詐欺師、襲来
キャラクターノベル制作 小湊拓也納品 2023年08月18日 09時31分36秒
ずる賢い生き物。
それが、私にとってのゴブリンであった。
この醜悪な生き物どもの中にはゴブリナという牝のみの種族がいて、比較的、我らヒューマンの女性に近い外見を有している。
だが、所詮はゴブリンの牝である。牡同様、いやそれ以上に、油断ならぬ者たちであるのは間違いない。
ストレガ・L・リベルガストラと名乗る、この若い牝ゴブリンは、その最たるものであろうと私は思う。
「どうしたのだ、御曹司殿」
鎖を握ったまま、ストレガはにこりと笑う。
美貌、ではある。
銀色の髪に、動物の頭蓋骨に似た禍々しい被り物が、奇妙に似合っていた。
身に着けているのは際どい衣装で、いくらか褐色の強い健康的な肌には、魔術的な紋様が描かれている。ただ描いたものか、刺青の類であるのかは、わからない。
本人はキャスター、すなわち「呪文を唱える者」を自称しているが、このゴブリナが魔法を使っているところを私は見ていない。
このような、見るからに怪しげな女の言う事を、私は何故か信じてしまったのだ。
「恐くなって、しまったのかな? まあ無理もないのだ」
ストレガの笑顔は、怪しげで胡散臭く、信用ならない。
それでいて、何やら人の心に入り込んでくるものを、間違いなく孕んでいる。
「こんな状況、恐がるなと言う方が無理なのだ」
私たち二人は今、山道を歩いている。
領主の息子である私が、このゴブリナに捕縛・連行されている形である。
私の両腕は、鎖付きの手枷によって、後ろ手に拘束されていた。
その鎖を、ストレガが握っている。
犬の散歩にも似た、屈辱的な格好で私は今、山道を歩かされているのだ。
「恐い、と言うより……ひたすら屈辱だ」
鎖を握るゴブリナに、私は言葉と眼光をぶつけた。
「貴様、土壇場で裏切りはしないだろうな!?」
「他人を信じられないのは、恐がっている証拠なのだ」
ストレガの笑顔は、変わらない。
「『鉄喰い虫』の山塞が近いのだ。引き返すなら、ここが最後の機会なのだ」
鉄喰い虫というのは、この山に巣くう山賊の頭目である。
山の周辺の村々で略奪・殺戮の限りを尽くし、民を脅かす。凶悪な武装勢力の指導者である。
この地の領主たる我が父は、賊徒『鉄喰い虫』の討伐に消極的だった。及び腰であった。
私は幾度となく父に詰め寄り、問いただした。領主として何故、賊を放置しておくのかと。民を守らないのかと。
父は、言を左右にするばかりであった。
鉄喰い虫と、繋がっている。買収をされている。そう思われても仕方がなかった。
領主の息子として、私は恥じるしかなかった。
死んで、民に詫びねばならない。
本気で、そう思った。
そして。死ぬならば、鉄喰い虫を道連れにするべきであった。
民を守るため、この命を使い捨てる。領主の息子として、当然の事だ。
武術の心得はある。賊徒の頭目と、刺し違える事くらいは出来る。
私一人の、勝手な行いである。兵士たちを巻き込む事は出来ない。
かと言って単身、鉄喰い虫の山塞に斬り込んだところで、頭目に近付く事は出来ないだろう。賊徒は千人を超えている。
いくら腕に覚えがあると言っても、千人を切り抜けて頭目を狙うのは現実的ではない。
どうするべきか、と悩む私に声をかけてきたのが、領主の城の食客であった、この牝ゴブリンである。
「領主の子息を捕えて来た、と言えば『鉄喰い虫』は会ってくれるのだ」
ストレガが、作戦のおさらいをしている。
「手枷の鍵は、私が持ってるのだ。御曹司殿の剣も、これこの通り」
語りつつストレガが掲げたのは、鞘を被った長剣である。
私の剣。
我が一族に代々伝わる、名剣だ。
剛勇の騎士として知られた祖父から、私は五年前、十五歳の時に、これを与えられた。
祖父が領主であった頃、この地は平和であった。賊徒は皆、祖父を恐れて大人しくしていたのだ。
私が十七歳の時に祖父は亡くなり、父が領主となった。
途端に、賊徒が現れて民を脅かすようになった。
特に『鉄喰い虫』一味は残忍非道を極めた。いくつもの村が、皆殺しの目に遭っているという。
父は、何も手を打てずにいる。
賊徒に、侮られている。
あるいは噂通り、本当に『鉄喰い虫』一味から賄賂の類を受け取っているのであれば。
私は領主の息子として、いよいよ本当に、鉄喰い虫と刺し違えなければならなくなる。
「鉄喰い虫の前へ引き出された時。私が素早く、手枷を解錠して御曹司殿に剣を手渡すのだ」
油断している鉄喰い虫を、そこで私が討ち取る。
こんな作戦をストレガが提案してきた時、疑う事もなく私が受け入れてしまったのは、やはり思い詰めていたからであろうか。
この牝ゴブリン、あまりにも胡散臭い。
それでいて、語る言葉は人の心を捉える。笑顔は、警戒心を通り抜けて来る。
「……バカげた作戦なのだ。恐いのは、当たり前。思いとどまっても、御曹司殿を責める者はいないのだ」
「私は、父のような臆病者ではない」
鉄喰い虫の山塞。
その正門が、見えてきた。私は足を早めた。
「行くぞ、牝ゴブリン。私を売り渡す口上、しくじるなよ」
ギザギザの縞模様が、のたうち回るムカデに見える。
ムカデ模様の獣毛に覆われた、ハーフビーストの大男であった。
鋼鉄の甲冑をまとう騎士を、噛み殺した事があるという。その牙で、甲冑もろとも食いちぎったのだと言われている。
鎧を噛みちぎる、獰猛なムカデ。すなわち『鉄喰い虫』というわけだ。
鋼の甲冑を、本当に食いちぎったのかどうかはわからない、ただ私の喉を噛み裂くのは容易いであろう凶悪な牙が、ニヤリと剥き出しになる。
「これはこれは御曹司……このような場所へ、ようこそ。いささか礼を欠いた、おもてなしになってしまいましたなあ」
鉄喰い虫の山塞は、山賊の住処と言うよりも、ひとつの巨大な村落であった。
畑がある。畜類も飼われている。女性や子供も、野良仕事をしている。
自給自足が成り立っている、という事だ。
山中には水源地があり、水も不足していない。
まさに天然の要塞であり、軍で攻め落とすのは確かに困難であろうとは思える。
やはり私が、ここで賊徒の指導者を討ち取るしかない。
村落の中央広場で、私は鉄喰い虫による引見を受けていた。
賊徒の中でも特に屈強な男たちを護衛に従え、鉄喰い虫は私をニヤニヤと観察している。
鎖と手枷で拘束された、私の有り様を。
「前の御領主には随分いじめられたもんだが……今の御領主は話がわかる。御子息とも、いい関係を作りてえもんだ」
前代領主、すなわち私の祖父である。
剛勇無双にして謹厳実直、賊に容赦ない君主であった。
比べて現領主、すなわち私の父は。
憤怒を抑えられぬまま、私は鉄喰い虫を睨み据えた。
油断しきっている。
一度の踏み込みで斬撃が届く、と私は見た。
最終的には私は殺される、にしても。鉄喰い虫本人、及び護衛の数名は道連れに出来るだろう。
鎖を握っているストレガが、今すぐ手枷を解錠し、剣を手渡してくれるならば、だ。
「どうであろうか鉄喰い虫殿。通りすがりの探究者である私からの贈り物、受け取ってくれると嬉しいのだ」
それをせず、ストレガは言った。
「この御曹司殿を手元に置いておけば、親バカの現御領主殿を今まで以上に思い通りに操れるのだ。身代金をダラダラと際限なく引き出す事だって出来るのだ」
「そうだな。いい事ずくめの贈り物、ありがたく貰っとこう」
鉄喰い虫が、ぎろりとストレガを睨む。
「……見返りに、何を求める? 何が目的で、俺に近付く」
「お近付きになりたいから、では駄目かなー?」
「俺に言い寄って来る女、いくらでもいるが……ゴブリナはなあ。ちょいと範囲外だぁな」
「それは範囲が狭すぎなのだ」
文句を言いつつストレガが、手枷の鍵穴に素早く鍵を差し込んだ。
「御領主殿も、山賊の御大将殿も……器量を広く持たなければ、駄目なのだ」
手枷の外れる微かな音が、周囲の賊徒に聞こえてしまわないかどうか、それだけが私は不安だった。
ストレガが、ひっそりと私の手に剣を握らせる。
我が一族に、代々伝わる名剣。祖父の形見、民を守る刃。
それを手にして、私は地を蹴り、踏み込んだ。
「賊徒・鉄喰い虫! 覚悟を決めろ……」
踏み込みと共に、剣を抜く。鞘から白刃が走り出し、ハーフビーストの大男を斬殺する……
いや。
現れた刀身は、ぼろぼろに錆び、折れていた。半分近くを鞘の中に残している。
「廃棄処分の刀身に、立派な柄と鞘を付けたもの。なのだ」
後方から、ストレガが声をかけてくる。
鞘を被った長剣を、掲げながら。
「本物は、こっちなのだ」
「貴様……!」
私は、屈強な賊徒たちに取り押さえられていた。
「大切な剣……偽物と気付かないくらい、落ち着きを欠いているようではねえ。何をやっても、駄目なのだ」
地面に押し付けられた私を見下ろし、ストレガが微笑む。
詐欺師の笑顔だ、と私は思った。
小屋の一つに、私は監禁された。
外出はもちろん不許可であるが、手足を拘束されているわけではない。食事も、普通に与えられる。
頭目の命を狙った事を思えば、好待遇に感謝するべきなのであろう。
小屋の中からでも、この山塞と言うか村落を観察する事は、ある程度は出来る。
賊徒の住処である。
荒くれ男ばかりかと私は思っていたが、女性もいる。子供たちもいる。普通に暮らしている。
拉致されて来た、わけではない。
流亡の民が、家族ぐるみで鉄喰い虫の配下に加わっているのだ。
「やあ御曹司殿、私を殺したくて仕方がないかなー?」
ストレガが面会に来たので、私は睨んだ。
「殺意は、もうない。が……貴様が牡のゴブリンであったら、素手で叩きのめしているところだ」
「私たちゴブリナ種がいるから。ヒューマンとゴブリンは、ある程度は仲良く出来るのだ」
ストレガが微笑む。
人の警戒心を麻痺させる、詐欺師の笑顔。
「私に騙されて、こうして捕まって……御曹司殿は一体、何を思ったのか。そろそろ聞かせて欲しいのだ」
「……わからぬ事だらけだ」
思うところを正直に、私は述べた。
「悪逆非道の賊徒、であるはずの鉄喰い虫に……民が付いて行っている、ようにしか見えない……我が一族の支配に皆、それほど不満があるのだろうか……」
「今の御領主、つまり御曹司殿のお父上は、本当に頑張っておられるのだ。ちょっと頑張り過ぎたのが、前の御領主」
ストレガが、私の敬愛する祖父の悪口を言い始めた。
聞きたくなかった。
「御曹司殿の、お祖父様は……言ってみれば、善意の暴君だったのだ。税は容赦なく取り立てる、無茶な耕作や土木工事もガンガンやらせる。それが最終的には民衆のためになる、と心から信じて……それで、大勢の民が困窮してしまったのだ」
「賊徒になるしかないほどに、か……」
鉄喰い虫は、いくつもの村を滅ぼしている。皆殺しにしている。
私は、そう聞いていた。
現に、住む者のいなくなった村が複数ある。
だが、皆殺しに遭ったわけではない。
祖父の暴政によって、それら村々の民は困窮を極め、村を捨てて山賊・鉄喰い虫の支配下に逃げ込まざるを得なかったのだ、と私は知った。
結果、この山中に、これほど巨大な村落が形成されるに至った。
「私はね。御曹司殿に、その実態を知って欲しかったのだ」
ストレガは言った。
「お父上殿は、前代のやらかしでボロボロになった領内の立て直しを、本当によくやっておられるのだ」
「父が、鉄喰い虫の討伐に消極的であったのも……ここに、民がいるからか」
「御曹司殿は、世間知らずだけど馬鹿ではないのだ」
にっこりと、ストレガが微笑んだ。
「真実を、身体で体験させれば理解してくれる。私の見込んだ通りなのだ。こんな詐欺師の真似事をした甲斐があったというもの、なのだ」
真似事なものか、と私は思った。
人が増えるという事は、労働力が増えるという事だ。
村を捨てて流民となった連中を、俺が受け入れてやったのは、それだけが理由である。それだけ、でしかない。
なのに、この牝ゴブリンは世迷い言を口にしている。
「鉄喰い虫殿。君は、とても優しいのだ」
「ぶち殺すぞ」
俺は吐き捨て、睨んだ。
このふざけたゴブリナ、ではなく眼前の光景をだ。
山塞の近くを流れる川。
河岸に、巨大な屍が横たわっている。
魚、いや水棲哺乳類か。薄汚れた桃色をしており、細長い口吻には鋭い牙がびっしりと生え並んでいる。
カワイルカ、が最も近い。
だが大型のヒレには鉤爪があり、河岸の岩をしっかりと掴んでいる。イルカなどでは、あり得ない。
この水棲の怪物は、ある程度であれば、陸上を動く事が出来るのだ。なかなかの速度で這いずり、水辺の人間を襲う。
村落のガキどもが、魚を穫りに来て、この化け物に襲われた。
俺の護衛をしている兵隊が、ガキどもを助けてやったところである。
屍となった怪物の周囲で、護衛兵たちが警戒態勢を取っていた。何人かが今、川の上流の方へと偵察に出ている。
「クリーパー……いや、魔獣なのだ」
泣きじゃくるガキどもの頭を撫でながら、ストレガ・L・リベルガストラは言った。
「これまでにも、何匹か?」
「ああ。村落の連中が、何度か襲われている」
俺は答えた。
「上流の方に洞窟があってな。この川は、そこから流れ出ているんだ」
「その洞窟が……なるほど。恐らく、この魔獣の住処なのだ」
何やら考え深げにしているストレガを、俺は睨み観察した。
この女ゴブリン。数日前、領主の息子を手土産に山塞を訪れたかと思えば、いつの間にか俺の近くに居座っていた。
今では、まるで俺の側近のように振る舞っている。
俺も、俺の部下たちも、その状況をいつの間にか受け入れてしまっていた。
俺を含む全員が、この女の口車に乗せられている。そんな感じがある。
偵察に行った連中が、戻って来た。
「御大将、当たりですぜ! このバケモノども、上流の洞窟にわんさか群れてやがります。来ますね、ありゃあ」
魔獣の群れが川を下って来る、という事である。
「山塞に閉じこもって守りを固める。それ以外に、選択肢はないのだ」
ストレガが言った。
まるで、俺の軍師か何かのようにだ。
「まずは、この河岸から人がいなくなる事。そうなれば魔獣たちも、わざわざ上陸して守りの固い山塞を襲おうとはしないのだ。もっと楽に襲える町や村が、下流域にはいくらでもあるのだ」
兵隊の何人かが顔色を変えるのを、俺は見逃さなかった。
「ここで君らが頑張って戦い、魔獣たちを食い止める……下流域の人たちを、守る。そんな事をしても、何しろ諸君は山賊であるからして誰も感謝なんかしてくれないのだ」
このストレガという女、俺たちに安全策を勧めている……ように見えて、俺や兵隊どもの心にある何かを、間違いなく煽り立てている。
「自分たちだけ守れば良し……皆そうやって生きているのだ。うん、恥ずかしい事など何もないない」
「……ガキどもを連れて帰れ。兵隊、連れて来い」
護衛の一人に、俺は命じた。
おぞましい奇声と派手な水音が、上流の方から聞こえて来た。
カワイルカに似た魔獣の群れが、川を泳ぎ下って来る。
俺は、片手をかざした。
護衛の一人が、恭しく戦斧を差し出して来る。
「やりますか、御大将!」
「この地方の連中にな、貸しを作るぞ」
「ああっ、何という事。命知らずな者たちには、我が叡智も通用しないのだ」
ストレガが、わざとらしく嘆いている。
「まったく仕方がない、ここは御曹司殿が皆を導くのだ……次期、領主として」
「てめえ……!」
俺は思わず、この牝ゴブリンを戦斧で叩き殺してしまいそうになっていた。
小屋に閉じ込めてある、はずの若造が、そこにいた。
「勝手に外へ出しやがったのか!」
「ほらほら御曹司殿。鉄喰い虫殿が、お怒りなのだ」
違う。俺が怒り狂っているのは腐れゴブリナ、お前にだ。
怒りのあまり舌が回らず、俺がそれを言えずにいる間。話は、勝手に進んでゆく。
「怒っている、という事は本音が出ているという事……ここは御曹司殿も、本音を出さなければなのだ」
「…………下流域の民を、私は守りたい」
領主の息子が、俺の目を見据えて言った。
「鉄喰い虫殿。どうか、力を貸して欲しい。頼む」
預かっていたものを、俺は御曹司に投げ渡した。
鞘を被った、長剣。業物なので、売り払ってしまおうかと思っていたところだ。
魔獣どもが上陸し、襲いかかって来る。
御曹司が、受け取った長剣を抜き放ち、魔獣の一匹を一閃で叩き斬る。良い腕だった。
俺も、食らいついて来た一匹を戦斧で両断した。
「うん、素晴らしい武勇なのだ」
ストレガの声が、魔獣どもの奇声に掻き消される事なく通る。
「誰も君たちに感謝をしない、だけど感謝されない戦いにこそ意味があるのだ。誇らず、求めず、無言で人々を守る……君たちなればこその戦い、私は決して忘れはしないのだ」
護衛の連中も、なかなかの勢いで魔獣どもを殺戮してゆく。
間違いなく、ストレガの言葉に鼓舞されている。あるいは、煽動されている。
俺も、御曹司もだ。
この女ゴブリン、危険な存在ではないのか。
ここで魔獣どもと一緒に始末しておくべきではないのか、と俺は少しだけ思った。
それが、私にとってのゴブリンであった。
この醜悪な生き物どもの中にはゴブリナという牝のみの種族がいて、比較的、我らヒューマンの女性に近い外見を有している。
だが、所詮はゴブリンの牝である。牡同様、いやそれ以上に、油断ならぬ者たちであるのは間違いない。
ストレガ・L・リベルガストラと名乗る、この若い牝ゴブリンは、その最たるものであろうと私は思う。
「どうしたのだ、御曹司殿」
鎖を握ったまま、ストレガはにこりと笑う。
美貌、ではある。
銀色の髪に、動物の頭蓋骨に似た禍々しい被り物が、奇妙に似合っていた。
身に着けているのは際どい衣装で、いくらか褐色の強い健康的な肌には、魔術的な紋様が描かれている。ただ描いたものか、刺青の類であるのかは、わからない。
本人はキャスター、すなわち「呪文を唱える者」を自称しているが、このゴブリナが魔法を使っているところを私は見ていない。
このような、見るからに怪しげな女の言う事を、私は何故か信じてしまったのだ。
「恐くなって、しまったのかな? まあ無理もないのだ」
ストレガの笑顔は、怪しげで胡散臭く、信用ならない。
それでいて、何やら人の心に入り込んでくるものを、間違いなく孕んでいる。
「こんな状況、恐がるなと言う方が無理なのだ」
私たち二人は今、山道を歩いている。
領主の息子である私が、このゴブリナに捕縛・連行されている形である。
私の両腕は、鎖付きの手枷によって、後ろ手に拘束されていた。
その鎖を、ストレガが握っている。
犬の散歩にも似た、屈辱的な格好で私は今、山道を歩かされているのだ。
「恐い、と言うより……ひたすら屈辱だ」
鎖を握るゴブリナに、私は言葉と眼光をぶつけた。
「貴様、土壇場で裏切りはしないだろうな!?」
「他人を信じられないのは、恐がっている証拠なのだ」
ストレガの笑顔は、変わらない。
「『鉄喰い虫』の山塞が近いのだ。引き返すなら、ここが最後の機会なのだ」
鉄喰い虫というのは、この山に巣くう山賊の頭目である。
山の周辺の村々で略奪・殺戮の限りを尽くし、民を脅かす。凶悪な武装勢力の指導者である。
この地の領主たる我が父は、賊徒『鉄喰い虫』の討伐に消極的だった。及び腰であった。
私は幾度となく父に詰め寄り、問いただした。領主として何故、賊を放置しておくのかと。民を守らないのかと。
父は、言を左右にするばかりであった。
鉄喰い虫と、繋がっている。買収をされている。そう思われても仕方がなかった。
領主の息子として、私は恥じるしかなかった。
死んで、民に詫びねばならない。
本気で、そう思った。
そして。死ぬならば、鉄喰い虫を道連れにするべきであった。
民を守るため、この命を使い捨てる。領主の息子として、当然の事だ。
武術の心得はある。賊徒の頭目と、刺し違える事くらいは出来る。
私一人の、勝手な行いである。兵士たちを巻き込む事は出来ない。
かと言って単身、鉄喰い虫の山塞に斬り込んだところで、頭目に近付く事は出来ないだろう。賊徒は千人を超えている。
いくら腕に覚えがあると言っても、千人を切り抜けて頭目を狙うのは現実的ではない。
どうするべきか、と悩む私に声をかけてきたのが、領主の城の食客であった、この牝ゴブリンである。
「領主の子息を捕えて来た、と言えば『鉄喰い虫』は会ってくれるのだ」
ストレガが、作戦のおさらいをしている。
「手枷の鍵は、私が持ってるのだ。御曹司殿の剣も、これこの通り」
語りつつストレガが掲げたのは、鞘を被った長剣である。
私の剣。
我が一族に代々伝わる、名剣だ。
剛勇の騎士として知られた祖父から、私は五年前、十五歳の時に、これを与えられた。
祖父が領主であった頃、この地は平和であった。賊徒は皆、祖父を恐れて大人しくしていたのだ。
私が十七歳の時に祖父は亡くなり、父が領主となった。
途端に、賊徒が現れて民を脅かすようになった。
特に『鉄喰い虫』一味は残忍非道を極めた。いくつもの村が、皆殺しの目に遭っているという。
父は、何も手を打てずにいる。
賊徒に、侮られている。
あるいは噂通り、本当に『鉄喰い虫』一味から賄賂の類を受け取っているのであれば。
私は領主の息子として、いよいよ本当に、鉄喰い虫と刺し違えなければならなくなる。
「鉄喰い虫の前へ引き出された時。私が素早く、手枷を解錠して御曹司殿に剣を手渡すのだ」
油断している鉄喰い虫を、そこで私が討ち取る。
こんな作戦をストレガが提案してきた時、疑う事もなく私が受け入れてしまったのは、やはり思い詰めていたからであろうか。
この牝ゴブリン、あまりにも胡散臭い。
それでいて、語る言葉は人の心を捉える。笑顔は、警戒心を通り抜けて来る。
「……バカげた作戦なのだ。恐いのは、当たり前。思いとどまっても、御曹司殿を責める者はいないのだ」
「私は、父のような臆病者ではない」
鉄喰い虫の山塞。
その正門が、見えてきた。私は足を早めた。
「行くぞ、牝ゴブリン。私を売り渡す口上、しくじるなよ」
ギザギザの縞模様が、のたうち回るムカデに見える。
ムカデ模様の獣毛に覆われた、ハーフビーストの大男であった。
鋼鉄の甲冑をまとう騎士を、噛み殺した事があるという。その牙で、甲冑もろとも食いちぎったのだと言われている。
鎧を噛みちぎる、獰猛なムカデ。すなわち『鉄喰い虫』というわけだ。
鋼の甲冑を、本当に食いちぎったのかどうかはわからない、ただ私の喉を噛み裂くのは容易いであろう凶悪な牙が、ニヤリと剥き出しになる。
「これはこれは御曹司……このような場所へ、ようこそ。いささか礼を欠いた、おもてなしになってしまいましたなあ」
鉄喰い虫の山塞は、山賊の住処と言うよりも、ひとつの巨大な村落であった。
畑がある。畜類も飼われている。女性や子供も、野良仕事をしている。
自給自足が成り立っている、という事だ。
山中には水源地があり、水も不足していない。
まさに天然の要塞であり、軍で攻め落とすのは確かに困難であろうとは思える。
やはり私が、ここで賊徒の指導者を討ち取るしかない。
村落の中央広場で、私は鉄喰い虫による引見を受けていた。
賊徒の中でも特に屈強な男たちを護衛に従え、鉄喰い虫は私をニヤニヤと観察している。
鎖と手枷で拘束された、私の有り様を。
「前の御領主には随分いじめられたもんだが……今の御領主は話がわかる。御子息とも、いい関係を作りてえもんだ」
前代領主、すなわち私の祖父である。
剛勇無双にして謹厳実直、賊に容赦ない君主であった。
比べて現領主、すなわち私の父は。
憤怒を抑えられぬまま、私は鉄喰い虫を睨み据えた。
油断しきっている。
一度の踏み込みで斬撃が届く、と私は見た。
最終的には私は殺される、にしても。鉄喰い虫本人、及び護衛の数名は道連れに出来るだろう。
鎖を握っているストレガが、今すぐ手枷を解錠し、剣を手渡してくれるならば、だ。
「どうであろうか鉄喰い虫殿。通りすがりの探究者である私からの贈り物、受け取ってくれると嬉しいのだ」
それをせず、ストレガは言った。
「この御曹司殿を手元に置いておけば、親バカの現御領主殿を今まで以上に思い通りに操れるのだ。身代金をダラダラと際限なく引き出す事だって出来るのだ」
「そうだな。いい事ずくめの贈り物、ありがたく貰っとこう」
鉄喰い虫が、ぎろりとストレガを睨む。
「……見返りに、何を求める? 何が目的で、俺に近付く」
「お近付きになりたいから、では駄目かなー?」
「俺に言い寄って来る女、いくらでもいるが……ゴブリナはなあ。ちょいと範囲外だぁな」
「それは範囲が狭すぎなのだ」
文句を言いつつストレガが、手枷の鍵穴に素早く鍵を差し込んだ。
「御領主殿も、山賊の御大将殿も……器量を広く持たなければ、駄目なのだ」
手枷の外れる微かな音が、周囲の賊徒に聞こえてしまわないかどうか、それだけが私は不安だった。
ストレガが、ひっそりと私の手に剣を握らせる。
我が一族に、代々伝わる名剣。祖父の形見、民を守る刃。
それを手にして、私は地を蹴り、踏み込んだ。
「賊徒・鉄喰い虫! 覚悟を決めろ……」
踏み込みと共に、剣を抜く。鞘から白刃が走り出し、ハーフビーストの大男を斬殺する……
いや。
現れた刀身は、ぼろぼろに錆び、折れていた。半分近くを鞘の中に残している。
「廃棄処分の刀身に、立派な柄と鞘を付けたもの。なのだ」
後方から、ストレガが声をかけてくる。
鞘を被った長剣を、掲げながら。
「本物は、こっちなのだ」
「貴様……!」
私は、屈強な賊徒たちに取り押さえられていた。
「大切な剣……偽物と気付かないくらい、落ち着きを欠いているようではねえ。何をやっても、駄目なのだ」
地面に押し付けられた私を見下ろし、ストレガが微笑む。
詐欺師の笑顔だ、と私は思った。
小屋の一つに、私は監禁された。
外出はもちろん不許可であるが、手足を拘束されているわけではない。食事も、普通に与えられる。
頭目の命を狙った事を思えば、好待遇に感謝するべきなのであろう。
小屋の中からでも、この山塞と言うか村落を観察する事は、ある程度は出来る。
賊徒の住処である。
荒くれ男ばかりかと私は思っていたが、女性もいる。子供たちもいる。普通に暮らしている。
拉致されて来た、わけではない。
流亡の民が、家族ぐるみで鉄喰い虫の配下に加わっているのだ。
「やあ御曹司殿、私を殺したくて仕方がないかなー?」
ストレガが面会に来たので、私は睨んだ。
「殺意は、もうない。が……貴様が牡のゴブリンであったら、素手で叩きのめしているところだ」
「私たちゴブリナ種がいるから。ヒューマンとゴブリンは、ある程度は仲良く出来るのだ」
ストレガが微笑む。
人の警戒心を麻痺させる、詐欺師の笑顔。
「私に騙されて、こうして捕まって……御曹司殿は一体、何を思ったのか。そろそろ聞かせて欲しいのだ」
「……わからぬ事だらけだ」
思うところを正直に、私は述べた。
「悪逆非道の賊徒、であるはずの鉄喰い虫に……民が付いて行っている、ようにしか見えない……我が一族の支配に皆、それほど不満があるのだろうか……」
「今の御領主、つまり御曹司殿のお父上は、本当に頑張っておられるのだ。ちょっと頑張り過ぎたのが、前の御領主」
ストレガが、私の敬愛する祖父の悪口を言い始めた。
聞きたくなかった。
「御曹司殿の、お祖父様は……言ってみれば、善意の暴君だったのだ。税は容赦なく取り立てる、無茶な耕作や土木工事もガンガンやらせる。それが最終的には民衆のためになる、と心から信じて……それで、大勢の民が困窮してしまったのだ」
「賊徒になるしかないほどに、か……」
鉄喰い虫は、いくつもの村を滅ぼしている。皆殺しにしている。
私は、そう聞いていた。
現に、住む者のいなくなった村が複数ある。
だが、皆殺しに遭ったわけではない。
祖父の暴政によって、それら村々の民は困窮を極め、村を捨てて山賊・鉄喰い虫の支配下に逃げ込まざるを得なかったのだ、と私は知った。
結果、この山中に、これほど巨大な村落が形成されるに至った。
「私はね。御曹司殿に、その実態を知って欲しかったのだ」
ストレガは言った。
「お父上殿は、前代のやらかしでボロボロになった領内の立て直しを、本当によくやっておられるのだ」
「父が、鉄喰い虫の討伐に消極的であったのも……ここに、民がいるからか」
「御曹司殿は、世間知らずだけど馬鹿ではないのだ」
にっこりと、ストレガが微笑んだ。
「真実を、身体で体験させれば理解してくれる。私の見込んだ通りなのだ。こんな詐欺師の真似事をした甲斐があったというもの、なのだ」
真似事なものか、と私は思った。
人が増えるという事は、労働力が増えるという事だ。
村を捨てて流民となった連中を、俺が受け入れてやったのは、それだけが理由である。それだけ、でしかない。
なのに、この牝ゴブリンは世迷い言を口にしている。
「鉄喰い虫殿。君は、とても優しいのだ」
「ぶち殺すぞ」
俺は吐き捨て、睨んだ。
このふざけたゴブリナ、ではなく眼前の光景をだ。
山塞の近くを流れる川。
河岸に、巨大な屍が横たわっている。
魚、いや水棲哺乳類か。薄汚れた桃色をしており、細長い口吻には鋭い牙がびっしりと生え並んでいる。
カワイルカ、が最も近い。
だが大型のヒレには鉤爪があり、河岸の岩をしっかりと掴んでいる。イルカなどでは、あり得ない。
この水棲の怪物は、ある程度であれば、陸上を動く事が出来るのだ。なかなかの速度で這いずり、水辺の人間を襲う。
村落のガキどもが、魚を穫りに来て、この化け物に襲われた。
俺の護衛をしている兵隊が、ガキどもを助けてやったところである。
屍となった怪物の周囲で、護衛兵たちが警戒態勢を取っていた。何人かが今、川の上流の方へと偵察に出ている。
「クリーパー……いや、魔獣なのだ」
泣きじゃくるガキどもの頭を撫でながら、ストレガ・L・リベルガストラは言った。
「これまでにも、何匹か?」
「ああ。村落の連中が、何度か襲われている」
俺は答えた。
「上流の方に洞窟があってな。この川は、そこから流れ出ているんだ」
「その洞窟が……なるほど。恐らく、この魔獣の住処なのだ」
何やら考え深げにしているストレガを、俺は睨み観察した。
この女ゴブリン。数日前、領主の息子を手土産に山塞を訪れたかと思えば、いつの間にか俺の近くに居座っていた。
今では、まるで俺の側近のように振る舞っている。
俺も、俺の部下たちも、その状況をいつの間にか受け入れてしまっていた。
俺を含む全員が、この女の口車に乗せられている。そんな感じがある。
偵察に行った連中が、戻って来た。
「御大将、当たりですぜ! このバケモノども、上流の洞窟にわんさか群れてやがります。来ますね、ありゃあ」
魔獣の群れが川を下って来る、という事である。
「山塞に閉じこもって守りを固める。それ以外に、選択肢はないのだ」
ストレガが言った。
まるで、俺の軍師か何かのようにだ。
「まずは、この河岸から人がいなくなる事。そうなれば魔獣たちも、わざわざ上陸して守りの固い山塞を襲おうとはしないのだ。もっと楽に襲える町や村が、下流域にはいくらでもあるのだ」
兵隊の何人かが顔色を変えるのを、俺は見逃さなかった。
「ここで君らが頑張って戦い、魔獣たちを食い止める……下流域の人たちを、守る。そんな事をしても、何しろ諸君は山賊であるからして誰も感謝なんかしてくれないのだ」
このストレガという女、俺たちに安全策を勧めている……ように見えて、俺や兵隊どもの心にある何かを、間違いなく煽り立てている。
「自分たちだけ守れば良し……皆そうやって生きているのだ。うん、恥ずかしい事など何もないない」
「……ガキどもを連れて帰れ。兵隊、連れて来い」
護衛の一人に、俺は命じた。
おぞましい奇声と派手な水音が、上流の方から聞こえて来た。
カワイルカに似た魔獣の群れが、川を泳ぎ下って来る。
俺は、片手をかざした。
護衛の一人が、恭しく戦斧を差し出して来る。
「やりますか、御大将!」
「この地方の連中にな、貸しを作るぞ」
「ああっ、何という事。命知らずな者たちには、我が叡智も通用しないのだ」
ストレガが、わざとらしく嘆いている。
「まったく仕方がない、ここは御曹司殿が皆を導くのだ……次期、領主として」
「てめえ……!」
俺は思わず、この牝ゴブリンを戦斧で叩き殺してしまいそうになっていた。
小屋に閉じ込めてある、はずの若造が、そこにいた。
「勝手に外へ出しやがったのか!」
「ほらほら御曹司殿。鉄喰い虫殿が、お怒りなのだ」
違う。俺が怒り狂っているのは腐れゴブリナ、お前にだ。
怒りのあまり舌が回らず、俺がそれを言えずにいる間。話は、勝手に進んでゆく。
「怒っている、という事は本音が出ているという事……ここは御曹司殿も、本音を出さなければなのだ」
「…………下流域の民を、私は守りたい」
領主の息子が、俺の目を見据えて言った。
「鉄喰い虫殿。どうか、力を貸して欲しい。頼む」
預かっていたものを、俺は御曹司に投げ渡した。
鞘を被った、長剣。業物なので、売り払ってしまおうかと思っていたところだ。
魔獣どもが上陸し、襲いかかって来る。
御曹司が、受け取った長剣を抜き放ち、魔獣の一匹を一閃で叩き斬る。良い腕だった。
俺も、食らいついて来た一匹を戦斧で両断した。
「うん、素晴らしい武勇なのだ」
ストレガの声が、魔獣どもの奇声に掻き消される事なく通る。
「誰も君たちに感謝をしない、だけど感謝されない戦いにこそ意味があるのだ。誇らず、求めず、無言で人々を守る……君たちなればこその戦い、私は決して忘れはしないのだ」
護衛の連中も、なかなかの勢いで魔獣どもを殺戮してゆく。
間違いなく、ストレガの言葉に鼓舞されている。あるいは、煽動されている。
俺も、御曹司もだ。
この女ゴブリン、危険な存在ではないのか。
ここで魔獣どもと一緒に始末しておくべきではないのか、と俺は少しだけ思った。