空に捧げる祈りとは
プロローグノベル制作 水繰潤納品 2020年10月31日 23時37分09秒
フィルエス大森林の辺境にある小さな区画。
此処にはエルフの『父』が旅先で出会い連れてきた、様々な種族の孤児達が暮らしている。
父にはハイアルヴへの信奉こそなかったが、名が喪われた小さな神々へ日々の幸せを願うささやかな信仰があった。
その父に育てられたひとりであるエルフの少女コルネリウスは、一通の手紙を握りしめて茫然としていた。
自立を境に帝国に向かい、騎士となった兄の訃報が届いた。
既に一週間程も前の話だったが、彼女は未だに信じる事が出来ずにいた。
故郷を遠く離れても、時折帰郷しては手隙に剣術を教えてくれた、一番大好きな兄だった。
コルネリウスが何気なく外を眺めると、今日も父は空に向かって祈りを捧げている。
愛する子供達の、無事と平和を祈って。
「……父さん」
「コルネ、またそれを読んでいたのかい」
祈りを終えた父は、コルネリウスの声に顔を上げた。彼女の表情は暗く、声に力はない。
手には兄の訃報を伝える手紙が握られている。
ここ数日、彼女がずっとそれを手放さずにいるのを父は知っていた。
この家に住まう子供達の誰よりも、この子らが親しくしていたことも。
「ねぇ…どうして兄さんは死んじゃったのかな…どうして?」
あぁ、そうだ……私の兄さんはもう、居なくなってしまったのだ。
その事実を口にした途端に、ふつりと、何かが切れた感覚があった。
押し込めていた疑問が、胸の底から溢れてくる。
「ねぇ、父さん……神様って何?父さんは、毎日神に祈りを捧げているけれど」
それはずっと、父の前で口に出してはいけないと、何処かで思っていた言葉だった。
言葉に出せないから、兄の死を伝える手紙が届いてから、コルネリウスは独りで何度も空に問いかけていた。
父が毎日家族の無事を祈る、同じ空に向かって。
神はひとの願いを受けながら、どうして大切な存在を……大好きな兄を、救ってはくれなかったのかと。
「私が知っているのは、神は全てに平等で、全てに公平ではないということだけで」
「コルネリウス」
「無力でちっぽけなひとの願いなど。どんなに空に想いを馳せても、神が叶えることなどないって。もう解っているはずなのに……!」
父が落ち着かせるように名を呼ぶが、既にあふれ出てしまったものを抑える事ができない。
この理不尽な悔しさを、どうにもならない憤りを、抑えきれない感情を、ぶつけずには居られない。
「――コルネリウス」
「それでも何故、父さんは祈りを捧げるの?」
普段は笑顔を絶やさない少女の顔は苦し気で、絞り出すような声には悲しみが籠っていた。
暫しの沈黙の後、その想いをすべて受け止めるように、彼女の父は困ったような表情を浮かべながらも静かに微笑を浮かべた。
くしゃくしゃになった手紙を握りしめたまま今にも泣きだしそうな娘へ、手を伸ばして頭を撫でる。
「……その答えは、己の中で出してみなさい、コルネ」
それは、突き放す為の言葉ではない、とコルネリウスは理解できた。
己も、己が信じる神も糾弾されようと父が返したのは叱責ではなく、諭すその声は優しかったし、子供の頃のように触れる手は温かかった。
はっとしたように、コルネリウスは息を飲むと唇を噛んだ。
「ごめんなさい、父さん……」
感情のままに想いをぶつけてしまった事に謝罪を告げる娘へ、父は穏やかに首を振った。
血の繋がりがなくとも伝わってくる父からの愛情に、堪えきれなくなった涙がこぼれ落ちる。
その瞬間に、彼女の中で決意が固まった。
「……私、家を出る」
コルネリウスは顔をあげると父の目をまっすぐに見て告げた。
己で答えを見つけるには、きっとこの道しかないと感じたから。
「私はもっと沢山のことを知りたい。どうしてひとは祈るのか。大切な人を失わないために何をすべきなのか。私が学ぶべき事は何なのか」
「兄さんは居なくなってしまったけれど、私に剣術を残してくれた。この剣で、兄さんが護ろうとしたものも、護りたい」
娘の言葉を聞き終えると、父は静かに頷いてそっと涙を拭ってやる。
エルフがひとり森の外へ出る事は、別の困難や苦しみにぶつかる事もあるだろう。心が折れる事もあるかもしれない。
それでも、娘の中に生まれた疑問や想いを潰してしまいたくはなかった。
あとは父として告げる事が出来るのは、きっとこの言葉だけだろう。
「……いつでもまた、帰ってきなさい」
翌日、コルネリウスは故郷の森を旅立つ。
行く先は決まっていないし、求めた答えが得られる確証も無い。
けれど知る事を諦めなければ、きっといつか自分のあるべき姿が見つかると信じて、エルフの少女は授恵者として新しい道を歩み出す。
大切な兄がくれた剣を携えて。
此処にはエルフの『父』が旅先で出会い連れてきた、様々な種族の孤児達が暮らしている。
父にはハイアルヴへの信奉こそなかったが、名が喪われた小さな神々へ日々の幸せを願うささやかな信仰があった。
その父に育てられたひとりであるエルフの少女コルネリウスは、一通の手紙を握りしめて茫然としていた。
自立を境に帝国に向かい、騎士となった兄の訃報が届いた。
既に一週間程も前の話だったが、彼女は未だに信じる事が出来ずにいた。
故郷を遠く離れても、時折帰郷しては手隙に剣術を教えてくれた、一番大好きな兄だった。
コルネリウスが何気なく外を眺めると、今日も父は空に向かって祈りを捧げている。
愛する子供達の、無事と平和を祈って。
「……父さん」
「コルネ、またそれを読んでいたのかい」
祈りを終えた父は、コルネリウスの声に顔を上げた。彼女の表情は暗く、声に力はない。
手には兄の訃報を伝える手紙が握られている。
ここ数日、彼女がずっとそれを手放さずにいるのを父は知っていた。
この家に住まう子供達の誰よりも、この子らが親しくしていたことも。
「ねぇ…どうして兄さんは死んじゃったのかな…どうして?」
あぁ、そうだ……私の兄さんはもう、居なくなってしまったのだ。
その事実を口にした途端に、ふつりと、何かが切れた感覚があった。
押し込めていた疑問が、胸の底から溢れてくる。
「ねぇ、父さん……神様って何?父さんは、毎日神に祈りを捧げているけれど」
それはずっと、父の前で口に出してはいけないと、何処かで思っていた言葉だった。
言葉に出せないから、兄の死を伝える手紙が届いてから、コルネリウスは独りで何度も空に問いかけていた。
父が毎日家族の無事を祈る、同じ空に向かって。
神はひとの願いを受けながら、どうして大切な存在を……大好きな兄を、救ってはくれなかったのかと。
「私が知っているのは、神は全てに平等で、全てに公平ではないということだけで」
「コルネリウス」
「無力でちっぽけなひとの願いなど。どんなに空に想いを馳せても、神が叶えることなどないって。もう解っているはずなのに……!」
父が落ち着かせるように名を呼ぶが、既にあふれ出てしまったものを抑える事ができない。
この理不尽な悔しさを、どうにもならない憤りを、抑えきれない感情を、ぶつけずには居られない。
「――コルネリウス」
「それでも何故、父さんは祈りを捧げるの?」
普段は笑顔を絶やさない少女の顔は苦し気で、絞り出すような声には悲しみが籠っていた。
暫しの沈黙の後、その想いをすべて受け止めるように、彼女の父は困ったような表情を浮かべながらも静かに微笑を浮かべた。
くしゃくしゃになった手紙を握りしめたまま今にも泣きだしそうな娘へ、手を伸ばして頭を撫でる。
「……その答えは、己の中で出してみなさい、コルネ」
それは、突き放す為の言葉ではない、とコルネリウスは理解できた。
己も、己が信じる神も糾弾されようと父が返したのは叱責ではなく、諭すその声は優しかったし、子供の頃のように触れる手は温かかった。
はっとしたように、コルネリウスは息を飲むと唇を噛んだ。
「ごめんなさい、父さん……」
感情のままに想いをぶつけてしまった事に謝罪を告げる娘へ、父は穏やかに首を振った。
血の繋がりがなくとも伝わってくる父からの愛情に、堪えきれなくなった涙がこぼれ落ちる。
その瞬間に、彼女の中で決意が固まった。
「……私、家を出る」
コルネリウスは顔をあげると父の目をまっすぐに見て告げた。
己で答えを見つけるには、きっとこの道しかないと感じたから。
「私はもっと沢山のことを知りたい。どうしてひとは祈るのか。大切な人を失わないために何をすべきなのか。私が学ぶべき事は何なのか」
「兄さんは居なくなってしまったけれど、私に剣術を残してくれた。この剣で、兄さんが護ろうとしたものも、護りたい」
娘の言葉を聞き終えると、父は静かに頷いてそっと涙を拭ってやる。
エルフがひとり森の外へ出る事は、別の困難や苦しみにぶつかる事もあるだろう。心が折れる事もあるかもしれない。
それでも、娘の中に生まれた疑問や想いを潰してしまいたくはなかった。
あとは父として告げる事が出来るのは、きっとこの言葉だけだろう。
「……いつでもまた、帰ってきなさい」
翌日、コルネリウスは故郷の森を旅立つ。
行く先は決まっていないし、求めた答えが得られる確証も無い。
けれど知る事を諦めなければ、きっといつか自分のあるべき姿が見つかると信じて、エルフの少女は授恵者として新しい道を歩み出す。
大切な兄がくれた剣を携えて。