追いかけっこ、それは時に命がけ
キャラクターノベル制作 ウケッキ納品 2023年11月13日 09時24分12秒
●追いかけっこ、それは時に命がけ
某所、深い森の中。
そこに少年【レゼル】の姿があった。彼は【ストレガ・L・リベルガストラ】の助手だ。
息を切らしながら走る少年の衣服はボロボロで、所々擦り切れている。身体にも切り傷や擦り傷が多く刻まれていた。
「はあ、はあ……ここまで来れば、少しは時間が稼げ――」
そこまで言った彼はハッとして少し右に体を捩った。すると、頬を掠める様に何かが飛来する。それは眼前の木の幹に深々と突き刺さった。
よく見ればそれはストレガ愛用の武器【庖丁】だった。肉を切り、皮を剥ぎ、骨を抜き去る獣狩り。対獣相手には頼れる武器だが、今向けられるのは御免こうむりたい、彼はそんな気分でいっぱいだ。
「ふむ、避けたか。肩ぐらいには当たるかと思ったのだー」
振り返って木の上を見上げると、そこには木の枝に腰かけたストレガの姿があった。足をぶらぶらしながら楽しそうに笑っている。
「当たったらひとたまりもありませんよ!?」
「大丈夫なのだ、ミネウチ、なのだ!」
ミネウチとは言うが飛来した庖丁は回転しながら飛んできていた。とてもミネウチできる状況ではない。きっと昨日読んでいた東方由来の書物の影響だろう。
まだ慌てているレゼルにストレガはにやにやと笑いながら問いかける。その瞳は妖しく、まるで獲物を見るハンターのような目であった。
「ほらほら、逃げなくていいのだ? こっちは待つ義理はないのだー」
それだけ言うとストレガは青藍に光る錨と鎖を顕現させる。【足絡之呪】、相手の動きを阻害する彼女のスキルだ。
ストレガは錨をレゼル目掛けて飛ばす。光る錨がレゼルに迫った。
「ひぃいいいーーー!?」
レゼルは背を向けて走り出し、ぎりぎりまで錨を引き付けると横っ飛びに飛んで草むらに飛び込んだ。
それを見て感心した顔をストレガは向ける。なぜなら、彼女の予測では動きが止められると思ったからだ。
一般人であるレゼルと冒険者の彼女では身体能力に差がある。勿論、経験も。
かなり甘く狙っているとはいえ、ストレガの足絡之呪は簡単に外れるものでもない。彼は事前に聞いた彼女のスキルの特性からストレガの癖を見極めて避けるに至ったのだろうと予測できた。伊達に彼女に訓練でぼこぼこにされているわけではないようだ。
「ふむ、ちゃんと学習しているようで感心したのだ。なら……もう少し本腰を入れるとするか」
少し嬉しそうに笑ったストレガは木の枝から地面へと降りると【教鞭】をくるくると回してから地面へと突き立てた。目を閉じ、学舎の長の言葉を思い出す。
『優しいだけでも厳しいだけでも指導とは言えません。バランスが大事なのです』
「バランス……甘いだけでは訓練にあらず、きちんと厳しい面も見せる必要があるのだ。行くぞ、少年ッ!」
そう叫んだストレガはレゼルが消えた草むらの方角へと走り去っていくのであった。
太い木の幹に背を預け、レゼルは座り込んでいた。もう足は限界で長く走ることはできないだろう。体のあちこちも痛みと疲労で悲鳴を上げている。
「あと、数分……そう、あと数分だけ逃げれば、僕の勝ち。でも、きっとストレガ様は僕を長くは見失わない」
彼の師匠でもあるストレガは知識人な上に冒険者。身体能力も比べるまでもなく彼女の勝ちだ。そんな相手を前に、疲労した体で長く逃げ続けられるわけがない。
レゼルは額に巻かれた赤いハチマキを触る。これはこの訓練が始まる前にストレガに渡された物だ。
「このハチマキを奪われれば僕の負け。奪われなければ僕の勝ち。とはいっても、あと数分。どうやって維持するべきか」
彼はこれまでに彼女から教わったことを思い返しながら対策を練っていた。
強い敵と相対することはこの世界で生きていれば珍しい事ではない。魔獣やクリーパーなどがいい例だ。
格上の魔獣やクリーパー相手では命乞いすら無意味。あるのは圧倒的な力量差。それを覆す術がなければ、命の保証はない。
「大丈夫、僕だってストレガ様の弟子だ。考えろ、頭を回すんだ……戦力差が圧倒的なら取れる手は限られてくる」
草むらを抜け、太い木が立ち並ぶエリアに出たストレガは真正面に立ったまま此方を見つめているレゼルと相対した。
「ほほう? 逃げ続けると思っていたのだが、もう諦めたのだ? いや、違うか……ふふ、何かを用意しているな?」
「さあ、どうでしょうね。ストレガ様なら見抜けるのではないですか?」
頬から冷や汗を一滴流しながらレゼルは後ずさる。
ストレガは周囲を横目で確認するが、一見すれば特に怪しい物は見当たらない。
(何も仕掛けていない? いや、少年のことだ。何かしらの策はあるはず……何なのだ?)
多少警戒しながらもストレガは教鞭をレゼルに向ける。彼女がそれを抜いたということは、ある程度実力を出すという証だ。
「少年、これを抜いたということはわかっているのだ?」
「ええ、勿論。油断は負けに直結する、そういうことですよね」
「うむ。わかっているなら行くのだ! そこにとどまれッ!」
ストレガはレゼルの動きを阻害するように重力場を放つ。移動場所を限定され、レゼルは完全に逃げ場を失った……はずだった。
「そう来ると思いましたよ!」
木の幹を足場にジャンプしたレゼルは木の枝から吊るした縄を掴んで振り子のようにストレガの方へと飛んだ。
(ストレガ様はキャスター、接近戦は不得手。だけど僕とストレガ様では身体能力に差があり過ぎる、だから!)
ストレガに接近したレゼルは懐から緑色の花を取り出した。それを両手で思いっきり潰す。するとぶわっと緑色の粉がまき散らされた。
「こ、これは、幻惑花の花粉!? か、考えたのだ、少年!」
まともに花粉を吸いこんでしまったストレガの視線の先でレゼルが何人にも分身して見えた。幻惑花の効果のようだ。幻惑花は大量に花粉を吸いこむと、少しの間幻覚が見える作用がある。
「これならあと数分ぐらいは時間が稼げるはず。ストレガ様、この訓練勝ちは貰いましたよ!」
ストレガは目を閉じ、静かに呼吸を整える。耳を澄まし、レゼルの息遣い、足音、衣擦れの音に集中した。幻覚には実体はない。勿論、音は発生しないのだ。
小さく息を吐き、足を踏み出すようにしてストレガは回し蹴りを放つ。すると手ごたえがあった。同時にぐえっというレゼルの声。
目を開けると、お腹を押さえたレゼルがその場に倒れ込んでいた。どうやら見事に命中したらしい。
「み、見えていないはずなのに……な、なぜぇっ」
「即席のギミックでの重力場の回避に幻惑花の用意、実によく考えた作戦なのだ。だが……甘いのだ。幻覚には音がない。衣擦れや足音、息遣いに集中すれば見抜けないこともないのだ」
「な、なんとぉぉ……っ」
まだぷるぷると痛みに震えているレゼルの頭からハチマキを奪うと、ストレガはにやりと笑った。見上げるレゼルの顔に絶望の色が浮かぶ。
「これで私の勝ちなのだ。では少年……罰ゲームとして地獄の超特訓コースなのだッ! 厳しくいくから死ぬなよ、少年」
「えぇぇえッ!? し、死ぬ可能性があるんですか!? こ、言葉のあやですよね!? ね!?」
明後日の方向を見るストレガの態度にレゼルは、ああこの特訓本当にやばいんだな、と察するのであった。
翌日。森の中にストレガとレゼルの姿があった。
レゼルの眼前。高い木の枝にストレガは座って教鞭を掲げている。
「では、びしばし行くのだ! きちんと避けるのだぞ、少年。狙いは甘くしてあるから大丈夫なのだ」
(はぁ……始まってしまった。訓練中のストレガ様の大丈夫は大丈夫じゃないからなぁ……)
不安を抱えながらもレゼルはストレガの動きに注目する。スキルを使うのだろうから、その発動の瞬間を見逃さないようにする為だった。
にやっと笑ったストレガは教鞭を持っていない方の手で木の上から垂れている数本の縄の内、一本を引く。
すると次の瞬間、レゼルの真横の草むらから丸太が飛んできた。勿論、横っ腹に鈍い殴打を受けレゼルは吹っ飛んだ。
「ぎゃあああぁあぁあーーー!?」
「どこを見ているのだ? 何も教鞭を掲げているからといってスキルを使うとは限らないのだ。ほら、どんどんいくのだー」
よろよろと立ち上がったレゼルが顔を上げると、視界に数本の矢が迫ってくるのが映った。咄嗟に横に転がってそれを避ける。
「先は丸まってますけど、矢まで飛んでくるんですかァ!?」
「それで驚いていてはいけないのだ。逃げないと、危ないのだ?」
再び別の縄をグイっとストレガが引くと、レゼルの真上から大小様々な石が降ってきた。致命傷にはならないだろうが無事では済まない、それぞれがそんなサイズだ。
石の雨を避けようと後方へと飛び退いたレゼルの足が地面へと沈み込んだ。
「……え?」
木と枝や葉で偽装された落とし穴がそこにあった。だがレゼルもただやられているだけではない。必死に腕と足を延ばして穴のふちにつかまり、ぎりぎり落下するのを防いだのだ。眼下には異臭を放つ液体が満ちている。
「あ、危なあぁぁいっ! う、何ですかこの匂いは!? く、臭いッ!」
「ほほう、落ちなかったとは驚きなのだ。その液体は書物を元に調合した特製のものなのだ。あ、害はないから遠慮なく落ちていいのだ。臭いけど」
にやにやと笑いながらストレガは頑張って落ちないようにしているレゼルへと近づいた。適当な木の棒を拾うとその先で彼の脇腹をつつく。
「やっ、待って、くすぐった、あはは、だめですって、力が、抜け、抜けるぅううッ!」
「頑張らなくていいのだ、ほれほれ……諦めて落ちるといいのだ。臭い液に」
「いやだぁぁぁあ! こんな臭い液体の中にダイブなんかしたくないですってばッ! あは、あははは、やめ、や、やめてぇぇえッ!」
つついても中々落ちてくれないレゼルを見て、ストレガは攻め方を変えることにした。ふちを掴んでいる指の方へと回る。
レゼルの指へストレガは自分の指を触れさせた。
「ス、ストレガ様、い、一体、何を!?」
「少年、黙って聞くのだ。勝負は非情なもの。時には、うう、弟子を崖に突き落とすこともしなくてはならない。ああ、実に心苦しいのだ」
よよよ、とわざとらしい泣き真似をするとストレガはひとつ、またひとつと穴のふちを掴んでいるレゼルの指をはがしていく。
「ぐああぁぁあ、もう無理、無理ですって、片指二本、計四本では、落ち、落ちるぅうッ!」
「ではさらばなのだ、少年。罰ゲーム、臭い液体を余すことなく堪能すればいいのだ」
「いやだぁぁーーーー!」
彼の叫びも虚しく、指の限界を迎えたレゼルは断末魔のような叫びをあげながらストレガ特製の臭い液体へと落下していくのであった。
数時間後、夕食を食べようと焚火を囲んでいるストレガとレゼル。
レゼルはすんすんと腕を嗅ぎ、うっと顔をしかめる。
「うう、まだ微妙に匂いが残ってますよ。これ、何入れたんですか本当に」
「はっはっは、身体に悪い物は入れてないのだ。して、少年よ。さっきの液体、実は食材の味付けに使うと知っていたのだ?」
ストレガの問いかけにレゼルは驚いた顔を向ける。当然だろう、あんな臭い物が食材の味付けに使えるとは普通は思わない。
「えぇッ!? あれが、ですか!? えっと、その……何かの間違いでは?」
「いや、間違いではない。今日はそれを食べる為に訓練がてらここまで来たのだ。家で焼いた場合、匂いが染みつくと困るのだ」
それだけ言うとストレガは内臓を取って洗うなど下処理を済ませた魚の開きをレゼルに見せる。その瞬間、先程のなんとも言えない匂いが風に乗って流れてくる。二人は少々しかめっ面になったのは言うまでもない。
「これは先程の液体に漬けこんだ魚なのだ。書物によると、確かクサイヤ? とか言うはずなのだ……うっ」
「うぐっ、改めて嗅ぐと中々強烈な匂いですよねこれ。ほ、本当に食べられるんですか?」
「書物の通りに再現して漬けこんだのだ。食べられるかどうか、それを確認するのも研究の一環なのだ……はうっ」
鼻を抑えて匂いに耐えながらストレガは網の上にクサイヤを置く。適当に酒をブラシで塗って炭火で焼き始める。
すると先程よりも強烈な匂いが当たりに立ち込めた。レゼルは悶絶しながら地面を転がっている。
「ぐあぁあああ!? やばいですってコレ! 匂いがぁ、目に、鼻にぃ! あ゛ぁぁ゛ぁ゛ーー!」
「ぐぅう、よ、予想以上の香りなのだ。だが、ここで引いてはストレガの名折れ、ここは、た、耐えるのだッ!」
強烈な匂いに耐えること数十分。
ついにクサイヤが焼き上がり、皿の上に並ぶ。先程よりはマシになったがまだそこそこに臭い。
ナイフとフォークを持つレゼルだったが、匂いに気圧されて刃が入れられずにいた。
刃を身に近づけるのだが手が震えて中々、身に刃が入らない。
「ぐ、だ、ダメだ……匂いのシールドがあるかのように、これ以上刃を進めるのを手が拒否している、いや、身体が拒否してますってこれ!」
「心を確かに持つのだ、少年。書物によれば、一度体験すれば、その味を忘れられない程だという。ならば、食してみるしかないのだ! ストレガの名を受け継ぐ者として!」
まるで強敵を前にしてナイフを杖代わりに地面に突き立て、辛うじて立っているかのような……レゼルはそんな状態であった。
だがクサイヤという強敵を前に、ストレガは立ち上がりナイフを片手に立ちはだかるクサイヤへその切っ先を向けている。勿論、レゼルから見たイメージ映像というか想像なわけだが。
「待ってください、ストレガ様……あの匂いでは、歯が立ちませんよ!」
「少年……時には、玉砕覚悟で挑むことが必要なのだ。例え、ここで倒れようとも……挑まざるを得ない時がある。そういうものなのだ」
達観したように笑うストレガの隣にレゼルは立つ。フラフラとしながらも、彼もまた、刃の切っ先をクサイヤへと向ける。
「わかりました、そういうことなら……お供しますよ、ストレガ様。僕は、あなたの助手ですからね!」
「……少年。うむ、そういうことならば――――共に決死の覚悟で臨もうではないか! 覚悟するのだ、クサイヤッ!」
意を決した二人のナイフがクサイヤの身を裂き、そのほぐれた身をフォークで刺して口へと運ぶ。すると驚きのあまり、二人は目を見開いた。
「深い味わいに、濃厚で、濃縮された旨味……これが、あの匂いを放っていた魚だとは思えないのだ!」
「ええ、あり得ないですよ。あんな臭い液体からこんな美味しい魚が作れるなんて!」
二人はあんなに匂いに気圧されていたのを忘れ、パクパクと食べ進め数分の内にはクサイヤを食べ終えたのであった。
食後のお茶を飲みながら、ストレガはレゼルに書物に関しての話を語る。それをレゼルは熱心に聞いているようだ。
「あの液体は塩水に塩を継ぎ足しながら作るらしいのだ。それぞれの製作者で味わいが異なるとか」
「なるほど、塩の足す量とか塩加減には好みが出ますからね。意外と深い食べ物なんですね、クサイヤって」
「うむ、匂いに臆さず挑んで我々は勝ち得たのだ、旨味の強い魚を。今日はいい経験になったのだ」
伸びをしながらストレガはあくびをする。クサイヤと格闘していたせいでもう時間は深夜だ。
「テントで今日はもう休むのだ。ほら、寝るのだ、少年」
「あ、はいっ!」
こうして二人はテントで一夜を明かし、家へと帰っていくのであった。
今日の経験はレゼルにとっても、ストレガにとってもいい経験になったのだろう。
未知の物への恐怖に打ち勝った勝者にしか、味わえぬ美酒がある。勝利の美酒というものが。
その味を知るというのも、強者への一歩……なのかもしれない。
某所、深い森の中。
そこに少年【レゼル】の姿があった。彼は【ストレガ・L・リベルガストラ】の助手だ。
息を切らしながら走る少年の衣服はボロボロで、所々擦り切れている。身体にも切り傷や擦り傷が多く刻まれていた。
「はあ、はあ……ここまで来れば、少しは時間が稼げ――」
そこまで言った彼はハッとして少し右に体を捩った。すると、頬を掠める様に何かが飛来する。それは眼前の木の幹に深々と突き刺さった。
よく見ればそれはストレガ愛用の武器【庖丁】だった。肉を切り、皮を剥ぎ、骨を抜き去る獣狩り。対獣相手には頼れる武器だが、今向けられるのは御免こうむりたい、彼はそんな気分でいっぱいだ。
「ふむ、避けたか。肩ぐらいには当たるかと思ったのだー」
振り返って木の上を見上げると、そこには木の枝に腰かけたストレガの姿があった。足をぶらぶらしながら楽しそうに笑っている。
「当たったらひとたまりもありませんよ!?」
「大丈夫なのだ、ミネウチ、なのだ!」
ミネウチとは言うが飛来した庖丁は回転しながら飛んできていた。とてもミネウチできる状況ではない。きっと昨日読んでいた東方由来の書物の影響だろう。
まだ慌てているレゼルにストレガはにやにやと笑いながら問いかける。その瞳は妖しく、まるで獲物を見るハンターのような目であった。
「ほらほら、逃げなくていいのだ? こっちは待つ義理はないのだー」
それだけ言うとストレガは青藍に光る錨と鎖を顕現させる。【足絡之呪】、相手の動きを阻害する彼女のスキルだ。
ストレガは錨をレゼル目掛けて飛ばす。光る錨がレゼルに迫った。
「ひぃいいいーーー!?」
レゼルは背を向けて走り出し、ぎりぎりまで錨を引き付けると横っ飛びに飛んで草むらに飛び込んだ。
それを見て感心した顔をストレガは向ける。なぜなら、彼女の予測では動きが止められると思ったからだ。
一般人であるレゼルと冒険者の彼女では身体能力に差がある。勿論、経験も。
かなり甘く狙っているとはいえ、ストレガの足絡之呪は簡単に外れるものでもない。彼は事前に聞いた彼女のスキルの特性からストレガの癖を見極めて避けるに至ったのだろうと予測できた。伊達に彼女に訓練でぼこぼこにされているわけではないようだ。
「ふむ、ちゃんと学習しているようで感心したのだ。なら……もう少し本腰を入れるとするか」
少し嬉しそうに笑ったストレガは木の枝から地面へと降りると【教鞭】をくるくると回してから地面へと突き立てた。目を閉じ、学舎の長の言葉を思い出す。
『優しいだけでも厳しいだけでも指導とは言えません。バランスが大事なのです』
「バランス……甘いだけでは訓練にあらず、きちんと厳しい面も見せる必要があるのだ。行くぞ、少年ッ!」
そう叫んだストレガはレゼルが消えた草むらの方角へと走り去っていくのであった。
太い木の幹に背を預け、レゼルは座り込んでいた。もう足は限界で長く走ることはできないだろう。体のあちこちも痛みと疲労で悲鳴を上げている。
「あと、数分……そう、あと数分だけ逃げれば、僕の勝ち。でも、きっとストレガ様は僕を長くは見失わない」
彼の師匠でもあるストレガは知識人な上に冒険者。身体能力も比べるまでもなく彼女の勝ちだ。そんな相手を前に、疲労した体で長く逃げ続けられるわけがない。
レゼルは額に巻かれた赤いハチマキを触る。これはこの訓練が始まる前にストレガに渡された物だ。
「このハチマキを奪われれば僕の負け。奪われなければ僕の勝ち。とはいっても、あと数分。どうやって維持するべきか」
彼はこれまでに彼女から教わったことを思い返しながら対策を練っていた。
強い敵と相対することはこの世界で生きていれば珍しい事ではない。魔獣やクリーパーなどがいい例だ。
格上の魔獣やクリーパー相手では命乞いすら無意味。あるのは圧倒的な力量差。それを覆す術がなければ、命の保証はない。
「大丈夫、僕だってストレガ様の弟子だ。考えろ、頭を回すんだ……戦力差が圧倒的なら取れる手は限られてくる」
草むらを抜け、太い木が立ち並ぶエリアに出たストレガは真正面に立ったまま此方を見つめているレゼルと相対した。
「ほほう? 逃げ続けると思っていたのだが、もう諦めたのだ? いや、違うか……ふふ、何かを用意しているな?」
「さあ、どうでしょうね。ストレガ様なら見抜けるのではないですか?」
頬から冷や汗を一滴流しながらレゼルは後ずさる。
ストレガは周囲を横目で確認するが、一見すれば特に怪しい物は見当たらない。
(何も仕掛けていない? いや、少年のことだ。何かしらの策はあるはず……何なのだ?)
多少警戒しながらもストレガは教鞭をレゼルに向ける。彼女がそれを抜いたということは、ある程度実力を出すという証だ。
「少年、これを抜いたということはわかっているのだ?」
「ええ、勿論。油断は負けに直結する、そういうことですよね」
「うむ。わかっているなら行くのだ! そこにとどまれッ!」
ストレガはレゼルの動きを阻害するように重力場を放つ。移動場所を限定され、レゼルは完全に逃げ場を失った……はずだった。
「そう来ると思いましたよ!」
木の幹を足場にジャンプしたレゼルは木の枝から吊るした縄を掴んで振り子のようにストレガの方へと飛んだ。
(ストレガ様はキャスター、接近戦は不得手。だけど僕とストレガ様では身体能力に差があり過ぎる、だから!)
ストレガに接近したレゼルは懐から緑色の花を取り出した。それを両手で思いっきり潰す。するとぶわっと緑色の粉がまき散らされた。
「こ、これは、幻惑花の花粉!? か、考えたのだ、少年!」
まともに花粉を吸いこんでしまったストレガの視線の先でレゼルが何人にも分身して見えた。幻惑花の効果のようだ。幻惑花は大量に花粉を吸いこむと、少しの間幻覚が見える作用がある。
「これならあと数分ぐらいは時間が稼げるはず。ストレガ様、この訓練勝ちは貰いましたよ!」
ストレガは目を閉じ、静かに呼吸を整える。耳を澄まし、レゼルの息遣い、足音、衣擦れの音に集中した。幻覚には実体はない。勿論、音は発生しないのだ。
小さく息を吐き、足を踏み出すようにしてストレガは回し蹴りを放つ。すると手ごたえがあった。同時にぐえっというレゼルの声。
目を開けると、お腹を押さえたレゼルがその場に倒れ込んでいた。どうやら見事に命中したらしい。
「み、見えていないはずなのに……な、なぜぇっ」
「即席のギミックでの重力場の回避に幻惑花の用意、実によく考えた作戦なのだ。だが……甘いのだ。幻覚には音がない。衣擦れや足音、息遣いに集中すれば見抜けないこともないのだ」
「な、なんとぉぉ……っ」
まだぷるぷると痛みに震えているレゼルの頭からハチマキを奪うと、ストレガはにやりと笑った。見上げるレゼルの顔に絶望の色が浮かぶ。
「これで私の勝ちなのだ。では少年……罰ゲームとして地獄の超特訓コースなのだッ! 厳しくいくから死ぬなよ、少年」
「えぇぇえッ!? し、死ぬ可能性があるんですか!? こ、言葉のあやですよね!? ね!?」
明後日の方向を見るストレガの態度にレゼルは、ああこの特訓本当にやばいんだな、と察するのであった。
翌日。森の中にストレガとレゼルの姿があった。
レゼルの眼前。高い木の枝にストレガは座って教鞭を掲げている。
「では、びしばし行くのだ! きちんと避けるのだぞ、少年。狙いは甘くしてあるから大丈夫なのだ」
(はぁ……始まってしまった。訓練中のストレガ様の大丈夫は大丈夫じゃないからなぁ……)
不安を抱えながらもレゼルはストレガの動きに注目する。スキルを使うのだろうから、その発動の瞬間を見逃さないようにする為だった。
にやっと笑ったストレガは教鞭を持っていない方の手で木の上から垂れている数本の縄の内、一本を引く。
すると次の瞬間、レゼルの真横の草むらから丸太が飛んできた。勿論、横っ腹に鈍い殴打を受けレゼルは吹っ飛んだ。
「ぎゃあああぁあぁあーーー!?」
「どこを見ているのだ? 何も教鞭を掲げているからといってスキルを使うとは限らないのだ。ほら、どんどんいくのだー」
よろよろと立ち上がったレゼルが顔を上げると、視界に数本の矢が迫ってくるのが映った。咄嗟に横に転がってそれを避ける。
「先は丸まってますけど、矢まで飛んでくるんですかァ!?」
「それで驚いていてはいけないのだ。逃げないと、危ないのだ?」
再び別の縄をグイっとストレガが引くと、レゼルの真上から大小様々な石が降ってきた。致命傷にはならないだろうが無事では済まない、それぞれがそんなサイズだ。
石の雨を避けようと後方へと飛び退いたレゼルの足が地面へと沈み込んだ。
「……え?」
木と枝や葉で偽装された落とし穴がそこにあった。だがレゼルもただやられているだけではない。必死に腕と足を延ばして穴のふちにつかまり、ぎりぎり落下するのを防いだのだ。眼下には異臭を放つ液体が満ちている。
「あ、危なあぁぁいっ! う、何ですかこの匂いは!? く、臭いッ!」
「ほほう、落ちなかったとは驚きなのだ。その液体は書物を元に調合した特製のものなのだ。あ、害はないから遠慮なく落ちていいのだ。臭いけど」
にやにやと笑いながらストレガは頑張って落ちないようにしているレゼルへと近づいた。適当な木の棒を拾うとその先で彼の脇腹をつつく。
「やっ、待って、くすぐった、あはは、だめですって、力が、抜け、抜けるぅううッ!」
「頑張らなくていいのだ、ほれほれ……諦めて落ちるといいのだ。臭い液に」
「いやだぁぁぁあ! こんな臭い液体の中にダイブなんかしたくないですってばッ! あは、あははは、やめ、や、やめてぇぇえッ!」
つついても中々落ちてくれないレゼルを見て、ストレガは攻め方を変えることにした。ふちを掴んでいる指の方へと回る。
レゼルの指へストレガは自分の指を触れさせた。
「ス、ストレガ様、い、一体、何を!?」
「少年、黙って聞くのだ。勝負は非情なもの。時には、うう、弟子を崖に突き落とすこともしなくてはならない。ああ、実に心苦しいのだ」
よよよ、とわざとらしい泣き真似をするとストレガはひとつ、またひとつと穴のふちを掴んでいるレゼルの指をはがしていく。
「ぐああぁぁあ、もう無理、無理ですって、片指二本、計四本では、落ち、落ちるぅうッ!」
「ではさらばなのだ、少年。罰ゲーム、臭い液体を余すことなく堪能すればいいのだ」
「いやだぁぁーーーー!」
彼の叫びも虚しく、指の限界を迎えたレゼルは断末魔のような叫びをあげながらストレガ特製の臭い液体へと落下していくのであった。
数時間後、夕食を食べようと焚火を囲んでいるストレガとレゼル。
レゼルはすんすんと腕を嗅ぎ、うっと顔をしかめる。
「うう、まだ微妙に匂いが残ってますよ。これ、何入れたんですか本当に」
「はっはっは、身体に悪い物は入れてないのだ。して、少年よ。さっきの液体、実は食材の味付けに使うと知っていたのだ?」
ストレガの問いかけにレゼルは驚いた顔を向ける。当然だろう、あんな臭い物が食材の味付けに使えるとは普通は思わない。
「えぇッ!? あれが、ですか!? えっと、その……何かの間違いでは?」
「いや、間違いではない。今日はそれを食べる為に訓練がてらここまで来たのだ。家で焼いた場合、匂いが染みつくと困るのだ」
それだけ言うとストレガは内臓を取って洗うなど下処理を済ませた魚の開きをレゼルに見せる。その瞬間、先程のなんとも言えない匂いが風に乗って流れてくる。二人は少々しかめっ面になったのは言うまでもない。
「これは先程の液体に漬けこんだ魚なのだ。書物によると、確かクサイヤ? とか言うはずなのだ……うっ」
「うぐっ、改めて嗅ぐと中々強烈な匂いですよねこれ。ほ、本当に食べられるんですか?」
「書物の通りに再現して漬けこんだのだ。食べられるかどうか、それを確認するのも研究の一環なのだ……はうっ」
鼻を抑えて匂いに耐えながらストレガは網の上にクサイヤを置く。適当に酒をブラシで塗って炭火で焼き始める。
すると先程よりも強烈な匂いが当たりに立ち込めた。レゼルは悶絶しながら地面を転がっている。
「ぐあぁあああ!? やばいですってコレ! 匂いがぁ、目に、鼻にぃ! あ゛ぁぁ゛ぁ゛ーー!」
「ぐぅう、よ、予想以上の香りなのだ。だが、ここで引いてはストレガの名折れ、ここは、た、耐えるのだッ!」
強烈な匂いに耐えること数十分。
ついにクサイヤが焼き上がり、皿の上に並ぶ。先程よりはマシになったがまだそこそこに臭い。
ナイフとフォークを持つレゼルだったが、匂いに気圧されて刃が入れられずにいた。
刃を身に近づけるのだが手が震えて中々、身に刃が入らない。
「ぐ、だ、ダメだ……匂いのシールドがあるかのように、これ以上刃を進めるのを手が拒否している、いや、身体が拒否してますってこれ!」
「心を確かに持つのだ、少年。書物によれば、一度体験すれば、その味を忘れられない程だという。ならば、食してみるしかないのだ! ストレガの名を受け継ぐ者として!」
まるで強敵を前にしてナイフを杖代わりに地面に突き立て、辛うじて立っているかのような……レゼルはそんな状態であった。
だがクサイヤという強敵を前に、ストレガは立ち上がりナイフを片手に立ちはだかるクサイヤへその切っ先を向けている。勿論、レゼルから見たイメージ映像というか想像なわけだが。
「待ってください、ストレガ様……あの匂いでは、歯が立ちませんよ!」
「少年……時には、玉砕覚悟で挑むことが必要なのだ。例え、ここで倒れようとも……挑まざるを得ない時がある。そういうものなのだ」
達観したように笑うストレガの隣にレゼルは立つ。フラフラとしながらも、彼もまた、刃の切っ先をクサイヤへと向ける。
「わかりました、そういうことなら……お供しますよ、ストレガ様。僕は、あなたの助手ですからね!」
「……少年。うむ、そういうことならば――――共に決死の覚悟で臨もうではないか! 覚悟するのだ、クサイヤッ!」
意を決した二人のナイフがクサイヤの身を裂き、そのほぐれた身をフォークで刺して口へと運ぶ。すると驚きのあまり、二人は目を見開いた。
「深い味わいに、濃厚で、濃縮された旨味……これが、あの匂いを放っていた魚だとは思えないのだ!」
「ええ、あり得ないですよ。あんな臭い液体からこんな美味しい魚が作れるなんて!」
二人はあんなに匂いに気圧されていたのを忘れ、パクパクと食べ進め数分の内にはクサイヤを食べ終えたのであった。
食後のお茶を飲みながら、ストレガはレゼルに書物に関しての話を語る。それをレゼルは熱心に聞いているようだ。
「あの液体は塩水に塩を継ぎ足しながら作るらしいのだ。それぞれの製作者で味わいが異なるとか」
「なるほど、塩の足す量とか塩加減には好みが出ますからね。意外と深い食べ物なんですね、クサイヤって」
「うむ、匂いに臆さず挑んで我々は勝ち得たのだ、旨味の強い魚を。今日はいい経験になったのだ」
伸びをしながらストレガはあくびをする。クサイヤと格闘していたせいでもう時間は深夜だ。
「テントで今日はもう休むのだ。ほら、寝るのだ、少年」
「あ、はいっ!」
こうして二人はテントで一夜を明かし、家へと帰っていくのであった。
今日の経験はレゼルにとっても、ストレガにとってもいい経験になったのだろう。
未知の物への恐怖に打ち勝った勝者にしか、味わえぬ美酒がある。勝利の美酒というものが。
その味を知るというのも、強者への一歩……なのかもしれない。