セロンと魔弓とエーテル訓練
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2020年12月28日 20時51分48秒
シルトラース帝国が諜報部隊、通称して『見えざる見張り番』は表向きにはこの世に存在しない事になっている。だから無だ。彼等は存在しない。だから見えない。けれども彼等は全てを見張っている。ゴーストに似ている。
であるからして、彼等が本拠としている兵舎もまた確かに存在していたが、しかし、公けには存在していない建物だった。
要するに、別の肩書の部隊が使用している事になっていた。
そんな偽装された兵舎には訓練施設が併設されている。
施設とはいっても大半は野外にあったが、そのうちの一つに射撃場があった。
黒髪黒瞳の十五歳の見えざる少年諜報員、セロンガード・シュタインドルフは、この日、長弓を手に射撃場に立っていた。
彼が手にしている弓は通常の弓ではなく『魔弓』と呼ばれる代物だった。物理的なものより澱による破壊を目的として使用される弓である。
諜報部隊では作戦で用いる武装の一つに魔弓が正式採用されていた。
黒髪の少年は左手で白鋼の弓身を握り、右手の指に呪印が刻まれた矢を挟み、矢筈を弦にかけ、目一杯に引き絞った。
夜に浮かぶ銀月が満つるが如く、弓身が円弧に大きく撓み、引かれた弦がくの字を象った。弓身が鳴くように軋音をあげる。
セロンは呼吸を止めると右手の指を外した。撓んでいた弓身が勢い良く反発して弦が動き、矢が押し出されて前方へと射出されてゆく。
呪印が刻まれた矢は、旋転しながら鋭い風切り音を上げ、閃光の如くに空間を貫いて飛び、人型の的に激突した。
放たれた矢は狙い違わず見事、薄い鉄板が貼られた的の眉間部分を捉えていた――のだが、
「あ~いからわず先輩はぁ、魔弓の扱いがへったくそですねぇ♪」
弾んだ調子で銀髪の少女ゾフィー・マルテルが笑った。セロンより一つ年下の十四歳の後輩だ。
セロンが放った矢は弾かれて地に落ちていた。本来ならこの厚さの鉄板なら十分に貫通する威力を出せる筈だった。
少年は溜息を吐くと、キューティクル豊かな銀髪をポニーテールにしている少女へと黒瞳を向け、目蓋を半分閉ざして睨んだ。
「……ごきげんだねゾフィー」
「そりゃー! この分野なら私でもセロンパイセンに勝てるって事ですからねぇ! 私、勝つのは好きですよぉ!!」
課程時代一学年下の学年首席だった少女は、小さな胸を張って笑うと、魔弓に呪矢を番え放った。
魔矢は、快音を轟かせて額の鉄板を貫通し突き立つ。
ポニテ少女はニヤニヤと嫌らしく三日月型に歪めた赤眼をセロンへと向けて来る。
「せんぱぁ~い、魔弓の使い方ぁ、私がお教えして差し上げましょうかー? 普段色々ご指導いただいてますしぃ?」
「いいや、結構」
セロンは魔弓を射撃場の台の上に戻すと、幻獣の骨と腱とミスリルらを張り合わせて作られている強弓を手に取った。
「僕にはこれがある」
番え、引き絞り、放つ。空間を一瞬で制圧した矢は、鋭音と共に鉄板をぶち抜いた。
男爵家の令嬢が眉間に皺を刻んで舌打ちする。
「ったく、これだから得意分野でゴリ押せる人は!」
「ふふん、問題無しだ」
セロンとて伊達で課程を首席卒業していない。
エーテル操作が不得手な分、他でカバー出来る力がある。
魔法が駄目なら力を上げて物理で撃ち抜けば良いじゃない、である。
「でも先輩ー」
ゾフィーがふと真顔になって小首を傾げた。
「真面目な話、苦手な部分もそれなりには出来るようになっとかないと、普通の部隊ならとかく、特殊部隊だと不味いんじゃないですかね?」
それはセロンも自身でもちょっとそんな気がする意見だったが、
「…………いやぁ、そんな事はないよ、たぶん、きっと、そうだって」
少年は明後日の方向に目を逸らしながら答えた。
ててて、と赤眼の小柄な少女が視線の先に回り込んで、背伸びして顔を近づけて来る。
「私はあると思いますよ? そして今ならこの優秀なるゾフィーちゃんが手取り足取り教えて差し上げますのよ? ほらほら」
銀髪のポニテ少女がアピールしてくる。
黒髪の少年は一歩後退った。
「う、う~ん……いや、やっぱり、良いよ」
この少女とのこれまでを思うと嫌な予感しかしない。ここぞとばかりに悪戯されたりからかわれたりしそうな気がする。
故に手を前に出してふるふると首を左右に振る。
「お気持ちだけで結構です」
少女は残念そうな顔をした。
「ちぇー、信用ないなぁ」
そんな会話をかわした数日後の事である、
「おいセロン、お前、魔弓の訓練量を増やせ」
件の鬼上官が厳しい面差しで言ったのだ。
「……魔弓、ですか」
セロンが顔を顰めると上官は、ああ、と頷き、
「お前は普通の弓は上手いが作戦によっちゃ物理火力が役に立たん場合もあるからな。そういう時に魔弓を使えませんじゃ話にならん、精鋭の名折れだ。すぐにとは言わんが、出来るだけ早くに使えるようになってくれ」
部隊からの正式な要請とあらば応えざるをえない。
「……わかりました」
が、正直、弱った所ではある。
昔からセロンはエーテルの操作は苦手なのだ。紅瞳子にも「貴方はホント弓のセンスはありますが……魔法は微妙ですよね」などと何度か呟かれたものである。
――今ならこの優秀なるゾフィーちゃんが手取り足取り教えて差し上げますのよ?
後輩の少女の得意げな顔が脳裏に浮かんだ。
が、やはりなんとはなしに彼女に頼むとロクデモナイ事になりそうな予感は、やっぱりするのだった。
●
そんな訳で、
「すいませんキャシー、魔弓の使い方のコツとかあったら、教えていただきたいのですが……お願いできませんか?」
セロンはかつて教育課程で熾烈に首席を争ったライバルへと頼む事にした。
カサンドラ・フォン・ベルリヒンゲン、元はシルトラース帝国が都市メルンホルンを治めていたベルリヒンゲン子爵家の令嬢だ。
愛称はキャシー、課程時代にちょっとした勝負をした後に「そうお呼びください」と本人から言われたのでセロンは彼女を愛称で呼んでいる。あちらも以前はシュタインドルフさん呼びだったのがその時からセロンさんになった。
課程卒業後より一年半で父親が犯した罪から家が取り潰され、現在では既に貴族令嬢ではなくなっているが、セロンらの推挙や作戦での活躍もあって部隊に抜擢された形である。それはおよそ一ヵ月程前の話だ。
今はちょうど荷解きも終わって、諸々の挨拶や雑務について説明し終わり一息ついている時期だった。
「お願いだなんて水臭いですよセロンさん、私でお役に立てるのでしたら喜んで!」
カサンドラは輝くような笑顔と共に快諾してくれた。
「御恩はお返ししないと、と常々思っておりますからね、ご遠慮なさらずお気軽に何でもおっしゃってくださいね」
「いやぁ、私はそこまで恩に着てくれる程の事をした訳では」
「いえ、本当にそれくらいの事をしてくださりましたよ、とても感謝しています」
紫髪の小柄な少女と共に射撃場へと向かって兵舎からの道を歩く。
カサンドラの紫髪は課程時代は短めだったが、今は腰程までの長さなって揺れていた。
「切ろうか伸ばしたままにしとこうか、ちょっと迷ってるんですよね」
また戦闘する部隊に入ったから短く切ろうか、しかし諜報部は町人に紛れ込んだりもする任務もあるから伸ばしたままでいる事にも価値はありそうだし、そのままにしとこうか、と悩んでいるのだそうな。
少女は己の髪を掴んで窺うようにセロンを見て、
「あの……セロンさんは、どっちが良いと思います?」
そんなとりとめの無い会話をかわしつつ訓練場へ辿り着くと、
「では、拙い語りで恐縮ですが、ご説明させていただきますね」
魔弓を手に取った瞬間、紫髪の少女は表情をきりっと引き締めた。どこかふわふわしていた雰囲気が一本の鋼のように変わる。
「まずこの部隊で採用されている形式の魔弓なのですけど、これは矢にエーテルを流し込み、刻まれた呪と感応させて術式を発動させ、鏃へと魔法的な力を収束させて、破壊力を増大させています」
原理から話し始めた。
かつて教育隊で首席をセロンと争ったこの少女は、座学も非常に優秀だった。才能や勘に頼るよりもコツコツ努力して積み上げてゆくタイプだったのをセロンは今も覚えている。
だからというか、やはりというか、カサンドラは理論派であるらしい。
着任一ヵ月で既に各装備の構造と原理をしっかり把握してるのは、流石の元・優等生だった。
「ですから、この形式の魔弓の破壊力を増大させる為には、弓の形状を取っている以上、射法や筋力も関係はありますが……やはり最も影響が大きいのはエーテル操作能力です。より多くのエーテルを高密度でどれだけ収束させられるかで、威力が天地程にも変わってきます――ここまではよろしいでしょうか?」
少女が凛とした大粒の青瞳をセロンへと向けて来た。
セロンが一番得意だったのは実技だったが座学も無論優秀だった。当然、理解できているので頷いた。
カサンドラもセロンが解らないとは思っていないだろう。
だが、説明の際に互いの共通認識・定義、つまり前提が微妙にずれたりして異なっていると後々のすべてが狂ってゆく事が偶にある。ボタンのかけ違え、という奴だ。
彼女はその厄介さと危険をよく知っているのか、足場を一歩一歩固めるように確認しながら話を進めてゆくタイプのようだった。
セロンが頷きを返すと、
「よって、この魔弓を効果的に扱う為には、エーテルの操作に熟達する必要があります」
「……そうですよね。ただ、私はエーテルの操作が苦手なんですよね……」
少年は苦々しく思いつつ頭を掻いた。
「そんな節はセロンさん、昔からありましたよね。現状を把握したいので、試しに一射していただいても良いですか?」
「わかりました」
セロンは頷くと少女が見守る中、魔弓に呪矢を番え撃ち放った。
矢は的に中ったが、鉄板に弾かれて地に落ちる。
「こんな具合ですね」
「なるほど。では、魔弓を撃つ際にはどのように呪矢にエーテルを流し込んでいますか?」
「それは、まぁ、なんとなく集中させるようにですが」
「ならばまずは、集中のさせ方を変えてみましょう。エーテルを強く操作する際に大切なのは強固なイメージです」
「イメージ?」
「はい、イメージです」
紫髪ロングの小柄な少女は微笑むと両手を左右へと広げた。
「この世界のすべてはエーテルで構成されています」
それから右手を自身の豊かに盛り上がっている胸にあて、
「私達もエーテルで出来ています。そして、そのエーテルは体内を循環しています」
ですから、と言いつつ少女は、今度はその右手を力瘤を作るようにして握り締め、
「まずは体内を巡るエーテルの流れに意識を集中させ、その流れを右手に集中させます。そして一定以上に溜まってから、エーテルを矢へと移すのです」
少女は左手も使って弓を引き絞るような動作をしながら片目を瞑った。
彼女が構える空気の弓から見えない矢が放たれたような気がした。
「要するにでいうと、いきなりエーテルを矢に集中させるんじゃなくて、一回全身を巡るエーテルを右手に溜めて収束させてから、それを矢に流し込むイメージですね。いきなり移すんじゃなくて、溜めてから移す。普通の矢だって、弓に番えても、しっかり引き絞ってから放たなければ、前に飛ばないでしょう? それと同じで、力を溜める事が大切です」
「……なるほど」
なんとなく解ったような気がしたので、セロンは頷いた。
意識を全身へと集中させて巡るエーテルを感じ取る――正直、よくわからないが、それっぽいものが流れているような気がしなようでもないでもない。
右手に溜める――少しは溜まっただろうか?
魔弓に呪矢を番え、放った。
カンッと乾いた音を響かせて矢が地に落ちる。
「今まで意識していなかったのなら、いきなりは上手くいかないと思いますよ」
フォローするような柔らかい声が後ろから響いた。
「エーテルの流れは感じ取れていますか?」
「いえ、それがあまりよくわからなくて……」
セロンの返答に少女は少し考え込むと、
「なるほど……ではセロンさん、ちょっと身体を触らさせていただきたいのですが、よろしいですか? まずは肩から」
「えっ、肩ですか、まぁ別に良いですが……」
「有難うございます。では少し屈んでください」
セロンが屈むと小柄な少女が背後に回り「失礼します」との声と共にセロンは首の両脇付近に重みと圧迫を感じた。
両手で肩を掴まれている、と悟る。
そして少女の小さな左右の手は、セロンの肩を掴んだままそれぞれ時計回りと半時計回りに円を描くように動き始めた。
「ああ……やはり、セロンさんかなり肩が凝ってらっしゃいますね」
「ええ、まぁ、この所はちょっと」
諜報部隊に所属してからは任務の必要性から人当たりはなるべく柔らかくするように努めていた為、表面上は柔らかくなっている。だが、それはそれで意識は張り詰める必要があるものだった。
誓った復讐と捜索の事も忘れてはいない。
だから意識も身体も緊張していて、肩にも力が入っている事が多い。
トドメは机上での書類仕事である。
ここ最近は常に肩が凝り気味だった。
「これは頑固……うーん、他の部分も、ですかね?」
少女は手を少年の肩から滑らせて脇などを柔らかく丁寧に押してゆく。ちょっとくすぐったい。
「……あのキャシー? 一体これは、何をしているのですか?」
「筋肉の凝り具合を確かめています。身体のあちこちが凝ってると経絡――つまり、気の巡りを悪くするんですよ」
「気? 気……というと大陸北東部辺境のシャルガネあたりの概念の、あの気ですか?」
「はい、その気です。東辺境魔術ですね」
なんだか急に言う事が胡散臭くなって来たような気が、セロンにはした。
魔法やエーテルは難解ではあっても当たり前にある身近な存在だが、オリエンタル・マジックやら気やらいわれると、こう、なんというか、妙に神秘じみてるというか……
しかし秀才少女は真面目な声音で、
「気とはすなわちエーテルと同義です。気の巡りは筋肉が凝っていたり姿勢が曲がっていたりすると悪くなります。気の巡りが悪いという事は、エーテルの巡りが悪いという事に繋がります」
「はぁ……」
「はい、もうよろしいですよ。有難うございました。大体わかりました」
セロンの身体のあちこちを触って何かを確認し終えたらしきカサンドラは、少年の正面へと回り込んで来ると、真剣な眼差しで言った。
「セロンさん、医務室へゆきましょう」
●
衛生兵とカサンドラが話をすると許可が降り、二人は空いた寝台の前まで進み、布を引いて空間を周囲から仕切った。
「さ、上着を脱いでうつ伏せになってください」
少女がベッドを示し、自らも上着を脱ぎながら言う。
カサンドラは小柄だったが、女性的なスタイルは抜群に良かったので目の前で薄着になられると視線のやり場に困ってしまう。セロンも健全な十五歳の少年なのである。
(な、なんか妙な事になってきたな……)
目を逸らしつつ、仕方ないので上着と靴を脱ぎ寝台の上にうつ伏せになる。
ゾフィーに頼んだ方が良かったかもしれない、なんて思いつつ問いかける、
「あのー、本当にその、マッサージするだけでエーテル操作が出来るようになるんですか?」
「それだけで、とは言い切れませんが、容易にはなりますよ。私も昔、エーテル操作が苦手だったんですが、施術を受けたらスムーズに出来るようになりました」
「キャシー、受けたんですかその施術……お医者様から?」
「いえ、ゾフィーから。気についても教えてくれたのは実はゾフィーなんですよ」
あの子、あまり世に知られていない貴重な事を沢山知ってて凄いですよね、とどこか嬉しそうに誇らしげに少女が言った。友人の事は信じ切っているらしい。
うん、やっぱりカサンドラに頼んだので良かったのかもしれない、とセロンは胸中で呟いた。
「もし痛かったらおっしゃってくださいね」
少女の白い手が伸びてきて、セロンの身体のあちこちを丁寧に押したり摩ったりし始めるのだった。
●
うつ伏せ状態でマッサージされ続ける事、四半刻程度、
(あー、これは気持ちが良いかもしれない)
全身の凝りが柔らい手で解きほぐされぽかぽかと暖かくなって来ていた。
心地よさに全身から力が抜けて脱力しきっている。
そんな時である、
「……ぃよいしょっ!」
セロンの背の上に乗っていたカサンドラが、不意に気合の声を発した。
ゴキリ、と鈍い音が部屋に鳴り響く。
電撃のような激痛がセロンの全身を走り抜けた。
「キャ……キャシーっ?!」
「す、すいません、でも、力を抜いてる時に一気にやった方が痛くないんですよ。大丈夫です、一番痛い箇所はもう終わりましたからっ」
痛みに固まっているセロンの両肩が掴まれた。エビ反り状に身が起こされ、さらに両脇の下に膝を通され、首に抱きつくように腕を回されて強制的に仰け反らされてゆく。
ふわりと甘い良い匂いがした。背中に柔らかい感触があたっている。が、それどころでは無い。ゴキゴキと骨が鳴り、痛みで視界が明滅する。
「ご、ごはぁっ?!」
「ごめんなさい、もうちょっとですから!」
もし痛かったらおっしゃってくださいね、などと少女は事前に言っていたが、そもそもにまともに喋れる状態では無い。
施術とかいう奴は概ねそういうものなのだった。
であるからして、彼等が本拠としている兵舎もまた確かに存在していたが、しかし、公けには存在していない建物だった。
要するに、別の肩書の部隊が使用している事になっていた。
そんな偽装された兵舎には訓練施設が併設されている。
施設とはいっても大半は野外にあったが、そのうちの一つに射撃場があった。
黒髪黒瞳の十五歳の見えざる少年諜報員、セロンガード・シュタインドルフは、この日、長弓を手に射撃場に立っていた。
彼が手にしている弓は通常の弓ではなく『魔弓』と呼ばれる代物だった。物理的なものより澱による破壊を目的として使用される弓である。
諜報部隊では作戦で用いる武装の一つに魔弓が正式採用されていた。
黒髪の少年は左手で白鋼の弓身を握り、右手の指に呪印が刻まれた矢を挟み、矢筈を弦にかけ、目一杯に引き絞った。
夜に浮かぶ銀月が満つるが如く、弓身が円弧に大きく撓み、引かれた弦がくの字を象った。弓身が鳴くように軋音をあげる。
セロンは呼吸を止めると右手の指を外した。撓んでいた弓身が勢い良く反発して弦が動き、矢が押し出されて前方へと射出されてゆく。
呪印が刻まれた矢は、旋転しながら鋭い風切り音を上げ、閃光の如くに空間を貫いて飛び、人型の的に激突した。
放たれた矢は狙い違わず見事、薄い鉄板が貼られた的の眉間部分を捉えていた――のだが、
「あ~いからわず先輩はぁ、魔弓の扱いがへったくそですねぇ♪」
弾んだ調子で銀髪の少女ゾフィー・マルテルが笑った。セロンより一つ年下の十四歳の後輩だ。
セロンが放った矢は弾かれて地に落ちていた。本来ならこの厚さの鉄板なら十分に貫通する威力を出せる筈だった。
少年は溜息を吐くと、キューティクル豊かな銀髪をポニーテールにしている少女へと黒瞳を向け、目蓋を半分閉ざして睨んだ。
「……ごきげんだねゾフィー」
「そりゃー! この分野なら私でもセロンパイセンに勝てるって事ですからねぇ! 私、勝つのは好きですよぉ!!」
課程時代一学年下の学年首席だった少女は、小さな胸を張って笑うと、魔弓に呪矢を番え放った。
魔矢は、快音を轟かせて額の鉄板を貫通し突き立つ。
ポニテ少女はニヤニヤと嫌らしく三日月型に歪めた赤眼をセロンへと向けて来る。
「せんぱぁ~い、魔弓の使い方ぁ、私がお教えして差し上げましょうかー? 普段色々ご指導いただいてますしぃ?」
「いいや、結構」
セロンは魔弓を射撃場の台の上に戻すと、幻獣の骨と腱とミスリルらを張り合わせて作られている強弓を手に取った。
「僕にはこれがある」
番え、引き絞り、放つ。空間を一瞬で制圧した矢は、鋭音と共に鉄板をぶち抜いた。
男爵家の令嬢が眉間に皺を刻んで舌打ちする。
「ったく、これだから得意分野でゴリ押せる人は!」
「ふふん、問題無しだ」
セロンとて伊達で課程を首席卒業していない。
エーテル操作が不得手な分、他でカバー出来る力がある。
魔法が駄目なら力を上げて物理で撃ち抜けば良いじゃない、である。
「でも先輩ー」
ゾフィーがふと真顔になって小首を傾げた。
「真面目な話、苦手な部分もそれなりには出来るようになっとかないと、普通の部隊ならとかく、特殊部隊だと不味いんじゃないですかね?」
それはセロンも自身でもちょっとそんな気がする意見だったが、
「…………いやぁ、そんな事はないよ、たぶん、きっと、そうだって」
少年は明後日の方向に目を逸らしながら答えた。
ててて、と赤眼の小柄な少女が視線の先に回り込んで、背伸びして顔を近づけて来る。
「私はあると思いますよ? そして今ならこの優秀なるゾフィーちゃんが手取り足取り教えて差し上げますのよ? ほらほら」
銀髪のポニテ少女がアピールしてくる。
黒髪の少年は一歩後退った。
「う、う~ん……いや、やっぱり、良いよ」
この少女とのこれまでを思うと嫌な予感しかしない。ここぞとばかりに悪戯されたりからかわれたりしそうな気がする。
故に手を前に出してふるふると首を左右に振る。
「お気持ちだけで結構です」
少女は残念そうな顔をした。
「ちぇー、信用ないなぁ」
そんな会話をかわした数日後の事である、
「おいセロン、お前、魔弓の訓練量を増やせ」
件の鬼上官が厳しい面差しで言ったのだ。
「……魔弓、ですか」
セロンが顔を顰めると上官は、ああ、と頷き、
「お前は普通の弓は上手いが作戦によっちゃ物理火力が役に立たん場合もあるからな。そういう時に魔弓を使えませんじゃ話にならん、精鋭の名折れだ。すぐにとは言わんが、出来るだけ早くに使えるようになってくれ」
部隊からの正式な要請とあらば応えざるをえない。
「……わかりました」
が、正直、弱った所ではある。
昔からセロンはエーテルの操作は苦手なのだ。紅瞳子にも「貴方はホント弓のセンスはありますが……魔法は微妙ですよね」などと何度か呟かれたものである。
――今ならこの優秀なるゾフィーちゃんが手取り足取り教えて差し上げますのよ?
後輩の少女の得意げな顔が脳裏に浮かんだ。
が、やはりなんとはなしに彼女に頼むとロクデモナイ事になりそうな予感は、やっぱりするのだった。
●
そんな訳で、
「すいませんキャシー、魔弓の使い方のコツとかあったら、教えていただきたいのですが……お願いできませんか?」
セロンはかつて教育課程で熾烈に首席を争ったライバルへと頼む事にした。
カサンドラ・フォン・ベルリヒンゲン、元はシルトラース帝国が都市メルンホルンを治めていたベルリヒンゲン子爵家の令嬢だ。
愛称はキャシー、課程時代にちょっとした勝負をした後に「そうお呼びください」と本人から言われたのでセロンは彼女を愛称で呼んでいる。あちらも以前はシュタインドルフさん呼びだったのがその時からセロンさんになった。
課程卒業後より一年半で父親が犯した罪から家が取り潰され、現在では既に貴族令嬢ではなくなっているが、セロンらの推挙や作戦での活躍もあって部隊に抜擢された形である。それはおよそ一ヵ月程前の話だ。
今はちょうど荷解きも終わって、諸々の挨拶や雑務について説明し終わり一息ついている時期だった。
「お願いだなんて水臭いですよセロンさん、私でお役に立てるのでしたら喜んで!」
カサンドラは輝くような笑顔と共に快諾してくれた。
「御恩はお返ししないと、と常々思っておりますからね、ご遠慮なさらずお気軽に何でもおっしゃってくださいね」
「いやぁ、私はそこまで恩に着てくれる程の事をした訳では」
「いえ、本当にそれくらいの事をしてくださりましたよ、とても感謝しています」
紫髪の小柄な少女と共に射撃場へと向かって兵舎からの道を歩く。
カサンドラの紫髪は課程時代は短めだったが、今は腰程までの長さなって揺れていた。
「切ろうか伸ばしたままにしとこうか、ちょっと迷ってるんですよね」
また戦闘する部隊に入ったから短く切ろうか、しかし諜報部は町人に紛れ込んだりもする任務もあるから伸ばしたままでいる事にも価値はありそうだし、そのままにしとこうか、と悩んでいるのだそうな。
少女は己の髪を掴んで窺うようにセロンを見て、
「あの……セロンさんは、どっちが良いと思います?」
そんなとりとめの無い会話をかわしつつ訓練場へ辿り着くと、
「では、拙い語りで恐縮ですが、ご説明させていただきますね」
魔弓を手に取った瞬間、紫髪の少女は表情をきりっと引き締めた。どこかふわふわしていた雰囲気が一本の鋼のように変わる。
「まずこの部隊で採用されている形式の魔弓なのですけど、これは矢にエーテルを流し込み、刻まれた呪と感応させて術式を発動させ、鏃へと魔法的な力を収束させて、破壊力を増大させています」
原理から話し始めた。
かつて教育隊で首席をセロンと争ったこの少女は、座学も非常に優秀だった。才能や勘に頼るよりもコツコツ努力して積み上げてゆくタイプだったのをセロンは今も覚えている。
だからというか、やはりというか、カサンドラは理論派であるらしい。
着任一ヵ月で既に各装備の構造と原理をしっかり把握してるのは、流石の元・優等生だった。
「ですから、この形式の魔弓の破壊力を増大させる為には、弓の形状を取っている以上、射法や筋力も関係はありますが……やはり最も影響が大きいのはエーテル操作能力です。より多くのエーテルを高密度でどれだけ収束させられるかで、威力が天地程にも変わってきます――ここまではよろしいでしょうか?」
少女が凛とした大粒の青瞳をセロンへと向けて来た。
セロンが一番得意だったのは実技だったが座学も無論優秀だった。当然、理解できているので頷いた。
カサンドラもセロンが解らないとは思っていないだろう。
だが、説明の際に互いの共通認識・定義、つまり前提が微妙にずれたりして異なっていると後々のすべてが狂ってゆく事が偶にある。ボタンのかけ違え、という奴だ。
彼女はその厄介さと危険をよく知っているのか、足場を一歩一歩固めるように確認しながら話を進めてゆくタイプのようだった。
セロンが頷きを返すと、
「よって、この魔弓を効果的に扱う為には、エーテルの操作に熟達する必要があります」
「……そうですよね。ただ、私はエーテルの操作が苦手なんですよね……」
少年は苦々しく思いつつ頭を掻いた。
「そんな節はセロンさん、昔からありましたよね。現状を把握したいので、試しに一射していただいても良いですか?」
「わかりました」
セロンは頷くと少女が見守る中、魔弓に呪矢を番え撃ち放った。
矢は的に中ったが、鉄板に弾かれて地に落ちる。
「こんな具合ですね」
「なるほど。では、魔弓を撃つ際にはどのように呪矢にエーテルを流し込んでいますか?」
「それは、まぁ、なんとなく集中させるようにですが」
「ならばまずは、集中のさせ方を変えてみましょう。エーテルを強く操作する際に大切なのは強固なイメージです」
「イメージ?」
「はい、イメージです」
紫髪ロングの小柄な少女は微笑むと両手を左右へと広げた。
「この世界のすべてはエーテルで構成されています」
それから右手を自身の豊かに盛り上がっている胸にあて、
「私達もエーテルで出来ています。そして、そのエーテルは体内を循環しています」
ですから、と言いつつ少女は、今度はその右手を力瘤を作るようにして握り締め、
「まずは体内を巡るエーテルの流れに意識を集中させ、その流れを右手に集中させます。そして一定以上に溜まってから、エーテルを矢へと移すのです」
少女は左手も使って弓を引き絞るような動作をしながら片目を瞑った。
彼女が構える空気の弓から見えない矢が放たれたような気がした。
「要するにでいうと、いきなりエーテルを矢に集中させるんじゃなくて、一回全身を巡るエーテルを右手に溜めて収束させてから、それを矢に流し込むイメージですね。いきなり移すんじゃなくて、溜めてから移す。普通の矢だって、弓に番えても、しっかり引き絞ってから放たなければ、前に飛ばないでしょう? それと同じで、力を溜める事が大切です」
「……なるほど」
なんとなく解ったような気がしたので、セロンは頷いた。
意識を全身へと集中させて巡るエーテルを感じ取る――正直、よくわからないが、それっぽいものが流れているような気がしなようでもないでもない。
右手に溜める――少しは溜まっただろうか?
魔弓に呪矢を番え、放った。
カンッと乾いた音を響かせて矢が地に落ちる。
「今まで意識していなかったのなら、いきなりは上手くいかないと思いますよ」
フォローするような柔らかい声が後ろから響いた。
「エーテルの流れは感じ取れていますか?」
「いえ、それがあまりよくわからなくて……」
セロンの返答に少女は少し考え込むと、
「なるほど……ではセロンさん、ちょっと身体を触らさせていただきたいのですが、よろしいですか? まずは肩から」
「えっ、肩ですか、まぁ別に良いですが……」
「有難うございます。では少し屈んでください」
セロンが屈むと小柄な少女が背後に回り「失礼します」との声と共にセロンは首の両脇付近に重みと圧迫を感じた。
両手で肩を掴まれている、と悟る。
そして少女の小さな左右の手は、セロンの肩を掴んだままそれぞれ時計回りと半時計回りに円を描くように動き始めた。
「ああ……やはり、セロンさんかなり肩が凝ってらっしゃいますね」
「ええ、まぁ、この所はちょっと」
諜報部隊に所属してからは任務の必要性から人当たりはなるべく柔らかくするように努めていた為、表面上は柔らかくなっている。だが、それはそれで意識は張り詰める必要があるものだった。
誓った復讐と捜索の事も忘れてはいない。
だから意識も身体も緊張していて、肩にも力が入っている事が多い。
トドメは机上での書類仕事である。
ここ最近は常に肩が凝り気味だった。
「これは頑固……うーん、他の部分も、ですかね?」
少女は手を少年の肩から滑らせて脇などを柔らかく丁寧に押してゆく。ちょっとくすぐったい。
「……あのキャシー? 一体これは、何をしているのですか?」
「筋肉の凝り具合を確かめています。身体のあちこちが凝ってると経絡――つまり、気の巡りを悪くするんですよ」
「気? 気……というと大陸北東部辺境のシャルガネあたりの概念の、あの気ですか?」
「はい、その気です。東辺境魔術ですね」
なんだか急に言う事が胡散臭くなって来たような気が、セロンにはした。
魔法やエーテルは難解ではあっても当たり前にある身近な存在だが、オリエンタル・マジックやら気やらいわれると、こう、なんというか、妙に神秘じみてるというか……
しかし秀才少女は真面目な声音で、
「気とはすなわちエーテルと同義です。気の巡りは筋肉が凝っていたり姿勢が曲がっていたりすると悪くなります。気の巡りが悪いという事は、エーテルの巡りが悪いという事に繋がります」
「はぁ……」
「はい、もうよろしいですよ。有難うございました。大体わかりました」
セロンの身体のあちこちを触って何かを確認し終えたらしきカサンドラは、少年の正面へと回り込んで来ると、真剣な眼差しで言った。
「セロンさん、医務室へゆきましょう」
●
衛生兵とカサンドラが話をすると許可が降り、二人は空いた寝台の前まで進み、布を引いて空間を周囲から仕切った。
「さ、上着を脱いでうつ伏せになってください」
少女がベッドを示し、自らも上着を脱ぎながら言う。
カサンドラは小柄だったが、女性的なスタイルは抜群に良かったので目の前で薄着になられると視線のやり場に困ってしまう。セロンも健全な十五歳の少年なのである。
(な、なんか妙な事になってきたな……)
目を逸らしつつ、仕方ないので上着と靴を脱ぎ寝台の上にうつ伏せになる。
ゾフィーに頼んだ方が良かったかもしれない、なんて思いつつ問いかける、
「あのー、本当にその、マッサージするだけでエーテル操作が出来るようになるんですか?」
「それだけで、とは言い切れませんが、容易にはなりますよ。私も昔、エーテル操作が苦手だったんですが、施術を受けたらスムーズに出来るようになりました」
「キャシー、受けたんですかその施術……お医者様から?」
「いえ、ゾフィーから。気についても教えてくれたのは実はゾフィーなんですよ」
あの子、あまり世に知られていない貴重な事を沢山知ってて凄いですよね、とどこか嬉しそうに誇らしげに少女が言った。友人の事は信じ切っているらしい。
うん、やっぱりカサンドラに頼んだので良かったのかもしれない、とセロンは胸中で呟いた。
「もし痛かったらおっしゃってくださいね」
少女の白い手が伸びてきて、セロンの身体のあちこちを丁寧に押したり摩ったりし始めるのだった。
●
うつ伏せ状態でマッサージされ続ける事、四半刻程度、
(あー、これは気持ちが良いかもしれない)
全身の凝りが柔らい手で解きほぐされぽかぽかと暖かくなって来ていた。
心地よさに全身から力が抜けて脱力しきっている。
そんな時である、
「……ぃよいしょっ!」
セロンの背の上に乗っていたカサンドラが、不意に気合の声を発した。
ゴキリ、と鈍い音が部屋に鳴り響く。
電撃のような激痛がセロンの全身を走り抜けた。
「キャ……キャシーっ?!」
「す、すいません、でも、力を抜いてる時に一気にやった方が痛くないんですよ。大丈夫です、一番痛い箇所はもう終わりましたからっ」
痛みに固まっているセロンの両肩が掴まれた。エビ反り状に身が起こされ、さらに両脇の下に膝を通され、首に抱きつくように腕を回されて強制的に仰け反らされてゆく。
ふわりと甘い良い匂いがした。背中に柔らかい感触があたっている。が、それどころでは無い。ゴキゴキと骨が鳴り、痛みで視界が明滅する。
「ご、ごはぁっ?!」
「ごめんなさい、もうちょっとですから!」
もし痛かったらおっしゃってくださいね、などと少女は事前に言っていたが、そもそもにまともに喋れる状態では無い。
施術とかいう奴は概ねそういうものなのだった。