花の娘、その歩み
キャラクターノベル(グループ)制作 夏八木ヒロ納品 2023年04月15日 14時04分36秒
森の賢者と慕われるフェアロス・アーラ・アスプロスを頼り、その家を訪ねる者は少なくはない。大怪我をした旅人が治療を求め飛び込んでくるようなこともあるが、冷静に適切な処置を行う姿は娘であるコルネリウス・アーラの記憶にしっかりと刻まれている。
今になってそれを思い出したのは、台所に置かれたままの薬研が目に飛び込んできたからだった。
これを片付けるか逡巡し、コルネリウスはとりあえず自分の用事を優先することにした。丁寧に二人分の紅茶を淹れる。夜はまだ長いので、茶器も一緒に並べ盆に乗せた。
「父さん、少し休憩にしませんか?」
そうしてコルネリウスが書斎を覗けば、一瞬遅れてフェアロスが頭を上げた。この聡明なエルフの父が、仕事に没頭し時を忘れるのはいつものことでもある。だから少し無理にでも、こちらから声を掛けて休ませた方が良いことをコルネリウスは心得ていた。
「ありがとうございます、コルネ。良い香りですね」
「ベールコートの茶葉です。預かっていた資料のまとめ作業、早めに終わったので淹れてみたのですが」
「ああ、頼んでいた仕事をもう終えてしまったんですね。お疲れ様でした。優秀な娘がいるとすぐに仕事がなくなってしまいそうです」
「そんなこと……」
照れたように長い耳先を下げる娘の頭をぽんぽんと優しく触れて、フェアロスは机の上に置いた書類や本を脇へ片付ける。そこへほこほこと湯気の昇る紅茶のカップを二つ並べた。
この静かな時間がコルネリウスは好きだった。
「作業はどうでした? 学園での薬草学に比べると少し難しいかなと思っていたんですが」
コルネリウスが引き受けていたのは、家の近辺に生育する薬草の種類と分布数の推移のまとめだ。とにかく種類が多く、中には見たことがないもの、身近ではあるものの薬草とは思っていなかった植物も含まれていた。
「ええ、父さんの本をお借りして調べたりもして。勉強になります」
「それはよかった。例えば、怪我に効く薬草なんかは需要の低さからあまり目が向かなくなってきていますね。何故だかわかりますか?」
「えっと、魔術の発達、でしょうか?」
「その通り。ですので、薬草は基本的には病に対して使うものの方が優先される傾向が出てきています」
向かい合うように座り、フェアロスは紅茶を一口啜る。美味しい、と呟くのを聞いてコルネリウスは嬉しそうに笑った。
「では、コルネリウス。これから魔術がもっと手軽に使用できるようになれば、怪我に対する薬草は不要になると思いますか?」
薬草での治癒は、神聖術や混沌魔法で行う魔法での治癒に比べれば随分と劣る。
今よりさらに魔術が使いやすくなり、特殊な能力を持たない一般層へも当然の権利として行き渡った未来を想像した。
「どうでしょうか。今も、旅先で薬草の知識に助けられることはあります。治癒魔法だっていつも心構えできているわけではありませんから」
どれほど便利な世の中が来ようと変わらず、予測できない出来事は当たり前に訪れる。であれば、選べる手段は多ければ多いほど良いのではないだろうか。
フェアロスは静かに、少し嬉しそうに頷いた。
「そうですね。私もそう思いますよ。けれど需要の少ない薬草は、土地のエーテルの巡り次第でいつのまにか姿を消していることもあります。今日コルネにやって頂いた作業は、そうした植物達の管理に繋がるのです」
それは優秀なヒーラーでもある父が薬草学へも精通する理由でもあるのだろうか。フェアロスは優しく笑いかけ、ややあって言葉をもう少しだけ続けた。
「世界に取り溢されそうな些細なものでも、私達なら記憶に留めておけますから」
その言葉は何に向けたものだろう。コルネリウスは、長い睫を瞬かせる。
●
フィルエスの実家に帰るようになって数ヶ月、コルネリウスは父へ様々な出来事を語った。
例えば、パンクリアース学園で得られた多くの出会いと学び。エルフでありつつ派閥に属さない選択を貫いたことで難しいバランス感覚を求められもした。一部貴族から偏見の目を向けられることも決して少なくはなかったが、本来関わることのなかった大切な出会いがあったことも事実だ。
自分を認め、時に背中を押してくれる人。あの響く瞳を覗く度に心を満たす何か。
ロモズ歩兵団長としての責務。冒険者としての仕事もこなし――ここでも多くの出会いがあった。胸を裂くほどに悲しい別れも経験した。
そう、繋がっていく縁へ感謝を想うたびに、コルネリウスの胸をちくちくと苛む感情がある。出会いとは即ち未来の別れを重ねることだった。世界を識ることは楽しく有意義で、それ故にこそとても辛い。
「コルネから話を聞いて、私もいろいろなことを考えました。気の利いた言葉の一つくらい、父として贈りたくて。けれど、私には難しかった。心を軽くする言葉はあげられそうにありません」
滔々とフェアロスは言葉を紡ぐ。それは冷静で、けれどとても優しい色をしていた。
「長命種はいつだって見送る側です。誰より多くの出会いを得て、多くの別れを背負ってゆく」
「……わかっています。それでも、父さんが言ってくれたように、私は自分が進んだ道の正しさを信じて進みたい」
別れが辛いならば人との関わりを断てば良い。もしくは一歩離れていれば良いのだろう。けれどコルネリウスは迷いを払うことができない。皆が大切で、大好きで、そこから幾つかだけを選ぶことなどできないと心が叫ぶのだ
結果、両の手からぽろぽろと大事なものが溢れていくとしても。コルネリウスは次の句を口にしようとして、苦しそうに眉を顰める。
フェアロスはそんな娘の言葉を待つように紅茶を口へと運んだ。ようやく言葉にできた時、その声は酷く震えていた。
「私は、我が儘です。全部護れるほど強くなれないのに、選ばなければならない日が来るのも怖くて。父さんもきっと同じ想いをたくさんしてきたのに、私はなかなか大人になれない」
「そんなことはないですよ、コルネリウス。私はその我が儘さを、どうか大切にして欲しいと思っています」
対するフェアロスの言葉は、温かくも強い音で届く。コルネリウスは一度目を見開いた。我が儘を肯定されるとは思っていなかった。
「私は誇らしい。貴女が旅先でそれほどにかけがえのないものに出会い、大事にしたいと願っていることがです。一生懸命だから苦しく、失いたくないから泣きたくなる。そして、諦めていないから選べないのです」
だからね、泣いても良いんですよ。寂しさを見透かしたようなその言葉に、コルネリウスは言葉を詰まらせた。
コルネリウスは強くあらねばならない。何故なら、彼女は本当は弱い少女だから。誰かの力になりたいと願う故に、それを悟られぬように笑い、前を向き続ける。
そんな娘に父は両手を広げる。おいで、と優しい声がした。
「たまには父らしいことをさせてください。コルネ。――やはり貴女は、私の子ですね」
頭を撫でてくれる手が温かくて、コルネリウスの目からぽろぽろと涙が溢れる。紅茶はすっかり冷めてしまった頃だろうに、心がずっと温かい。
未来がどうなるかは誰もわからない。その日にどれだけがこの手に残っているかも。だけど、だけど私はもっと、たくさんのことを識って大切なひとの力になりたい。――父さんみたいに。
今になってそれを思い出したのは、台所に置かれたままの薬研が目に飛び込んできたからだった。
これを片付けるか逡巡し、コルネリウスはとりあえず自分の用事を優先することにした。丁寧に二人分の紅茶を淹れる。夜はまだ長いので、茶器も一緒に並べ盆に乗せた。
「父さん、少し休憩にしませんか?」
そうしてコルネリウスが書斎を覗けば、一瞬遅れてフェアロスが頭を上げた。この聡明なエルフの父が、仕事に没頭し時を忘れるのはいつものことでもある。だから少し無理にでも、こちらから声を掛けて休ませた方が良いことをコルネリウスは心得ていた。
「ありがとうございます、コルネ。良い香りですね」
「ベールコートの茶葉です。預かっていた資料のまとめ作業、早めに終わったので淹れてみたのですが」
「ああ、頼んでいた仕事をもう終えてしまったんですね。お疲れ様でした。優秀な娘がいるとすぐに仕事がなくなってしまいそうです」
「そんなこと……」
照れたように長い耳先を下げる娘の頭をぽんぽんと優しく触れて、フェアロスは机の上に置いた書類や本を脇へ片付ける。そこへほこほこと湯気の昇る紅茶のカップを二つ並べた。
この静かな時間がコルネリウスは好きだった。
「作業はどうでした? 学園での薬草学に比べると少し難しいかなと思っていたんですが」
コルネリウスが引き受けていたのは、家の近辺に生育する薬草の種類と分布数の推移のまとめだ。とにかく種類が多く、中には見たことがないもの、身近ではあるものの薬草とは思っていなかった植物も含まれていた。
「ええ、父さんの本をお借りして調べたりもして。勉強になります」
「それはよかった。例えば、怪我に効く薬草なんかは需要の低さからあまり目が向かなくなってきていますね。何故だかわかりますか?」
「えっと、魔術の発達、でしょうか?」
「その通り。ですので、薬草は基本的には病に対して使うものの方が優先される傾向が出てきています」
向かい合うように座り、フェアロスは紅茶を一口啜る。美味しい、と呟くのを聞いてコルネリウスは嬉しそうに笑った。
「では、コルネリウス。これから魔術がもっと手軽に使用できるようになれば、怪我に対する薬草は不要になると思いますか?」
薬草での治癒は、神聖術や混沌魔法で行う魔法での治癒に比べれば随分と劣る。
今よりさらに魔術が使いやすくなり、特殊な能力を持たない一般層へも当然の権利として行き渡った未来を想像した。
「どうでしょうか。今も、旅先で薬草の知識に助けられることはあります。治癒魔法だっていつも心構えできているわけではありませんから」
どれほど便利な世の中が来ようと変わらず、予測できない出来事は当たり前に訪れる。であれば、選べる手段は多ければ多いほど良いのではないだろうか。
フェアロスは静かに、少し嬉しそうに頷いた。
「そうですね。私もそう思いますよ。けれど需要の少ない薬草は、土地のエーテルの巡り次第でいつのまにか姿を消していることもあります。今日コルネにやって頂いた作業は、そうした植物達の管理に繋がるのです」
それは優秀なヒーラーでもある父が薬草学へも精通する理由でもあるのだろうか。フェアロスは優しく笑いかけ、ややあって言葉をもう少しだけ続けた。
「世界に取り溢されそうな些細なものでも、私達なら記憶に留めておけますから」
その言葉は何に向けたものだろう。コルネリウスは、長い睫を瞬かせる。
●
フィルエスの実家に帰るようになって数ヶ月、コルネリウスは父へ様々な出来事を語った。
例えば、パンクリアース学園で得られた多くの出会いと学び。エルフでありつつ派閥に属さない選択を貫いたことで難しいバランス感覚を求められもした。一部貴族から偏見の目を向けられることも決して少なくはなかったが、本来関わることのなかった大切な出会いがあったことも事実だ。
自分を認め、時に背中を押してくれる人。あの響く瞳を覗く度に心を満たす何か。
ロモズ歩兵団長としての責務。冒険者としての仕事もこなし――ここでも多くの出会いがあった。胸を裂くほどに悲しい別れも経験した。
そう、繋がっていく縁へ感謝を想うたびに、コルネリウスの胸をちくちくと苛む感情がある。出会いとは即ち未来の別れを重ねることだった。世界を識ることは楽しく有意義で、それ故にこそとても辛い。
「コルネから話を聞いて、私もいろいろなことを考えました。気の利いた言葉の一つくらい、父として贈りたくて。けれど、私には難しかった。心を軽くする言葉はあげられそうにありません」
滔々とフェアロスは言葉を紡ぐ。それは冷静で、けれどとても優しい色をしていた。
「長命種はいつだって見送る側です。誰より多くの出会いを得て、多くの別れを背負ってゆく」
「……わかっています。それでも、父さんが言ってくれたように、私は自分が進んだ道の正しさを信じて進みたい」
別れが辛いならば人との関わりを断てば良い。もしくは一歩離れていれば良いのだろう。けれどコルネリウスは迷いを払うことができない。皆が大切で、大好きで、そこから幾つかだけを選ぶことなどできないと心が叫ぶのだ
結果、両の手からぽろぽろと大事なものが溢れていくとしても。コルネリウスは次の句を口にしようとして、苦しそうに眉を顰める。
フェアロスはそんな娘の言葉を待つように紅茶を口へと運んだ。ようやく言葉にできた時、その声は酷く震えていた。
「私は、我が儘です。全部護れるほど強くなれないのに、選ばなければならない日が来るのも怖くて。父さんもきっと同じ想いをたくさんしてきたのに、私はなかなか大人になれない」
「そんなことはないですよ、コルネリウス。私はその我が儘さを、どうか大切にして欲しいと思っています」
対するフェアロスの言葉は、温かくも強い音で届く。コルネリウスは一度目を見開いた。我が儘を肯定されるとは思っていなかった。
「私は誇らしい。貴女が旅先でそれほどにかけがえのないものに出会い、大事にしたいと願っていることがです。一生懸命だから苦しく、失いたくないから泣きたくなる。そして、諦めていないから選べないのです」
だからね、泣いても良いんですよ。寂しさを見透かしたようなその言葉に、コルネリウスは言葉を詰まらせた。
コルネリウスは強くあらねばならない。何故なら、彼女は本当は弱い少女だから。誰かの力になりたいと願う故に、それを悟られぬように笑い、前を向き続ける。
そんな娘に父は両手を広げる。おいで、と優しい声がした。
「たまには父らしいことをさせてください。コルネ。――やはり貴女は、私の子ですね」
頭を撫でてくれる手が温かくて、コルネリウスの目からぽろぽろと涙が溢れる。紅茶はすっかり冷めてしまった頃だろうに、心がずっと温かい。
未来がどうなるかは誰もわからない。その日にどれだけがこの手に残っているかも。だけど、だけど私はもっと、たくさんのことを識って大切なひとの力になりたい。――父さんみたいに。