空は青く、ただ青く
キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2020年11月27日 19時05分18秒
『王国』の一角。宿の一室。ただ静かに自分自身と向き合う。
方々を転々とする彼女にとって、姿見の有無は宿選びで極めて重要な要素だ。
加工に十分な熱量と技術を必要とする、身長サイズの全身鏡を置く宿は決して多くない。
治安が悪ければ盗まれるし、そうでなくとも宿の付属品としては高価に過ぎる。
流石に王都や帝都、同盟でも商都の性質を持つ都市国家であればまだしも。
彼女――――クローリカの目的を考えれば、“そうでない”地方の方がより重要だった。
「……また、見つかりませんでしたね」
ぽつり呟く自分自身。瞳を細めて見れば、その体躯は女性としての成熟を見つつある。
旅を始めた時はもっと幼い雰囲気を纏っていた筈だが、踏んだ修羅場と経験の結果だろう。
かつて侍女として、護衛として同年代である主に付き従っていた自分自身。
そんな記憶が確かに有った筈なのに、もうその時どんな振る舞いをしていたか思い出せない。
「――――――ッ」
奥歯を噛み締める。あと……どれだけ。どれだけだろう。
思い出と現実があとどれだけすれ違えば、あの笑顔と再会出来る。
少しずつ、けれど確かに。大切な人の顔が朧になっていくことにクローリカは気付いていた。
最初に忘れるのは、香りだろうか。声だろうか。それがたまらなく恐ろしい。
例えば既に、何処かの村ですれ違っていたら。ただ、自分が気付けていないだけだったら。
一人の部屋。鏡写しの自分。向かい合うのは胸の内から湧き出す、自ら生み出した恐怖だ。
短く揃えた髪は、何処と無く少年の風情を漂わせて。
襟を立てた騎士服は初対面で喉元に視線を向けられない――性別を、気取らせない工夫だ。
細身の青年であっても若輩と見て侮る輩は少なくないが、それでも。
――――半獣人の娘よりは、遥かにトラブルが少なく済む。
青年を映した貴方が、私へと問う。
“ねえ、もう諦めたらどうですか”
――分かっている。そんなこと出来る筈がない。
この目的を失ったら、私はきっと自分自身すら失ってしまう。
“方々探した。彼方此方を旅した。もう十分でしょう”
――そんな筈ない。今も、お嬢様は助けを求めているかもしれない。
何処かで追い詰められているかもしれない。それなのに。
“剣の腕もある。冒険の経験も積んだ。私はもう一人だって生きられる筈です”
――違う。違う。違う違う違う。そんなことは思っていない。
私は、あの時。手を差し伸べてくれた方への恩を、忘れはしない。決して。
“それは、ただの義務感ではないのですか?”
――――ああ。繰り返した。何度も何度も繰り返した。
対する私はいつも貴女を追い詰める。執拗に。冷徹に。
けれど私は憶えている。
雨の冷たさを。空腹の苦しさを。虐げる者が虐げられる者へ向ける無慈悲と残酷さを。
忘れない。温かな言葉を。優しい声を。甘やかな香りと親しさを込めた微笑みを。
そんな物が得られる何て思っていなかった、ちっぽけな娘に差し出された確かな幸福を。
「いいえ、これは私が決めて私が選んだ。私の誇り。私の決意」
もう一度再会出来たなら。今度はその手を離さない。
だからせめて、あともう一度。あの出会いが、例えば奇跡だったとするのなら。
あともう一度の奇跡を手繰り寄せるためにきっと、神の恩寵を宿したのだから。
“――――懲りませんね、貴女も”
「当たり前です。私は、貴方なんですから」
女としての弱さも、恐れも、不安も、不信も、全て隠すように帽子を被り直す。
鏡の中には剣士が居る。中性的な風貌の。けれど凛とした確かな意思を宿す剣士が。
それは、彼女が描いた彼女の形。
侍女のクローリカでは、辿り着けない先へ。必要とされた剣士のクロウ。
彼女は決して、ただの味方ではない。その強さは向き合う度に鋭さを増す。
けれどそうでなければ戦えない。そうでなければ進めないのなら。
「私は弱く、私は幼い。けれど諦めだけは悪いんですから」
自分自身に剣を立てることを恐れはするまい。鋼の強さを。心の強さへ換えて。
そう、自らの心を再確認した瞬間。鏡の彼女は紛れもなく、自分自身になっていた。
“お客様! そろそろ御出立のお時間になりますがー!”
階下から聞こえた宿の女将の呼ぶ声に、思わず綻ぶように笑いが漏れる。
ああ、そうだ。私もそんな風に、準備に手間取るお嬢様を呼びに行ったことがあった。
仕事に慣れない頃、随分やきもきしたものだ。
憶えている。確かに、そんなささやかな記憶すら。
忘れはしない。決して、そんな確かな幸福の残滓を。
奪われたものを取り返す為、取りたかったその手は今遠く。
ただ腰に携えた一振りを頼りに。侍女は剣士を演じながら乱世へ一歩踏み入れる。
「すみません、今行きます」
借宿の扉が開き、閉じる。
窓からのぞく空は青く、ただ青く。少女の前途を明るく照らしているようだった。
方々を転々とする彼女にとって、姿見の有無は宿選びで極めて重要な要素だ。
加工に十分な熱量と技術を必要とする、身長サイズの全身鏡を置く宿は決して多くない。
治安が悪ければ盗まれるし、そうでなくとも宿の付属品としては高価に過ぎる。
流石に王都や帝都、同盟でも商都の性質を持つ都市国家であればまだしも。
彼女――――クローリカの目的を考えれば、“そうでない”地方の方がより重要だった。
「……また、見つかりませんでしたね」
ぽつり呟く自分自身。瞳を細めて見れば、その体躯は女性としての成熟を見つつある。
旅を始めた時はもっと幼い雰囲気を纏っていた筈だが、踏んだ修羅場と経験の結果だろう。
かつて侍女として、護衛として同年代である主に付き従っていた自分自身。
そんな記憶が確かに有った筈なのに、もうその時どんな振る舞いをしていたか思い出せない。
「――――――ッ」
奥歯を噛み締める。あと……どれだけ。どれだけだろう。
思い出と現実があとどれだけすれ違えば、あの笑顔と再会出来る。
少しずつ、けれど確かに。大切な人の顔が朧になっていくことにクローリカは気付いていた。
最初に忘れるのは、香りだろうか。声だろうか。それがたまらなく恐ろしい。
例えば既に、何処かの村ですれ違っていたら。ただ、自分が気付けていないだけだったら。
一人の部屋。鏡写しの自分。向かい合うのは胸の内から湧き出す、自ら生み出した恐怖だ。
短く揃えた髪は、何処と無く少年の風情を漂わせて。
襟を立てた騎士服は初対面で喉元に視線を向けられない――性別を、気取らせない工夫だ。
細身の青年であっても若輩と見て侮る輩は少なくないが、それでも。
――――半獣人の娘よりは、遥かにトラブルが少なく済む。
青年を映した貴方が、私へと問う。
“ねえ、もう諦めたらどうですか”
――分かっている。そんなこと出来る筈がない。
この目的を失ったら、私はきっと自分自身すら失ってしまう。
“方々探した。彼方此方を旅した。もう十分でしょう”
――そんな筈ない。今も、お嬢様は助けを求めているかもしれない。
何処かで追い詰められているかもしれない。それなのに。
“剣の腕もある。冒険の経験も積んだ。私はもう一人だって生きられる筈です”
――違う。違う。違う違う違う。そんなことは思っていない。
私は、あの時。手を差し伸べてくれた方への恩を、忘れはしない。決して。
“それは、ただの義務感ではないのですか?”
――――ああ。繰り返した。何度も何度も繰り返した。
対する私はいつも貴女を追い詰める。執拗に。冷徹に。
けれど私は憶えている。
雨の冷たさを。空腹の苦しさを。虐げる者が虐げられる者へ向ける無慈悲と残酷さを。
忘れない。温かな言葉を。優しい声を。甘やかな香りと親しさを込めた微笑みを。
そんな物が得られる何て思っていなかった、ちっぽけな娘に差し出された確かな幸福を。
「いいえ、これは私が決めて私が選んだ。私の誇り。私の決意」
もう一度再会出来たなら。今度はその手を離さない。
だからせめて、あともう一度。あの出会いが、例えば奇跡だったとするのなら。
あともう一度の奇跡を手繰り寄せるためにきっと、神の恩寵を宿したのだから。
“――――懲りませんね、貴女も”
「当たり前です。私は、貴方なんですから」
女としての弱さも、恐れも、不安も、不信も、全て隠すように帽子を被り直す。
鏡の中には剣士が居る。中性的な風貌の。けれど凛とした確かな意思を宿す剣士が。
それは、彼女が描いた彼女の形。
侍女のクローリカでは、辿り着けない先へ。必要とされた剣士のクロウ。
彼女は決して、ただの味方ではない。その強さは向き合う度に鋭さを増す。
けれどそうでなければ戦えない。そうでなければ進めないのなら。
「私は弱く、私は幼い。けれど諦めだけは悪いんですから」
自分自身に剣を立てることを恐れはするまい。鋼の強さを。心の強さへ換えて。
そう、自らの心を再確認した瞬間。鏡の彼女は紛れもなく、自分自身になっていた。
“お客様! そろそろ御出立のお時間になりますがー!”
階下から聞こえた宿の女将の呼ぶ声に、思わず綻ぶように笑いが漏れる。
ああ、そうだ。私もそんな風に、準備に手間取るお嬢様を呼びに行ったことがあった。
仕事に慣れない頃、随分やきもきしたものだ。
憶えている。確かに、そんなささやかな記憶すら。
忘れはしない。決して、そんな確かな幸福の残滓を。
奪われたものを取り返す為、取りたかったその手は今遠く。
ただ腰に携えた一振りを頼りに。侍女は剣士を演じながら乱世へ一歩踏み入れる。
「すみません、今行きます」
借宿の扉が開き、閉じる。
窓からのぞく空は青く、ただ青く。少女の前途を明るく照らしているようだった。