ここは汚泥の最底辺だ
キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2020年12月20日 18時47分35秒
●追跡劇
久々に、手応えのない標的だった。
握り込まれた短剣は玩具と大差ない代物だ。おまけに殺意の練り込みが足りない。
一撃避けて鼻柱に拳を一つ。血が吹き出した程度で逃げ出すなんてお笑い草だ。
そこに自分の命が掛っていると真剣に考えたなら。敵の命を奪う以外選択肢はない。
血など無理にでも止めて死に物狂いで来るべきだ。腹が括れない分際で武器を手に取る。
そのぐらついた意思が、ふらふらしきった立ち位置が、半端者過ぎて反吐が出る。
――――嗚呼、全く嫌になる。
ゴブリン自治領『ゴールディ』首都、シルバードの路地裏。
大陸に都市国家がどれほど乱立しようとも、この地ほど表と裏で顔が異なる街はない。
昼であればまだしも日が暮れた後、身を守る術も無い人間が踏み込んでしまったなら。
代価が命で済めば上出来だ。凡そ、人として真っ当な終わりは望めない。
故に夜を好み、宵闇に蔓延る様な人間は好んでこの街に根城を張る。
それが望むと望まざると……オゴスもまた、自分を"そういった"人種だと定義している。
「あんまり、手間を掛けさせないで下さいよ」
光が無くとも見通す眼。そんな技術すら必要に迫られて身につけた物だ。
自身を構成する要素に、後ろ暗くない所など無い。この街の夜は、汚れ者の領域だ。
であれば、暗闇に足を取られて転んだ眼前の男は三流以下だと言わざるを得ない。
他者から恨みを買い、自分の様な人間に仕事が来る様な行為を働いておいて。
生きる術すら満足に得ていない。これが――――
「そちらも、どうして狙われるか分からないほど初心でも無いでしょう」
――――怠惰でなくて、何だと言うのか。
頬を掠める様な位置に突き刺さったエーテルの刃は当然わざと外した。
そんな虚仮威しで本気で怯えているなら、この仕事はもう終わったも同然だ。
「俺も荒っぽいことはしたくない。『お話』しましょう。俺達には、相互理解が必要な筈だ」
首肯を引き出しては、手早く手首を縛る。その手管も慣れたものだ。
暗闇で、爛々と輝く瞳が。狙われた側からすればどう映るかをオゴスは考慮しない。
脚絆から漂う据えた匂いも震える腕もどうだって良い。心底から下らない。
ここは汚泥の最底辺だ。異臭がする人間しか残りはしない。
彼はただ、そんな溝掃除を淡々とこなすだけだ。それが彼の生き方なのだから。
●交渉劇
「別に、難しいことを頼もうとはしていないんですよ」
そう切り出した時、無理やり椅子に縛り付けた男はへらっと笑ってみせた。
此処に来るまで着けておいた轡と目隠しが解かれた安心感からだろうか。
その心情は理解出来る。理解した上で間髪入れず頬を殴った。
鈍い音が立ち口の端が切れて血が流れる。瞳にはっきりと怯えの色が浮かぶ。
それで良いし。そうでなくてはならない。間違えそうになったら矯正する必要がある。
『話をする』とは、そういうことだ。自分が真剣なのに、相手が真剣でない。
そんな状況では何も前には進まない。そして、お互いそれほど暇ではないのだから。
予定は、詰まっているのだ。手早く行こう。
「俺はね、そちらが予定している計画の全貌が知りたいなんて無茶は言いません。
ただ、"何時、何処で、何をするのか"それだけ分かれば十分だ。たったそれだけです」
恐らく、日の当たる世界の唯人であればそれを指して、計画の全貌というだろう。
けれどここは真っ暗な廃倉庫。そんな無粋な指摘をする人間なんか居やしない。
何より既に鼻を折られ顔を腫らした男は、一分一秒でもこの状況から解放されたい筈。
そう思うように仕向けた。そう考えるように誘導した。そんな物に吊られる奴が悪い。
黙りを決め込む素振りを見せていようと、目線を逸らす仕草から分かる。
こいつは言い訳を捜しているだけだ。仲間を売る言い訳。楽になる後ひと押しを。
「勿論ここでお前さんが喋らないなら、もう1人捕まえるだけだが」
声音を低く造って脅しであることをわかり易く促す。
それだけだ。たったそれだけで、男は口を割って喋りだした。
自分がどれほど組織のことを良く知っているか。利用価値が在るか。
どうでも良いことをべらべらと。その中には、聞き出したかった計画の全貌も含まれる。
当人は、仲間が捕まらないよう自分が犠牲になったのだ……とでも思っているのだろう。
虚しい話だ。こんな男の所為で――――数日中には街から消える人間が出るのだから。
「そうですか、それは苦労しましたね」
気のない素振りで相槌を打つオゴスに対して、一度瓦解した男の口は軽かった。
気付けば自分の組織における立ち位置についての不平不満にまで至っている。
どうでも良い。本当に、どうでも良いことだった。
ただ頭の片隅でこうも考えてしまったことは、流石に勝手が過ぎると言われるだろうか。
――――裏切る強固な意志もなく裏切ってみせるこの男は、余りに醜い。――――などと。
「ですがそれなら尚更、もう結構です」
玄関に伏せておいた同業者に後を預け、目を見開き声を失った男に背を向ける。
報告を終えて初めて仕事は完了となる。こんな男にこれ以上関わる理由もない。
2人が入ってきた扉が開き、軋んでは閉じて、1人が出ていく。
外はもう夜が明けていた。
●幕間
夜明けを迎えると、シルバードはまた表情を変える。
夜と朝の狭間。空気が入り交じったこの時間、表通りには少しずつ人通りが増えていく。
行きつけの酒場の主人が店先に水を撒く傍ら、店内からは女将と子供の声が聞こえてくる。
冒険者御用達の宿屋からは、朝も早々に冒険へと出かける新米冒険者御一行だ。
……住む世界が、違う。当たり前の日々の営みを積み上げていく人々。
その前途には光しか射していないように見える。眩しくて、とても眼を開いていられない。
夜の闇ならば幾らでも見通せる技術は。研鑽は。こういった時だけ役立たずだ。
自分もまた、冒険者であり。人助けの仕事を請け負うことだってあるというのに。
何が違い何処が異なるのか。何時からこうなのかすらもう――――
――――あんまりにも遠過ぎて、思い出すことも出来やしない。
呆、と酒場の店先を見ていたのが気になったのか。酒場の柱からゴブリンの子供が見ていた。
視線があったことに気付いて、表情を繕おうとするも思いがけず苦戦する。
尋問の時であれば容易に出来る、相手が思う様に表情を変えるという技術が。
朝焼けの中ではまるで意味を持てないのだと言うかのように。
結局受かべた、不器用な泣き笑いの様な顔をみて、ゴブリンの子供が笑って柱へ隠れ去る。
上手く行かなかった、のだろう。これが仕事ならば――――三流以下だ。
どうすれば、ああも上手く笑えるのかなど分からない。
どうすれば、日の光の下へ戻れるのかなどもう、とっくに分からなくなった。
嗚呼、全くこれが――――
それを、何処かで変えたいと願う自分がいて。
それを、変える事など出来ないと嘯く自分がいることを。飽きるほどよおく、知っている。
――――怠惰でなくて、何だと言うのか。
先のない帰路を、小銭稼ぎと知りながら歩く。夜から朝へ、その先へ。
また来る夜を望みながら。恐る恐ると、日の下を歩く。
自分には精々その程度が分相応だと、奥歯を強く噛み締めて。
苦く苦く舌に広がる――――汚泥の味を重ねながら。
久々に、手応えのない標的だった。
握り込まれた短剣は玩具と大差ない代物だ。おまけに殺意の練り込みが足りない。
一撃避けて鼻柱に拳を一つ。血が吹き出した程度で逃げ出すなんてお笑い草だ。
そこに自分の命が掛っていると真剣に考えたなら。敵の命を奪う以外選択肢はない。
血など無理にでも止めて死に物狂いで来るべきだ。腹が括れない分際で武器を手に取る。
そのぐらついた意思が、ふらふらしきった立ち位置が、半端者過ぎて反吐が出る。
――――嗚呼、全く嫌になる。
ゴブリン自治領『ゴールディ』首都、シルバードの路地裏。
大陸に都市国家がどれほど乱立しようとも、この地ほど表と裏で顔が異なる街はない。
昼であればまだしも日が暮れた後、身を守る術も無い人間が踏み込んでしまったなら。
代価が命で済めば上出来だ。凡そ、人として真っ当な終わりは望めない。
故に夜を好み、宵闇に蔓延る様な人間は好んでこの街に根城を張る。
それが望むと望まざると……オゴスもまた、自分を"そういった"人種だと定義している。
「あんまり、手間を掛けさせないで下さいよ」
光が無くとも見通す眼。そんな技術すら必要に迫られて身につけた物だ。
自身を構成する要素に、後ろ暗くない所など無い。この街の夜は、汚れ者の領域だ。
であれば、暗闇に足を取られて転んだ眼前の男は三流以下だと言わざるを得ない。
他者から恨みを買い、自分の様な人間に仕事が来る様な行為を働いておいて。
生きる術すら満足に得ていない。これが――――
「そちらも、どうして狙われるか分からないほど初心でも無いでしょう」
――――怠惰でなくて、何だと言うのか。
頬を掠める様な位置に突き刺さったエーテルの刃は当然わざと外した。
そんな虚仮威しで本気で怯えているなら、この仕事はもう終わったも同然だ。
「俺も荒っぽいことはしたくない。『お話』しましょう。俺達には、相互理解が必要な筈だ」
首肯を引き出しては、手早く手首を縛る。その手管も慣れたものだ。
暗闇で、爛々と輝く瞳が。狙われた側からすればどう映るかをオゴスは考慮しない。
脚絆から漂う据えた匂いも震える腕もどうだって良い。心底から下らない。
ここは汚泥の最底辺だ。異臭がする人間しか残りはしない。
彼はただ、そんな溝掃除を淡々とこなすだけだ。それが彼の生き方なのだから。
●交渉劇
「別に、難しいことを頼もうとはしていないんですよ」
そう切り出した時、無理やり椅子に縛り付けた男はへらっと笑ってみせた。
此処に来るまで着けておいた轡と目隠しが解かれた安心感からだろうか。
その心情は理解出来る。理解した上で間髪入れず頬を殴った。
鈍い音が立ち口の端が切れて血が流れる。瞳にはっきりと怯えの色が浮かぶ。
それで良いし。そうでなくてはならない。間違えそうになったら矯正する必要がある。
『話をする』とは、そういうことだ。自分が真剣なのに、相手が真剣でない。
そんな状況では何も前には進まない。そして、お互いそれほど暇ではないのだから。
予定は、詰まっているのだ。手早く行こう。
「俺はね、そちらが予定している計画の全貌が知りたいなんて無茶は言いません。
ただ、"何時、何処で、何をするのか"それだけ分かれば十分だ。たったそれだけです」
恐らく、日の当たる世界の唯人であればそれを指して、計画の全貌というだろう。
けれどここは真っ暗な廃倉庫。そんな無粋な指摘をする人間なんか居やしない。
何より既に鼻を折られ顔を腫らした男は、一分一秒でもこの状況から解放されたい筈。
そう思うように仕向けた。そう考えるように誘導した。そんな物に吊られる奴が悪い。
黙りを決め込む素振りを見せていようと、目線を逸らす仕草から分かる。
こいつは言い訳を捜しているだけだ。仲間を売る言い訳。楽になる後ひと押しを。
「勿論ここでお前さんが喋らないなら、もう1人捕まえるだけだが」
声音を低く造って脅しであることをわかり易く促す。
それだけだ。たったそれだけで、男は口を割って喋りだした。
自分がどれほど組織のことを良く知っているか。利用価値が在るか。
どうでも良いことをべらべらと。その中には、聞き出したかった計画の全貌も含まれる。
当人は、仲間が捕まらないよう自分が犠牲になったのだ……とでも思っているのだろう。
虚しい話だ。こんな男の所為で――――数日中には街から消える人間が出るのだから。
「そうですか、それは苦労しましたね」
気のない素振りで相槌を打つオゴスに対して、一度瓦解した男の口は軽かった。
気付けば自分の組織における立ち位置についての不平不満にまで至っている。
どうでも良い。本当に、どうでも良いことだった。
ただ頭の片隅でこうも考えてしまったことは、流石に勝手が過ぎると言われるだろうか。
――――裏切る強固な意志もなく裏切ってみせるこの男は、余りに醜い。――――などと。
「ですがそれなら尚更、もう結構です」
玄関に伏せておいた同業者に後を預け、目を見開き声を失った男に背を向ける。
報告を終えて初めて仕事は完了となる。こんな男にこれ以上関わる理由もない。
2人が入ってきた扉が開き、軋んでは閉じて、1人が出ていく。
外はもう夜が明けていた。
●幕間
夜明けを迎えると、シルバードはまた表情を変える。
夜と朝の狭間。空気が入り交じったこの時間、表通りには少しずつ人通りが増えていく。
行きつけの酒場の主人が店先に水を撒く傍ら、店内からは女将と子供の声が聞こえてくる。
冒険者御用達の宿屋からは、朝も早々に冒険へと出かける新米冒険者御一行だ。
……住む世界が、違う。当たり前の日々の営みを積み上げていく人々。
その前途には光しか射していないように見える。眩しくて、とても眼を開いていられない。
夜の闇ならば幾らでも見通せる技術は。研鑽は。こういった時だけ役立たずだ。
自分もまた、冒険者であり。人助けの仕事を請け負うことだってあるというのに。
何が違い何処が異なるのか。何時からこうなのかすらもう――――
――――あんまりにも遠過ぎて、思い出すことも出来やしない。
呆、と酒場の店先を見ていたのが気になったのか。酒場の柱からゴブリンの子供が見ていた。
視線があったことに気付いて、表情を繕おうとするも思いがけず苦戦する。
尋問の時であれば容易に出来る、相手が思う様に表情を変えるという技術が。
朝焼けの中ではまるで意味を持てないのだと言うかのように。
結局受かべた、不器用な泣き笑いの様な顔をみて、ゴブリンの子供が笑って柱へ隠れ去る。
上手く行かなかった、のだろう。これが仕事ならば――――三流以下だ。
どうすれば、ああも上手く笑えるのかなど分からない。
どうすれば、日の光の下へ戻れるのかなどもう、とっくに分からなくなった。
嗚呼、全くこれが――――
それを、何処かで変えたいと願う自分がいて。
それを、変える事など出来ないと嘯く自分がいることを。飽きるほどよおく、知っている。
――――怠惰でなくて、何だと言うのか。
先のない帰路を、小銭稼ぎと知りながら歩く。夜から朝へ、その先へ。
また来る夜を望みながら。恐る恐ると、日の下を歩く。
自分には精々その程度が分相応だと、奥歯を強く噛み締めて。
苦く苦く舌に広がる――――汚泥の味を重ねながら。