冷たくも甘い次期当主のお話
キャラクターノベル制作 紀藤トキ納品 2022年09月15日 17時02分51秒
領地経営の主眼が農政より商業へ傾くディオール家は王国貴族としては異端と言える。リベラ商会を立ち上げた中興の祖は、『さほど豊かとは言えぬ土地で領民を潤すに不足があるなら、他の手立てを考えるのは当然だろう』と言ってのけたそうだ。そんな歴史を持つ貴族家の嫡男として、ヴィルジール・L・ディオールは優秀な男であった。
「……問題外、ですね」
「は!? いえ、しかしあの地方の今年の綿花の出来は……」
「貴女が仕入れて来たという土地の、本来の綿花はコレですが、似ても似つかないとは思いませんか」
でっぷり肥えた女商人の顔から血の気が引いた。ヴィルジールを若いと侮り、二級品を持ち込んだのだ。付き合いの長い商会であれ、代替わりの後はしばしばこの手の過ちを犯す。商売の一環として仕掛けるなら、彼に対するより当主の方がまだマシなのだが。
「取引は、終了としましょう。調査料は約束通りお支払いします。来年以降のグラン・ディオの商会の権利は無くなる物とお考え下さい」
「え、嘘。ちょっと待って。ウチは親父の代から、ディオール伯爵家にずっと……」
「ええ。貴女の父上は素晴らしい商人でいらっしゃいました」
にべもなく言い、まだ騒ぎ立てる女商人を追い払う。最後の方に女が放っていた罵倒はもはや頭に残ってもいない。その件を思い出したのは、夕食で父ジェズアルドと顔を合わせた時だった。
「メンフィス商会の話だが、後は私に任せて貰えないか?」
「御父上の宜しいように」
伯爵家の当主として話す父は、頭ごなしに叱責はしない。だが、何か自分に間違いがあったのだろうとヴィルジールは冷静な顔で考える。そういった事が、年に幾度かはあった。
「うむ。では……、メンフィス商会はきっとこの後二つに割れる。隠居した父親が弟を担いで起こすだろう新商会が、すぐに挨拶に来るだろうから、我が家はそっちを正当な商会と見做して今後も付き合いを続けるのが良いと思うのだ。どうだろう」
「……わかりました。その正当なメンフィス商会への対応は、何か考えた方が良いですか」
「いや、何も。彼らはきっと、寛大に許したお前へ感謝するだろうからね。あの父親はそういう善い男だよ」
こういう時に、ヴィルジールは父の器の大きさを感じるのだ。裏切り者は容赦なく切り捨てるのが正しいとしても、どこまでにすべきか。ディオール家により大きな益を与える選択肢を瞬時に見抜く事も、それができるだけの情報をすでに得ている事もまだ自分では及ばない。
●
「……と言う事があったのだ。私は、まだまだだね」
ヴィルジールを称して冷酷な男だという評があるのは知っている。それはもちろん事実なのだが、そう単純に思われてしまうというのは、自らの甘さを示していると彼は思った。父の方がよほど怜悧で冷酷に利益計算をしている。もしもメンフィス商会の前の主が信頼に足りなければ指一本動かそうとはしなかっただろう。そう聞いた妻のコレットは、柔和な笑顔で相槌を打っていた。
「ですが、お義父様は正当でないメンフィス商会の事は何もおっしゃらなかったのでしょう?」
「それはそうだが」
「であれば、そちらの判断はそれで良いと、仰っているのではないかしら」
厳しい処罰を言い渡し、不穏な動きを見せるのを監視する。商会の従業員、取引先も含め、あの女主人についていく者と、そうでない者を切り分けて、ディオールの益となるか否かの踏み絵としようと、ヴィルジールは考えていた。細かい方策や手段まで、愛妻は見抜いてはいないのだろうが、ヴィルジールがただ切り捨てただけではなく、同時に何かを考えたであろうことは理解している。
「男の方は、身内を褒めるのが苦手だと父に聞きましたわ。きっと、お義父様も『それで良い』と言うのは恥ずかしかったのでしょう」
「……この歳になって、父に認められたいというのはみっともないかい?」
「いいえ。ジェズアルド様は貴方の倍も生きておられるのですもの。貴方が今のジェズアルド様と同じ年になった時は、お義父様に負けない立派な当主になっているわ」
優しくそう告げるコレットは、いつの間にかヴィルジールの椅子の後ろに立って彼の髪を弄んでいる。貴族社会で、夫の頭をよしよしと撫でるなどという事は外聞がよろしくないが、髪を漉いて身だしなみを整えるのは妻の務めだ。――というのがコレットの主張であり、ヴィルジールも二人だけの時には異を唱えない。つまり、旦那が表情一つ変えないので異様に見えるだけで、落ち込んだ旦那を奥さんが甘やかしている良くある図であった。
●
「早速、早馬だ。メンフィス商会の先代が明日にもと、面会の希望を出している。同行者も父の見立て通り、か」
翌朝、報告を受けたヴィルジールは、一行に陰ながら護衛を付ける様に指示を出した。先代の動きを察した女が動くだろうと踏んだのだ。それを聞いた父が、実に満足げに笑った事を彼は知らない。
「……問題外、ですね」
「は!? いえ、しかしあの地方の今年の綿花の出来は……」
「貴女が仕入れて来たという土地の、本来の綿花はコレですが、似ても似つかないとは思いませんか」
でっぷり肥えた女商人の顔から血の気が引いた。ヴィルジールを若いと侮り、二級品を持ち込んだのだ。付き合いの長い商会であれ、代替わりの後はしばしばこの手の過ちを犯す。商売の一環として仕掛けるなら、彼に対するより当主の方がまだマシなのだが。
「取引は、終了としましょう。調査料は約束通りお支払いします。来年以降のグラン・ディオの商会の権利は無くなる物とお考え下さい」
「え、嘘。ちょっと待って。ウチは親父の代から、ディオール伯爵家にずっと……」
「ええ。貴女の父上は素晴らしい商人でいらっしゃいました」
にべもなく言い、まだ騒ぎ立てる女商人を追い払う。最後の方に女が放っていた罵倒はもはや頭に残ってもいない。その件を思い出したのは、夕食で父ジェズアルドと顔を合わせた時だった。
「メンフィス商会の話だが、後は私に任せて貰えないか?」
「御父上の宜しいように」
伯爵家の当主として話す父は、頭ごなしに叱責はしない。だが、何か自分に間違いがあったのだろうとヴィルジールは冷静な顔で考える。そういった事が、年に幾度かはあった。
「うむ。では……、メンフィス商会はきっとこの後二つに割れる。隠居した父親が弟を担いで起こすだろう新商会が、すぐに挨拶に来るだろうから、我が家はそっちを正当な商会と見做して今後も付き合いを続けるのが良いと思うのだ。どうだろう」
「……わかりました。その正当なメンフィス商会への対応は、何か考えた方が良いですか」
「いや、何も。彼らはきっと、寛大に許したお前へ感謝するだろうからね。あの父親はそういう善い男だよ」
こういう時に、ヴィルジールは父の器の大きさを感じるのだ。裏切り者は容赦なく切り捨てるのが正しいとしても、どこまでにすべきか。ディオール家により大きな益を与える選択肢を瞬時に見抜く事も、それができるだけの情報をすでに得ている事もまだ自分では及ばない。
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「……と言う事があったのだ。私は、まだまだだね」
ヴィルジールを称して冷酷な男だという評があるのは知っている。それはもちろん事実なのだが、そう単純に思われてしまうというのは、自らの甘さを示していると彼は思った。父の方がよほど怜悧で冷酷に利益計算をしている。もしもメンフィス商会の前の主が信頼に足りなければ指一本動かそうとはしなかっただろう。そう聞いた妻のコレットは、柔和な笑顔で相槌を打っていた。
「ですが、お義父様は正当でないメンフィス商会の事は何もおっしゃらなかったのでしょう?」
「それはそうだが」
「であれば、そちらの判断はそれで良いと、仰っているのではないかしら」
厳しい処罰を言い渡し、不穏な動きを見せるのを監視する。商会の従業員、取引先も含め、あの女主人についていく者と、そうでない者を切り分けて、ディオールの益となるか否かの踏み絵としようと、ヴィルジールは考えていた。細かい方策や手段まで、愛妻は見抜いてはいないのだろうが、ヴィルジールがただ切り捨てただけではなく、同時に何かを考えたであろうことは理解している。
「男の方は、身内を褒めるのが苦手だと父に聞きましたわ。きっと、お義父様も『それで良い』と言うのは恥ずかしかったのでしょう」
「……この歳になって、父に認められたいというのはみっともないかい?」
「いいえ。ジェズアルド様は貴方の倍も生きておられるのですもの。貴方が今のジェズアルド様と同じ年になった時は、お義父様に負けない立派な当主になっているわ」
優しくそう告げるコレットは、いつの間にかヴィルジールの椅子の後ろに立って彼の髪を弄んでいる。貴族社会で、夫の頭をよしよしと撫でるなどという事は外聞がよろしくないが、髪を漉いて身だしなみを整えるのは妻の務めだ。――というのがコレットの主張であり、ヴィルジールも二人だけの時には異を唱えない。つまり、旦那が表情一つ変えないので異様に見えるだけで、落ち込んだ旦那を奥さんが甘やかしている良くある図であった。
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「早速、早馬だ。メンフィス商会の先代が明日にもと、面会の希望を出している。同行者も父の見立て通り、か」
翌朝、報告を受けたヴィルジールは、一行に陰ながら護衛を付ける様に指示を出した。先代の動きを察した女が動くだろうと踏んだのだ。それを聞いた父が、実に満足げに笑った事を彼は知らない。