添う影二つ、猫一匹
キャラクターノベル(グループ)制作 弓月 蒼納品 2022年11月24日 16時29分10秒
●北境再訪
王国西方の乱が一区切り付き――――秋もそろそろ終わりに差し掛かった頃。
足を踏む度さくさく鳴る枯れ葉を踏み、イヴェール・イリュジオンはその城塞を見上げた。
『王国』北方の境界。城塞都市『ノストガルデン』その正門。
過去、何度も補修と補強を繰り返されて来た堅牢その物の威容は、相変わらず健在だ。
かつては少なからず緊張を感じたこの門にも、今はそれほど気負う事もない。
その変化が良い物か悪い物かは知れずとも。退路が無い、と言うのはある意味気楽ですら――――
「あの……イヴェール様?」
そんな、彼女の背後で怪訝の声が上がった事に気付いて振り返る。
視線の先にはイヴェールと似た銀の髪。彼女より少し年上の女性が困惑顔で辺りを見回しており。
「何故、私はこの場に連れて来られたのでしょうか」
「折角なので?」
「……折角???」
分からない。何が分からないかと言えば勿論何が折角なのか、も去る事ながら。
何故、そんな良く分からない理由で此処まで付いて来てしまったのかも。
ただ最近、頭が重たく、食事もおざなりで、良く寝付けず、時折泣きながら目を醒ます。
そんな日々を送っている事が、きっと幾らか影響してはいるだろう。
深く物を考える事が難しく、誘われるまま付いて来てしまったが……よくよく考えると。
もしかして付いて行ったからと言って、何も出来る事など無いのでは……?
陽射しにふら付きながら手を引かれ。そんなレティシアがイヴェールに続いて正門を潜る。
■
「エト……久しぶりですね!」
名を呼ばれて、にゃぁ! と黒猫が鳴いた。近付いて持ち上げると手に返るずし、とした重み。
……重い。体型はそんなに変わっていない様に見えるが、明らかに、別れた時よりも。
さては執政府で相当甘やかされてましたね……? とその手に返る重みが事実を如実に証明する。
一方、彼が動く直前まで隣に座っていた灰色の雌猫は、すっかり成猫の顔で澄ました物だ。
(舌が肥えていないか心配はしていましたが……く、これは手遅れでしたか……)
むにむにと愛猫の身体を押すと筋肉も一回り付いており、ただ太ったりしてはいない様ながら。
それを呆……と見ている若干色々痩せたレティシアと見比べれば、良い生活をしていた事は疑いも無い。
「シエル、エト、そろそろ食事を用意……おや?」
そして、恐らくそれを全力で後押ししていただろう下手人が執務室から顔を出し階段を。
即ち、そんな場所で愛猫と戯れていたイヴェールとレティシアを発見して動きを止める。
声に応じて灰色の雌猫がたたっと自らの主人の足元に駆けて行く。
余程可愛がられているのだろう。呼び声が誰で、どんな意図なのか正確に把握しているのだ。
「イリュジオン殿に、レインフィール殿……」
「辺境伯……故郷より、帰って来ました」
「……ご無沙汰しております、辺境伯様」
応じた2人へ、この北境の主。『アーチボルト辺境伯』メルヴィンが驚いた様に瞬いた。
■
「レインフィール殿……大丈夫ですか?」
「え、はい……大丈夫ですが、その……何か粗相を致しましたでしょうか?」
顔色は白く、声にも力が無く、真っ直ぐに立っている心算だろうが僅かに傾いている。
これで大丈夫、問題無い。と言われても信じるのは流石に難しい。たとえ授恵者であろうとも。
最優先でレティシアに着席を促しながら執務机に着くと、指定席の様に灰猫がその膝に乗った。
そうして猫を撫でている辺境伯を見ると、此処で強く物を言うのも憚られるのだから卑怯だと。
眉を寄せメルヴィンを睨み付ける最中、黒猫はレティシアに擦り寄っていた。酷い裏切りだった。
「エトを預かって頂きありがとうございます。故郷の件は一旦解決を見ました。……が、問題はこれです」
首に鎖で掛けていた指輪――――アーチボルトの家紋印を客用の机に置いて押し出す。
と、猫に触れる事に苦手意識が拭えないレティシアが一度見逃しそうになって二度見し、更に数度瞬いた。
「家紋印、と言う代物の価値は彼女から伺いました」
「なるほど、これは盲点でしたね」
メルヴィンが瞳を細めて笑う。彼もまた、様々な心労を乗り越えたからだろうか。
その表情からは幾らか気張った部分が取れて大人びた様に感じ、思わず気圧されそうになる。が……!
「盲点でした、ではありませんよ! 余りに軽率ですし、一介の冒険者に預ける品ではないでしょう!?」
そう思いません!? と、隣に同意を求めるも。レティシアは眼前の現実と足元の黒猫。
双方から連続攻撃を被り現実逃避寸前だ。え、此処で私にどう……しろと……?
「ええ。確かに一介の冒険者に預けたなら軽率の謗りは免れないでしょう」
けれど、そう応じた辺境伯はと言えばまるで悪びれた色など無く。
耳に届いた言葉を確認して、何故か叱責していた側のイヴェールがたじろぐ。
「では、どうしてそんな……」
「私はイリュジオン殿に預けたのです。一介の冒険者に預けた訳ではありません」
――――イヴェールの隣。レティシアが、思わず反射的に口元を抑えたのが分かった。
●明日さえ見えない
本音を言えば、イヴェールとて口元を抑えられるなら抑えたかった。
血が頭に昇って来ている自覚が在る。歯を食い縛って我慢しているが。我慢している、筈だが。
視線が揺れている自覚が在る。何を、この人は、人前で、そんな、恥ずかしい事を、素面で。
と、平時に比べればずっと平静でも冷静でもない脳内に無数の疑問と反論と罵詈雑言が浮かび上がる。
けれどどれも出て来ない。これではいけない。相手のペースだと焦りながらも唇は震えるだけで。
「以前黒猫を預かった時の貴女は、折れ掛かった剣の様な危うさを秘めていました。
……放ってはおけなかった。いいえ、より正確には放っておきたくなかった」
余計なお世話だと。心の何処かで強く頭を振る自分が居る事をイヴェールは自覚していた。
同情何て欲しくはない。けれどそれを言うなら――――何故、自分は愛猫を彼に預けたのか。
必ず迎えに来ると、その約束がどうして必要だったのか。改めて直視出来ない。
それでも否定するだけなら出来た。戻る道はないのだから、どうせ切り捨てるなら今でも同じことで。
「ま、待って下さいそんな、その程度の理由で――――」
「――――その程度、で無いことは。貴女が先に仰った事ですよイリュジオン殿」
確かに、"余りに軽率"だと憤ったのはイヴェールの方が先だ。けれど、でも、それは、だって駄目だ。
数限りない否定が浮かぶ。短命の血族。身分の違い。そんな特別扱いなんてされても――――何も返せない。
「私は……ただの、庶民で、ただの、一介の冒険者、です」
「それを言うなら、私などただの私生児で、孤児です。
今でこそ辺境伯などと呼ばれていても、血筋の確からしさは愚か素性すら知れない」
彼の言が事実である事を知っている。それを、血縁など無くとも家族にはなれると断じたのは彼女だ。
家族……不意に、黒猫と灰猫に目線が向かい、今更になって困惑が渦を巻く。
鼓動が煩い。視線が勝手に泳ぐ。いっそ全部。全て話してしまったら、この人は一体何て言うだろう。
それでも受け留めてくれるだろうか――――けれどもし、それで、許容されてしまったら?
"――――赦されて、受け入れられてしまったら、どうするの……?"
思考が纏まらない。自ら断ち切った筈の退路がこんなところで無駄に響いていた。
踏み込んで大丈夫? 本当に大丈夫? いや前向きと無謀は別物ではありませんか……?
――――――――そんな混乱の極致。その、袋小路に。
「――――あのっ!」
「はい!?」
突然、隣から掛かったそこそこ大きな声にイヴェールが跳びあがりそうなほど驚くも。
まるで学園での授業の如くぴんと背を伸ばし、手を挙げたレティシアもまた大差無く赤面しており。
視点も微妙に定まっていないものの、こと此処に至るまで針の筵の様な想いと戦い続けた彼女が。
精一杯の勇気を振り絞った結果であることは誰の目にも瞭然だった。実際酷い話ではある。
「私、もしかしなくとも! お邪魔では無いでしょうか……!!」
「「そんなことありません!」よ?」
かくして、中立派伯爵家令嬢の決死の意見表明により。この日のやり取りは有耶無耶になった。
■
城塞都市『ノストガルデン』執政府前広場。
また職務に戻ると言う辺境伯の前を辞して暫し。広場の公園のベンチに腰掛けレティシアが口火を切った。
「……イヴェール様」
その沈痛とも言える面持ちに、イヴェールは"あ、これは怒られる前振りだ"と自ずと悟ったと言う。
「どう、為されるお心算です?」
「……どう、と言うのは……」
普段と比すれば明らかにバツが悪そうな、くぐもった声に。
レティシアが大きく息を吐いた。彼女は正規の令嬢教育を積み上げた貴族令嬢である。
高位貴族と言うのがどういった立場で、その言葉の重みもよくよく理解している。
それらに照らし合わせて。あの辺境伯の言と行動がどれほど平常を逸脱しているかは考えるまでもなく。
……少し。ほんの少しだけ。羨ましい想いがないでも、ない。
「私は、結局人と人との結び付きは彼我の立場と気持ち次第だと思っています。
貴族と庶民では立場が違い、確かな壁があり、上手く行かないこともある。それは……事実です」
実感の籠った言葉にイヴェールの視線が自然芝生へ落ちる。黒猫が一生懸命黄色い蝶々を追い掛けていた。
分かっている。何の問題もない庶民であってもそうなのだ。それが――――この『王国』の必然。
「ですが立場は立場として……気持ちは別です」
「……え?」
強く拳を握って、嘆息と共に血を吐くように。けれどはっきりと、レティシアは告げた。
例えば、望んだ未来に辿り着けないなら気持ちに嘘を吐くのが正しいのか。
レティシアは、それを"正しい"とは断言出来ないし、したくない。だってそれをすればきっと後悔する。
自分は諦めて来た。沢山の事を諦めて仕方ないと納得して来た。納得した――――フリをして来た。
けれど、彼女はイヴェールにまでそんな事をして欲しくはなかった。
複雑な気持ちは胸に蟠ったままだけれど。それでも、後悔なんて少ない方が良いに決まっている。
「気持ちに嘘を吐いても、多分、辛いだけですから」
或いは自分は駄目だったけれど――――彼女ならば。
「……駄目ですよ」
けれど、イヴェールは頭を振って苦く笑った。さっきは雰囲気に押し流されそうになっていたけれど。
秋の夕凪で冷めた頭で考えれば分かる。辺境伯家は"公爵家"に次ぐ家格を持つ高位貴族だ。
メルヴィンは見目にも優れ功績も多い。きっと引く手も数多。立場がまるで違い過ぎる。
しかも彼女の短命の呪いは次代に引き継がれるかもしれない。その位の想像は、つく。
貴族に後継者は不可欠だ。それでも――――授恵者なら、未だ良い。
「心配されて、大切にされて、心を向けられて嬉しく無いと言ったら……それは、きっと嘘に……なります」
けれどもし祝福が無かったら? 恐い。早逝する我が子を前に何も出来なかったとしたら。
イヴェールは自分を責めるだろう。……彼もまた、きっと自らを責めるだろう。
「でも駄目です。駄目なんです。だって……私では……っ、駄目なんです……!」
誰も、幸せになれない。
"――――だから。こんな呪われた血は此処で、絶やさないと"
叫びたくなる寸前で声を殺し、口元を抑え俯くイヴェールを、レティシアは撫でようか迷い手を下した。
何故駄目なのか、と問う事は簡単で。けれど軽々しく聞いてはならないのだと分かったから。
簡単では無い。彼女もよくよく知っている。きっと……結局は誰でもそうなのだろう。
簡単では、無いのだ。自分以外の誰かを大切にすると言う事は。誰しもが、そう言った物と戦っているのだ。
何故人には心なんて物があるのだろう。……何故人は、心の赴くままに生きる事が出来ないのだろう。
或いは、答えなど無いのだろうか。それほどに――――人は、罪を抱えずに生きる事は出来ないのか。
北境の陽が翳るまで、良く似た2人は自ら抱え込んだ痛切な想いを1人では抱えきれぬ様に。
――――互いを支えるようにして、ただ寄り添いあっていた。
王国西方の乱が一区切り付き――――秋もそろそろ終わりに差し掛かった頃。
足を踏む度さくさく鳴る枯れ葉を踏み、イヴェール・イリュジオンはその城塞を見上げた。
『王国』北方の境界。城塞都市『ノストガルデン』その正門。
過去、何度も補修と補強を繰り返されて来た堅牢その物の威容は、相変わらず健在だ。
かつては少なからず緊張を感じたこの門にも、今はそれほど気負う事もない。
その変化が良い物か悪い物かは知れずとも。退路が無い、と言うのはある意味気楽ですら――――
「あの……イヴェール様?」
そんな、彼女の背後で怪訝の声が上がった事に気付いて振り返る。
視線の先にはイヴェールと似た銀の髪。彼女より少し年上の女性が困惑顔で辺りを見回しており。
「何故、私はこの場に連れて来られたのでしょうか」
「折角なので?」
「……折角???」
分からない。何が分からないかと言えば勿論何が折角なのか、も去る事ながら。
何故、そんな良く分からない理由で此処まで付いて来てしまったのかも。
ただ最近、頭が重たく、食事もおざなりで、良く寝付けず、時折泣きながら目を醒ます。
そんな日々を送っている事が、きっと幾らか影響してはいるだろう。
深く物を考える事が難しく、誘われるまま付いて来てしまったが……よくよく考えると。
もしかして付いて行ったからと言って、何も出来る事など無いのでは……?
陽射しにふら付きながら手を引かれ。そんなレティシアがイヴェールに続いて正門を潜る。
■
「エト……久しぶりですね!」
名を呼ばれて、にゃぁ! と黒猫が鳴いた。近付いて持ち上げると手に返るずし、とした重み。
……重い。体型はそんなに変わっていない様に見えるが、明らかに、別れた時よりも。
さては執政府で相当甘やかされてましたね……? とその手に返る重みが事実を如実に証明する。
一方、彼が動く直前まで隣に座っていた灰色の雌猫は、すっかり成猫の顔で澄ました物だ。
(舌が肥えていないか心配はしていましたが……く、これは手遅れでしたか……)
むにむにと愛猫の身体を押すと筋肉も一回り付いており、ただ太ったりしてはいない様ながら。
それを呆……と見ている若干色々痩せたレティシアと見比べれば、良い生活をしていた事は疑いも無い。
「シエル、エト、そろそろ食事を用意……おや?」
そして、恐らくそれを全力で後押ししていただろう下手人が執務室から顔を出し階段を。
即ち、そんな場所で愛猫と戯れていたイヴェールとレティシアを発見して動きを止める。
声に応じて灰色の雌猫がたたっと自らの主人の足元に駆けて行く。
余程可愛がられているのだろう。呼び声が誰で、どんな意図なのか正確に把握しているのだ。
「イリュジオン殿に、レインフィール殿……」
「辺境伯……故郷より、帰って来ました」
「……ご無沙汰しております、辺境伯様」
応じた2人へ、この北境の主。『アーチボルト辺境伯』メルヴィンが驚いた様に瞬いた。
■
「レインフィール殿……大丈夫ですか?」
「え、はい……大丈夫ですが、その……何か粗相を致しましたでしょうか?」
顔色は白く、声にも力が無く、真っ直ぐに立っている心算だろうが僅かに傾いている。
これで大丈夫、問題無い。と言われても信じるのは流石に難しい。たとえ授恵者であろうとも。
最優先でレティシアに着席を促しながら執務机に着くと、指定席の様に灰猫がその膝に乗った。
そうして猫を撫でている辺境伯を見ると、此処で強く物を言うのも憚られるのだから卑怯だと。
眉を寄せメルヴィンを睨み付ける最中、黒猫はレティシアに擦り寄っていた。酷い裏切りだった。
「エトを預かって頂きありがとうございます。故郷の件は一旦解決を見ました。……が、問題はこれです」
首に鎖で掛けていた指輪――――アーチボルトの家紋印を客用の机に置いて押し出す。
と、猫に触れる事に苦手意識が拭えないレティシアが一度見逃しそうになって二度見し、更に数度瞬いた。
「家紋印、と言う代物の価値は彼女から伺いました」
「なるほど、これは盲点でしたね」
メルヴィンが瞳を細めて笑う。彼もまた、様々な心労を乗り越えたからだろうか。
その表情からは幾らか気張った部分が取れて大人びた様に感じ、思わず気圧されそうになる。が……!
「盲点でした、ではありませんよ! 余りに軽率ですし、一介の冒険者に預ける品ではないでしょう!?」
そう思いません!? と、隣に同意を求めるも。レティシアは眼前の現実と足元の黒猫。
双方から連続攻撃を被り現実逃避寸前だ。え、此処で私にどう……しろと……?
「ええ。確かに一介の冒険者に預けたなら軽率の謗りは免れないでしょう」
けれど、そう応じた辺境伯はと言えばまるで悪びれた色など無く。
耳に届いた言葉を確認して、何故か叱責していた側のイヴェールがたじろぐ。
「では、どうしてそんな……」
「私はイリュジオン殿に預けたのです。一介の冒険者に預けた訳ではありません」
――――イヴェールの隣。レティシアが、思わず反射的に口元を抑えたのが分かった。
●明日さえ見えない
本音を言えば、イヴェールとて口元を抑えられるなら抑えたかった。
血が頭に昇って来ている自覚が在る。歯を食い縛って我慢しているが。我慢している、筈だが。
視線が揺れている自覚が在る。何を、この人は、人前で、そんな、恥ずかしい事を、素面で。
と、平時に比べればずっと平静でも冷静でもない脳内に無数の疑問と反論と罵詈雑言が浮かび上がる。
けれどどれも出て来ない。これではいけない。相手のペースだと焦りながらも唇は震えるだけで。
「以前黒猫を預かった時の貴女は、折れ掛かった剣の様な危うさを秘めていました。
……放ってはおけなかった。いいえ、より正確には放っておきたくなかった」
余計なお世話だと。心の何処かで強く頭を振る自分が居る事をイヴェールは自覚していた。
同情何て欲しくはない。けれどそれを言うなら――――何故、自分は愛猫を彼に預けたのか。
必ず迎えに来ると、その約束がどうして必要だったのか。改めて直視出来ない。
それでも否定するだけなら出来た。戻る道はないのだから、どうせ切り捨てるなら今でも同じことで。
「ま、待って下さいそんな、その程度の理由で――――」
「――――その程度、で無いことは。貴女が先に仰った事ですよイリュジオン殿」
確かに、"余りに軽率"だと憤ったのはイヴェールの方が先だ。けれど、でも、それは、だって駄目だ。
数限りない否定が浮かぶ。短命の血族。身分の違い。そんな特別扱いなんてされても――――何も返せない。
「私は……ただの、庶民で、ただの、一介の冒険者、です」
「それを言うなら、私などただの私生児で、孤児です。
今でこそ辺境伯などと呼ばれていても、血筋の確からしさは愚か素性すら知れない」
彼の言が事実である事を知っている。それを、血縁など無くとも家族にはなれると断じたのは彼女だ。
家族……不意に、黒猫と灰猫に目線が向かい、今更になって困惑が渦を巻く。
鼓動が煩い。視線が勝手に泳ぐ。いっそ全部。全て話してしまったら、この人は一体何て言うだろう。
それでも受け留めてくれるだろうか――――けれどもし、それで、許容されてしまったら?
"――――赦されて、受け入れられてしまったら、どうするの……?"
思考が纏まらない。自ら断ち切った筈の退路がこんなところで無駄に響いていた。
踏み込んで大丈夫? 本当に大丈夫? いや前向きと無謀は別物ではありませんか……?
――――――――そんな混乱の極致。その、袋小路に。
「――――あのっ!」
「はい!?」
突然、隣から掛かったそこそこ大きな声にイヴェールが跳びあがりそうなほど驚くも。
まるで学園での授業の如くぴんと背を伸ばし、手を挙げたレティシアもまた大差無く赤面しており。
視点も微妙に定まっていないものの、こと此処に至るまで針の筵の様な想いと戦い続けた彼女が。
精一杯の勇気を振り絞った結果であることは誰の目にも瞭然だった。実際酷い話ではある。
「私、もしかしなくとも! お邪魔では無いでしょうか……!!」
「「そんなことありません!」よ?」
かくして、中立派伯爵家令嬢の決死の意見表明により。この日のやり取りは有耶無耶になった。
■
城塞都市『ノストガルデン』執政府前広場。
また職務に戻ると言う辺境伯の前を辞して暫し。広場の公園のベンチに腰掛けレティシアが口火を切った。
「……イヴェール様」
その沈痛とも言える面持ちに、イヴェールは"あ、これは怒られる前振りだ"と自ずと悟ったと言う。
「どう、為されるお心算です?」
「……どう、と言うのは……」
普段と比すれば明らかにバツが悪そうな、くぐもった声に。
レティシアが大きく息を吐いた。彼女は正規の令嬢教育を積み上げた貴族令嬢である。
高位貴族と言うのがどういった立場で、その言葉の重みもよくよく理解している。
それらに照らし合わせて。あの辺境伯の言と行動がどれほど平常を逸脱しているかは考えるまでもなく。
……少し。ほんの少しだけ。羨ましい想いがないでも、ない。
「私は、結局人と人との結び付きは彼我の立場と気持ち次第だと思っています。
貴族と庶民では立場が違い、確かな壁があり、上手く行かないこともある。それは……事実です」
実感の籠った言葉にイヴェールの視線が自然芝生へ落ちる。黒猫が一生懸命黄色い蝶々を追い掛けていた。
分かっている。何の問題もない庶民であってもそうなのだ。それが――――この『王国』の必然。
「ですが立場は立場として……気持ちは別です」
「……え?」
強く拳を握って、嘆息と共に血を吐くように。けれどはっきりと、レティシアは告げた。
例えば、望んだ未来に辿り着けないなら気持ちに嘘を吐くのが正しいのか。
レティシアは、それを"正しい"とは断言出来ないし、したくない。だってそれをすればきっと後悔する。
自分は諦めて来た。沢山の事を諦めて仕方ないと納得して来た。納得した――――フリをして来た。
けれど、彼女はイヴェールにまでそんな事をして欲しくはなかった。
複雑な気持ちは胸に蟠ったままだけれど。それでも、後悔なんて少ない方が良いに決まっている。
「気持ちに嘘を吐いても、多分、辛いだけですから」
或いは自分は駄目だったけれど――――彼女ならば。
「……駄目ですよ」
けれど、イヴェールは頭を振って苦く笑った。さっきは雰囲気に押し流されそうになっていたけれど。
秋の夕凪で冷めた頭で考えれば分かる。辺境伯家は"公爵家"に次ぐ家格を持つ高位貴族だ。
メルヴィンは見目にも優れ功績も多い。きっと引く手も数多。立場がまるで違い過ぎる。
しかも彼女の短命の呪いは次代に引き継がれるかもしれない。その位の想像は、つく。
貴族に後継者は不可欠だ。それでも――――授恵者なら、未だ良い。
「心配されて、大切にされて、心を向けられて嬉しく無いと言ったら……それは、きっと嘘に……なります」
けれどもし祝福が無かったら? 恐い。早逝する我が子を前に何も出来なかったとしたら。
イヴェールは自分を責めるだろう。……彼もまた、きっと自らを責めるだろう。
「でも駄目です。駄目なんです。だって……私では……っ、駄目なんです……!」
誰も、幸せになれない。
"――――だから。こんな呪われた血は此処で、絶やさないと"
叫びたくなる寸前で声を殺し、口元を抑え俯くイヴェールを、レティシアは撫でようか迷い手を下した。
何故駄目なのか、と問う事は簡単で。けれど軽々しく聞いてはならないのだと分かったから。
簡単では無い。彼女もよくよく知っている。きっと……結局は誰でもそうなのだろう。
簡単では、無いのだ。自分以外の誰かを大切にすると言う事は。誰しもが、そう言った物と戦っているのだ。
何故人には心なんて物があるのだろう。……何故人は、心の赴くままに生きる事が出来ないのだろう。
或いは、答えなど無いのだろうか。それほどに――――人は、罪を抱えずに生きる事は出来ないのか。
北境の陽が翳るまで、良く似た2人は自ら抱え込んだ痛切な想いを1人では抱えきれぬ様に。
――――互いを支えるようにして、ただ寄り添いあっていた。