月眠りのアントラクト
キャラクターノベル制作 炙りとろ左門納品 2024年02月01日 12時41分11秒
帝都での決戦が幕を引き、帝国はレイウェストを中心に歩み出そうとしている。大陸全土がそれぞれの存亡をかけた戦いに勝利したことを祝い、湧き上がる中、エリカ・プレトリウスは帝国北西部の小都市サルージュを訪れていた。
サルージュの様子はいたって普通であり、そしてエリカの尋ね人もまた、最後に会った時と変わらぬ様子で過ごしていた。
「……やはり、縁とよぶべきものなのだろうな」
「縁、ですか」
「帝都での戦いには多くの冒険者も関わっていたと聞く。ちょうど君の安否について考えていた」
そこまで言うと、セイアッドは何かに気づいて視線を逸らした。エリカは小首を傾げつつも、深くは追求しない。
口数の少ないセイアッドが何を考えているかは、聞かねばわからない。川縁で賑わいを避けて二人で話した時のように、多くを語らずに静寂を是とすることも、この男との付き合い方のひとつだ。
ややあって、セイアッドはエリカに向き直った。
「無事でよかった」
「セイアッド様も、お変わりなく」
変わらないものがあるということが、今のエリカにとってどれほど心安らぐことか。そうした表情の変化に気づいたのか、セイアッドは目を細める。
「話を聞こう。外は風が冷たい」
セイアッドが借りているという家は、殺風景ながら必要最低限のものが揃っていた。暖炉に火が入れられると、柔らかな光と暖かさが部屋に満ちていく。
「もてなしらしいことは難しいが、話はできる」
「ナビア様は……?」
「交流はあるが、基本的に只人の家で育ててもらっている。……その方がいい」
森人と只人では物事に対する価値観も感覚も大きく異なる。それだけではなく、セイアッドは他人に対して心を閉ざしがちだ。多くを聞かずとも、人々はセイアッドに「ナビア以上に時間が必要」と気を遣ったのだろう。
セイアッドは椅子に腰掛けたエリカへ、ゆるく湯気の立つ木彫りのカップを差し出した。エリカは礼をひとつ告げ、それを受け取る。
「只人の成長は、本当に早い。だから久しぶりに……穏やかな気分だ」
そう言いながらセイアッドも向かい側に腰掛け、小さく息を吐いた。
サルージュ都市民に長命種は少ない。瞬きの間に変化していく彼らの生き様は、セイアッドには目まぐるしく、取り残される感覚を強めるのだろう。
そのような心境のセイアッドに告げるべきことを思い、エリカは躊躇った。相槌さえ淀むエリカの様子から何かを察したセイアッドは、声音を和らげて促す。
「ただ顔を見せにきた、というわけではないのだろう?」
「……はい」
『いつか』『いくらか落ち着いた頃に』――それを待てない理由があった。エリカはカップを置き、懐から小さな包みを取り出す。
「ネム、ちょっとごめんね」
人肌、そして綿と布によって暖められていたそれが僅かに開かれると、中から少女の大切な命が顔を覗かせた。うっすらと開かれた瞳、周囲の様子を窺おうとひくつく鼻先、その動きの鈍さを見て、セイアッドは瞬時に全てを察した。
「……そうか」
やや見開かれた瞳が次には伏せられ、「触れても?」と小さく許可を求める。エリカが頷くと、セイアッドは手を伸ばし、優しく労わるようにネムを撫でた。
「機会をくれて、感謝する」
セイアッドはエリカとの別れ際、ネムにまだ挨拶できていないことを理由に再会を望んだ。小さな彼らの寿命は、季節が一巡するのを何度か繰り返したら終わってしまうものだと知りながら。
死、というものは、エリカにしてもセイアッドにしても、身近にあるものだった。だがそれで『死』という局面に慣れるわけではない。
否、慣れてはいけないものなのだ。
「幼い頃から、ずっと一緒でした」
「……それは、聞いた」
セイアッドは短くエリカの言葉を遮る。繰り返すことの無為ではなく、言葉にすることでエリカが傷つくのを厭うている。
傷は、大切なものだと身に刻む程に、より深いものになる。しかしエリカは首を振り、ネムに触れるセイアッドの手を包んだ。
「向き合わなくてはいけません。この子がいずれ永い眠りにつくことにも、そうすれば二度と目覚めないことにも――残される、わたし自身の歩みにも」
エリカの穏やかな語りに、セイアッドはしばし瞑目した。長い沈黙の後、セイアッドはネムに言葉を贈る。
「天地に還れども安らぎが続くことを」
ネムの耳がぴくりと動き、心地良さそうに目を閉じた。エリカは再びネムをそっと包み、懐へと戻すのだった。
王国のシャーフヴルム子爵領と帝国の辺境にあるサルージュは、気軽に行き来できる距離にはない。復路を考えればエリカも長く留まることはできないし、戦いが決着したことで戻ってきた日常を、『あるべきもの』として営んでいかなければならない。これから一層、慌ただしくなるだろう。
それをセイアッドも承知しており、エリカが数日ののちにサルージュを発つ日取りを伝えると、すんなり頷いた。
「学園でも、子爵領でも、ご来訪は歓迎いたします。その時はぜひ、ナビア様も」
「もう少し成長すれば長旅にも耐えられるだろう。それまでは、文などを」
徒歩では長い距離を縮めるために必要な情報をやり取りして、残すは別れの挨拶のみ。その時、エリカは意を決して顔を上げた。
エリカがサルージュを訪れたのは、復興の手伝いや、セイアッドの望みを叶えるためだけではない。決意を固めたいと、思ったからだ。
深呼吸する少女の様子を、セイアッドは小首を傾げて見守る。
「『わたし』にふさわしい名前は何かと、仰っていましたね」
喪われた『エリカ』という令嬢のために捧げられた、ひとりの少女――その命にふさわしい名。少女はその意味を、辿るべき道程を探し続けていた。
そうして、決めたのだ。
「わたし、エリカお嬢様の代わりと続きを――やり通し、ます。どうしても、拾ってもらった命の恩を返さないと……気が済まないから」
何か言おうと口を開いたセイアッドを、少女は手で制する。今優しい言葉をかけられたら、折れてしまう。
「ネムとも別れてしまえば、わたしは独り……でも演じきることが出来たなら、残るのはただのエルフひとりです。そうなったら――その時が来たら、貴方のそばに行ってもいいですか」
そこまで言い切れば、いつかは贖罪に近かった心持ちが、ふっと軽くなった気がした。理由は明白だ。
「わたしに相応しい名前は、貴方と探したいんです」
平穏。安寧。進んでいく時の中で、人は何かを失いながらも懸命に日常を紡いでいく。そうして描かれる未来が、せめて過去の悲嘆に見合うだけの希望に満ちているようにと、そう願っているからだ。
それが分かれば、この舞台を踊りきれる。
「その間、これを預かってくれませんか」
小さな石が嵌まったウッドタグ。これを手放すことで少女の時は止まる。そしてセイアッドは、それを再び動かす役目を託された。
手の中のウッドタグを見下ろして、セイアッドはしっかりと頷く。
「その決意に敬意を表する。……たとえ君の舞台を讃えるものが誰もいなくなっても、私は君を、拍手喝采のうちに迎えよう」
その答えに少女の唇が震え、そのあと、優美な微笑みのために弧を描いた。少女はスカートの裾を摘むと軽く膝を折る。貴族令嬢に相応しい、流麗な動作だ。
幕間は終わり、次の幕が上がる。これから紡がれる物語は、過去の悲嘆に見合うだけの明日へと、続いていくだろう。
サルージュの様子はいたって普通であり、そしてエリカの尋ね人もまた、最後に会った時と変わらぬ様子で過ごしていた。
「……やはり、縁とよぶべきものなのだろうな」
「縁、ですか」
「帝都での戦いには多くの冒険者も関わっていたと聞く。ちょうど君の安否について考えていた」
そこまで言うと、セイアッドは何かに気づいて視線を逸らした。エリカは小首を傾げつつも、深くは追求しない。
口数の少ないセイアッドが何を考えているかは、聞かねばわからない。川縁で賑わいを避けて二人で話した時のように、多くを語らずに静寂を是とすることも、この男との付き合い方のひとつだ。
ややあって、セイアッドはエリカに向き直った。
「無事でよかった」
「セイアッド様も、お変わりなく」
変わらないものがあるということが、今のエリカにとってどれほど心安らぐことか。そうした表情の変化に気づいたのか、セイアッドは目を細める。
「話を聞こう。外は風が冷たい」
セイアッドが借りているという家は、殺風景ながら必要最低限のものが揃っていた。暖炉に火が入れられると、柔らかな光と暖かさが部屋に満ちていく。
「もてなしらしいことは難しいが、話はできる」
「ナビア様は……?」
「交流はあるが、基本的に只人の家で育ててもらっている。……その方がいい」
森人と只人では物事に対する価値観も感覚も大きく異なる。それだけではなく、セイアッドは他人に対して心を閉ざしがちだ。多くを聞かずとも、人々はセイアッドに「ナビア以上に時間が必要」と気を遣ったのだろう。
セイアッドは椅子に腰掛けたエリカへ、ゆるく湯気の立つ木彫りのカップを差し出した。エリカは礼をひとつ告げ、それを受け取る。
「只人の成長は、本当に早い。だから久しぶりに……穏やかな気分だ」
そう言いながらセイアッドも向かい側に腰掛け、小さく息を吐いた。
サルージュ都市民に長命種は少ない。瞬きの間に変化していく彼らの生き様は、セイアッドには目まぐるしく、取り残される感覚を強めるのだろう。
そのような心境のセイアッドに告げるべきことを思い、エリカは躊躇った。相槌さえ淀むエリカの様子から何かを察したセイアッドは、声音を和らげて促す。
「ただ顔を見せにきた、というわけではないのだろう?」
「……はい」
『いつか』『いくらか落ち着いた頃に』――それを待てない理由があった。エリカはカップを置き、懐から小さな包みを取り出す。
「ネム、ちょっとごめんね」
人肌、そして綿と布によって暖められていたそれが僅かに開かれると、中から少女の大切な命が顔を覗かせた。うっすらと開かれた瞳、周囲の様子を窺おうとひくつく鼻先、その動きの鈍さを見て、セイアッドは瞬時に全てを察した。
「……そうか」
やや見開かれた瞳が次には伏せられ、「触れても?」と小さく許可を求める。エリカが頷くと、セイアッドは手を伸ばし、優しく労わるようにネムを撫でた。
「機会をくれて、感謝する」
セイアッドはエリカとの別れ際、ネムにまだ挨拶できていないことを理由に再会を望んだ。小さな彼らの寿命は、季節が一巡するのを何度か繰り返したら終わってしまうものだと知りながら。
死、というものは、エリカにしてもセイアッドにしても、身近にあるものだった。だがそれで『死』という局面に慣れるわけではない。
否、慣れてはいけないものなのだ。
「幼い頃から、ずっと一緒でした」
「……それは、聞いた」
セイアッドは短くエリカの言葉を遮る。繰り返すことの無為ではなく、言葉にすることでエリカが傷つくのを厭うている。
傷は、大切なものだと身に刻む程に、より深いものになる。しかしエリカは首を振り、ネムに触れるセイアッドの手を包んだ。
「向き合わなくてはいけません。この子がいずれ永い眠りにつくことにも、そうすれば二度と目覚めないことにも――残される、わたし自身の歩みにも」
エリカの穏やかな語りに、セイアッドはしばし瞑目した。長い沈黙の後、セイアッドはネムに言葉を贈る。
「天地に還れども安らぎが続くことを」
ネムの耳がぴくりと動き、心地良さそうに目を閉じた。エリカは再びネムをそっと包み、懐へと戻すのだった。
王国のシャーフヴルム子爵領と帝国の辺境にあるサルージュは、気軽に行き来できる距離にはない。復路を考えればエリカも長く留まることはできないし、戦いが決着したことで戻ってきた日常を、『あるべきもの』として営んでいかなければならない。これから一層、慌ただしくなるだろう。
それをセイアッドも承知しており、エリカが数日ののちにサルージュを発つ日取りを伝えると、すんなり頷いた。
「学園でも、子爵領でも、ご来訪は歓迎いたします。その時はぜひ、ナビア様も」
「もう少し成長すれば長旅にも耐えられるだろう。それまでは、文などを」
徒歩では長い距離を縮めるために必要な情報をやり取りして、残すは別れの挨拶のみ。その時、エリカは意を決して顔を上げた。
エリカがサルージュを訪れたのは、復興の手伝いや、セイアッドの望みを叶えるためだけではない。決意を固めたいと、思ったからだ。
深呼吸する少女の様子を、セイアッドは小首を傾げて見守る。
「『わたし』にふさわしい名前は何かと、仰っていましたね」
喪われた『エリカ』という令嬢のために捧げられた、ひとりの少女――その命にふさわしい名。少女はその意味を、辿るべき道程を探し続けていた。
そうして、決めたのだ。
「わたし、エリカお嬢様の代わりと続きを――やり通し、ます。どうしても、拾ってもらった命の恩を返さないと……気が済まないから」
何か言おうと口を開いたセイアッドを、少女は手で制する。今優しい言葉をかけられたら、折れてしまう。
「ネムとも別れてしまえば、わたしは独り……でも演じきることが出来たなら、残るのはただのエルフひとりです。そうなったら――その時が来たら、貴方のそばに行ってもいいですか」
そこまで言い切れば、いつかは贖罪に近かった心持ちが、ふっと軽くなった気がした。理由は明白だ。
「わたしに相応しい名前は、貴方と探したいんです」
平穏。安寧。進んでいく時の中で、人は何かを失いながらも懸命に日常を紡いでいく。そうして描かれる未来が、せめて過去の悲嘆に見合うだけの希望に満ちているようにと、そう願っているからだ。
それが分かれば、この舞台を踊りきれる。
「その間、これを預かってくれませんか」
小さな石が嵌まったウッドタグ。これを手放すことで少女の時は止まる。そしてセイアッドは、それを再び動かす役目を託された。
手の中のウッドタグを見下ろして、セイアッドはしっかりと頷く。
「その決意に敬意を表する。……たとえ君の舞台を讃えるものが誰もいなくなっても、私は君を、拍手喝采のうちに迎えよう」
その答えに少女の唇が震え、そのあと、優美な微笑みのために弧を描いた。少女はスカートの裾を摘むと軽く膝を折る。貴族令嬢に相応しい、流麗な動作だ。
幕間は終わり、次の幕が上がる。これから紡がれる物語は、過去の悲嘆に見合うだけの明日へと、続いていくだろう。