雑談しながら設定について語る場所
何処かにある静かな街角です。突然魔法をぶっ放してもあぶねえなぁと愚痴を叩かれ、虚空に向かってぶつぶつ話していてもジャンキーかな?と思われるだけの平和な場所です。
※RP推奨です
※RP推奨です
2020年09月11日 19時27分48秒 |chat49
2020年09月12日 21時42分12秒
「……魔法ですか。物理法則を捻じ曲げるといいますが……変わり得ぬ法則などあるのでしょうか」
郊外の静かな道で、歩きながらつぶやく女が一人。整備されていないせいか、却って金属と石のぶつかり合う音がせず、ひどく静かな空間に、木霊する。
「永遠と長い年月、不変と変わり難いことは各々違った意味です。ならば、ここにも何か意味が隠されているのでしょう。さて、何でしょうか。信仰と知識の違いでしょうか……」
郊外の静かな道で、歩きながらつぶやく女が一人。整備されていないせいか、却って金属と石のぶつかり合う音がせず、ひどく静かな空間に、木霊する。
「永遠と長い年月、不変と変わり難いことは各々違った意味です。ならば、ここにも何か意味が隠されているのでしょう。さて、何でしょうか。信仰と知識の違いでしょうか……」
2020年09月12日 22時09分58秒
「形相と質料のうち、私が物体の視認によって知るのはその形相であって質料でない事は父祖の教えるところです。路地が見えるからといって、目は路地になりませんから。なれば、私が物体を視認してその形相を獲得したとき直示的に物体を知っているといっても良さそうです。つまり、形相は知識の形態の一つなのでしょう。」
かつんとなにもない所で止まる
「しかし、信仰に関してはなんといいましょうか。知識とは世々限りなく変化していくものです。それはけっして不変ではない一方で信仰は不変たるものです。不変でない信仰は、たんに確固たる信念ですから。ならば、変わり得ぬ法則は信仰なくしてはあり得ないかもしれません……つまり、信仰があれば曲がらぬ法則もまた……」
絵画みたいなものかもしれませんが、と呟きながら去っていく
かつんとなにもない所で止まる
「しかし、信仰に関してはなんといいましょうか。知識とは世々限りなく変化していくものです。それはけっして不変ではない一方で信仰は不変たるものです。不変でない信仰は、たんに確固たる信念ですから。ならば、変わり得ぬ法則は信仰なくしてはあり得ないかもしれません……つまり、信仰があれば曲がらぬ法則もまた……」
絵画みたいなものかもしれませんが、と呟きながら去っていく
2020年09月16日 00時57分59秒
しかし、そうですね……エーテルの澱を箱庭としてそこに力を加えて形成されたのがこの世界……天や大地など自然なのです。ならば、エーテルを手繰る事である魔法と世界の間に違いがあるとすればその役割ではありませんか。「エーテルは自然を作るところのもの」であるが、しかし「水は飲むためのもの」であるなど役割が違うとか。したがって、暫定的に述べるならば「魔法」と貴方が言う「普通の現象」の違いは「自然を作るところのものを操ること」であるかそうでないかでしょう。エーテルは飲んだりしませんが、水は飲みます。
2020年09月16日 15時49分26秒
ははぁ、文献を読むとエーテル神聖視が所々伺えまして。役割で区分
物理法則を捻じ曲げ、の一文が特に頭を悩ませていました。関数か何か?
全てがエーテルなら、そもそもそれもエーテルでしょう? であれば同一のものとして扱っていいはずがやたらと授恵者の伝承が多くその奇跡とやらが散見される
物理法則を捻じ曲げ、の一文が特に頭を悩ませていました。関数か何か?
全てがエーテルなら、そもそもそれもエーテルでしょう? であれば同一のものとして扱っていいはずがやたらと授恵者の伝承が多くその奇跡とやらが散見される
2020年09月16日 18時40分04秒
そうですか……問題提起のきっかけはわかりました。ならば、法則の意味を細分化しましょう。というのも、変わるとしても元が何かしらねばなんとも言えませんから。まず状況を設定しますね。例えば、私が冒険者街にある宿の個室にいるとします。そのとき「隣の部屋から音が聞こえること」を根拠に「乱闘か」と判断して「確かめてみよう」と結論を下して’「隣の部屋のドアをノックする」などこれを確かめるための行動を行ったところ「乱闘があった」ので、「おお、乱闘か。当たっていたな」と「乱闘があること」は結果である「隣の部屋から音がしたこと」の原因であると理解されます。私が判断しまいが確かめなかろうが……最初からそうだったのだという含意で。そこで、この「原因であるためのもの」と「結果であるためのもの」の関係の事をまとめて法則と呼ぶのです。大抵は。
しかし、この「冒険者街のとある宿で、私が隣の部屋から音を聞いたら、それは乱闘によって生じた音である」法則はエーテルの流出が生じた紀元前1800より前の時代にあったのでしょうか?ないはずです。あの時代は争いなき楽園の時代ですから。それゆえ、こう考える事ができるでしょう。法則はそもそもエーテルの流量によって変じる状況依存的な「原因であるためのもの」と「結果であるためのもの」の関係のことだと。
しかし、この「冒険者街のとある宿で、私が隣の部屋から音を聞いたら、それは乱闘によって生じた音である」法則はエーテルの流出が生じた紀元前1800より前の時代にあったのでしょうか?ないはずです。あの時代は争いなき楽園の時代ですから。それゆえ、こう考える事ができるでしょう。法則はそもそもエーテルの流量によって変じる状況依存的な「原因であるためのもの」と「結果であるためのもの」の関係のことだと。
2020年09月16日 18時43分25秒
さて、普通の現象と魔法の違いでしたね。第1に、このふつうの現象は「冒険者街の宿で~」みたいなものの事です。乱闘だとか、音がするとか。第2に、エーテルを操る魔法は物理法則を捻じ曲げるというのは自然を神話の時代に先祖返りさせたり現代に近づけたりする事を意味しています。流量によって法則が明滅しているので。なので、この場合に、両者の違いは「その流量によって法則を変えられるかどうか」です。エーテルは変えられますが、しかし乱闘が多くとも大戦争の類が起こるだけです。いえ、大惨事ですが……そういうわけで私が言った役割の違いとはこのことです。
2020年09月16日 19時07分21秒
是に。両者の違いについてははっきりしました。
偏在化による気候変動も操作の有無は別にして筋立てられますね。ただこれ、如何なる観測方法によれば明示できるのか不明なのですが
偏在化による気候変動も操作の有無は別にして筋立てられますね。ただこれ、如何なる観測方法によれば明示できるのか不明なのですが
2020年09月16日 20時15分42秒
………現状ではエーテルを付与すると少量の清潔な水を作り出せる道具の、作動具合でエーテルの干渉を察知、作り出す水の状態を書き出して、物理に対するエーテルの影響を算出します。ふつうの状況下ではこうした現象は起きないので、先程の意味での因果的な法則の改変が起きていると考えても構わないでしょう。もちろんこれまでのやつが勘違いで本当はこうだったという種類の真なる法則、というのもあり得ます。そうなったらエーテルの濃度でも高めてください。はっきりするかもしれません。
2020年10月09日 02時29分11秒
最近外部と交流するのですがやたら属性を重視することが多い
ところで教授、固有振動説についてどう思われますか
私はわりと面白いアプローチで検証する価値があると思うのですが
ところで教授、固有振動説についてどう思われますか
私はわりと面白いアプローチで検証する価値があると思うのですが
2020年10月09日 16時03分35秒
そうですね、興味深いと思います。あまり詳しくないのですが、たぶんあの地面や空を時計に使われる伸び縮みするバネが押し上げる物体だと考えているのでしょうね。例えば、バネに押し上げられる鉄の文鎮を叩く場合には、その文鎮のその測り方を変えても変わらない物体の質的な量を小さいものや大きいものに取り替えたりバネの方も剛性が大きいものや低いものていくと、その最も振動しやすい振動の数であるところの固有振動の数が上昇したり低下したりします。同様に、光・火・風・土・水・火・闇のうちどの属性にもそうしたバネと質的な量の関数上で上下する固有な振動の数を各々割り当てる事ができ、属性の変更とは属性文鎮と属性バネの操作だと意義付ける事ができるのかもしれません。
ただ、これは非常に巨大なプロジェクトです。というのも、私達の世界はみるからに複雑ですから。第一に、バネに押し上げられる文鎮の測り方を変えても変わらない質的な量を上手いこと引き出す手法を編み出さねばならないでしょう。想像としてはある測りの目盛りを細くしたり大雑把にしても、他の測りとの相対的な量によって意義付けられる何かになるでしょうね。第二に、その質的な量がわかったとしても現実的に存在するのは肉や金属で出来た個々の測りであるということです。誰でも経験があると思うのですが、あるものを測る際測りに何時の間にか別の物品が乗っている事があるでしょう……こうした事態を含めていえばある特定の属性なるものの意義がはたしてあるのかどうか……。想像では、それでもあると思います。なぜなら、私達は水がぽちゃんと落ちる音と木のドアがぎぃと鳴る音を間違えないでしょうから。
ただ、これは非常に巨大なプロジェクトです。というのも、私達の世界はみるからに複雑ですから。第一に、バネに押し上げられる文鎮の測り方を変えても変わらない質的な量を上手いこと引き出す手法を編み出さねばならないでしょう。想像としてはある測りの目盛りを細くしたり大雑把にしても、他の測りとの相対的な量によって意義付けられる何かになるでしょうね。第二に、その質的な量がわかったとしても現実的に存在するのは肉や金属で出来た個々の測りであるということです。誰でも経験があると思うのですが、あるものを測る際測りに何時の間にか別の物品が乗っている事があるでしょう……こうした事態を含めていえばある特定の属性なるものの意義がはたしてあるのかどうか……。想像では、それでもあると思います。なぜなら、私達は水がぽちゃんと落ちる音と木のドアがぎぃと鳴る音を間違えないでしょうから。
2020年10月09日 18時26分20秒
なるほどバネというのは分かりやすい表現ですとんと腑に落ちました
一応すべての文献で6属性であるとは言っているけれど未発見の属性が無いとは言えず
授恵者が操作できるエーテルが万能のものであるとは言えないので、実際にこれを検証できたとすれば革新的な仮説を立てることもできそうだと思っています
ただ教授の言った通り実現性や検証方法は非常に難題であると感じていますね
考えた人や信奉者には是非頑張ってほしいところです
ところで私も固有振動説を見て属性について考えたわけですが
この間軽く触れた生命が属性として入るか否かという点について
私としては創世記源流にすれば「神々が何を以て生命を定義したか」を着眼点にして考えたときその他の創造物との違いを見出せなかったのですが、6属性をエーテルの表現法として定義して自然=エーテルとしたときこれらに違いを見出せるでしょうか
属性と言うから定義を混同しがちなのですが結局のところ法則性や世界の構造を神が作った、と言っているだけのことなんですよね。結局のところ全てエーテルなのだから属性(構造)として生命は加えて然るべきなのでは?というのが疑問点です
一応すべての文献で6属性であるとは言っているけれど未発見の属性が無いとは言えず
授恵者が操作できるエーテルが万能のものであるとは言えないので、実際にこれを検証できたとすれば革新的な仮説を立てることもできそうだと思っています
ただ教授の言った通り実現性や検証方法は非常に難題であると感じていますね
考えた人や信奉者には是非頑張ってほしいところです
ところで私も固有振動説を見て属性について考えたわけですが
この間軽く触れた生命が属性として入るか否かという点について
私としては創世記源流にすれば「神々が何を以て生命を定義したか」を着眼点にして考えたときその他の創造物との違いを見出せなかったのですが、6属性をエーテルの表現法として定義して自然=エーテルとしたときこれらに違いを見出せるでしょうか
属性と言うから定義を混同しがちなのですが結局のところ法則性や世界の構造を神が作った、と言っているだけのことなんですよね。結局のところ全てエーテルなのだから属性(構造)として生命は加えて然るべきなのでは?というのが疑問点です
2020年10月09日 20時48分41秒
この場合での「属性」の意味を検討しておきましょう。属性とは、机などの物体に対して「それは何個あるのか形は?固いのか?味は?」とそれが如何な物か聞いたときの「1個、平べったく脚が四本ある、固い、まずい」などの応答の事です。それゆえ、「すべては六属性の組み合わせに等しい」の意味は「一個、平べったく脚が……」みたいなありとあらゆる応答が「火と水が云々」に等しいという意味になります。また、これに新要素として生命を加えるならば「生命が火と水を云々……」でしょうか。更に、それらがエーテルに等しいならば「エーテルが云々」に等しい事となります。
さて、生命と六属性に違いでしたか。3つの考えがあります。1つ目は、「生命は六属性で出来ている。生命は六属性に等しい」と生命を六属性に還元する道です。「生命が火と水を云々」は「火と水を云々」を雑に言った応答となりますね。2つ目は、「自然は生命属性と他六属性の組み合わせである」と7属性の考えです。「火と水を云々」は「生命が火と水を云々」を雑に言った応答になるでしょう。3つ目は1つ目の六属性と2つ目の7属性をエーテルで包括したバージョンです。この場合には、「火と水を云々」と「生命が火と水を云々」は「エーテルが云々」の雑な応答となります。ただ、私に経験される机には平べったさや個数に固さや味……如何な属性も不可分であり、どの応答をしても机が如何な物かの応答として不十分です。それゆえ、「六属性」「7属性」「エーテル」「構造」「法則」でも「属性」とは精々ある経験が可能となる条件の事です。つまり、生命は含まれても奇妙じゃないですが、それなら他のもどうだと思いますね。
さて、生命と六属性に違いでしたか。3つの考えがあります。1つ目は、「生命は六属性で出来ている。生命は六属性に等しい」と生命を六属性に還元する道です。「生命が火と水を云々」は「火と水を云々」を雑に言った応答となりますね。2つ目は、「自然は生命属性と他六属性の組み合わせである」と7属性の考えです。「火と水を云々」は「生命が火と水を云々」を雑に言った応答になるでしょう。3つ目は1つ目の六属性と2つ目の7属性をエーテルで包括したバージョンです。この場合には、「火と水を云々」と「生命が火と水を云々」は「エーテルが云々」の雑な応答となります。ただ、私に経験される机には平べったさや個数に固さや味……如何な属性も不可分であり、どの応答をしても机が如何な物かの応答として不十分です。それゆえ、「六属性」「7属性」「エーテル」「構造」「法則」でも「属性」とは精々ある経験が可能となる条件の事です。つまり、生命は含まれても奇妙じゃないですが、それなら他のもどうだと思いますね。
2020年10月09日 21時19分48秒
そうそう、つまり我々が未発見の属性があってもいいし、我々が操れない属性があってもいいという点が言いたいわけですね。そしてまた属性そのものに強い意味を求めずともよいと考えます、私としてはエーテルの本質が研究分野ですので。無理に固執する必要なく広く視野を持って捉えるとエーテルとは様々な表現法を持つわけですよ、エーテルは多様性を持ち無限の可能性を秘めているが我々にその全てを見通す方法はない。現時点でデファクトスタンダードである六属性は仮説を立てるのに便利ですがもっと言えば属性などという言葉でくくらず「エーテル表現法」とでも名付けたいところですね。その場合の単位や構成要素を洗い出す必要がありますが、我々が見ている相関性だけを観察しても因果まではたどり着けないわけですし新たなアプローチ方法を探すことには意義があると思うわけです
ただどこの研究機関でも現時点ではエーテルの測定法は属性や流量以外を見つけられていません。私が見落としている可能性もありますが、そういう意味でも固有振動説は興味深いわけですね
つまるところ拡張性が足りない……
ただどこの研究機関でも現時点ではエーテルの測定法は属性や流量以外を見つけられていません。私が見落としている可能性もありますが、そういう意味でも固有振動説は興味深いわけですね
つまるところ拡張性が足りない……
2020年10月09日 22時59分09秒
拡張性ですか。現状でもけっこうあると思いますよ。例えば、野営中に、もぞもぞと起き出して、ぼーとしながら焚き火の前に座って耳を済ませている状況に私があるとき、その火はぱちぱちとした音で心を安らがせ、その温かな光によって身を温め、周囲を明るくし、獣を避ける物として出会われています。けして音も光も温かさもなく、心を安らがせる事も有り得ず、けして周囲を明るくする事もなければ獣を避けさせる事も出来ない焚き火ではそうした独特の火に出会う事はありませんからね。それゆえ、この世界では火という物は様々な在り方をするものなのです。したがって、私達の日常の経験に即せば属性を目的の体系のなかに埋め込み……諸属性によってありとあらゆる目的に適う何かを表現できるでしょう。
2020年10月10日 00時33分12秒
いやまぁそれこそ固有振動説の検証次第では実際アレで色々説明できるんで
私としては面白い仮説がもっと増えて実証実験大量にしてくれればいいんですよね
今のところ、誰も手を挙げていないので私が手を挙げてるだけの話で
誰か金と時間のある人間がやってくれないものか……
私としては面白い仮説がもっと増えて実証実験大量にしてくれればいいんですよね
今のところ、誰も手を挙げていないので私が手を挙げてるだけの話で
誰か金と時間のある人間がやってくれないものか……
2020年10月10日 20時39分31秒
こんにちは、カースわ―ズ卿。しかし、バンビ様は此方で会うのは初めてですね。ようこそ、テロワールへ。とはいっても、ただの街角ですが。
2020年10月13日 03時29分05秒
はい、こんばんは。しかし、そういえばカースワーズ卿の研究は呪術ですが……風のうわさでは呪いと「それが呪いだと思われる」といった習慣の不可分性を主張しているそうですね。あの習慣というものは、けっこう重要な項目ですよね。
例えば、自然の学においては、「火打ち石と藁を前にした私が、それらを駆使して火を付けること」は私が“可能態”にある火を“現実態”に引き出す事であり……「この私が火打ち石と藁の前に立ったとき、その2つの物の事を火を付けるためのものだ」と捉える事が習慣化しているかどうかで火が“習態”という可能態と現実態の中間状態に在るかどうかを分類します。自然とは我々をも含めて成立しているはずですからね。習慣化されているかどうかで、火などの存在物の在り方が違うと考えるのです。それゆえ、存在物の在り方は“可能態”と“現実態”と“習態”である……とされます。しかし、しばしば“習態”は習慣者にしか見られない主観的な在り方で存在物の在り方としては“現実態”から一段劣るとみなされます。誰にでも見られるといった意味で普遍的ではないですから、その実在は習慣者の心のうちのものだろう……と。したがって、ここに何が実在するのかの問題が出てくるわけです。カースワーズ卿としては何れに与しますか?
例えば、自然の学においては、「火打ち石と藁を前にした私が、それらを駆使して火を付けること」は私が“可能態”にある火を“現実態”に引き出す事であり……「この私が火打ち石と藁の前に立ったとき、その2つの物の事を火を付けるためのものだ」と捉える事が習慣化しているかどうかで火が“習態”という可能態と現実態の中間状態に在るかどうかを分類します。自然とは我々をも含めて成立しているはずですからね。習慣化されているかどうかで、火などの存在物の在り方が違うと考えるのです。それゆえ、存在物の在り方は“可能態”と“現実態”と“習態”である……とされます。しかし、しばしば“習態”は習慣者にしか見られない主観的な在り方で存在物の在り方としては“現実態”から一段劣るとみなされます。誰にでも見られるといった意味で普遍的ではないですから、その実在は習慣者の心のうちのものだろう……と。したがって、ここに何が実在するのかの問題が出てくるわけです。カースワーズ卿としては何れに与しますか?
2020年10月13日 10時24分15秒
なるほど、たしかに習慣はモノの側にではなく、それを観察するヒトの側にあるものだと思えます。
ただ、何を可能態として何を現実態と判断するかは、それ自体私たちの経験-習慣によっている部分もあるのでは、という気もしますね。
ただ、何を可能態として何を現実態と判断するかは、それ自体私たちの経験-習慣によっている部分もあるのでは、という気もしますね。
2020年10月13日 21時16分12秒
ええ、しかも我々が行う判断は本来的にその種の傾向があるはずです。例えば、私が野営地で寝ているときにぱちぱちと音を聞いて、彼が火を焚いているのだと判断し、ばさりと天幕上げて飛び出す状況において「判断」はその人の習慣に依存しているでしょうね。誰かが魔法を使ったと判断する方もいるでしょうし、幻聴だと判断する方もいるはずです。それゆえ、現実的な存在として火が在るかどうかに関する判断もまた同様に人々の習慣に依存しているといえましょう。
ただ、「彼が火を焚いているのだ」と判断する事と実際に見て察する事は異なります。例えば、私が天幕を飛び出したあと実際目の前で「彼が火を焚いていること」の実在を察し、注意を諸々に向けて「ぱちぱちと音がして……」とその細やかなところに気が付くのです。さて、この「ぱちぱちとした音、ぼぅぼぅと燃える音、赤さや黄色さ」の何処にも火はありませんし、火なしでもそうした音や色が成立する事は有り得るでしょう。しかし、火においてそうした感覚様相がないときその火は実在しないと呼ばれます。それゆえ、私が「彼が火を焚いているのだ」と察する事は判断された「彼が火を焚いている事」の実在性を充足する意味で違います。
したがって、判断が習慣によって成立する事は察する事が習慣によって成立する事を含意せず、何が現実態で可能態なのかの区別はその何かを察する事ができるかどうかでなければならないと各々の習慣と経験から独立して認められる事なのだ――と彼等ならば応答するかもしれません。ただ、私見ではいかなる判断からも独立した経験は現実的じゃありません。カースワーズ卿もそうした感じを受けたのですか?
ただ、「彼が火を焚いているのだ」と判断する事と実際に見て察する事は異なります。例えば、私が天幕を飛び出したあと実際目の前で「彼が火を焚いていること」の実在を察し、注意を諸々に向けて「ぱちぱちと音がして……」とその細やかなところに気が付くのです。さて、この「ぱちぱちとした音、ぼぅぼぅと燃える音、赤さや黄色さ」の何処にも火はありませんし、火なしでもそうした音や色が成立する事は有り得るでしょう。しかし、火においてそうした感覚様相がないときその火は実在しないと呼ばれます。それゆえ、私が「彼が火を焚いているのだ」と察する事は判断された「彼が火を焚いている事」の実在性を充足する意味で違います。
したがって、判断が習慣によって成立する事は察する事が習慣によって成立する事を含意せず、何が現実態で可能態なのかの区別はその何かを察する事ができるかどうかでなければならないと各々の習慣と経験から独立して認められる事なのだ――と彼等ならば応答するかもしれません。ただ、私見ではいかなる判断からも独立した経験は現実的じゃありません。カースワーズ卿もそうした感じを受けたのですか?
2020年10月14日 00時24分28秒
そうですね、それほど習慣とは私たちの肉体と精神に染みついて離れがたいものだと思います。
とは言え、現実態と可能態の区別には真に正解があって、私たちはまさしく習慣によってそれを間違えることもある……という可能性を否定する者でもないです。
実際のところ、私の専門分野ではないですし、判断は保留しておきます。
とは言え、現実態と可能態の区別には真に正解があって、私たちはまさしく習慣によってそれを間違えることもある……という可能性を否定する者でもないです。
実際のところ、私の専門分野ではないですし、判断は保留しておきます。
2020年10月14日 01時21分24秒
では、一応専門に引っかかる私が悩んでおきますか。簡単な問題という訳でもありませんからね。しかし、ちょっとした質問なのですが……カースワーズ卿は呪術を研究しようと思い至ったきっかけとかあったりはしますか?私はけっこう流れで決めたのですが。
2020年10月14日 02時05分53秒
ええ。自然学ならびに形而上学は私にとっても興味の尽きない分野ですが、現在の関心は呪術に向いていますので……!
きっかけですか。……私は幼少の頃、自分は運が悪いと思い込んでいまして……いま思えば充分恵まれた環境にいたのですけど。まぁ、そこでその運の悪さを誰かに呪われてるせいだと考えてしまったのですよね。
それからですね、私が呪いについて詳しく調べるようになったのは。
きっかけですか。……私は幼少の頃、自分は運が悪いと思い込んでいまして……いま思えば充分恵まれた環境にいたのですけど。まぁ、そこでその運の悪さを誰かに呪われてるせいだと考えてしまったのですよね。
それからですね、私が呪いについて詳しく調べるようになったのは。
2020年10月14日 03時37分55秒
運の悪さですか。荒波のようなこの世の不確定さによって己が何をする者であるのか……つまりはこの地平における自らの魂が脅かされ、これに抵抗して魂を救おうとしたところ……呪いの学に吸い寄せられたと。しばしば聞く話ですね。私などは懺悔をしてしまいそうになるのですが、研究を目差すとは勤勉です。幼いながらも学ぶことによって、これまで見えなかったものが見えるようになること……魂が陶冶されることを知っていたのでしょうか。しかし、現在はどういった興味で動いているのですか?私などは好奇心の赴くままというのが正直なところですが。
2020年10月14日 21時52分44秒
我が父祖たちもたしかに感覚への愛好を根拠に、その事を述べておりました。実際この現場で芳しい香りを嗅いだならば、その源が如何な姿・音・肌触り・味をしているのだろうかとその存在の在り方の豊かさを知ろうと揺さぶられるものです。ときには、全霊をそのために賭してしまいそうな……つまりは魂がそこへと収束していってしまいかねない程に……
ところで、このように誘惑を受けてその魂が感覚へと従属しかねない者である事、すなわち我々の魂の基礎に置かれたこの脆さは禁欲の際最も忌まわしく感じるものです。私などは、けっこう誘惑に負けてしまいますね。修道会にいた際などは、よく断食中にお菓子を……いえ……つまるところ!善用できれば何ら問題ないのですが、しかしなかなか難しいでしょう。この感覚の善用を妨げる呪いや、あるいは善用を促進する呪いというものがあれば面白いかもしれませんね。
ところで、このように誘惑を受けてその魂が感覚へと従属しかねない者である事、すなわち我々の魂の基礎に置かれたこの脆さは禁欲の際最も忌まわしく感じるものです。私などは、けっこう誘惑に負けてしまいますね。修道会にいた際などは、よく断食中にお菓子を……いえ……つまるところ!善用できれば何ら問題ないのですが、しかしなかなか難しいでしょう。この感覚の善用を妨げる呪いや、あるいは善用を促進する呪いというものがあれば面白いかもしれませんね。
2020年10月15日 11時25分08秒
禁忌を定め、それに違反すると災いが降りかかるという類の呪いを応用することはできるかもしれませんね。
けれど、あまりお勧めはできません!
ある酒好きの男がお酒を控える為に、自分に一日に一定量以上のお酒を飲むと破滅するという呪いかけたという話があるのですが……。
男は毎日ノルマのように誓約を破らない程度の酒を飲むようになり……ある日、ギリギリまで飲んだ後、うっかり水と間違えて酒を口にしてしまったそうです。
では、違反時の罰をそれほどひどくないものにすればと考える人もいるかもしれませんが、その場合は懲罰を受けることが本来抑制したかった行為に伴う罪悪感を軽減し、逆にその行為が増えるという結果になる場合もあるようです。
けれど、あまりお勧めはできません!
ある酒好きの男がお酒を控える為に、自分に一日に一定量以上のお酒を飲むと破滅するという呪いかけたという話があるのですが……。
男は毎日ノルマのように誓約を破らない程度の酒を飲むようになり……ある日、ギリギリまで飲んだ後、うっかり水と間違えて酒を口にしてしまったそうです。
では、違反時の罰をそれほどひどくないものにすればと考える人もいるかもしれませんが、その場合は懲罰を受けることが本来抑制したかった行為に伴う罪悪感を軽減し、逆にその行為が増えるという結果になる場合もあるようです。
2020年10月17日 21時20分57秒
たしかにその手法だと効果的ではありませんね。その点では、自らあるいは他者に寄り頼む方がよいかもしれません。自分でルールを作るなり、友人に教えて貰うなり。古来からの手法はさすがに汎用性が高いです。しかし、そうした罰則系の呪いもあるのですね。行動抑制系はありますか?
2020年10月18日 15時30分24秒
魔術によって精神へと干渉し、「〜しなければならない」という観念を植え付けるといったものはその類になりますね。
実際には罰則がなくとも、対象が「罰則がある」と無意識にでも感じていれば、同様の効果は得られるでしょう。植え付ける観念は何も罰則に限らなくとも良いですが。
また、行動を制限するという点では、他者の欲望の対象を変更したり、欲望を強化することができればそれを利用できるかもしれません。私もよく恋のまじないを相談されることがありますが、かけられる側からすれば実際それは呪いそのものですよね。
実際には罰則がなくとも、対象が「罰則がある」と無意識にでも感じていれば、同様の効果は得られるでしょう。植え付ける観念は何も罰則に限らなくとも良いですが。
また、行動を制限するという点では、他者の欲望の対象を変更したり、欲望を強化することができればそれを利用できるかもしれません。私もよく恋のまじないを相談されることがありますが、かけられる側からすれば実際それは呪いそのものですよね。
2020年10月19日 23時41分43秒
命法の形で迫ってくる呪いですか。それにかかってしまえば、まるで里のなかだけで育てられた純粋な村娘みたいになってしまう……なかなか怖いものですね。しかし、欲望に干渉する恋のまじないが呪いだという事は同意します。そしておそらくは……魅力的なものはそれだけで極めて強力な呪いなのです。なにせかかってもいいとさえ思ってしまいますからね。
2020年10月20日 09時50分47秒
面白いアプローチだな……(メモ書き)ただ、その仮定で疑問があるのだが(唐突に割って入って)それは必ずしも魔術が必要になるものかということで、私は厳密に言えば呪いというのはエーテル操作に関わらず使えるエーテルより根源的な世界の法則ではないかと考えているわけだがカースワーズ卿はどのようにお考えだろうか
2020年10月21日 17時46分35秒
>エーファさん
ええ、実際に呪いというのは日常に溢れているのですよね。私たちの用いる言語も、まさしく魔術なのですから……。
しかし魅力的なものですか。エーファさんをそこまで誘惑するものとは例えば何になるのでしょう……?
>アルフレッドさん
そうですね、所謂「エーテル」以外の未知なる力が働いている可能性は大いにあると思います。しかし、それもまたエーテルの異なる発現の仕方であり、結局はエーテルの一部なのだという可能性も残ります。
問題はエーテルとは何なのかという問いに対する究極的な答えがまだ見つかっていないことだと思います。
そこで便宜的に私は「通常の物理法則を越えた現象を引き起こす要素」を「エーテル」と呼称していますが、このエーテル還元主義ともとられる立場はエーテル研究が進めば打ち捨てられるかもしれませんし、私もそれを望むものですね。
ええ、実際に呪いというのは日常に溢れているのですよね。私たちの用いる言語も、まさしく魔術なのですから……。
しかし魅力的なものですか。エーファさんをそこまで誘惑するものとは例えば何になるのでしょう……?
>アルフレッドさん
そうですね、所謂「エーテル」以外の未知なる力が働いている可能性は大いにあると思います。しかし、それもまたエーテルの異なる発現の仕方であり、結局はエーテルの一部なのだという可能性も残ります。
問題はエーテルとは何なのかという問いに対する究極的な答えがまだ見つかっていないことだと思います。
そこで便宜的に私は「通常の物理法則を越えた現象を引き起こす要素」を「エーテル」と呼称していますが、このエーテル還元主義ともとられる立場はエーテル研究が進めば打ち捨てられるかもしれませんし、私もそれを望むものですね。
2020年10月23日 19時20分33秒
還元主義は多くの場合、批判的に見られがちだがやはり未知の分野に対してのアプローチに際しては重要な一面もあるかと思われます
私はエーテル研究を進めている者ですが、やはり根本で問題となっているのは創世記ですね……あらゆる記述はアレを主流にしているため相対的な検証が難しいのも現状の難題ではあると思います
例えばエーテルは操作の有無にかかわらず世界を構成する要素だと認識されており、また記述も「澱」「エーテルの澱」「エーテル」等文献によってさまざまですが何故かこれらは同義語のように扱われており言語学的見地から見ると明らかに別の呼称であるのに意味として同じ扱いをされてます。これもまた創世記の記述から得られた知見でしかないので検証が難しいところでありますね。一応研究機関の主流が分かりつつあるので私個人の見解も近々紹介するかもしれません。
それはともかく呪いについてですが興味深いので今後も知見を交わしたいところですね
私はエーテル研究を進めている者ですが、やはり根本で問題となっているのは創世記ですね……あらゆる記述はアレを主流にしているため相対的な検証が難しいのも現状の難題ではあると思います
例えばエーテルは操作の有無にかかわらず世界を構成する要素だと認識されており、また記述も「澱」「エーテルの澱」「エーテル」等文献によってさまざまですが何故かこれらは同義語のように扱われており言語学的見地から見ると明らかに別の呼称であるのに意味として同じ扱いをされてます。これもまた創世記の記述から得られた知見でしかないので検証が難しいところでありますね。一応研究機関の主流が分かりつつあるので私個人の見解も近々紹介するかもしれません。
それはともかく呪いについてですが興味深いので今後も知見を交わしたいところですね
2020年10月23日 21時14分52秒
ええ、その意味で言うならばその通りですね。詐欺師なんかは実際魔術師なのかもしれません。しかし、魅力的といえば……そうですね。この世界を創造した者の覚醒と夢、視線と瞬き、触覚と麻酔……つまりは創造者のある論理とその論理を媒体する物が見える瞬間です。例えば、ヒトは常に覚醒し何かを見て感じているのではなく……いつか寝ますし、瞬きもしますし、麻酔をかければ感覚も失せます。しかし、大抵の場合は寝ていると「私は寝ているぞ」と意識しませんし「これが瞬きというものだ!」と見ませんし、「これが感覚のなさというものだ」と感じたりはしません。しかも私がそうしたことに気が付くのは誰かに教えられたり鏡を見たり腕を動かした際に変な感じがするなど間接的な経路を通っているのです。そうした事情がこの世界の創造者にもあり得たらどうかと考えたらわくわくしませんか?つまり創造者の視線がこの世界を貫き、覚醒によってくっきりと創造されるものとして世界が見られるとき……その視線・覚醒・創造を媒介しているものは何なのでしょうか?眼球と脳と手なのでしょうか?すごく気になりますね。
それでは、ギ卿の見解を楽しみにしておきますね。しかし、呪いですか。今回「呪い」と呼ばれているのは「山を見たらそれは登る為の物だと感じ、その山の麓に直行して登ろうとしている者」に対して「山の恐怖を教え込む事」によって思い留まらせる事の類型だと言えましょう。なぜなら、罰則も命法も行為者の行為を左右する手段として捉えられているからですね。しかし、そうなると興味深い点が浮かび上がってきます。誰もがその呪いにかかっても問題ないものがあるという事です。
それでは、ギ卿の見解を楽しみにしておきますね。しかし、呪いですか。今回「呪い」と呼ばれているのは「山を見たらそれは登る為の物だと感じ、その山の麓に直行して登ろうとしている者」に対して「山の恐怖を教え込む事」によって思い留まらせる事の類型だと言えましょう。なぜなら、罰則も命法も行為者の行為を左右する手段として捉えられているからですね。しかし、そうなると興味深い点が浮かび上がってきます。誰もがその呪いにかかっても問題ないものがあるという事です。
2020年10月23日 21時22分35秒
問題ない、とは矛盾しないという事です。例えば、すべてのヒトが殺戮を働かなくなっても全員非殺戮者のままで在れる一方で全員が殺戮を行い……そして完璧に遂行されたならばもう殺戮を行う事ができなくなってしまい殺戮者たる事ができなくなってしまうということです。面白いですね。
2020年10月23日 22時20分53秒
今回の呪いについては「動機付け」について働きかけるものあるいは動機そのものと同義なわけですが、追加定義するならば「発信者」と「受信者」が明確に存在していることが前提でなければ「すべての行為を呪い」として矛盾せず観測できるので検証としては大雑把にありましょう
呪いを一方通行の手紙だとしましょう。発信者はあらゆる人間に手紙を観測させることができ、かつ観測することで動機づけという呪いを受信します。之において時間的・空間的な条件付けはまた個別として省きます。受信者が手紙の内容を読めない、理解できない場合はこれを受信拒否と定義し呪いが発動しない。手紙を受け取った時点で呪いが発動する場合は強制受信と定義し呪いの発動を観測……大雑把にまとめれば呪いとは発信者から受信者との関係性で成立していますね。一方通行なのに関係性なのは、発信者側と受信者側で定義をいくらでも付与でき、その定義次第では受信者側も強制力を拒否できる可能性があるからです。これは自己暗示が分かりやすい例ですね
呪いを一方通行の手紙だとしましょう。発信者はあらゆる人間に手紙を観測させることができ、かつ観測することで動機づけという呪いを受信します。之において時間的・空間的な条件付けはまた個別として省きます。受信者が手紙の内容を読めない、理解できない場合はこれを受信拒否と定義し呪いが発動しない。手紙を受け取った時点で呪いが発動する場合は強制受信と定義し呪いの発動を観測……大雑把にまとめれば呪いとは発信者から受信者との関係性で成立していますね。一方通行なのに関係性なのは、発信者側と受信者側で定義をいくらでも付与でき、その定義次第では受信者側も強制力を拒否できる可能性があるからです。これは自己暗示が分かりやすい例ですね
2020年10月23日 22時54分36秒
発信者と受信者を定義に含むと、「私が山を見て登ろうと感じる事」と「私が友人から山の恐怖を教えられて尻込みした」場合の違いを語らねばならなくなります。なぜなら、前者では発信者なしに受信者があり得る一方で後者では両者共にあり得るからです。それゆえ、ギ卿の言う呪いは私と他者との間で成立する社会的行為のみに限定されることになるでしょう。なぜなら、発信者なしの行為は呪いとしての条件を満たさないからです。それゆえ、発信者と受信者は過剰です。ただし、私が友人から山の恐怖を教えられるような場合では発信者と受信者が存在し得る事は認めます。とは言え、それは山の荒れ具合を見て「これは登るより眺める為のものだな」と後ずさりしたとかでもいいわけです。したがって、此処でも発信者と受信者といった社会的関係よりも「それが何の為の物と見られているのか」といった目的-手段連関の側面によって私の為す事は変わっていると社会に対する目的・手段連関の優位性を主張しておきます。
ところで、動機に関してですが……今回は動機とも言い得るだけで動機一般を持ち出すと厄介になります。なぜなら、私が誰かを殺した際「貴方は何故彼を殺したのか?」といった質問に対する「彼は私の兄を殺したからだ」との応答は私が復讐する動機を答えていますが……私が彼を殺す事は復讐を成し遂げる手段なのでしょうか?それとも私が彼を殺す事が復讐なのでしょうか?それとも両立し得るのでしょうか。何れにしてもこの問題に応答せねばならないでしょう。それゆえ、この問題を避ける為に動機よりも素朴に行為者の為す事の変更という言及に留めて置きたい処ですね。いえ、重要な問題ですが。
ところで、動機に関してですが……今回は動機とも言い得るだけで動機一般を持ち出すと厄介になります。なぜなら、私が誰かを殺した際「貴方は何故彼を殺したのか?」といった質問に対する「彼は私の兄を殺したからだ」との応答は私が復讐する動機を答えていますが……私が彼を殺す事は復讐を成し遂げる手段なのでしょうか?それとも私が彼を殺す事が復讐なのでしょうか?それとも両立し得るのでしょうか。何れにしてもこの問題に応答せねばならないでしょう。それゆえ、この問題を避ける為に動機よりも素朴に行為者の為す事の変更という言及に留めて置きたい処ですね。いえ、重要な問題ですが。
2020年10月23日 23時33分20秒
ただ、発信者と受信者の発想は「私が山を見て登ろうと感じる事」の山が私が登り得る物と見られているなかで潜在的には「こんな危険な山に登ろうとするのは、余程の登山家だけだろう」等と私達は眼前にある山を他者が登り得るものとして見る事が可能です。そして、他者が登り得えない山などというものは現実的には殆どないでしょう。それゆえ、山などの何らかの為に在る物の潜在的な行為可能性を検討する際には必須の観点ですね。
2020年10月23日 23時47分58秒
全て教授が語ってくれたので要点だけ言うとつまり発信者なしの行為は呪いではないと主張してます。目的・手段連関の優位性も認めますしそちらの方がより研究としては理想的でしょう
が、それでは検証範囲が広域になり実現性を鑑みると個人の研究としては財源・時間・対象数・検証能力の観点から高難易度となってしまいます。我々は無限の財源も無限の時間も有しておりませんので限定した設定をさせていただきました
動機というよりもインセンティブが適切でしたね、申し訳ありません。動機一般だとやや定義が曖昧になりますね
現時点で「私は貴方を殺した」という動機は現在存在していません。それゆえ「私は貴方を殺していない」という事実がこの時点であります。しかし、「私は貴方を殺したい」という意欲を強制的に引き出す外部刺激が呪いに該当します。「彼が兄を殺した」事実が存在しそれを認知した場合、これもインセンティブと言えるでしょう
その結果「私は貴方を殺した」という結果が生じた時、「貴方は何故彼を殺したのか?」という質問に対して「私は彼を殺したかった」の応答だけで動機が完結します。「私」にとって「彼が兄を殺した」行為がインセンティブに該当したならば「彼は私の兄を殺したからだ」と応答することで逆説的に因果関係は成立します
よって殺す事が手段か、目的かはここでは不要になります。それはインセンティブの報酬に当たる部分であり、その事実は呪いとの相関はあっても因果はありません
が、それでは検証範囲が広域になり実現性を鑑みると個人の研究としては財源・時間・対象数・検証能力の観点から高難易度となってしまいます。我々は無限の財源も無限の時間も有しておりませんので限定した設定をさせていただきました
動機というよりもインセンティブが適切でしたね、申し訳ありません。動機一般だとやや定義が曖昧になりますね
現時点で「私は貴方を殺した」という動機は現在存在していません。それゆえ「私は貴方を殺していない」という事実がこの時点であります。しかし、「私は貴方を殺したい」という意欲を強制的に引き出す外部刺激が呪いに該当します。「彼が兄を殺した」事実が存在しそれを認知した場合、これもインセンティブと言えるでしょう
その結果「私は貴方を殺した」という結果が生じた時、「貴方は何故彼を殺したのか?」という質問に対して「私は彼を殺したかった」の応答だけで動機が完結します。「私」にとって「彼が兄を殺した」行為がインセンティブに該当したならば「彼は私の兄を殺したからだ」と応答することで逆説的に因果関係は成立します
よって殺す事が手段か、目的かはここでは不要になります。それはインセンティブの報酬に当たる部分であり、その事実は呪いとの相関はあっても因果はありません
2020年10月24日 00時44分47秒
そうですか、しかしインセンティブ?興味深い概念ですね。私が誰かを殺す以前において、何らかの刺激が働いて私が誰かを殺した状況下で友人が私に「貴方は何故彼を殺したのか?」といった質問をしたところ私が「彼は私の兄を殺したからだ」と応答した場合はその事がインセンティブと呼称されるのでしょうか。ならばおそらく、その応答が真か偽かに関しては実際どうであったかを調べる作業によって明らかになるものなのでしょうね。かくして私は因果的に真な命題を手にするわけです。有り得そうな話です。
ただ、卿はインセンティブの因果的な側面と意味的な側面の両面を分離可能だと思っているようですね。なぜなら、インセンティブの内容は応答の中で明らかになっていくのですが……卿はその内容を報酬と呼んでその因果的な側面と別にするからです。もちろんそれでも興味深い研究は可能でしょうね。私が何と認知するかに依らずシンプルな因果関係として呪いを記述するのです。しかし、応答のなかで判明するインセンティブの内容と無関係に因果が成立する事はあり得ないでしょう。どんなインセンティブであれ、私に認知され得ないならば私がそのインセンティブによって「彼は私の兄を殺したからだ」とはならないわけですから。それは卿が「逆説的に因果関係が成立する」といった言葉で表現した通りです。それゆえ、卿の言葉を使えば目的と手段などの報酬可能性によって因果関係が決定するのではありませんか?我々の応答のなかで。
あっそろそろ50に到達しそうなので、カースワーズ卿の呪いやエーテル還元論、そしてまた私を魅了する創造者やこの文章への応答は次スレでお願いします。
ただ、卿はインセンティブの因果的な側面と意味的な側面の両面を分離可能だと思っているようですね。なぜなら、インセンティブの内容は応答の中で明らかになっていくのですが……卿はその内容を報酬と呼んでその因果的な側面と別にするからです。もちろんそれでも興味深い研究は可能でしょうね。私が何と認知するかに依らずシンプルな因果関係として呪いを記述するのです。しかし、応答のなかで判明するインセンティブの内容と無関係に因果が成立する事はあり得ないでしょう。どんなインセンティブであれ、私に認知され得ないならば私がそのインセンティブによって「彼は私の兄を殺したからだ」とはならないわけですから。それは卿が「逆説的に因果関係が成立する」といった言葉で表現した通りです。それゆえ、卿の言葉を使えば目的と手段などの報酬可能性によって因果関係が決定するのではありませんか?我々の応答のなかで。
あっそろそろ50に到達しそうなので、カースワーズ卿の呪いやエーテル還元論、そしてまた私を魅了する創造者やこの文章への応答は次スレでお願いします。