みんなで行こう!夏のパカケット!
キャラクターノベル(グランド)制作 アルパカコネクト運営納品 2022年09月14日 10時00分00秒
一般入場が始まる前、搬入と設営を終えたサークル「虹空」の猪原城・美雲(PN:アラクネ)は、イニシエ仲間の挨拶回りに出掛けていた。
そこで耳にしてしまったのだ――その叫びを。
「今年も来ましたね、年に一度の祭典が! どんなにこの日を待ち焦がれたでしょう……」
シェルリア・リトヴァールはそっと目尻を拭い、積み重ねた本の表紙に目を落とす。
それは綿密な取材によって描かれたR18ラミ×ウィル本。
表紙はキラキラのホログラム紙にフルカラー印刷と箔押しという、気合いの入りまくった超豪華仕様だ。
「私、ついに18歳になったので! R18なご本も出せるし買えるんですよ!」
「おめでとうございますわ!」
美雲が満面の笑みと共に声をかける。
「ありがとうございます! 私、頑張りました!」
美雲は自分も同じく、18歳の誕生日を心待ちにしているのだと告げた。
「あと少しですね」
その日が来たら互いに本を交換しようと、二人は固く誓い合うのだった。
警備員の古馬・真は、一般入場の最前列に重石の如く構えていた。
開始のアナウンスと同時に、堰き止められたマグマが溢れ出すように人の波が押し寄せて来る。
だが彼は微動だにせず、その熱量に圧倒されつつも腹の底から声を張った。
「危ないですから、走らないでください!」
それでも人の奔流は止まらない。
「わん!」
基本的に「わん!」しか言えない設定の、犬の格好をした着ぐるみスタッフ、暁 狩奈も身体を張って止めようとする。
なお中の人は古武術の使い手につき、着ぐるみでも動きは俊敏だ。
だがしかし、首に巻かれたピンクのマフラーが濁流に巻き込まれてしまった!
胸に付けた『おいぬさま』の名札はよじれて取れかかり、可愛い顔は人の圧で歪んでいる!
「わん! わん!?」
「皆さん落ち着いて! サークルは逃げませんから!」
おいぬさまを救出しつつ、真が叫ぶ。
そう、サークルは逃げない。
だが本は違う。
「これは競歩だから!」
そんな屁理屈を捏ねて、人々は会場になだれ込んで行った。
「御覧ください、この『好き』にかける一切の妥協なき凄まじい執念!」
アイドル候補生の藤崎 此岸は、マイクを握り締めてその姿を見送る。
「レポーターの此岸です! 今回はこちら、パカケットへやってきました!」
番組の撮影で公然と回れてギャラも入るとか、なんたる幸運。
「皆さんコスプレが凄いですが、僕も負けていませんよ! これは何のコスか……そう、あの東京インソムニアの隠れた愛されキャラ、ゴーントくんです!」
現在地は企業ブース周辺の、比較的ひらけたエリアだ。
「では早速、会場内を回ってみましょう!」
会場に入るとすぐに、通訳の腕章を付けたナタク・ルシフェラーゼが出迎えてくれる。
「あたしは英語とスペイン語が出来るんだ。パカケは外国の人も多いからね、色んな人に楽しんでもらいたいと思ってボランティアしてるんだよ」
インタビューに答えた彼女はそう言うと、助けを求める気配を察して飛んで行った。
企業ブースの一角、冬に発売予定の格闘ゲーム「ホワレサヴァイヴ」の宣伝ブースでは、二ノ宮 鉄騎と朔真の二人が売り子を任されていた。
「鉄サン。俺、思うんですけど……」
「何だ」
「ホワレって、手紙が奇跡を起こす幻想世界ですよね」
それが何故、格ゲーに?
「世界観、合わなくないですか」
「上の方が行けると判断したなら、俺らが口出す筋合いはねぇよ」
それより、と鉄騎は背後を振り返る。
朔真の声は、そこに積まれたダンボールの中から聞こえていた。
「お前……それじゃ仕事にならねぇだろ」
本日、鉄騎は販促の為にガードの制服を着ていた。
朔真には露出少なめセイジの不愛想キャラを宛がってある。
(それでも嫌がるだろうとは思ったが、まさかここまでとはな)
苦笑を浮かべつつ、鉄騎は朔真を引っ張り出した。
「恥ずかしいので……あまり見ないで下さい……」
乙女のように恥じらう朔真を、鉄騎は問答無用で前に立たせる。
「ほれ、仕事だ」
こういった場には慣れている鉄騎は完全にキャラになりきって、チラシ配布から写真撮影までノリ良く難なくこなして行った。
「……鉄サン手慣れてますね……ほんと何でもできるっていうか」
「ほら、お前も」
「えっ、写真……?」
しかも二人のバトルシーンを再現しろと?
「わ、わかりました」
兄貴分の頼れる姿を見せられては、精一杯に奮起するしかない。
そうして朔真は、企業ブースで一番の注目株になったとか――
「きてしまった……」
有田 未華子は、会場近くのカフェで働いている。
それが何故、企業ブースでカフェの宣伝冊子や割引チケット付タンブラーを売っているのか――しかもこんな格好で。
わかっている、近々開催する「ホワレカフェ」に客を集める為だ。
(しかし何だ、このチャラチャラヒラヒラした衣装は)
これは羞恥プレイというものではないのか。
困惑していると、客に声をかけられた。
「すごい、クレセントの完コスだ! 一緒に写真いいですか!?」
未華子にはホワレがわからぬ。
けれども臨時手当アップに対しては、人一倍に敏感であった。
「恥ずかしい……が、これも弟と妹の為だ!」
「おぉ、キャラ把握も完璧!」
自称クライス・アクバーは、世界の真理を追究していた。
その為に必要なのは、この広大な会場で手に入る限り全ての同人誌を買い漁ること。
果たして同人誌から世界の真理など本当に見えるのか。
「いや、そんなことは俺には分からない」
わからないから求めるのだ。
「とりあえず薄異本とやらは必須だ。予算はたっぷりあるぞ」
妥協を知らない男に限界はない。
その時、彼の耳に元気な声が届いた。
「「みんなで行こう! 夏のパカケット!」」
それは和無田 美蘭が主催する、人気マンガ『ホワイトレター』の同人サークルだった。
「いらっしゃいませ!」
アガサ・ロックハートのコスプレをしたお手伝い、ウエンズデイ・リルシュ・キメラプランツがにこやかにクライスを迎える。
今日初めてのお客様に、美蘭は少し緊張気味に椅子から立ち上がった。
「新刊はこちらになります……えっ、そんな遠くから来てくださったんですか!?」
驚きの声を上げる。
「しかも全種類お求め!? ありがとうございます!」
戦利品を抱えて隣に移ったクライスに、二人は深々と頭を下げる。
「これは幸先が良いですね!」
美蘭が嬉しそうに、代金を手元の缶に入れた。
「はい! この調子で頑張りましょう!」
「ウエンズデイさんも水分補給忘れないでくださいね!」
その一件が呼び水になったのか、スペースの前には忽ち人だかりが出来る。
「は~い、最後尾はこちらで~す!」
ウエンズデイはスペースを出て、列の整理に――
「……写真? 私とですか? 嬉しいです、もちろんオッケーですよ!」
ただしこの混雑が解消されてからね!
その隣もまた、ホワレのサークルだった。
「見本、これだ。好きに見ろ」
売り子のテュチュアニエがぶっきらぼうに話しかけてくる。
主催のベアトリクス・アルムガルトは、店番をその子に任せて狩りに出掛けてしまったようだ。
なお本の内容は無名の諜報員である彼女が、アントニオ・デ・オリウエラをストーキングして収集した極秘情報を元に描かれた――とされるアントニオ総受けBL同人誌『●の●に散る』だ。
だが表紙にも奥付にも彼女本人の名はなく、後書きに「作画は絵の上手い特務局員に丸投げしました!」と堂々と書かれている。
名もなきゴーストシナリオライターなら、後で怒られることもないよね、多分!
「いらっしゃいませ」
にこやかに微笑んだライリー・ベルは、日頃から創作活動に全てを捧げていると言っても過言ではない、根っからのクリエイターだ。
机に並ぶのは、AnnihEpicaの王子×皇子、皇子攻め本と、ホワイレトターのシバ←レナのエモ系小説本。
何か相当にヤバいものらしく、本人達が来たらすぐに隠せるようにディスプレイが工夫されていた。
それは一見さんには売れないのだと、彼女は先輩の旦那が作ったという委託の占い本を勧めてくる。
その時、一人の女性がライリーの耳元で何事かを告げた。
それを聞いたライリーは黙って頷き、例のヤバげな本を手渡す。
手に入れるには合言葉が必要らしい。
探して来ると言い置いて、クライスは人混みに紛れた。
「あれもこれもと目移りしてしまう。全く、困ったものだ」
まあ結局は全部買うのだがな!
「これは……!」
それを目にしたNは、思わず二度見した。
「これは……!?」
幻覚ではなかった。
「いや、そんな、ありえませんよ。Nちゃんの同人誌なんて絶対ありえませんよ!!?」
思考が口からだだ漏れていることにも気付かない。
「えっ? マジですか? えっ※なことするんでしょう同人誌みたいに???」
みたいではなく同人誌です、正真正銘の。
でもそれって偏見じゃないですか?
「あっ、これ違いますねぐるぐるバットしてぶち撒けた時の写真集です」
ね?
「つーかこんなん誰得なんですか。え、ニッチな方が売れる? そんなアホな……」
同人誌ですから!
その界隈にはホラー系のジャンルが固まっていた。
全体に異界感が漂うその中でも、山田 花子の創作ホラー小説本を並べたスペースは、ひときわ異彩を放っている。
まず目を惹くのは、本人の風貌だ。
コスプレでも幽霊でもないが、その見た目はホラーそのもの。
お陰でスペースは大盛況だった――確実に写る心霊写真のスポットとして。
だが根は純粋で無害どころかお人好しの花子は「撮影は本を買った人に限ります」などとは言わない。
たまに「ア……あの、よければ手に取って読んでみてください……」と小声で呼びかけるのみという謙虚さである。
「ノベルティで御札デザインの栞も憑きます……!」
そこでふと、顔を上げる。
「あ……向こうにいるコスプレイヤーさんキレイね」
視線の先には黄泉川・夜道のサークル「よりみち」があった。
「売り子さんは初めてだけど頑張るよ! 取り置きも楽しみにしてるね」
篠乃木・琢磨は、サークルの手伝いとして夜道の隣に立っていた。
椅子はあるが、座るのはちょっと難しい。
それにサークルの看板としては、立っているのが正しい選択だろう。
今日の彼、いや彼女は、アポカリの天使タクミエル。
長い黒髪のウィッグをポニテに纏め、背中には二対の白い翼、衣装は華やかな花柄の浴衣だ。
「本の内容に合わせてみました」
琢磨はキャラになりきって、ふわりと微笑んだ。
それに応えるように、夜道はちょうど訪れた客に本の説明をする。
「新刊は今季の覇権ジャンル、アポカリプスゼロの二次小説だよ。夢見庵の温泉での話で……」
「自分で言うのもどうかと思いますが、とても良く書いて頂いたんですよ」
天使の微笑に、財布の紐はあっけなく敗北した。
「へへ、百合を書くのは初めてだけど頑張ったんだ。楽しんでね」
お買い上げ、ありがとうございます!
「よみさんもやればよかったのに、ヨミカのコスプレ」
「お客さん逃げるよ」
「俺だって30代の女装だし」
「そんなこと言って、琢磨君さっきも撮影頼まれてたでしょ。とっても綺麗だし人気者だよ」
そこに新たな客が現れる。
「いらっしゃい、どうぞ一冊いかがですか……え、写真も? いえ、それは構いませんけど、本気で……?」
ほらね?
時刻は昼前、朝一番の混雑は落ち着いたが、新たな入場者は増え続けている――そんな時間帯だ。
「焦らないで並んでください、皆さん入れますからねー!」
Lumie=Ver=Beataは普段から様々なアルバイトを頑張ってきた経験を活かして、誘導スタッフとして会場前に立っていた。
誘導の他に、各種案内や困りごとの相談も仕事のうち。
だから分厚い丸眼鏡のちょっと怪しいおじさんにも、臆せず積極的に話しかけていく。
「こんにちは、何かお困りですか?」
青山 青銅は、完全に興味本位で来ただけの超一般人だった。
正直これが何のイベントなのかもよく知らない。
「凄いねえ! こ~んなにでっかいイベントがあったなんて!」
列に誘導され、青銅は素直に従った。
「熱中症に気をつけて、楽しんでくださいね!」
そこから流れ流され着いた先は――
「あれえ?」
入場の列だと思ったら大手外壁サークルの待機列だった。
「ねえねえこれ何? 君は漫画家さんなのかい?」
「そう、私が神だ!」
そこはプロ漫画家、天國・ミカド先生のサークル『天上天下』。
「え、なに本人? 創世の八刃うちの待合室にも置いてあるよ、サインもらっていい?」
「よかろう! だがこの本は病人に見せてはならぬ、刺激が強すぎるからな!」
パカケットはプロの漫画家が趣味で作った危ない本を売る所、青銅おぼえた。 ※違います
野菜の王子様、野々上 宝の運命は変わった。
野菜オンリーに勘違い参加したあの日から、やべー才能に目覚めてしまったあの時を経て、その創作意欲は汲めども尽きぬ野菜ジュースの噴水の如く湧き上がる一方。
彼が本業の合間にサークル参加を始めるのは、もはや必然だった。
そんなわけで、ここは個人サークル「八百屋野々上」のスペースである。
セクシー野菜の可愛いぬいぐるみや野菜グッズに囲まれて、新刊がドンと山積みにされている。
絵本調に描かれた「なっちゃんの夏休み」は、籠から川に落ちて色々な動物に出会い、最後は小さい食卓に――という幸せな冒険物語だ。
「店頭に並ばねぇ子にも幸せにしてやりてぇだろ」
ハスロ・弥生(PN:夢見月)の「ホットチョコレート」は、愛犬のメロンパンを題材にしたファンシー同人誌と写真集を売りにする超健全サークルである――表向きは。
だが夢見月は、裏では超過激なR18のBL本の作者としてその名を知られて……ごめんなさい嘘です、どっちも表です。
今も堂々と、全年齢と、R18が隣り合わせに並んでいる。
大丈夫? 事故とか起きない?
「問題ありません、私がきちんと目を光らせていますから」
売り子として参加している夫のハスロ・ヴィルヘルムが断言する。
事前に売り子知識を勉強してきた彼は、コンプライアンスもバッチリだった。
「はい、メロンパン本を一部づつですね。有難うございます。これからもメロンパンの成長を見守って下さい」
手際よく、愛想もよく、しかし年齢確認は厳しく、決して事故が起きないように。
とは言うものの、彼はR18本の内容を知らない。
妻が頑として中身を見せてくれないのだ。
「ところで弥生」
客が一段落したところで、表紙を指差し尋ねてみる。
「この登場人物はどうして私にそっくりなんだい?」
「総受けが貴方に似てしまうのはしょうがない運命なの……」
弥生はしれっと答えた。
中身は秘密だが、夫に似ていることは否定しない。
それが総受けキャラであることも。
「隣にいる人程、影響を受けるって言うでしょう?」
「……なるほど、それは納得だね」
ハスロ家は本日も平和である。
三反崎 勝生(PN:赤星 忍)の『Orion』と、深栖 侑輝(PN:妃 夏輝)の『天満月』は、隣同士に配置されていた。
お隣さんとはご挨拶として互いの本を交換するのが、即売会に於ける暗黙のマナーである――少なくともイニシエ世代にとっては。
「夏輝先生、これうちの新刊――」
差し出そうとして、勝生は動きを止める。
「え、その新刊何?? 夏輝先生、俺それ知らないやつなんだけど?」
「え、だって言ってないもん!」
奇襲成功!
狙い通りの反応に、侑輝はにっこり良い笑顔で答えた。
天満月では、自身が別名義で商業連載している『Deinosシリーズ』の非公式同人誌を頒布している。
今日の新刊は、その登場人物である二人の喧嘩を描いたケンカップルBL漫画『その鉤爪で切り裂いて』だ。
装丁はB5版36P、中身は当然のR18、そして安定の死ネタである。
一方のOrionの新刊は、大学生男子3人のR18青春BL小説『炎陽』だ。
装丁はA5版60P、表紙は文字のみだが書体と配置のバランス、そして紙にはとことん拘っている。
「少ないけど既刊もありますよー」
登場人物のコスで、勝生は客達に気さくに声をかける。
「はい、年確に協力してくださいね~」
コンプラ違反ダメ、ゼッタイ。
やがて客が減り始めた頃、そろそろ遊びに行こうと思い始めたその時。
「赤星先生、留守番お願いね!」
さっさと完売した侑輝に先を越されてしまった。
「イベント楽しー!」
あの日、夏夜 蛍はとある大学教授のお気に入りになった。
その縁で今日も店番を頼まれたのだが――しかも「今回の新刊は自信あるんだ」と言われて親友の志暮・悠まで駆り出したのに。
「……こうなると、思った」
相変わらずの閑古鳥である。
暇を持て余しすぎた二人は、スペースに「閉店中」の札を置いて旅に出た。
「あれ、ほっといて大丈夫なのか?」
無人のスペースを振り返り、悠が心配そうに尋ねるが、問題はない。
「隣の人、この前も一緒だったし。ゆるっと見ててくれるって」
ニッチなジャンルではある程度顔ぶれも固定し、皆が知り合いのようなものだから大丈夫、らしい。
やがて二人は美雲のスペースに辿り着く。
「いらっしゃいませ、新刊はこの2冊ですわ!」
いずれも天國ミカド先生原作「†BAR†」の作者公認二次創作だ。
「アンラズは原作準拠のハピ! ルキエテは本編に泣いたのでIFハピエン本ですわ!」
流石のハピ過激派、何が何でもハピエン一直線である。
「ルキエテハピエン本?」
蛍がやけに自分と親友に似ている表紙の本を手に取って、首を傾げた。
「お、何か見つけたか? 蛍」
悠がその手元を覗き込み、驚きの声を上げる。
「……こっち、お前にめちゃそっくりじゃん」
だが蛍が注目しているのは、その隣に寄り添う彼女だ。
「チカって女だっけ……(スン」
「んなワケねーだろ、何言ってんだお前……(真顔」
似てる、マジで似てるなんてもんじゃない。
自分で言うのも何だが、この衣装を着たら完コス出来る自信がある、着ないけど。
「あ、天國ミカド新作の二次創作なんだ」
「あー、その名前聞いたことあるわ。新作出てたのか」
「先生なら目の前にいらっしゃいますわ!」
「諸君! 我が新刊は完売した! これより出陣する!!」
ミカドーザー、発進!
解説しよう、ミカドーザーとは買い物をするミカドの後ろに気がつけばファンの列がゾロゾロ続き、通った跡には草の一本も残らないという即売会場名物である!
「はっはっは私が来たぞ! 新刊は取り置きしてあるだろうな!」
「ひひ、ヤバ姉さんは相変わらずだな」
新刊を手渡した宝が笑う。
だがその標的は馴染みのスペースばかりではない。
「このマイナーカプを描くとは……素晴らしい! 全て一部ずつ頂こう!」
彼女はまさに、帰りの荷物を軽くしてくれる救世主だった。
会場を巡回していた真は、ミリタリー系のコスに目を留めた。
装備の仕方が間違っていると指摘したいが、これは楽しく遊ぶイベントだ。
ぐっと堪えたその時。
「その耳ってどうやってつけてるの?」
聞こえた声に、すわトラブル発生かと思わず身構える。
だが――
コスプレ広場に流れ着いた青銅は、相変わらず無自覚に悪気なく、ヲタク心をほんのり削り続けていた。
その目が、彼女を捉える。
「すごいねえ、まるで本物だよ。それ特殊メイクなのお?」
「え、あの……」
声をかけられ、花子は思わず踵を返した。
気を悪くしたわけではない、質問や撮影依頼が跡を絶たないのはスペースに居る時と同じだ。
だが今は、それどころではないのだ!
「素晴らしいわ……! あ、あの、お写真一枚よろしいですか!?」
レイヤーの姿をスマホで撮りまくり、大満足の笑顔である。
「ああ……あのキャラ、可愛いけどまだ見てない作品だわ……帰ったらパカフリックスに登録しようかしら」
そして増え続けるサブスク登録。
「そろそろスペースに戻らないと……」
でも、あと少しだけ!
「さて、そろそろパカケットも終盤です」
撮影の合間にお気に入りのロボットアニメの全年齢オールキャラ本をゲットした此岸は、片付けをするサークルが目立ち始めた場内をゆったりと歩く。
それでもまだまだ熱気は冷めやらず、ラストスパートの興奮が辺りに満ちていた。
「新刊ゲットー!」
ウエンズデイの声が響く。
「厄災×伯爵本はあるでしょうか……!」
シェルリアは既に大荷物を抱え、それでもまだ足りない勢いで目を血走らせていた。
「引き続き楽しんでくださいね、まだまだ時間はありますよ」
入場列の誘導を終えたLumieは、企業ブースの売り子手伝いに入っているようだ。
「同人誌即売会……ふーん」
リゼ=ブラッタは一般人である。
「知ってる、薄くてお高い本がいっぱいあるんでしょ」
噂には聞いているが特に関心はない。
だが興味がないとは言っていない。
寧ろ未知なる世界にひっそり興味津々だった。
「……分厚い本だと手に取るのも億劫だけど、薄いのなら読みきれそうなのが見つかるかな」
なんて気軽に考え、大義名分をこしらえて、彼はこの魔境に踏み込んで来た。
それが最も危険な、死と隣り合わせの一歩通行であるとも知らずに。
「ここ、なんだろ?」
リゼは、とあるスペースを覗き込んだ。
「これねー、わたしが考えた神様たちの絵が描かれてるんだよー」
サークルの主、サマエラ=フォリウムが答える。
彼女はとてもゆるくてマイペースな子だった。
その様子は無邪気で明るく、ほわほわと人畜無害に見える。
「なんとなーく頭に浮かんでくるんだー……えへへ、良かったら見てみてほしいなー」
そう言って、サマエラはイラスト集の見本を差し出した。
「へえ、綺麗だね」
リゼはポップでカラフルなデザインが目を惹く本の表紙を開いた。
それがどんなに危険な行為であるか、その自覚も用心もなく。
途端、リゼは目撃する――表紙詐欺も甚だしい、絵師の言動とは掛け離れた、冒涜的で理解不能な色と形の集合体を。
「どうかなー、気に入ってくれたかなー」
屈託のないサマエラの笑顔がぐるぐると回り始める――
「わん!」
着ぐるみスタッフのおいぬさまは、見つけるとレアな存在として、ちょっとした人気者になっていた。
だがその瞬間、頭上の赤色灯が点灯し、ピンクのマフラーを靡かせて現場に直行!
しかし、間に合わなかった。
リゼは後に語る。
「まさか、あんなことになるなんて……!」
そんな色々がありながらも、パカケットは無事に閉会を迎える。
仕事を終えた帰り際、ナタクは会場の隅で立ち往生している一団に遭遇した。
「台車の手配が儘ならなかったって? じゃあ一箱持ってあげるよ」
軽々と担ぎ上げ、ナタクは配送所に運び込む。
「無駄に日々、重いウェイトを上げ下げしてる訳じゃないんだよね♪」
よかった、最後に良い話で締められて……!
【執筆:STANZA】
●熱気漂うエリア
夏パカには沢山のエリアが存在する。その中でも超人気ジャンルだったり、ディープな内容の作品が渦巻く場所、それがこのエリアだ。勿論サークル、一般とわず参加者の熱の入りようも違う。過去にはその熱気で屋内なのにうっすら雲らしきものができたとかなんとか。とにかく会場内に人は多かった。
「ここは一体どこなのよ……」
そんな人の流れに乗せられあれよあれよと運ばれてきてしまった子羊。単独参加のパステル・アクアマリンは早々に絶望していた。
右を見れば肌色いっぱいの表紙、左を見れば口にはできない謎の黒い物体が描かれた表紙。これは見ちゃいけないやつだと瞬時に理解をする。
――とんでもないところに来てしまった。
ひとりで来たのが仇となり助けを求められる相手もいない。顔を真っ赤にしながら、どうにかこの魔境から抜けることをパステルは願うしかなかった。
ノエミ・アダメ・モゾはとあるサークルの1冊の薄い本を手に取っていた。どうしてかと言われれば、答えはひとつ。知人に似ていたのだ。読んでいけば憧れた関係性のふたりそのものではもちろんなかったけれど、その魅力的な絵柄や心温まる物語にはどうにも惹かれ、魅せられた。
その一冊を読み終われば、その隣には男性二人が睨み合う表紙の本。少し中を覗けばノエミは顔を赤くしてしまう。
ごくりと唾を飲み込む音がやけにうるさい。なるほど。これこそが、縁。
新しい縁に財布は緩んでいく。だが、まだ彼女は知らなかったのだ。世界にはたくさんの縁があることを。
そしてそのさらなる先にあるのは――底なし沼だということを。
「「今日はよろしくお願いします」」
個人サークル『百合の咲く庭園』として参加したリリィ・ガーデンと、サークル『Secret Garden』として参加したリュリュ=ソレイユが和やかな挨拶をかわす。お誕生日席で隣同士となったふたりはどちらも百合を主戦場としているが作風が異なることもあり、これまでもお互いに平和に活動が行われていた。
(案内があったときから分かってはいましたが、ここ、お誕生日席ですよね……?)
開場してからというものリリィはとてもいそがしかった。初めてのお誕生日席ということもあり、直接声掛けにきてくれた知人もいたくらいだ。
「まぁ! ファンレターですか? 嬉しいです……! 後でゆっくり読ませていただきますね」
まさか出来心で書いた、『女の子たちのほんわかな日常』を描いた小説がここまで人気になるなんて昔の自分は想像もしていなかった。
「今日の新刊は、反戦の聖女様がみんなに愛される総受けいちゃらぶ本です!」
百合作家のリュリュが『高嶺の花との一夜の恋』をテーマに描く優雅な作品群は、女性からも、もちろん男性からも支持されている。その内容から「創作物から白百合の香りがする」とコメントで書かれたことがあるくらいだ。
なにかと二次創作界隈でひどいことをされやすい反戦の聖女様を幸せにするべく、彼女は立ち上がったのだ。
奇跡的に隣り合わせになった『庭』の名を持つふたつのサークルは、この日数多くの百合の花を咲かせた。
百合スペースから場所は変わりBLスペース。ベアトリクス・アルムガルトは、シナリオを担当したアントニオ総受BL同人誌『●の●に散る』をあえて一般参加者のふりをして購入していた。確保した一般休憩所の椅子に腰かけ戦利品のページを開く。
「は?」
数分後、彼女の口から出たのは地を這うような低音だった。
「解釈違いだわ……。アントニオはそんなこと言わない!」
一体だれが、そんなの決まっている。作画担当者がストーリーを改変したに違いない。
ベアトリクスは激怒した。
シナリオ担当者として、解釈違いには大変敏感であった。
――帰宅した彼女は同人誌と共に公社上層部宛てにお気持ち長文レターを送付したが、その手紙の行方は知れない。
己の秘めた性癖を守る為に単独参加を決めた者もいれば、心を許した相手と共に参加する者もいる。
「すっごい賑わい! コスプレしてる人もいるし、ほんとお祭りだね♪」
「ね。俺、この空気が本当に好きでさ」
会場の賑わいや物珍しさにきょろきょろとする夜城・海愛を藤堂・皐は優しく見つめている。
また、入場の列に並んでいる時に「今日の為に頑張ってきた人達の結晶が見れるのが楽しみ」と語っていた皐を思い返すと、自然と海愛もこの催しを楽しんでいた。
「あ、これ皐君が好きなゲームの本?」
すごく可愛い絵だねぇ、と手に取ったその本。皐は見逃さなかった、表紙によく見慣れた――R-18の文字を。
キャー!! と絹を裂いたような、そんな黄色い悲鳴が皐の口から飛び出す。
「海愛ちゃん! まずはこっちのほうが断然お勧め!」
瞬時に陳列されたテーブルの上から可愛くも一番マイルドそうなものを選びとる。
「はわ? こっちのがオススメなの? ふぅん……」
急な皐の動きに驚きながらも、そっちがオススメならと手にしていた物を元の位置に戻した。
(……海愛ちゃんが喜ぶなら止める訳には)
せめぎ合う皐の心。そんな彼をよそに海愛はとある人物に気付いた。
(あれ……? 見たことあるような人が……? 気のせいかな)
本から目を離して遠くを見つめる海愛の目線の先を皐が見れば。
え!?
(あれは間違いなく姉ちゃん!?)
――皐の心臓はまだ安寧を迎えない。
「よし、設営は完璧です」
今日は待ちに待った夏パカと意気込んだ虞淵はその情熱を全て解放した。
既刊のナマコ本に新作ナマコグッズ、新刊はパイナップルナマコ本。自身の肉体美もフル活用したナマコとの中華系コスプレ写真集に無配のコズミックナマコ流星群ペーパー。何かの隠語などではない。彼のサークルは棘皮動物『ナマコ』ただその一本にジャンルを絞った活動をしている。
写真集の衣装を身に纏った彼だが、何せ夏のパカケット。露出対策の施された胸元は肌色部分も衣装の一部である。つまり、暑い。
(だがナマステ本新刊を手に入れるまで俺は死ねない……!)
ナマコとナマステ。親近感を感じてしまった彼は、熱い思いをたぎらせていた。
天使と悪魔の戦いを描いた人気作品『天魔大戦アポカリプス・ゼロ』はその性質上、どのキャラを好きになってもバッドエンド、良くてメリバという作品だ。元々そういった結末が好きな者は嬉々としてそれをベースとした二次創作を行うが、彼、見延 光永は違った。
PN:暗闇坂 静謐名義で活動する彼は、何を隠そう――ハピエン厨だった。光永は推しCPであるミカミツのハピエン小説を新刊とした。少しでも、あの世界に光をと願わずにはいられなかったのだ。
「光永サン、僕は護衛をすべきなのか……?」
せっかくならと恋人の影を売り子として連れてきてみたのだが、あまりの人の多さに宇宙猫顔と化していた。
ふたりはお揃いの洋服をきて恋人感を出してはいるが、それでも影に集まる視線には少しもやっとしてしまうのは複雑な男心だ。
「影がいてくれるとそれだけで嬉しい」
「僕も、光永サンと一緒にいれてうれしい」
こういった文化は全然わからないが、売り子としての仕事は真面目にやる影。光永はああいうが、無表情だしあまり向いてないのではと影自身が思っていた。
しかし、ふとした時に光永相手にみせる表情や、こっそり机の下で手をつないでいたりなどのことから、あそこのサークルはサークル主さん達からもハピの香りがするなどと囁かれているのをふたりは知らなかった。
あなたの同人文化との出会いはどこから?
友人、親、兄弟姉妹、――そして『親戚』だ。
親戚の子達が連れ立ってイベント参加すると聞いた阿喜洲 清戈は、軽い気持ちでパトロン兼売り子としての参加を決めた。
「うすいほん? というのはよくわかりませんが、手やお金が必要なら任せてください」
その言葉を聞いた神楽坂 礼蘭の「そうか、なら壁だ」という発言があり、彼女達は壁スペースに降り立っていた。ついでに追加椅子も置いて簡易休憩スペースの完成だ。
玄御・崔花は礼蘭のスペースの手伝いを行い、そのついでにと彼女の作品である一次創作の学園ラブコメ本も置かせてもらっていた。
月刊連載や細々とした仕事の合間に描いたうえ、早割入稿までやってのけた作品。
「崔花、それが例の……この厚さは」
「あ、これ? 気にしないで、ちょっと筆が進んだだけだから」
ちなみにここで言う100P超とは、100ページを少し超えたという意味ではなく、200Pに満たないだけという意味である。これだからこの世界の漫画家人間やめてると言われるのだ。
「ちゃんと全年齢仕様だからね」
問題はそこではない。
最後に礼蘭のナマステ本、恋占い本なども出していけば設営は完璧。
イベント参加自体が初の清戈は、この後壁サーの洗礼を受けることとなるが彼女はまだそれを知らない。
本を作るのも大変だが、売るのも大変だなと言うのは、その様子を見て、一緒に体験した礼蘭の言葉である。
「あ、雪似合ってるね~!」
「ちょ、蝶子もかわ、に、似合ってるな!」
更衣室から出てきた祈壱護・蝶子と神々廻・雪は、コスチュームに包まれたお互いの姿にやや興奮気味な声をあげる。雪はサイバー系ラノベのコスができると、蝶子は好きに忍者の恰好ができるよといわれ、ふたりとも初心者ではあったがウキウキで参加したのだ。
設営のお手伝いが終わり、着替えたらしばらくは好きに回ってきていいと礼蘭に言われていた為、ふたりでサークルをまわることにした。
「ここがあの伝説の地……!」
「本当、自分たちで本まで作れるの!? 皆すごいね~」
実のところ蝶子は少年漫画やアニメは好きだが二次創作等は詳しくない。しかしそんな蝶子もとびつくディープな作品がそこにはあった。
「歴代戦隊纏め本あるすごい! ください!」
なんでそんな物が……という物もある不思議。
「こ、これは…!」
そんな蝶子を視界にいれつつふらふらすれば、そこにあったのは理想郷。ちょっとえっちな薄い本、表紙にはあの子に似た女の子のアップの姿が。
(べべべ別に似てるとか思ってねぇしでも今なら蝶子あっちに夢中d……本人こっち見てる!!)
雪の葛藤を知ってか知らずか、蝶子は彼を優しい視線で見守っていた。雪は爆速で退散をキメた。
上梨 鳳果と東鬼・朱王はお使いを頼むからスペースに一度来てほしいと礼蘭に言われていた。
「えっと、目当てのサークルについたら『新刊・委託全てください』でしたか?」
恋愛漫画もあるからと言われ参加した鳳果だが、お使いとあれば完璧にこなして見せますわとやる気は満々だった。そんな彼女に礼蘭は魔法の呪文を教えたのだ。
「アポカリプスゼロSRPG……? VA・担当PCカルタ……? パッケージも美しいですし、とても楽しそうですわね!」
結構雑貨もありますのね、あちらの方コスプレいいですわね、などその口から零れる言葉はとてもポジティブなものだった。
朱王は朱王で、普段漫画はコマの流れなど難しいというのもあり読むことは少ない。今回も特に雰囲気を楽しめればと参加したので用事ができるのは逆に好都合だった。そして実は彼もとある人物からお願いをされた男のひとりでもあった。
八葉 るちるは取材登録をして撮影する権利を手に入れていた。勿論むやみにというわけではなく、身内周りの撮影やインタビューを空き時間を見つけて話を聞いていく。そう、今後何かに使えるかもしれない映像として記録していた。
「どんな本出したんですか?」
「それ何のコスですか?」
反応を楽しみながら聞き取っていく中、朱王の持った袋にるちるは目を向けた。
「これは、何買ったんですか?」
朱王が袋から出したのは一冊の薄い本。
「白虎の坊ちゃんからのお使いでね。『催眠あまあま幼馴染〜彼女は僕にだけ惚れてない』でよかったッスか?」
「ちょっ」
「おや」
「あらまぁ」
朱王により臆面もなく読みあげられたソレに雪のライフは瀕死になった。
「あっダメですよ、これは大人の本ですからねー」
表紙に輝くR-18の文字にるちるがひょいっと抜き取ると、それを清戈と鳳果へ手渡す。人混みと会計で地獄をみて以降休んでいた清戈はよくわかっていないようだったが、試しにと開いてみるとそこには刺激的で過激な描写。その隣でキャーーと声にならない声をあげ真っ赤な顔をする鳳果だが、その顔を覆った指には隙間が開いていた。そんな様子をみた朱王は笑いながら鳳果に揶揄うような言葉を投げかける。
「天后のお嬢さん、意外とスケベなんスね」
その言葉にさらに鳳果が顔を赤くしたのは言うまでもない。
ちなみに礼蘭よりお使いを受けていた鳳果だったが、その内容が礼蘭の自著『異世界転生生活』の二次創作本だということは気付いていないのだった。
「今のお気持ちは?」
雪にるちるによる追い打ちがかかる。雪の九死一生な点は蝶子がこの場にいないことであったし、その後るちるは買い込んだ本を他の皆と読み始めるのだった。
「皆でこういうお祭りに参加するのも悪くないね」
騒がしくする皆を見ながら礼蘭がフッと笑う。その手にはとある参加者と交換した2冊の本が抱えられていた。
それを隣で聞いた清戈は、ここに至るまでにあった出来事を思い返しつつ、まあ総合的には楽しいな、と天を仰いだ。
布賀知・ライはどこか空気感の異様な島の間を渡り歩いていた。
どんな作品を見ようとも、クリエイター側の苦労を多少知っている身としては「全員あんな苦労してんだな」と少し遠い目をしてしまう。
偏見などは全くない彼だが、特殊な本を見付ければ二度見……いやなんだここ全部やばいぞ!?
「アルパカ監禁日記……夏休みのアサガオみたいな表紙してヤベー内容だな」
「気になる……気になるが、読んだらヤバそうだ」
さらに目を逸らした先に見えたのは、水色髪の少年が表紙の『五等分の花婿』……気にしたら負けだ!
「なんだここゲテモノエリアかよ!あれは、」
――ナマコ?
同時刻、アゼル・ブラッカードは配置図を広げながら迷い歩いていた。唸るほど本があると言われ、一般参加者として会場を訪れていた彼だったが。
(俺の求めてる類の本じゃねえよなこれ?)
確かに本はめちゃくちゃあるし売ってるけれど、本(薄い)だったり、本(ディープ)である。
だが彼は見つけた。専門系コーナーの文字を。まだ諦めるのは早いとエリアの端から端まで歩き、ついにたどり着いた、が。
……何故、ナマコ料理本がやけに充実してるんだ?
正気か……? とおもわず真顔になったアゼルだが、その隣以降のサークルを見てその顔を引きつらせた。
『黒ナマコ美容のすべて』『ナマコ必勝法』等々。
何時ごろだったからか、それはじわじわと広まりを見せた新ジャンル。
『ナマコ』
それは確かにパカケットに侵蝕していった。
【執筆:逆咲 竜紀】
●
パカケット会場の一角に穏やかなサークルが集まるエリアがある。
「パカケ雲は本当にあったんだ!」
エウラ・アルセイスは高すぎる天井を隠す白いもやを金の瞳で眺め、溢した。脳内に音楽が流れる。
会場の大きさ、頒布物の多様さ、何より参加者が放つ熱気。事前に調べてはいたが、実際に目にする感動は何ものにも代えがたい。
自然、胸が高鳴る。エウラが求めるものはこの辺りのサークルが扱っているはずだ。
「すごい……! 人が多い……!!」
伊達眼鏡の向こうに広がる世界に黒七 梓も感嘆の声を上げる。
イベントというから来たのだが、これは――。
(すごく楽しそう!)
興奮のあまり強く握ってしまったパンフレットを開く。
「あっ……!」
開いたページの四角い枠の中に、可愛らしいクラゲとその擬人化絵が描かれていた。
梓は現在位置と地図を確認しつつ、そのサークルへと足を向ける。
「シャツにクラゲがいますね!」
売り子は身を乗り出して、梓のシャツにプリントされたクラゲをしげしげと見た。
「クラゲ、好きなんです」
こんなに見られるのは気恥ずかしいが、梓は正直に話す。同じものを好きな人に出会えるのは嬉しい。頬が勝手に熱くなるのを感じる。
彩木・香乃は分厚い一冊に夢を託した。
(ケルト文化の再興、この一冊でいけちゃうんじゃないかと!!)
実演用の植物もテーブルクロスの上に飾ってある。なんでも叶えちゃう文字通り魔女の一冊。
「ケルト文化……? 読み応えがありそうだ」
見本誌を手にしたのはエウラであった。しかし表紙に書かれた侵蝕とはなんだろう?
「興味があるのかい?」
香乃はエウラへ柔らかな笑顔を向けつつ立ち上がる。
「本にあるおまじないを実践することも可能なんだよ。試してみるかい?」
「それよりケルト文化の説明をお願いしたいかな」
その言葉を受けた香乃の瞳に星が散る。ミントを足裏にすり込む健康のおまじない、シナモンを咥えて行う夢の操作なども教えたかったが、それを乞われたとあっては……。
「いくらでも説明するよ!」
香乃の意欲にエウラはやや圧倒された。しかしその熱量は好ましい。
エウラは笑みを深め、香乃の豊富な知識に耳を傾けた。
狩野崎・千夏子は縁黒・猟児とばったり鉢合わせた。
千夏子は趣味であるゲームを求めて、猟児はオタクへの見解を深めるためにここにやってきた。
「あ、いつぞやのイケメンお兄さん。もしかして同志なの? お兄さんも」
猟児をビシッと指さし、千夏子がにんまりと笑む。
「推しピンのお嬢さん、あのときぶりですね。人を指差すのはやめなさい」
遠慮のない千夏子に猟児は眉根をよせ、眼鏡の縁に指を当てた。千夏子は腕を下ろしたが、知人に同志の可能性があると知った喜びは彼女を昂ぶらせる。
「お兄さんは何か買ったの?」
「僕は何も買っていないが、お嬢さんは大荷物ですね」
同人ゲームを詰め込んだ千夏子のバッグが膨れ上がっている。
「一体今日この場だけで何十万の人員と金が動いてるんだ……」
蠢く人の波を眺めながら、猟児がボソリと漏らす。
「オタクが経済回してる、とも言うからねー」
千夏子は遠慮なく拾い上げ、どこか誇らしげに口にした。彼女もガチゲーマーだ。
対して猟児は地下組織の人間だ。世俗の流行について知るのは偶然出会った誰かからの方が多い。一応理解しに来たのだけれど。
「それほどの財源がオタクに存在するのでしょうか?」
ひとまず目の前の千夏子に尋ねる。
「オタクはガチ勢だからねぇ! 無ければ稼ぐんじゃん?」
千夏子はこれまでの涙ぐましい努力を思い出しながら大きく口を開いた。オタクと一般人のすれ違いトークはまだ続く。
雨利 晴花はそんな二人をぼんやりと眺めつつ、自作のカードゲームを頒布していた。バイト先のボドゲカフェで出した動画はそこそこの集客力を生んだし、有難いことに千夏子も一つ購入してくれた。
(ん、……え?)
赤いつば広帽子を被った女性がサークルの前に立ち、涼しげな緑の瞳をカードゲームに向けた。その容貌はパッケージに描かれた魔術師にとてもよく似ている。
「綺麗な絵が描かれていますね。こちらはどういった商品なのですか?」
「あ……、新米冒険者が手持ちのアイテムで依頼を解決するカードゲームです」
晴花は気後れしつつも女性――ルアンナ・ミュラーの問いに解を出す。
「ふふっ、身近なことも考え方一つでゲームになるのですね。面白いです」
ルアンナが相好を崩す。
「こちらを一ついただいてもよろしいですか?」
「それは嬉しいですが、このゲームの内容が身近、なのですか?」
笑みを絶やさぬルアンナに、目をぱちくりさせた晴花が問う。もしかしたらレイヤーでRP中なのかもしれない。けれど彼女の言葉には妙な真実味がある。
「ええ。ですがゲームとして遊ぶとなるとまた違った見方もできそうだと感じます」
お代を差し出して、ルアンナが深みを感じさせる解を返す。
「楽しんでいただければ幸いです」
晴花は考えることをやめた。ここはカオスだ。ならば一期一会を大切にすればいい。
古馬・真は息を飲んだ。BL本の中身を目にしたからだ。表紙にてあれほど丁寧に描かれていた装備は脱ぎ捨てられ……。
静かに本を閉じ、地雷を扱うようにゆっくりと安置する。それから一礼し、足早に去った。
警備業務の休憩時間にBLを垣間見る羽目になった真は、冷たい壁に身体を預け、魂ごと抜けるようなため息をついた。
BLとは、と考えていたら、大きく美しい声に鼓膜から脳を揺さぶられた。
「素晴らしいです!!」
フェオ・デ・アンフェルボスの感嘆の声だ。フェオのいる音楽島はミリタリー島からはやや遠いが、彼の高音は雑音飛び交う会場内でも綺麗に響いた。それから両手で口を塞いで、四方八方に頭を下げる。
「私は交響曲は特別な作曲家が作るものと思い込んでいました」
フェオは一般人に向き直り、切れ長の目で熱意を伝えた。
「ですが貴方の曲を聴いて、私も粋に囚われず自由に歌えたらと、そう思いました……!」
(ここに来て、本当に良かったよ……)
音大受験に失敗し燻っていたフェオの心に暖かく強い炎を灯してくれる存在と出会えた。CDと名刺を受け取り、たおやかな笑みと共にフェオは音楽サークルを渡り歩く。
真は壁から背を剥がした。内容は聞こえなかったが、彼に良い出会いがあったことは理解できる。
(俺ももうちょっと見て回るか)
もしかしたら自分にも良い出会いがあるかもしれない。真はパンフレットを確認し、BL系を訪問先から外す。
今度こそ気の合う作家と出会えますようにと祈り、真は再度ミリタリー島へ挑んだ。
日極もアヴェラ・ウッチェロも、互いを気にしていた。
片や性別不明の完全防備人間、片や指フェチクラシカルメイド。
「ところで日極さん、新刊を交換したいのだわ」
視線だけを向けて、アヴェラは日極に声をかける。
「ウッチェロサン。はいどうぞ、溜まりに溜まった呪いですよ」
視界が悪く動きづらそうな外見に反し、日極はアヴェラの新刊と釣り合う値段の既刊数冊と『硝子街(未完)』を手早くまとめて差し出した。
アヴェラは驚きつつも『メイド服考察本』と『メイド服写真集』を差し出し、日極に礼をしてから客に対応した。日極の側にも客が寄ってきている。
「お客サンも物好きですねえ、他人の呪いを買うなんて」
「メイド服と指の深淵へようこそ。あなたも指フェチなのでしょうか?」
人から聞いた奇談をまとめた薄い本。他人の指を五感でレビューした『指コレクション』総集編。そういった特殊な本を求める層もここにはやってくるのだ。
「うそうそ、冗談。でも手放したい話があれば、いつでも歓迎してますよう」
フードの向こうの顔はにこやかなのかもしれないし、無表情かもしれない。声からは何も計り知れない。
一つ言えるのはわるくちと人生相談以外は歓迎しているということ。
「メイド服写真集もあります。私の指も映ってますし、色々と役に立つ一冊に仕上がっています」
アヴェラ自身がモデルを務めたメイド服への暗器の隠し方の実演写真集も勧める。服の構造に共通点があれば技術の応用は可能なため、実用性はあると言える。
暗器を日常的に使用する人間にとっては。
ダニエル・ファン・バステンは嘆いていた。時にコンビニスイーツは店から消える。長く愛される人気者もあるが、それはほんの一握りだ。
それらを愛していないわけではない。むしろとても好きだ。胃のスペースが許す限り詰め込みたいと思っているし、詰め込んでいる。
故にダニエルは一念発起した。「コンビニスイーツの本を出そう」と。
前から出したいと思っていたから行動にはすんなりと移れた。無限に筆が進む。
(しかしこんな俺の本を誰が買ってくれる?)
調べたところ初心者は五部でも売れれば儲けものらしい。普通の人でそれなら強面の自分などはどうなってしまうのだろう。筆が止まる。
いつ見ても目の下には隈があり、眉間には皺が寄っている。威圧するかのような三白眼とその下から頬にかけて走る傷が目に付く。
(五部? 三部で十分だろ。ほんとに三部もいる? いらなくない?)
執筆は睡眠を削って行っていた。睡眠不足がたたり、思考はどんどん単純かつネガティブになる。
それでもダニエルはコンビニスイーツを糧に書いた。歯ごたえのあるパイ生地について、舌でとろけるクリームについて、粒の食感が楽しいあんこについて。
そしてダニエルは現在、パカケットのサークルチケットを握り、パイプ椅子に腰をかけている。目の前の机には新刊が五部置かれている。
(まずは近隣のサークルに挨拶するのがマナー、だったよな?)
チラリと後ろ――壁サー『祖母の知恵袋』に視線を送る。
知恵ブックマン・F・皓月こと皓月はグレーの瞳を三日月型にしてダニエルに胡散臭いスマイルを返した。
強面にも微笑んでくれる優しげな皓月にダニエルの緊張がほぐれてゆく。
「新刊を一部……どうだろう?」
ダニエルが足りない言葉で新刊の交換を申し出る。皓月は意を汲み、笑みを浮かべたままダニエルの新刊を受け取った。
「では、こちら『嗚呼、愛しのラッシー』をどうぞ。実在店舗のラッシーのレビューを挟んだ旅のお話です」
皓月が表彰状のように両手で新刊を差し出す。ダニエルも両手で受け取り、ページを開いた。
(こりゃあ――!)
少女漫画風の愛らしい挿絵付きで、各店舗のラッシーの特徴をわかりやすく説明している。
そこだけでも充分に力が入っているというのに、更に完成度の高い部分がある。主人公の少女がラッシーを嚥下する描写だ。首筋から鎖骨に伝ってゆく汗。上下する喉の動き。飲み下した後に潤んだ目を細めて、頬を上気させる少女。究極のラッシーを求めて旅する少女の肉体が実在すると錯覚するほどの筆力。
「すごく……うまいな」
「君の本も愛情たっぷりで祖母のように暖かいですよ」
皓月の実力に打ちひしがれるダニエルは気付いていない。ダニエルの頒布物も壁サーになるポテンシャルを秘めているということに。
「スイーツ本は一定の需要がありますし、もう少し刷っても良いと思います」
手にした本をパラパラとめくり、皓月が横目でダニエルを見やる。ダニエルの密かなガッツポーズに、皓月は本心からの笑みをこぼした。
「とても賑やかな場所。楽しみね」
「今日は一緒にがんばろうな」
混沌の場に似つかわしくない、穏やかな雰囲気を醸し出す二人組が一つのスペースを使っている。
リルピスはテーブルクロスを敷いた机の上に愛読書の二次創作本と押し花を使った栞を並べる。
アスルは自作のポエム本をテーブルに置き、その隣に買い込んだスポーツ飲料やお菓子を並べた。
「姫はどんな本作ったんだ? オレも見ても良い本?」
その言葉にリルピスの心臓が跳ね上がった。
「えっ? 駄目なことはないけど……」
リルピスは頬を染めて目を泳がせた。彼女の本は殆ど一次創作に近い代物だ。女流探偵に自分を、幼なじみにアスルを投影しており、ストーリーは二人の恋愛を中心としている。覚悟を決めるには少し時間が必要だ。
「オニオオハシには何買おうかな」
空気を変えるためアスルが立ち上がり、スペースを離れようとする。
「待って」
リルピスは咄嗟にアスルの上着の裾をつまんだ。愛しの姫のご希望に、アスルは身動きが取れなくなる。
「わたし、アイスを食べてくるから。これを読んで待っていてほしいわ」
リルピスは俯いたまま本を差し出した。それから早歩きでアイスの屋台へ向かう。
残されたアスルはパイプ椅子に座り、手渡された本に目を通した。それにしても主人公が可愛い。主人公の幼なじみは事件に傷ついた主人公を後ろから抱きしめるなど気の利く奴で、少し羨ましい。
可愛らしい物語を楽しんでいるうちに、アイスで熱を冷ましたリルピスが帰ってきた。珍しい味の異世界のアイスは彼女の味覚を楽しませ、羞恥を緩和してくれた。
「姫が書いた本、可愛い話だよな。主人公の女の子、かわ……いや、なんでもない」
アスルは思わず本音を漏らしそうになった。主人公を褒めようとしたアスルに、リルピスはモヤモヤとした気持ちを抱く。
「なぁ、オレのポエム本も読んでほしいんだ」
彼女の気持ちを知ってか知らずか、アスルは自分の本をリルピスに手渡す。拒否する理由を作れずに、リルピスはアイスのカップを机に置いて本を開く。
「素敵……」
紙面には愛や希望が詰まった言葉が踊っていた。誕生日に聴かせてもらった歌を彷彿とさせる言葉たちだ。リルピスの胸に温かな感情が降り積もってゆく。
「アスル。また、あなたの歌を聞かせて」
リルピスは感情を解き放った。アスルは一瞬きょとんとしてからニカッと笑う。
「オレの歌ならいつでもどこでも喜んで。リルピスに聴かせたくて書いたのばかりなんだ!」
後ろ頭をかきながら照れるアスルが正直に口にする。だからリルピスは自分を少し恥じた。
「ところでさ」
アスルは身をかがめて机の下をくぐり、反対側からリルピスと向かい合った。
「栞を一つください」
半夏生の栞を指さして、アスルが買い手のふりをする。
「ふふ。おまけするわ」
リルピスは緑のシーグラスのヘアピンと共に、彼の手のひらに内気な情熱を乗せた。
「えっ? これと交換するの? ……別に良いけど」
泉河・羊は青髪の女性から、篠森 繭の自作小説と恋の星占い本の交換を申し込まれ、了承する。手にした途端に勢いよく本を開いた女性に「じゃあね」を伝え、羊は繭のスペースに戻った。
「羊ちゃん、お疲れ様」
繭の優しい笑顔が出迎えてくれる。なんだかほっとしてしまう。
「あの青髪のお姉さんすごい食いつきだったよ」
「興味持ってくれたんだ……! えへへ、嬉しいなあ」
無邪気に喜ぶ繭に、青髪の女性から買ったナマステ本と交換で貰った本を渡し、羊はふぅっと息を吐いた。
「初めて来たけど楽しいね」
それから強気な笑顔になって、屋台で購入したスコーンも渡す。
「わ、いい匂い! じゃあ休憩しよっか」
焼き菓子のふんわりとした甘い匂いに繭はうっとりとした表情を浮かべる。ずっと座っているのもそれはそれで疲れるものだ。
「冷たいお茶もあるよ!」
羊がお茶を用意する間、繭は交換で貰った本の表紙をうっとりと眺めていた。
「繭ちゃん……恋?」
羊の何気ない一言に繭の瞳孔が開く。
「恋っていうか……! 恋愛小説とかは好き、だよ」
繭はやや取り乱しながらも、羊に渡す自作小説を震える指で一部確保する。
「恋愛小説も書くけど、今回はこういうのが書きたかったんだよね」
お茶を机に置いた羊に、繭が再び自作小説を手渡す。
「双子の姉と死に別れた妹が、彼女の代わりでない一個人として幸せになる」そういう筋書きの本を。
楠 三夏はふらりと立ち寄ったお祭りにて、奇妙な本を手にした。
先輩――高橋 佳乃子によく似た少女が表紙に描かれた『■■■■■遭遇アンソロジー』だ。
ぱらりとめくった見本誌の内容は不気味だったが、これだけ描かれているのだ。佳乃子似の少女が主役で間違いないだろう。
オカルト好きの佳乃子のことだ、これを渡せば好意的なリアクションを返してくれるに違いない!
「一冊ください!」
元気に小銭を差し出す三夏に、不思議な売り子が冊子を差し出す。
三夏は人の少ない柱付近でしゃがみ、一足先に内容を確認した。お化けが少女を遠くから眺めて一挙手一投足を観察する漫画が一番手。妖怪が少女を脅かそうとして大失敗を繰り返す小説が二番手。
(これ、お化けとかの方が先輩に似てる子を怖がってるように見えるんだけど……?)
というかどの話も怪異側が主人公で、少女は添え物のように思える。誰が描いてるんだろうこれ。さっき会ったばかりの売り子の顔が思い出せない。奥付を確認する。
「何これ?」
最後のページには文字らしきものが並んでいるが、ぐちゃぐちゃで読めない。でもこれだって何かの演出かもしれない。なんかホラーっぽいし。
「後で先輩に見せよ!」
三夏は佳乃子の控えめな喜びを想像して鞄に突っ込む。次に鞄を開いたときには異様な本は跡形もなく消えていた。
スペース内に天使が三人寄り合っていた。
三人のうちの一人、畔上 茜音がアポナントカという番組の天使を可愛いと思った結果、揃って頭に天使の輪を乗せることになった。
「ふふ、茜音ちゃんとってもかわいい!」
「えへへ、あんも可愛いよ!」
遠野 杏樹が茜音をふんわりと抱きしめる。茜音も優しい抱擁を満面の笑みで受け入れた。
「ルカ先生も天使の輪でお揃いね」
微笑ましい二人の様子を眺める間もなく準備に追われる数井 ルカの背に触れ、杏樹が笑いかける。
「るかちゃん、羽根も付けよう、羽根!」
茜音は予備の羽根を取り出すと、ルカの背中にぺたりと貼り付けた。
「やってくれたね茜音ちゃん。ボクが本物の天使になってしまったよ!」
茜音の可愛いいたずらにルカがクスリと笑う。天使のサークルだというのに、頒布物は『わかりやすい! 現代最新物理学』。厚すぎる本だが、美人天使一人と美少女天使二人が売り子をやるのだから問題なく人は集まるだろう。
「おひとついかがですか?」
「勉強できるようになる本ですよー!」
愛らしい笑みを振りまく杏樹と茜音の呼び込みに男性客が足を止める。それから本を見て表情を硬くした。
「大学准教授が解説してる本だよ、品質は保証するよ」
すかさずルカがセールストークを開始する。
「……あ! 光の屈折! 虹のでき方とかシャボン玉のお話が楽しいです」
胸の前で両手を合わせて杏樹がカラフルな話題を挟み込む。
「花火の色とか楽しいよね♪」
茜音もずいと身を乗り出して、負けじと楽しい物理学の話題を振る。
天使三人の巧み(?)な話術を受けた客は分厚い本を購入し、軽い足取りで去った。
「いやー語りに語ったら熱くなっちゃって」
ようやく一冊売れた本についてルカが弁解する。熱意に比例して本が厚くなるのは仕方ない。
「私は素敵だと思うよ。ルカ先生の好きをいっぱい詰めたんだもの」
杏樹はにこりと笑って見本誌を開いた。ルカの情熱が滲む本を手にすると、なんだか優しい気持ちになれる。
「るかちゃんの楽しいがいっぱい入ってるから、わたしたちも売り子を頑張れるんだよ!」
茜音が胸の前で小さな両手をぐっと握る。二人の暖かさを受け取ったルカは、再び呼び込みに精を出した。
枸橘・由加奈は友人のスペースで留守番をしている。端っこに置かせてもらった自作小説はそれほど刷っていないが、それなりに売れている。後から来る予定の高坏・夏琥の分は確保してある。
「遊びに来たよー!」
情熱的で明るい声が届く。夏琥だ。小さく手を振って元気をまき散らしている。
「これ。ナッコにはタダであげるよ」
「ども。処女作ってヤツだね」
本を受け取った夏琥はまず、裏を見た。丁寧なあらすじが記載されている。
「なんか文庫本みたいだな」
夏琥が黙読する。由加奈は膝に両手をついたまま緊張の面持ちで反応を待った。
「ヒロインを助けてくれる人、ジャカルタ料理店のバイトのお兄さんがモデルでしょ。あのガタイのいい外人の」
由加奈は目と口を大きく開き、全身をわなわなと震わせた。なぜわかった。じゃない。
「ち、違うよ! これは元ネタとかないからっ!」
そう、ヒロインもヒーローも由加奈が考えた架空の存在だ! 架空の存在だよ!
「いやー、青春だねぇ」
頬を赤らめながら必死に否定する由加奈に、夏琥の笑みは絶えない。
「そ、それより友達帰ってくるから、他のとこ見に行こうよ!」
『ホワイト』とか『祖母の知恵袋』とか片っ端からサークル名を挙げ、由加奈は夏琥のからかいを無理矢理中断させる。
ほどなく帰ってきた友達と留守番を交代し、由加奈と夏琥は雑踏に溶けた。
【執筆:眞石ユキヒロ】
「ここは一体……」
「オレ達、何処にいるんだ?」
気が付くと、ウォーゼルとパルドは見知らぬ場所を彷徨っていた。
――そこは熱と人で溢れていた。
ある者は何かのキャラクターを模した扮装で、ある者はその扮装した者に群がり熱い視線を向ける。集団が熱となり、暑い季節を更に熱くしている。
「で、オレ達は何でこんな格好を?」
「わ、わかんないよ」
2人とも普段の格好ではなかった。パルドは天使、ウォーゼルは悪魔の格好をしていた。しかも、
((何で女装……?))
2人揃って女装であった。こうなった記憶は無い。
気が付くと見知らぬ場所。記憶に無い扮装。謎が多い中、解る事が一つ。
(ウォーゼルが可愛い件について)
(パルドが可愛いんだけど)
2人とも可愛くなっていた。ハーフビーストの天使と悪魔で見た目は女の子。可愛くない事があるのだろうか、いや無い。
互いを横目で見ては視線が合い、目を逸らす。そんな様子に周囲が生暖かい視線と熱い視線を送る。
「――ひょっとして、これが噂のドゥジンの祭典ってやつ?」
「ということはこれも全部ドゥジン神って奴の仕業なのか?」
パルドの言葉に「もしかしたら」とウォーゼルが頷く。
この狂気すら感じる者達。ドゥジン信仰による祭典なのだろうか。
「すいませーん」
考え込むパルドとウォーゼルに、話しかける者がいた。
「写真いいですか? いいですね? いいよね! ではポーズお願いしまーす! 可愛いポーズで!」
2人が返事をする前に話しかけてきた者――リルク・C・ラトウィッジの勢いに押されてしまう。
「そうそう、いいよいいよー! 目線こっちでー!」
気圧され言われるがままポーズを取るパルドとウォーゼルを、撮りまくるリルク。
「うわぁ可愛い天使と悪魔の女の子だぁ!」
そんなリルクの後ろから別の少女――ルーシェ・アルジェントが2人を見て声を上げる。
「ルーシェも混じる?」
「いいの!? 撮って撮って! 一緒に撮ろ!」
「それじゃそこに入って! 後そこの2人は女の子じゃなくて男の娘ね!」
「え、嘘男の子!? 見えない!」
リルクの言葉に驚くルーシェ。そんな2人に戸惑いつつもポーズを取らされ撮られるパルドとウォーゼル。
「困ってるかと思って声かけようとしたんだけどなぁ」
そんな光景を眺めつつ、ジルギス・ランバートが呆れたように呟く。
「むしろ私達が困らせる側になっていますね」
エィレニア・ティス・フェンガーリが苦笑しつつ言う。
「それにしても、あの2人が男の子……」
エィレニアが呟きつつ、隣の男性をチラリ。
「ん? どうかしたか?」
「いえ、何も」
エィレニアが「男の子も可愛くなるのですね」と小さく呟いた。何か芽生えつつあるのだろうか。
――リルク、ルーシェ、ジルギス、エィレニアも2人と同じ様に見知らぬ場所を訪れていた。
ただ2人よりも順応性が高かった4人は、郷に入っては郷に従えと、仮装だらけの会場を楽しむ事に決めた。
ルーシェがたまたま持っていたコミック『ホワイトレター』に登場するキャラの衣装で仮装する事になり、ジルギスとエィレニアはガード、リルクはエクスプロア、ルーシェはディレッタントの衣装をそれぞれ纏う事が決まる。
この光景を撮影したい、と周囲を撮影していた所で2人と遭遇したのであった。
「はーい、それじゃガードのお二人さん、もっとくっついてー」
散々3人を撮ったリルクが、今度はジルギスとエィレニアを撮影することとなった。
「こんな感じ?」とノリノリのジルギスに対し、(ち、近い近い!)と緊張で硬くなるエィレニア。
「表情硬いよー? 可愛いのに勿体無いよねー?」
「ん? そうだな、普段と雰囲気違ってこういうのも似合うぞ」
「うぇ!? じ、ジルもその、強そうで似合ってます、よ?」
「いいよいいよー! 初々しいよー!」
ガード姿の2人に、リルクがフラッシュを浴びせ捲っていた。
「結局、ここは何なんだ」
「よくわからないね」
写真を撮られまくり、休憩中の2人が呟く。
「ん? それならさっき貰ったパンフに書いてあったよ」
そう言ってルーシェが紙を取り出そうとした時だった。
「そんじゃ今度は全員で記念撮影するよー!」
「あ、やるやる! ね、行こ!」
リルクの声にルーシェはパルドとウォーゼルの手を取り駆け出す。
――紙にはこのように書かれていた。
――『国際展示場 パカケット コスプレ広場』と。
●
「目線! 目線下さい!」
「こっちポーズを!」
シャッター音とフラッシュ、そして数多の人。
その中心にいるのは女天使と男悪魔。
「何で対キャラコスなのさ」
男悪魔の格好――ルミルが笑顔で囁く。
「そっちこそ真似すんな」
女天使の格好――メルク・メルクリウスも笑顔で答える。
ルミルとメルクはコスプレイヤーであり、互いをライバル視している犬猿の仲である。
このパカケットで如何に互いのファンを奪えるか、という事を目論んでいた。そうすれば自分が満たされる、という理由で。
選んだのは女性のルミルが男悪魔のキャラ、男性のメルクが女天使のキャラだ。
どちらも対なるキャラであるが同じボカロ系作品のコス、という共通点があった。更に言うとペアキャラ。
そんなペアキャラで知名度の高いレイヤー2人が出会うとどうなるか。
「あの2人がコラボするなんてなぁ」
「いやぁ奇跡の瞬間に出会えたわ」
奇跡のコラボ、と思われてしまったのだ。ファンを奪う所ではない。
否定しようにも、ファン達の眼差しを見ては言葉が出ない。結果、コラボと言う事で押し通すしか無かった。
「あんまり寄りかかるな」
ポーズをとりつつ寄りかかってくるメルクにルミルが笑顔で言う。
「しょうがないだろ、こちとらコレなんだから」
そう言って不自由な足と杖に笑みを浮かべたまま視線を向けるメルク。
「……何だよ?」
「別に。そっちこそ何見てんの?」
「別に」
ふと、互いに視線を感じる時がある。内心、こう感じていた。
((コイツ見た目は悪くないんだよなぁ。まぁ、自分の方も負けてないけど!))
お互い、ライバルなのであった。
●
「ありがとうございました!」
写真を撮り終え、リディア=マッケンジーが深々頭を下げる。
「わたし達もホワレ合わせで撮影できてよかった~」
「うんうん、ガード制服可愛いね~それ」
そんな風に言うのはコスネーム『エンジェル』と『ミーニャ』ことマリア ブラックドリームとミーニャ・ローバー。
3人はそれぞれ『ホワレ』の格好をしており、その縁で一緒に撮影を、と言う事になったのである。
「設定上露出が多いけど、この暑さだと助かってるよ」
「この暑さだとね~。『アメリア』ちゃんの格好はまだいいけど」
「『月鈴』は布が多くてねぇ……」
リディアは作中登場する『ガード』の制服を纏い、ミーニャとマリアは登場キャラの『アメリア』と『月鈴』の格好をしている。
「ここで『月鈴』殿と『アメリア』殿に出会えて良かった……『月鈴』殿は麗しいし、『アメリア』殿は可愛いし……」
リディアが感慨深げに言う。何となく合掌しそうな表情だ。
「『アメリア』ちゃん可愛いよね~この格好にして良かった~」
ミーニャは嬉しそうにその場で回ってみる。その姿をリディアは撮影していた。
「麗しい、か……」
マリアはそう呟くと姿勢を正し、一回咳払い。
「どうも、ありがとうございます……と、こんな感じかな?」
「お~! 『月鈴』だ!」
マリアのキャラに合わせた動きにミーニャが感激したように声を上げる。
「あぁ……実在していたとかもう無理……もしかしてホワレは現実だった……?」
リディアは合掌して意識が何処かに飛んでいた。が、すぐに現実に戻る。
「ちょっと視界に知人が入り込んだのでこの辺りで失礼! ホワレ合わせでありがとうございました! ぬ、流石忍者素早い! でもグラバ―ルを無礼るなぁッ!」
まるで嵐の様に走り去ったリディアに呆気にとられるマリアとミーニャであったが、
「わたし達も回ろうか」
「そうしよう!」
すぐに思い直したように笑みを浮かべ、歩き始めるのであった。
●
「うーん、HANA君はやっぱ表情硬いな~。もっとリラックスしなきゃ」
「……俺はリラックスしているつもりだ、ルカ」
出来上がった写真の感想を述べたコスネーム『杉野ルカ』こと仁科 清香に、同じく『HANA』こと花霞 流人が言う。2人ともゲームの戦国武将系の格好をしている。清香は女性だが、格好から男性に見える。
「まぁキャラと合ってるからいいんだけどね。でも同じ雨宮さんは表情変えてないのに自然というか」
「まぁ、撮られるのは慣れているので」
雨宮・紅緒が淡々と言う。紅緒は別のゲームの美少年キャラの格好である。バイト仲間に力説されてする事になった格好だ。
ゲームジャンルの異なる格好であったが、同じ男装である紅緒を見かけた清香が一緒に撮影する事を持ちかけ、ついでに同類の2人も撮ってみようという事になったのである。
「ではこれで。写真、ありがとうございました」
「いやいやこっちこそありがとうね~」
写真を貰って頭を下げる紅緒に、清香がひらひらと手を振る。
「突然ルカが声をかけてすまなかったな。付き合ってもらって礼を言う」
流人も紅緒の顔を見て言う。眉間に皺が寄っているのだが、これが素なのだろう。
「いえ、貴重な体験でしたので。では」
軽く頭を下げ、去る紅緒。その後ろでは「だから皺!」と清香が流人の眉間を指さしている。
(あれで付き合っているわけではないのか)
少し離れて、紅緒は振り返り2人を見る。撮影中少し会話したのだが、2人は恋人関係ではないという。
『そんないいもんじゃないよ。もっと面倒な関係』
彼らに何があったかは知らないが、仲が悪いようには見えない。この関係を流人は『傷の舐め合い』と表現していた。
不思議な関係だ、と感じた紅緒は2人が気になり観察していると、清香が別のレイヤー達に声をかけられていた。
笑顔で対応する清香の様子を、流人が仕方なさげに見ている。と、流人が清香に注意されているが、恐らく表情の事だろう。
恋愛感情抜きの特別な者同士。そんな2人を見て何やら紅緒の中に揺さぶられる感情があった。
この感情は何なのか紅緒には良くわからなかったが、似たようなことを友人が力説していた事をふと思い出す。
「――これが尊い、という事?」
紅緒は何か学んだようだ。
●
(――何故、こんなことに)
答えの無い問いを古馬・真は自分自身に投げかける。
真は警備としてコスプレ広場の見回りを担当していた。先程も悪質な撮り手を注意してきた所だった。なのに、
「このポーズは!?」
「いいぞぉ! 見ているだけで元気になってくる!」
撮り手の被害者――ラティが取るポーズを真は撮影していた。その後ろでは広場に迷い込んできたという老人――ディエゴ・ヴォルテッソが激励している。
ラティの格好はホワレのガードの制服だ。露出の多いその格好は悪質な撮り手の餌食となりやすいが、ラティは最初笑顔で対応していた。「元気を与えるのが自分の役目」という信念から、笑顔で対応していたラティ。
だが捕り手は調子に乗り色々とエスカレート。それを見回りに来ていた真が止めに入ったのだ。
事態は収束したが、ラティは悩む。表現の仕方が解らない、と。
色々と際どい格好に真はその悩みの答えを出せないでいたが、そこにふらりと現れたディエゴが言う。
「――とりあえず、君自身を知ろうじゃないか」と。
(振り返ってみたけどやっぱりわからないのですが!?)
真が内心叫ぶ。何がどうしてこうなった。
混乱する真を余所に、ディエゴは色々とポーズの指示を出す。
その指示に従っていく内に、段々とラティの表情は先程の笑顔と違って、晴れやかな物になっていた。
「どうだい?」
一通り撮り終え、ディエゴがラティに問う。
「とりあえず、すっきりはした!」
「そうかいそうかい。ところで良ければこの後一緒に――」
「色々ありがとう! それじゃ!」
そう言って走り去るラティの顔は晴れやかだった。悩みは解消したわけではないが、何か得る物があったのだろう。
その後ろ姿を、ディエゴは何も言わずいい笑顔でただ見ていた。
尚、
「撮るの下手過ぎるだろ」
「申し訳ありません……」
真が撮った写真は見れた物ではなかった。被写体をまともに見る事が出来なかったから。仕方ないね。
●
「――で、何がどうしてこうなった?」
黒髪ポニーテールの少女、八上・麻衣が見下ろして言う。
麻衣はコスプレ広場の警備を行っていた最中、大きな物音を聞きつけた。
すぐに駆け付けた先――そこは惨状だった。倒れている少年の格好をした者。散乱する段ボール。
「さ、さぁ……あたしもさっぱり?」
そして、転がる生首の従姉妹――八上 ひかりがそこにいた。麻衣は頭を抱えたくなった。勿論自分の。
時間は少し前に遡る。
「急患ー! 急患ー!」
某漫画の主人公の少年の格好をした舞台俳優兼声優の鳴上旭ことカタバミ・ナルカミが、何かを引き摺って走っていた。
「いやあの、自分であづっ!?」
引き摺られているのは長い金髪の赤目の吸血鬼の格好をした柳葉 崇。途中舌噛んだ。
崇は最初、更衣室を目指していたはずだった。会場は暑く、熱い。そして長い髪がうっとおしい。切りたいけど切れない。
持っていた自作の巨大ロザリオも壊れそうだし、もう脱いでしまおうと更衣室へと向かっている最中だった。その様子が体調が悪そうに見えたのだろう。
「そのままでは危険だ。吾輩、じゃなく僕が救護室へ連れて行こう」
偶々通りかかったカタバミが、崇の否定の言葉を聞かずに連れて行こうとした。
しかしここで問題が発生。カタバミは小柄だ。小学生の格好でも違和感が無いレベルである。
本来であれは友人がライバルキャラの格好をして同行するはずが、今は居ない。標準体型の崇をカタバミだけで引っ張っていくのは難しい。
だがそこでカタバミの目に入ったのは崇のロザリオ。カタバミは自分の格好の漫画――小学生のスパイ物を思い出す。
作中の歴戦のスパイはこう語る。『段ボールは世界を制する』と。
次の瞬間、ロザリオは担架に変わっていた。
「これ流石に無理あぶぇっ!?」
崇の言う事を聞かず、担架は走り出す。
――結果だけ言おう。人ごみを避けきれず、突っ込んだ。担架にブレーキは無い。仕方ないね。
「ね、ねぇ大丈夫!?」
倒れたカタバミに声をかける者が居た。
すぐそばから聞こえるその声は、転がる生首から発せられていた。
カタバミは意識を失った。仕方ないね。
「で、なんでひかりはここに?」
「あ、あたしはちょーっとしたトラブルっていうかー……小道具に間違われた」
麻衣の問いにひかりが笑いながら答える。
――ひかりはデュラハンの格好をしていた。撮影の間は頭を脇に抱えていたが、休憩のタイミングで傍に置いていたら通りがかりの人が小道具の忘れ物と間違えた、というのだ。
「いっくら抗議しても聞いてくれないし、そんな時にこの人たちが突っ込んできて、って話」
ぷりぷり怒るひかりに、麻衣が溜息を吐く。
「……とりあえず、救護室と遺失物係だな」
「え、いやだからあたしは忘れ物じゃ――」
問答無用とひかりの頭を脇に抱えると、麻衣はカタバミを救護室へ運ぶ為別の運営を呼ぶのであった。
「――更衣室、遠いなぁ」
尚衝撃で吹っ飛ばされた崇は、偶然別の段ボールに刺さっていた。
●
――コスプレ広場の狂乱は、まだまだ終わりそうにない。
【執筆:高久高久】
「パカケットですよ坊ちゃま! パカケット!」
長い黒髪に和服と割烹着。加えて黒と赤のオッドアイ。まさにこの場にうってつけの要素盛り盛りで会場に現れたのは、大和撫子然とした見目の仙葉・珠藻。何とこれでコスプレではない。全て自前である。
「え? ぱかけっと? 何それ。新しい煎餅?」
「は? 煎餅? 殺しますよ?」
「アッ、ハイすみません」
なんか殺すとか言われた。主従関係でありながらそんな珠藻に辛辣な言葉を浴びせられるのは鬼前・蔵人だ。いつにない彼女の勢いにたじろぎつつ主ながら一応敬語で謝っておく。
「パカケットとは世界で最も熱い夏の同人誌即売会。私のようなレイヤー兼同人作家にとって戦場! この一年の成果を見せる場所ですよ!」
鼻息荒く説明する珠藻がいまいち状況を理解しきれない蔵人を連れてあれこれ見て回っていると、今人気のソシャゲを扱う島にこんもりと人集りが出来ている事に気付く。掻き分けて進めば、人山の中心には黒髪を一本の三つ編みにした華奢な影が大量の同人誌を抱えて立っている。サインを求める人には笑顔で応じ、ここで固まると通行の邪魔になるからと群衆を率いるその姿は。
「もしや貴方様はクラディール・ソニウム様では!?」
「はい、そうですが」
慣れた様子で応じたクラディールは版画家であるが、複数のソシャゲでキャラデザも担当している売れっ子だ。両手に抱えている本は全て自分の担当キャラを扱った物で、我が子みたいな物ですねと全年齢だろうと無かろうと片っ端から購入しているようだ。創造神降臨とは恐ろしい話である。珠藻が興奮気味に握手を願えば快く応じ、更には通りすがった担当キャラのコスプレをした参加者を呼び止めて、丁寧に撮影の許可を得ていた。
どうやら有名人らしいという事だけ察した蔵人は、なんかすごいなーなどと思いつつ、視界に入ったゴスロリ衣装の一団に釘付けになる。
「ゴスロリ良いよね。何とかあの人も色んなの着てくんねーかな……」
「私が着ても良いんですよ?」
「珠藻のゴスロリはもう見飽きたからいいよ」
「は? 飽きた? 主人といえども殺しますよ?」
「いや、え。ごめん」
軽快なやりとりが楽しい主従である。
「アルフライラの熱帯性気候に慣れた自分なら、日本の夏なんてへっちゃらよ!」
すれ違う人の賑わいにそう意気込むのはモエカ・カワムラだ。東方的アレンジを施したセイジの制服は現代のパカケットにおいて浮くどころかコスプレ的魅力を擁し、髪型も相まってすっかり会場に馴染んでいる。だがモエカは即売会における暑さ対策を軽視してしまった。順路の照り返しに密集する人波。汗と情熱が会場に雲を作る程の異様な熱気にあてられて目眩がする。気付いた時には彼女は救護所に担ぎ込まれていた。
「ハァハァ、早く行かないと新刊売り切れちゃうよぉ……」
くらくらしたまま床を這って再入場を試みるが、彼女を看ていたスタッフによって無情にもベッドへ戻されてしまう。
「駄目ですよお嬢さん。しっかり水分補給をして休んでください。ここで無理をしたら、欲しいものが買えなくなるかもしれませんよ」
そんなモエカに優しく声を掛けるのは、医療スタッフとして参加していたアルシェイド・ファーナだ。夏のイベントは暑さで熱中症になりやすいし、体調を崩す人もいるはず。具合の悪い人を見かけたら無理にでも連れてきて貰うようにと見回りスタッフにお願いしておいたのが功を奏した。無理をしたら命の危険もある。力なくもがいている彼女は気の毒だが、何よりも人命が優先だ。念の為冷却シートをあてがい、吸収の早い経口補水液をてきぱきと用意し、ペットボトルの蓋を開けて手渡す。
「僕は医者ですから」
そんな医者と患者を見守っていたのは、スタッフとして参加しているエドアルド・ジョルニフェリチェだ。モエカを救助し、救護所まで運んできたのは彼である。落とし物を拾うどころか体調不良者を無事に助けられた事に安堵しつつ見回りを再開しようとすると、聞き覚えのある声が彼の耳に届いた。
「わあぁ、これが最大級の同人誌のお祭りなんですね……!!」
きらきらと瞳を輝かせるのはユエ・ネージュ、隣りにいるのは九頭 龍華だ。
(アルフライラより暑い、物理的に暑い)
世界で最も熱いイベントというのは本当だった、と龍華は思う。暑さに弱いはずのユエよりも、龍華の方が会場の熱気と湿気にやられているようだ。
「ユエの探している本が見つかるといいな」
「わたし、美容や草花の本があればほしいです!」
楽しげなユエに話し掛ければ輝く笑顔が答え、目当てを見つけたのかぱたぱたと走っていった。
(エドアルドもスタッフとして働いているらしいが会えるだろうか)
ユエを見送りながら龍華が後輩を思えば、直後その本人の声が大きく響いた。
「龍華さん! あれ、アーヴィンさんも!」
少し離れた所からぶんぶんと手を振って走ってくるエドアルドが龍華の背後に視線をやると、そこには常と変わらぬ私服に身を包んだアーヴィン=ホワイトがいた。
「わあ、知り合いと会うなんて偶然ですね! こんにちは!」
少しならお話ししても怒られないでしょう、とエドアルドが挨拶をすれば、龍華も手を挙げて応える。顎に指を掛けて考え込むアーヴィンは目線だけで二人を見て、お前達はこの状況をどう思う、と尋ねた。
「他の世界と繋がったと考えるべきだろうし、由々しき事態でもあるのは言うまでもない」
本業が探偵と言い張る彼らしく見解を披露するも――。
「とは言え、細かい事を考えるのは野暮というもの。今日は喫茶店の常連客達とパカケットを存分に楽しもう」
意外と乗り気だったようだ。どのジャンルにご興味が? とエドアルドが尋ねると、よく聞いてくれたとばかりににやりと笑う。
「同人誌は二次創作よりもオリジナルを俺は好む。好きなジャンルは冒険活劇だ。壁よりも島で発掘するのが俺の楽しみさ」
乗り気どころか用語や楽しみ方まで会得済みである。
そこへ、綺麗な花のイラスト本などの戦利品を抱えたユエがホクホク笑顔で戻ってきた。三人の会話も聞こえていたらしく元気に挨拶した彼女は、一人一人に雪結晶のチャームを配る。手作りなんですって、今日の記念にお揃いでつけましょう、と微笑む彼女に全員が笑顔になる。
「ロンファ先輩も好みの本が見つかるかもしれませんよ!」
「私は食べ歩きの本を見つけたい」
少しの歓談の後は各々が戦場へ戻っていく。洋洋と島へ繰り出すアーヴィンに、食べ物系の島を探す女子二人。知己に会って思わず話し込んでしまったが、仕事は全うしなくてはと、三人を見送ったエドアルドも持ち場に戻るのだった。
熱気溢れる会場に一陣の薫風が吹く。暑さや湿気すらも吹き飛ぶ、絵に描いたようなパーフェクトカップルの登場に、戦士達は慄いた。ジュスト・ヴェルジーとローザリカ・L・ディオールの二人は初々しい高校生カップルだが、彼らの華やかな見目は会場の大多数の人間の心を容易く挫く。だがそんな事を知る由もない二人は、和やかに買い物に勤しんでいた。
即売会を積極的に楽しんでいるのはローザリカで、ジュストは今回デートという誘いに釣られた哀れな荷物持ち要員である。ヲタク文化に殆ど触れずにきた彼は、それらに理解はないが偏見もない。一方でローザリカは見る専である。ジュストを従え、純愛系NL同人誌を入手しまくっていた。
「あ」
荷物持ちとはいえ頼られて嬉しいジュストは文句も言わず上機嫌で付き合っていたが、彼女が年齢指定本を手に取るのを見て思わず声が漏れてしまう。
「ち、ちが……! 絵柄が可愛かったから……!」
うっかり過激な物まで手に取ったのがバレたローザリカはプチパニックに陥るも、ジュストはのんびりとしたものだ。まぁR15だから問題ないか、と小さく笑って言う。
「うん、そうだね可愛いね」
絵柄よりも君が。そう言って逃げ出さないよう背後から抱き締めてくる恋人にローザリカは叫び出しそうになるが、彼女も淑女。スペース前で騒げば迷惑となる為その本もしっかり購入する。気まずさか、それとも恋心か。彼女の胸はいつまでも心臓が煩い。
刺激的な光景にどきどきしつつ歩を進めるのは、狛江 美結と弓近 栞だ。
(栞が横にいてくれてすごく心強い)
心素直になれる親友である栞と共に、美結は芸大で噂になっていたパカケットに一般参加デビューしたのだった。独特の雰囲気に気圧されつつも、二人で各所を見て回っていく。
ふと見つけた少女漫画のような綺麗な絵柄に引かれて美結は立ち読みを試みるも、みるみる顔が真っ赤になっていく。紙面に躍る過激な描写と圧倒的な恋愛系同人パワーにあてられて動悸が止まらない。明るく活発な美結はその人柄から恋愛経験も豊富かと思いきや、元々箱入り娘という事もあって実はかなりウブなのだ。
(私は読み物に好き嫌いはありませんが、美結さんはそうでもなさそう)
心配になった栞は、美結の手を引いて移動する。
「美結さん、見てください! お花ですよ」
恋愛同人コーナーを抜けた先に広がっていたのは、植物をモチーフとした装飾品や本などを扱う島だった。
「美結さんは花言葉とか……ご存知ですか?」
にっこりと微笑んで知っている花言葉を諳んじながら、この気持ちを届ける方法はないかな、と栞は思う。繋いだままの手は会場の気温と湿気でじっとりと汗ばんでいくが、赤みの引かない美結の顔を見ていると、まだ離したくはないと思う。
美結は幾分落ち着きを取り戻しながらも、まだ胸の高鳴りを鎮めきれずにいた。
(ドキドキが止まらないのは、栞に手を引かれている所為……?)
随分遠く、仲睦まじく手を繋ぐ若い女性二人の姿を見た沢田・烈司は、自分の視力が戻っている事に気付く。烈司の一挙一動を敏感に察知する仮名 零音は、すぐに彼の異常を察した。混乱しつつも喜ぶ零音に、だが烈司は侵蝕だろうと流して取り合わない。冷たくも見えるが、これが彼らの距離感だ。
アポカリのレネレイ本を求めて訪れた零音だったが、実は烈司を誘った訳ではない。何でれいじさんがここに、と問うても、僕が何をしようが勝手だろう、と釣れない返事だ。そんな烈司は、偶には自分が零音のプライバシーを漁ってやろうといった意図でついて回っているのだった。
訝しみながらも目当てを見つけた零音は、平積みの上から一冊を手に取り即購入する。
「こいつと同じものを」
すると横から烈司がそんな事を言った。驚きに目を見開いて会計の様子を見ていた零音だったが、彼の手に渡ったのが自分の買った全年齢物でなく成人向けである事に気付くと更にパニックを起こす。
「……貴様、こういうのがタイプなのか……?」
「た……タイプというか、れいじさんと僕に似ているなと思って……」
耽美な美しさを湛えた美女二人がもつれ合う表紙を掲げて言う烈司に必死に言葉を返す零音だったが、余計な事を白状してあわあわと赤面する。
「はっ、はぐれるといけないから手繋ぎましょう!」
誤魔化すように言って半ば強引に手を取って歩き出した零音に、烈司は軽く息を吐いて後に続いた。
【執筆:杜ノ門】
そこで耳にしてしまったのだ――その叫びを。
「今年も来ましたね、年に一度の祭典が! どんなにこの日を待ち焦がれたでしょう……」
シェルリア・リトヴァールはそっと目尻を拭い、積み重ねた本の表紙に目を落とす。
それは綿密な取材によって描かれたR18ラミ×ウィル本。
表紙はキラキラのホログラム紙にフルカラー印刷と箔押しという、気合いの入りまくった超豪華仕様だ。
「私、ついに18歳になったので! R18なご本も出せるし買えるんですよ!」
「おめでとうございますわ!」
美雲が満面の笑みと共に声をかける。
「ありがとうございます! 私、頑張りました!」
美雲は自分も同じく、18歳の誕生日を心待ちにしているのだと告げた。
「あと少しですね」
その日が来たら互いに本を交換しようと、二人は固く誓い合うのだった。
警備員の古馬・真は、一般入場の最前列に重石の如く構えていた。
開始のアナウンスと同時に、堰き止められたマグマが溢れ出すように人の波が押し寄せて来る。
だが彼は微動だにせず、その熱量に圧倒されつつも腹の底から声を張った。
「危ないですから、走らないでください!」
それでも人の奔流は止まらない。
「わん!」
基本的に「わん!」しか言えない設定の、犬の格好をした着ぐるみスタッフ、暁 狩奈も身体を張って止めようとする。
なお中の人は古武術の使い手につき、着ぐるみでも動きは俊敏だ。
だがしかし、首に巻かれたピンクのマフラーが濁流に巻き込まれてしまった!
胸に付けた『おいぬさま』の名札はよじれて取れかかり、可愛い顔は人の圧で歪んでいる!
「わん! わん!?」
「皆さん落ち着いて! サークルは逃げませんから!」
おいぬさまを救出しつつ、真が叫ぶ。
そう、サークルは逃げない。
だが本は違う。
「これは競歩だから!」
そんな屁理屈を捏ねて、人々は会場になだれ込んで行った。
「御覧ください、この『好き』にかける一切の妥協なき凄まじい執念!」
アイドル候補生の藤崎 此岸は、マイクを握り締めてその姿を見送る。
「レポーターの此岸です! 今回はこちら、パカケットへやってきました!」
番組の撮影で公然と回れてギャラも入るとか、なんたる幸運。
「皆さんコスプレが凄いですが、僕も負けていませんよ! これは何のコスか……そう、あの東京インソムニアの隠れた愛されキャラ、ゴーントくんです!」
現在地は企業ブース周辺の、比較的ひらけたエリアだ。
「では早速、会場内を回ってみましょう!」
会場に入るとすぐに、通訳の腕章を付けたナタク・ルシフェラーゼが出迎えてくれる。
「あたしは英語とスペイン語が出来るんだ。パカケは外国の人も多いからね、色んな人に楽しんでもらいたいと思ってボランティアしてるんだよ」
インタビューに答えた彼女はそう言うと、助けを求める気配を察して飛んで行った。
企業ブースの一角、冬に発売予定の格闘ゲーム「ホワレサヴァイヴ」の宣伝ブースでは、二ノ宮 鉄騎と朔真の二人が売り子を任されていた。
「鉄サン。俺、思うんですけど……」
「何だ」
「ホワレって、手紙が奇跡を起こす幻想世界ですよね」
それが何故、格ゲーに?
「世界観、合わなくないですか」
「上の方が行けると判断したなら、俺らが口出す筋合いはねぇよ」
それより、と鉄騎は背後を振り返る。
朔真の声は、そこに積まれたダンボールの中から聞こえていた。
「お前……それじゃ仕事にならねぇだろ」
本日、鉄騎は販促の為にガードの制服を着ていた。
朔真には露出少なめセイジの不愛想キャラを宛がってある。
(それでも嫌がるだろうとは思ったが、まさかここまでとはな)
苦笑を浮かべつつ、鉄騎は朔真を引っ張り出した。
「恥ずかしいので……あまり見ないで下さい……」
乙女のように恥じらう朔真を、鉄騎は問答無用で前に立たせる。
「ほれ、仕事だ」
こういった場には慣れている鉄騎は完全にキャラになりきって、チラシ配布から写真撮影までノリ良く難なくこなして行った。
「……鉄サン手慣れてますね……ほんと何でもできるっていうか」
「ほら、お前も」
「えっ、写真……?」
しかも二人のバトルシーンを再現しろと?
「わ、わかりました」
兄貴分の頼れる姿を見せられては、精一杯に奮起するしかない。
そうして朔真は、企業ブースで一番の注目株になったとか――
「きてしまった……」
有田 未華子は、会場近くのカフェで働いている。
それが何故、企業ブースでカフェの宣伝冊子や割引チケット付タンブラーを売っているのか――しかもこんな格好で。
わかっている、近々開催する「ホワレカフェ」に客を集める為だ。
(しかし何だ、このチャラチャラヒラヒラした衣装は)
これは羞恥プレイというものではないのか。
困惑していると、客に声をかけられた。
「すごい、クレセントの完コスだ! 一緒に写真いいですか!?」
未華子にはホワレがわからぬ。
けれども臨時手当アップに対しては、人一倍に敏感であった。
「恥ずかしい……が、これも弟と妹の為だ!」
「おぉ、キャラ把握も完璧!」
自称クライス・アクバーは、世界の真理を追究していた。
その為に必要なのは、この広大な会場で手に入る限り全ての同人誌を買い漁ること。
果たして同人誌から世界の真理など本当に見えるのか。
「いや、そんなことは俺には分からない」
わからないから求めるのだ。
「とりあえず薄異本とやらは必須だ。予算はたっぷりあるぞ」
妥協を知らない男に限界はない。
その時、彼の耳に元気な声が届いた。
「「みんなで行こう! 夏のパカケット!」」
それは和無田 美蘭が主催する、人気マンガ『ホワイトレター』の同人サークルだった。
「いらっしゃいませ!」
アガサ・ロックハートのコスプレをしたお手伝い、ウエンズデイ・リルシュ・キメラプランツがにこやかにクライスを迎える。
今日初めてのお客様に、美蘭は少し緊張気味に椅子から立ち上がった。
「新刊はこちらになります……えっ、そんな遠くから来てくださったんですか!?」
驚きの声を上げる。
「しかも全種類お求め!? ありがとうございます!」
戦利品を抱えて隣に移ったクライスに、二人は深々と頭を下げる。
「これは幸先が良いですね!」
美蘭が嬉しそうに、代金を手元の缶に入れた。
「はい! この調子で頑張りましょう!」
「ウエンズデイさんも水分補給忘れないでくださいね!」
その一件が呼び水になったのか、スペースの前には忽ち人だかりが出来る。
「は~い、最後尾はこちらで~す!」
ウエンズデイはスペースを出て、列の整理に――
「……写真? 私とですか? 嬉しいです、もちろんオッケーですよ!」
ただしこの混雑が解消されてからね!
その隣もまた、ホワレのサークルだった。
「見本、これだ。好きに見ろ」
売り子のテュチュアニエがぶっきらぼうに話しかけてくる。
主催のベアトリクス・アルムガルトは、店番をその子に任せて狩りに出掛けてしまったようだ。
なお本の内容は無名の諜報員である彼女が、アントニオ・デ・オリウエラをストーキングして収集した極秘情報を元に描かれた――とされるアントニオ総受けBL同人誌『●の●に散る』だ。
だが表紙にも奥付にも彼女本人の名はなく、後書きに「作画は絵の上手い特務局員に丸投げしました!」と堂々と書かれている。
名もなきゴーストシナリオライターなら、後で怒られることもないよね、多分!
「いらっしゃいませ」
にこやかに微笑んだライリー・ベルは、日頃から創作活動に全てを捧げていると言っても過言ではない、根っからのクリエイターだ。
机に並ぶのは、AnnihEpicaの王子×皇子、皇子攻め本と、ホワイレトターのシバ←レナのエモ系小説本。
何か相当にヤバいものらしく、本人達が来たらすぐに隠せるようにディスプレイが工夫されていた。
それは一見さんには売れないのだと、彼女は先輩の旦那が作ったという委託の占い本を勧めてくる。
その時、一人の女性がライリーの耳元で何事かを告げた。
それを聞いたライリーは黙って頷き、例のヤバげな本を手渡す。
手に入れるには合言葉が必要らしい。
探して来ると言い置いて、クライスは人混みに紛れた。
「あれもこれもと目移りしてしまう。全く、困ったものだ」
まあ結局は全部買うのだがな!
「これは……!」
それを目にしたNは、思わず二度見した。
「これは……!?」
幻覚ではなかった。
「いや、そんな、ありえませんよ。Nちゃんの同人誌なんて絶対ありえませんよ!!?」
思考が口からだだ漏れていることにも気付かない。
「えっ? マジですか? えっ※なことするんでしょう同人誌みたいに???」
みたいではなく同人誌です、正真正銘の。
でもそれって偏見じゃないですか?
「あっ、これ違いますねぐるぐるバットしてぶち撒けた時の写真集です」
ね?
「つーかこんなん誰得なんですか。え、ニッチな方が売れる? そんなアホな……」
同人誌ですから!
その界隈にはホラー系のジャンルが固まっていた。
全体に異界感が漂うその中でも、山田 花子の創作ホラー小説本を並べたスペースは、ひときわ異彩を放っている。
まず目を惹くのは、本人の風貌だ。
コスプレでも幽霊でもないが、その見た目はホラーそのもの。
お陰でスペースは大盛況だった――確実に写る心霊写真のスポットとして。
だが根は純粋で無害どころかお人好しの花子は「撮影は本を買った人に限ります」などとは言わない。
たまに「ア……あの、よければ手に取って読んでみてください……」と小声で呼びかけるのみという謙虚さである。
「ノベルティで御札デザインの栞も憑きます……!」
そこでふと、顔を上げる。
「あ……向こうにいるコスプレイヤーさんキレイね」
視線の先には黄泉川・夜道のサークル「よりみち」があった。
「売り子さんは初めてだけど頑張るよ! 取り置きも楽しみにしてるね」
篠乃木・琢磨は、サークルの手伝いとして夜道の隣に立っていた。
椅子はあるが、座るのはちょっと難しい。
それにサークルの看板としては、立っているのが正しい選択だろう。
今日の彼、いや彼女は、アポカリの天使タクミエル。
長い黒髪のウィッグをポニテに纏め、背中には二対の白い翼、衣装は華やかな花柄の浴衣だ。
「本の内容に合わせてみました」
琢磨はキャラになりきって、ふわりと微笑んだ。
それに応えるように、夜道はちょうど訪れた客に本の説明をする。
「新刊は今季の覇権ジャンル、アポカリプスゼロの二次小説だよ。夢見庵の温泉での話で……」
「自分で言うのもどうかと思いますが、とても良く書いて頂いたんですよ」
天使の微笑に、財布の紐はあっけなく敗北した。
「へへ、百合を書くのは初めてだけど頑張ったんだ。楽しんでね」
お買い上げ、ありがとうございます!
「よみさんもやればよかったのに、ヨミカのコスプレ」
「お客さん逃げるよ」
「俺だって30代の女装だし」
「そんなこと言って、琢磨君さっきも撮影頼まれてたでしょ。とっても綺麗だし人気者だよ」
そこに新たな客が現れる。
「いらっしゃい、どうぞ一冊いかがですか……え、写真も? いえ、それは構いませんけど、本気で……?」
ほらね?
時刻は昼前、朝一番の混雑は落ち着いたが、新たな入場者は増え続けている――そんな時間帯だ。
「焦らないで並んでください、皆さん入れますからねー!」
Lumie=Ver=Beataは普段から様々なアルバイトを頑張ってきた経験を活かして、誘導スタッフとして会場前に立っていた。
誘導の他に、各種案内や困りごとの相談も仕事のうち。
だから分厚い丸眼鏡のちょっと怪しいおじさんにも、臆せず積極的に話しかけていく。
「こんにちは、何かお困りですか?」
青山 青銅は、完全に興味本位で来ただけの超一般人だった。
正直これが何のイベントなのかもよく知らない。
「凄いねえ! こ~んなにでっかいイベントがあったなんて!」
列に誘導され、青銅は素直に従った。
「熱中症に気をつけて、楽しんでくださいね!」
そこから流れ流され着いた先は――
「あれえ?」
入場の列だと思ったら大手外壁サークルの待機列だった。
「ねえねえこれ何? 君は漫画家さんなのかい?」
「そう、私が神だ!」
そこはプロ漫画家、天國・ミカド先生のサークル『天上天下』。
「え、なに本人? 創世の八刃うちの待合室にも置いてあるよ、サインもらっていい?」
「よかろう! だがこの本は病人に見せてはならぬ、刺激が強すぎるからな!」
パカケットはプロの漫画家が趣味で作った危ない本を売る所、青銅おぼえた。 ※違います
野菜の王子様、野々上 宝の運命は変わった。
野菜オンリーに勘違い参加したあの日から、やべー才能に目覚めてしまったあの時を経て、その創作意欲は汲めども尽きぬ野菜ジュースの噴水の如く湧き上がる一方。
彼が本業の合間にサークル参加を始めるのは、もはや必然だった。
そんなわけで、ここは個人サークル「八百屋野々上」のスペースである。
セクシー野菜の可愛いぬいぐるみや野菜グッズに囲まれて、新刊がドンと山積みにされている。
絵本調に描かれた「なっちゃんの夏休み」は、籠から川に落ちて色々な動物に出会い、最後は小さい食卓に――という幸せな冒険物語だ。
「店頭に並ばねぇ子にも幸せにしてやりてぇだろ」
ハスロ・弥生(PN:夢見月)の「ホットチョコレート」は、愛犬のメロンパンを題材にしたファンシー同人誌と写真集を売りにする超健全サークルである――表向きは。
だが夢見月は、裏では超過激なR18のBL本の作者としてその名を知られて……ごめんなさい嘘です、どっちも表です。
今も堂々と、全年齢と、R18が隣り合わせに並んでいる。
大丈夫? 事故とか起きない?
「問題ありません、私がきちんと目を光らせていますから」
売り子として参加している夫のハスロ・ヴィルヘルムが断言する。
事前に売り子知識を勉強してきた彼は、コンプライアンスもバッチリだった。
「はい、メロンパン本を一部づつですね。有難うございます。これからもメロンパンの成長を見守って下さい」
手際よく、愛想もよく、しかし年齢確認は厳しく、決して事故が起きないように。
とは言うものの、彼はR18本の内容を知らない。
妻が頑として中身を見せてくれないのだ。
「ところで弥生」
客が一段落したところで、表紙を指差し尋ねてみる。
「この登場人物はどうして私にそっくりなんだい?」
「総受けが貴方に似てしまうのはしょうがない運命なの……」
弥生はしれっと答えた。
中身は秘密だが、夫に似ていることは否定しない。
それが総受けキャラであることも。
「隣にいる人程、影響を受けるって言うでしょう?」
「……なるほど、それは納得だね」
ハスロ家は本日も平和である。
三反崎 勝生(PN:赤星 忍)の『Orion』と、深栖 侑輝(PN:妃 夏輝)の『天満月』は、隣同士に配置されていた。
お隣さんとはご挨拶として互いの本を交換するのが、即売会に於ける暗黙のマナーである――少なくともイニシエ世代にとっては。
「夏輝先生、これうちの新刊――」
差し出そうとして、勝生は動きを止める。
「え、その新刊何?? 夏輝先生、俺それ知らないやつなんだけど?」
「え、だって言ってないもん!」
奇襲成功!
狙い通りの反応に、侑輝はにっこり良い笑顔で答えた。
天満月では、自身が別名義で商業連載している『Deinosシリーズ』の非公式同人誌を頒布している。
今日の新刊は、その登場人物である二人の喧嘩を描いたケンカップルBL漫画『その鉤爪で切り裂いて』だ。
装丁はB5版36P、中身は当然のR18、そして安定の死ネタである。
一方のOrionの新刊は、大学生男子3人のR18青春BL小説『炎陽』だ。
装丁はA5版60P、表紙は文字のみだが書体と配置のバランス、そして紙にはとことん拘っている。
「少ないけど既刊もありますよー」
登場人物のコスで、勝生は客達に気さくに声をかける。
「はい、年確に協力してくださいね~」
コンプラ違反ダメ、ゼッタイ。
やがて客が減り始めた頃、そろそろ遊びに行こうと思い始めたその時。
「赤星先生、留守番お願いね!」
さっさと完売した侑輝に先を越されてしまった。
「イベント楽しー!」
あの日、夏夜 蛍はとある大学教授のお気に入りになった。
その縁で今日も店番を頼まれたのだが――しかも「今回の新刊は自信あるんだ」と言われて親友の志暮・悠まで駆り出したのに。
「……こうなると、思った」
相変わらずの閑古鳥である。
暇を持て余しすぎた二人は、スペースに「閉店中」の札を置いて旅に出た。
「あれ、ほっといて大丈夫なのか?」
無人のスペースを振り返り、悠が心配そうに尋ねるが、問題はない。
「隣の人、この前も一緒だったし。ゆるっと見ててくれるって」
ニッチなジャンルではある程度顔ぶれも固定し、皆が知り合いのようなものだから大丈夫、らしい。
やがて二人は美雲のスペースに辿り着く。
「いらっしゃいませ、新刊はこの2冊ですわ!」
いずれも天國ミカド先生原作「†BAR†」の作者公認二次創作だ。
「アンラズは原作準拠のハピ! ルキエテは本編に泣いたのでIFハピエン本ですわ!」
流石のハピ過激派、何が何でもハピエン一直線である。
「ルキエテハピエン本?」
蛍がやけに自分と親友に似ている表紙の本を手に取って、首を傾げた。
「お、何か見つけたか? 蛍」
悠がその手元を覗き込み、驚きの声を上げる。
「……こっち、お前にめちゃそっくりじゃん」
だが蛍が注目しているのは、その隣に寄り添う彼女だ。
「チカって女だっけ……(スン」
「んなワケねーだろ、何言ってんだお前……(真顔」
似てる、マジで似てるなんてもんじゃない。
自分で言うのも何だが、この衣装を着たら完コス出来る自信がある、着ないけど。
「あ、天國ミカド新作の二次創作なんだ」
「あー、その名前聞いたことあるわ。新作出てたのか」
「先生なら目の前にいらっしゃいますわ!」
「諸君! 我が新刊は完売した! これより出陣する!!」
ミカドーザー、発進!
解説しよう、ミカドーザーとは買い物をするミカドの後ろに気がつけばファンの列がゾロゾロ続き、通った跡には草の一本も残らないという即売会場名物である!
「はっはっは私が来たぞ! 新刊は取り置きしてあるだろうな!」
「ひひ、ヤバ姉さんは相変わらずだな」
新刊を手渡した宝が笑う。
だがその標的は馴染みのスペースばかりではない。
「このマイナーカプを描くとは……素晴らしい! 全て一部ずつ頂こう!」
彼女はまさに、帰りの荷物を軽くしてくれる救世主だった。
会場を巡回していた真は、ミリタリー系のコスに目を留めた。
装備の仕方が間違っていると指摘したいが、これは楽しく遊ぶイベントだ。
ぐっと堪えたその時。
「その耳ってどうやってつけてるの?」
聞こえた声に、すわトラブル発生かと思わず身構える。
だが――
コスプレ広場に流れ着いた青銅は、相変わらず無自覚に悪気なく、ヲタク心をほんのり削り続けていた。
その目が、彼女を捉える。
「すごいねえ、まるで本物だよ。それ特殊メイクなのお?」
「え、あの……」
声をかけられ、花子は思わず踵を返した。
気を悪くしたわけではない、質問や撮影依頼が跡を絶たないのはスペースに居る時と同じだ。
だが今は、それどころではないのだ!
「素晴らしいわ……! あ、あの、お写真一枚よろしいですか!?」
レイヤーの姿をスマホで撮りまくり、大満足の笑顔である。
「ああ……あのキャラ、可愛いけどまだ見てない作品だわ……帰ったらパカフリックスに登録しようかしら」
そして増え続けるサブスク登録。
「そろそろスペースに戻らないと……」
でも、あと少しだけ!
「さて、そろそろパカケットも終盤です」
撮影の合間にお気に入りのロボットアニメの全年齢オールキャラ本をゲットした此岸は、片付けをするサークルが目立ち始めた場内をゆったりと歩く。
それでもまだまだ熱気は冷めやらず、ラストスパートの興奮が辺りに満ちていた。
「新刊ゲットー!」
ウエンズデイの声が響く。
「厄災×伯爵本はあるでしょうか……!」
シェルリアは既に大荷物を抱え、それでもまだ足りない勢いで目を血走らせていた。
「引き続き楽しんでくださいね、まだまだ時間はありますよ」
入場列の誘導を終えたLumieは、企業ブースの売り子手伝いに入っているようだ。
「同人誌即売会……ふーん」
リゼ=ブラッタは一般人である。
「知ってる、薄くてお高い本がいっぱいあるんでしょ」
噂には聞いているが特に関心はない。
だが興味がないとは言っていない。
寧ろ未知なる世界にひっそり興味津々だった。
「……分厚い本だと手に取るのも億劫だけど、薄いのなら読みきれそうなのが見つかるかな」
なんて気軽に考え、大義名分をこしらえて、彼はこの魔境に踏み込んで来た。
それが最も危険な、死と隣り合わせの一歩通行であるとも知らずに。
「ここ、なんだろ?」
リゼは、とあるスペースを覗き込んだ。
「これねー、わたしが考えた神様たちの絵が描かれてるんだよー」
サークルの主、サマエラ=フォリウムが答える。
彼女はとてもゆるくてマイペースな子だった。
その様子は無邪気で明るく、ほわほわと人畜無害に見える。
「なんとなーく頭に浮かんでくるんだー……えへへ、良かったら見てみてほしいなー」
そう言って、サマエラはイラスト集の見本を差し出した。
「へえ、綺麗だね」
リゼはポップでカラフルなデザインが目を惹く本の表紙を開いた。
それがどんなに危険な行為であるか、その自覚も用心もなく。
途端、リゼは目撃する――表紙詐欺も甚だしい、絵師の言動とは掛け離れた、冒涜的で理解不能な色と形の集合体を。
「どうかなー、気に入ってくれたかなー」
屈託のないサマエラの笑顔がぐるぐると回り始める――
「わん!」
着ぐるみスタッフのおいぬさまは、見つけるとレアな存在として、ちょっとした人気者になっていた。
だがその瞬間、頭上の赤色灯が点灯し、ピンクのマフラーを靡かせて現場に直行!
しかし、間に合わなかった。
リゼは後に語る。
「まさか、あんなことになるなんて……!」
そんな色々がありながらも、パカケットは無事に閉会を迎える。
仕事を終えた帰り際、ナタクは会場の隅で立ち往生している一団に遭遇した。
「台車の手配が儘ならなかったって? じゃあ一箱持ってあげるよ」
軽々と担ぎ上げ、ナタクは配送所に運び込む。
「無駄に日々、重いウェイトを上げ下げしてる訳じゃないんだよね♪」
よかった、最後に良い話で締められて……!
【執筆:STANZA】
●熱気漂うエリア
夏パカには沢山のエリアが存在する。その中でも超人気ジャンルだったり、ディープな内容の作品が渦巻く場所、それがこのエリアだ。勿論サークル、一般とわず参加者の熱の入りようも違う。過去にはその熱気で屋内なのにうっすら雲らしきものができたとかなんとか。とにかく会場内に人は多かった。
「ここは一体どこなのよ……」
そんな人の流れに乗せられあれよあれよと運ばれてきてしまった子羊。単独参加のパステル・アクアマリンは早々に絶望していた。
右を見れば肌色いっぱいの表紙、左を見れば口にはできない謎の黒い物体が描かれた表紙。これは見ちゃいけないやつだと瞬時に理解をする。
――とんでもないところに来てしまった。
ひとりで来たのが仇となり助けを求められる相手もいない。顔を真っ赤にしながら、どうにかこの魔境から抜けることをパステルは願うしかなかった。
ノエミ・アダメ・モゾはとあるサークルの1冊の薄い本を手に取っていた。どうしてかと言われれば、答えはひとつ。知人に似ていたのだ。読んでいけば憧れた関係性のふたりそのものではもちろんなかったけれど、その魅力的な絵柄や心温まる物語にはどうにも惹かれ、魅せられた。
その一冊を読み終われば、その隣には男性二人が睨み合う表紙の本。少し中を覗けばノエミは顔を赤くしてしまう。
ごくりと唾を飲み込む音がやけにうるさい。なるほど。これこそが、縁。
新しい縁に財布は緩んでいく。だが、まだ彼女は知らなかったのだ。世界にはたくさんの縁があることを。
そしてそのさらなる先にあるのは――底なし沼だということを。
「「今日はよろしくお願いします」」
個人サークル『百合の咲く庭園』として参加したリリィ・ガーデンと、サークル『Secret Garden』として参加したリュリュ=ソレイユが和やかな挨拶をかわす。お誕生日席で隣同士となったふたりはどちらも百合を主戦場としているが作風が異なることもあり、これまでもお互いに平和に活動が行われていた。
(案内があったときから分かってはいましたが、ここ、お誕生日席ですよね……?)
開場してからというものリリィはとてもいそがしかった。初めてのお誕生日席ということもあり、直接声掛けにきてくれた知人もいたくらいだ。
「まぁ! ファンレターですか? 嬉しいです……! 後でゆっくり読ませていただきますね」
まさか出来心で書いた、『女の子たちのほんわかな日常』を描いた小説がここまで人気になるなんて昔の自分は想像もしていなかった。
「今日の新刊は、反戦の聖女様がみんなに愛される総受けいちゃらぶ本です!」
百合作家のリュリュが『高嶺の花との一夜の恋』をテーマに描く優雅な作品群は、女性からも、もちろん男性からも支持されている。その内容から「創作物から白百合の香りがする」とコメントで書かれたことがあるくらいだ。
なにかと二次創作界隈でひどいことをされやすい反戦の聖女様を幸せにするべく、彼女は立ち上がったのだ。
奇跡的に隣り合わせになった『庭』の名を持つふたつのサークルは、この日数多くの百合の花を咲かせた。
百合スペースから場所は変わりBLスペース。ベアトリクス・アルムガルトは、シナリオを担当したアントニオ総受BL同人誌『●の●に散る』をあえて一般参加者のふりをして購入していた。確保した一般休憩所の椅子に腰かけ戦利品のページを開く。
「は?」
数分後、彼女の口から出たのは地を這うような低音だった。
「解釈違いだわ……。アントニオはそんなこと言わない!」
一体だれが、そんなの決まっている。作画担当者がストーリーを改変したに違いない。
ベアトリクスは激怒した。
シナリオ担当者として、解釈違いには大変敏感であった。
――帰宅した彼女は同人誌と共に公社上層部宛てにお気持ち長文レターを送付したが、その手紙の行方は知れない。
己の秘めた性癖を守る為に単独参加を決めた者もいれば、心を許した相手と共に参加する者もいる。
「すっごい賑わい! コスプレしてる人もいるし、ほんとお祭りだね♪」
「ね。俺、この空気が本当に好きでさ」
会場の賑わいや物珍しさにきょろきょろとする夜城・海愛を藤堂・皐は優しく見つめている。
また、入場の列に並んでいる時に「今日の為に頑張ってきた人達の結晶が見れるのが楽しみ」と語っていた皐を思い返すと、自然と海愛もこの催しを楽しんでいた。
「あ、これ皐君が好きなゲームの本?」
すごく可愛い絵だねぇ、と手に取ったその本。皐は見逃さなかった、表紙によく見慣れた――R-18の文字を。
キャー!! と絹を裂いたような、そんな黄色い悲鳴が皐の口から飛び出す。
「海愛ちゃん! まずはこっちのほうが断然お勧め!」
瞬時に陳列されたテーブルの上から可愛くも一番マイルドそうなものを選びとる。
「はわ? こっちのがオススメなの? ふぅん……」
急な皐の動きに驚きながらも、そっちがオススメならと手にしていた物を元の位置に戻した。
(……海愛ちゃんが喜ぶなら止める訳には)
せめぎ合う皐の心。そんな彼をよそに海愛はとある人物に気付いた。
(あれ……? 見たことあるような人が……? 気のせいかな)
本から目を離して遠くを見つめる海愛の目線の先を皐が見れば。
え!?
(あれは間違いなく姉ちゃん!?)
――皐の心臓はまだ安寧を迎えない。
「よし、設営は完璧です」
今日は待ちに待った夏パカと意気込んだ虞淵はその情熱を全て解放した。
既刊のナマコ本に新作ナマコグッズ、新刊はパイナップルナマコ本。自身の肉体美もフル活用したナマコとの中華系コスプレ写真集に無配のコズミックナマコ流星群ペーパー。何かの隠語などではない。彼のサークルは棘皮動物『ナマコ』ただその一本にジャンルを絞った活動をしている。
写真集の衣装を身に纏った彼だが、何せ夏のパカケット。露出対策の施された胸元は肌色部分も衣装の一部である。つまり、暑い。
(だがナマステ本新刊を手に入れるまで俺は死ねない……!)
ナマコとナマステ。親近感を感じてしまった彼は、熱い思いをたぎらせていた。
天使と悪魔の戦いを描いた人気作品『天魔大戦アポカリプス・ゼロ』はその性質上、どのキャラを好きになってもバッドエンド、良くてメリバという作品だ。元々そういった結末が好きな者は嬉々としてそれをベースとした二次創作を行うが、彼、見延 光永は違った。
PN:暗闇坂 静謐名義で活動する彼は、何を隠そう――ハピエン厨だった。光永は推しCPであるミカミツのハピエン小説を新刊とした。少しでも、あの世界に光をと願わずにはいられなかったのだ。
「光永サン、僕は護衛をすべきなのか……?」
せっかくならと恋人の影を売り子として連れてきてみたのだが、あまりの人の多さに宇宙猫顔と化していた。
ふたりはお揃いの洋服をきて恋人感を出してはいるが、それでも影に集まる視線には少しもやっとしてしまうのは複雑な男心だ。
「影がいてくれるとそれだけで嬉しい」
「僕も、光永サンと一緒にいれてうれしい」
こういった文化は全然わからないが、売り子としての仕事は真面目にやる影。光永はああいうが、無表情だしあまり向いてないのではと影自身が思っていた。
しかし、ふとした時に光永相手にみせる表情や、こっそり机の下で手をつないでいたりなどのことから、あそこのサークルはサークル主さん達からもハピの香りがするなどと囁かれているのをふたりは知らなかった。
あなたの同人文化との出会いはどこから?
友人、親、兄弟姉妹、――そして『親戚』だ。
親戚の子達が連れ立ってイベント参加すると聞いた阿喜洲 清戈は、軽い気持ちでパトロン兼売り子としての参加を決めた。
「うすいほん? というのはよくわかりませんが、手やお金が必要なら任せてください」
その言葉を聞いた神楽坂 礼蘭の「そうか、なら壁だ」という発言があり、彼女達は壁スペースに降り立っていた。ついでに追加椅子も置いて簡易休憩スペースの完成だ。
玄御・崔花は礼蘭のスペースの手伝いを行い、そのついでにと彼女の作品である一次創作の学園ラブコメ本も置かせてもらっていた。
月刊連載や細々とした仕事の合間に描いたうえ、早割入稿までやってのけた作品。
「崔花、それが例の……この厚さは」
「あ、これ? 気にしないで、ちょっと筆が進んだだけだから」
ちなみにここで言う100P超とは、100ページを少し超えたという意味ではなく、200Pに満たないだけという意味である。これだからこの世界の漫画家人間やめてると言われるのだ。
「ちゃんと全年齢仕様だからね」
問題はそこではない。
最後に礼蘭のナマステ本、恋占い本なども出していけば設営は完璧。
イベント参加自体が初の清戈は、この後壁サーの洗礼を受けることとなるが彼女はまだそれを知らない。
本を作るのも大変だが、売るのも大変だなと言うのは、その様子を見て、一緒に体験した礼蘭の言葉である。
「あ、雪似合ってるね~!」
「ちょ、蝶子もかわ、に、似合ってるな!」
更衣室から出てきた祈壱護・蝶子と神々廻・雪は、コスチュームに包まれたお互いの姿にやや興奮気味な声をあげる。雪はサイバー系ラノベのコスができると、蝶子は好きに忍者の恰好ができるよといわれ、ふたりとも初心者ではあったがウキウキで参加したのだ。
設営のお手伝いが終わり、着替えたらしばらくは好きに回ってきていいと礼蘭に言われていた為、ふたりでサークルをまわることにした。
「ここがあの伝説の地……!」
「本当、自分たちで本まで作れるの!? 皆すごいね~」
実のところ蝶子は少年漫画やアニメは好きだが二次創作等は詳しくない。しかしそんな蝶子もとびつくディープな作品がそこにはあった。
「歴代戦隊纏め本あるすごい! ください!」
なんでそんな物が……という物もある不思議。
「こ、これは…!」
そんな蝶子を視界にいれつつふらふらすれば、そこにあったのは理想郷。ちょっとえっちな薄い本、表紙にはあの子に似た女の子のアップの姿が。
(べべべ別に似てるとか思ってねぇしでも今なら蝶子あっちに夢中d……本人こっち見てる!!)
雪の葛藤を知ってか知らずか、蝶子は彼を優しい視線で見守っていた。雪は爆速で退散をキメた。
上梨 鳳果と東鬼・朱王はお使いを頼むからスペースに一度来てほしいと礼蘭に言われていた。
「えっと、目当てのサークルについたら『新刊・委託全てください』でしたか?」
恋愛漫画もあるからと言われ参加した鳳果だが、お使いとあれば完璧にこなして見せますわとやる気は満々だった。そんな彼女に礼蘭は魔法の呪文を教えたのだ。
「アポカリプスゼロSRPG……? VA・担当PCカルタ……? パッケージも美しいですし、とても楽しそうですわね!」
結構雑貨もありますのね、あちらの方コスプレいいですわね、などその口から零れる言葉はとてもポジティブなものだった。
朱王は朱王で、普段漫画はコマの流れなど難しいというのもあり読むことは少ない。今回も特に雰囲気を楽しめればと参加したので用事ができるのは逆に好都合だった。そして実は彼もとある人物からお願いをされた男のひとりでもあった。
八葉 るちるは取材登録をして撮影する権利を手に入れていた。勿論むやみにというわけではなく、身内周りの撮影やインタビューを空き時間を見つけて話を聞いていく。そう、今後何かに使えるかもしれない映像として記録していた。
「どんな本出したんですか?」
「それ何のコスですか?」
反応を楽しみながら聞き取っていく中、朱王の持った袋にるちるは目を向けた。
「これは、何買ったんですか?」
朱王が袋から出したのは一冊の薄い本。
「白虎の坊ちゃんからのお使いでね。『催眠あまあま幼馴染〜彼女は僕にだけ惚れてない』でよかったッスか?」
「ちょっ」
「おや」
「あらまぁ」
朱王により臆面もなく読みあげられたソレに雪のライフは瀕死になった。
「あっダメですよ、これは大人の本ですからねー」
表紙に輝くR-18の文字にるちるがひょいっと抜き取ると、それを清戈と鳳果へ手渡す。人混みと会計で地獄をみて以降休んでいた清戈はよくわかっていないようだったが、試しにと開いてみるとそこには刺激的で過激な描写。その隣でキャーーと声にならない声をあげ真っ赤な顔をする鳳果だが、その顔を覆った指には隙間が開いていた。そんな様子をみた朱王は笑いながら鳳果に揶揄うような言葉を投げかける。
「天后のお嬢さん、意外とスケベなんスね」
その言葉にさらに鳳果が顔を赤くしたのは言うまでもない。
ちなみに礼蘭よりお使いを受けていた鳳果だったが、その内容が礼蘭の自著『異世界転生生活』の二次創作本だということは気付いていないのだった。
「今のお気持ちは?」
雪にるちるによる追い打ちがかかる。雪の九死一生な点は蝶子がこの場にいないことであったし、その後るちるは買い込んだ本を他の皆と読み始めるのだった。
「皆でこういうお祭りに参加するのも悪くないね」
騒がしくする皆を見ながら礼蘭がフッと笑う。その手にはとある参加者と交換した2冊の本が抱えられていた。
それを隣で聞いた清戈は、ここに至るまでにあった出来事を思い返しつつ、まあ総合的には楽しいな、と天を仰いだ。
布賀知・ライはどこか空気感の異様な島の間を渡り歩いていた。
どんな作品を見ようとも、クリエイター側の苦労を多少知っている身としては「全員あんな苦労してんだな」と少し遠い目をしてしまう。
偏見などは全くない彼だが、特殊な本を見付ければ二度見……いやなんだここ全部やばいぞ!?
「アルパカ監禁日記……夏休みのアサガオみたいな表紙してヤベー内容だな」
「気になる……気になるが、読んだらヤバそうだ」
さらに目を逸らした先に見えたのは、水色髪の少年が表紙の『五等分の花婿』……気にしたら負けだ!
「なんだここゲテモノエリアかよ!あれは、」
――ナマコ?
同時刻、アゼル・ブラッカードは配置図を広げながら迷い歩いていた。唸るほど本があると言われ、一般参加者として会場を訪れていた彼だったが。
(俺の求めてる類の本じゃねえよなこれ?)
確かに本はめちゃくちゃあるし売ってるけれど、本(薄い)だったり、本(ディープ)である。
だが彼は見つけた。専門系コーナーの文字を。まだ諦めるのは早いとエリアの端から端まで歩き、ついにたどり着いた、が。
……何故、ナマコ料理本がやけに充実してるんだ?
正気か……? とおもわず真顔になったアゼルだが、その隣以降のサークルを見てその顔を引きつらせた。
『黒ナマコ美容のすべて』『ナマコ必勝法』等々。
何時ごろだったからか、それはじわじわと広まりを見せた新ジャンル。
『ナマコ』
それは確かにパカケットに侵蝕していった。
【執筆:逆咲 竜紀】
●
パカケット会場の一角に穏やかなサークルが集まるエリアがある。
「パカケ雲は本当にあったんだ!」
エウラ・アルセイスは高すぎる天井を隠す白いもやを金の瞳で眺め、溢した。脳内に音楽が流れる。
会場の大きさ、頒布物の多様さ、何より参加者が放つ熱気。事前に調べてはいたが、実際に目にする感動は何ものにも代えがたい。
自然、胸が高鳴る。エウラが求めるものはこの辺りのサークルが扱っているはずだ。
「すごい……! 人が多い……!!」
伊達眼鏡の向こうに広がる世界に黒七 梓も感嘆の声を上げる。
イベントというから来たのだが、これは――。
(すごく楽しそう!)
興奮のあまり強く握ってしまったパンフレットを開く。
「あっ……!」
開いたページの四角い枠の中に、可愛らしいクラゲとその擬人化絵が描かれていた。
梓は現在位置と地図を確認しつつ、そのサークルへと足を向ける。
「シャツにクラゲがいますね!」
売り子は身を乗り出して、梓のシャツにプリントされたクラゲをしげしげと見た。
「クラゲ、好きなんです」
こんなに見られるのは気恥ずかしいが、梓は正直に話す。同じものを好きな人に出会えるのは嬉しい。頬が勝手に熱くなるのを感じる。
彩木・香乃は分厚い一冊に夢を託した。
(ケルト文化の再興、この一冊でいけちゃうんじゃないかと!!)
実演用の植物もテーブルクロスの上に飾ってある。なんでも叶えちゃう文字通り魔女の一冊。
「ケルト文化……? 読み応えがありそうだ」
見本誌を手にしたのはエウラであった。しかし表紙に書かれた侵蝕とはなんだろう?
「興味があるのかい?」
香乃はエウラへ柔らかな笑顔を向けつつ立ち上がる。
「本にあるおまじないを実践することも可能なんだよ。試してみるかい?」
「それよりケルト文化の説明をお願いしたいかな」
その言葉を受けた香乃の瞳に星が散る。ミントを足裏にすり込む健康のおまじない、シナモンを咥えて行う夢の操作なども教えたかったが、それを乞われたとあっては……。
「いくらでも説明するよ!」
香乃の意欲にエウラはやや圧倒された。しかしその熱量は好ましい。
エウラは笑みを深め、香乃の豊富な知識に耳を傾けた。
狩野崎・千夏子は縁黒・猟児とばったり鉢合わせた。
千夏子は趣味であるゲームを求めて、猟児はオタクへの見解を深めるためにここにやってきた。
「あ、いつぞやのイケメンお兄さん。もしかして同志なの? お兄さんも」
猟児をビシッと指さし、千夏子がにんまりと笑む。
「推しピンのお嬢さん、あのときぶりですね。人を指差すのはやめなさい」
遠慮のない千夏子に猟児は眉根をよせ、眼鏡の縁に指を当てた。千夏子は腕を下ろしたが、知人に同志の可能性があると知った喜びは彼女を昂ぶらせる。
「お兄さんは何か買ったの?」
「僕は何も買っていないが、お嬢さんは大荷物ですね」
同人ゲームを詰め込んだ千夏子のバッグが膨れ上がっている。
「一体今日この場だけで何十万の人員と金が動いてるんだ……」
蠢く人の波を眺めながら、猟児がボソリと漏らす。
「オタクが経済回してる、とも言うからねー」
千夏子は遠慮なく拾い上げ、どこか誇らしげに口にした。彼女もガチゲーマーだ。
対して猟児は地下組織の人間だ。世俗の流行について知るのは偶然出会った誰かからの方が多い。一応理解しに来たのだけれど。
「それほどの財源がオタクに存在するのでしょうか?」
ひとまず目の前の千夏子に尋ねる。
「オタクはガチ勢だからねぇ! 無ければ稼ぐんじゃん?」
千夏子はこれまでの涙ぐましい努力を思い出しながら大きく口を開いた。オタクと一般人のすれ違いトークはまだ続く。
雨利 晴花はそんな二人をぼんやりと眺めつつ、自作のカードゲームを頒布していた。バイト先のボドゲカフェで出した動画はそこそこの集客力を生んだし、有難いことに千夏子も一つ購入してくれた。
(ん、……え?)
赤いつば広帽子を被った女性がサークルの前に立ち、涼しげな緑の瞳をカードゲームに向けた。その容貌はパッケージに描かれた魔術師にとてもよく似ている。
「綺麗な絵が描かれていますね。こちらはどういった商品なのですか?」
「あ……、新米冒険者が手持ちのアイテムで依頼を解決するカードゲームです」
晴花は気後れしつつも女性――ルアンナ・ミュラーの問いに解を出す。
「ふふっ、身近なことも考え方一つでゲームになるのですね。面白いです」
ルアンナが相好を崩す。
「こちらを一ついただいてもよろしいですか?」
「それは嬉しいですが、このゲームの内容が身近、なのですか?」
笑みを絶やさぬルアンナに、目をぱちくりさせた晴花が問う。もしかしたらレイヤーでRP中なのかもしれない。けれど彼女の言葉には妙な真実味がある。
「ええ。ですがゲームとして遊ぶとなるとまた違った見方もできそうだと感じます」
お代を差し出して、ルアンナが深みを感じさせる解を返す。
「楽しんでいただければ幸いです」
晴花は考えることをやめた。ここはカオスだ。ならば一期一会を大切にすればいい。
古馬・真は息を飲んだ。BL本の中身を目にしたからだ。表紙にてあれほど丁寧に描かれていた装備は脱ぎ捨てられ……。
静かに本を閉じ、地雷を扱うようにゆっくりと安置する。それから一礼し、足早に去った。
警備業務の休憩時間にBLを垣間見る羽目になった真は、冷たい壁に身体を預け、魂ごと抜けるようなため息をついた。
BLとは、と考えていたら、大きく美しい声に鼓膜から脳を揺さぶられた。
「素晴らしいです!!」
フェオ・デ・アンフェルボスの感嘆の声だ。フェオのいる音楽島はミリタリー島からはやや遠いが、彼の高音は雑音飛び交う会場内でも綺麗に響いた。それから両手で口を塞いで、四方八方に頭を下げる。
「私は交響曲は特別な作曲家が作るものと思い込んでいました」
フェオは一般人に向き直り、切れ長の目で熱意を伝えた。
「ですが貴方の曲を聴いて、私も粋に囚われず自由に歌えたらと、そう思いました……!」
(ここに来て、本当に良かったよ……)
音大受験に失敗し燻っていたフェオの心に暖かく強い炎を灯してくれる存在と出会えた。CDと名刺を受け取り、たおやかな笑みと共にフェオは音楽サークルを渡り歩く。
真は壁から背を剥がした。内容は聞こえなかったが、彼に良い出会いがあったことは理解できる。
(俺ももうちょっと見て回るか)
もしかしたら自分にも良い出会いがあるかもしれない。真はパンフレットを確認し、BL系を訪問先から外す。
今度こそ気の合う作家と出会えますようにと祈り、真は再度ミリタリー島へ挑んだ。
日極もアヴェラ・ウッチェロも、互いを気にしていた。
片や性別不明の完全防備人間、片や指フェチクラシカルメイド。
「ところで日極さん、新刊を交換したいのだわ」
視線だけを向けて、アヴェラは日極に声をかける。
「ウッチェロサン。はいどうぞ、溜まりに溜まった呪いですよ」
視界が悪く動きづらそうな外見に反し、日極はアヴェラの新刊と釣り合う値段の既刊数冊と『硝子街(未完)』を手早くまとめて差し出した。
アヴェラは驚きつつも『メイド服考察本』と『メイド服写真集』を差し出し、日極に礼をしてから客に対応した。日極の側にも客が寄ってきている。
「お客サンも物好きですねえ、他人の呪いを買うなんて」
「メイド服と指の深淵へようこそ。あなたも指フェチなのでしょうか?」
人から聞いた奇談をまとめた薄い本。他人の指を五感でレビューした『指コレクション』総集編。そういった特殊な本を求める層もここにはやってくるのだ。
「うそうそ、冗談。でも手放したい話があれば、いつでも歓迎してますよう」
フードの向こうの顔はにこやかなのかもしれないし、無表情かもしれない。声からは何も計り知れない。
一つ言えるのはわるくちと人生相談以外は歓迎しているということ。
「メイド服写真集もあります。私の指も映ってますし、色々と役に立つ一冊に仕上がっています」
アヴェラ自身がモデルを務めたメイド服への暗器の隠し方の実演写真集も勧める。服の構造に共通点があれば技術の応用は可能なため、実用性はあると言える。
暗器を日常的に使用する人間にとっては。
ダニエル・ファン・バステンは嘆いていた。時にコンビニスイーツは店から消える。長く愛される人気者もあるが、それはほんの一握りだ。
それらを愛していないわけではない。むしろとても好きだ。胃のスペースが許す限り詰め込みたいと思っているし、詰め込んでいる。
故にダニエルは一念発起した。「コンビニスイーツの本を出そう」と。
前から出したいと思っていたから行動にはすんなりと移れた。無限に筆が進む。
(しかしこんな俺の本を誰が買ってくれる?)
調べたところ初心者は五部でも売れれば儲けものらしい。普通の人でそれなら強面の自分などはどうなってしまうのだろう。筆が止まる。
いつ見ても目の下には隈があり、眉間には皺が寄っている。威圧するかのような三白眼とその下から頬にかけて走る傷が目に付く。
(五部? 三部で十分だろ。ほんとに三部もいる? いらなくない?)
執筆は睡眠を削って行っていた。睡眠不足がたたり、思考はどんどん単純かつネガティブになる。
それでもダニエルはコンビニスイーツを糧に書いた。歯ごたえのあるパイ生地について、舌でとろけるクリームについて、粒の食感が楽しいあんこについて。
そしてダニエルは現在、パカケットのサークルチケットを握り、パイプ椅子に腰をかけている。目の前の机には新刊が五部置かれている。
(まずは近隣のサークルに挨拶するのがマナー、だったよな?)
チラリと後ろ――壁サー『祖母の知恵袋』に視線を送る。
知恵ブックマン・F・皓月こと皓月はグレーの瞳を三日月型にしてダニエルに胡散臭いスマイルを返した。
強面にも微笑んでくれる優しげな皓月にダニエルの緊張がほぐれてゆく。
「新刊を一部……どうだろう?」
ダニエルが足りない言葉で新刊の交換を申し出る。皓月は意を汲み、笑みを浮かべたままダニエルの新刊を受け取った。
「では、こちら『嗚呼、愛しのラッシー』をどうぞ。実在店舗のラッシーのレビューを挟んだ旅のお話です」
皓月が表彰状のように両手で新刊を差し出す。ダニエルも両手で受け取り、ページを開いた。
(こりゃあ――!)
少女漫画風の愛らしい挿絵付きで、各店舗のラッシーの特徴をわかりやすく説明している。
そこだけでも充分に力が入っているというのに、更に完成度の高い部分がある。主人公の少女がラッシーを嚥下する描写だ。首筋から鎖骨に伝ってゆく汗。上下する喉の動き。飲み下した後に潤んだ目を細めて、頬を上気させる少女。究極のラッシーを求めて旅する少女の肉体が実在すると錯覚するほどの筆力。
「すごく……うまいな」
「君の本も愛情たっぷりで祖母のように暖かいですよ」
皓月の実力に打ちひしがれるダニエルは気付いていない。ダニエルの頒布物も壁サーになるポテンシャルを秘めているということに。
「スイーツ本は一定の需要がありますし、もう少し刷っても良いと思います」
手にした本をパラパラとめくり、皓月が横目でダニエルを見やる。ダニエルの密かなガッツポーズに、皓月は本心からの笑みをこぼした。
「とても賑やかな場所。楽しみね」
「今日は一緒にがんばろうな」
混沌の場に似つかわしくない、穏やかな雰囲気を醸し出す二人組が一つのスペースを使っている。
リルピスはテーブルクロスを敷いた机の上に愛読書の二次創作本と押し花を使った栞を並べる。
アスルは自作のポエム本をテーブルに置き、その隣に買い込んだスポーツ飲料やお菓子を並べた。
「姫はどんな本作ったんだ? オレも見ても良い本?」
その言葉にリルピスの心臓が跳ね上がった。
「えっ? 駄目なことはないけど……」
リルピスは頬を染めて目を泳がせた。彼女の本は殆ど一次創作に近い代物だ。女流探偵に自分を、幼なじみにアスルを投影しており、ストーリーは二人の恋愛を中心としている。覚悟を決めるには少し時間が必要だ。
「オニオオハシには何買おうかな」
空気を変えるためアスルが立ち上がり、スペースを離れようとする。
「待って」
リルピスは咄嗟にアスルの上着の裾をつまんだ。愛しの姫のご希望に、アスルは身動きが取れなくなる。
「わたし、アイスを食べてくるから。これを読んで待っていてほしいわ」
リルピスは俯いたまま本を差し出した。それから早歩きでアイスの屋台へ向かう。
残されたアスルはパイプ椅子に座り、手渡された本に目を通した。それにしても主人公が可愛い。主人公の幼なじみは事件に傷ついた主人公を後ろから抱きしめるなど気の利く奴で、少し羨ましい。
可愛らしい物語を楽しんでいるうちに、アイスで熱を冷ましたリルピスが帰ってきた。珍しい味の異世界のアイスは彼女の味覚を楽しませ、羞恥を緩和してくれた。
「姫が書いた本、可愛い話だよな。主人公の女の子、かわ……いや、なんでもない」
アスルは思わず本音を漏らしそうになった。主人公を褒めようとしたアスルに、リルピスはモヤモヤとした気持ちを抱く。
「なぁ、オレのポエム本も読んでほしいんだ」
彼女の気持ちを知ってか知らずか、アスルは自分の本をリルピスに手渡す。拒否する理由を作れずに、リルピスはアイスのカップを机に置いて本を開く。
「素敵……」
紙面には愛や希望が詰まった言葉が踊っていた。誕生日に聴かせてもらった歌を彷彿とさせる言葉たちだ。リルピスの胸に温かな感情が降り積もってゆく。
「アスル。また、あなたの歌を聞かせて」
リルピスは感情を解き放った。アスルは一瞬きょとんとしてからニカッと笑う。
「オレの歌ならいつでもどこでも喜んで。リルピスに聴かせたくて書いたのばかりなんだ!」
後ろ頭をかきながら照れるアスルが正直に口にする。だからリルピスは自分を少し恥じた。
「ところでさ」
アスルは身をかがめて机の下をくぐり、反対側からリルピスと向かい合った。
「栞を一つください」
半夏生の栞を指さして、アスルが買い手のふりをする。
「ふふ。おまけするわ」
リルピスは緑のシーグラスのヘアピンと共に、彼の手のひらに内気な情熱を乗せた。
「えっ? これと交換するの? ……別に良いけど」
泉河・羊は青髪の女性から、篠森 繭の自作小説と恋の星占い本の交換を申し込まれ、了承する。手にした途端に勢いよく本を開いた女性に「じゃあね」を伝え、羊は繭のスペースに戻った。
「羊ちゃん、お疲れ様」
繭の優しい笑顔が出迎えてくれる。なんだかほっとしてしまう。
「あの青髪のお姉さんすごい食いつきだったよ」
「興味持ってくれたんだ……! えへへ、嬉しいなあ」
無邪気に喜ぶ繭に、青髪の女性から買ったナマステ本と交換で貰った本を渡し、羊はふぅっと息を吐いた。
「初めて来たけど楽しいね」
それから強気な笑顔になって、屋台で購入したスコーンも渡す。
「わ、いい匂い! じゃあ休憩しよっか」
焼き菓子のふんわりとした甘い匂いに繭はうっとりとした表情を浮かべる。ずっと座っているのもそれはそれで疲れるものだ。
「冷たいお茶もあるよ!」
羊がお茶を用意する間、繭は交換で貰った本の表紙をうっとりと眺めていた。
「繭ちゃん……恋?」
羊の何気ない一言に繭の瞳孔が開く。
「恋っていうか……! 恋愛小説とかは好き、だよ」
繭はやや取り乱しながらも、羊に渡す自作小説を震える指で一部確保する。
「恋愛小説も書くけど、今回はこういうのが書きたかったんだよね」
お茶を机に置いた羊に、繭が再び自作小説を手渡す。
「双子の姉と死に別れた妹が、彼女の代わりでない一個人として幸せになる」そういう筋書きの本を。
楠 三夏はふらりと立ち寄ったお祭りにて、奇妙な本を手にした。
先輩――高橋 佳乃子によく似た少女が表紙に描かれた『■■■■■遭遇アンソロジー』だ。
ぱらりとめくった見本誌の内容は不気味だったが、これだけ描かれているのだ。佳乃子似の少女が主役で間違いないだろう。
オカルト好きの佳乃子のことだ、これを渡せば好意的なリアクションを返してくれるに違いない!
「一冊ください!」
元気に小銭を差し出す三夏に、不思議な売り子が冊子を差し出す。
三夏は人の少ない柱付近でしゃがみ、一足先に内容を確認した。お化けが少女を遠くから眺めて一挙手一投足を観察する漫画が一番手。妖怪が少女を脅かそうとして大失敗を繰り返す小説が二番手。
(これ、お化けとかの方が先輩に似てる子を怖がってるように見えるんだけど……?)
というかどの話も怪異側が主人公で、少女は添え物のように思える。誰が描いてるんだろうこれ。さっき会ったばかりの売り子の顔が思い出せない。奥付を確認する。
「何これ?」
最後のページには文字らしきものが並んでいるが、ぐちゃぐちゃで読めない。でもこれだって何かの演出かもしれない。なんかホラーっぽいし。
「後で先輩に見せよ!」
三夏は佳乃子の控えめな喜びを想像して鞄に突っ込む。次に鞄を開いたときには異様な本は跡形もなく消えていた。
スペース内に天使が三人寄り合っていた。
三人のうちの一人、畔上 茜音がアポナントカという番組の天使を可愛いと思った結果、揃って頭に天使の輪を乗せることになった。
「ふふ、茜音ちゃんとってもかわいい!」
「えへへ、あんも可愛いよ!」
遠野 杏樹が茜音をふんわりと抱きしめる。茜音も優しい抱擁を満面の笑みで受け入れた。
「ルカ先生も天使の輪でお揃いね」
微笑ましい二人の様子を眺める間もなく準備に追われる数井 ルカの背に触れ、杏樹が笑いかける。
「るかちゃん、羽根も付けよう、羽根!」
茜音は予備の羽根を取り出すと、ルカの背中にぺたりと貼り付けた。
「やってくれたね茜音ちゃん。ボクが本物の天使になってしまったよ!」
茜音の可愛いいたずらにルカがクスリと笑う。天使のサークルだというのに、頒布物は『わかりやすい! 現代最新物理学』。厚すぎる本だが、美人天使一人と美少女天使二人が売り子をやるのだから問題なく人は集まるだろう。
「おひとついかがですか?」
「勉強できるようになる本ですよー!」
愛らしい笑みを振りまく杏樹と茜音の呼び込みに男性客が足を止める。それから本を見て表情を硬くした。
「大学准教授が解説してる本だよ、品質は保証するよ」
すかさずルカがセールストークを開始する。
「……あ! 光の屈折! 虹のでき方とかシャボン玉のお話が楽しいです」
胸の前で両手を合わせて杏樹がカラフルな話題を挟み込む。
「花火の色とか楽しいよね♪」
茜音もずいと身を乗り出して、負けじと楽しい物理学の話題を振る。
天使三人の巧み(?)な話術を受けた客は分厚い本を購入し、軽い足取りで去った。
「いやー語りに語ったら熱くなっちゃって」
ようやく一冊売れた本についてルカが弁解する。熱意に比例して本が厚くなるのは仕方ない。
「私は素敵だと思うよ。ルカ先生の好きをいっぱい詰めたんだもの」
杏樹はにこりと笑って見本誌を開いた。ルカの情熱が滲む本を手にすると、なんだか優しい気持ちになれる。
「るかちゃんの楽しいがいっぱい入ってるから、わたしたちも売り子を頑張れるんだよ!」
茜音が胸の前で小さな両手をぐっと握る。二人の暖かさを受け取ったルカは、再び呼び込みに精を出した。
枸橘・由加奈は友人のスペースで留守番をしている。端っこに置かせてもらった自作小説はそれほど刷っていないが、それなりに売れている。後から来る予定の高坏・夏琥の分は確保してある。
「遊びに来たよー!」
情熱的で明るい声が届く。夏琥だ。小さく手を振って元気をまき散らしている。
「これ。ナッコにはタダであげるよ」
「ども。処女作ってヤツだね」
本を受け取った夏琥はまず、裏を見た。丁寧なあらすじが記載されている。
「なんか文庫本みたいだな」
夏琥が黙読する。由加奈は膝に両手をついたまま緊張の面持ちで反応を待った。
「ヒロインを助けてくれる人、ジャカルタ料理店のバイトのお兄さんがモデルでしょ。あのガタイのいい外人の」
由加奈は目と口を大きく開き、全身をわなわなと震わせた。なぜわかった。じゃない。
「ち、違うよ! これは元ネタとかないからっ!」
そう、ヒロインもヒーローも由加奈が考えた架空の存在だ! 架空の存在だよ!
「いやー、青春だねぇ」
頬を赤らめながら必死に否定する由加奈に、夏琥の笑みは絶えない。
「そ、それより友達帰ってくるから、他のとこ見に行こうよ!」
『ホワイト』とか『祖母の知恵袋』とか片っ端からサークル名を挙げ、由加奈は夏琥のからかいを無理矢理中断させる。
ほどなく帰ってきた友達と留守番を交代し、由加奈と夏琥は雑踏に溶けた。
【執筆:眞石ユキヒロ】
「ここは一体……」
「オレ達、何処にいるんだ?」
気が付くと、ウォーゼルとパルドは見知らぬ場所を彷徨っていた。
――そこは熱と人で溢れていた。
ある者は何かのキャラクターを模した扮装で、ある者はその扮装した者に群がり熱い視線を向ける。集団が熱となり、暑い季節を更に熱くしている。
「で、オレ達は何でこんな格好を?」
「わ、わかんないよ」
2人とも普段の格好ではなかった。パルドは天使、ウォーゼルは悪魔の格好をしていた。しかも、
((何で女装……?))
2人揃って女装であった。こうなった記憶は無い。
気が付くと見知らぬ場所。記憶に無い扮装。謎が多い中、解る事が一つ。
(ウォーゼルが可愛い件について)
(パルドが可愛いんだけど)
2人とも可愛くなっていた。ハーフビーストの天使と悪魔で見た目は女の子。可愛くない事があるのだろうか、いや無い。
互いを横目で見ては視線が合い、目を逸らす。そんな様子に周囲が生暖かい視線と熱い視線を送る。
「――ひょっとして、これが噂のドゥジンの祭典ってやつ?」
「ということはこれも全部ドゥジン神って奴の仕業なのか?」
パルドの言葉に「もしかしたら」とウォーゼルが頷く。
この狂気すら感じる者達。ドゥジン信仰による祭典なのだろうか。
「すいませーん」
考え込むパルドとウォーゼルに、話しかける者がいた。
「写真いいですか? いいですね? いいよね! ではポーズお願いしまーす! 可愛いポーズで!」
2人が返事をする前に話しかけてきた者――リルク・C・ラトウィッジの勢いに押されてしまう。
「そうそう、いいよいいよー! 目線こっちでー!」
気圧され言われるがままポーズを取るパルドとウォーゼルを、撮りまくるリルク。
「うわぁ可愛い天使と悪魔の女の子だぁ!」
そんなリルクの後ろから別の少女――ルーシェ・アルジェントが2人を見て声を上げる。
「ルーシェも混じる?」
「いいの!? 撮って撮って! 一緒に撮ろ!」
「それじゃそこに入って! 後そこの2人は女の子じゃなくて男の娘ね!」
「え、嘘男の子!? 見えない!」
リルクの言葉に驚くルーシェ。そんな2人に戸惑いつつもポーズを取らされ撮られるパルドとウォーゼル。
「困ってるかと思って声かけようとしたんだけどなぁ」
そんな光景を眺めつつ、ジルギス・ランバートが呆れたように呟く。
「むしろ私達が困らせる側になっていますね」
エィレニア・ティス・フェンガーリが苦笑しつつ言う。
「それにしても、あの2人が男の子……」
エィレニアが呟きつつ、隣の男性をチラリ。
「ん? どうかしたか?」
「いえ、何も」
エィレニアが「男の子も可愛くなるのですね」と小さく呟いた。何か芽生えつつあるのだろうか。
――リルク、ルーシェ、ジルギス、エィレニアも2人と同じ様に見知らぬ場所を訪れていた。
ただ2人よりも順応性が高かった4人は、郷に入っては郷に従えと、仮装だらけの会場を楽しむ事に決めた。
ルーシェがたまたま持っていたコミック『ホワイトレター』に登場するキャラの衣装で仮装する事になり、ジルギスとエィレニアはガード、リルクはエクスプロア、ルーシェはディレッタントの衣装をそれぞれ纏う事が決まる。
この光景を撮影したい、と周囲を撮影していた所で2人と遭遇したのであった。
「はーい、それじゃガードのお二人さん、もっとくっついてー」
散々3人を撮ったリルクが、今度はジルギスとエィレニアを撮影することとなった。
「こんな感じ?」とノリノリのジルギスに対し、(ち、近い近い!)と緊張で硬くなるエィレニア。
「表情硬いよー? 可愛いのに勿体無いよねー?」
「ん? そうだな、普段と雰囲気違ってこういうのも似合うぞ」
「うぇ!? じ、ジルもその、強そうで似合ってます、よ?」
「いいよいいよー! 初々しいよー!」
ガード姿の2人に、リルクがフラッシュを浴びせ捲っていた。
「結局、ここは何なんだ」
「よくわからないね」
写真を撮られまくり、休憩中の2人が呟く。
「ん? それならさっき貰ったパンフに書いてあったよ」
そう言ってルーシェが紙を取り出そうとした時だった。
「そんじゃ今度は全員で記念撮影するよー!」
「あ、やるやる! ね、行こ!」
リルクの声にルーシェはパルドとウォーゼルの手を取り駆け出す。
――紙にはこのように書かれていた。
――『国際展示場 パカケット コスプレ広場』と。
●
「目線! 目線下さい!」
「こっちポーズを!」
シャッター音とフラッシュ、そして数多の人。
その中心にいるのは女天使と男悪魔。
「何で対キャラコスなのさ」
男悪魔の格好――ルミルが笑顔で囁く。
「そっちこそ真似すんな」
女天使の格好――メルク・メルクリウスも笑顔で答える。
ルミルとメルクはコスプレイヤーであり、互いをライバル視している犬猿の仲である。
このパカケットで如何に互いのファンを奪えるか、という事を目論んでいた。そうすれば自分が満たされる、という理由で。
選んだのは女性のルミルが男悪魔のキャラ、男性のメルクが女天使のキャラだ。
どちらも対なるキャラであるが同じボカロ系作品のコス、という共通点があった。更に言うとペアキャラ。
そんなペアキャラで知名度の高いレイヤー2人が出会うとどうなるか。
「あの2人がコラボするなんてなぁ」
「いやぁ奇跡の瞬間に出会えたわ」
奇跡のコラボ、と思われてしまったのだ。ファンを奪う所ではない。
否定しようにも、ファン達の眼差しを見ては言葉が出ない。結果、コラボと言う事で押し通すしか無かった。
「あんまり寄りかかるな」
ポーズをとりつつ寄りかかってくるメルクにルミルが笑顔で言う。
「しょうがないだろ、こちとらコレなんだから」
そう言って不自由な足と杖に笑みを浮かべたまま視線を向けるメルク。
「……何だよ?」
「別に。そっちこそ何見てんの?」
「別に」
ふと、互いに視線を感じる時がある。内心、こう感じていた。
((コイツ見た目は悪くないんだよなぁ。まぁ、自分の方も負けてないけど!))
お互い、ライバルなのであった。
●
「ありがとうございました!」
写真を撮り終え、リディア=マッケンジーが深々頭を下げる。
「わたし達もホワレ合わせで撮影できてよかった~」
「うんうん、ガード制服可愛いね~それ」
そんな風に言うのはコスネーム『エンジェル』と『ミーニャ』ことマリア ブラックドリームとミーニャ・ローバー。
3人はそれぞれ『ホワレ』の格好をしており、その縁で一緒に撮影を、と言う事になったのである。
「設定上露出が多いけど、この暑さだと助かってるよ」
「この暑さだとね~。『アメリア』ちゃんの格好はまだいいけど」
「『月鈴』は布が多くてねぇ……」
リディアは作中登場する『ガード』の制服を纏い、ミーニャとマリアは登場キャラの『アメリア』と『月鈴』の格好をしている。
「ここで『月鈴』殿と『アメリア』殿に出会えて良かった……『月鈴』殿は麗しいし、『アメリア』殿は可愛いし……」
リディアが感慨深げに言う。何となく合掌しそうな表情だ。
「『アメリア』ちゃん可愛いよね~この格好にして良かった~」
ミーニャは嬉しそうにその場で回ってみる。その姿をリディアは撮影していた。
「麗しい、か……」
マリアはそう呟くと姿勢を正し、一回咳払い。
「どうも、ありがとうございます……と、こんな感じかな?」
「お~! 『月鈴』だ!」
マリアのキャラに合わせた動きにミーニャが感激したように声を上げる。
「あぁ……実在していたとかもう無理……もしかしてホワレは現実だった……?」
リディアは合掌して意識が何処かに飛んでいた。が、すぐに現実に戻る。
「ちょっと視界に知人が入り込んだのでこの辺りで失礼! ホワレ合わせでありがとうございました! ぬ、流石忍者素早い! でもグラバ―ルを無礼るなぁッ!」
まるで嵐の様に走り去ったリディアに呆気にとられるマリアとミーニャであったが、
「わたし達も回ろうか」
「そうしよう!」
すぐに思い直したように笑みを浮かべ、歩き始めるのであった。
●
「うーん、HANA君はやっぱ表情硬いな~。もっとリラックスしなきゃ」
「……俺はリラックスしているつもりだ、ルカ」
出来上がった写真の感想を述べたコスネーム『杉野ルカ』こと仁科 清香に、同じく『HANA』こと花霞 流人が言う。2人ともゲームの戦国武将系の格好をしている。清香は女性だが、格好から男性に見える。
「まぁキャラと合ってるからいいんだけどね。でも同じ雨宮さんは表情変えてないのに自然というか」
「まぁ、撮られるのは慣れているので」
雨宮・紅緒が淡々と言う。紅緒は別のゲームの美少年キャラの格好である。バイト仲間に力説されてする事になった格好だ。
ゲームジャンルの異なる格好であったが、同じ男装である紅緒を見かけた清香が一緒に撮影する事を持ちかけ、ついでに同類の2人も撮ってみようという事になったのである。
「ではこれで。写真、ありがとうございました」
「いやいやこっちこそありがとうね~」
写真を貰って頭を下げる紅緒に、清香がひらひらと手を振る。
「突然ルカが声をかけてすまなかったな。付き合ってもらって礼を言う」
流人も紅緒の顔を見て言う。眉間に皺が寄っているのだが、これが素なのだろう。
「いえ、貴重な体験でしたので。では」
軽く頭を下げ、去る紅緒。その後ろでは「だから皺!」と清香が流人の眉間を指さしている。
(あれで付き合っているわけではないのか)
少し離れて、紅緒は振り返り2人を見る。撮影中少し会話したのだが、2人は恋人関係ではないという。
『そんないいもんじゃないよ。もっと面倒な関係』
彼らに何があったかは知らないが、仲が悪いようには見えない。この関係を流人は『傷の舐め合い』と表現していた。
不思議な関係だ、と感じた紅緒は2人が気になり観察していると、清香が別のレイヤー達に声をかけられていた。
笑顔で対応する清香の様子を、流人が仕方なさげに見ている。と、流人が清香に注意されているが、恐らく表情の事だろう。
恋愛感情抜きの特別な者同士。そんな2人を見て何やら紅緒の中に揺さぶられる感情があった。
この感情は何なのか紅緒には良くわからなかったが、似たようなことを友人が力説していた事をふと思い出す。
「――これが尊い、という事?」
紅緒は何か学んだようだ。
●
(――何故、こんなことに)
答えの無い問いを古馬・真は自分自身に投げかける。
真は警備としてコスプレ広場の見回りを担当していた。先程も悪質な撮り手を注意してきた所だった。なのに、
「このポーズは!?」
「いいぞぉ! 見ているだけで元気になってくる!」
撮り手の被害者――ラティが取るポーズを真は撮影していた。その後ろでは広場に迷い込んできたという老人――ディエゴ・ヴォルテッソが激励している。
ラティの格好はホワレのガードの制服だ。露出の多いその格好は悪質な撮り手の餌食となりやすいが、ラティは最初笑顔で対応していた。「元気を与えるのが自分の役目」という信念から、笑顔で対応していたラティ。
だが捕り手は調子に乗り色々とエスカレート。それを見回りに来ていた真が止めに入ったのだ。
事態は収束したが、ラティは悩む。表現の仕方が解らない、と。
色々と際どい格好に真はその悩みの答えを出せないでいたが、そこにふらりと現れたディエゴが言う。
「――とりあえず、君自身を知ろうじゃないか」と。
(振り返ってみたけどやっぱりわからないのですが!?)
真が内心叫ぶ。何がどうしてこうなった。
混乱する真を余所に、ディエゴは色々とポーズの指示を出す。
その指示に従っていく内に、段々とラティの表情は先程の笑顔と違って、晴れやかな物になっていた。
「どうだい?」
一通り撮り終え、ディエゴがラティに問う。
「とりあえず、すっきりはした!」
「そうかいそうかい。ところで良ければこの後一緒に――」
「色々ありがとう! それじゃ!」
そう言って走り去るラティの顔は晴れやかだった。悩みは解消したわけではないが、何か得る物があったのだろう。
その後ろ姿を、ディエゴは何も言わずいい笑顔でただ見ていた。
尚、
「撮るの下手過ぎるだろ」
「申し訳ありません……」
真が撮った写真は見れた物ではなかった。被写体をまともに見る事が出来なかったから。仕方ないね。
●
「――で、何がどうしてこうなった?」
黒髪ポニーテールの少女、八上・麻衣が見下ろして言う。
麻衣はコスプレ広場の警備を行っていた最中、大きな物音を聞きつけた。
すぐに駆け付けた先――そこは惨状だった。倒れている少年の格好をした者。散乱する段ボール。
「さ、さぁ……あたしもさっぱり?」
そして、転がる生首の従姉妹――八上 ひかりがそこにいた。麻衣は頭を抱えたくなった。勿論自分の。
時間は少し前に遡る。
「急患ー! 急患ー!」
某漫画の主人公の少年の格好をした舞台俳優兼声優の鳴上旭ことカタバミ・ナルカミが、何かを引き摺って走っていた。
「いやあの、自分であづっ!?」
引き摺られているのは長い金髪の赤目の吸血鬼の格好をした柳葉 崇。途中舌噛んだ。
崇は最初、更衣室を目指していたはずだった。会場は暑く、熱い。そして長い髪がうっとおしい。切りたいけど切れない。
持っていた自作の巨大ロザリオも壊れそうだし、もう脱いでしまおうと更衣室へと向かっている最中だった。その様子が体調が悪そうに見えたのだろう。
「そのままでは危険だ。吾輩、じゃなく僕が救護室へ連れて行こう」
偶々通りかかったカタバミが、崇の否定の言葉を聞かずに連れて行こうとした。
しかしここで問題が発生。カタバミは小柄だ。小学生の格好でも違和感が無いレベルである。
本来であれは友人がライバルキャラの格好をして同行するはずが、今は居ない。標準体型の崇をカタバミだけで引っ張っていくのは難しい。
だがそこでカタバミの目に入ったのは崇のロザリオ。カタバミは自分の格好の漫画――小学生のスパイ物を思い出す。
作中の歴戦のスパイはこう語る。『段ボールは世界を制する』と。
次の瞬間、ロザリオは担架に変わっていた。
「これ流石に無理あぶぇっ!?」
崇の言う事を聞かず、担架は走り出す。
――結果だけ言おう。人ごみを避けきれず、突っ込んだ。担架にブレーキは無い。仕方ないね。
「ね、ねぇ大丈夫!?」
倒れたカタバミに声をかける者が居た。
すぐそばから聞こえるその声は、転がる生首から発せられていた。
カタバミは意識を失った。仕方ないね。
「で、なんでひかりはここに?」
「あ、あたしはちょーっとしたトラブルっていうかー……小道具に間違われた」
麻衣の問いにひかりが笑いながら答える。
――ひかりはデュラハンの格好をしていた。撮影の間は頭を脇に抱えていたが、休憩のタイミングで傍に置いていたら通りがかりの人が小道具の忘れ物と間違えた、というのだ。
「いっくら抗議しても聞いてくれないし、そんな時にこの人たちが突っ込んできて、って話」
ぷりぷり怒るひかりに、麻衣が溜息を吐く。
「……とりあえず、救護室と遺失物係だな」
「え、いやだからあたしは忘れ物じゃ――」
問答無用とひかりの頭を脇に抱えると、麻衣はカタバミを救護室へ運ぶ為別の運営を呼ぶのであった。
「――更衣室、遠いなぁ」
尚衝撃で吹っ飛ばされた崇は、偶然別の段ボールに刺さっていた。
●
――コスプレ広場の狂乱は、まだまだ終わりそうにない。
【執筆:高久高久】
「パカケットですよ坊ちゃま! パカケット!」
長い黒髪に和服と割烹着。加えて黒と赤のオッドアイ。まさにこの場にうってつけの要素盛り盛りで会場に現れたのは、大和撫子然とした見目の仙葉・珠藻。何とこれでコスプレではない。全て自前である。
「え? ぱかけっと? 何それ。新しい煎餅?」
「は? 煎餅? 殺しますよ?」
「アッ、ハイすみません」
なんか殺すとか言われた。主従関係でありながらそんな珠藻に辛辣な言葉を浴びせられるのは鬼前・蔵人だ。いつにない彼女の勢いにたじろぎつつ主ながら一応敬語で謝っておく。
「パカケットとは世界で最も熱い夏の同人誌即売会。私のようなレイヤー兼同人作家にとって戦場! この一年の成果を見せる場所ですよ!」
鼻息荒く説明する珠藻がいまいち状況を理解しきれない蔵人を連れてあれこれ見て回っていると、今人気のソシャゲを扱う島にこんもりと人集りが出来ている事に気付く。掻き分けて進めば、人山の中心には黒髪を一本の三つ編みにした華奢な影が大量の同人誌を抱えて立っている。サインを求める人には笑顔で応じ、ここで固まると通行の邪魔になるからと群衆を率いるその姿は。
「もしや貴方様はクラディール・ソニウム様では!?」
「はい、そうですが」
慣れた様子で応じたクラディールは版画家であるが、複数のソシャゲでキャラデザも担当している売れっ子だ。両手に抱えている本は全て自分の担当キャラを扱った物で、我が子みたいな物ですねと全年齢だろうと無かろうと片っ端から購入しているようだ。創造神降臨とは恐ろしい話である。珠藻が興奮気味に握手を願えば快く応じ、更には通りすがった担当キャラのコスプレをした参加者を呼び止めて、丁寧に撮影の許可を得ていた。
どうやら有名人らしいという事だけ察した蔵人は、なんかすごいなーなどと思いつつ、視界に入ったゴスロリ衣装の一団に釘付けになる。
「ゴスロリ良いよね。何とかあの人も色んなの着てくんねーかな……」
「私が着ても良いんですよ?」
「珠藻のゴスロリはもう見飽きたからいいよ」
「は? 飽きた? 主人といえども殺しますよ?」
「いや、え。ごめん」
軽快なやりとりが楽しい主従である。
「アルフライラの熱帯性気候に慣れた自分なら、日本の夏なんてへっちゃらよ!」
すれ違う人の賑わいにそう意気込むのはモエカ・カワムラだ。東方的アレンジを施したセイジの制服は現代のパカケットにおいて浮くどころかコスプレ的魅力を擁し、髪型も相まってすっかり会場に馴染んでいる。だがモエカは即売会における暑さ対策を軽視してしまった。順路の照り返しに密集する人波。汗と情熱が会場に雲を作る程の異様な熱気にあてられて目眩がする。気付いた時には彼女は救護所に担ぎ込まれていた。
「ハァハァ、早く行かないと新刊売り切れちゃうよぉ……」
くらくらしたまま床を這って再入場を試みるが、彼女を看ていたスタッフによって無情にもベッドへ戻されてしまう。
「駄目ですよお嬢さん。しっかり水分補給をして休んでください。ここで無理をしたら、欲しいものが買えなくなるかもしれませんよ」
そんなモエカに優しく声を掛けるのは、医療スタッフとして参加していたアルシェイド・ファーナだ。夏のイベントは暑さで熱中症になりやすいし、体調を崩す人もいるはず。具合の悪い人を見かけたら無理にでも連れてきて貰うようにと見回りスタッフにお願いしておいたのが功を奏した。無理をしたら命の危険もある。力なくもがいている彼女は気の毒だが、何よりも人命が優先だ。念の為冷却シートをあてがい、吸収の早い経口補水液をてきぱきと用意し、ペットボトルの蓋を開けて手渡す。
「僕は医者ですから」
そんな医者と患者を見守っていたのは、スタッフとして参加しているエドアルド・ジョルニフェリチェだ。モエカを救助し、救護所まで運んできたのは彼である。落とし物を拾うどころか体調不良者を無事に助けられた事に安堵しつつ見回りを再開しようとすると、聞き覚えのある声が彼の耳に届いた。
「わあぁ、これが最大級の同人誌のお祭りなんですね……!!」
きらきらと瞳を輝かせるのはユエ・ネージュ、隣りにいるのは九頭 龍華だ。
(アルフライラより暑い、物理的に暑い)
世界で最も熱いイベントというのは本当だった、と龍華は思う。暑さに弱いはずのユエよりも、龍華の方が会場の熱気と湿気にやられているようだ。
「ユエの探している本が見つかるといいな」
「わたし、美容や草花の本があればほしいです!」
楽しげなユエに話し掛ければ輝く笑顔が答え、目当てを見つけたのかぱたぱたと走っていった。
(エドアルドもスタッフとして働いているらしいが会えるだろうか)
ユエを見送りながら龍華が後輩を思えば、直後その本人の声が大きく響いた。
「龍華さん! あれ、アーヴィンさんも!」
少し離れた所からぶんぶんと手を振って走ってくるエドアルドが龍華の背後に視線をやると、そこには常と変わらぬ私服に身を包んだアーヴィン=ホワイトがいた。
「わあ、知り合いと会うなんて偶然ですね! こんにちは!」
少しならお話ししても怒られないでしょう、とエドアルドが挨拶をすれば、龍華も手を挙げて応える。顎に指を掛けて考え込むアーヴィンは目線だけで二人を見て、お前達はこの状況をどう思う、と尋ねた。
「他の世界と繋がったと考えるべきだろうし、由々しき事態でもあるのは言うまでもない」
本業が探偵と言い張る彼らしく見解を披露するも――。
「とは言え、細かい事を考えるのは野暮というもの。今日は喫茶店の常連客達とパカケットを存分に楽しもう」
意外と乗り気だったようだ。どのジャンルにご興味が? とエドアルドが尋ねると、よく聞いてくれたとばかりににやりと笑う。
「同人誌は二次創作よりもオリジナルを俺は好む。好きなジャンルは冒険活劇だ。壁よりも島で発掘するのが俺の楽しみさ」
乗り気どころか用語や楽しみ方まで会得済みである。
そこへ、綺麗な花のイラスト本などの戦利品を抱えたユエがホクホク笑顔で戻ってきた。三人の会話も聞こえていたらしく元気に挨拶した彼女は、一人一人に雪結晶のチャームを配る。手作りなんですって、今日の記念にお揃いでつけましょう、と微笑む彼女に全員が笑顔になる。
「ロンファ先輩も好みの本が見つかるかもしれませんよ!」
「私は食べ歩きの本を見つけたい」
少しの歓談の後は各々が戦場へ戻っていく。洋洋と島へ繰り出すアーヴィンに、食べ物系の島を探す女子二人。知己に会って思わず話し込んでしまったが、仕事は全うしなくてはと、三人を見送ったエドアルドも持ち場に戻るのだった。
熱気溢れる会場に一陣の薫風が吹く。暑さや湿気すらも吹き飛ぶ、絵に描いたようなパーフェクトカップルの登場に、戦士達は慄いた。ジュスト・ヴェルジーとローザリカ・L・ディオールの二人は初々しい高校生カップルだが、彼らの華やかな見目は会場の大多数の人間の心を容易く挫く。だがそんな事を知る由もない二人は、和やかに買い物に勤しんでいた。
即売会を積極的に楽しんでいるのはローザリカで、ジュストは今回デートという誘いに釣られた哀れな荷物持ち要員である。ヲタク文化に殆ど触れずにきた彼は、それらに理解はないが偏見もない。一方でローザリカは見る専である。ジュストを従え、純愛系NL同人誌を入手しまくっていた。
「あ」
荷物持ちとはいえ頼られて嬉しいジュストは文句も言わず上機嫌で付き合っていたが、彼女が年齢指定本を手に取るのを見て思わず声が漏れてしまう。
「ち、ちが……! 絵柄が可愛かったから……!」
うっかり過激な物まで手に取ったのがバレたローザリカはプチパニックに陥るも、ジュストはのんびりとしたものだ。まぁR15だから問題ないか、と小さく笑って言う。
「うん、そうだね可愛いね」
絵柄よりも君が。そう言って逃げ出さないよう背後から抱き締めてくる恋人にローザリカは叫び出しそうになるが、彼女も淑女。スペース前で騒げば迷惑となる為その本もしっかり購入する。気まずさか、それとも恋心か。彼女の胸はいつまでも心臓が煩い。
刺激的な光景にどきどきしつつ歩を進めるのは、狛江 美結と弓近 栞だ。
(栞が横にいてくれてすごく心強い)
心素直になれる親友である栞と共に、美結は芸大で噂になっていたパカケットに一般参加デビューしたのだった。独特の雰囲気に気圧されつつも、二人で各所を見て回っていく。
ふと見つけた少女漫画のような綺麗な絵柄に引かれて美結は立ち読みを試みるも、みるみる顔が真っ赤になっていく。紙面に躍る過激な描写と圧倒的な恋愛系同人パワーにあてられて動悸が止まらない。明るく活発な美結はその人柄から恋愛経験も豊富かと思いきや、元々箱入り娘という事もあって実はかなりウブなのだ。
(私は読み物に好き嫌いはありませんが、美結さんはそうでもなさそう)
心配になった栞は、美結の手を引いて移動する。
「美結さん、見てください! お花ですよ」
恋愛同人コーナーを抜けた先に広がっていたのは、植物をモチーフとした装飾品や本などを扱う島だった。
「美結さんは花言葉とか……ご存知ですか?」
にっこりと微笑んで知っている花言葉を諳んじながら、この気持ちを届ける方法はないかな、と栞は思う。繋いだままの手は会場の気温と湿気でじっとりと汗ばんでいくが、赤みの引かない美結の顔を見ていると、まだ離したくはないと思う。
美結は幾分落ち着きを取り戻しながらも、まだ胸の高鳴りを鎮めきれずにいた。
(ドキドキが止まらないのは、栞に手を引かれている所為……?)
随分遠く、仲睦まじく手を繋ぐ若い女性二人の姿を見た沢田・烈司は、自分の視力が戻っている事に気付く。烈司の一挙一動を敏感に察知する仮名 零音は、すぐに彼の異常を察した。混乱しつつも喜ぶ零音に、だが烈司は侵蝕だろうと流して取り合わない。冷たくも見えるが、これが彼らの距離感だ。
アポカリのレネレイ本を求めて訪れた零音だったが、実は烈司を誘った訳ではない。何でれいじさんがここに、と問うても、僕が何をしようが勝手だろう、と釣れない返事だ。そんな烈司は、偶には自分が零音のプライバシーを漁ってやろうといった意図でついて回っているのだった。
訝しみながらも目当てを見つけた零音は、平積みの上から一冊を手に取り即購入する。
「こいつと同じものを」
すると横から烈司がそんな事を言った。驚きに目を見開いて会計の様子を見ていた零音だったが、彼の手に渡ったのが自分の買った全年齢物でなく成人向けである事に気付くと更にパニックを起こす。
「……貴様、こういうのがタイプなのか……?」
「た……タイプというか、れいじさんと僕に似ているなと思って……」
耽美な美しさを湛えた美女二人がもつれ合う表紙を掲げて言う烈司に必死に言葉を返す零音だったが、余計な事を白状してあわあわと赤面する。
「はっ、はぐれるといけないから手繋ぎましょう!」
誤魔化すように言って半ば強引に手を取って歩き出した零音に、烈司は軽く息を吐いて後に続いた。
【執筆:杜ノ門】