雨の山間

ディレイン・オールドケイジディレイン・オールドケイジ更新 2024年07月06日 22時15分26秒

SS

遍歴医をしてるおじさんのお話。

雨の山間
 しとしとと降り続く雨に全身を濡らしながら、その青年は悔しくて仕方がなかった。
 医者などいるはずもない山間の集落で、家族の長引く病。頼みの綱は山に自生する薬草だけ。折悪く長雨で視界も足元も悪く、無理を押して探し回った挙句に斜面を転がり落ちてこのザマとは。
 無様に転がった体はどこもかしこも痛みを訴えている。一番ひどいのは左の足首近くで、そちらのほうは体勢的に見えないが、折れているかもしれない。
 全身が熱い。のに、雨が冷たい。
 籠はどこに行っただろう、と青年は思った。霞む視界になんとか目を凝らし、わずかに見つけた薬草が入っているはずの籠を探す。ない。腕の片方はまだ動いたが、届く範囲にそれらしきものはやはりなく。無力感と痛みに苛まれて涙が双眸に滲み、さらに視界がぼやけていく。

「キミ、大丈夫?おじさんの声、聞こえるかい?」

 青年の頭上から影と声が、雨を遮るように降ってきた。眼だけを動かして、彼は自分のすぐそばに人がいることを理解した。
 助けてほしい。そう言おうとしても声が出ず、かろうじて唇が多少動く程度に留まる。
「うん、聞こえてるね。とりあえずヒールかけるよ」
 それでも声の主には意図が伝わったようで、青年の肩にそっとあたたかい手が触れた。続けてそのあたたかさはぼやけた視界でもはっきりとわかるほどに強い光となって体全体を包み込み、痛みの大半が溶けてなくなった。
 どうにか体を起こせるようになった青年は、やっと声の主の姿を見た。雨除けのフードをかぶった中年男性。荷物は少ないが、服装からして旅人のようだ。
 と、青年の眼前に指が伸びてきた。
「この指、何本に見える?」
 視線が不躾だったかと思ったがどうやらそうではないらしい。若干戸惑いながらも、青年は2本、と返した。そして視界がくっきりとしていることに気が付いた。
「よかった。ええとね、おじさんの名前はディレイン・オールドケイジ。遍歴医――旅するお医者さんなんだけど、キミの具合を診てもいいかな?」
「は、はい。お願い…します…」
 普段なら初対面の男性に触れられるなど許しただろうか。けれど今まさに治してもらったのだからと、青年は男性の申し出を受け入れて。
 一拍おいてから我が耳を疑った。
「…お医者さん?あなた、医者なんですか!?」
「うん、そうだよ」
「あ、あの、家族がずっと病気で!熱と咳で寝込んでて!診てください、お願いします!!」
「わかったわかった。落ち着いて」
 くいつきの激しい青年を、慣れた様子でいなしながら、中年男性による診察は続き。
 一通りのチェックが済むと、うーんと唸ってから言葉を続けた。
「まず、キミの怪我はヒールで大体治せたけど、左足はダメだった。折れてるだろうからきちんと療養したほうがいい」
 青年はやっぱり、と落胆した様子で。山間で暮らす者の足が不自由では、その生活に大きな支障が出るだろうことは容易く想像できる。
「肩を貸すから、家まで案内してもらえるかい?キミを送り届けたら、足の治療をして、そのままご家族を診させてもらうよ」
 しかし決して治らないわけではない。若いならさほど時間もかからずに済むはずだ。
 それよりも、と中年男性は告げる。フードの下に着ていた緑の上着を脱いで、青年の頭にかぶせた。診察時に青年の体がひどく冷たくなっていることが引っかかったようで、青年は彼が感じていたよりも長い間、地面に転がっていたのかもしれない。
「あとこれ、キミのかな?」
 次に男性が掲げたそれは、確かに青年が自宅から持ち出した籠だった。受け取るが早いか中身を確認すると、薬草は半分ほどに減ってはいたが、まだ残っていた。安堵で青年の力が抜け、目尻にまた、じわりと涙が浮かぶ。
「それが転がっているのを見つけて、持ち主を探してみたらキミがいたんだ」
 後でその草の名前とか効能とか性質を教えてね。男性は喜色を隠そうともせずに言う。
 医者なら薬草のことは気になるだろう。それはそうだ、と青年は思う。肩を借りて何とか立ち上がり、男性を杖代わりに無事なほうの足を動かし始める。
「あの」
「うん?」
「ありがとう、ございました」
 見つけてくれて。治してくれて。肩を貸してくれて。
 体力が戻り切らず雨もやまないなか、息を切らしながらの青年の言葉に。
「…まだだよ」
 男性は前方を見据えたまま柔らかい声音で返した。
「え?」
「お礼の言葉はまだ受け取れないよ。さっき言ったでしょ。医者としてのお仕事、まだ終わってないんだから」
 青年は堪えた。雨に紛れるとはいえ、恩人の顔が真横にある状態を気にしないほど子供ではないつもりだからだ。


『タイムリミット』

「足首を動かして…ゆっくりでいいよ…そう、もうちょっといける?痛みはない?」
 椅子に腰かけた青年と中年男性が向かい合っていた。青年の足首を固定していた装具をはずし、意識して動かしているところだ。可動域は申し分なく、歪みや痛みもなく。つまりは完治したということで。
 試しに立ち上がって歩いてみても、やはりどこにも支障はないように見受けられた。
「うん、もう大丈夫だ。でもしばらく動かせなかったぶん筋肉が落ちてるから、まだ山を長時間歩くとかそういうのは避けてね。まずは集落内の散歩からがよさそうかな」
「ありがとうございます、ディレイン先生!」
 青年は満面の笑みで男性に告げる。
 長く臥せっていた青年の家族は、男性の診察による見立てと持っていた薬剤(いつの間にか見慣れぬ大きな薬棚がそびえていた)により、すでに野良仕事に出られるまでになっている。青年の足も治ったということはつまり、男性の医者としての仕事は終わったということ。
「骨が折れてたのに、まさかこんな短期間で治るとは思いませんでした。まだ1か月しかたってないんですよ」
「そうだねえ、そのために都度ヒールかけてたし…………」
 心の底からのお礼の言葉を告げることができた青年に、男性も今度こそ断るそぶりなど見せず。
 ただ、顔から血の気が失せていった。
「待って。おじさんがここに来てから1か月たってるの?」
 空き家に居つき広げていた器具薬剤、新しく増えた薬草を薬棚に詰め込んだかと思うと、その薬棚をどこかにしまい込んで消してしまった。残した湿布薬を青年の手に握らせてから、自分は緑の上着を慌てて羽織り、小走りで玄関へ向かう。
「えっ、先生!?どうしたんですか!?」
「ごめん、行かなきゃ!1か月以上音信不通にすると捜索隊を出されちゃうんだ!」
 誰に、と聞く隙すらなく、外へと飛び出していく。
「何かあったら冒険者ギルドに言づけてくれればまた来るからぁ―!!」
 そこからはまさに全速力だ。
 みるみるうちに遠ざかる恩人の背中にその旅の無事を祈りながら、足の筋肉を早く戻そうと青年は考えた。なにせ一言しかお礼を伝えられなかった。ふもとの町にある冒険者ギルド支部まで、ちゃんとしたお礼を言づけに行かなければならないのだから。
アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0