あるドワーフの独白
キャラクターノベル制作 紀藤トキ納品 2020年11月13日 17時39分03秒
妻が死んだ。遺品を整理して、葬儀をあげて。知人が手配してくれるのをただ眺めていた。愛していたんだろう。気持ちの整理には時間が掛かるんだ、と友人は言った。思い出の残る場所から離れて、静養したらどうかと言う者もいた。そうだな、と返事をしつつも、何をする気にもなれず。日常を惰性で続けていた。
「おはようございます! とっても、良く眠れました。何か特別なベッドを使っているんですか?」
その娘は。そうだ、将来のための勉強と言って泊まりに来たのだった。何もこんな宿に若い娘が泊まりに来ないでも、と思ったが。
「趣があって、歴史も感じさせて。こういう雰囲気は大好きよ」
と、柱を撫でながら言うものだから、好きにさせた事を思い出す。そうだ、客がいるならば朝食を。台所に立つと、まだ胸が痛んだ。
「あの、本当はいけないと分かっているんですけれど……」
手伝ってもいいか、と娘が訪ねてくる。俺の手際が悪いからか。思った俺の浅はかさを笑うように、娘は真摯だった。
「この導線。ここを使っていた方はお客様のお顔を見たかったのかしら?」
言われて、初めて気が付いた。皿やグラスを運ぶ程度の事は、もちろん手伝った。俺達の宿なのだから。しかしどこかで、俺は職人で、宿の亭主は副業だと思っていたか。客あしらいが下手で見てられなかったのだろう。申し訳ない事をしたと。
「素敵ね。きっと、旦那様が今みたいなお顔するのを、見逃したくなかったのよ」
……俺の、顔?
「失礼だけど、最初は怖かったのよ。でも、ときどきふわっと蕾が綻ぶような感じでゆるっとするの」
ドワーフでいかつい俺が、蕾か。妙な娘だ。昔のように、客を玄関口まで見送った。仕事場にかけてあるあいつの姿絵に、こんな事があったと話しながら、頬が緩む。宿の仕事は一期一会。もう会うこともあるまい、とその時は思っていたのだ。
「こんにちは、また泊まりに来ました!」
気に入った宿は、気に入った理由がわかるまで何度でも通うのだ、と娘は言う。宿帳を見ると、アンネエルカと書いてあった。
「アンネと呼んでくださいな」
三回目。また泊まりに来た。勝手知ったる様子で、酒場のテーブル端に座って、きょろきょろとせわしない。この宿は大好きよ、と屈託なく言う。ヴェルクリエ中の宿を泊まり歩いて、ここが一番だなどと。
本当に、妙な娘だ。
俺の仕事にも興味があるというので、仕事場を見せてやった。そういえば、将来の夢がどうとか言っていたな。聞けば、宿を自分でやりたいのだという。いい話だ。空虚を抱えたままの俺には、もう夢と言えるほどの物はない。
「おじさま、お願いがあります」
四回目の朝。アンネはしおらしい様子で俺の前に立った。ああ、夢があると言っていたな。寝具を、安くして欲しいといったところか? いいじゃないか、そうしておあげよ、と。あいつの声が聞こえた気がして。
「好きにしろ」
と、良く中身も聞かずに頷いたのだが。
「本当に! おじさま、ありがとうございます。それじゃあ、まずはテーブルクロスを替えさせてね」
綺麗に洗濯されていて、清潔だけれども今の季節にはあわないわ、などと言う。
俺は一体、何を承諾したのだったか。寝具を買いたいのでは? と聞けば。
「そうよね。中途半端はダメだわ。寝具も整えます。住み込みで働かせてください」
なんと、この宿を気に入ったから働きたくなったのだ、という。
この宿をなあ。そうか、この宿を。
俺は抱えたままでいても良かったんだな。こんなに気に入ってくれる奴が一人、いたのだから。
「わかった。奥の部屋を使え。それから……」
すらすらと、言葉が出た。従業員を雇うのも、お前任せだったのに。夕食の後に互いの愚痴を聞いていたから、それで耳にしたのだろう。これからアンネの話も、ちゃんと聞くようにしなさい。そうあいつに叱られた気がした。
めまぐるしい日々が始まった。
「お客様に、もっとこの宿の良さに気が付いて貰えるように! 宣伝してきました!」
ある晩、ふんすと鼻息荒く言うさまがおかしくて、思わず苦笑した。
アンネは、わからないと言う。この宿が大好きなのに、なぜ大好きなのか。わかったと思ったら、また新しい大好きが見つかるのだ、と笑っている。
もう、宿のことはほとんどアンネに任せきりで、俺は寝具の工房に籠りきりだ。自分の手がけた宿を気に入るのは当然だろう、と職人目線で言えば、そうじゃないです、と言い返してくる。
この宿は。俺とお前と、アンネと。三人でやってるんだ。そう気づかされて、見ればお前の気配がそこにも、ここにもある。だから、お前に会ったことがないアンネがなかなかわからんのは当然なんだろう。
いつか、アンネがあいつの言う大好きを見つけ終わって出ていくのが早いか。俺が隠居するのが早いか。
賭けてみるか? なあ、お前。きっと、どっちも同じ方に賭けて。勝負にならないだろうな。
「おはようございます! とっても、良く眠れました。何か特別なベッドを使っているんですか?」
その娘は。そうだ、将来のための勉強と言って泊まりに来たのだった。何もこんな宿に若い娘が泊まりに来ないでも、と思ったが。
「趣があって、歴史も感じさせて。こういう雰囲気は大好きよ」
と、柱を撫でながら言うものだから、好きにさせた事を思い出す。そうだ、客がいるならば朝食を。台所に立つと、まだ胸が痛んだ。
「あの、本当はいけないと分かっているんですけれど……」
手伝ってもいいか、と娘が訪ねてくる。俺の手際が悪いからか。思った俺の浅はかさを笑うように、娘は真摯だった。
「この導線。ここを使っていた方はお客様のお顔を見たかったのかしら?」
言われて、初めて気が付いた。皿やグラスを運ぶ程度の事は、もちろん手伝った。俺達の宿なのだから。しかしどこかで、俺は職人で、宿の亭主は副業だと思っていたか。客あしらいが下手で見てられなかったのだろう。申し訳ない事をしたと。
「素敵ね。きっと、旦那様が今みたいなお顔するのを、見逃したくなかったのよ」
……俺の、顔?
「失礼だけど、最初は怖かったのよ。でも、ときどきふわっと蕾が綻ぶような感じでゆるっとするの」
ドワーフでいかつい俺が、蕾か。妙な娘だ。昔のように、客を玄関口まで見送った。仕事場にかけてあるあいつの姿絵に、こんな事があったと話しながら、頬が緩む。宿の仕事は一期一会。もう会うこともあるまい、とその時は思っていたのだ。
「こんにちは、また泊まりに来ました!」
気に入った宿は、気に入った理由がわかるまで何度でも通うのだ、と娘は言う。宿帳を見ると、アンネエルカと書いてあった。
「アンネと呼んでくださいな」
三回目。また泊まりに来た。勝手知ったる様子で、酒場のテーブル端に座って、きょろきょろとせわしない。この宿は大好きよ、と屈託なく言う。ヴェルクリエ中の宿を泊まり歩いて、ここが一番だなどと。
本当に、妙な娘だ。
俺の仕事にも興味があるというので、仕事場を見せてやった。そういえば、将来の夢がどうとか言っていたな。聞けば、宿を自分でやりたいのだという。いい話だ。空虚を抱えたままの俺には、もう夢と言えるほどの物はない。
「おじさま、お願いがあります」
四回目の朝。アンネはしおらしい様子で俺の前に立った。ああ、夢があると言っていたな。寝具を、安くして欲しいといったところか? いいじゃないか、そうしておあげよ、と。あいつの声が聞こえた気がして。
「好きにしろ」
と、良く中身も聞かずに頷いたのだが。
「本当に! おじさま、ありがとうございます。それじゃあ、まずはテーブルクロスを替えさせてね」
綺麗に洗濯されていて、清潔だけれども今の季節にはあわないわ、などと言う。
俺は一体、何を承諾したのだったか。寝具を買いたいのでは? と聞けば。
「そうよね。中途半端はダメだわ。寝具も整えます。住み込みで働かせてください」
なんと、この宿を気に入ったから働きたくなったのだ、という。
この宿をなあ。そうか、この宿を。
俺は抱えたままでいても良かったんだな。こんなに気に入ってくれる奴が一人、いたのだから。
「わかった。奥の部屋を使え。それから……」
すらすらと、言葉が出た。従業員を雇うのも、お前任せだったのに。夕食の後に互いの愚痴を聞いていたから、それで耳にしたのだろう。これからアンネの話も、ちゃんと聞くようにしなさい。そうあいつに叱られた気がした。
めまぐるしい日々が始まった。
「お客様に、もっとこの宿の良さに気が付いて貰えるように! 宣伝してきました!」
ある晩、ふんすと鼻息荒く言うさまがおかしくて、思わず苦笑した。
アンネは、わからないと言う。この宿が大好きなのに、なぜ大好きなのか。わかったと思ったら、また新しい大好きが見つかるのだ、と笑っている。
もう、宿のことはほとんどアンネに任せきりで、俺は寝具の工房に籠りきりだ。自分の手がけた宿を気に入るのは当然だろう、と職人目線で言えば、そうじゃないです、と言い返してくる。
この宿は。俺とお前と、アンネと。三人でやってるんだ。そう気づかされて、見ればお前の気配がそこにも、ここにもある。だから、お前に会ったことがないアンネがなかなかわからんのは当然なんだろう。
いつか、アンネがあいつの言う大好きを見つけ終わって出ていくのが早いか。俺が隠居するのが早いか。
賭けてみるか? なあ、お前。きっと、どっちも同じ方に賭けて。勝負にならないだろうな。