ストレガ、小さき猿との邂逅の一幕

キャラクターノベル制作 木口アキノ納品 2023年07月03日 12時58分11秒

 ざく、ざく、ざく。
 大樹海の中に響く音は。
 鳥のさえずり、獣の遠吠え、虫の鳴き声、葉擦れの音。
 そして。
 ざく、ざく、ざく。
 落ちた葉や枝、下草や苔を踏みしめ道なき道を進むストレガ・L・リベルガストラの歩む音。
 背中には、人の子1人くらいなら入ることができそうな大きな竹細工の籠を背負って。
 行く先に視線を向ければ数多の樹木。見上げれば鬱蒼と茂った枝葉が太陽の光を遮り、樹海の中の薄暗く湿った空気はほんのり肌寒い。
 しかしながら、ストレガは寒さなど感じていなかった。どころか、その褐色の胸の深い谷間に向かって汗がいくつか筋を作っているほどだ。
 それでも彼女は歩みを止めない。汗で首筋に張り付く銀の髪を指先で払いつつ、ふっ、ふっ、ふっ、とリズミカルに呼吸をし、視線は絶えずきょろきょろと何かを探し足早に木々の間を縫い歩く。
 彼女が歩みを止めるのは、唯一……。
「見つけたのだ」
 木の根元に向かい跪く。背中から籠を下ろして手を伸ばした先にあるのは、他では見られない不思議な模様と形状の植物。
 この辺りでしか採れないという薬草の一種である。
 ストレガの唇にほんのりと満足そうな笑みが浮かぶ。
 おとぎ話の王子様がお姫様の手をとるような優しい手つきでその植物を摘み取ると、そっと傍らに下ろした籠の中にそれを入れる。
 籠の中にはすでに半分ほど、同じ植物が摘み入れられていた。
「ふむ、そろそろ十分な量だろうか。しかし、念のためあともう少し摘んでおくのだ~」
 ストレガは籠を背負い直し立ち上がると、持ってきていた水筒の水でごくりと喉を潤す。
 水分補給も忘れない。労働の基本だ。
 と、少し離れた場所から一際大きな獣の声が空気を裂いて響き渡る。
「何事なのだ?」
 自然界の生き物に手を貸すつもりはない。野生の生き物の生態系に影響を及ぼすことはあってはならないからだ。
 しかしながら、ただ純粋な興味で、ストレガは目をこらしつつ鳴き声の聞こえた方向へ極力足音を抑え慎重に進む。
 ギャーギャー、キャッキャと2種類の声。
 種族は同じ動物だろうが、それぞれの立場は違う様子だ。
 さらに近づき樹上に目を向ける。
 鮮やかな橙色の毛並みの猿が二頭、対峙し鳴き声をぶつけ合っていた。
 体の小さな猿が、甲高い声で乞うように鳴く。それを大きな猿が歯を剥いて突き刺すような声で返す。
「むむ……可哀想だが自然の摂理なのだ」
 それは親離れの場面であった。
 ストレガが遠くから見守る中、ひとしきり鳴き合い親猿は飛ぶように枝を渡り去って行き、その反対方向へ、子猿が力なく去って行く。
 強く生きるのだぞ、子猿よ。
 ストレガは心の中で子猿にエールを送った。
 人生とは自分の力で地に足をつけ生き抜くこと。そのための知識を身につけ強く生きるのだ、と。
 子猿の後ろ姿を見送って、ストレガは再び薬草集めに勤しむのであった。

 ふーっと大きなため息をつき、ストレガは目前の籠の中身を見遣る。
「このくらい集まれば何回分になるだろうか」
 集まった薬草は籠の3分の2ほどに積み上がっている。
 ストレガは思いを馳せる。ふわりと立ち上る真白な湯気に。
 この薬草を乾燥させて麻袋に入れて湯に沈め……さすればどのような香りを醸し出すだろうか。どのような色が滲み出るだろうか。そして身体にもたらす効能は。
 考え始めると居ても立ってもいられない。
 いそいそと籠を背負い直すと、家を目指し歩き始める。
 さしものストレガも長時間にわたる薬草集めという労働により多少の疲労があったのかもしれない。
 本能的に、草木が生い茂っておらず歩きやすい場所を足が求めていた。
 しかし、この獣だらけの大樹海の中、歩きやすいということは、そこはすなわち獣の通り道であることを示している。そのことが頭をよぎらないわけではなかったのに。
 ざーっと地面を掃くような音が後方からストレガを追いかける。
 ぴくり、とストレガは若干背筋を伸ばす。
 そして聴覚を研ぎ澄ます。
 ここは獣道。生い茂る草が時に押しのけられ時に押しつぶされてできた道。
 しかしながら、聞こえてくるのは足音ではない。
 そう、「足」ではない。この音は。
「蛇、しかもかなりの大きさのようなのだ」
 小声で独りごちるとストレガは歩みを早めた。
 隠れる、それは難しいだろう。なぜなら。
「蛇の嗅覚はとても鋭い。鼻だけではなく口内に匂いを嗅ぎ取る器官がある。舌をちょろちょろ出し入れしているのは空気中の匂い成分を口内器官に運ぶため。つまり隠れても匂いで見つかってしまうのだ」
 ストレガは脳内の蛇に関する知識を猛スピードで引っ張り出す。まるで頭蓋の中に収納されている生物図鑑をパラパラと高速でめくっているかのように。
「視力は弱いが、聴覚はある。体全体で振動を感じとり、それを音として認識しているゆえ、どんなに忍び足で歩いても聞こえてしまう」
 ならば。
 ストレガは立ち止まり振り返る。
 成人したゴブリン3人くらいは飲み込めそうな大きさの大蛇と目が合う。大蛇はストレガとの距離を猛スピードで詰めてくる。
 大蛇はもうすっかりストレガを捕食できるつもりでいるのだろう。
 歓喜の唾液をまき散らしながら、最後の一手とばかりに追い上げる。
 しかし、この瞬間を待っていたのはストレガの方だった。
 大蛇の接近する速度に合わせてグラビティフィールドを発動させた!
 大蛇の体は重力に押さえつけられ、そこから逃れようとのたうちまわる。
 その間にストレガは瘤が多くツタ植物が巻き付いた登りやすそうな木に飛びついて、樹上を目指す。途中太い枝を見つけると四つん這いになってそれを伝う。ここから違う木に移り、枝から枝へと渡って大蛇から離れたところで地面に降りようという算段だった。
 ストレガが2、3本枝を渡ったところで、幹の枝との境目部分にオレンジ色の物体が丸まっているのを発見した。
「おや、あの子猿ではないか~」
 それは道中で見かけた、母猿との親離れを経たあの子猿であった。
 今は悲しみに暮れて眠りについているところだろうか。
 ストレガは子猿を起こさないように気をつけながら、なんとか子猿を避けて幹の方へとしがみつく。
 と、その瞬間。かすかに枝が揺れたのか、それともストレガの衣服か籠が触れてしまったのか。
 ぴくん、と子猿が体を起こすとその拍子に、足元に集められていた木の実がぱらぱらと樹下へ落ちていってしまった。
「おっと、失礼したのだ」
 ストレガの声に気付いているのかいないのか、子猿は大慌てで木の実を追って樹下へ降りる。
「あ、待つのだ!」
 ここはまだ、大蛇の嗅覚と聴覚が及ぶ範囲と思われる。先ほどのグラビティフィールドの効果が切れている可能性もある。そんなところに、まだ体の小さなこの子猿が降りていってしまったらどうなるか。
 弱肉強食、それが自然の摂理であろう。
 しかし、子猿が大蛇のいる樹下に降りていってしまったのは、ストレガにも一因があるかもしれないのである。だとしたら、それは「自然」では無い。
 ストレガも子猿を追って木を降りる。
 一番下の枝にたどり着くと、懸念通り大蛇が子猿と対峙しているのが見えた。すでに一撃くらった後なのか、子猿の脇腹は朱に染まっている。
 一旦は逃れたのだろうが、大蛇は再び子猿との距離をじわりと詰めている。一足飛びで噛みつける距離に入ったらその途端に襲いかかろうという魂胆だろう。
「こら、大蛇」
 ストレガは声をあげるが、大蛇は見向きもしない。
 それもそのはず。ストレガと子猿であればどちらが獲物として最適か。つまり、弱そうなのはどちらか。考えるまでもない。
「むぅ、仕方ないのだ」
 ストレガは着地すると懐から庖丁を取り出した。
 美味しい料理を作ることにかけてもその探究心を遺憾なく発揮するストレガが、日々丹念に研ぎ上げている庖丁は切れ味抜群なのである。
 ストレガはその庖丁を閃かせ、大蛇の喉元に……ではなくて、背中の籠を下ろしてそこから取り出した薬草へ。
 大きめの石をまな板にして超速で薬草を切り刻む。この時点でなんとも言えぬ匂いが立ち上るが、それをさらに水筒の中に入れ、蓋を閉じるとしゃかしゃかと振る。
 ここまでの時間、約1分。
「このくらいで十分だろうか」
 言うとストレガは地面を蹴って大蛇の横に並ぶと、ぶわっと水筒の中身を大蛇にぶちまけた。
 薬草が攪拌されて成分が滲み出た水は強い香りを発し、嗅覚に優れた大蛇はそれにもだえ苦しむ。水に溶け出した成分は匂いだけではなく、大蛇の皮膚にとって刺激となったようで、大蛇の皮膚感覚までをも苛んだ。
 大蛇がのたうっている間に、ストレガはさっと子猿を抱きかかえ、念のために自分たちと大蛇の間にクレネルウォールを展開させると、その場を走り去った。

 
 ストレガが自宅まで子猿を抱えて帰ってきてしまったのは、子猿を降ろし忘れていたからではない。
 かといって怪我をした子猿をそのままにしてはおけないという慈悲の心があったというわけでもないのだが。
「怪我の程度は人差し指長の裂傷が二筋。深さは真皮に至るほどではない。咬みつかれたとみて良い」
 ストレガは古布を敷いた椅子の上に子猿を寝かせると怪我の状況を確認していく。
 弱っている子猿は抵抗もしない。もしかしたら、大蛇から助けてくれたストレガに対し信頼感を抱いているのかもしれない。
「通常なら全治一ヶ月といったところなのだ」
 ストレガはうんうんと頷く。それから、樹海から持ち帰った薬草の量を確かめる。
「思ったより減っているのだ」
 枝の上を伝っているうちにこぼれたり大蛇を怯ませるために使ったりしたのだから、それも当然だ。
 かといってストレガに気落ちしている様子はない。
 顎に手をあて数分考えてから、壁際の本棚へと向かう。
 ぎっしりと並んだ書物のうちのひとつをそっと取り出す。なにしろ古い本である、力加減を間違えると破けてしまいかねない。
「薬草の使用、応用編……」
 呟きながら頁を捲る。古い紙特有の香りがふわりと漂う。
「薬湯としての使用方法は……使用者の体積に適した使用量は……」
 目的の頁を見つけて食い入るように見つめ、そこに書かれている内容を全て脳内に刻み込むとまた次の目的の頁へと。
 そう、ストレガが薬草を集めていたのは、薬湯のためであった。
 これまで温泉、サウナと考察を重ねてきた彼女が次に注目したのは薬湯だったのだ。
 薬草を煎じもしくはそのまま湯に浸せば浸出した成分が心身に良い効能をもたらすという文献を目にした彼女は、すぐさま世界各地の薬草を調べ、薬湯に適していそうなものを何種類か選出し、遠方の国から取り寄せたり自ら足を運んだりしてそれを集めていたのだ。
 今回大樹海で集めた薬草で、とりあえずの目処が立つ予定であった。
 しかしながら、なんやかんやで目標の量は集まらなかった。
 かといって、ストレガはこれを残念がることはなかった。
 人生、こういったこともつきものであろうと達観している。それになにより、実験に適した生物が自らの元にやってきてくれたことの喜びのほうが大きい。
 ストレガはちらりと子猿に視線を向ける。薬湯は怪我をした子猿にも効き目があるのではないかと考えたのだ。子猿ならば身体も小さく、薬草の量も少なくてすむに違いない。
 ストレガは調べた結果を基に子猿用の分量を計算し薬湯の準備を始めた。
「これで子猿の怪我が治るまでにかかる日数が一ヶ月より短ければ、薬湯の研究は成功と言えるのだ」
 だが、失敗してもそれはそれで良しである。なぜなら、研究というものは失敗も大事なデータであるのだから。

 薬湯ができあがる頃には月が空をぐるりと巡り、すでに日の出の刻となっていた。

 自作の露天風呂には深緑色の湯が沸いており、立ち上る不思議な香りを含んだ湯気は朝日を浴びてきらきらと輝いていた。
 朝日はストレガの弾けるような裸体にも降り注ぎ、彼女が神々しき女神に見えるほどの輝きを与える。
 彼女は傍らに置いた籠の中を見遣る。そこには薬草ではなく、古布にくるまった子猿が丸まっていた。
 ストレガの応急処置を受け、一晩すやすやと眠った子猿は朝日の眩しさで目を覚まし瞼を薄らと開ける。
「起きたか、子猿」
 ストレガは子猿に声をかける。
「ちょうど良い、朝風呂はどうだ。一緒に来るのだ」
 子猿をひょいと抱き上げると応急処置で巻いていた包帯を慎重に外す。
「しみるかもしれないが、我慢するのだぞ」
 言い聞かせて子猿を豊満な胸に乗せるようにして抱くと、ストレガは湯の中に片足を入れ、つま先で温度を確認する。
「うむ、いい湯加減なのだ」
 そのまま片脚を膝まで沈め、脚でぐるぐると湯をかき混ぜる。光を反射しきらきら光る湯の表面、そこに浮かぶ麻袋がくるくる踊り、そこからさらに緑色の成分が浸みだしてくる。麻袋の中身はストレガオリジナルブレンドの薬草だ。子猿の体積や怪我の状態に合わせたものを自分なりに調べて分量を計算している。
 美しい曲線を描く脚が腿まで湯に沈む。そしてもう片方の脚も沈めていく。
「朝日を浴びることは健康に良いという文献もある。薬湯との相乗効果が期待できるのだ」
 遠くで野鳥が囀っている。なんとも清々しい朝ではないか。
「どうだ、子猿よ。我慢できるか?」
 そう問いながらストレガは、片手で湯を掬って子猿に少しずつかける。
 少しずつ、傷に湯を慣らしていくために。
 初めはびくっと体を震わせた子猿だが、これが危険なものではないと感じたのか、ぎゅうとストレガの胸に縋るとじっと湯をかけられるままになっていた。
 多少は傷口にしみるのかもしれないが、ストレガを信じてそれを我慢しているようである。
 この様子なら子猿を湯に浸けても大丈夫だろうと判断したストレガは、湯の感触を堪能するように、ゆっくりと肩まで体を沈めた。
 もちろん、胸に抱いた子猿を溺れさせないように気をつけながら。
 ぷかっと浮いてくる柔らかいふたつの丘、その間に子猿を優しく挟んで安定させる。
 子猿は湯の温かさとストレガの柔らかさの心地よさにうっとりと瞼を閉じ、彼女に体を預けた。
「子猿にはちょうど良い湯加減だったようだ」
 ストレガは双眸を細める。しかし。
「だが私には、ちと、物足りない気もするのだ……」
 せっかくの薬湯なのだから、もう少し、ガツンと薬の香りが欲しい。肌に感じる刺激が欲しい。
子猿に合わせて薬草を控えめにしたせいか、ストレガ自身には効果があまり感じられなかったのはいささか残念ではあった。
 しかし、自分の胸に納まり気持ち良さそうに穏やかな呼吸を繰り返している子猿を見て、まぁいいのだ、と息をついた。
 薬草ならまた摘みに行けば良い。子猿が回復したら山に返しに行きがてらもう一度薬草を集めるとしよう。
 探究心を満たすためならどんな苦労も厭わない。それがストレガ・L・リベルガストラなのである。もう一度大樹海に入ることなどなんてことはないのだ。
 それに何より、期せずして子猿用の薬効データも手に入れることができるのだから、彼女は満足であった。
 
 かくして子猿は、ストレガの最初の見立てである全治一ヶ月を大幅に短縮した2週間で快復し、ストレガをおおいに喜ばせた。
「やはり薬湯には効果があるのだ! どの薬草をどれだけ混ぜればどんな効果があるのか……まだまだ研究し甲斐がある分野なのだ」
 自分の考察が間違っていなかったこと、そして今後もまだまだ研究の余地があること、その二つの事実はストレガにこの上ない喜びと生きる気力を与えるのであった。
 この研究がある程度進めば、いずれ薬湯が医療行為に利用できる日がくるかもしれない。
 いや、もっと大衆向けに、カジュアルな温泉として広めることもできるかもしれない。
 以前考察したとおり、この世界では温泉や風呂の文化が根付いていない地方も数多くある。しかしながら、このように薬効があるという話が広まれば、風呂に浸かってみたいと思う者たちも増えていくであろう。
「そうなった暁には、子猿にまた礼を言わねばならなくなるだろうな」
 そんな日を夢見て、ストレガは子猿を見遣る。
 すっかり元気になった子猿はストレガを見上げる。
 ストレガと子猿は数秒、見つめ合った。
 双方、わかっていたのだ。
 別れの時が来たことを。
「さあ、行こうか、子猿よ」
 ストレガは旅の準備を始める。大樹海に入るには、それなりの装備が必要だからだ。
 ストレガの後を子猿がついて回る。最後のひとときを慈しむように。
 ストレガと子猿が、また会う日が来るかどうかはわからない。
 だが子猿は彼女のことを忘れないであろう。
 研究熱心で、己の探究心のままに行動する知の女神のようなゴブリナのことを。
 ストレガの方は、もしかしたら日々の研究に邁進しているうちに子猿のことなど忘れてしまうかもしれない。
 だが、それでもいいのだ。
 この出会いがお互いにとって良き結果をもたらした。その事実さえあれば。
 ストレガは子猿の入った籠を背負い自宅を出る。帰ってくる時にはこの籠の中に子猿はおらず、代わりにたくさんの薬草が入っていることであろう。
 ストレガの研究はまだまだこの先も続くのであった。

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0