はじまりの天井

ディレイン・オールドケイジディレイン・オールドケイジ更新 2024年03月21日 21時26分59秒

SS過去

10~12歳。養父母との出会い。

はじまりの天井
 今となっては、そこがどこだったのかも覚えていない。

 国の名前。街あるいは町の名前。通り、店、人…覚える必要も、余裕もなかったし、そもそも名前の価値がわかっていなかった。気づけばひとり路地裏で寝起きしてた子どもには、名前を呼んでくれる誰かもいなければ、呼ばれるべき名前ももっていなかったからだ。
 買い物するかわりに畑を荒らしたり、店先から盗んだり。…まあ、よほど幼い頃はお目こぼしされていたんだろう。逃げ足だけは早かったつもりが、年を重ねるにつれ、捕まって仕置きされることが増えた。寝ぐらも片付けられた。手を出されないようになるためには、自分が手を出さなければならない。そう言って誘う奴も出てきた。
 手を出せるわけがなかった。
 俺が必死で生きてるように、他の奴らだって必死なわけで。仕置きする理由はわかるし、一線を越えないようにはしてくれてるし。ならそれはそれでいいんじゃないか、って。
 …断ったからって嬲るような輩に対しては、今だったら確実にやり返してるところなんだけど、その時はそんな力もなく。多勢に無勢だったし。
 ひと目につきにくい場所に転がされることが何度も何度もあって。聞きかじりと経験則で傷の治りが早くなる草の苦さにも慣れてきた頃。
 腹痛。発熱。全身からの発汗。あと何だったかな…ああそう、手足が震えて立てなくなった。今日の草は甘いな、って思ったんだよ。瓜二つの毒草があるなんて知らなかったんだよね。
 折悪く雨も降ってきて、人気のない野っ原で、視界をぼんやりさせながら、ああもうダメだなー最後の食事が甘かったのは嬉しいけど腹痛いのは勘弁、とか考えてた気がする。
 だから、誰かに呼びかけられてるとは思いもよらなかった。それまで誰も、呼んでくれなかったから尚更。

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 次に目を開けた時、天井が見えた。しっかりした梁の通った、ちゃんとした建物。俺に縁のなかったはずの場所。清潔な寝台の、あたたかくてやわらかい寝具で、俺は寝かされていた。
 痛みも震えも消えていて、だるさはまだあったけど熱はだいぶ下がっていた。
「おや」
 状況が飲み込めずにいたら、ドアが開いた。初老の男。続いて同じくらいの女。
「峠を越したとは思っていたが、もう起き上がれるのか。結構結構」
 耳の下やら首筋やらを触られたし、手首もつかまれた。他者との接触が痛みを伴わないなんて初めてのことだった。
 俺に笑顔が向けられたことも、当然、初めてで。
「驚いたろう。私と妻は、医術を必要とする人のために旅してまわっている者でね。この地域にもそれで来たんだが…倒れている君を見つけて、私たちの宿に連れてきてしまったというわけだ。勝手にすまないね」
 説明を始めた男に目を丸くしていたら、横からにゅっと手が伸びてきた。布を持ってた。汚れてない布。
 前開きだった俺のシャツ(もちろん俺のじゃない)をひんむくと、その布で拭き始めた。
「ちょっ…なんだよ急に!!」
「汗かいて気持ち悪いでしょ、拭いてあげるわ」
「やめろ!自分でできる!」
「あら、背中は届かないんじゃない?無理はダメよ」
「ははっ、男の子には恥ずかしいよなあ。だが少年。君を連れてきてから3日経ってるんだ。もう何度、妻に拭かれたかわからないよ。体の隅々までね」
 言われてつい、自分の下半身に視線を向けてしまったっけ。楽しそうに笑う男。誇らしげに胸を張る女。

 俺はあの時、確かに毒草を飲むというやらかしをしたわけだけど、あのやらかしがなければ今の俺がないのも事実で。ふたりと出会うこともなかっただろうと思うと、苦しんだかいはあったのかな。

「えっ、名前がないのかい?」
 呼ぶのに困るから名前を教えてほしい、という問いに答えたら、結局困らせた。
 男は少し考えてから、何か閃いたようだった。
「あの名前はどうだろう。いいかな?」
 ちょうど食事を持ってきた女に尋ねて、女も同じように少し考えてから、うなずいた。
「よし、君さえよければ、これからはディレインって呼ばせてほしい。いい名前だろう?かっこいいだろう?」
 どう答えたかは覚えていない。湯気のたつ食事に目を奪われていたからだ。やりやすいようにやってくれって感じだったと思う。
 …息子ができたらつけようと思っていた、と聞かされたのは、それから何年後だったか。名前を提案したときには、すでに俺を連れていくつもりになっていたんだ。
 どこの誰ともわからない、ぼろぼろだった子どもを。
アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0