一人だけの先生と生徒
プロローグノベル制作 紀藤トキ納品 2020年12月17日 22時03分16秒
夢があった。故郷から遠く離れることに反対も受けたが、理想に燃えてまっすぐに進んだ。そして、パンクリアース学園の教師として職を得た。担任を持たない講師ではあるが。それでも夢への第一歩だと胸を張って門をくぐった。
最初の年次は、生徒が来た。平民の生徒が多かった。翌年に、何人かが来なくなった。努力が足りないのかと休日を費やしてレジュメを磨いた。次の年。
「……誰もいない」
年初めに教壇に立って、愕然とした。慌てて職員室に戻ると、受講の辞退届が山のように積まれていた。
「ベゴニア先生は講義の時間では? 休憩ですか?」
ニヤニヤと笑う同僚達の顔を見て仕組まれた事だと理解した。動機は想像できなかった。教職だ。生徒たちに未来を与える仕事に就いている。それが、こんな子供じみた嫌がらせをするものか。何かの間違いに違いない。そう思って講義室へ戻った。
「あ。間違えたのかと思いました。ベゴニア先生ですよね?」
幼い少年が一人、そこに座っていた。帝国の留学生だと言う。マンツーマンは家庭教師のようで気分が落ち着いたと、後で打ち明けられた。
「おや? ベゴニア先生、まだ学園にいたのですか。何の本をお持ちで?」
「農業の書籍だよ。ああ、私の専門じゃない。でも、生徒が求めるなら答えるのが教師だからね」
少年は故郷を豊かにする知識を得たいという。新しい農業知識。これまでにない特産品。何かを伝えてやりたかった。
「部活動? ベゴニア先生、血迷ったんですか」
「一人しかいない講座は延長できないなら、仕方がないじゃないか。課外活動だよ」
学内にすでに園芸部が複数ある事を知った。なので第三園芸部。農地の端にある小屋が部室で、部員は一人、顧問も一人。という訳はいかず、二人で駆けずり回って幽霊部員を確保した。数少ない好意的な同僚に頼み推薦も出してもらった。
「ベゴニア先生、頑張りすぎない方がいいわよ。ここ、女ってだけで厳しいからさ」
「まして、私は異種族だからね。風当たりも強いのだろうね」
この頃のベゴニアは現実を直視できていた。教師は聖人君子ではない。一人で耐えるわけでもなかった。
「酷いね、これは酷い」
「ははは、ひっどいですねえ、先生!」
小屋の中にある農具は全部壊れていて、二人で何とか直したり工面した。日中は指導し、夜は勉強した。教師になるときの熱を思い出せば、生徒の一歩先を歩き続ける努力は苦にならない。
「申し訳ないのですが、その本の貸し出しは禁止されていまして」
顔馴染の司書が悲し気に言う。またかと思った。その程度で、挫けるものか。
「……元気が出るハーブティ?」
「そ。ゴールディの特産でさ。あんた、帝国で作れるかもしれない特産品探してたでしょ? これなんかどうよ」
同僚が教えてくれたのは、善意だったのだろう。だが、すぐにベゴニアはそれに溺れた。この頃の睡眠時間は、一日二時間を切っていた。
「先生。元気がないですね。俺で良ければ、悩みを聞かせてください」
ある日、いつの間にかベゴニアより背の高くなった少年が、そう言った。何でもない、と返す。お茶として飲むとおなかが膨れてバレる。調べていたら、煙にして吸う方法があると知った。そして、幾度めかの冬を越える。
「先生。学園を辞めて帝国へ来ませんか? 俺と一緒に、故郷を盛り立ててほしい」
青年になった少年は凛々しい瞳をまっすぐに彼女へ向けて言った。考えさせてくれ、と答えたその夜、酔っぱらった女教師が訪ねてきた。
「うまくやったわね。玉の輿よ。帝国の、お偉いさん。知らなかったの? ハハ、傑作」
「そういうのじゃないよ。種族も違うよね?」
「あーあ。私はここで、また一人か……」
ベゴニアはまだ決めかねていた。悩みがあった時のいつもの癖でキセルに手を伸ばす。同僚がそれを見とがめた。
「ちょっと、やめなさい。なんでそんな事」
「あ。いや。法も調べたが禁じられてはいない。問題になる事は無いはずだよ」
「そうじゃないわよ。これからは、それじゃすまなくなるのよ? なんでわからないの」
たとえば帝国の有力者の恩師が、薬物中毒であると噂されようものなら。言われるまで、気づかなかった。生徒の未来の枷になど、なるものか。
「……残念です」
「まあ、離れてもキミは私の生徒だからね。困ったことがあれば駆けつけるし、結婚式には呼ぶんだよ」
「はは。そうですね。もしそういう日が来るなら、先生にはその場にいて欲しいですね」
見送った青年に恥じぬ教師として生きたかった。その年も、翌年も生徒は来ない。来ても続かなかった。でも、キセルに手を伸ばす手は、前より抑えていた。せめて、一日三回にしなさいな、と。呆れたように言われたのが効いていたのかもしれない。
結局、教師として生きることはできなかったし、たまに一日三回を超えてしまう事もあるけれど。ただ一人の生徒に恥じない生き方だけは続けていきたいと思っている。
最初の年次は、生徒が来た。平民の生徒が多かった。翌年に、何人かが来なくなった。努力が足りないのかと休日を費やしてレジュメを磨いた。次の年。
「……誰もいない」
年初めに教壇に立って、愕然とした。慌てて職員室に戻ると、受講の辞退届が山のように積まれていた。
「ベゴニア先生は講義の時間では? 休憩ですか?」
ニヤニヤと笑う同僚達の顔を見て仕組まれた事だと理解した。動機は想像できなかった。教職だ。生徒たちに未来を与える仕事に就いている。それが、こんな子供じみた嫌がらせをするものか。何かの間違いに違いない。そう思って講義室へ戻った。
「あ。間違えたのかと思いました。ベゴニア先生ですよね?」
幼い少年が一人、そこに座っていた。帝国の留学生だと言う。マンツーマンは家庭教師のようで気分が落ち着いたと、後で打ち明けられた。
「おや? ベゴニア先生、まだ学園にいたのですか。何の本をお持ちで?」
「農業の書籍だよ。ああ、私の専門じゃない。でも、生徒が求めるなら答えるのが教師だからね」
少年は故郷を豊かにする知識を得たいという。新しい農業知識。これまでにない特産品。何かを伝えてやりたかった。
「部活動? ベゴニア先生、血迷ったんですか」
「一人しかいない講座は延長できないなら、仕方がないじゃないか。課外活動だよ」
学内にすでに園芸部が複数ある事を知った。なので第三園芸部。農地の端にある小屋が部室で、部員は一人、顧問も一人。という訳はいかず、二人で駆けずり回って幽霊部員を確保した。数少ない好意的な同僚に頼み推薦も出してもらった。
「ベゴニア先生、頑張りすぎない方がいいわよ。ここ、女ってだけで厳しいからさ」
「まして、私は異種族だからね。風当たりも強いのだろうね」
この頃のベゴニアは現実を直視できていた。教師は聖人君子ではない。一人で耐えるわけでもなかった。
「酷いね、これは酷い」
「ははは、ひっどいですねえ、先生!」
小屋の中にある農具は全部壊れていて、二人で何とか直したり工面した。日中は指導し、夜は勉強した。教師になるときの熱を思い出せば、生徒の一歩先を歩き続ける努力は苦にならない。
「申し訳ないのですが、その本の貸し出しは禁止されていまして」
顔馴染の司書が悲し気に言う。またかと思った。その程度で、挫けるものか。
「……元気が出るハーブティ?」
「そ。ゴールディの特産でさ。あんた、帝国で作れるかもしれない特産品探してたでしょ? これなんかどうよ」
同僚が教えてくれたのは、善意だったのだろう。だが、すぐにベゴニアはそれに溺れた。この頃の睡眠時間は、一日二時間を切っていた。
「先生。元気がないですね。俺で良ければ、悩みを聞かせてください」
ある日、いつの間にかベゴニアより背の高くなった少年が、そう言った。何でもない、と返す。お茶として飲むとおなかが膨れてバレる。調べていたら、煙にして吸う方法があると知った。そして、幾度めかの冬を越える。
「先生。学園を辞めて帝国へ来ませんか? 俺と一緒に、故郷を盛り立ててほしい」
青年になった少年は凛々しい瞳をまっすぐに彼女へ向けて言った。考えさせてくれ、と答えたその夜、酔っぱらった女教師が訪ねてきた。
「うまくやったわね。玉の輿よ。帝国の、お偉いさん。知らなかったの? ハハ、傑作」
「そういうのじゃないよ。種族も違うよね?」
「あーあ。私はここで、また一人か……」
ベゴニアはまだ決めかねていた。悩みがあった時のいつもの癖でキセルに手を伸ばす。同僚がそれを見とがめた。
「ちょっと、やめなさい。なんでそんな事」
「あ。いや。法も調べたが禁じられてはいない。問題になる事は無いはずだよ」
「そうじゃないわよ。これからは、それじゃすまなくなるのよ? なんでわからないの」
たとえば帝国の有力者の恩師が、薬物中毒であると噂されようものなら。言われるまで、気づかなかった。生徒の未来の枷になど、なるものか。
「……残念です」
「まあ、離れてもキミは私の生徒だからね。困ったことがあれば駆けつけるし、結婚式には呼ぶんだよ」
「はは。そうですね。もしそういう日が来るなら、先生にはその場にいて欲しいですね」
見送った青年に恥じぬ教師として生きたかった。その年も、翌年も生徒は来ない。来ても続かなかった。でも、キセルに手を伸ばす手は、前より抑えていた。せめて、一日三回にしなさいな、と。呆れたように言われたのが効いていたのかもしれない。
結局、教師として生きることはできなかったし、たまに一日三回を超えてしまう事もあるけれど。ただ一人の生徒に恥じない生き方だけは続けていきたいと思っている。