深紅のドレスを翻し
キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2020年11月28日 18時46分11秒
煌々と洋灯に照らされた室内は仄明く。彼我の立ち位置は見て明らかだ。
頭の中で射線を引く。大丈夫、始点をずらせば女の子までは巻き込まないで済みそう。
ほう、と息を吐く。心が騒いでいる。冷静で、いられる自信はあまり、無い。
相手は奴隷商だ。人を人とも思わない……――――最低の人種。
遠慮はいらない。躊躇も今更なかった。誰かを救うのは、初めてでもない。
燻る感情を杖先に灯し、神の祝福の後押しを受け“有り得ざる現実”を顕現させる。
灼熱が、部屋の一角諸共に壮年の男を焼き払う。
閃光から一瞬たりと眼を逸らさず向き合うのは、栗毛に碧瞳。古木の杖を携えた一人の魔女。
――――少女は、深紅のドレスをたなびかせて其処に佇んでいた。
■
同盟第一の都、『リブラネスタ』の中でも有名な酒場と言えば。
まず名が挙がるだろう『踊る小熊亭』。時が夕刻となれば仕事を終えた冒険者が屯している。
普段それほど積極的に盛り場に近付かない彼女が、その日そこに居たのは偶々だった。
依頼の掲示。特に大規模な冒険者チームを要さない物は往々にしてあまり目立たない。
真新しい綿紙に記された内容は、支離滅裂にして混乱の極みだ。対価も安い。
ギルドの受付も良くこんな依頼を受諾したと思う。分かるのは誰が、何処で、何をしたか。
それだけ。どれほど危険か。どういった背景があるのかまるで分からない。
けれど指先で文章を辿る。滲むインクと乱れた文字。込められた想いは、如何ばかりか。
「この依頼、私が受けます」
ギルドの受付で様子を伺っていた職員のリザードマンが片目を閉じる。
酔狂だとでも思っているのだろう。きっと自分だって第三者だったらそう思う。
けれどこればかりは譲れない。正義の味方を気取る訳じゃなくても。
大切な『家族』にも。愛してくれた義理の両親にも。胸を張って生きたいから。
悪質な奴隷商に、愛娘を攫われた父親からの嘆願とあっては。
余人はともかくルアンナだけは、見て見ぬ振りをする訳には、いかない。
――――しかして、調査は滞りなく進んだ。
何せ『リブラネスタ』は悪名高い『シルバード』とはわけが異なる。
冒険者ギルドの本部が鎮座する、所謂“市民の味方”の殿堂と言える都市なのだ。
少し歩けば冒険者を相手にする情報屋の類など幾らも居る。
悪名が先立つ商人の痕跡など、逐一追いかける必要もない。打てば響くが如し、だ。
そうして奇しくも。或いは案の定。悪党は都市の外れに居を構えていた。
どうしてこういった後ろ暗いことをする人間は人の輪から進んで外れたがるのか。
もう何人かの奴隷商を――捕縛する側として――見知ったルアンナにも不思議でならない。
魔法使いの目線で言ってしまえば、狙ってくれと言うような物なのに。
とは言えそこでわざわざ忠告してあげる義理があるわけもなく。
窓辺から内部の位置関係を掴んだ直後、灼熱に燃え盛る火球を挨拶代わりに投げ込んだ。
変化は――――いっそ、劇的だ。
「クソ、何処のどいつだ、気でも狂ってんのか!」
炎が燃え移った外套を脱ぎ捨てる暇もあればこそ。
扉を蹴破り駆け込んで来るのは槍を携えた壮年の男だ。動きに無駄がない。判断が早い。
一見すれば相応の手練れと分かる。けれど、恐らく傭兵か何かなのだろう。
構えも、動きも、視線の運びも、こういった奇襲に慣れていないのが明らかだ。
男は明らかに、ドレス姿で佇む女を敵と認識していなかった。
私が杖を向けるその瞬間まで。
「――――!?」
杖先から放たれた夜の星を思わせる無数の光条を、手にした槍で弾く。捌く。受け流す。
けれど幾らエーテルを纏わせた武器だからとて、魔法と物理では数が違い過ぎる。
幾つかの光が突き刺さり、血飛沫が舞う。痛みで声を上げたりは流石にしない。
決して油断出来る相手でないことも良く分かった。この人は、専門家だ。
魔法を武器で捌こうとするなんて、それこそ冗談の様だけれど。
その曲技は少なくとも大道芸の域を超えていた。光の流星が半分ほど打ち払われる。
大抵の場合、戦士は魔法使いに弱い。
魔法攻撃に対して備えているのは一握り。どうしても、生き延びたい人だけだ。
そこまで命が大切なのに、どうして奴隷商なんかに味方するのか。そこだけが分からない。
――――違う。本音を言ってしまえば――――分かりたいとも、思わない。
「魔女とはな……チッ、ツキがねえ!」
槍の穂先が向けられる。2人の間にはまだ距離があるけれど、接近されれば不利だ。
距離を取りながら詠唱する。杖を向ける。傭兵がその先端を避ける様に跳ぶ。
射線を読んでいる。動きが速い。けれどそれは少し、魔法使いを馬鹿にし過ぎてる。
杖を握った手の人差し指を解くや、指先を跳躍して足を止めた傭兵へ向ける。
魔法の発動は杖先からしか出来ない訳じゃない。
「――――渦巻く海嘯」
指先が示す先へ放たれたのは激流と言って遜色ない怒涛の水撃だ。
体勢を崩した傭兵はこれを避けられない。見た目が若いから油断したのだろう。
直撃を受けて吹き飛ぶ様に――――息を吐く。緊張で固まりそうになる思考を解す。
一見一方的な攻撃が続くも、これはルアンナが傭兵を圧倒している訳では、決して無い。
戦士と魔法使いの戦いは、距離の潰し合いだ。接近されればそのまま押し切られる。
魔法使いは自分の有する魔法を適切に切って、距離を0にされる前に押し切るしかない。
爆破した家の中が気になるものの、相手も視線を切る隙までは流石に与えてくれない。
再度立ち上がる様には研ぎ澄まされた様な殺気を感じた。ここからが本気、みたいだ。
でも――――
「そこだけは遅過ぎましたね」
立った傭兵の周囲に浮かぶのは、無数の、光球。
それらが寄り集まって生み出されるのは、一つの光芒の結界だ。
実戦は物語ではない。なんて専門家なら言わなくても分かっている筈。
1つ致命的なミスが有ったとするなら、相手がドレスの女だと見て油断したこと。
「では、さようなら」
深紅のドレスを翻し、終わった戦いに背を向ける。
足を縫われた傭兵の周囲に浮かび上がる最初に倍する大量の光弾が、暮れる街角を白に染めた。
悲鳴は、上がらなかった。
■
「お父さん! お父さん! お父さぁん……っ!」
涙を振り溢し少女が父親にしがみつく。受け止める側もまた唇を噛み締め静かに泣いていた。
見目麗しい淑女に見えたけれど、齢はルアンナより幾らか下だったようで。
仲睦まじい親子が再会できたことは微笑ましく。それ以上に深い安心感が胸を満たす。
人身売買は違法行為だ。一度表沙汰になったなら最早逮捕は免れない。
件の奴隷商は最初の爆発で腰を抜かしていたが、そこに酌量の余地は見られない。
粛々とお縄になって貰ったものの……少しばかり、やり過ぎた感は、ないでも、なく。
「とはいえ、これにて一件落着ということで」
一つ両の手を打ち合わせると既に夜。明日のパンの仕込みもこれからだ。
ギルドへ報酬の受け取りに行くのはまた次の機会にしましょう、などと考えながら。
少女は一路自らの店へと歩みを向ける。風が吹く。ドレスの裾がふわりと揺れる。
例えこれが――――彼女の両親の贖罪に、なる訳ではないにせよ。
『リブラネスタ』の街道をゆくルアンナの足取りは、いつもよりも軽いものだった。