤眼を糸のように細め、顎を反らしてグスタフを見下ろすように睨み上げると、
「――ええ、せいぜい気をつけますよ、このパワハラクソ野郎」
セロンは右手で額を覆い、三人の先輩達は爆笑した。
「おいセロンッ、バディはお前だ! そのおチビさんの教育はお前がしっかりつけてやれよ! でないと、こいつぁ早死にするぜ!」
グスタフが大笑いしながら言う。
はい、と返事をしつつ、胃が痛くなるセロンだった。
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ヴェヒター・ヌルの隊員五名は馬を飛ばし輝ける石の町へと向かった。
二日目の昼には町の付近へと辿り着いたのだが、
(……なんだか、妙だな)
セロンは鞍上より町の様子に違和感を覚え、そしてすぐにその原因に気づいた。
「リーダー! 門前にも壁の上にも歩哨が一人も見えません! おかしくないですか?!」
「ぬぁにぃ?!」
グスタフはセロンからの声を受け一行に停止を命じた。
そしてフォルカーに音を聞くように言う。
半獣人は瞳を閉じて犬耳を動かし、
「……確かにおかしい。静かすぎる」
金色の瞳を開け、
「町から人っ子一人いなくなっちまったみたいだ。音がしねぇ」
一行は警戒しながら無人の門へと近づいた。
ルイーゼが壁走りで町壁を乗り越えて侵入し、門を開いて、一行を引き入れる。
中に侵入すると、町は無人だった。
●
セロン達は町中を回り、馬を役所の厩に繋ぐと、それから家々に入って見て回った。
すると大抵の家には食べかけの食事が残されていた。
聖霊節の晩に出される定番の料理達だ。
まるで晩餐の途中で町の人間全員が忽然と消えてしまったかのようだった。
「一体何が……?」
セロンには解らなかった。
視線をグスタフに向けると彼も首を振り、
「己にも皆目見当もつかねぇ。お前ら、わかるか?」
「『笛吹き男』でも出たんじゃね?」
フォルカーが肩を竦め、ルイーザが顔を顰めた。
「鼠退治の?」
笛吹男の伝説はセロンも聞いた事があった。
古い古い御伽噺だ。
「そうそう、子供達だけでなく、町の住民全員をも操って連れ去っちまった、ってな」
「バカ、真面目に考えなさいな」
「へいへい」
「……しかし」
セロンは腕組みして思案しながら、
「争った跡が無いのは確かですね。死体も無い。大人数が自発的に一斉に家から出ていかない限り、こうはならない。この光景を産み出すには、他にも一応、町中の人間だけを一瞬で跡形も無く消滅させるという方法もあるのかもしれませんが、そんなのは、より非現実的です」
一同は沈黙した。
やや経ってから、
「強力な集団催眠か……?」
グスタフが呟いた。
「ありうるなら、それっぽいわね」
「さっきお前俺の事バカって」
「っさいわねバカ」
「ヒデェ」
「自分で言っといてなんだが、こんな広範囲にか?」
「メドゥの指先が居るんでしょこの町、連中だったらそれくらいやっても不思議じゃないわよ」
グスタフは唸った。
セロンもまた頷き。
「リーダー、操られているなら、消えた訳ではありません。移動した痕跡が何か残っているかも」
「そうだな……そこらの家中、バラバラに手分けして探してみるか。ただゾフィー、お前はセロンと一緒に行動しろ、良いな」
「……わかりました」
それまでずっと無言だったゾフィーは小さく頷いた。
先輩達が次々に家から出てゆく。
「ゾフィー、私達も行きましょう」
セロンは小柄な十四歳の少女へと呼びかけた。
しかし彼女は答えず、への字に口を結んで、何かを堪えるかのようにセロンをじっと睨み上げている。
「……ゾフィー?」
「心配しなくとも、聞こえていますよシュタインドルフ、さっさと行ってください」
「はい」
セロンは頷くと踵を返し歩き出す。
やや遅れてゾフィーが後ろからついてくる気配がした。
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家々を捜索する事しばし、セロンとゾフィーはとある家の床から赤い痕が点々と道へと続いているのを発見した。
どうやらこの家の住人は何らかの理由により出血したらしい。
二人は血痕を追った。
すると対象は町を巡る用水路の側道へと入り、さらに地下深くへと向かっているようだった。暗渠だ。
「これは一度、先輩達と合流した方が良いですね」
セロンが言うとゾフィーが睨んできた。
「それともゾフィー、私達二人だけで地下へと踏み込みますか?」
「……そこまで考え無しじゃないです」
むすっとした顔で小柄な少女は首を横に振った。
紋具を使って先輩達へと呼びかけると、彼等はすぐにやってきた。
「よしよし良く己達を待ったなお前ら上出来だ。それでこそチームだ」
グスタフが破顔してセロン達を褒めた。
「最近の新人は賢明だねぇ、手柄を焦ったりしない、なぁ?」
「うるさいよバカ」
フォルカーがルイーザへと視線をやって笑い、森エルフは苦虫を潰したような顔でそっぽを向いた。
全員暗視能力持ちであるので一行は特に光源は灯さず、そのまま地下へと踏み込んだのだった。
●
町の地下はさながら迷宮のごとく入り組んでいた。
長年の採掘作業が、町の地下をそのように変えていた。
セロン達が血痕を辿って進んでゆくと、やがて巨大な空間へと出た。
「町の地下にこんな場所があるなんて……」
セロン達が周囲を見回しながら巨大空洞を進んでゆくと、やがてホールの周囲に無数に空いている穴から多数の人影が姿を現し始めた。
目の良いセロンには彼等の身の仔細がハッキリと見えた。
「……ゾンビ?!」
肉体がグズグズに崩れ腐乱した死体のようになった人々が、夢遊病患者のような足取りで八方向より迫って来る。
セロンがその事を皆へと告げると、
「ゾンビだってぇっ?!」
「どうするの?」
「降りかかる火の粉は払うしかねぇな。やるぞ!」
諜報員達は円陣を組み弓矢を構え応戦を開始した。
矢が次々に飛び、ゾンビ達がバタバタと射倒されてゆく。
しかし、穴の奥から次から次へと亡者達は湧いて出て来た。
「切りがありません!」
セロンは弓に矢を番え放ちながら、焦りを覚え始めていた。
「このペースだと矢の方が先に無くなります!」
「……チィッ!! 仕方ねぇな、撤退だ、撤退ッ!! 地上へ一旦戻るぞ!!」
グスタフの指示のもと、一行は元来た道の方へと退却を開始する。
が、
「うそっ?! 扉が閉まってる?!」
女エルフが悲鳴をあげた。
ホールに入る時には開いていた筈の扉が今は閉まり、退路が遮断されていた。
蹴りつけ、体当たりししても頑強な鋼鉄の扉はビクともしない。その間にゾンビ達が迫って来る。
「畜生! 他のルートを探すんだ!!」
グスタフが叫び、諜報員達は扉を諦め移動を開始した。
比較的ゾンビの少ない方へと八方より迫るゾンビ達を蹴散らしながら突き進む。
「矢が尽きた――!」
セロンは唸り弓を背の留め金に嵌めると、腰から剣を抜き放った。
他のメンバーも矢が尽きたか次々に剣を抜き放ってゆく。
一行は亡者を斬り伏せながら空洞より脱出し暗い地下道を死に物狂いで駆けた。
息があがり、汗が噴出し、滝のように流れてゆく。肺と心臓が破裂しそうだ。視界が霞んでゆく。
だが、止まる訳にはいかなかった。
五人は走り続けた。
亡者の大群に追われながら地下水路の脇の細い道へと入った時、疲労困憊した様子のゾフィーがバランスを崩し足を滑らせた。
「あっ……」
少女の掠れた声が響く。
セロンは咄嗟に身を乗り出し手を伸ばした。
だが、伸ばした手は空だけを切り、少女へは届かなかった。
「ゾフィー!」
銀髪の少女は怒涛の勢いで流れる水の中へと落ちていった。
●
気が付いた時、ゾフィーは地下水路の浅い箇所に打ち上げられていた。
身を起こすと眩暈がして、気分が悪くなって、胃の中の物をげぼりと吐き出した。
どうやら大分、水を飲んでしまったようだ。
涙目になりながらげぇげぇと吐き出し激しく咳き込む。
(私、何やってんだろ)
少女の脳裏をそんな思いがよぎった。
思いっきり皆の足を引っ張っている。
なんとかまだ生きているが、こんなゾンビが湧き出て来る地下深くで皆とはぐれてしまった。
ここは何処だろう。
ずぶ濡れになったせいもあって、凍えるように寒い。
(カサンドラ様ぁ)
無性に敬愛する友人に会いたくなった。
ゾフィーに優しくしてくれるのはカサンドラだけだ。
再び帰れるだろうか。
もう、帰れない?
自分もここで腐った死体への仲間入りを果たすのだろうか。
なんだか泣けてきた。
泣きながら、よろよろと通路へとよじ登る。
――貴女は私なんかよりずっと才能があるから、きっと立派になれるわ。
軍人の道を諦める事になってしまったカサンドラはゾフィーへとそう言った。
だからゾフィーは頑張った。首席にもなった。
けど、この体たらくはなんだろう?
まだ若いから仕方ない?
しかし、一つしか変わらないセロンは既に立派にチームの一員として戦力になっているではないか。
自分は今回の初任務、まるで何の役にも立っていなかった。
(御免なさい、カサンドラ様、私は駄目な奴でした……)
涙を流し、嗚咽を洩らして、小さな身を震わせていると、通路の向こうからゾンビが現れた。
血の気が引いた。
剣。
いつの間にか取り落としてしまっていた。
弓。
背に負っているが矢がもう無い。
(に、逃げなきゃ!)
喉と肺を痙攣させ、身を震わせながら、慌てて立ち上がり、踵を返し、駆け出す。
振り向いた先にもゾンビが居た。
「あ」
激突した。
組みつかれる。
ゾフィーは亡者に仰向けに押し倒され、首元に噛みつかれた。
焼けるような痛みが走り抜ける。
悲鳴が口から洩れた。
白い首の肉が喰い千切られ鮮血が噴出する。
再びゾンビが顔を近づけて来る。少女は無我夢中で両手で腐乱した顔を抑え、必死に押し返す。もう一体のゾンビがやってきてゾフイーへと黄色い歯を突き立てた。
(痛痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!)
ゾフィーは恐慌し絶叫をあげた。
足をバタつかせもがくが、しかしゾンビは動きは遅いが力は信じられない程に強力で、跳ねのけられない。
死の気配が急速に迫って来る。
「あ、あ、あ、あ、あ……!」
涙に滲んだ少女の赤瞳に絶望の陰が差した時、
「ゾフィー!!」
駆けて来る足音が響いて、二体のゾンビが吹き飛び、その首が転がり落ちる。
「今、手当します!」
闇に光が出現してゾフィーの傷口にあてられる。
血が止まり、肉が盛り上がって、痛みが急速に引いてゆく。
ゾフィーは赤瞳よりポロポロと涙を零しながらセロンを見上げ、言った。
「シュタインドルフ、先輩……」
「なんですっ?」
「来る、のが、遅いっ!!」
●
先輩達に前後を防いで貰っている間にセロンはゾフィーを手当し、手を引いて立ち上がらせた。
それを見たグスタフが、
「行くぞ!」
叫び、ゾンビを斬り倒しながら再び駆け出す。セロンは剣を右手に左手でゾフィーの手を引きながら後に続いた。
暗い地下水路を亡者を斬り倒しながら駆け回り、一行についに限界が訪れようとした頃、
「こっちだ!!」
不意に、人間の声が響いた。
「パウルス!」
ルイーザが弾んだ声をあげた。
壮年の男が部屋の入口から身を乗り出し手招きをしている。
セロン達が部屋へ雪崩れ込むと、パウルスは壁の一部を押した。
入口の上方から鉄板が勢いよく降りて来て、通路と部屋とを遮断する。
息を殺して様子を窺う。
ゾンビ達はゴンゴンとしばらく鉄扉を叩き続けていたが、やがて諦めたのか扉前から去ってゆく気配がした。
「パウルス、あんた、生きてたの」
「なんとかな」
「あんたがこの町の担当か。助かったぜ」
「この町、一体何があったんだ?」
一行はパウルスに状況を尋ねつつ、四角い部屋の中で休息を取ったのだった。