調査:不思議系、博識エキゾチック美女
キャラクターノベル制作 眞石ユキヒロ納品 2023年08月06日 08時46分32秒
●礼拝デビュー! のはずだった
辺境都市群に存在する学術都市ヴェルクリエ。
(とんでもない目に遭いました……)
つい先日誕生日を迎え十五歳になった私は、思い切って行動を起こすことにしたのだ。
(弱気な自分を少しでも変えるためにドゥジン礼拝に来たのに……)
緊張と期待に満ちた胸で、入場したというのに。
熾烈なカップリング論争に巻き込まれ、半泣きになりながらカップリング島から逃走する羽目になった。
礼拝デビューして、ほのぼのとしたカップリング本を楽しみ、信仰を深めるはずだったのだ。あわよくば気の合う友達を作ろうとか、考えていたのだ。
そんな目論見はたったの三十分で敗れた。今の私は研究島――主に学者や研究者が集うスペースで平穏を噛み締めようとしている。
しているのだが――。
(今度は別の圧を感じます……!)
研究者や学者達の瞳には、カップリング派閥への憤りや侮蔑が滲んでいる。そこから逃げてきた私も、どうやら例外ではないらしい。
(帰ろう、かなぁ……)
殆ど涙目だ。こんな感じで、私のドゥジン礼拝デビューはしょうもなく終わって――。
「待つのだ、そこの少女よ」
――しまわなかった。畏まったところのない、おおらかな雰囲気の声が私を呼び止めたのだ。
「私、ですか?」「そう、君なのだ」
声の主にチラリと視線を送る。
(す、すごい格好の女性が!)
頭には角の生えた動物の頭蓋骨に似た装飾品を被っている。身に纏う衣装の露出度はとてつもなく高い。豊かな乳房が長机に乗っかっており、同性の私でもドキリとしてしまう。
「な、何ですか……?」
それでも。
健康的な褐色の肢体を引き立てる、白銅色の長髪。知性の光湛える、凜々しい赭色の瞳。
外見の魅力に引き寄せられ、私の足は勝手に彼女の方に向かってしまった。
「何やら疲れている様子だったから、癒やしについて話をしないか、と思ってな」
本能が下した判断はそれほど間違っていなかったのではないかとも思う。彼女の声音には、一切の下心が存在しない。
臆病故に他人を観察する癖がついた私がそう判断するのだ。そう間違ってはいない……と思いたい。
何より。
(目が、すごく綺麗ですし……)
魅入ってしまう。磨き抜かれた宝石の如く目映い瞳が、真っ直ぐ私を見つめているのだ。
「少女よ、どうしたのだ? ……喋ることに疲れているのか? だとしたらすまなかったのだ」
きょとん、と女性の瞳が丸くなる。美人で知的に見えるけれど、可愛らしい表情も持ち合わせているらしい。
「いえ、声をかけられると思っていなかっただけで……」
ドゥジン礼拝の作法は自分なりに勉強してきていた。他の信徒と仲良くなる方法についても、独自に考え――もとい空想したりしていたのだ。殆ど無駄に終わってしまったが。
果たしてこの、謎の美女と仲良く出来るのか?
「そうだったのか。迷惑でなかったなら良かったのだ」
「め、迷惑だなんて……そんなことないです」
むしろ居場所を作ってもらえた感がある。カップリング論争に巻き込まれ、完全アウェーな島に流れ着いた新参者にとって、彼女がかけてくれた優しさは小さな救いだった。
「えっと……お姉さんは何かを研究なさっているのですか?」
ようやく真っ当な会話ができる。自然、声色にも喜びが滲んでしまう。
「ふむ、研究……。探究の対象については一概にこれ、とはいえないのだが。……本日用意したものは風呂に関連する研究の成果なのだ」
そう言って女性は机上に並べられた小さな紙袋の一つを手に取り、その口を開いて中身を私に開示した。
「これは……何ですか?」
オレンジ色の粉末。嗅いだことのある心地よい匂いが仄かに漂ってくる。どこで嗅いだか、それだけが思い出せないのだが。
「これは温泉の素、とでもいうべきだろうか。この粉――湯の花粉末を湯に投入すると、シャルガネの温泉を再現できるのだ」
漸く記憶が呼び起こされる。これとよく似た匂いを嗅いだ――もっと言えばこの匂いをもつ湯に身体を浸したことがあった。
「私も昔行ったことがあります。けど、それを再現ってどういうことですか?」
イマイチピンとこない。それでも目の前の女性は堂々とした態度を崩さない。
「この粉末は乾燥させた湯の花、各種薬草、香草を混ぜ合わせ、シャルガネの温泉の成分を再現・凝縮したものなのだ。よって、湯に溶かすことでシャルガネの温泉を擬似的に体験できる」
前半はイマイチ理解できなかった。けれどどうも、この粉と風呂があればシャルガネに行かなくても温泉を楽しめる、ということらしい。
「すごいですね……」
単純すぎる感想しか出てこない。どうしてこの女性はそんなことを考えついたのだろう。私とは頭の出来からして違う、というのは用意に想像がつくが。
「ドワーフ王国、シグモル火山帯のものもあるんですね……。すごい……」
お品書きを眺める。ドワーフ王国は辺境都市群のお隣さんと言ってもいい場所だが、シグモル火山帯は遙か遠い西に存在すると聞いたことだけはある。私のような一般人からすれば、幻に近い場所であった。
「えっと……、シグモル火山帯ってことは、お姉さんは旅をなさっているのですか?」
スタイルの良さばかりに目が行くが、よくよく眺めると無駄のない体つきなのだ。そして力強さに満ち満ちている。
周囲の学者や研究者達と比べても背筋はピンと伸びており、動きだってキビキビしているのだ。
「お姉さん、か。すまない、名乗るのを忘れていたのだ」
一呼吸置いてから、女性が私を真っ直ぐ見つめ、自己紹介を始める。
「私はストレガ。ゴブリン族がより善い未来に生き残る為の研究を行い、また未来に知識を遺す活動をする者なのだ」
「ゴブリン族……?」
辺境都市群とゴブリン自治領ゴールディは、辺境都市群とシグモル火山帯に比べればまだ近いと言える。
とはいえ私は今日までゴブリンに遭遇したことがなかった。
ついじっくりとその全身を眺めてしまいそうになって、反射的にきゅっと目をつむる。
「ゴブリン族とは初めて遭遇したのか? 取って食ったりはしないのだ。安心するといい」
失礼を避けるための咄嗟の反応は、恐怖の発露と取られてしまったらしい。瞼を押し上げ、大慌てで首を左右にぶんぶん振る。
「えっと……、ゴブリン族の皆さんがどんな感じか、興味がありすぎたっていいますか……」
「ふむ」
女性――ストレガ・L・リベルガストラが顎に手を当てる。
「興味を持ってもらえたのなら、私としては嬉しいのだ」
柔らかく細められた伶俐な瞳が、私を捉えて放さない。
「私はゴブリン――正確にはゴブリナというべきか。キャスターの授恵者であり、冒険者としても活動しているのだ」
「研究者さんで冒険者さんなんて……本当にすごいです」
「冒険者ではある。しかし研究者と言うより探究者と言う方が現実に即していると私は思うのだ」
ならばシグモル火山帯に出向くこともあるのだろう。
納得と同時に、興奮が押し寄せてくる。私は探究者でもなければ授恵者でもない。
そんな平凡な私の目の前にいるストレガは、一体どんな経験をしてきたのだろう。どんな経験をすればその二つを両立しようと思うようになるのだろう。
何かを隠し立てしている風には見えないが、考えれば考えるほど謎の人だ。しかしその謎が更にストレガの魅力を引き立てているのも事実で。
「旅とかじゃなくても、あちこちに行くんですね!!」
ついつい大きな声を出してしまった。衆目が集まり、私は俯き両手で口を塞ぐ。ストレガはゆるりとした笑顔を浮かべ、血色の良い唇の前で人差し指を立てた。
「もう少しだけ静かに話をするのだ。……少女の言うとおりでもあるし、探究したい事柄がそこにあるならば私は赴くのだ」
彼女の言葉には人の好奇心を駆り立てる何かが存在する。
とはいえ私を宥めるような、穏やかな語り口調だ。私はこれ以上ストレガに気を遣わせないよう、口から両手を離しうんうんと頷いた。
「それは『ストレガ』の名を持つ者としての使命でもあるし、自分自身の意思でもあるのだ」
よくはわからない。けれど深掘りすれば、私の存在がちっぽけに思えるような壮大な話が出てくるのだろう。
そしてどれほど壮大だとしても、それがストレガにとっての当たり前なのだと確信できる。私とストレガを隔てる長机が、広く深い川のように思えてきた。
「――と、喋りすぎてしまったな。ここには探究の発表をしに来たのだが。……少女よ、これなどはどうだろうか」
ストレガは広く深い川――もとい長机に置かれたドゥジンシを手にすると、私に差し出した。
「風呂・サウナ作成の手順をまとめたドゥジンシなのだ。大衆浴場作成を考察するドゥジンシなども用意してみたのだが、そちらもどうだろうか」
ここはドゥジン神を信仰する者達の礼拝の場だ。けれど、ただそれだけでもある。同じ神を信仰していても、信仰のあり方はそれぞれに違った。
人間同士の掛け算に命をかける人。それらを白眼視し絵画や文芸や音楽や演劇に邁進する人。その二つともちょっと違う研究者肌の人々。
ドゥジン神には複数の神が統合されており、メジャーな信仰の中でも特に信徒の多様性には(様々な意味で)満ちている。
「えっと……」
躊躇う。
風呂――温泉の心地よさは思い出せる。毎日のシャワーだって嫌いじゃない。けれど、ほかほかと暖かな湯で満たされた温泉には到底叶わない。
多分、ストレガも同じなのだろう。私とは思考力や行動力が違いすぎる、というだけで。
そして私はその点――劣っている自分に若干、引け目を感じ始めていた。
「私、読み書きができるっていうだけで……。難しいこととかは、わからないと思うんですよね……」
自分を変えようと礼拝にやってきたのに。
「読み書きもたまたま親に教えてもらえたってだけで。学校とか、行ってなくて……」
何とも情けない、及び腰の回答だ。
けれどストレガはそんな私を否定しなかった。
「私は学校に通っていたが……。意欲さえあれば、学校に行かずとも学ぶことは可能なのだ」
言いながら、手にしたドゥジンシの薄い表紙を繰る。最初のページにはお風呂に入る人のイラストが掲載されていた。丸っこくデフォルメされていて、かわいらしい。
「そのために書物や、書物に類するドゥジンシがある。……知識は伝えられ、活かされてこそなのだと、私は思うのだ」
ストレガは口の端をつり上げる。笑顔のまま、長大な川の向こうにいる私に溢れる知識の一片を差し出してくるのだ。
学のない私を差別したりせず、学びへの橋をかけてくれる。
「そう、ですね……。有難く読ませていただきます」
ならばいつまでも尻込みしているわけにはいかない。
手を伸ばし、探究の一端が記されたドゥジンシを受け取る。そしてイラストに添えられた文に目を通す。
「読みやすい……分かりやすいですね」
馴染み深い言葉たちで構成される、風呂の心地よさや衛生に関するちょっとしたお話。
本当の本当に入門編である。これなら無学な私だって充分に楽しめそうだと、期待を抱くには充分だった。
ページを繰る手はどんどん早くなる。風呂をわが家に導入できないかと考え、もう一度最初からじっくりと読み直す。
「……興味を持ってもらえたようで何よりなのだ」
その様子を眺めて、ストレガは楽しげに独りごちた。
●別れの前に
ストレガと私が出会って三十分ほどが経過しただろうか。
「む……。こちらを観察する者が増えてきているのだ」
つまるところストレガとその研究の注目度が増してきているらしい。私に対しては鋭い視線が突き刺さっている。
有り体に言うなら「早くどけ」と邪魔者に命令するような視線だ。
「私はここを離れた方が良いですね……」
手にしていた大衆浴場作成のドゥジンシを長机に戻す。風呂・サウナのドゥジンシに比べるとやや専門書寄りの内容ではあった。しかしストレガが大衆浴場の作成に成功したのなら、自分はそこで働いてみたいとさえ思わせてくれる、いいドゥジンシだった。
いや、むしろ大衆浴場作成の手伝いをするべきなのではないか。学のなさを忘れて、そんな夢すら抱いた。
まさかこの場でそんなことを言い出すわけにはいかない。私は一礼して「ありがとうございました」という言葉と共に彼女のスペースの前を去ろうとした。
「少女よ、少しだけ待ってくれないだろうか? ……これを受け取ってほしいのだ」
顔を上げた私に、ストレガが小さな紙袋を差し出す。そこから仄かに漂う香りは、私も知っているもので。
「ダメですよ! これはストレガさんの探究の結晶なんですから!」
語気を強める。そして踵を返す。今度こそカップリング島に挑もうと決意して。
「私は最初の客である君に受け取ってほしいのだ」
背後でガタッと音がしたかと思うと、私の腕が掴まれた。
(全く動けないんですけど!?)
流石授恵者、恐るべき膂力だ。何の力も持たない私では到底振り払えない。
「強引ですまないのだ。しかし最初の客に渡すと決めていた。……知識は使用されてこそ、真価を発揮するのだ」
振り返る。そこにあるストレガの表情は、やり遂げた者特有の、満足感でいっぱいの笑顔だった。
ぼーっと見とれている内に、紙袋を受け取っていた。
「……あっ、ありがとうございま、す……?」
「どういたしまして、なのだ」
かろうじてひねり出した感謝に、すぐに謙遜の言葉が返ってくる。自分の間抜けさばかりが際立っている気がして恥ずかしい。
「偶然声をかけたようなものだったというのに、君が私の研究に興味を持ってくれて嬉しかったのだ。ありがとう」
そんな恥ずかしい私にも、ストレガは率直な感謝をくれる。
私は考える。親愛を示すべきか。感謝を示すべきか。
「私も……うちにお風呂を作ってみようかと思います。材料とか紋具とか色々集めて、いつかは」
結局両方を示した。ストレガはやはり、満足げだ。
「出来たら私にも見せてほしいものだ。では、さらばだ」
と言ってからストレガは眉根を寄せた。顎に手を当てて「う~ん」と悩ましげな声を上げる。
何か頭を悩ませるようなことがあるのだろうか。
「……少女よ、名前を聞くのを忘れていたのだ。教えてもらえるだろうか?」
「……っぷ! あはは!」
賢い人だと思えば、抜けている部分もあり。
私は反射的に吹きだしてしまった。未だ順番待ちの視線は刺さり続けている。それでも笑うことはできた。
「――です。それでは」
ストレガに名乗った私は、再度踵を返した。ストレガのスペースの前が空き、誰かの足音がそちらに向かうのが聞こえた。
決して振り返らない。私はカップリング島へと戻る。ストレガとの邂逅は学ぶこと、挑むことへの勇気を目覚めさせてくれた。
(今度こそ私は逃げない……!)
目当てのカップリング本にも辿り着くし、家に帰ったら親に風呂を作る相談をする。
学がなくても、弱気でも。そう決めたのだ。
●再会
数ヶ月後。
「ストレガさん!?」
「少女よ、久しぶりなのだ。あの粉は試しただろうか?」
私とストレガはドワーフ王国の温泉宿にて再会した。
ストレガは梅柄の浴衣を着て、少年を一人引き連れていた。弟だろうか?
私はと言えば、両親と一緒だ。ストレガの書いた風呂作成のドゥジンシについて語った結果、両親が「今度はドワーフ王国の温泉に行きたいなぁ」と言い出したのだ。
「お風呂の作成はこれからですけど、両親も賛成してくれています」
「そうなのか。知識を発表した甲斐があったというものだ」
どうもストレガは「インフラが整備された辺境都市群の人間が風呂に対してどれほど興味を持つか」の統計を取るためにも礼拝に参加していたらしい。
そして今度は単純に身体を休めるために温泉に来たそうだ。
(ストレガさんならそういう時でももっと面白いことを思いつきそうだなって思うけど)
ドゥジン礼拝で出会った不思議な美女に、期待を寄せてしまう。
私がストレガのことをわかっているとは到底言い難いけれど。ストレガにはそういう、説明しがたい魅力が存在した。
辺境都市群に存在する学術都市ヴェルクリエ。
(とんでもない目に遭いました……)
つい先日誕生日を迎え十五歳になった私は、思い切って行動を起こすことにしたのだ。
(弱気な自分を少しでも変えるためにドゥジン礼拝に来たのに……)
緊張と期待に満ちた胸で、入場したというのに。
熾烈なカップリング論争に巻き込まれ、半泣きになりながらカップリング島から逃走する羽目になった。
礼拝デビューして、ほのぼのとしたカップリング本を楽しみ、信仰を深めるはずだったのだ。あわよくば気の合う友達を作ろうとか、考えていたのだ。
そんな目論見はたったの三十分で敗れた。今の私は研究島――主に学者や研究者が集うスペースで平穏を噛み締めようとしている。
しているのだが――。
(今度は別の圧を感じます……!)
研究者や学者達の瞳には、カップリング派閥への憤りや侮蔑が滲んでいる。そこから逃げてきた私も、どうやら例外ではないらしい。
(帰ろう、かなぁ……)
殆ど涙目だ。こんな感じで、私のドゥジン礼拝デビューはしょうもなく終わって――。
「待つのだ、そこの少女よ」
――しまわなかった。畏まったところのない、おおらかな雰囲気の声が私を呼び止めたのだ。
「私、ですか?」「そう、君なのだ」
声の主にチラリと視線を送る。
(す、すごい格好の女性が!)
頭には角の生えた動物の頭蓋骨に似た装飾品を被っている。身に纏う衣装の露出度はとてつもなく高い。豊かな乳房が長机に乗っかっており、同性の私でもドキリとしてしまう。
「な、何ですか……?」
それでも。
健康的な褐色の肢体を引き立てる、白銅色の長髪。知性の光湛える、凜々しい赭色の瞳。
外見の魅力に引き寄せられ、私の足は勝手に彼女の方に向かってしまった。
「何やら疲れている様子だったから、癒やしについて話をしないか、と思ってな」
本能が下した判断はそれほど間違っていなかったのではないかとも思う。彼女の声音には、一切の下心が存在しない。
臆病故に他人を観察する癖がついた私がそう判断するのだ。そう間違ってはいない……と思いたい。
何より。
(目が、すごく綺麗ですし……)
魅入ってしまう。磨き抜かれた宝石の如く目映い瞳が、真っ直ぐ私を見つめているのだ。
「少女よ、どうしたのだ? ……喋ることに疲れているのか? だとしたらすまなかったのだ」
きょとん、と女性の瞳が丸くなる。美人で知的に見えるけれど、可愛らしい表情も持ち合わせているらしい。
「いえ、声をかけられると思っていなかっただけで……」
ドゥジン礼拝の作法は自分なりに勉強してきていた。他の信徒と仲良くなる方法についても、独自に考え――もとい空想したりしていたのだ。殆ど無駄に終わってしまったが。
果たしてこの、謎の美女と仲良く出来るのか?
「そうだったのか。迷惑でなかったなら良かったのだ」
「め、迷惑だなんて……そんなことないです」
むしろ居場所を作ってもらえた感がある。カップリング論争に巻き込まれ、完全アウェーな島に流れ着いた新参者にとって、彼女がかけてくれた優しさは小さな救いだった。
「えっと……お姉さんは何かを研究なさっているのですか?」
ようやく真っ当な会話ができる。自然、声色にも喜びが滲んでしまう。
「ふむ、研究……。探究の対象については一概にこれ、とはいえないのだが。……本日用意したものは風呂に関連する研究の成果なのだ」
そう言って女性は机上に並べられた小さな紙袋の一つを手に取り、その口を開いて中身を私に開示した。
「これは……何ですか?」
オレンジ色の粉末。嗅いだことのある心地よい匂いが仄かに漂ってくる。どこで嗅いだか、それだけが思い出せないのだが。
「これは温泉の素、とでもいうべきだろうか。この粉――湯の花粉末を湯に投入すると、シャルガネの温泉を再現できるのだ」
漸く記憶が呼び起こされる。これとよく似た匂いを嗅いだ――もっと言えばこの匂いをもつ湯に身体を浸したことがあった。
「私も昔行ったことがあります。けど、それを再現ってどういうことですか?」
イマイチピンとこない。それでも目の前の女性は堂々とした態度を崩さない。
「この粉末は乾燥させた湯の花、各種薬草、香草を混ぜ合わせ、シャルガネの温泉の成分を再現・凝縮したものなのだ。よって、湯に溶かすことでシャルガネの温泉を擬似的に体験できる」
前半はイマイチ理解できなかった。けれどどうも、この粉と風呂があればシャルガネに行かなくても温泉を楽しめる、ということらしい。
「すごいですね……」
単純すぎる感想しか出てこない。どうしてこの女性はそんなことを考えついたのだろう。私とは頭の出来からして違う、というのは用意に想像がつくが。
「ドワーフ王国、シグモル火山帯のものもあるんですね……。すごい……」
お品書きを眺める。ドワーフ王国は辺境都市群のお隣さんと言ってもいい場所だが、シグモル火山帯は遙か遠い西に存在すると聞いたことだけはある。私のような一般人からすれば、幻に近い場所であった。
「えっと……、シグモル火山帯ってことは、お姉さんは旅をなさっているのですか?」
スタイルの良さばかりに目が行くが、よくよく眺めると無駄のない体つきなのだ。そして力強さに満ち満ちている。
周囲の学者や研究者達と比べても背筋はピンと伸びており、動きだってキビキビしているのだ。
「お姉さん、か。すまない、名乗るのを忘れていたのだ」
一呼吸置いてから、女性が私を真っ直ぐ見つめ、自己紹介を始める。
「私はストレガ。ゴブリン族がより善い未来に生き残る為の研究を行い、また未来に知識を遺す活動をする者なのだ」
「ゴブリン族……?」
辺境都市群とゴブリン自治領ゴールディは、辺境都市群とシグモル火山帯に比べればまだ近いと言える。
とはいえ私は今日までゴブリンに遭遇したことがなかった。
ついじっくりとその全身を眺めてしまいそうになって、反射的にきゅっと目をつむる。
「ゴブリン族とは初めて遭遇したのか? 取って食ったりはしないのだ。安心するといい」
失礼を避けるための咄嗟の反応は、恐怖の発露と取られてしまったらしい。瞼を押し上げ、大慌てで首を左右にぶんぶん振る。
「えっと……、ゴブリン族の皆さんがどんな感じか、興味がありすぎたっていいますか……」
「ふむ」
女性――ストレガ・L・リベルガストラが顎に手を当てる。
「興味を持ってもらえたのなら、私としては嬉しいのだ」
柔らかく細められた伶俐な瞳が、私を捉えて放さない。
「私はゴブリン――正確にはゴブリナというべきか。キャスターの授恵者であり、冒険者としても活動しているのだ」
「研究者さんで冒険者さんなんて……本当にすごいです」
「冒険者ではある。しかし研究者と言うより探究者と言う方が現実に即していると私は思うのだ」
ならばシグモル火山帯に出向くこともあるのだろう。
納得と同時に、興奮が押し寄せてくる。私は探究者でもなければ授恵者でもない。
そんな平凡な私の目の前にいるストレガは、一体どんな経験をしてきたのだろう。どんな経験をすればその二つを両立しようと思うようになるのだろう。
何かを隠し立てしている風には見えないが、考えれば考えるほど謎の人だ。しかしその謎が更にストレガの魅力を引き立てているのも事実で。
「旅とかじゃなくても、あちこちに行くんですね!!」
ついつい大きな声を出してしまった。衆目が集まり、私は俯き両手で口を塞ぐ。ストレガはゆるりとした笑顔を浮かべ、血色の良い唇の前で人差し指を立てた。
「もう少しだけ静かに話をするのだ。……少女の言うとおりでもあるし、探究したい事柄がそこにあるならば私は赴くのだ」
彼女の言葉には人の好奇心を駆り立てる何かが存在する。
とはいえ私を宥めるような、穏やかな語り口調だ。私はこれ以上ストレガに気を遣わせないよう、口から両手を離しうんうんと頷いた。
「それは『ストレガ』の名を持つ者としての使命でもあるし、自分自身の意思でもあるのだ」
よくはわからない。けれど深掘りすれば、私の存在がちっぽけに思えるような壮大な話が出てくるのだろう。
そしてどれほど壮大だとしても、それがストレガにとっての当たり前なのだと確信できる。私とストレガを隔てる長机が、広く深い川のように思えてきた。
「――と、喋りすぎてしまったな。ここには探究の発表をしに来たのだが。……少女よ、これなどはどうだろうか」
ストレガは広く深い川――もとい長机に置かれたドゥジンシを手にすると、私に差し出した。
「風呂・サウナ作成の手順をまとめたドゥジンシなのだ。大衆浴場作成を考察するドゥジンシなども用意してみたのだが、そちらもどうだろうか」
ここはドゥジン神を信仰する者達の礼拝の場だ。けれど、ただそれだけでもある。同じ神を信仰していても、信仰のあり方はそれぞれに違った。
人間同士の掛け算に命をかける人。それらを白眼視し絵画や文芸や音楽や演劇に邁進する人。その二つともちょっと違う研究者肌の人々。
ドゥジン神には複数の神が統合されており、メジャーな信仰の中でも特に信徒の多様性には(様々な意味で)満ちている。
「えっと……」
躊躇う。
風呂――温泉の心地よさは思い出せる。毎日のシャワーだって嫌いじゃない。けれど、ほかほかと暖かな湯で満たされた温泉には到底叶わない。
多分、ストレガも同じなのだろう。私とは思考力や行動力が違いすぎる、というだけで。
そして私はその点――劣っている自分に若干、引け目を感じ始めていた。
「私、読み書きができるっていうだけで……。難しいこととかは、わからないと思うんですよね……」
自分を変えようと礼拝にやってきたのに。
「読み書きもたまたま親に教えてもらえたってだけで。学校とか、行ってなくて……」
何とも情けない、及び腰の回答だ。
けれどストレガはそんな私を否定しなかった。
「私は学校に通っていたが……。意欲さえあれば、学校に行かずとも学ぶことは可能なのだ」
言いながら、手にしたドゥジンシの薄い表紙を繰る。最初のページにはお風呂に入る人のイラストが掲載されていた。丸っこくデフォルメされていて、かわいらしい。
「そのために書物や、書物に類するドゥジンシがある。……知識は伝えられ、活かされてこそなのだと、私は思うのだ」
ストレガは口の端をつり上げる。笑顔のまま、長大な川の向こうにいる私に溢れる知識の一片を差し出してくるのだ。
学のない私を差別したりせず、学びへの橋をかけてくれる。
「そう、ですね……。有難く読ませていただきます」
ならばいつまでも尻込みしているわけにはいかない。
手を伸ばし、探究の一端が記されたドゥジンシを受け取る。そしてイラストに添えられた文に目を通す。
「読みやすい……分かりやすいですね」
馴染み深い言葉たちで構成される、風呂の心地よさや衛生に関するちょっとしたお話。
本当の本当に入門編である。これなら無学な私だって充分に楽しめそうだと、期待を抱くには充分だった。
ページを繰る手はどんどん早くなる。風呂をわが家に導入できないかと考え、もう一度最初からじっくりと読み直す。
「……興味を持ってもらえたようで何よりなのだ」
その様子を眺めて、ストレガは楽しげに独りごちた。
●別れの前に
ストレガと私が出会って三十分ほどが経過しただろうか。
「む……。こちらを観察する者が増えてきているのだ」
つまるところストレガとその研究の注目度が増してきているらしい。私に対しては鋭い視線が突き刺さっている。
有り体に言うなら「早くどけ」と邪魔者に命令するような視線だ。
「私はここを離れた方が良いですね……」
手にしていた大衆浴場作成のドゥジンシを長机に戻す。風呂・サウナのドゥジンシに比べるとやや専門書寄りの内容ではあった。しかしストレガが大衆浴場の作成に成功したのなら、自分はそこで働いてみたいとさえ思わせてくれる、いいドゥジンシだった。
いや、むしろ大衆浴場作成の手伝いをするべきなのではないか。学のなさを忘れて、そんな夢すら抱いた。
まさかこの場でそんなことを言い出すわけにはいかない。私は一礼して「ありがとうございました」という言葉と共に彼女のスペースの前を去ろうとした。
「少女よ、少しだけ待ってくれないだろうか? ……これを受け取ってほしいのだ」
顔を上げた私に、ストレガが小さな紙袋を差し出す。そこから仄かに漂う香りは、私も知っているもので。
「ダメですよ! これはストレガさんの探究の結晶なんですから!」
語気を強める。そして踵を返す。今度こそカップリング島に挑もうと決意して。
「私は最初の客である君に受け取ってほしいのだ」
背後でガタッと音がしたかと思うと、私の腕が掴まれた。
(全く動けないんですけど!?)
流石授恵者、恐るべき膂力だ。何の力も持たない私では到底振り払えない。
「強引ですまないのだ。しかし最初の客に渡すと決めていた。……知識は使用されてこそ、真価を発揮するのだ」
振り返る。そこにあるストレガの表情は、やり遂げた者特有の、満足感でいっぱいの笑顔だった。
ぼーっと見とれている内に、紙袋を受け取っていた。
「……あっ、ありがとうございま、す……?」
「どういたしまして、なのだ」
かろうじてひねり出した感謝に、すぐに謙遜の言葉が返ってくる。自分の間抜けさばかりが際立っている気がして恥ずかしい。
「偶然声をかけたようなものだったというのに、君が私の研究に興味を持ってくれて嬉しかったのだ。ありがとう」
そんな恥ずかしい私にも、ストレガは率直な感謝をくれる。
私は考える。親愛を示すべきか。感謝を示すべきか。
「私も……うちにお風呂を作ってみようかと思います。材料とか紋具とか色々集めて、いつかは」
結局両方を示した。ストレガはやはり、満足げだ。
「出来たら私にも見せてほしいものだ。では、さらばだ」
と言ってからストレガは眉根を寄せた。顎に手を当てて「う~ん」と悩ましげな声を上げる。
何か頭を悩ませるようなことがあるのだろうか。
「……少女よ、名前を聞くのを忘れていたのだ。教えてもらえるだろうか?」
「……っぷ! あはは!」
賢い人だと思えば、抜けている部分もあり。
私は反射的に吹きだしてしまった。未だ順番待ちの視線は刺さり続けている。それでも笑うことはできた。
「――です。それでは」
ストレガに名乗った私は、再度踵を返した。ストレガのスペースの前が空き、誰かの足音がそちらに向かうのが聞こえた。
決して振り返らない。私はカップリング島へと戻る。ストレガとの邂逅は学ぶこと、挑むことへの勇気を目覚めさせてくれた。
(今度こそ私は逃げない……!)
目当てのカップリング本にも辿り着くし、家に帰ったら親に風呂を作る相談をする。
学がなくても、弱気でも。そう決めたのだ。
●再会
数ヶ月後。
「ストレガさん!?」
「少女よ、久しぶりなのだ。あの粉は試しただろうか?」
私とストレガはドワーフ王国の温泉宿にて再会した。
ストレガは梅柄の浴衣を着て、少年を一人引き連れていた。弟だろうか?
私はと言えば、両親と一緒だ。ストレガの書いた風呂作成のドゥジンシについて語った結果、両親が「今度はドワーフ王国の温泉に行きたいなぁ」と言い出したのだ。
「お風呂の作成はこれからですけど、両親も賛成してくれています」
「そうなのか。知識を発表した甲斐があったというものだ」
どうもストレガは「インフラが整備された辺境都市群の人間が風呂に対してどれほど興味を持つか」の統計を取るためにも礼拝に参加していたらしい。
そして今度は単純に身体を休めるために温泉に来たそうだ。
(ストレガさんならそういう時でももっと面白いことを思いつきそうだなって思うけど)
ドゥジン礼拝で出会った不思議な美女に、期待を寄せてしまう。
私がストレガのことをわかっているとは到底言い難いけれど。ストレガにはそういう、説明しがたい魅力が存在した。