旅立ちの朝に
プロローグノベル制作 鮎川 渓納品 2020年11月27日 18時42分45秒
鞄がいっぱいで口が閉まらない。リィズ・クラリエは小首を傾げ、もう一度荷物を吟味する。
革で包んだ工具、これは絶対に外せない。鍛冶の師であり、冒険者の先達でもある父が、リィズのために見繕ってくれた物だ。
年季の入ったノートは、母直伝のレシピ集。料理を教わり始めた頃からコツコツ書き溜めてきたもので、母との思い出が詰まっている。これも外せない。
必要最低限の着替えに雨具、お気に入りの本に鉱石図録、洞窟で拾った一等綺麗な小石――紅石英めく瞳でじっと見つめていたリィズは、ややあって愛用の膝掛けを鞄から出した。
「ん、おるすばん。ね?」
呟き、名残惜しそうにひと撫で。ようやく閉じた鞄を手に自室を後にする。誰もいない部屋へ向け、ぺこりと頭を下げた。
「あの子、リブラネスタでもきちんとやっていけるかしらー?」
リィズの母は、柳眉を寄せつつもどこかおっとりと言う。娘が家を出るという日でも、職人気質の父の炉には火が熾っていた。
焼入れに使う炭粉を混ぜていた父は、一頻り作業を終えてから顔を上げる。問いに答える前に、ふと工房の天井を仰いだ。
夫婦で切り盛りするこの『クラリエ鍛冶・彫金店』は、界隈でそれなりに名の通った店だ。良き鉱石を磨き、打ち、良き作品を作ることを良しとするのがドワーフである。ドワーフ最大のコミュニティであるこの王国で、鍛冶・彫金の腕の良さで知られるということは、とても誇らしいことだ。
けれど父親として何より喜ばしいことは、愛娘が自分達と同じ道を志してくれたことだった。
先達として厳しく接しなければならない時などは、娘を甘やかしたい親心と職人根性がせめぎ合い、密かに心痛めたりもした。それでも、娘の小さな手を取って、共に鉱石を磨き鋼を鍛える喜びは、とても言い表せない。
そんなリィズももう16歳。独り立ちして、自分の店を構える時が来たのだ。
「教えてやれることは全て教えた。これからは自分で学び取らなくてはな」
「私だって、彫金のことは何だって教えたわ。お料理もね。そうではなくって……」
ひとりぼっちに、ならないかしら。
唇の動きだけで呟く妻の手へ、夫の武骨な手が触れた。
石や金属ばかりを相手にしてきたためか、リィズは若干内向的で、独特の感性をしているため――無論、人と少し違っているだけで、悪いなどとは微塵も思わないが――なかなか友人が作れないことを案じているのだ。
その懸念は同じく抱いているものの、あえて笑ってみせる。
「なぁに、石も鉄も喋りはせんが、分かる者にはちゃんとその良さが分かる。リィズの良さも、分かる者には分かるさ」
「……そうね。私達の自慢の娘ですもの」
その時、戸が叩かれた。
小さな身体で大きな大きな鞄を背負い、相棒のハンマーを携えたリィズがやって来た。
「支度、できた」
「もう行くの? お昼ごはんは?」
「ん、朝たくさん食べた。大丈夫」
「じゃあお弁当に詰めましょうね」
母がぱたぱたと台所へ行ってしまうと、父娘の間に沈黙が落ちた。すっかり旅支度を整えた娘を感慨深く眺めていた父は、職人の顔つきになって問う。
「リィズ。課題は覚えているな?」
「ん」
娘は空色のリボンを揺らし、こっくり頷く。
「『自分だけのたいせつなもの』、作ること」
しっかりと答えながらも、まだ明確なイメージは浮かんでいないようだった。それも当然で、この旅立ちはそのインスピレーションを得る為のものでもあるのだ。
父は懐から金属片を取り出した。
「これが何か分かるか?」
リィズは白銀に輝くそれをじっと見つめ、
「きれい……見たことない、多分。なに?」
「とびきり純度の高い鉄だ」
「これが、鉄?」
普段目にする鉄と呼ばれる物は、概ね灰色をしている。目を瞬くリィズに、父は声を和らげた。
「見る機会がなくとも無理はない。混じり気のない鉄は柔らかくて、剣にも鍋にもならんのだ。他と混ざり合うことで、硬い鋼や合金になる。人も鉄も同じことだ」
「……」
リィズは鉄と父とを交互に見つめる。言葉少なだが聡い娘だ、話に込められた意味をじっくり飲み込もうとしているのだろう。父はその頭に手を置いた。
そこへ、母がやたらと大きな包みを手に戻ってきた。包みを押し付けられて思わずよろめくリィズを、母は力いっぱい抱きすくめる。
”物”はどんなものであれ、人に使われるために作られる。たいせつなものを作るためには、人の心に触れることが肝要だ。
だから今は辛くとも、親としてこう言ってやらねばならない。
「――行っておいで」
表へ出たリィズは、親しんだ家や店をしばし眺め、
「パパ、ママ。行って、きます」
いつもより丁寧に出発の挨拶をすると、あとはもう振り向かずに歩きだす。物怖じせずに踏み出せるのは、愛情を受けて育った子供だけが持つ芯の強さを、リィズもちゃんと持っているからだ。
遠ざかる背中に頼もしさを感じつつ、両親はいつまでも見送っていた。
革で包んだ工具、これは絶対に外せない。鍛冶の師であり、冒険者の先達でもある父が、リィズのために見繕ってくれた物だ。
年季の入ったノートは、母直伝のレシピ集。料理を教わり始めた頃からコツコツ書き溜めてきたもので、母との思い出が詰まっている。これも外せない。
必要最低限の着替えに雨具、お気に入りの本に鉱石図録、洞窟で拾った一等綺麗な小石――紅石英めく瞳でじっと見つめていたリィズは、ややあって愛用の膝掛けを鞄から出した。
「ん、おるすばん。ね?」
呟き、名残惜しそうにひと撫で。ようやく閉じた鞄を手に自室を後にする。誰もいない部屋へ向け、ぺこりと頭を下げた。
「あの子、リブラネスタでもきちんとやっていけるかしらー?」
リィズの母は、柳眉を寄せつつもどこかおっとりと言う。娘が家を出るという日でも、職人気質の父の炉には火が熾っていた。
焼入れに使う炭粉を混ぜていた父は、一頻り作業を終えてから顔を上げる。問いに答える前に、ふと工房の天井を仰いだ。
夫婦で切り盛りするこの『クラリエ鍛冶・彫金店』は、界隈でそれなりに名の通った店だ。良き鉱石を磨き、打ち、良き作品を作ることを良しとするのがドワーフである。ドワーフ最大のコミュニティであるこの王国で、鍛冶・彫金の腕の良さで知られるということは、とても誇らしいことだ。
けれど父親として何より喜ばしいことは、愛娘が自分達と同じ道を志してくれたことだった。
先達として厳しく接しなければならない時などは、娘を甘やかしたい親心と職人根性がせめぎ合い、密かに心痛めたりもした。それでも、娘の小さな手を取って、共に鉱石を磨き鋼を鍛える喜びは、とても言い表せない。
そんなリィズももう16歳。独り立ちして、自分の店を構える時が来たのだ。
「教えてやれることは全て教えた。これからは自分で学び取らなくてはな」
「私だって、彫金のことは何だって教えたわ。お料理もね。そうではなくって……」
ひとりぼっちに、ならないかしら。
唇の動きだけで呟く妻の手へ、夫の武骨な手が触れた。
石や金属ばかりを相手にしてきたためか、リィズは若干内向的で、独特の感性をしているため――無論、人と少し違っているだけで、悪いなどとは微塵も思わないが――なかなか友人が作れないことを案じているのだ。
その懸念は同じく抱いているものの、あえて笑ってみせる。
「なぁに、石も鉄も喋りはせんが、分かる者にはちゃんとその良さが分かる。リィズの良さも、分かる者には分かるさ」
「……そうね。私達の自慢の娘ですもの」
その時、戸が叩かれた。
小さな身体で大きな大きな鞄を背負い、相棒のハンマーを携えたリィズがやって来た。
「支度、できた」
「もう行くの? お昼ごはんは?」
「ん、朝たくさん食べた。大丈夫」
「じゃあお弁当に詰めましょうね」
母がぱたぱたと台所へ行ってしまうと、父娘の間に沈黙が落ちた。すっかり旅支度を整えた娘を感慨深く眺めていた父は、職人の顔つきになって問う。
「リィズ。課題は覚えているな?」
「ん」
娘は空色のリボンを揺らし、こっくり頷く。
「『自分だけのたいせつなもの』、作ること」
しっかりと答えながらも、まだ明確なイメージは浮かんでいないようだった。それも当然で、この旅立ちはそのインスピレーションを得る為のものでもあるのだ。
父は懐から金属片を取り出した。
「これが何か分かるか?」
リィズは白銀に輝くそれをじっと見つめ、
「きれい……見たことない、多分。なに?」
「とびきり純度の高い鉄だ」
「これが、鉄?」
普段目にする鉄と呼ばれる物は、概ね灰色をしている。目を瞬くリィズに、父は声を和らげた。
「見る機会がなくとも無理はない。混じり気のない鉄は柔らかくて、剣にも鍋にもならんのだ。他と混ざり合うことで、硬い鋼や合金になる。人も鉄も同じことだ」
「……」
リィズは鉄と父とを交互に見つめる。言葉少なだが聡い娘だ、話に込められた意味をじっくり飲み込もうとしているのだろう。父はその頭に手を置いた。
そこへ、母がやたらと大きな包みを手に戻ってきた。包みを押し付けられて思わずよろめくリィズを、母は力いっぱい抱きすくめる。
”物”はどんなものであれ、人に使われるために作られる。たいせつなものを作るためには、人の心に触れることが肝要だ。
だから今は辛くとも、親としてこう言ってやらねばならない。
「――行っておいで」
表へ出たリィズは、親しんだ家や店をしばし眺め、
「パパ、ママ。行って、きます」
いつもより丁寧に出発の挨拶をすると、あとはもう振り向かずに歩きだす。物怖じせずに踏み出せるのは、愛情を受けて育った子供だけが持つ芯の強さを、リィズもちゃんと持っているからだ。
遠ざかる背中に頼もしさを感じつつ、両親はいつまでも見送っていた。
登場キャラクター
リィズ・クラリエ