鼓膜の中の同行人

キャラクターノベル制作 真冬たい納品 2020年11月22日 18時42分25秒

 朝露から燻したような香りがする。

 略奪者に燃やされた村。
 そんな故郷が復興する光景を眺めている内に生じた悩みがあった。
 ――今後どう生きるべきなのか。
 これは自分で考え、自分で答えを出すしかないことだ。それだけはわかる。
(……村の中だけで出せる答えじゃねぇってことか)
 あの忌々しい出来事から2年が経過していた。それだけの時を重ねても尚、悩みが途切れないということは自分にとっての答えが村の中にはないということなのかもしれない。
 小さな村だが共に生きてきた家族の思い出が残った村だ。
 離れ難い気持ちはあったが外の世界も見てみるべきなのかもしれない。ディアンはそう何日もかけて考え――そして、ついに旅立つ決意を固めたのだった。


 大仰な見送りは望んでいないため、密かに村長――グレッグにだけ旅立つことを告げる。すると彼は自分一人で見送りたいと申し出た。
 ディアンはすでに二十を越えているがグレッグから見ればまだ少年に思える。そんな存在がたった一人で旅立つのを良しとしたくないらしい。
 そんな気持ちを無碍にするわけもなく、ディアンは翌朝村長に見送られながら村から出ていくことにした。

 皆が起き出すより早く出立することにする。
 村の出入り口に立っているとこちらへ歩いてくる村長の姿が見えた。
 ――彼が歩く道は昔の面影を残している。そこだけ時の流れに取り残されたかのようだった。ディアンはその道が赤く染まっていた時のことを思い出す。
 燻したような朝露のにおいはその時のものだ、とふと思った。
 本来ならもう朝露からそんなにおいはしない。だというのに五感が鮮明に覚えているのだ。
 
 村長が目の前に辿り着いても、その過去の光景に引き寄せられた感覚が治まらない。
 ディアンは彼と二言三言別れの言葉を交わしたが、その最中に瞳が翳ったのを見てグレッグが言った。
「ディアンよ、家族が死んだのはお前さんのせいじゃあない」
「……」
 もしもっと早く駆けつけていれば、と何度思ったことだろう。
 わかるのだ。そのもしもがあったなら、家族を守れていただろうということが。
 だがそうはならなかった。その原因は自分だ。自分が適切な行動を取れなかったからだ。
「でもよ、村長。俺は……」
 家族を守れなかった。
 そんな想いと共に過去の記憶を思い返す。

 それはディアンにとって心の一番柔らかな部分に寄り添った、おぞましくも忘れ難い記憶だった。


●
 2年前、ディアンは木こりとして毎日仕事に精を出していた。
 薪用の木を倒し小分けにして薪棚へ並べ終え、その足で村へと戻る。
 斧だけは父親の代から愛用しているものなので、木こり小屋には置かずに自宅へと持ち帰っていた。
 我が家へ戻れば義妹のリエラが食事を作って待ってくれているはず。昨日色んなキノコが採れたと喜んでいたのでキノコスープが並んでいるかもしれない。
 そんなことを考えながら山を下り、村の家々が見えてきたところで――ディアンは異変を感じて足を止めた。
 漂ってくる異様な臭い。
 村の周囲にだけ動物の気配がないというのに、内側では人間の濃い気配がする。
 それは村人たちが日常生活をしているものではなく、むしろ大勢で狩りをしている時の気配に似ていた。
(なんだ……?)
 異質な雰囲気はわかるが何が起こっているのか未だに見当がつかない。
 しかし言い様のない焦燥感が背筋を這い上がり、ディアンは止めていた足を地面から引き剥がして村の中へと走り始めた。


 兎を追う狼でもあんな表情はしていない。
 見ず知らずの男たちが見知った村人たちを襲い、逃げた者を追い、捕まえ、好きなように嬲っている。
 その顔は一様に楽しげなもので、この状況を心底楽しんでいるのが伝わってきた。
 ディアンは自分の家に向かって足を早める。他の村人も気がかりではあるが、妹を含む家族は家にいる。つまり家族も同じ目に遭っている可能性が高いのだ。
「リエラ……! 皆……!」
 俺が助けてやる。
 そう無意識に思いながら斧の柄を強く握った。

 しかしそんなディアンを玄関先で出迎えたのは、すでに事切れた両親だった。
 守ろうとしたのだろうか、父親の上に母親が覆い被さっている。
「……」
 ディアンは言葉を失ったまま自分の手で二人の生死を確認し、よろめきながら立ち上がった。冷え切った胸の奥からふつふつと湧き上がるものがある。それがひとたび表に溢れ出れば止められないものであることは自分でもうっすらとわかっていた。
 瞬きをするのも忘れて家の奥へと進む。

 台所を覗くとまだ暖かいスープがそのまま放置されていた。弾かれたように走り出したディアンは二階へ続く階段を駆け上がる。
 二階には妹の部屋があった。無事でいてくれと心の底から祈りながら廊下を走り、ドアに手をかける。
 ディアンは妹を早く安心させたい一心でドアを開け――そして、部屋の中で略奪者たちに嬲られている妹の姿を見て、ほんの一瞬の間だけ思考を停止させた。
 それはディアンの心の防衛反応だったのかもしれない。
 艶やかな髪は今や手綱の代わりにされ、何をされたのか表情は抜け落ちている。リエラは虚ろな目で兄を見ていたが、その目に映るものが何なのか理解できないようで、助けを求めるでもなく小さく呻いていた。
 耳の奥でごうごうと鳴っているのは己の血汐の音か、それとも何か触れてはならないものが頭の中を擦り首をもたげている音か。
 ああ、きっと後者だろう。
 確信めいたことを思いながら、ディアンはそれを解き放つように大きく叫んで斧を振り被った。喉が痛むほど声を張り上げ、何の躊躇いもなく略奪者を切り倒していく。
 木よりも簡単に切り倒せることにすらディアンは怒りを感じた。こんな生き物がリエラに、家族にあんな仕打ちをしたのだ。略奪者にまつわるものすべてが憎くて堪らない。
 略奪者も反撃したが、そのどれもがディアンの怒号に捻じ伏せられるようにして無意味に終わった。
 切り倒す。切り倒す。
 切り倒して輪切りにし、薪にする。
 そうだ、こいつらは薪だ。生き物なはずがない。そう思いながら激情に任せて斧を振るい続ける。マグマのような熱さだった。こんなものは一生知りたくなかったというのに、次から次へと溶けて流れて自分の一部になっていく。

 ――ほんの数分の時が経った後、略奪者たちは本物の薪のように物言わぬ存在に成り果てていた。
 まるで手の平と神経も筋肉も血管も何もかも共有しているかのように張りついていた斧を血だまりに落とし、ディアンはリエラを抱き起す。
「……リエラ」
 酷く掠れてしまった声で名前を呼ぶと、妹はぴくりと反応した。
 聴覚は人がこの世を去る直前まで残っている五感。目より耳の方が兄の存在を感じられたのかもしれない。
「リエラ、遅くなってごめんな。助けにきたぞ」
「お兄……ちゃん……?」
 ひゅうひゅうと空気が漏れるような音と共にリエラはディアンを呼んだ。
 ディアンは「ここにいる」とリエラの手を握る。その手は酷く冷たい。
「おと、さんと……お母さん、は?」
 父と母の末路を知らないのか、とディアンは震えそうになる声を全身全霊をかけて宥めながら答える。
「無事だ。だから無理するな」
 よかった、とリエラは微笑んで言った。
「ごめんね、お兄ちゃん」
 真っ先に思ったのは、なんでそんな最後の力を振り絞ったように言うんだということ。
 助けてもらうようなことをしたからごめんと言っているのではない。助けてくれたお礼としての言葉でもない。ならばなぜ謝ったのか。
 血は繋がっていないが二人はまさしく兄妹だった。だからこそ言葉にしなくてもわかることがある。
 それでもディアンは妹の言わんとしていることに気がつきたくなかった。
 だが――妹の想いを考えれば、目を逸らし耳を塞ぎ聞かなかったことにするのは酷なことだ。板挟みの気持ちになりながらディアンは首を横に振る。
 リエラは折角助けに来てくれたのに、このまま世を去ることを申し訳なく思って謝ったのだ。
 現実を認めたくない想いと、謝らなくていいと言い聞かせたいという想い。その二つが混ざり合い、言葉の代わりに首を横に振り続ける。
 リエラはディアンを瞳に映したままゆっくりと力を抜き、重力に逆らうことを忘れたかのように四肢を垂らした。
 生気のなくなった妹の目にディアンは己の赤く染まった顔を見る。

 きっとこの時から、ディアンの心は板挟みになったままその場に縫い留められてしまったのだ。


●
 妹の最期の言葉が耳から離れない。
 きっと今後もディアンの耳に残り続けてついてくる。――これからどうすべきなのか、答えが見つかるまでは。

 グレッグが優しい目を向けながら言った。
「いつか戻ってこい。それまで家と墓は村で守ってやるからの」
 家は家族がいた証。そしてディアンの帰るべき場所。
 墓は家族が眠る地。ディアンが自分の見つけたものを報告すべき場所。
 村長はそれを村人たちと守り続けてくれるという。ディアンが村へと戻ってくるその日まで。
 腰に提げた使い古された斧の柄に触れ、ディアンは僅かな間だけ瞼を伏せてから口を開いた。
「ああ……ぐちゃぐちゃになった気持ちが整理出来たら、いつか必ず戻って墓参りをする」
 まだ漠然としているが、これが自分の目標だ。
 そう心に刻み、ディアンは固くなっていた表情を緩めて言った。
「だからそれまで頼むぜ、村長」


 それが何年先になるのか、その時どんな顔をしているのか。
 今のディアンにはわからなかったが、それを知りに行くことが村に背を向ける理由になった。
 村から離れていくたび、あの場に縫い留められた心が軋むような気がする。しかしそれで足を止めるまでには至らない。
 ふと顔を上げると木の葉に煌めく水滴がついていた。

 朝露からはもう、燻したような香りはしない。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0