訣別の時
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2020年11月29日 21時45分00秒
泥で汚れた草むらで、それは動かず雨に打たれていた。
「よかった、まだ息がある」
雨濡れも気にせず幌から飛び出したリサ・ベイカーは草むらにうずくまる子猫に手を差し伸べる。
馬車に跳ねられたのだろう後足が折れていた。
「もう大丈夫。すぐに良くなるからね」
リサが子猫にそっと手をかざすと、掌から生まれた暖かな光が子猫に溶けてゆく。
「よかった。これでもう――」
「何をしている、リサ。行くぞ」
御者台からかけられた声に、リサはハッと顔を上げた。
「ごめんなさい!」
リサは子猫を抱いたまま立ち上がる。
「この子が倒れていて。馬車に跳ねられたと思うのですけど、何とかヒールが間に合って――」
「捨ててきなさい」
「えっ……」
「聞こえなかったのか?」
商売の時とは違う、迫力を秘めた声でそう口にする男を、リサは呆然と見上げる。
白髪の混じった頭髪と、眉間に刻まれた深い皺。商人のくせに歴戦の傭兵と見紛うばかりの体躯をローブに隠し、神舌とも評される話術を武器に、数々の商売を成功させてきた辣腕。
名商ベイカー家の3代目当主にして、リサの実父、名を『セドリック・ベイカー』という。
「こ、こんな雨の中で放り出したら……!」
ヒールで怪我は治した。しかし、雨の中、放り出したらこの子はどうなるか。
リサは父に必死で訴えかけるが――。
「それが自然の摂理であり、掟だ。そこに人の介入する余地はない」
「そんなっ! お父様はこの子に死ねというのですか!?」
「ならばどうする。お前が飼うのか? 命を囲うという事にどれほどの責任と費用が必要か、わかっていっているのだろうな」
――なぜ、そこで費用の話が出るのっ!
「お金なら、少しくらい持っています!」
そう思った時には、言葉が自然と口をついて出ていた。
「……そうか。ならば、自分の食費と宿泊代、この馬車の賃料。そして、街へと入る税も払ってもらおうか。それでも余るようならば、その猫を飼えばいい」
「そ、それは……」
理路整然。一片の曇りもない正論に、リサは言葉を返すことができない。
「理解できたのなら、そこの木の根元に捨ててきなさい」
そう言うと、父は街道沿いにある木を指さした。
「で、でも!」
「リサ」
「…………ごめんなさい、お父様」
心とは裏腹の言葉に歯噛みする。
「わかればいい。さぁ、早く」
「はい……」
●
一年が経った。
この一年、何度も父の行商に付き添い、商売の何たるかを身をもって学んでいる。
最近は少しずつ商品の目利きも任されるようになってきた。
そんな自らの成長が嬉しいと思う反面、相変わらず気難しい父とはあまり打ち解けられずにいた。
「ここがフェリト商会だ」
「はい、小麦の仕入れですね」
「そうだ。交渉はお前に任せる。だが、買う小麦は南方産だ」
「え、南方産ですか? 今年は北方産の方が出来がいいと聞きましたが」
「確かに出来はいい。しかし、収穫量が少ないせいで値が高い」
「それは、質に対して不相応な高値になっている、という事でしょうか?」
「そうだ」
「でも、それが何故北方産を選ばない理由になるんですか……?」
「……今年の冬は長くなる。」
「え?」
「今年は冬が長くなる周期だ。だから南方産を買う。理由はわかるな」
「……質はいいけど値の張る北方産を買うと、長い冬の間に品を切らす。それならば、安価で質もそれなりの南方産を多く買って、量を調整しながら出していけば――冬の終わる頃には、残った小麦が高騰する」
「……仕入れを任せる」
父はそれだけを言って商会の門をくぐった。
●
また1年が経った。
リサは聖霊節の始まりに賑わう街を抜け、ある場所へと訪れていた。
「はぐっ、うぐっ、がっがっ――!」
「そんなに焦らなくてもいいから、ゆっくり食べて」
垢汚れた手でパンを齧り付く少年の背を撫でながら、リサは水筒を差し出した。
「急ぐと喉に詰まるから。ね、誰も盗ったりしないから」
ひったくるように水筒を受け取った少年が、一気に煽る。
「まだパンはあるから、お友達も呼んできて」
リサの声も聞こえないのか、少年は無心で胃に詰め込んでいった。
仕事の合間に時折訪れるここは、エスト・ポーラの裏の顔だった。
それを知ったのはちょうど1年前。
約束の時間に遅れそうになり、近道をしようと通ったのが始まり。そして、この子達との出会いだった。
「リサ、何をしている」
「えっ! な、なんでお父様がここに……?」
突然かけられた声に、リサはゆっくりと立ち上がると、恐る恐る振り返る。
「慈善家の真似事か」
「そ、そんなんじゃありません!」
リサは、父から少年を隠すように立ち塞がった。
「……ならば、自己満足か?」
「ち、違いますっ! これは、その……お腹がいっぱいだったから! 残すのが勿体なかったから! だから……」
自分でも苦しい言い訳だとわかっている。それでも、言わずにはいられない。
ここで引いたら、この子が――いつも無気力に路上で寝そべるこの子達が、冬を越せない。
あの日、ベッドで力なく笑っていた母と同じ……この世からいなくなってしまう――!
「だから、なんだ。言い訳はいい。お前はお前のするべき事をしろ。その少年にかまう事はお前のするべき事ではない」
だが、父はきっぱりとリサの思いを否定した。
「どうしてですか……」
だから、もう抑えきれなかった。心の声が口をついて出てしまった。
「どうして、お父様はいつもいつも!!」
戦慄く拳を反対の手で押さえながら、リサは父の足先をじっと睨み付ける。
「……もう、いやだ」
誰にも聞こえない程小さな声でそう呟いたリサは、無意識のうちに駆け出していた。
小さくなるリサの背を無言で見つめるセドリックは、ふと足元に視線を落とす。
「ここへ行きなさい。屋根と食事を与えてくれるだろう」
「えっ……」
差し出された小さな紙を、やせ細った少年は震える手で受け取る。
「あとは自らの力で掴み取りなさい」
「あ、ありがとう……」
呆然と見上げる少年を置き、セドリックはその場を立ち去った。
●
――あーもう! 我慢の限界!
リサは屋敷を肩を怒らせ大股で歩いていた。
その剣幕や、すれ違うメイド達が小さな悲鳴を上げ道を譲る程。
――なんって、薄情な頑固者なんだろう!
それは父へ向けての言葉。今まで散々にため込んできた想いが一気に溢れ出てくる。
――もういい! こんなとこ出て行ってやる!
リサは部屋に戻るとタンスをひっくり返し、一番大きな鞄に詰めれるだけの荷物を詰めると、さっさと部屋を後にする。
再び廊下を戻り、避けていくメイド達の間を進むと――。
「どこへ行く気だ」
玄関で父が立ち塞がった。
「……お父様には関係ありません!」
「関係ないわけはないだろう。お前はベイカーの名を継ぐ使命がある」
「それならば弟がいるでしょう!」
「……お前を一人前の商人に育て上げるのに、いくらかかったと思っているんだ」
「っ!? またお金の話! もうたくさんです!」
「リサ!」
父に肩をぶつけるように横を通り抜ける。
背後では父が何度も名前を呼んでいた。
――もう知らない。お金が……名前がそんなに大切なら、好きにすればいい。わたしはあなたみたいにはできない……! もう、ここには――いられない。
なおも後ろで父が叫んでいる。
でも、もう振り返れない。父と同じ道を歩めない。
その日、屋敷を後にしたリサは――ベイカーを名乗るのをやめた。
「よかった、まだ息がある」
雨濡れも気にせず幌から飛び出したリサ・ベイカーは草むらにうずくまる子猫に手を差し伸べる。
馬車に跳ねられたのだろう後足が折れていた。
「もう大丈夫。すぐに良くなるからね」
リサが子猫にそっと手をかざすと、掌から生まれた暖かな光が子猫に溶けてゆく。
「よかった。これでもう――」
「何をしている、リサ。行くぞ」
御者台からかけられた声に、リサはハッと顔を上げた。
「ごめんなさい!」
リサは子猫を抱いたまま立ち上がる。
「この子が倒れていて。馬車に跳ねられたと思うのですけど、何とかヒールが間に合って――」
「捨ててきなさい」
「えっ……」
「聞こえなかったのか?」
商売の時とは違う、迫力を秘めた声でそう口にする男を、リサは呆然と見上げる。
白髪の混じった頭髪と、眉間に刻まれた深い皺。商人のくせに歴戦の傭兵と見紛うばかりの体躯をローブに隠し、神舌とも評される話術を武器に、数々の商売を成功させてきた辣腕。
名商ベイカー家の3代目当主にして、リサの実父、名を『セドリック・ベイカー』という。
「こ、こんな雨の中で放り出したら……!」
ヒールで怪我は治した。しかし、雨の中、放り出したらこの子はどうなるか。
リサは父に必死で訴えかけるが――。
「それが自然の摂理であり、掟だ。そこに人の介入する余地はない」
「そんなっ! お父様はこの子に死ねというのですか!?」
「ならばどうする。お前が飼うのか? 命を囲うという事にどれほどの責任と費用が必要か、わかっていっているのだろうな」
――なぜ、そこで費用の話が出るのっ!
「お金なら、少しくらい持っています!」
そう思った時には、言葉が自然と口をついて出ていた。
「……そうか。ならば、自分の食費と宿泊代、この馬車の賃料。そして、街へと入る税も払ってもらおうか。それでも余るようならば、その猫を飼えばいい」
「そ、それは……」
理路整然。一片の曇りもない正論に、リサは言葉を返すことができない。
「理解できたのなら、そこの木の根元に捨ててきなさい」
そう言うと、父は街道沿いにある木を指さした。
「で、でも!」
「リサ」
「…………ごめんなさい、お父様」
心とは裏腹の言葉に歯噛みする。
「わかればいい。さぁ、早く」
「はい……」
●
一年が経った。
この一年、何度も父の行商に付き添い、商売の何たるかを身をもって学んでいる。
最近は少しずつ商品の目利きも任されるようになってきた。
そんな自らの成長が嬉しいと思う反面、相変わらず気難しい父とはあまり打ち解けられずにいた。
「ここがフェリト商会だ」
「はい、小麦の仕入れですね」
「そうだ。交渉はお前に任せる。だが、買う小麦は南方産だ」
「え、南方産ですか? 今年は北方産の方が出来がいいと聞きましたが」
「確かに出来はいい。しかし、収穫量が少ないせいで値が高い」
「それは、質に対して不相応な高値になっている、という事でしょうか?」
「そうだ」
「でも、それが何故北方産を選ばない理由になるんですか……?」
「……今年の冬は長くなる。」
「え?」
「今年は冬が長くなる周期だ。だから南方産を買う。理由はわかるな」
「……質はいいけど値の張る北方産を買うと、長い冬の間に品を切らす。それならば、安価で質もそれなりの南方産を多く買って、量を調整しながら出していけば――冬の終わる頃には、残った小麦が高騰する」
「……仕入れを任せる」
父はそれだけを言って商会の門をくぐった。
●
また1年が経った。
リサは聖霊節の始まりに賑わう街を抜け、ある場所へと訪れていた。
「はぐっ、うぐっ、がっがっ――!」
「そんなに焦らなくてもいいから、ゆっくり食べて」
垢汚れた手でパンを齧り付く少年の背を撫でながら、リサは水筒を差し出した。
「急ぐと喉に詰まるから。ね、誰も盗ったりしないから」
ひったくるように水筒を受け取った少年が、一気に煽る。
「まだパンはあるから、お友達も呼んできて」
リサの声も聞こえないのか、少年は無心で胃に詰め込んでいった。
仕事の合間に時折訪れるここは、エスト・ポーラの裏の顔だった。
それを知ったのはちょうど1年前。
約束の時間に遅れそうになり、近道をしようと通ったのが始まり。そして、この子達との出会いだった。
「リサ、何をしている」
「えっ! な、なんでお父様がここに……?」
突然かけられた声に、リサはゆっくりと立ち上がると、恐る恐る振り返る。
「慈善家の真似事か」
「そ、そんなんじゃありません!」
リサは、父から少年を隠すように立ち塞がった。
「……ならば、自己満足か?」
「ち、違いますっ! これは、その……お腹がいっぱいだったから! 残すのが勿体なかったから! だから……」
自分でも苦しい言い訳だとわかっている。それでも、言わずにはいられない。
ここで引いたら、この子が――いつも無気力に路上で寝そべるこの子達が、冬を越せない。
あの日、ベッドで力なく笑っていた母と同じ……この世からいなくなってしまう――!
「だから、なんだ。言い訳はいい。お前はお前のするべき事をしろ。その少年にかまう事はお前のするべき事ではない」
だが、父はきっぱりとリサの思いを否定した。
「どうしてですか……」
だから、もう抑えきれなかった。心の声が口をついて出てしまった。
「どうして、お父様はいつもいつも!!」
戦慄く拳を反対の手で押さえながら、リサは父の足先をじっと睨み付ける。
「……もう、いやだ」
誰にも聞こえない程小さな声でそう呟いたリサは、無意識のうちに駆け出していた。
小さくなるリサの背を無言で見つめるセドリックは、ふと足元に視線を落とす。
「ここへ行きなさい。屋根と食事を与えてくれるだろう」
「えっ……」
差し出された小さな紙を、やせ細った少年は震える手で受け取る。
「あとは自らの力で掴み取りなさい」
「あ、ありがとう……」
呆然と見上げる少年を置き、セドリックはその場を立ち去った。
●
――あーもう! 我慢の限界!
リサは屋敷を肩を怒らせ大股で歩いていた。
その剣幕や、すれ違うメイド達が小さな悲鳴を上げ道を譲る程。
――なんって、薄情な頑固者なんだろう!
それは父へ向けての言葉。今まで散々にため込んできた想いが一気に溢れ出てくる。
――もういい! こんなとこ出て行ってやる!
リサは部屋に戻るとタンスをひっくり返し、一番大きな鞄に詰めれるだけの荷物を詰めると、さっさと部屋を後にする。
再び廊下を戻り、避けていくメイド達の間を進むと――。
「どこへ行く気だ」
玄関で父が立ち塞がった。
「……お父様には関係ありません!」
「関係ないわけはないだろう。お前はベイカーの名を継ぐ使命がある」
「それならば弟がいるでしょう!」
「……お前を一人前の商人に育て上げるのに、いくらかかったと思っているんだ」
「っ!? またお金の話! もうたくさんです!」
「リサ!」
父に肩をぶつけるように横を通り抜ける。
背後では父が何度も名前を呼んでいた。
――もう知らない。お金が……名前がそんなに大切なら、好きにすればいい。わたしはあなたみたいにはできない……! もう、ここには――いられない。
なおも後ろで父が叫んでいる。
でも、もう振り返れない。父と同じ道を歩めない。
その日、屋敷を後にしたリサは――ベイカーを名乗るのをやめた。