その瞳に映る自分の姿
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2023年10月06日 15時47分36秒
●とある司書の記録
もう何年前の話になるだろう。その日の出来事はまるで昨日のように鮮明に覚えている。
そう、それは私がこの図書館の司書として勤務を始めた日の事だった――――。
「よろしくお願いします!」
ゴールディの一角。住所なんて気の利いたものさえ存在しないこの古い区画に佇むこれまた古い図書館に赴任した日、先輩司書に華麗な挨拶をキメた私は、早速仕事にとりかかろうとした。
とはいえ、配属されたばかりの新人にいきなり棚の配置や本のジャンルを把握しろと言うのは無茶がある。なのに先輩司書は「ゆっくりでいいから、よろしくね」と朗らかな笑みを浮かべて返却された大量の本を私に押し付けてきた。
まあ私だって司書になってそれなりに長い。ここの図書館は初めてだけど、本の整理くらい……。
「な、なんだこれ……」
と思っていたのに、渡された本たちを見て絶句した。
先輩にどうすればいいのか問おうにも、さっさと退勤してしまったのか、その姿どころか気配すらない。
古びた図書館に、ぽつんと一人残された私。
「……え、詰んだ?」
手渡された本の数々は、『本』と呼んでいいのかも怪しい紙の束だった。古びた表紙に書かれたタイトルは掠れて読めないし、持っただけでぼろぼろと何か破片が剥がれ落ちてくる。
高温多湿のゴールディ。本にとっては最悪の環境といっていい。
「ん? 見かけない顔なのだ」
初手でいきなり途方に暮れていた私に、声をかけてきた人物がいた。
「あ、はい。今日からこの図書館で働かせていただきます。よろしくお願いします」
とりあえず挨拶。「見かけない顔」なんていうくらいだからきっと常連なんだろうとは思うけど、随分と若い。ゴブリナらしく見た目はものすごくワイルドだけど、図書館の常連ということは意外と読書好きなのかもしれない。
「ああ、その本なら二階三番棚五列目端から十七番目なのだ」
「え……?」
「ん? 本を戻すのじゃないのだ」
ゴブリナの口から出た呪文のような言葉に、一瞬何のことだか分らなかった。
ぽかんと呆けていると、ゴブリナは不思議そうな表情で首をかしげている。
「こ、この本をご存じなんですか?」
「知っているのだ。『ゴブリナ草創世記』は名著なのだ」
「そ、そうですか。『ゴブリン草創成期』……?」
「ゴブリナ草創世記なのだ。名著なだけに借り手も多いからすっかり痛んでしまってるのだ。そろそろ、装丁を直す頃合いなのだ。それから――――」
「……」
「――――検品を……って、どうしたのだ」
「……あ、え、はい!」
「ん?」
流暢に本の事を喋るゴブリナに呆然としていたらしい。今度は心配するようにのぞき込んできたゴブリナに、慌てて首を振った。
「お、お詳しいんですね」
「そうでもないのだ。まだ知らない事ばかりなのだ」
「そうなんですか」
謙遜しているが、本の事を語るこのゴブリナがただの本好きだとは思えない。本の内容だけでなく、本の維持や管理にまで詳しく、まるで熟練の司書顔負けの知識量だ。
「あ、あの貴女は――――」
「何者だ」と問いかけようとして口をつぐんだ。
「申し訳ありません。色々と教えていただきありがとうございます」
「気にする必要はないのだ。これから頑張るのだ」
「ありがとうございます……あの、差支えがなければ、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「私の名前? 変なことを聞くのだな。私はストレガといのだ」
「ストレガ、さん……ですね。覚えました。今後とも当図書館をよろしくお願いします」
「よろしく? うむうむ、よろしくするのだ」
よくわからない返事と共に手をひらひらとさせて、ストレガさんは帰っていった。
本当によくわからない人だった。彼女はこの図書館に所蔵されている膨大な蔵書をすべて覚えているといった。こんな話、司書仲間に話しても一笑に付されるか、気でも狂ったのかかと心配されるだろう。本の管理を生業とする司書ですら、図書館の全てを把握するなんて不可能だ。なのに彼女は「たいしたことないのだ」と軽ーく言ってのけた。
世の中には『怪物』と呼ばれる人間が沢山いるが、彼女の言葉が本当なら間違いなくそのうちの一人だろう。
そんなことを考えながら翌日先輩司書にその話をしたら、彼女について詳しく教えてくれた。
あんなに若く見えるのに、この図書館では最上位の存在『ストレガ』を継ぐ英俊らしい。自他ともに認める変人ではあるが、その能力と記憶力は歴代のストレガの中でも群を抜いているとか。
わからないことがあれば彼女に聞けばいいとベテランの司書が言うのだから、その能力は疑う余地はないのだろう。
「ストレガ・L・リベルガストラ……面白い人」
ゴールディの図書館なんてきっと大したことないと高を括っていたけど、こんな『怪物』がいるのならきっと退屈しない。
いつか彼女にも認められるような立派な司書になろう。
そして、彼女と対等に話ができる存在になろう。
ここでの目標は決まった。さあ、『勝負』です、ストレガさん!
●とある兄の回想
むかしむかし……っていうほどじゃないむかし、あるところに一人の女の人がいました。
女の人はぼくたちのことを見つけると、ふしぎなパンをくれました。
何日もたべものをたべていなかった妹は、女の人がくれたパンに飛びつきました。
『知らない人からものをもらってはいけないよ』
しんでしまったおとうさんから、きつく言われていたけど、くうふくにはかてませんでした。
むしゃむしゃとおいしそうに食べる妹をみて、ぼくはうれしくなりました。
それといっしょに、そんなにおいしいんだとごくりとノドがなりました。
だって、さいしょはそれがパンだとはきづかなかったから。だって、そのパンはパンなのに真っ白だったから。
ふと女の人を見ると、なにか紙に書いていました。それは『もじ』というものらしいです。
ぼくはパンよりもそっちのほうが気になりました。おとうさんもおかあさんも『もじ』をかけません。村では長老さんだけが『もじ』をかけました。
ぼくがパンも食べずに女の人のてもとばかりみていたら、女の人はぼくにその紙を見せてくれました。
紙にはびっしりと『もじ』と絵が書いてありました。
絵がパンの形をしていたので、きっと『もじ』はパンのことが書いてあるのだろうと思ったぼくがじっと紙を見ていたら、女の人が『もじ』を紙にあたらしく書きました。
「これが『パン』という文字なのだ」
女の人が書いた文字は、パンと読むそうです。
ぼくは女の人が書いた文字をマネして、自分の手のひらにゆびで書いてみました。
同じようにかけているつもりだったのですが、女の人はくすくすとわらっています。
まちがったのかなとしゅんとしていたら、女の人が言いました。
「そんなに興味があるなら書いてみるのだ」
そういって、女の人はぼくに紙とペンをわたしました。
「これが『パン』。これが『ペン』。似てるけど少し違うのが分かるのだ?」
はじめて持った紙とペンにドキドキしていたら、女の人はパンの絵のよこにある文字と、ペンの絵のよこにある文字をゆびさして言いました。
はじめは何がちがうのかわかりませんでした。でもなんども見比べていたら……。
「気づいたのだな。そう、ここが少し違うのだ。文字というのはちょっとした違いでまったく別の意味を持つのだ。興味があるなら教えてあげるのだ」
ぼくはすぐに頷きました。
すると、女の人はうれしそうに微笑むと、「まずはパンを食べるのだ」といってパンを一つぼくにくれました。
パンを見てぼくのおなかがなります。
ぼくはそこでようやく思い出しました。お腹がへっていたことを――――。
●とある妹の追憶
ずっとずっとあるいてきたの。
おにいちゃんといっしょに、とおく、とおくまで。
つかれて、もう歩けない! っていっても、おにいちゃんは、がんばってっていうだけ。
おなかがすいて、おなかすいた! っていっても、ごめんってあやまるばかり。
わたしはどこまであるけばいいんだろう。もうごはんをたべられないのかな。
もうつかれたよ。
もう立ち上がれないよ。
おとうさん、おかあさん、どこに行ったの。あいたいよ……。
「随分とみすぼらしい兄妹なのだ。孤児なのだ?」
まっかになった村をでてから、はじめて声をかけられた。
だれだろう。おにいちゃんのおともだちかな。
でも、おにいちゃんもこわがってる。おともだちじゃないのかな。
じゃあだれだろう。
「言葉もしゃべれないのだ? ふむ」
ぼーっとみてたら、その女の人はきょろきょろとあたりを見て、わたしたちのまえにしゃがみこんだ。
「これはなにかわかるのだ?」
女の人はバスケットから、白いものをとりだした。
なんだろう。はじめてみる。
でも、とってもいいにおいがする。
――――ぎゅるるるる……。
おなかの虫がさわぎだした。いいにおいがしたせいかな。
「素直でよろしいのだ。その顔を見るに、しばらくまともな食事もとっていないのだな。栄養失調の気が出てるのだ」
女の人はその白いのをわたしたちのまえにだしてくる。
これはなんなんだろう。たべものなのかな。
おにいちゃんをみたら、じーっと白いのを見てよだれたらしてる。
「これは柔らかいから、消化もいいのだ。毒が心配なら、私が食べるから見てるのだ」
女の人は白いのをはんぶんにわると、かたっぽをパクリとたべた。
――――ごくっ……。
おにいちゃんの、のどがなった。
「はい。遠慮はいらないのだ」
ずっとこわい顔をしているおにいちゃんじゃなくて、女の人はわたしにその白いのをくれた。
どうしていいのかと女の人をみたら、パクっとくちにほうりこむしぐさをみせてくれた。
おにいちゃんがハラハラしてたけど、わたしはおもいきって白いのを、たべてみた。
「……おいしい」
こえが出た。
「ふむ、感想としては及第点なのだ。美味いのは当然なのだ。それは私が長年片手間に研究してた『白パン』なのだからな。問題はどう美味いかなのだ。焼き加減は? 発酵度合いは? 素材の味は生きてるのか? 水分量や、塩加減も知りたいのだ。個々の好みがあるのは重々承知しているのだが、相対的に見てどう美味いのか知りたいのだ」
女の人は、なんだかよくわからない『ことば』をはなしている。
でも、これは……このパンはとってもおいしい。
「おいしい、よ……?」
「それは分かっているのだ。だから、どう美味いか……む。泣かなくてもいいのだ。別に怒っているわけじゃないのだ」
「あ、あれ……」
女の人の手がのびてきた。
いつのまにか、泣いてたみたい。
「そんな状態ではまともな感想が聞けないのだ。落ち着くまで待っているから、『白パン』でも頬張りながら気持ちを静めるのだ」
女の人はためいきをついて、わたしたちの前にすわりこんだ。
かばんから紙とペンをだして、なにかかいてる。
おにいちゃんはそっちが気になったみたいだけど、わたしはそんなことよりパンをもっと食べたかった。
のこったパンをぜんぶお口にいれて、いっしょうけんめいかんでみる。
すごくやわらかいパン。こんなにやわらかいの食べたことない。パンだっていわれないと、パンだってきづかなかったかもしれない。
それにとってもあまい。なんでこんなにあまいんだろう。おさとうでもはいってるのかな。
あと、ぜんぜんのどが、かわかない。おうちで食べてたパンは、スープといっしょにたべないと、すぐにのどにつまったけど、これはぜんぜんそんなことにならない。
「すごい、ね……」
「ふむ、このパンの凄さに気付いたのだ? 君は見込みがあるのだ。ほらもっと食べるのだ。それで感想を言うのだ」
「あ……え、えっと……」
「すぐにとは言ってないのだ。腹いっぱい食べでからでいいのだ」
「うん……ありがとう、おねえちゃん」
わたしは、パンの沢山つまったカゴをだしてきた女の人に、沢山のありがとうを言った。
●とある狩人の記憶
「なんだ、俺のやり方にケチをつけるっていうのか」
「ケチなんてつけてないのだ。真実を言ったまでなのだ」
「ふん、ゴブリン風情が偉そうに。多少ヒトの言葉を喋れるからといっていい気になるなよ」
「ふむ、それは私を煽っているととっていいのだな?」
「煽る? この俺がか。ははっ、俺は事実を言ったまでだ。野で獣を狩り、森に生えた野草を食む亜人ごときに、なんでわざわざ煽る必要がある。自意識過剰も大概にしろよ、ゴブリンが」
「よく吠える豚さんなのだ。口を動かすより手を動かしたらどうなのだ」
「……ふんっ! まあいい、ヒトの技というものをその目を見開いてよく見ておけよ」
「そこまで言うのならお手並み拝見するのだ。『ヒトの技』というものを見せてみるのだ」
「言われなくても! 見てろよ――――」
「……なるほどそれが『ヒトの技』なのだな」
「ふっ、鮮やかすぎて言葉もないだろう」
「確かに、閉口してしまうような技なのだ」
「そうだろうそうだ…………な、なんだと……?」
「聞こえなかったのだ? 君のその技は魔獣への冒涜なのだ」
「ぼ、冒涜だとっ!? 俺の技のどこが冒涜だというんだ!」
「全部なのだ」
「……ふんっ、負け惜しみか。哀れなゴブリンらしいな!」
「はぁ……一から説明しないと分からないのだ? まあいいのだ。暇だし説明してやるのだ」
「な、なんだと」
「まず、そのナイフ。自分の『獲物』だというのなら手入れをかかしてはダメなのだ。そんなナマクラで肉を削ぐからこんなひどい有様になるのだ」
「このナイフのどこがナマクラだというのだ! 一万G以上する業物だぞ!」
「そんなナマクラが一万? どうやらボラれたようなのだ。ご愁傷様」
「な、なにっ!! ……くっ! だがな、たとえナマクラだとしても、本当の達人は獲物を選ばない! 俺ほどの技があれば、獲物が何であれこれほど見事に仕上げられるのだ!」
「……はぁ。これで仕上げとは、怒りを通り越して呆れるほかないのだ。いいのだ? 魔獣といえど、この世界に生きる命なのだ。それをこんな粗末な方法で解体することを冒涜と言わずしてなんというのだ。もっとうまい言い方があるのなら教えてほしいのだ。私はそれ以外の言葉を知らないのだ」
「ぐっ……! なんども冒涜冒涜と……! ならば、お前がやってみろ! そこまで言うのなら、さぞ美しい解体ができるのだろうな!」
「別に美しくはないのだ。ただ、命を粗末にはしないというだけなのだ」
「ふんっ! 出来ないのならできないと言えばいい! 所詮ゴブリンなど、馬鹿で野蛮な『ヒトもどき』でしかないのだ、別に怒りはしないぞ?」
「まあ、何と思われようとかまわないのだ。で、見るのか見ないのかどっちなのだ?」
「見てやるからさっさとやれ! といいたいところだが、獲物が無いから見られないか。はっはっ、よかったな、醜態をさらさずに済んで」
「それじゃまたの機会に、なのだ」
「おいおい、逃げるのか? これと同型の魔獣はまだ森にごまんといる。どうしてもやるというなら、俺が獲ってきてやるぞ?」
「何だ、意外と優しいのだな。でも遠慮しておくのだ」
「……なに?」
「この個体と同じように悪さをする魔獣なら駆除対象なのだ。それじゃ行ってくるのだ」
「……は? お、おい! もうすぐ日が落ちるぞ! 一人で森に入るなんて、自殺行為――――」
「なんだ、律儀に待ってたのだな」
「ふ、ふんっ! ゴブリンの吐いた大言が嘘か誠か確認するのが人類の為だからな!」
「なんともまあ壮大な話なのだ。好きにすればいいのだ。それじゃ、さっさとやるのだ」
「え……今からか?」
「何か不都合でもあるのだ?」
「い、いや、こんな夜に屋外で解体するっていうのか……? しかも今日は新月だぞ」
「別に問題ないのだ。君も狩人なら夜目は利くのだろう?」
「確かに利くが、こんな暗闇で解体なんて……その、危ないだろう!」
「だから問題ないのだ。……うん? もしかして私を心配してるのだ?」
「そ、そんなわけあるがっ!? 痛っ!」
「噛むほど動揺しなくてもいいのだ。それじゃ早速バラしていくのだ――――」
「……な、なんだその手際」
「別に普通なのだ。記録を取りながらだから、少し遅いくらいなのだ」
「これで遅いだって……って、記録?」
「君の言う通り森にはこいつらの仲間が沢山いたのだ。またいつ悪さをしに里に下りてこないとも限らないから、しっかりと記録を残すのだ」
「そんなもの残してどうするんだ……」
「記録はこの魔獣の生態を知るうえで重要な資料になるのだ。魔獣の生態がわかれば対処もしやすいし、何より無益な殺生をせずに済むかもしれないのだ」
「……は?」
「この世には『魔獣学』という学問もあるのだ。魔獣を知り魔獣を活かす。普通の動物と同じく、生態を知れば共存する道も見えるのだ」
「そのクソ丁寧な解体も魔獣学とかいうやつなのか……?」
「その通りなのだ。研究のためとはいえ命をいただく以上、使えるものはすべて使うのだ。それがこの魔獣の供養にもなると、私は信じているのだ」
「そ、その学問を学べば、その解体の技を身に着けられるのか……?」
「興味があるのなら教えてやるのだ。ただし、命を粗末にしないと約束するのなら、なのだ」
真っ直ぐに獲物に向かうストレガの言葉に、狩人は真剣な眼差しでゆっくりと頷いた。
もう何年前の話になるだろう。その日の出来事はまるで昨日のように鮮明に覚えている。
そう、それは私がこの図書館の司書として勤務を始めた日の事だった――――。
「よろしくお願いします!」
ゴールディの一角。住所なんて気の利いたものさえ存在しないこの古い区画に佇むこれまた古い図書館に赴任した日、先輩司書に華麗な挨拶をキメた私は、早速仕事にとりかかろうとした。
とはいえ、配属されたばかりの新人にいきなり棚の配置や本のジャンルを把握しろと言うのは無茶がある。なのに先輩司書は「ゆっくりでいいから、よろしくね」と朗らかな笑みを浮かべて返却された大量の本を私に押し付けてきた。
まあ私だって司書になってそれなりに長い。ここの図書館は初めてだけど、本の整理くらい……。
「な、なんだこれ……」
と思っていたのに、渡された本たちを見て絶句した。
先輩にどうすればいいのか問おうにも、さっさと退勤してしまったのか、その姿どころか気配すらない。
古びた図書館に、ぽつんと一人残された私。
「……え、詰んだ?」
手渡された本の数々は、『本』と呼んでいいのかも怪しい紙の束だった。古びた表紙に書かれたタイトルは掠れて読めないし、持っただけでぼろぼろと何か破片が剥がれ落ちてくる。
高温多湿のゴールディ。本にとっては最悪の環境といっていい。
「ん? 見かけない顔なのだ」
初手でいきなり途方に暮れていた私に、声をかけてきた人物がいた。
「あ、はい。今日からこの図書館で働かせていただきます。よろしくお願いします」
とりあえず挨拶。「見かけない顔」なんていうくらいだからきっと常連なんだろうとは思うけど、随分と若い。ゴブリナらしく見た目はものすごくワイルドだけど、図書館の常連ということは意外と読書好きなのかもしれない。
「ああ、その本なら二階三番棚五列目端から十七番目なのだ」
「え……?」
「ん? 本を戻すのじゃないのだ」
ゴブリナの口から出た呪文のような言葉に、一瞬何のことだか分らなかった。
ぽかんと呆けていると、ゴブリナは不思議そうな表情で首をかしげている。
「こ、この本をご存じなんですか?」
「知っているのだ。『ゴブリナ草創世記』は名著なのだ」
「そ、そうですか。『ゴブリン草創成期』……?」
「ゴブリナ草創世記なのだ。名著なだけに借り手も多いからすっかり痛んでしまってるのだ。そろそろ、装丁を直す頃合いなのだ。それから――――」
「……」
「――――検品を……って、どうしたのだ」
「……あ、え、はい!」
「ん?」
流暢に本の事を喋るゴブリナに呆然としていたらしい。今度は心配するようにのぞき込んできたゴブリナに、慌てて首を振った。
「お、お詳しいんですね」
「そうでもないのだ。まだ知らない事ばかりなのだ」
「そうなんですか」
謙遜しているが、本の事を語るこのゴブリナがただの本好きだとは思えない。本の内容だけでなく、本の維持や管理にまで詳しく、まるで熟練の司書顔負けの知識量だ。
「あ、あの貴女は――――」
「何者だ」と問いかけようとして口をつぐんだ。
「申し訳ありません。色々と教えていただきありがとうございます」
「気にする必要はないのだ。これから頑張るのだ」
「ありがとうございます……あの、差支えがなければ、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「私の名前? 変なことを聞くのだな。私はストレガといのだ」
「ストレガ、さん……ですね。覚えました。今後とも当図書館をよろしくお願いします」
「よろしく? うむうむ、よろしくするのだ」
よくわからない返事と共に手をひらひらとさせて、ストレガさんは帰っていった。
本当によくわからない人だった。彼女はこの図書館に所蔵されている膨大な蔵書をすべて覚えているといった。こんな話、司書仲間に話しても一笑に付されるか、気でも狂ったのかかと心配されるだろう。本の管理を生業とする司書ですら、図書館の全てを把握するなんて不可能だ。なのに彼女は「たいしたことないのだ」と軽ーく言ってのけた。
世の中には『怪物』と呼ばれる人間が沢山いるが、彼女の言葉が本当なら間違いなくそのうちの一人だろう。
そんなことを考えながら翌日先輩司書にその話をしたら、彼女について詳しく教えてくれた。
あんなに若く見えるのに、この図書館では最上位の存在『ストレガ』を継ぐ英俊らしい。自他ともに認める変人ではあるが、その能力と記憶力は歴代のストレガの中でも群を抜いているとか。
わからないことがあれば彼女に聞けばいいとベテランの司書が言うのだから、その能力は疑う余地はないのだろう。
「ストレガ・L・リベルガストラ……面白い人」
ゴールディの図書館なんてきっと大したことないと高を括っていたけど、こんな『怪物』がいるのならきっと退屈しない。
いつか彼女にも認められるような立派な司書になろう。
そして、彼女と対等に話ができる存在になろう。
ここでの目標は決まった。さあ、『勝負』です、ストレガさん!
●とある兄の回想
むかしむかし……っていうほどじゃないむかし、あるところに一人の女の人がいました。
女の人はぼくたちのことを見つけると、ふしぎなパンをくれました。
何日もたべものをたべていなかった妹は、女の人がくれたパンに飛びつきました。
『知らない人からものをもらってはいけないよ』
しんでしまったおとうさんから、きつく言われていたけど、くうふくにはかてませんでした。
むしゃむしゃとおいしそうに食べる妹をみて、ぼくはうれしくなりました。
それといっしょに、そんなにおいしいんだとごくりとノドがなりました。
だって、さいしょはそれがパンだとはきづかなかったから。だって、そのパンはパンなのに真っ白だったから。
ふと女の人を見ると、なにか紙に書いていました。それは『もじ』というものらしいです。
ぼくはパンよりもそっちのほうが気になりました。おとうさんもおかあさんも『もじ』をかけません。村では長老さんだけが『もじ』をかけました。
ぼくがパンも食べずに女の人のてもとばかりみていたら、女の人はぼくにその紙を見せてくれました。
紙にはびっしりと『もじ』と絵が書いてありました。
絵がパンの形をしていたので、きっと『もじ』はパンのことが書いてあるのだろうと思ったぼくがじっと紙を見ていたら、女の人が『もじ』を紙にあたらしく書きました。
「これが『パン』という文字なのだ」
女の人が書いた文字は、パンと読むそうです。
ぼくは女の人が書いた文字をマネして、自分の手のひらにゆびで書いてみました。
同じようにかけているつもりだったのですが、女の人はくすくすとわらっています。
まちがったのかなとしゅんとしていたら、女の人が言いました。
「そんなに興味があるなら書いてみるのだ」
そういって、女の人はぼくに紙とペンをわたしました。
「これが『パン』。これが『ペン』。似てるけど少し違うのが分かるのだ?」
はじめて持った紙とペンにドキドキしていたら、女の人はパンの絵のよこにある文字と、ペンの絵のよこにある文字をゆびさして言いました。
はじめは何がちがうのかわかりませんでした。でもなんども見比べていたら……。
「気づいたのだな。そう、ここが少し違うのだ。文字というのはちょっとした違いでまったく別の意味を持つのだ。興味があるなら教えてあげるのだ」
ぼくはすぐに頷きました。
すると、女の人はうれしそうに微笑むと、「まずはパンを食べるのだ」といってパンを一つぼくにくれました。
パンを見てぼくのおなかがなります。
ぼくはそこでようやく思い出しました。お腹がへっていたことを――――。
●とある妹の追憶
ずっとずっとあるいてきたの。
おにいちゃんといっしょに、とおく、とおくまで。
つかれて、もう歩けない! っていっても、おにいちゃんは、がんばってっていうだけ。
おなかがすいて、おなかすいた! っていっても、ごめんってあやまるばかり。
わたしはどこまであるけばいいんだろう。もうごはんをたべられないのかな。
もうつかれたよ。
もう立ち上がれないよ。
おとうさん、おかあさん、どこに行ったの。あいたいよ……。
「随分とみすぼらしい兄妹なのだ。孤児なのだ?」
まっかになった村をでてから、はじめて声をかけられた。
だれだろう。おにいちゃんのおともだちかな。
でも、おにいちゃんもこわがってる。おともだちじゃないのかな。
じゃあだれだろう。
「言葉もしゃべれないのだ? ふむ」
ぼーっとみてたら、その女の人はきょろきょろとあたりを見て、わたしたちのまえにしゃがみこんだ。
「これはなにかわかるのだ?」
女の人はバスケットから、白いものをとりだした。
なんだろう。はじめてみる。
でも、とってもいいにおいがする。
――――ぎゅるるるる……。
おなかの虫がさわぎだした。いいにおいがしたせいかな。
「素直でよろしいのだ。その顔を見るに、しばらくまともな食事もとっていないのだな。栄養失調の気が出てるのだ」
女の人はその白いのをわたしたちのまえにだしてくる。
これはなんなんだろう。たべものなのかな。
おにいちゃんをみたら、じーっと白いのを見てよだれたらしてる。
「これは柔らかいから、消化もいいのだ。毒が心配なら、私が食べるから見てるのだ」
女の人は白いのをはんぶんにわると、かたっぽをパクリとたべた。
――――ごくっ……。
おにいちゃんの、のどがなった。
「はい。遠慮はいらないのだ」
ずっとこわい顔をしているおにいちゃんじゃなくて、女の人はわたしにその白いのをくれた。
どうしていいのかと女の人をみたら、パクっとくちにほうりこむしぐさをみせてくれた。
おにいちゃんがハラハラしてたけど、わたしはおもいきって白いのを、たべてみた。
「……おいしい」
こえが出た。
「ふむ、感想としては及第点なのだ。美味いのは当然なのだ。それは私が長年片手間に研究してた『白パン』なのだからな。問題はどう美味いかなのだ。焼き加減は? 発酵度合いは? 素材の味は生きてるのか? 水分量や、塩加減も知りたいのだ。個々の好みがあるのは重々承知しているのだが、相対的に見てどう美味いのか知りたいのだ」
女の人は、なんだかよくわからない『ことば』をはなしている。
でも、これは……このパンはとってもおいしい。
「おいしい、よ……?」
「それは分かっているのだ。だから、どう美味いか……む。泣かなくてもいいのだ。別に怒っているわけじゃないのだ」
「あ、あれ……」
女の人の手がのびてきた。
いつのまにか、泣いてたみたい。
「そんな状態ではまともな感想が聞けないのだ。落ち着くまで待っているから、『白パン』でも頬張りながら気持ちを静めるのだ」
女の人はためいきをついて、わたしたちの前にすわりこんだ。
かばんから紙とペンをだして、なにかかいてる。
おにいちゃんはそっちが気になったみたいだけど、わたしはそんなことよりパンをもっと食べたかった。
のこったパンをぜんぶお口にいれて、いっしょうけんめいかんでみる。
すごくやわらかいパン。こんなにやわらかいの食べたことない。パンだっていわれないと、パンだってきづかなかったかもしれない。
それにとってもあまい。なんでこんなにあまいんだろう。おさとうでもはいってるのかな。
あと、ぜんぜんのどが、かわかない。おうちで食べてたパンは、スープといっしょにたべないと、すぐにのどにつまったけど、これはぜんぜんそんなことにならない。
「すごい、ね……」
「ふむ、このパンの凄さに気付いたのだ? 君は見込みがあるのだ。ほらもっと食べるのだ。それで感想を言うのだ」
「あ……え、えっと……」
「すぐにとは言ってないのだ。腹いっぱい食べでからでいいのだ」
「うん……ありがとう、おねえちゃん」
わたしは、パンの沢山つまったカゴをだしてきた女の人に、沢山のありがとうを言った。
●とある狩人の記憶
「なんだ、俺のやり方にケチをつけるっていうのか」
「ケチなんてつけてないのだ。真実を言ったまでなのだ」
「ふん、ゴブリン風情が偉そうに。多少ヒトの言葉を喋れるからといっていい気になるなよ」
「ふむ、それは私を煽っているととっていいのだな?」
「煽る? この俺がか。ははっ、俺は事実を言ったまでだ。野で獣を狩り、森に生えた野草を食む亜人ごときに、なんでわざわざ煽る必要がある。自意識過剰も大概にしろよ、ゴブリンが」
「よく吠える豚さんなのだ。口を動かすより手を動かしたらどうなのだ」
「……ふんっ! まあいい、ヒトの技というものをその目を見開いてよく見ておけよ」
「そこまで言うのならお手並み拝見するのだ。『ヒトの技』というものを見せてみるのだ」
「言われなくても! 見てろよ――――」
「……なるほどそれが『ヒトの技』なのだな」
「ふっ、鮮やかすぎて言葉もないだろう」
「確かに、閉口してしまうような技なのだ」
「そうだろうそうだ…………な、なんだと……?」
「聞こえなかったのだ? 君のその技は魔獣への冒涜なのだ」
「ぼ、冒涜だとっ!? 俺の技のどこが冒涜だというんだ!」
「全部なのだ」
「……ふんっ、負け惜しみか。哀れなゴブリンらしいな!」
「はぁ……一から説明しないと分からないのだ? まあいいのだ。暇だし説明してやるのだ」
「な、なんだと」
「まず、そのナイフ。自分の『獲物』だというのなら手入れをかかしてはダメなのだ。そんなナマクラで肉を削ぐからこんなひどい有様になるのだ」
「このナイフのどこがナマクラだというのだ! 一万G以上する業物だぞ!」
「そんなナマクラが一万? どうやらボラれたようなのだ。ご愁傷様」
「な、なにっ!! ……くっ! だがな、たとえナマクラだとしても、本当の達人は獲物を選ばない! 俺ほどの技があれば、獲物が何であれこれほど見事に仕上げられるのだ!」
「……はぁ。これで仕上げとは、怒りを通り越して呆れるほかないのだ。いいのだ? 魔獣といえど、この世界に生きる命なのだ。それをこんな粗末な方法で解体することを冒涜と言わずしてなんというのだ。もっとうまい言い方があるのなら教えてほしいのだ。私はそれ以外の言葉を知らないのだ」
「ぐっ……! なんども冒涜冒涜と……! ならば、お前がやってみろ! そこまで言うのなら、さぞ美しい解体ができるのだろうな!」
「別に美しくはないのだ。ただ、命を粗末にはしないというだけなのだ」
「ふんっ! 出来ないのならできないと言えばいい! 所詮ゴブリンなど、馬鹿で野蛮な『ヒトもどき』でしかないのだ、別に怒りはしないぞ?」
「まあ、何と思われようとかまわないのだ。で、見るのか見ないのかどっちなのだ?」
「見てやるからさっさとやれ! といいたいところだが、獲物が無いから見られないか。はっはっ、よかったな、醜態をさらさずに済んで」
「それじゃまたの機会に、なのだ」
「おいおい、逃げるのか? これと同型の魔獣はまだ森にごまんといる。どうしてもやるというなら、俺が獲ってきてやるぞ?」
「何だ、意外と優しいのだな。でも遠慮しておくのだ」
「……なに?」
「この個体と同じように悪さをする魔獣なら駆除対象なのだ。それじゃ行ってくるのだ」
「……は? お、おい! もうすぐ日が落ちるぞ! 一人で森に入るなんて、自殺行為――――」
「なんだ、律儀に待ってたのだな」
「ふ、ふんっ! ゴブリンの吐いた大言が嘘か誠か確認するのが人類の為だからな!」
「なんともまあ壮大な話なのだ。好きにすればいいのだ。それじゃ、さっさとやるのだ」
「え……今からか?」
「何か不都合でもあるのだ?」
「い、いや、こんな夜に屋外で解体するっていうのか……? しかも今日は新月だぞ」
「別に問題ないのだ。君も狩人なら夜目は利くのだろう?」
「確かに利くが、こんな暗闇で解体なんて……その、危ないだろう!」
「だから問題ないのだ。……うん? もしかして私を心配してるのだ?」
「そ、そんなわけあるがっ!? 痛っ!」
「噛むほど動揺しなくてもいいのだ。それじゃ早速バラしていくのだ――――」
「……な、なんだその手際」
「別に普通なのだ。記録を取りながらだから、少し遅いくらいなのだ」
「これで遅いだって……って、記録?」
「君の言う通り森にはこいつらの仲間が沢山いたのだ。またいつ悪さをしに里に下りてこないとも限らないから、しっかりと記録を残すのだ」
「そんなもの残してどうするんだ……」
「記録はこの魔獣の生態を知るうえで重要な資料になるのだ。魔獣の生態がわかれば対処もしやすいし、何より無益な殺生をせずに済むかもしれないのだ」
「……は?」
「この世には『魔獣学』という学問もあるのだ。魔獣を知り魔獣を活かす。普通の動物と同じく、生態を知れば共存する道も見えるのだ」
「そのクソ丁寧な解体も魔獣学とかいうやつなのか……?」
「その通りなのだ。研究のためとはいえ命をいただく以上、使えるものはすべて使うのだ。それがこの魔獣の供養にもなると、私は信じているのだ」
「そ、その学問を学べば、その解体の技を身に着けられるのか……?」
「興味があるのなら教えてやるのだ。ただし、命を粗末にしないと約束するのなら、なのだ」
真っ直ぐに獲物に向かうストレガの言葉に、狩人は真剣な眼差しでゆっくりと頷いた。